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Photo byozaki_yuki

第8章 戻らない人と、生きていく

    これからの生活を、どうするか。

    退院はした。

    けがであって、病気ではない。

    看護師さんがきて、順調にリハビリもできている。

    身体は着実に回復している。

    それでも、私たちは以前の生活に戻れなかった。

    たくさんのどうして、なんで。

    そう思わないようにしても

    思ってしまう自分を、私はずっと責めていた。

    周りの人は、夫の身体や見た目を見て「変わらないね」と言う。

    気を遣ってくれていることは、わかっている。

    でも、ある日

    「同じとは思わない。生まれ変わったんですよね」

    そう、まっすぐに言ってくれた人がいた。

    その言葉で、私は初めて、自分の感じてきた違和感を、責めなくていいと思えた。

    そこに辿り着くまで、
    退院から、数ヶ月かかっていた。

    夫は、家族も仕事も大切にする人だった。

    自分のことは、いつも後回しにして。

    退院してからも、その本質は変わらなかったのだと思う。

    それが見えたとき

    安心した私も、確かにいた。

    けれど、前と違うということが、本人でさえ分からない。

    私と一緒に行動していても、お互いに理解できないことがあると、声を荒げてしまう。

    そこに生まれるのは、新しい哀しみだった。

    その繰り返しが…私から前を向く力を少しずつ奪っていった。

    新しい哀しみの中で、いちばん大きかったのは、子どもたちのことだった。

    母としての私の在り方を、夫が理解できないこと。

    自分が辛くなり、その場にいられなくなると、感情は行き場のない怒りとして爆発する。

    それを受け止めるのは、いつも私だった。

    「子煩悩な父」でいられないことが、
    こんなにも辛いのだと、初めて知った。

    お父さんは変わってしまったけれど、
    お父さんであることに変わりはない。

    子どもたちはしっかり見ていた。

    どんな姿でも

    どんな言い方でも

    話をして

    一緒にごはんを食べる。

    息子は、父と一緒に風呂にも入った。

    思春期の真っ只中にいる子どもたちが、どんな気持ちで、この日常を生きてくれているのか。

    それを思うと、私は、言葉を失ってしまう。

    そして自分は…母であることと、妻であることと、そして、自分であることのあいだで、揺れ続けながら生活している。

    立ち止まって考える余裕はない。

    毎日は、待ったなしで進んでいく。

    どう考えるか。

    どう生きるか。

    その答えを、ひとりで机に向かって見つけることは、私にはできなかった。

    家族と過ごす何気ない一日の積み重ねの中で、私は少しずつ自分の感覚を研ぎ澄ましていく。

    正解かどうかは、わからない。

    それでも、この生活の中でしか
    見えてこないものが確かにあった。

    子どもたちは、それぞれが自分自身と向き合っている。

    学生としての時間。

    遊びたい気持ち。

    友人とのやり取り。

    そして、将来。

    その歩みを、邪魔するような存在には、夫婦ともになりたくなかった。

    私の仕事については、こんな出来事があったからこそ、できる支援内容になっていた。

    年齢や経験だけでなく、声にならない声を…理解できる心情。

    迷いに、立ち止まる速度がわかる。

    それは、いつの間にか…私の強みになっていた。

    夫は、私たちをみて

    静かに自分を受け入れはじめていた。

    以前とは違うことを。

    それが、どれほどのストレスか…想像に難くない。

    昨日までの日常から

    朝、目を覚ましたら

    身体や心が不自由になっている。

    仕事もなく

    これからどう生きればいいのか…わからない。

    私が逆の立場だったら、こんなふうに笑えなかったと思う。

    もしかしたら

    人生を諦めるという選択を、していたかもしれない。

    それでも、この人は、笑う。

    そして、私のそばにいたいと言う。

    生きていてよかった。

    そう思える瞬間が、ここにある。

    これ以上の幸せは

    きっと、ない。

    改めてそう思えた。

    だから、看護師さんの助言を受け入れて…障害の相談支援員をお願いすることにした。

    夫が、自分の言葉で相談できる相手が必要だと思った。

    制度に詳しく、夫の立場で話を聞いてくれる人。

    尋ねてきてくれたのは、男性の相談員だった。

    その人は、夫の言葉を急がせることなく、想いをひとつずつ引き出してくれた。

    それを、少し離れた場所から見ながら私は思った。

    もう、私が前に出なくてもいいのかもしれない。

    この時間は、この二人に任せてみよう。

    そう、静かに決めた。

     
     

    lyric

     
     
    ケアマネジャーで社会福祉士 夫の重篤な不慮の事故をきっかけに、家族として…支援職として 「同じ家で、違う時間を生きる」日々を経験する。 本書では、病室に通った時間と、その中で見えた家族と人の姿を静かに記録している。

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