
第3章 問いの残る時間
夫は、特注のやわらかい布製のヘッドギアをつけて、リハビリをしていた。
頭を守るための、分厚くて、でも手で触れると少し安心するような素材。
それでも、守らなければならない場所がある、という事実は変わらなかった。
最初のリハビリは、歩くことではなかった。
まずは、意識をしっかり覚醒させること。
そして、ベッドサイドで座ることだった。
ただ座る。
それだけなのに、簡単ではなかった。
療法士が二人。
看護師が一人。
三人がかりで、夫の体を支えながら、
ゆっくり、本当にゆっくり進めていく。
座位をとるあいだ、夫の体は安定しなかった。
首は揺れ、体は前に倒れそうになる。
それを、三人の手が静かに支えていた。
声をかけ
呼吸を確認し
少しの変化も見逃さなかった。
私は、その様子をただ見ていた。
ほんの数分。
それだけで、夫はひどく疲れていた。
でも、それがリハビリだった。
できなかったことを責める時間ではなく、できたことを積み重ねていく時間。
リハビリ前後、夫が口にするのは、ただ一つのことだった。
「外してほしい」
拘束のことだった。
右手しか動かないのに、左手も拘束されていた。
左手。
左足。
私は、その動かない左側を何度も、何度もさすっていた。
このまま、動かなかったらどうしよう。
その問いが、胸の奥で消えずにあった。
夫の手、指には、便が爪の中に入り込んでいることが多かった。
気持ち悪さから逃れようと、拘束された腕を何とか動かしたのだろう。
その姿を目にするたび、胸の奥に重たいものが積み重なっていった。
元に戻るまで。
きれいになるまで。
私は面会のたび、ただ黙って拭き取った。
ーー
看護師さんたちは、仕事をしていた。
忙しい病棟で、それぞれの役割を淡々とこなしていた。
その中で、私の表情を一瞬だけ見て、
わかってくれる人もいた。
「奥さんがいる間は、外していいですよ」
そう言ってくれた人がいた。
私は、何も言えずに
ただ、うなずいた。
その時間だけ、夫の手は自由になった。
私は、動かない左手をそっとさすり続けた。
大丈夫だよ、と言ったのかもしれない。
言葉よりも、触れていることのほうが
確かだった。
ーー
自宅では、千羽鶴を折っていた。
家族。
夫の同僚たち。
私の仕事仲間。
共通の友人たち。
色も、折り方も、そろっていなかった。
それでも、ひとつずつ折られた鶴が
集まっていった。
誰かが折り
誰かが託し
誰かが祈った。
願いを込めた千羽鶴でも、感染対策のため病室に持ち込むことはできなかった。
折られていく鶴たちは、家の中に置かれたままだった。
祈りは、形になってもそばに置けないことがあるのだと、そのとき初めて知った。
それでも、折られていく鶴を見ていると、夫が一人ではないことだけは
はっきりとわかった。
問いの残る時間の中で、それは確かな支えだった。
ーー
病室に戻ると、時間はまた同じように流れていた。
リハビリのなか、夫が取り乱すことは一度もなかった。
どうして動かないのか。
なぜ左側なのか。
そう聞かれることもなかった。
怒りも、混乱も、外には出てこなかった。
ただ、目が曇っているように見えた。
ずっと、霧がかかったような目。
ときどき、その目が
ふっと透明になることがあった。
一瞬だけ。
そのときは、視線が合った。
ちゃんと、こちらを見ている感じがした。
私は、その瞬間を逃さないようにしていた。
今だ、と思って声をかけたり、手を握ったりした。
透明な目の時間は、長くは続かなかった。
でも、その一瞬があるだけで、私は少しだけ安心できた。
戻ってきている。
完全ではないけれど、ここにいる。
そう思えた。
問いの残る時間は、曇った目と、ときどき訪れる透明な目のあいだを行き来しながら続いていった。
私は、その揺れのそばで待つことしかできなかった。
透明な目の時間は、少しずつ増えていった。
視線が合うことも増え、こちらの声に反応しているように思える瞬間もあった。
私は、その一つ一つを心の中で数えていた。
一か月ほど経った頃だった。
また、反応がなくなった。
声をかけても、視線は合わない。
あの、透明だったはずの目が、再び曇っていた。
胸の奥で、嫌な感覚が広がった。
検査のあと、医師から説明があった。
水頭症を起こしている、と。
頭の中に水がたまり、圧がかかっている状態だと静かに説明された。
私は、その言葉を一つずつ聞いていた。
理解しようとしながら、どこかで理解したくないまま。
また、
手術。
その言葉を聞いたとき、私は驚かなかった。
もう、驚く場所はとっくに通り過ぎていた。
ただ、「またか」という感覚だけが残った。
