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第5章 選ぶ前に

    次に来たのは、退職という現実だった。

    こちらが選ぶ前に、決まっていた。

    就業規則に、そう書いてあった。

    半年休んで、復帰できない場合は、自然退職になる。

    それを、私から夫に言うことはできなかった。

    どう切り出せばいいのか、わからなかった。

    仕事は、夫にとって誇りだった。

    生活の柱で、自分自身そのものでもあった。

    会社と話し合いの場を持てないか。

    私は、ソーシャルワーカーに相談した。

    本人と会社が直接話すことが、何か助けになるのではないかと思ったからだ。

    でも、医師からの返答はNOだった。

    今、会社と本人が面会することは、メリットよりもデメリットのほうが
    多い。

    そう、はっきり言われた。

    そこで、夫に事実を伝える場が設けられた。

    医師。

    私。

    療法士。

    看護師。

    そして、夫。

    説明は、丁寧だった。

    状況。

    制度。

    今後の見通し。

    言葉は、慎重に選ばれていた。

    そのときだった。

    看護師さんが、何か夫へ助言をした。

    前向きで、正しさのある言葉だったと思う。

    夫は、何も言わなかった。

    でも、その目が変わった。

    厳しい視線を、まっすぐ向けていた。

    「お前に言われたくない」

    そう言っているように見えた。

    ⸻

    声を荒げることはなかった。

    怒鳴ることもなかった。

    でも、私はわかった。

    静かに、怒っている。

    それは、現状への怒りでも、誰か個人への怒りでもなかった。

    奪われていくものへの、どうしようもない怒りだったのだと思う。

    仕事。

    役割。

    未来。

    自分で選んでいないのに、一つずつ
    手から離れていく。

    私は、その場で何も言えなかった。

    代わりに、心の中で謝っていた。

    守りきれなくて、ごめん。

    「帰る」という言葉の意味が、私と夫で違っていた。

    夫にとっての「帰る」は、事故の前と
    ほとんど変わらない自分で家に戻ることだった。

    少し不自由でも、家に帰れば
    なんとかなる。

    そう、本気で思っていた。

    ーー

    でも、私が見ていた現実は違った。

    まだ、ひとりで歩くのも不安定で。

    トイレの失敗もあった。

    夜間の失禁も、続いていた。

    それでも夫は言った。

    「帰れば、なんとかなる」

    私は、違うと思った。

    帰るというのは、場所の問題じゃない。

    生活が、回るかどうか。

    安全が、守れるかどうか。

    それを毎日、続けられるかどうか。

    でも、強く言ってしまいそうで。

    現実を突きつけるような言葉を選んでしまいそうで。

    私は、それ以上は言えなかった。

    だから、伝えた言葉はひとつだけだった。

    「それだと、帰れないよ」

    責めるための言葉じゃなかった。

    突き放すためでもなかった。

    ただ、「今」の現実を
    壊さずに置こうとしただけだった。

    ーー

    退職のことを知って、夫は、ずいぶんとショックを受けていたと思う。

    それでも、受け入れていたのか。

    それとも、後遺症だったのか。

    表情が大きく変わることはなかった。

    印象も、ほとんど変わらなかった。

    私には、その違いがはっきりとはわからなかった。

    私は、家に帰るための具体的な条件を、夫に伝えた。

    歩けること。

    自分のことが、自分でできること。

    昼も夜も、失禁せずにトイレに行けること。

    父としての役割が理解できること。

    そして、周りの人たちが自宅に戻るために手を尽くしてくれていることを理解し、協力できること。

    それから、少しずつ、本当に少しずつ、変化があった。

    付き添いが、つかなくなった。

    洗濯物も、落ち着いていった。

    帰ることに向けて、リハビリの方向性も少しずつ、具体的になっていった。

    ある日の、リハビリ見学。

    「今日は、生活の中でのリハビリを
    見ていただきますね」

    療法士さんが、そう言った。

    洗濯物を、カゴから出す。

    干す。

    取り込んで、畳む。

    その様子を見ていたとき、私の目から、涙が落ちた。

    家の、バスタオルの畳み方だった。

    思わず、聞いていた。

    「それは、誰かに教えられた畳み方ですか?」

    療法士さんは、少し驚いたように、こう答えた。

    「いえ。ご本人が、馴染みのある畳み方のようです」

    一緒に見学していた子どもたちと、泣いた。

    覚えていたんだね、と。

    気がついたら、療法士さんも、泣いていた。

    ーー

    そこからだった。

    外出リハビリが、決まった。

    目的は、夫ができる料理を作ること。

    カルボナーラ。

    深夜、突然食べたくなっては作っていた料理だ。

