
リ・ブーケ(Re bouquet) -わたしの小さな記録-【創作大賞2026応募】
目次
プロローグ
-自分に贈る大きな花束を-
第1章 はじまりの一歩
第2章 ただ寝て終わる今日も悪くない
第3章 改めまして、まみやです
第4章 未熟さと出逢えた日
第5章 それぞれの役割
第6章 青い光
第7章 育てること、育てられること
第8章 退職してわかったこと -愛犬編-
第9章 退職してわかったこと -母編-
第10章 マイショップ
エピローグ
-今まで、そしてこれから-
プロローグ -自分に贈る大きな花束を-
人生って、不思議だな…って思います。
たくさんの選択を重ねて、それが今のわたしをつくるなんて…
「あの時、違う道を選んでいたら…」と
振りかえってしまうような、大きな岐路。
そして、今この瞬間の小さな選択。
今夜何を食べよう…
何を着よう…
あのお店に行ってみようか…
時折顔を出してくる小さな「もしも…」
あんなこと言わなきゃよかった。
あの時、ありがとうと言えばよかった。
あの日、勇気を出せばよかった。
そして時々思うのです。
これでよかったのかな…と。
人生をやり直したいわけじゃない。
未練?それとも少しちがう…
ただ、自分らしさを探しているだけ。
でもね、そう思うのはきっと成長したということじゃない…?
あの時とは、違うところに立てているということ…
もしも今、あなたも「これで良かったのかな」と立ち止まり、揺れる心を抱えているのだとしたら…
これまでの軌跡をそのまま受け止めて、今の自分へ贈る花束に編みなおしてみませんか?
どんな色にしましょうか。
どんな花にしましょうか。
どんな大きさにしましょうか。
あなたが、あなたのために、すべてを自由に決めて良いのだから。
歩んだ軌跡を最高の花束に。
他の誰のためでもなく…
ここに集めた記事は、わたしの小さな記録です。
一つひとつは、思いつくままに書いたささやかな日々の出来事です。
けれど、並べてみると、歩んだ軌跡をリボンで束ねているようで…
わたしはこの花束をリ・ブーケと呼ぶことにしました。
これまでの人生をそのまま受けとめて、また新しい明日へ。
そんな想いを届けたくて…
〜リ・ブーケ(Re bouquet)〜
あなたなら…
どんな風に束ねますか?
第1章 はじまりの一歩
-Happy 60th Birthday-
日々のあれこれに追われているうちに、カレンダーのページをどれだけめくったのでしょう。気がつけば、もう60歳です。
これから先の人生を、自分らしく歩いていくために、立ち止まってゆっくりと深呼吸。
そんな転換期なのかもしれません。
では、わたし自身の話をしましょう。
「還暦」というハードルをひらりと越えたそのあとは…
リ・ブーケのはじまり、はじまり。
今月ついに、超えちゃいました。還暦という名の、けっこう高めなハードルを。
今の時代、60歳ってどう映るのかしら。
でもね、わたし、決めていたんです。
このハードルを「ひらり」と超えて、着地したその場所からは、「誰かのため」をちょっと横に置いて、「自分のための時間」を優先しようじゃないの!ってね。
はじめまして。まみやです。
考えているだけで、いつまでも踏みだせない想いは、もうおしまい。
とにかく一歩踏みだす。
わたしにとっては、それがこのnoteでした。
何がしたい?
何ならできそう?
恥ずかしいほど自問してきた過去があります。そんな風に思うのは、自分らしく生きている実感…そんなものを探したかったのかもしれません。
あれこれ想いを巡らせてみたものの、結局、何もしないまま60歳。
そしたらね…どうやらわたしの星座は、この5月がかつてないほどの強運らしい。
あら、そうなの?
ある日突然YouTubeで見つけたタロット占いのサムネイル⋯
ほんと?そんなに運気いいの?
人生が動きだすときって、こんな些細なことがきっかけになるのかもしれませんね。
とにかく、こうして一歩踏みだせたわけです。
noteのしくみは、まだ理解がおいついてないけれど⋯
何を綴るかも、今は漠然としているだけ…
そうだ!そうやって考えすぎて、行動しない思考はもうやめるんだったわ。
はじめることが大事。
まずはスタートラインを踏みだした一歩を誇ることにします。
顔が見えなくても、
どこの誰だかわからなくても、
なんとなく…でも、
そこに誰かの存在を感じて少しほっとできるような⋯
そんなnoteの街の片隅に、
自分の居場所をそっとおくように
小さな小さなお店をプレオープンさせた妄想にひたりつつ…♪

第2章 ただ寝て終わる今日も悪くない
-定年退職Day 2-
念願のnoteの投稿をスマホでどうにかはたして、ちょっと一息つこうかしら⋯と思ったけれど、もう⋯なんかね⋯スマホを見すぎて目が⋯バキバキすぎる。
こんばんは。まみやです。
実は、noteに挑戦するタイミングでパソコンが壊れちゃいまして⋯
どうして、このタイミング?
