
第6章 暮らしの入り口
夫がどうなるのか、わからなかった。
だから、家の中は、夫のいない空間になっていた。
物はそのままなのに、人の気配だけが抜け落ちた家。
私はその重い空気を変えたくて、夫の入院中、暇があれば片づけを始めた。
クローゼット。
棚。
部屋の隅から隅まで。
廃棄できるものは、廃棄した。
「もったいない」
「いつか使うかもしれない」
そういう言葉を、やめた。
とにかく、流れる空気を変えたかった。
私は、夫がいなくなってから、寝室で眠ることができなくなっていた。
息子が、私たちの寝室で眠っていた。
私は、リビングで寝起きしていた。
家は、庭まできれいに片づいた。
けれど、庭のことだけは、持病のある私ひとりではどうにもならなかった。
たくさんの人が、助けてくれた。
本当に困って、泣きそうになっても、
現実的に手を貸してくれる人がいた。
それは、私の原動力になった。
ーー
家は整った。
夫は身体的な不安は、ほとんどなくなっていた。
屋内外の構造上、直さなければならない場所もない。
ただ。
精神的にどうなのかは、見えない分、わからないまま帰ることになる。
難しい判断なのだと思った。
精神障害者手帳を申請したけれど、どのように判断されるのかは、発行されるまでわからない。
それでも、私は少し安心していた。
夫の言葉には、いつも優しさがあった。
たとえば。
トイレで手を洗ったあと、洗面台の周りに跳ねた水をきちんと拭き取ってからその場を離れる人。
言葉で表現できないだけ。
その心は今も、変わっていなかった。
だから。
何とかなる、そう思えた。
ーー
帰宅の日。
驚くほど、あっさりと帰宅だった。
これまでの医療費が背中に乗っているのは、わたしだけ。
それでも、よかった。
家族のこと。
子どもたちの夢を壊さないために。
ひたすらに、努力と配慮を繰り返してきた。
その時間を、自信に変えられていた。
わたしひとりの収入でやり切れるはずはない。
夫が、きちんと働いてくれていたからこその社会保障と、民間保険。
その大切さを、思い知る形になった。
帰り道、お墓に立ち寄り、退院の報告をした。
掃除は、前もってしておいた。
新しい花も、いけてあった。
夫の思うままに、とも考えたけれど、
疲労感が強かった。
無理はせず、自宅に帰って、わたしの揚げた唐揚げを食べた。
久しぶりの、食卓。
箸が使いづらいから、工夫をした。
滑り止めのシートを使ったり、置き方を変えたり。
あるものを活用した。便利だとしてもプラスチックの食器は使わないと決めていた。
夫への配慮は、私がした。
子どもたちは、それを黙って見ていた。
きっと、学んでいたのだと思う。
帰ってきた夜。
わたしは何だか緊張していた。
となりにいる。
呼吸してる。
ああ、それだけでこんなにも幸せなんだ。
ひとり、感極まって横になっていた。
「ママ、ギュだよ」
それだけ言って、腕を広げてくれた。
久しぶりに、胸で泣いた。
別の部屋で休んでいる子どもたちにも
聞こえただろう。
それでも、よかった。
幸せだった。
ーー
朝、起きてこなかった。
これも、後遺症なのか。
いつまでも、眠っている。
予後一年ほどは、そういうことも多いと、知識では知っていた。
それでも。
夜、あんなに確かにここにいると感じたのに。
朝になると、またわからなくなる。
この人は、どこまで回復するのだろう。
どんな生活を、これから一緒に組み立てていくのだろう。
私は、起こさずに。
呼吸を確かめるように、夫の横顔を眺めていた。
これからの設計を、どこから考え始めればいいのか。
答えはなくて。
ただ、今日という一日が、また始まろうとしていた。
私は、起こさない、という選択をした。
昨日まで、起こされ、決められた時間で、規則正しい生活を強いられてきたのだと思う。
自宅では、できるだけ自発的でいられるように。
ゆっくりでいい。
そう思った。
「自発的」
それは、今の彼にとって、いちばん難しいことだった。
だから私は、先に用意をしてから、声をかけるようにした。
ごはん。
洗濯。
でも、意外だった。
夫は、用意してあったごはんを自分で食べ、食器を洗い、きれいに片づけていた。
洗濯も。
夫が帰ってきてから、私は干すことも、畳むことも、ほとんどしていない。
できること。
できないこと。
それを、ただ見続ける。
それが、いまの私の役目になった。
そのまま、自然に生活してきた。
ときどき、私には理解できないこともあったけれど、なんとか自分をコントロールしていた。
でも。
次女の誕生日。
私は、高校卒業のお祝いも兼ねて、長女のときと同じように、成長アルバムを作っていた。
いわば、サプライズだった。
夫にも、話していた。
何か月もかけて作ったアルバムが完成し、受け取って、帰宅した夜。
夫は、本人の前で言った。
「〇〇のアルバム、車から下ろした?」
……絶句した。
とにかく、それ以上話さないように制止することで、精一杯だった。
悲しみと、怒り。
どちらも、止められなかった。
深夜、夫に聞いた。
「喜ぶだろうな、とか……そういう気持ちは、もしかして、わからない?」
夫は、静かに答えた。
「うん。わからない」
そうか。
私が、ここも理解しなければならないのだと、覚悟した夜だった。
ーー
そのあと、市役所から封書が届いた。
手帳ができた、という知らせだった。
二人で、受け取りに行った。
私は……
少し、焦っていたのかもしれない。
夫には、事前に詳しい説明をしなかった。
受け取った手帳には、はっきりと
「障害である」という事実が記載されていた。
そうか。
そうだよね。
今までの、あれこれが一気に、一本につながった。
だからなんだ。
そう思った。
夫は、すぐには理解できなかった。
これは、どういう意味なの?
きっと、そう聞きたかったのだと思う。
でも、言葉にはならなかった。
私は、そんな夫の隣で、淡々と説明を受けていた。
制度のこと。
手続きの流れ。
支援の内容。
事務的な言葉が、静かに、頭の上を通り過ぎていった。
私は、うなずきながら、思っていた。
理解する順番は、同じじゃなくていい。
いまは、私が知っていればいい。
そう言い聞かせるように。