    私は、いつも怒っていた。

    「こんな夜中に、そんなパスタ食べて!」

    夫は、少しバツが悪そうにしながら、
    次女と一緒に、おいしそうに食べていた。

    外出リハビリは、電車で住まいの近くのスーパーまで行き、買い物をして、病院に戻る。

    そして、翌日。

    夫が、YouTubeで調べながら料理をする。

    その買い物に、家族で同行することになった。

    嬉しかった。

    本当に、嬉しかった。

    当日も、その気持ちでいっぱいだった。

    でも。

    電車を降りて、スーパーに向かう夫は、段取りで精一杯だった。

    目的地。

    買うもの。

    動線。

    頭の中は、それだけで埋まっていたのだと思う。

    後ろを歩く私たちのほうに、意識が向くことはなかった。

    振り返るような仕草も、一度もなかった。

    一緒にいるのに、別々に歩いているような感覚だった。

    夫と連れ添ってきて、はじめてのことだった。

    改めて、愛されていたことを知った。

    それは、あたたかい記憶のはずなのに。

    なぜか、悔いるような気持ちが残った。

    隣を歩いてほしい、と思ってしまった。

    ただそれだけのことが、できないのだと、わかってしまった。

    子どもたちも、その変化に気づいていたと思う。

    でも、何も言わなかった。

    私が傷つくことを、知っていたからだと思う。

    スーパーの中では、子どもたちと一緒に、自由に商品を選んでいた。

    療法士さんが設定した時間よりも、早く買い物を終えることができた。

    少しのあいだ、立ち止まって、話す時間もあった。

    夫は、次の段取りのことを気にしているのがわかった。

    そのことが、少しだけ、寂しかった。

    それでも私は、できたことを見るようにした。

    前に進んでいると、思える方を選んだ。

    あくまで、リハビリの一環としての料理だった。

    カルボナーラを作っても、夫自身は、食べることができない。

    それでも、「できた」という事実があった。

    もしかしたら、できるかもしれない。

    その感覚を、夫の中に、少しずつ重ねていけたのだと思う。

    退院に向けたリハビリにも、前向きに取り組んでいた。

    ーー

    年末年始が、近づくにつれ。

    夫の「帰りたい」という気持ちは、目に見えて強くなっていった。

    リハビリは、している。

    それでも、病院という環境には限界があった。

    看護や介護。

    決まりごとの多さ。

    自分で選べない時間。

    今なら、そう思える。

    家族と、過ごしたい。

    その気持ちは、とても自然だった。

    けれど、私は違うところを見ていた。

    ここ、病院で。

    できる限り、精一杯のリハビリをしてほしかった。

    二度目のリハビリ病院への入院はない。

    人生で一度きりの、六か月。

    家族と過ごす、これからのために。

    家族と生きていくために。

    今は、リハビリをしてほしかった。

    病院から提案された入院期間。

    私自身も、納得できる日程までここにいることを選んだ。

    そして、もうひとつ。

    避けて通れない話があった。

    運転。

    夫は、自分が運転できないとは思っていなかった。

    けれど、脳に損傷がある以上。

    永遠ではないにしても、少なくとも、
    しばらくはできない。

    そのことを、私が伝えなければならなかった。

    運転を、しない。

    それは、誰が決められるのだろう。

    そう、自問自答した。

    そして、夫の場合、それを決めるのは
    私ではないと判断した。

    私には、根拠がなかった。

    危ないから、

    心配だから、

    不安だから。

    それは、理由にはなっても、根拠ではない。

    最後の、医師との面談で。

    私は、そのことを医師に相談した。

    引き受けて、くださった。

    夫を部屋に呼び、

    なぜ、年明けまで入院なのか。

    なぜ、運転を控えなければならないのか。

    医師は、ひとつひとつ説明してくれた。

    ⸻

    その言葉には、根拠があった。

    夫は、まっすぐに医師の目を見て、うなづいていた。

    私は、その横顔を見ながら、同じように、うなづいていた。

    できない、のではない。

    退院は、できる。

    その日にちも、決まった。

    運転も。

    「君は、できるようになるよ」

    医師は、そう伝えてくれた。

    あとは、夫。

    そして、私たち。

    支え方次第なのだと、思った。

     
     

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    ケアマネジャーで社会福祉士 夫の重篤な不慮の事故をきっかけに、家族として…支援職として 「同じ家で、違う時間を生きる」日々を経験する。 本書では、病室に通った時間と、その中で見えた家族と人の姿を静かに記録している。

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