「しょうがない、noteは今できないなー」
そう…、それが今までのわたし。
でも、今回は「スマホでするか」と思考をシフトしたわけです。
そしたら…まぁ、やりにくい。
いえ、きっと、サクッとできる方もいらっしゃるんですよね。
でも、わたしは目も肩もバッキバキなわけです。
画面ちいせぇー!と吠えてしまった。
それでもどうにか2投稿を終えて、本日は、今まで後回しにしてきた汚部屋の片付けに集中する予定でした。
それが⋯⋯⋯⋯
ヤバい!やってしまった!
目を開けたらあたりは薄暗く、一瞬…コレは夢?夢の中?
と困惑してしまいました。
11時半までは記憶にある。
で?…今何時?
6時ぃーーー!?
ヤバイ!! ソファで爆睡してしまった。
チーーーン!!
誰に見られていたわけじゃないけれど、なんというバツの悪さ。
ごめんなさい。(取りあえず謝っておこー)
でも睡眠は、退職か継続かを考える上で、大きな要因のひとつでした。
我が家の愛犬ヨーキーは、15歳。
今は夜、添い寝しています。
認知症で夜泣きがひどくなり、まとまった睡眠がとれなくなって2年になります。
眠れないことがそれほど辛いと思わない時期もありました。その時は、たぶん…身体が順応してくれたと理解して。
頭に霧がかかっているような、いつもボワンとした感覚と重だるさを感じるようになったのは昨年の9月に入ろうとしていた頃。
そのうちに偏頭痛がおこるようになり、市販の頭痛薬が手放せなくなっていました。
そうじゃない!
コレ、念願達成じゃない!?
11時半から18時まで爆睡だなんて。
㊗️連続6時間半!!
そうよね、まぁ今日はいいわよね。
それでも、なーんかバツの悪さは否めない。誰に対してでしょう?
世の中、色々な勇気ってあるじゃない?
捨てる勇気
嫌われる勇気
笑われる勇気
離れる勇気
ただしっかり寝る!
うん!これも勇気ってことでくくりましょう。
そんなわけで、本日は意図せず爆睡日和。
せめてnoteに投稿することで、なんとなく「良し」とすることにします。

第3章 改めまして、まみやです
-リ・ブーケ(Re bouquet)の誕生-
今日で初投稿から一週間が経ちます。
「どんな人なんだろう?」と思ってくださっていたら、心からありがとうございます。
改めまして、まみやと申します。
現在は理想の自分になるために人生を整え中です。
前職は、働くことに不安を抱える方の就職サポートや就職後の職場定着を支える仕事に携わっていました。
福祉系の仕事を志すようになったのは、離れて暮らす母が認知症を発症したことがきっかけでした。
でも、わたしはその頃、大学卒業を目前にして、単位取得に悪戦苦闘しており、母の兆候に気づくことができませんでした。
一応、補足させていただくと
わたしは52歳で大学を卒業しています。
「え?どういうこと?」
そこ、今日のところはスルーでお願いしますね(笑)
母の認知症が進行していく中で、2020年、あのコロナがやってきました。わたしは、一人っ子なので兄弟がいません。親戚も他県在住で夫は単身赴任。子供たちが中学生・高校生になっていたので、留守を託すことはできたのですが、当時は関東圏からの移動者となるわたしは、実家に帰っても2週間の待機期間が明けるまで外出してはいけないという強い規制がありました。
たとえば母の通院に同行するためには、2週間前から実家に帰省していなければなりません。待機期間が明けて、やっと通院同行。そして即日、関東の自宅にもどり、子供たちに2週間分の食事を用意して、また実家に戻る。この繰り返しの生活に「どうすればいい…?」と、途方に暮れるわたしを支えてくれたのは、実家の近所の方々、そして地域の福祉に携わる専門職の方々でした。電話やLINEのメッセージ、玄関前においてくださる差し入れに救われたことは1度や2度ではありませんでした。
結果としてコロナ禍での経験は、母をこの街に呼び寄せる決意となりました。
そして、お世話になってはじめて、福祉の大切さを理解したのです。
何かの形で恩を返したいと思い、大学卒業後、社会福祉士の受験資格を得るために夜間の専門学校へ入学しました。
その専門学校からの紹介が縁となり、就労支援の仕事に携わることになったのです。
この仕事は、多くの気づきと学びがありました。
だからこそ、できるだけ社会と関わっていたい。そのために、今の自分にあった働き方を探してみようと思ったのです。
現状を変えるしかない!
変えるしかない?
いや、ちょっとニュアンスがちがうような⋯
可能性を信じるしかない!
