
身体性を通じて生き方の質感を自覚していく時間 - 熱海アート合宿
アタマとカラダ。思考と身体性。意識と無意識。
命まるごとで、対峙する。
「アート合宿」に参加してきたよ
「絵を描きたい」
コーチングセッションやジャーナリングを通じて何度も出てきた願い。
昨年は油絵教室へ見学に行ったり、妻と出かけた際にペン画を描いてみたり、少しずつその願いを自分にゆるしはじめる萌芽の時期であった。
表現すると現実が動くもので
願いを口にすると機会が飛び込んでくるものでして、Twitterやstand.fmでそんな話を発信していたら、すとさんがDMを下さった。
🎨1/7(金)〜1/9(月祝)アート合宿@熱海🎨
— Miyuki Suto (@310memo___) November 20, 2022
おはなし会終わりました✨
正直PSFの気配しかないので、必要な人に届いてほしい...!
気になる方はご連絡お待ちしています✨ https://t.co/WdrxprfUol pic.twitter.com/PwtH2Zk0iv
アート合宿へのお誘いである。
すとさんとはコーチング周辺領域のWSで顔を見たことがある程度(多数参加者がいる中でも存在が気になっている人ではあった)だったのだけれど、昨年末にかけてSNSで人生軌道が交わるような感じで、関わりを深めて頂いた。
まーさん、ちゃんと話したことないけれど、日常の微細な気付きや違和感を丁寧に棚卸しする方だなってnoteとTwitter拝見しておもう
— うちゅうじんです (@h_a_a_l_) November 3, 2022
いつかどこかで直接、人生に触れてみたいなと思いました。そんな文化の日。
これが結構大きなきっかけだった。嬉しかったなぁ!
以来、彼女のラジオ配信にどっぷりハマってきた2か月である。
@310memo___ 「生命の叡智の奥義書をオーディブルしてる」気持ちでいつもラジオ楽しみにしてまっす!「いつぞや見かけためっちゃ気になる人」だった距離感から「来年早々の最も楽しみで重要なイベントをくれた神」にいつの間にかなってて、とっても嬉しい年末でした!来年は思いっきり遊泳したるぞ!
— まー |居場所で人を自由にするコーチ (@ma_tomarigi) December 30, 2022
スペースが必要だった
僕は1歳児の親である。
その立場にある上で2泊3日の合宿に参加するためには、家族の支援が不可欠だ。妻をはじめ、僕の両親・妹にこまーをみてもらうこと。
それをゆるしてもらうこと(そういった形で頼ることを自身にゆるせること)が必要で。
今の僕の人生フェーズは、「自身に自身の”今”の願いをゆるす」挑戦にある。
「子どもが欲しい」の願いを叶えた挑戦を経て、「一緒にいられる暮らしを守る」ことが第一プライオリティとなった。暮らしが真ん中になった。
ただ、「一緒にいる」よりも、「暮らしを守る」に重心があって。一緒に過ごし、子どもと関係を築くことをしたくて選んだライフスタイル・キャリアだったはずなのに、それができる余白を自分にゆるせない、というジレンマに苦しんできた一年だったように思う。
これに加えて、「できない自分」、あるいは「できていない状態」を認め、開陳し、自ら頼る、という一連の行動に対してものすごく心理障壁がある。
人生が何度も何度も追試を課してくる領域で、とてつもなくしんどいプロセスを歩み続けている。今もその最中だ。
いまいち没頭しきれない、いつも頭の中に暮らしや子ども、家族に対する気がかりがある。家の中にいても、家の外にいても。
スポットスポットで切り取れば、暮らしの中で家族が子どもをみてくれている間に僕はやりたいことをやらせてもらえている。今このnoteを書いているのだって、幼稚園があるからだ。
それでも、この時間が「暮らしのルーティン」に包摂されている以上、自身に制約なく自身の願いを直視させることをゆるすことができない。
それは意識的に…というよりも、「願いに気付いてしまったら葛藤するであろう」という、「ケガをさせたくないから外の世界の存在を隠しておきたい親心」のような自身の防衛反応の発露であって、取り扱いが難しい。
「物理的に役割を負えてしまう距離」にいると、結局気負ってしまう。今この瞬間だって、幼稚園から「お子さん、熱が出ました」と電話がくれば、書くのを離脱してすぐに迎えに行くだろう。
「僕がいくべきものだ」と疑わずに。
だから、僕が僕の願いを聴いてあげることをゆるすためには、物理的な距離が必要だったのだろう。隔絶されたスペースが必要だったんだ。
僕の住む群馬から、片道3時間半の距離にある熱海で、合宿という形で場に臨むことができるというのは、形式的な面でとても僕の挑戦に必要なパーツだったのだろうなと実感する。
前置きが長くなった。
でも、僕にとってとても大切な要素なのだなと、書いてみて確信した。
ゆるやかなストイック性
今回の参加者はオーガナイザーのお2人を含めて5名。
「13時集合」にもかかわらず、11時には熱海について乗り合わせて宿に向かう、という始まり方で揃うのが面白かった。
さっそく余談だけど、宿について驚いた。
およそ14年前、僕が大学一年生の頃にお世話になったお宿だった。ギター合宿の会場となった場所。表現活動に対するオープンマインドな場なんだろうな、と何か得心する気持ちだった。

