
第7章 私は、無理をしている自分を知っている
毎日は、また、当たり前に過ぎていく。
起きられる日。
起きられない日。
そのことを、いちばん理解していたのは、わたしよりも子どもたちだったのかもしれない。
家族会議のようなものを開こうか、と考えたこともあった。
けれど、これまで何度も節目ごとに話し合いはしてきた。
だからこそ、成長した子どもたちに、
あらためて説明する必要はないと感じた。
任せてみようと思った。
それは、正解だった。
それぞれが、夫が変わってしまった部分にちゃんと気づき、自分なりの距離で向き合っていた。
イライラしたり、怒ってしまったり。
そういうことを、時々してしまうのは
わたしだけだった。
どう生活することが、リハビリになるのだろう。
答えの出ない問いを抱えたまま、わたしの頭は、毎日まとまらなかった。
ひとまず、手帳ができる前から、医療保険を使って訪問看護ステーションからリハビリに来てもらっていた。
安心だった。
ここなら、相談できる。
ひとりではないと思えた。
けれど。
ケアマネという仕事ならできることも、自分が当事者になった途端、「こうしたら、こうなる」という見えないストッパーがかかった。
頭ではわかっている。
でも、心と生活が追いつかない。
夫のリハビリの時間、わたしは仕事で家を空けている。
帰宅して、「今日は何をしたの?」
と尋ねても、「いつもと同じだよー」
それで会話は終わってしまう。
そう。
言葉のキャッチボールが、夫には難しくなっていた。
一一
手帳が出たあと、看護師からの助言と、寄り添いがあった。
障害者支援の中で、わたしのような立場の「ケアマネ」をつけてはどうか。
そこから、次のステップへ進むための
見通しや期待が持てるのではないか。
そんな内容だった。
当然だと思った。
でも。
わたしと夫のコミュニケーションは、まだ手探りのままだった。
前もって相談すること。
それが、夫には難しい。
我が家の経済の要である、夫の口座を維持するための最低限のコミュニケーションでさえ、うまくいかないのが現実だった。
すべてを確認しなければならない。
一度、理解できれば、夫は対応できる。
その能力が保たれていることを、わたしは知っている。
だからこそ、余計にわたしは混乱してしまう。
タイムラグを計算しながら、家の経済を回すということは、入院費のやりくりよりも、ずっと大変な作業だった。
「余裕」
持ちたい。
ゆとりも。
周囲からは、「肩の力を抜いて」
そう言われた。
優しさだと、わかっている。
それでも、申し訳なさが先に立つ。
そして同時に、腹を立てている自分がいた。
今、めいっぱいやらないで、どうすんのよ。
いま力を抜いたら、崩れる現実を知っているから。
それは、防衛だった。
春が近づくにつれ、忙しさは、さらに増していった。
次女の卒業と進学。
上の二人の、家計急変時奨学金の手続き。これは、三か月ごとに必要になる。
息子の部活動。
父母として、できるだけ積極的に関わっていた。
その活動は、結果的に、夫のリハビリにもつながっていた。
朝から晩まで、活動に関わる荷物を一式抱え、体育館で見守る。
勝ち負けではない。
練習の中で、学び、成長していく子どもたちを自分の目で見ること。
それが、夫の中に何かを残してくれていた。
一一
私の疲労は、見えないまま、少しずつ蓄積していった。
それも、当たり前だと思う自分がいた。
夫は、気づいていたのだと思う。
「オレも、やらなければ」
そう思っていたのだろう。
掃除も、調理も、ほとんどしたことがなかったのに。
「オレが料理するなら、何かな」
そう言いながら、食べ終えた食器を洗い、片付ける。
私が辛いと伝えれば、お願いしたことを、きちんとしてくれる。
何がすごいかと言えば。
何ひとつ、言葉を返さないこと。
さらに。
「ママは、本当にすごいよ」
今でも、そう言ってくれること。
もう、わたしは泣くことはないと思った。
泣くことは、この人に失礼だとさえ思えた。
力を抜くことは、できない。
それでも、こうして、がんばることができるのは
守るべきものが、お互いに、あるからだ。
泣かない強さじゃない。
泣かないと決めた人の静けさなんだ。