うん!こっちかな⋯
こっちにしたいな⋯
人生の折り返しを過ぎて振り返ると、思い通りにならなかったことや遠回りしたこと、できることならやり直したいと思う出来事がたくさんあります。
でも、その経験が今のわたしに繋がっているんですよね。
どんな人生だったのか、それはこれから投稿していく記事の中で、きっと少しずつお話することになると思います。たぶんね⋯(笑)
今はマイペースに、書くことを楽しみながら、日々の気づきとつたない挑戦を綴っていこうと思います。
わたしは、この新しい生活に密かにプロジェクト名をつけています。
リ・ブーケ(Re bouquet)
これまでの人生を全て肯定して、自分に贈る花束として編みなおす。
noteの街は、それぞれの個性を肯定し合うやさしさと、静かで強いエネルギーを感じます。
わたしも、どこかの、誰かの、何かにお役にたてたら幸い⋯
それが、スタートラインをここに引いた理由です。
どうぞ、よろしくお願いします。

第4章 未熟さと出逢えた日 -感謝-
定年退職後、新しい生活の最初のミッションは、とにかく家を片付けること。
2階はなんとか人間らしく暮らせる程度になりましたが、問題は3階です。そこはもう、決して素人が立ち入ってはいけない危険ゾーン…
母をこの街に呼んだあと、空き家になった実家の荷物を丸ごと運び込んでいます。大好きな我が家ですが、どう控え目に言ってもちょっと狭い(笑)
そこに子どもたちの荷物、単身赴任から帰ってきた夫の荷物(出発時よりも荷物増量!)わたしの荷物、母の荷物、そして実家の荷物がすべて詰まっています。
片付け作業は、未だ絶賛進行中です!
どの箱に何が入っているかも分からず、とにかく空いたスペースに詰め込んでいくカオスな状況の中、今日開けた箱から実家の古い書類が出てきました。
よく見るとそれは、わたしの学費ローンの返済表。
わたしは地元の高校を出たあと、都内の短大に進学しています。当然、両親には感謝していました。「一人娘さんをよく東京に出したと思うよ」近所の方からも、帰省するたびに言われていたので、そのありがたさは、わかっているつもりでした。
女子大生が華やかに活躍する深夜番組が人気だった時代です。東京に行ける嬉しさが、「地元の大学を出て、教師になってくれたら…」という両親の期待を裏切る後ろめたさを一蹴します。
2年だけ。卒業したら実家に帰る。
それが家を出る時の約束でした。
両親の希望もあって、1年目は都内の祖母の家から通いました。その方が費用も抑えられて、わたし自身も安心することができました。初のアルバイトは、近くの小さなお弁当屋さん。当時の時給は、確か…560円だったと思います。
その頃のわたしは、両親がわたしのためにローンを組んでいたなんて、これっぽっちも気づいていませんでした。今日、その返済表をまじまじと見つめ、それが自分の学費のためだったと理解したとき、今更ながら…涙がでました。
当のわたしはといえば、そんな親の苦労など知りもせず、東京に慣れるにつれて、いつも夕飯を食べずにわたしの帰りを待ってくれる祖母の優しさを「重い」と感じるようになっていました。
「今日は遅くなるから先に食べててね」
「今日は夕飯いらないからね」
と伝えても、必ず用意して帰りを待っていてくれる。それが重かった…
いいえ…
本当は、もう少し「華やかさ」に近づきたくて、一人暮らしがしたかったのだと思います。
バイトを時給980円の都内の人気店に変え、必死にお金を貯めてアパートを契約し、祖母と両親へは、すべて手はずを整えてから事後報告しました。無利子の奨学金が確定したときは嬉しかった…でも、周囲との暮らしぶりの違いに気づいて、少し複雑な気持ちになったことも覚えています。
それでもわたしは、親から仕送りを受けていました。奨学金は家賃で消え、バイト代は6万円程度だったと思います。
なのに…、一番頼っていたはずの「仕送り」の金額だけが、どうしても思い出せません。
我ながら、本当に情けないなと思います。
短大を卒業するときも、わたしは約束を守りませんでした。もう少し東京に残る口実が欲しくて東京で就職活動をしたのです。
両親もよく知っているメーカーから内定をいただき、父に報告すると…
「そーかー。それは良かったな。こっちじゃそんなチャンスないからな。頑張りなさい」
電話の向こうの父の声が心に響きました。
就活はうまくいったはずなのに、受話器を置いた瞬間、申し訳なさと後ろめたさが急にこみ上げてきました。
ごめんね。あと2年だけ…
その後、23歳になる年に約束を守って実家に帰ることになるのですが、会社を辞めたら辞めたで「あのまま辞めなければ…」と未練が顔を出すこともありました。でもいつからか、「ちゃんと帰ったんだから、えらい!」に変換できるマインドになりました。
手元にある、色褪せたローンの返済表。
「……これは、捨てられないな」
とりあえず、そっと引き出しの奥に取っておくことにしました。
今日もまた、大して片付けは進みません。
なんだか、泣けて泣けて…の午後でした。
気分転換に、炭酸水でも飲むことにしましょう。ポカリスエットで割るのがマイブームです。
今日は、よく泣きました。
目の下カピカピ…あらら…

第5章 それぞれの役割
-バジルに学ぶ組織論-
土曜日のランチタイム。
キッチンは、さながら戦場でした。
最近「パスタ道」を猛烈に邁進している夫。
今日のお品書きはアマトリチャーナ。
メインキャストは、トマト缶、パンチェッタ、ニンニク、唐辛子、そしてチーズ。
香ばしい香りが部屋中に広がり、期待でお腹がさわがしい♫
「いろどりにバジル入れる?」
我が家の小さなベランダで育てているバジル…ふと思いついて声をかけると「そうだね」と夫。
でも、彼は今、パンチェッタのグリル、パスタの茹で加減、トマトソースの煮詰めを同時進行でこなしている真っ最中。
「何枚くらい?」
「まかせるよ」
(はい、はい。今それどころじゃないのね)
そう察して、わたしは一人ベランダへ。
…どこから収穫するのが正解?