当時はあまり感じなかったけれど、ホスピタリティがすさまじかった。「毎年ここにお世話になりたいな!」と感じさせるにあまりある関りをしてもらった。
木宮神社を参拝し、お昼ごはんを5人そろって食べて、人心地つく。少し歩いただけで、熱海は坂だらけなのだな、と実感する。10分足らずの距離を歩いただけで若干心臓にきた(虚弱である)。

過ごし方はほぼほぼ自由。
絵を描いてもいい、散歩に出てもいい、温泉にいつ浸かってもいい、話しててもいいし、茶をしばきにいってもいい。
初日に絵に触れたのは、15時過ぎのことである。場へのチェックインが16時。始まりの時点ですでに夕方に差し掛かり始めていた。
各々が準備を整えている中、いそいそと会場(絵を描くためにブルーシートが敷かれた広間)に一人入り、配られた100枚用紙の1枚目にクレヨンをあてはじめた。
1枚目

クレヨンを手にするのはいつぶりだろう?
何を描いていいか、描きたいのかはわからなかった。それでもとにかく始めてみよう、ということで緑色の線を描いた。塗ってみた。
一色だとつまらなく感じて、オレンジ色で線を重ねてみた。なんとなく水棲恐竜のようにみえたので、ふくらみのある胴体を表現しようと試みる。
他の色も試したくなって、外周を塗る。オレンジ、赤、青。
20世紀の美術史の本や、『13歳からのアート思考』のどちらも始まりに描かれていたマティスの絵。フォービズムの魁。「たしかマティスは色彩配置の実験をしていたんだっけ」なんて考えながら、僕も画面を分割して色を塗ってみたくなった。
塗り分け終わって、各領域が単色であることが物足りなくなった。別の色を上から重ねたり、中央の緑色との輪郭を塗り重ねたりしているうちに、緑色が種と芽に見えたり、イルカに見えたりするようになってきた。
直観に従って輪郭線を動かしていく。段々とシャープになっていった。
僕の100枚ドローイング(※)の始まりだった。
100枚の用紙に100枚の絵を描き切る試み。「雑に使える材質の用紙がいい」というお話が面白かった。結構丈夫で、思いっきりクレヨンで塗りたくることができた(それでも耐えきれずに破けてしまった絵もあったけれど…)。
場を彩る各々との関わりを始めよう
「魂の旅路」を描く試み。
各々が「自分の魂の姿」を描き、それを円座した他のメンバーに回して続きを描き、一周する。
「リスペクトをもって関わる」を頭において、絵具を乗せていく。初めて触れるアクリル絵の具にテンションが上がった。