命は、つながっている。
でも、安心は何度でも裏切られる。
問いの残る時間は、ここではっきりと形を変えた。
戻ると思っていた道が、また別の方向に折れていった。
私は、あのICUのドアを思い出していた。
また、あの向こう側に行くのだろうか。
そう思いながら、夫の顔を見た。
目は、まだ曇ったままだった。
手術のことは、子どもたちには「治るための手術だよ」と伝えた。
それ以上の言葉は、使わなかった。
使えなかった、のかもしれない。
私自身も、良くなると強く願っていた。
それ以外の選択肢は、なかった。
願うことをやめたら、何かが崩れてしまいそうだった。
だから、ただ良くなると信じ続けていた。
医師は、いつも丁寧に説明してくれた。
検査の結果。
今の状態。
これから行う処置。
でも、核心には触れなかった。
「この先、どうなりますか」
そう聞いても、はっきりとした言葉は返ってこなかっただろう。
私は、その理由がわかる気がしていた。
頭部外傷による後遺症が、どう出るのか。
それは、医師にもわからないのだと思った。
どこまで戻るのか。
何が残るのか。
何が変わってしまうのか。
誰にも、断言できない。
だから、言葉は選ばれていた。
希望を残し、でも約束はしない。
その間にある沈黙を、私は何度も受け取っていた。
問いの残る時間は、このころ少し姿を変えた。
「なんでこんな…」ではなく、
「どこまで良くなるのか」
「何を覚悟すればいいのか」
問いは、未来のほうへ向かい始めていた。
私は、医師の言葉の行間を読みながら、自分なりに覚悟を作ろうとしていた。
でも、それは簡単なことではなかった。
ーー
夫は少しずつ、私の知っている夫に
戻っていった。
一気に、ではなかった。
気づけば、起きている時間が前よりも長くなっていた。
声をかけると、返事が返ってくる。
視線が合い、そこに迷いのない瞬間が増えていった。
リハビリは、確実に進んでいた。
ベッドの上から、ベッドサイドへ。
立つ練習。
体重をかける練習。
そして、歩行訓練。
支えられながら、それでも自分の足で
前に進んだ。
私は、その一歩一歩を息を止めるように見ていた。
「歩けていますよ」
療法士の声に、胸の奥がじんと熱くなった。
ああ、戻ってきている。
そう思えた。
でも、左手は
ほとんど動かないままだった。
指は動かない。
思うように力も入らない。
左足も、以前のようには動いていなかった。
良くなっていることと、戻らないこと。
その二つが、同時に存在していた。
私は、「できるようになったこと」と
「できないままのこと」を心の中で分けて考えるようになっていた。
喜びすぎない。
悲しみすぎない。
その間に自分を置いて、毎日を過ごしていた。
問いの残る時間は、終わりに向かっているようで、実は形を変えて続いていた。
戻る、という言葉の意味を
私は考え直していた。
元通り、ではない。
それでも、確かにここにいる。
弱音は、吐けなかった。
友人の前でも。
自分の母や、妹の前でも。
取り乱すような悲しみは、話さなかった。
心配をかけたくなかったのか、それとも、言葉にしてしまうのが怖かったのか。
たぶん、そのどちらもだった。
だから、お酒は家でしか飲まなかった。
外で飲めば、誰かに何かを話してしまいそうだった。
抑えてきたものが、一気に溢れてしまいそうだった。
お酒の力を借りたら、どこまでも落ちていきそうで。
だから、一人で飲んだ。
誰にも見られない場所で。
誰にも、支えられないように。
グラスを傾けながら、私は自分に言い聞かせていた。
まだ、大丈夫。
まだ、崩れない。
ここで泣いたら、また明日が始められなくなる。
問いの残る時間は、こうして私の中にも静かに積もっていった。
言葉にしないままの不安。
見ないふりをした怖さ。
そして、それでも続けてきた毎日。
夫は、少しずつ戻ってきていた。
私は、少しずつ自分を後回しにすることに慣れていった。
それが、正しいのかどうかは
わからないまま。
でも、あの時間を生き抜くために、私にはそのやり方しかなかった。
同じような日々が続く中で、転院の話が出た。
リハビリを目的とした病院へ移る。
これからの流れとしては、ごく自然なことだった。
私は、その意味も、必要性も理解していた。
ここにずっといられるわけではないことも、次の段階に進むべき時期であることも、わかっていた。
それでも、その話を聞いたとき、どこか現実味がなかった。
頭では理解しているのに、気持ちだけが追いついていないような、そんな感覚だった。
準備をして、荷物をまとめて、転院の日は静かに決まっていった。