いざ摘もうとして、ふと手が止まります。
「コレって、上から摘む?下から摘む?」
キッチンに向かって聞いてみたものの、やっぱり夫は取り込み中らしい。
仕方がないので、サクッと自己判断。
一人3枚として、計6枚。
下から2枚、真ん中あたりから2枚、そして、てっぺんの真新しいところから2枚。
新しい葉っぱは、やっぱり柔らかいなぁ…
そんなことを感じながら、摘みたてのバジルをキッチンへ。手で適宜ちぎって、完成したパスタに散らす。
初挑戦だという「アマ……なんとか……」は、トマトソースの酸味とパンチェッタの旨味が絡み合って、お店顔負けの美味しさでした。
うん、たぶんそう!
だって、お店で食べたことがないもの。
初めて聞いたわ……アマ……トリチャーナ…
摘みたてのバジルも、爽やかな香りでいい仕事をしています。
「今日もありがとうございます!」
大満足で完食し、ふと気になっていたことを夫に質問してみました。
「ねえ、バジルって下からとったほうが、無駄なく収穫できるよね?」
「もったいない」を重視するわたしなりの、ちょっとした疑問でした。しかし、返ってきた夫の言葉は意外なもの。
「下の葉は固いから、上でいいよ」
「えー、それだと下は収穫しないの? もったいないね」
そこで夫が放った言葉が、なんとまぁ、目から鱗。
「下の葉は光合成の仕事をしてくれるから…
食べられるだけが役割じゃないんだよ。」
by 夫
なるほど。これはもう…唸(うな)るしかないじゃないの。
深い。深すぎる。
わたしはつい、目に見えるものだけを評価してしまいがち。効率やコスパを求めて「もったいない」や「無駄」という価値で考えてしまう。
バジルには、それぞれの役割がありました。
そうなれば、おのずと人間界にも置き換えてしまいます。
華やかにスポットライトを浴びて、目に見える成果を出す人だけが偉いわけじゃない。
一見、不器用に見えたり、最前線には立たなかったり…
でも、裏側で黙々とエネルギーを送り、全体を支えている人が必ずいるものです。
もしかしたら、「目に見える成果」ばかりを追いかけて、土台になってくれている存在をないがしろにしてしまうことがあったのかもしれません。
ベランダの小さなバジルから、そんな壮大な組織論を学ばせてもらった土曜日。
バジルから?
夫からですかね…(笑)
ごちそうさまでした!
後片付けは、まかせて!!

第6章 青い光 -父を想う-
2026年FIFA サッカーワールドカップ、日本代表の熱い挑戦が幕を閉じました。
熱狂が静まったあとには、感謝の気持ちが残ります。今もあの頃も…。
わたし、スポーツにはとても疎いんです。
ルールもよくわからない。
それでも、ワールドカップの話題になると、必ず思い出す夜があります。
1997年11月、父が他界しました。
後に「ジョホールバルの歓喜」と称されるあの夜は、父が亡くなる直前の出来事でした。
父は亡くなる2カ月前には、いつもと変わらずに免許の更新に行っていました。
ところが、突然の尿管結石の激痛。医者嫌いの父が、珍しく降参して手術をすることになったらしいのです。しかし、その手術を目前にした時のことでした。父がふと、担当医にこう尋ねたそうです。
「先生、最近なんの前触れもなく、突然吐くことがあるんだが……これも結石のせい?」
その言葉を、先生は聞き逃しませんでした。偶然にも脳外科に知り合いがいたその先生のおかげで、すぐに精密検査が行われました。
診断結果は、肺がんからの転移による脳腫瘍。
ステージは、すでに進んでいました。ここで初めて、わたしは母から連絡を受けたのです。
当時、わたしは夫の転勤で東北に引っ越したばかり。実家までは、片道4時間。
まだ子どもがいなかったので、1週間実家に帰省し、2日だけ東北の家に戻り、また1週間実家へ向かうという生活を繰り返していました。移動手段なんてどうでもよかった。とにかく乗れるものに飛び乗り、帰省を繰り返していたのです。
「手術をすれば、また社会生活に戻れる可能性は十分ある」
最初の説明では、そう言われていました。
けれど…現実は残酷でした。
術後、わずか2週間で腫瘍はもとの大きさにもどっていました。同時に、父はひどいひゃっくりに悩まされるようになったのです。
24時間、止まらないひゃっくり。
止めるすべがないと言われました。
今もはっきり覚えているのは、橘皮竹茹湯(きっぴちくじょとう)という漢方。
「気休め程度ですが、ひゃっくりに効果があると言われています」
当時はネット社会ではありません。
時間をかけて調達し、家で煮出して病室に持って行くのですが、苦味を我慢して飲んでも効果はほとんどありませんでした。
術後ほどなくして、父は歩けなくなりました。めまいのひどさでどちらが天井でどちらが床なのかわからないと…
母もわたしも、少しずつ疲労がたまっていたんだと思います。母がわたしを定期的に自宅(東北)へ帰らせたのは、娘を休ませるための親心だったのでしょう。
その、束の間の帰宅の夜でした。
テレビをつけると、画面の向こうは異様な熱気に包まれています。
勝てばW杯初出場、負ければ終わり。
いつもならテレビの前の熱心な観戦者は夫だけだったはず。わたしはきっと、あちらこちらと家の中の小さな用事を片付けながら夫の歓声に反応するくらいだったでしょう。
でも、あの夜は違いました。
夫が「一緒に見よう」と声をかけてくれました。
頭の中は、父のこと…父のこと…父のこと…
いつの間にか、夢中になっていました。
テレビに釘付けになり、夫と並んでただひたすら祈り、応援していたのです。
スポーツという圧倒的なエネルギーに、救い上げてもらったように思います。
あんなにもサッカーに興奮し、集中し、歓喜したのは人生で初めてのことでした。
試合の余韻をポケットにしのばせて、わたしは再び実家へと戻りました。
そして6日後の11月22日、父は旅立ちました。免許の更新から僅か2カ月の出来事です。
あれから長い年月が経ちました。
スポーツが秘める力とは、ただ勝敗を競うことではないのでしょうね。
それぞれに直面しているリアルを、スポーツという光で一瞬解き放してくれる…そんな力があるのかもしれません。
ことばにするって難しい…
でも、必死に走る懸命な姿が、誰かの生きるエールになることは、間違いない!