一人ひとりに描いてもらったプロセスを撮っておけばよかった!
最初に僕が描いたのは中央の流線形の青・赤・緑。血のような赤色と、炎の燃えカスのようなオレンジ色が目につく絵だった。
手元に戻ってきた絵は、数百倍のエネルギーを放っているように見えた。なんとなく「ウルトラ白菜」みたいなイメージが浮かんでいて、スーパーマリオのキノコよろしく、食べたらパワーアップしちまうような質感があった。
去年の後半になって、僕のセッションを受けて下さった方々から「激しさ」「炎」「活火山」といったプレゼンスのフィードバックを貰うことが増えていたことを思い出す。
「軽々しくまーさんに近寄ると燃えカスになっちゃう」
と言われてきたことを、妙に納得した。こんなエネルギーが迸る魂に素手で触れようものならタダじゃすまない感がすごい。
個人的には緑色の部分に点在する種のような質感がとても好き。
僕が他の4枚に関わるときに感じていたこと
僕の手元に回ってきたとき、毎度画面から感じたのは「寂しさ」だった。面白いもので、なんだか穏やかに落ち着いた、やさしげで穏やかな印象で辿り着いてくる。
思い切ってビビッドなカラーを落としていった。発色するオレンジや黄色、ピンク。空いたスペースに思いっきり草を生やしたり、魂の中心にコアを描いちゃったりした。
手元にまわってきた際に「もともと誰の絵なのか」は全然意識になかったのだけれど、なぜか「もっとあなたにはエネルギーがあるじゃろ」「きっとあなたの世界にはもっと色鮮やかなものが流れているはずだ」みたいな気持ちが毎度湧いてきていて、それを届けたくて仕方なくなっていた。
僕が僕自身の今までを振り返ると、こういうとき、添え物のように邪魔しないように、そっと「間違い探し」の程度のさりげなさでしか介入しない関わり方をしてきたように思う。
けれど、今回この場ではそんな自分は微塵も感じなかった。「いったれ!」の使命感みたいなものを感じていた。苗を植えに行った。
22枚のドローイングと、1枚の水彩
1日目は夜中の12時頃まで描いていた。
100枚ドローイングは22枚までしか進まず。
絵の具に心惹かれているから1枚だけ描いたけれど、「100枚描き切らないと始まらない」ような気がしていて、なかなか自分に絵の具で描くことをゆるせなかった。
クレヨン画はとても面白かった。
紙の質感も相俟って、色濃く塗ろうと思っても、白い部分が結構残る。それが光沢となって素敵だなとも思うのだけれど、僕は画面いっぱいを塗ることに魅せられていた。憑りつかれていた、といってもいい。
黒を黒で描きたくなくて、重ね塗りをすることを試していた。そのとき描いているもののなかで気付いた要素の一部を次の絵に持ち越してみる。やりたい、描きたい、やってみたい、に身を委ねてみる。そんな描き方をしていた。
15枚目

青色の塗りに茶色を重ねると黒く見える。
それが面白くて、この塗り方は幾度となく僕の絵に登場することとなった。この絵の宇宙空間には何色ものクレヨンを塗り重ねている。色調調整をするレイヤーを変えるように、何度も何度も塗り重ねた。
粒度の細かい好物の断面のような、樹々の揺れる葉に反射する陽光が明滅するような光沢がお気に入りだ。近づいたり離れたりしながら気付きを見つけたくなる質感がある。
妻に写真を送ったら、「地球味のぺろぺろキャンディー!」とかえってきた。意図してなかったけれど、たしかに右下に持ち手みたいなものが見える。
「地球」感が通じて嬉しかった。
美しい青を描きたくて
絵の具にさわったときに僕に浮かんだのは、宇宙空間で小さく青く光る炎だった。そして、「美しい青」を描きたくなった。
画面いっぱいにローラーで複数の青を塗りたくったら、とても気に入る色合いの青が立ち現れた。
でも、色々試したくて明るい水色を載せたら台無しになり…なんとかなじませようと画面に拡げて行ったら画面全体がチープな水色の塗りになってしまった。ただ、絵具を拡げていく中で揺蕩う炎のような質感を感じて。
画面の9割を覆いつくす水色の炎を描いた。
そして、思った。
「こんなサイズ感で炎を描きたいわけじゃない…もうちょっと慎ましやかな、それでいて美しく光る炎が描きたい…最初に描けた美しい青に出会いなおしたい…」
塗りなおすことにした。
何度も青を混ぜなおし、塗り、やり直していくうち、自分の中で腑に落ちる青に出会う。そうして、さっき知った炎の描き方をしてみる。OK、ようやくしっくりきた。

