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菜々緒みたいな人のいる歯医者

    「左じゃないですよ。右ね。
    今、右の高さを確認しているんだから」

    先生の声のトーンが変わった。

    いや、あの先生…。ふざけてるわけじゃないんです。
    私、右に動かしてないんですか?
    左はスムーズにできるんです。
    でも右側は0.2秒考えるんです。
    ん?右ってどっちだっけ?って。

    3年前コロナ禍でマスク生活が当たり前だった時、

    「やるなら今しかない」

    と歯列矯正を決めました。

    上の歯だけだったけど、保定の期間まで窮屈で違和感しかなかった3年間のワイヤー生活も昨日まで。
    今日はいよいよ外す日です。

    名前を呼ばれて診察室で待っていたのは、私が心の中で密かに呼んでいる「菜々緒さん」と院長先生。

    3年前初めて会った歯科衛生士さんは「あ、モデルの菜々緒?」と思うくらい
    顔もそっくり。
    スレンダーなスタイルもそっくり。
    モデルのようなクールビューティーで、

    「こんな近所に菜々緒がいるんだ!!」
    と驚きの初対面でした。

    今日は保定装置を外した後の
    後戻り防止、歯ぎしりや食いしばり予防のためのマウスピースを作る予定です。

    先生から、
    「はい。型を取りますよ。カチカチカチ、として」
    「はい、いいですよー。次に左へずらしてください」
    「はい、もう一度左」

    ここまでは順調。

    …のはずだった。

    先生から「次は右へ」と言われるたびに、私の顎は勝手に左へと行きたがる。



    菜々緒さんとは最初の1年くらいは挨拶だけで全く喋らなかったんです。
    ところが2年目のある日、診察台の上で待っている私に突然、

    「今何か、面白いドラマ観てます?」
    って話しかけてきたんです。

    え、何この人!急に距離縮めてくるじゃん。

    「東京タワー面白いですよ」
    と菜々緒さん。

    「ああ、リリーフランキーの?」

    「あ、いえ、そっちじゃなくて永瀬廉くんの…」

    「あ〜、観てないですね〜。私は今、韓ドラにはまってます」

    「もう、めちゃめちゃ面白いんですよ。永瀬くんが最高にカッコいいのでよかったらDVDに焼き付けて今度持ってきましょうか?」

    えっ!?

    この人、見かけによらずかなりミーハーじゃん。

    ほんとは今まで、八頭身でクール美女の「菜々緒さん」を前に毎回緊張して通っていたんです。
    でも話してみたらドラマや永瀬廉くんの話で盛り上がる、普通のキレイなお姉さんだったんです。

    これ以来歯医者へ行くのが億劫じゃなくなりました。


    「じゃ、これが最後ですよ。
    はい、右へ動かして」

    3年間の窮屈なワイヤー生活も今日でサヨウナラ。

    長かったぁ…

    顔をタオルで覆われたまま、

    「いつまでこれやるの?こんなに何回も?」

    タオルの向こうから先生の

    「ふぅ~…」

    という深いため息が聞こえてきたのは、気のせいではないはずです。

    ……で、先生。今のは右に動かせてましたか?


     
     
    本と映画、音楽を聴くことが好きです。子どもも独立し、夫と犬一匹と気ままに暮らしています。 日々のあれこれや、心に残ったことをのんびり書いています。

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