あの夜に、わたしはきっとこれからも感謝をしていくのでしょう。
夫の声も…
テレビ画面の熱狂も…

第7章 育てること、育てられること
昨夜のことです。
父の日に、突然息子がシェアハウスから帰ってきました。何やら、集中したいことがあったよう。
「おかえり。ご飯は?」
「あとでいい。ちょっと先にやることある」
リビングをぬけて、そのまま部屋に行こうとする息子に「今日は父の日だよ」と声をかけました。
一瞬立ち止まって視線を夫にむけ、
「あ、おめでとうございます」とポツリ。
ん?? んーーー!?
それは、コメントとしてあっているのだろうか?
息子は幼少期、パジャマを正座してたたんでいました。新居(狭小ですが…)に越した夜、「こんな素敵な家をありがとう」とかけよってきた満面の笑顔が懐かしい。
あんなに無邪気だった男の子が、独特の距離感と、どこか照れくさそうな敬語混じりのひと言を置いていく…
わたしは子どもの頃、「子どもはそんなこと気にしなくていい」と言われることがイヤでした。
何かあったからそこで話し合っているわけで、何かあったからいつもと空気が違うんでしょ?
何も教えてもらえないことの方が不安でした。だから、自分が親になったとき、家族みんなで問題と向き合う…そんな家族でいたいと思いました。リアルなお金事情も包み隠さず素直に子どもたちに話してきたつもりです。
でも、良かれと思ってやってきたわたしの「正解」は、時に子どもたちの心を傷つけていたことを、後から知ることになります。
上の子が大学を受験する時のこと。
受験校を2校のみに絞る娘に「この大学は受けないの?」「こっちは?」と…、遠回しにダメだった時のことを考えるわたしがいました。
娘は、「それって、結局信じてないってことだよね」とポツリ…
下の子が受験する時のこと。
模試の点数で悩んでいた息子に「勉強の仕方を見直すのも大事なことかもね」と口をはさみました。まだ受験日まで時間があると思ったから…
部屋のドアをバタンと閉めた息子の様子を、わたしはあまり気に留めませんでした。
後日、娘から教えてもらいました。
あの時、息子が部屋で泣いていたことを…
泣きじゃくる声で、娘に電話があったそうです。
「勉強の仕方が良くないのかも…なんてことは、本人が一番感じてる。本当はどうであろうと『大丈夫、自分を信じな』って言って欲しかったんだと思うよ」と…
そして、またわたしはくり返します。
2年前、夫が買ったさくらんぼを離れて暮らす娘に写メしたときのこと。
家族LINEにのせたさくらんぼの写真に「美味しそう、食べたいな」と娘から返信がありました。
娘はさくらんぼが大好きです。
わたしは、ネットで調べて「送ろうか?」と返しました。
「いつがいいか、予定がわかったら教えて」
娘からはリアクションマークが1つ。
LINEのやり取りを出先で見ていた息子は、帰宅するなりわたしに言ったのです。
「俺、もうさ…途中でイタくてさ、LINE見ていられなかったよ。あそこはさ、『食べに帰っておいで』それ一択じゃね?」と…
「さくらんぼなんて、いつでも買える。あえて食べたいなって漏らしたってことは、きっとねーちゃん、疲れてたんだよ」
息子の言葉に、ただ情けない苦笑いを返すしかありませんでした。
「いいお母さん」とは言えませんね…
いつも先回りして、検討違いの「正解」を提示していたことに、子どもたちが大きくなるまで気づくことが出来ませんでした。
そして、反省をしてもなお、繰り返してしまう…
わたしは、両親に愛されて育ったと思っています。でも、『ムギュッ』と抱きしめられた記憶はありません。だから、自分の子どもたちにも、思いっきり抱きしめてあげる感覚が抜けていました。すごいね、嬉しいよ、と体ごと喜びを爆発させることもしない。
でも、いつの頃からか、子どもが期待する親の姿ではなかったのではないか…と大きな後悔になりました。
育った時代のせいか、
一人娘なんだからこうしなきゃ…
きっと親はこうして欲しいよね…
と、わたしは、勝手に親の期待を意識して自分の気持ちをその枠に収めるようなところがありました。だから、子どもを褒める時は、親のために頑張ろうとするプレッシャーに変換されないよう、あえてシンプルに反応することを心がけていました。