最終日の鑑賞会ですとさんが「吸い込まれるような青」と表現してくれた。深く、奥行きへの拡がりのある宇宙を描けていたら嬉しいな、と思った。


「塗り」のエネルギーと解像度
「まーさんはキャンバスのサイズが合ってないんだ!」
偏執狂のように画面いっぱいに色を塗りたくり、描くものがだいたい画面からはみ出て見切れている絵を量産していた一日目。
「22枚しか描けなかった…100枚描ける気がしない…」などと言っていたのだけれど、「一枚一枚にそんなにエネルギーかけてたらそりゃそうだ」と言われてハッとした。あまりにも周りを見ていなかったことに気付く。
きのぴー、100枚描き終わってるし。
対象に向けているカメラが近くて、見ようとしているものがよく見えて、見えてしまったらほっとけなくて…そんな感じなのかしら。
と、いうよりは、「余白をゆるせない、埋めたい…」ということへの執着があるようにも感じる。
そして、単色をそのままゆるしたり、何か形にみえるものをそのままゆるしたりすることもできなかった。一度画面に描いたものの上から、それをかき消すように、他の色をばっと重ねた。
リボンのラッピング…というとなんだかよさそうなイメージに聴こえちゃうけれど、「それがそのままの素材であること」をゆるせていないような。つまらない、と感じてしまうような。足してしまいたくなるような。そんな心の動きがあったようにも思う。
具象をゆるしていく
二日目。
他のメンバーが散歩なりに出かけていく中、「あと80枚近く描かねば!」という気持ちに背中を押されて粛々とドローイングに向かう。
抽象的に画面を埋めていくことに一定満足した感覚が出てきた。書きながら、クレヨンの走らせ方が変わってきた。気持ちがいいスイングをするように、画面の上でシャーッ!とやる。腕を振り抜く。
クレヨンの包み紙をぺりぺりと破き、太い筆幅で画面を塗り、描く。スタイルが変わってきた。何かを描こうと頭で意図することはほぼなく、紙をめくり、直観で手に取った色をさっと画面に落とす。そこから始めて、気持ちよく体を動かす。
画面が見えてくるにしたがって、意志が出てくる。違う色を試してみようとか、次もまたこれを活かしてみようとか、実験をしてみようとか。
身体性と直感が先。思考と意思が後。
そんな描き方にしばらく没頭した後、撮ってきた写真をもとに描いてみることにした。鉛筆や木炭を手に持って、スマホの写真画面を表示して、気になった造形を模写していく。
木宮神社で下から仰ぎ見た樹の枝、その光沢と力強い骨格に惹かれて、それを描こうと試みた。難しかった。
37枚目。こまーを描きたくなって。
不意に、年始のフライトで撮った子どもの写真を思いだした。「めちゃめちゃかわいく撮れた!」と小躍りしたくなるようなものがあって。それを見ながら描いてみることにした。

構図の補助線を描いて、おおまかな身体の輪郭を描くことから始めてみた。表情を描くのがやたら難しかった。実際の写真ではもっと右目がクリクリと好奇心に満ちた無垢な顔をしている。
今回の合宿で初めて描いた人物画である。
画面構成は一枚目と同じく「マティス的に塗ってみたい!」欲望が湧いてきたので、画面を分割してビビッドな色を塗ってみた。
妻に絵の写真を送ったらこまーに見せてくれたらしく、面白がって見てくれたそうな。
45枚目。とまりぎの物語を描く。
44枚目で描いた抽象的な画面の中に、「オレンジ色で樹を描けたぞ?」みたいな瞬間があって。次の絵に持ち越して樹から描いてみることにした。

右側の樹を描いた後に、画面中央に鳥を描いてみた。最初は水色のやわらかな質感だったのだけれど、気付いたら火の鳥みたいになっていた。
周辺の塗りも前述の「青と茶色を重ねた黒」を基調にして描きながら、疾く空を駆けるような勢いを感じていた。
これも自分の中で何度も見返したくなった一枚である。
50枚描いて、自身にキャンバスをゆるした
お昼くらいに50枚目を描いた。絵の具をさわりたい衝動がわいてきて、50枚目を絵具で塗った。乾かないとはりついてしまうので、次が書けなくなった。
そこでいったんドローイングをお休みにして、この日届いたキャンバスに向かうことにした。
「キャンバスなら丈夫だから、まーさんのエネルギーを受け止められると思うよ!」
すとさんにもらった言葉に背中を押してもらいながら。
やっぱり「美しい青」を描きたくて、青い絵の具を手にとった。
特に「何かを描こう」という意図もなく、キャンバスに絵筆を点々と落としていく。

筆をシャッと走らせてみたら羽のような質感が芽生えたので、画面に落とした青色の点たちを羽根にしていってみた。
これはこれでよかった気もする。
そして、「塗りたい病」が顔を出した。

思い付きで手に取ったオレンジ色と緑色を、とにかく塗ってみた。
筆をちゃんと洗わなかったりとか、色が混ざり切ってなかったりとか、色々な要因で「汚らしいな…」みたいな色が出てきたり、「塗りムラがひどいな」と感じたり、「せっかくの羽が塗りつぶされちまった!」となったりした。
ふと、「緑色」と「オレンジ色」で気付くことがあった。
tomarigiのロゴカラーである。
落ち着き安らげる居場所としての緑、活力を取り戻しエンパワーメントするオレンジ。そして、桜咲く未来を描く桜色だ。
塗り残した真ん中を塗る色が決まった。

よく見たら塗り残した余白の部分、桜の花びらっぽいじゃん!

左下の色がくすんだ部分は、過去・現在の葛藤や不穏。右上は晴れて拡がる青空だ。
「いきたい場所への中継地」
というtomarigiのコンセプトが頭の中に浮かんでいた。
「行きたい場所」、「生きたい場所」、「生きた居場所」。
数多の羽根たちは、tomarigiを訪れて下さった皆様の痕跡だ。人それぞれ様々な現在地、ここに至るまでの過去の物語、そして思い描く未来がある。
そういったものが現れてきたように感じて、「絵って面白いな…」と実感した。意図なく身体に任せて描き始めたものから気付き、着想したものに思考を乗せて現れてくるものがある。
そしてそれは僕が大切にしてきたもの、これからも大切にしていきたいものが詰まったものだった。
そして再び、僕らは交差する
二日目の夕方。
ちょっと遅いお昼をおゆるし頂いて、薬膳喫茶でひとしきりオープンマインドを更にオープンにする対話を経てきたのちの、全員でのワーク。
語るよりも見てもらったほうが良い。
これを見てくれ。
#20230107アート合宿 pic.twitter.com/IAuVagqpL8
— Miyuki Suto (@310memo___) January 8, 2023
魂たちの旅路、ふたたび。
場のエネルギーがすぎょいんだァ!

そして、100枚目。
ごはん前の最後の時間、19時ちょっと前。
僕はそれまでに描いてきたものの全霊を、集大成を、載せようと想い、その絵に向かっていた。
「クレヨンの命を使いきる」
という描き方に気付き、新品をあけたクレヨンを「頭からお尻まで使い果たす」くらいに画面に叩きつけ、塗りたくってきた。
燃えるような、樹々のような、エネルギーが迸るその絵は、僕の二日間を象徴するような、ハチャメチャなエネルギーを放っていた。
が、まだ一枚残っていた。
なんというポカミス。
「もう燃え尽きちゃったよ~、出し切っちまったよ~」
みたいな気持ちで晩御飯へと向かう。
やっぱりめちゃめちゃ美味しかった。
けれど、会場に戻っても全然真の100枚目を描ける気がしなかった。
ふと、隣でキャンバスに向かうきのぴーの絵が目に飛び込んできた。
とても美しい造形と緑だった。
あまりにも惹かれたから、それを描かせてもらうことにした。
形を描いて、なんだか落ち着く気持ちがあった。
そこから最後、余白が気になる。
もともとの彼の絵は余白も含めた美しさがあるものなのだけれど…。
僕は木炭を手に取った。
僕には、炭が、ふさわしい。

人の命に、居場所の苗を植える
100枚を描く中で、自分だけに没頭したり、余白を埋めたり、具象をゆるしたり、余白をお迎えしたり、メンバーに目を向けたり、モチーフをもらったり、出し切ったり、その先でまた踏み出す一歩に出会ったりしてきた。
他者から種と栄養をもらい、僕が僕なりに育てた苗を携えて、生きていく。
他者との関りと、命やエネルギーの循環。その流れの中に、僕は生きていて、その流れの中に「何か」を乗せる一翼として、僕は生きていく。
100枚のドローイングを俯瞰してみる
僕が二日間で書き上げた100枚の絵を、順に並べて俯瞰した。