そんなわたしの反応に気がついていたのは、母でした。
それから母は、「じゃ、その分おばあちゃんが…」と孫のすることを、より嬉しそうに、より楽しそうに褒めるようになりました。
あれは、きっと母なりの想いの形だったのでしょう。
子育てって、確かに難しいこともあると思います。
「親の気持ちが届かない」のではなく、
「思うように育たない」のでもなく、
「親が、たくさんたくさん間違える」から…
子どもから多くのことを教わりながら、その意味に気づくまでには少しタイムラグがある。
それが、自分自身を振り返って思う『難しさ…』の答えのように思います。
昨夜、「あ、おめでとうございます」を置いて部屋に入っていく息子の背中を見ながら…
そーきたかー🤭
その気持ちはしっかりキャッチして、思わず苦笑い。
息子よ、昨夜の帰宅はナイスタイミング!!
…ムギュッしようか!?😁

第8章 退職してわかったこと
-愛犬との時間 -
「退職したら、これからどうするの?」
そんな風に聞かれるたび、頭の中にいくつかの選択肢を思い浮かべました。
仕事を辞めて、立ち止まって、じっくりと目の前の現実と向き合う中で、見えてきたリアルがあります。
今日はそんな退職してわかったこと…の話 ー愛犬編ー
愛 犬 15歳のヨークシャテリア♀
〈診 断〉多発性ヘルニア・白内障・認知症〈楽しみ〉食べること・抱っこされること
仕事をしていた頃のわたしは、朝7時半に家を出て、帰宅するのは夜7時〜7時半頃。トータルで11時間以上、愛犬を1人で留守番させていました。
立ち上がることができない愛犬のおむつを外し、おしっこシートの上に直接寝かせていく。愛犬のベットの硬さは、何度も微調整しました。大きな問題は水のこと。愛犬は白内障でほとんど目がみえません。動くこともできない。だから、出かける直前にスポイトを使ってでも口に水を含ませる。室温や湿度の管理には神経を尖らせていたと思います。
仕事が遅くなり、寝床が排泄物で汚れ、その上で愛犬が寝ていることは少なくありませんでした。
「あと30分、40分早く帰ってこれれば…」
退職して愛犬のそばにいられる時間がふえることで処方されている8種類の薬(目薬、感染症予防、認知症の不安を抑えるものなど)を少しでも減らせたら…という想いもありました。愛犬の体重に合わせた小さな錠剤のかけらたち。今はこの8種チームが支えてくれています。
でも、1日中そばにいて分かったのは、頻繁に(ほぼ15分単位で)じわーっと排泄をするようになっているという事実でした。
便も、1日の中で何度も何度も小分けに排出されます。
「あと30分早く帰れていれば…」と自分を責めたこともありました。でも、そばにいて分かったのは、ほんの1、2ヶ月の間に、以前よりさらに状態が進んでいたということでした。それが愛犬の「本当のリズム」でした。
目が見えず、起き上がることも厳しい体でずっと同じ体勢でいる辛さを想像します。日中の安眠を邪魔しないようにそっと体勢を変えてあげる。
喉からえづくような音がすれば、そっと抱き上げる。
ときどき、てんかんのような痙攣をおこします。
よく、今まで留守を耐えてくれたと思います。
ごめんね…
定年で退職するか、継続を希望するか、その決断には迷いがありました。
でも…、こうしてすぐ横でずっと愛犬を見守ることができるこの時間は、今のわたし自身にとって、とてもとても必要な時間だったみたいです。
愛犬のケアを最優先にしながら、その合間に言葉を紡ぐ。それが可能だとわかった時、これからの方向性を定めました。
「在宅でできることを探そう」と。
でも、それには在宅でできるスキルをつけるという大きな課題がついてきます。
だから、短時間なら外でもできるかも…という選択肢を片手にしっかり掴んで離せないというのが正直なところ…。
これからは、その挑戦が始まります。
愛犬の食に対する集中力は、たいしたものです。どれだけそーっとお釜を開けても、しゃもじを入れた瞬間に立ち上る湯気のニオイにシャキーン!と効果音が聞こえるほどにパッと顔をあげるのです。
クンクンクン…♪
わかった。食べたいのね。
どんなにそーっとりんごを切っても…
シャキーン!クンクンクン…♪
はい、はい。今持っていきます😅
愛犬は、たくましく今日も食欲旺盛です。
ありがたい。 愛してる!!