左上から縦に10枚ずつ並んでいる。
noteで個別にとりあげたかった絵がまだ何枚かあるのだけれど、今回は「合宿中にわざわざスマホにおさめた」写真のみで書くことにした。
フィードバックをもらう。
僕自身は、塗りたくった絵が印象に残っている。画面に向かうときの心の動きやエネルギーが鮮明に残っているからだ。99枚目はその最たるもの。
他方で、メンバーの目に留まり、触れて頂いた絵は僕の中ではあまり印象に残っていなかったものだった。その感じがまた面白かった。
83枚目や92枚目には情緒が生まれた、という。
個々別々に見ていたら「とんでもねぇ激しさ」だと思っていたけれど、全部並べてみたら「優しさを感じる」、という。
今このnoteを書きながら、この瞬間に一番「いいな」って思うのは78枚目だし。
おもろいね。
30号のキャンバスに向き合う
届いていた一番大きいキャンバスを、2枚使って描くことを薦めて頂いた。
ずっと手元でクレヨンと格闘していたところから、どーんと大きくなる。
やっぱり「青」に惹かれて、青い絵の具を集めて描き始めた。
やっぱり「塗り」たくなって、緑やオレンジを集めて画面を埋め始めた。

僕が100枚ドローイングで描いてきたものは、僕の目に映るものにグッとカメラを寄せたもの。だから一部分が拡大されて描かれている…。
大きな画面に向かえば全体像が描けるのではないか、ということだったけれど、大きな刷毛で画面に描いたのはやっぱり「拡大した部分」に見えた。
キャンバスの右側に置いた「これの全体像を描きたい」と感じたドローイングを、なんだか拡大再生産したようで。
「このズーム感で描こうとしたら16倍くらいの枚数が必要じゃね…?」などと思っていた。
画面がどうしてもつまらなく感じたので、絵具をぶちまけて破壊していってみた。なんども乗せたらヘドロみたいな色で汚れた。
あぁ、絵の具に絵の具をのっけても意図した色にならない…どんどんヘドロ世界に呑み込まれていき、ただただ僕にとって「汚い」と感じる画面になりはてていく…。
若干絶望した。
結局1時過ぎまで、絵具をたらしたりナイフでとりのぞいたり、合わせ鏡のように2枚をくっつけたり回転させたり…を繰り返したのち、ローラーで一枚を塗りつぶした。
明日に賭けて、寝る。
白のひらめき
3日目の朝。お昼には描く時間は終わり、午後からは鑑賞会になるという。
ヘドロで塗りたくられて終わっている30号のキャンバス。
「家に飾りたくねぇ!」な状態で汚れっちまった僕に与えられた世界。
美味しい朝ごはんをたらふく平らげて身体は元気だったけれど、なんだか落ち着かない気分だった。
「散歩に行こう」の誘いに乗っかって、外に出る準備をする間にふと、白を載せてみることにした。
僕が大好きな池田学さんの『誕生』をスマホで眺めながら、色彩の構図をトレースしてみることにした。左のキャンバスの画面半分に、白を拡げていく。なんだか良くなりそうな予感を感じた。
再び木宮神社へ
散歩の道中、景色の色々な場面が目に留まるようになった。
切り拓かれた竹林、学校の壁画、烏骨鶏のまるまるとした筋肉質な身体性、川の波面の煌めき。
自然に目が向く。



一心不乱に描いた大樹
『誕生』のような樹を描いてみたい。
朝描いた白に、前夜にできあがり塗りこめられたハイカロリーな緑色で幹を描きたしていく。
御神木の複雑に入り組んだ「血管で出来た臓器」のような根と幹を、たくさんの縦線で描いてみる。
白色の部分に花を描くべく、歯ブラシにつけた紫基調の絵の具たちを飛ばしていく。
白色のまわりに青を溶いた白を重ねていたら、「青空を彫り出している」ような質感が芽生えてくる。
そんな過程を繰り返しながら、左半分のキャンバスに樹を描いていった。
迸る右側のキャンバス
僕の左で50号のキャンバスに向かうすとさんが、絵具をぶちまけ、掌や身体を大きく使ってまぜこぜに描いている様子に触発されて、僕も右側のキャンバスに絵の具をぶちまけたくなった。
掌をつかってぐちゃぐちゃにしながら気持ちよく描きたくなった。
画面に思い切って青と水色の絵の具を直接ふりまいて、両掌をついた。絵の具の触感が気持ちよかった。
クレヨン画を描いていたときに出会った、「思いっきり振り抜くような」勢いのある動作を、今度は絵の具でやってみる。
深い青のグラデーションが美しいなと感じた。
そこに白やマゼンタを投げこみ、同じように掌で奔流を描いていく。
もはやキャンバスは15号の2枚へと分離した。
左右を行き来する
ひとしきり右側の奔流を描いた後に、ふたたび大樹を眺める。画面の下部に、右側の青を流し込む。海原の波しぶきを注ぎ込む。
そしてまた、隣で描いてるすとさんが「真っ黒な枝」を描いているのが目に入ってきた。「これだ!!」と思った。
線描のように細かく描いていた樹の幹や枝に、思いっきり黒を上乗せした。全部塗りつぶすように、影絵となるように。
なんだかぼんやりとしていた大樹の骨格に、力強い強度が加わったように感じた。
僕は僕の絵を行き来しつつ、僕の周りで描くメンバーの描くエネルギーや方法を行き来しつつ、採り入れ、手放し、描いていった。
12時。
僕の2枚は、絵具を乾かすために立てかけられた。

もっと描きたい!
大きな2枚の絵を描きながら、「まだ描きたいぞ、試したいぞ」な気持ちが沸き起こっていることに気付いていた。
「まだ30分あるし、描きだしてしまえ!」
そんなわけで、駆け込みで3枚描いた。


鑑賞会
お昼を食べて、一人ずつの絵を都度ならべて話しての、5回の鑑賞会。
「絵は観る者との交流により描き出される」みたいな話を想い出しながら場に臨んでいた。
それぞれの受け取ったもの、感じたこと、贈りたい言葉を届け合う場は、とてつもなくエネルギーに満ちていた。

受け取ったものも渡したものもたくさんあったなぁ、と感じる。絵を直に見て、描いた主体と話す、ってめちゃいい体験だなぁ。
帰宅後
キャンバスを直接持ち帰ることができたので、妻にさっそく見せる。
妻 「この2枚、くれ!」
熱海から帰宅じゃー!
— まー |居場所で人を自由にするコーチ (@ma_tomarigi) January 9, 2023
妻がこの二つの絵を気に入ってくれたぞい pic.twitter.com/zBMT3qzFZ7
ちょっとみないうちに、こまーがやたらハッキリとした発音で踏切の真似をするようになったな、と気付いたのだった。
願いを叶えてみて
僕の純粋欲求を叶えるために、家族や参加者の皆さんを頼ったり、頂いたスペースに思いっきり没頭したり、アタマもカラダも全部つかって描くことに挑戦してみたりした。
とても満ち足りた体験だった。
自身に宿っているエネルギーについて、他者からのフィードバックを頂きながらなんとなく気付いてきた。
それが、全霊で「描く」ことに向き合うことで、目に見える形で表出したように思う。
魂の姿に「エネルギー量と勢いのすさまじさ」を肚落ちさせられたし、描き出されたものから受け取ってもらったものを更に言葉にして贈って頂いたことで、より自身に自身を確信させる機会となったように思う。
僕は僕を、生きている。
僕でしかないし、それが、いい。
そんな言葉が浮かんできた。
ここまでお読み頂き、ありがとうございました!
どこか「仕方ない」と自分の生を諦めていた僕が、人生を取り戻したのは、自分の願いを知り、これを指針に生きることを選び、行動を重ねてくることができたからだなと実感します。
コーチングを学んだことで、僕の変容は加速しました。
労働観が変わり、人生観が変わり、生きる質感が変わった。その感動を届けたくて、コーチの仕事をしています。
そんな僕の挑戦の原点にある想いを綴ったnoteはこちら。
ご自身の価値観を整理したり、居場所を探していくための構想を、「喋りながら考えてみたい」という方向けに、頭の整理にお付き合いするサービスを提供しています。
そして、僕を現在進行形でコーチに選んで下さっているかえでさんが、「僕をおススメしたい人」について、ご自身の体験・実現した価値をもとに書いて下さった記事がこちら。
僕をコーチとして雇うイメージを持たれたい方へ。
生々しい会話のやりとりのイメージを音声で知りたい方には、こちらのラジオもおススメです。
最近、「テーマも決めずにお喋りしたい!」欲が出てきたので、公式LINEにそんな企画を流すかもしれません。
直接まーと喋ってみたいぜ、という方は、気軽にLINEで話しかけてもらえたら嬉しいです(公式LINE)。今は平日10時~14時くらいの時間に話せることが多いです。
「あなたの物語に共に出会う嬉しいその瞬間」を、今から僕も心待ちにしております。