第9章 退職してわかったこと
-母との距離-
退職か継続か…で心が揺れるとき、わたしには、母との時間を大事にしたいという想いがありました。
母が認知症と診断されたのは、2017年のことです。もっと前から兆候はあったのですが、それは振り返って思えば……の話。当時はそれが認知症の兆候だとは気がつきませんでした。
当時、母にとって最大の楽しみは、孫に会うために、わたし達家族のところに遊びにくることでした。節約のために、高速バスと在来線を乗り継いで移動に長い時間をかけることが母流でした。新幹線を勧めた時もありましたが「その分、何か買ってあげたいから…」と母はいつも笑ってそう答えました。
ある日、藤原竜也さん主演の『22年目の告白』という映画を見に行ったときのこと。
「おもしろかったねー」
「そーねー、おもしろかったねー」
そんな会話をしながら、帰りにランチをして家に帰ったのです。
それから3時間ほどたって、夕飯の支度をしていた時のことです。わたしは、何気なく映画の話を振り返りました。
「途中で、犯人が誰かわかった?」
「何のこと?」と母。
「今日見た映画のこと…」
「映画なんか見たっけ?」
……………。
「見たじゃない!藤原竜也の、22年目の告白」
「えー、ほんと? いつ?」
「今日だよ。おもしろかったねーって、2人でそのあとランチしたじゃない」
「イヤだ……ぜんぜん覚えてない」
ーーーゾワっとしましたーーー
これはおかしい! 絶対におかしい!!
もう躊躇している場合ではありませんでした。
その後、すぐに専門外来を受診し、アルツハイマー型認知症と診断されました。あれから、かれこれ10年になります。
おかげさまで着替えや食事など、身の回りの基本的なことは、今も1人でできます。
ただ、どういうわけか自分で選んで着る服は、1年中冬物…それも重ね着です。
会話の記憶は、2分も持ちません。
少し寂しいのは、母と電話で話せなくなってしまったことです。
母は今、介護施設に入所しています。
在職中、面会は月に1度程度しか行けませんでした。だから、毎晩8時すぎに母と携帯で話す時間がとても大切でした。
ある時から、母は携帯の充電ができなくなりました。それ以降は、施設のスタッフの方が定期的に充電をしてくださいました。
やがて、電話をかけることが難しくなった母にかわって、今度はわたしから母の携帯に電話をするようになりました。
これまでと同じ、夜8時すぎに…。
小さな「できない」のグラデーションを経て、ある日を境に母は、電話に出るためのボタンがわからなくなってしまいました。
わたしが何度も発信ボタンを押し、母がどうにか出てくれることを祈るしかない…あの不安を表す言葉はなかなか見つけられません。
実は、家を建てるとき、わたしと夫は話し合って1階に母の部屋を作っていました。
実家で一人暮らしを続けていた母をいつか引き取って、ここで一緒に暮らせるように…と。
でも、夫の単身赴任が長期化し、子供たちの受験期と母の症状の進行が重なったとき、わたしは、自分にできることの限界を考えました。そして、同時に子供たちには、『明るくておちゃめなおばあちゃん』を覚えていてほしいと思うようになりました。罪悪感を抱えながらも、わたしは、母を施設にお願いする道を選んだのです。
だからこそ、仕事を辞めたあと、母を施設から呼び寄せて、施設と我が家との2拠点生活にしていけないかと考えていました。
一緒にご飯を食べに行ったり、買い物に行ったりできるのは、今を逃したらもう無いかもしれない…という焦りもありました。
退職後、わたしは頻繁に母に会いに行きました。
最近は、叔母(母の妹)と間違われることが多いのですが、それでもわたしが行くと
「あら、どうしたの突然に。久しぶりね」
と、母の方から声をかけてくれます。
「いやいや、昨日も来てるけど(笑)」
そんな他愛のない会話をかみしめます。
ところが、面会を増やしてわずか2週間目、想定外のことが起こりました。
母が、わたしと離れたがらなくなってしまったのです。
「じゃあね、また来るね。」と告げると、以前なら皆さんが集う食堂広間へと戻っていった母が、「一緒に食べようよ。」「えー、こないの? なんでよ? じゃ、一緒に行く!」と駄々をこね、激しく不安をのぞかせるようになりました。いつもニコニコしていた母の表情が険しくなっているのです。
良かれと思って面会を増やしたわたしの行動が、結果として、母が施設で築いてきた「穏やかな日常」にさざ波を立て、不安を呼び起こしてしまったようでした。
退職して気づいた母との関わり方…
それは、「一緒にいる時間を増やすことが、必ずしもベストではないかもしれない」ということでした。
母が、母の環境の中で、のんびりと穏やかに暮らせること。お互いにとって「程よいバランス」を見つけること。それが、長く持続可能な生活を守るということなのだろうと思うようになりました。
そのためには、母の様子にあわせてこちらも時間を調整できる働き方が一番なんだろうな…という結論に至っています。
とはいえ…
理想の働き方を見つけるには、少し時間がかかりそう。
だけど…自分で定めた目標に向かって、頑張ってみたいと思います。
最近、母は自分の名前が書けなくなりました。でも、カレーの具は、みごとに思い出せます。
「じゃがいも、人参、玉ねぎ、豚肉」
母のカレーの具材たち…
「凄い!大正解!」
「あら、そう? 褒められると嬉しいわね」
そう言って笑います。
娘(孫)の動画メッセージを見せると、
「あら、そうなの。ふ〜ん、凄いねぇ」と目を細めます。
「もうちょっとだけ大きな声で話してくれる?あーちゃん、よく聞こえないから…」
「それビデオだよ。電話じゃないよ」
「あら、やだ。こんなんじゃボケちゃうね」
わたしが苦笑したかどうかは、内緒です🤭
あーちゃん=おばあちゃん

第10章 マイショップ
-ふらっと立ち寄れる場所に-
初めて投稿した記事で、わたしは「noteの街に小さなお店をプレオープンさせたような気持ちです」と綴りました。
そのお店に何を並べたいの?
そうツッコむ自分の声に、その時は答えることができませんでした。
記事投稿を重ねて、今やっと言語化することができそうです。
日常のアレコレを等身大で綴るということは、わたしがどんなことを感じ、どんなことを考えたのか、それを記録していくことにもなります。もともと『考えているだけで終わる自分』を卒業したくてnoteデビューしたのですが、記事を通して気持ちを可視化することで、「で、どうしたいんだっけ?」とこれからの自分を鼓舞し、目標を見失わないようにしたい…そんな願いもありました。
今のわたしが思う、マイショップに並べたいもの…
それは、『物事の捉え方』というさまざまな形をしたピースです。
これには、前職の経験が大きく影響しています。
生きづらさを抱えながら、一般企業への就職を目指す方とのさまざまな出逢いがありました。
就職までの過程は、もちろん人それぞれなので誰かとの比較ではなく、自分のペースを守ることが大切ですね。でも、就活というそのロードマップの中に「自分を知る」という自己分析のステップは、みなさん共通に時間を割いて向き合われます。わたしは、サポートさせていただく中で、ある傾向に気がつきました。
「自分なんて…」と、どうしても自信を持てずにいる方が多いということ。
例えば、自分の短所や弱さはすぐに言えるのに、長所や強みは言葉につまる。
「転職多いから、就職不利ですよね?」
と自身の経験が不安要因になる。
そーね…
確かに…転職は、一方向からだけ見れば、長続きしないというイメージを持たれることもあります。でも、ちょっとまって…
傷つきながらも、あきらめずに
また、次に挑戦してきたってこと…
働くことを諦めなかった。
何度も挑戦してきた。
そして、今、あなたは、ここに来てくれた。
これ、強さじゃない?
今まで、ひとりでよく頑張りましたね。
わたしからは、そんな風に見えます。
捉え方って、一つじゃないんじゃない…?
見る角度が変わると、見える景色も変わる。
思わぬ発見だって、あるように思うのです。
もちろん、それぞれの背景があります。
だから簡単に「大丈夫」と言えるものではありません。
でも、やってみなければ分からないことも、たくさんあるんじゃないかと…
ほんの少し、別の角度から見てみない?
誰かを変えたいわけではありません。
ただ、時々そんなことをぼんやり考えるのです…
だから、想いの押し付けにならないように、考え方や捉え方のピースとして、わたしのつたない経験談や挑戦談を並べておきますね。
気が向いた時にでも、ちょっと立ち寄れるように…。
もしよければ、一つ手に取ってみる…。
そんな場所を目指したいなと思っています。
物事を多角的にとらえる。
一方向の視点だけでは、もったいない。
わたし自身…、気づけているようで、案外そうでもないのです。
もしかしたら、目の前の出来事の意味が変わることもあるでしょう。
このお店には、派手な看板はありません。
大きな声で呼び込みもしません。
例えるなら、無人販売所🥚
誰の目も気にせずに、ふらっと立ち寄って「ふ〜ん…」と、少し風が流れるような…
そんなお店にできたら、それはもうシンプルに最高なんだけど…なんてね🤭

エピローグ -今まで、そしてこれから-
最後まで読んでいただき、ありがとうございました。
書き並べてみた日々の出来事は、
楽しいことばかりというわけではなかったけれど…
でも、こうして並べてリボンで結んでみると想像以上に愛おしい花束になりました。
バラバラだった過去の選択が、人生の彩りとなって、「なかなかよく頑張った」と包んでくれているようです。
自分のことを発信するのは初めてのことでした。
何を書こう…
とにかく始める
ただ、それだけでした。
あれから1ヶ月、わたしは今、あの時ひいたスタートラインを振り返る位置に立っています。
これからどうする?
そーねー、どうしましょうか。
『これから』を自分らしく歩めるように、時々ここに立ち寄って、ピースを並べながら考えてみますね。
あなたの前には、今、どんな景色が広がっていますか?
他の誰のためでもなく、
これまでのあなたを心からねぎらい、
これからのあなたを祝福するように…
あなたの物語にもリボンを結んでみませんか?
〜 Re bouquet 〜
※作品内のイラストは、家族写真やオリジナル素材をもとに、AIツールを活用しながら一枚ずつ大切に制作しています。無断転載や無断使用はご遠慮いただけますと幸いです。