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#6 ちりぬるを

    三十九


     再度このチャンスが巡ってくるとは思ってもいなかった。
     毎日を忙しく過ごす中、新しいことをはじめる。
     そうすることで、本当の気持ちを閉じ込めてきた。
     しかし、もう限界だ。
     私の想いは日に日に大きくなり、最近では歯止めが利かなくなっていた。


     そんなとき、乾さんからの連絡が来た。

     もう一度、看護婦に。
     今は看護婦ではなく、看護師と呼ぶのだそうだ。
     看護師に向けた講師として復帰してほしいとのことだった。

     これまで抑えてきた気持ちが一気に吹きだす。
     また医療現場で働きたい。
     
     いや。
     医療現場にこだわらない。
     医療の一端でも構わない。
     そこに携わり、人と接したい。

     四十歳を目前にして、私は今一度、自分自身を探していた。
     私とはいったい何者なのであろうか?
     私はなんのために生まれてきたのか?
     私の使命とはいったい何なのであろうか?
     すぐには解けないであろう思考が、グルグルとあたまの中を回る。
     そんな日々を過ごしていた。


     
     雄さんとの結婚生活はとても充実したものだった。
     あいも変わらず、お酒を飲み、休日も外出する雄さんの生活は基本的には変わらなかった。
     私も私で、婦長としての仕事も忙しく、シフトはかなり混み合っていた。

     一緒に住んでみてわかったのだが、雄さんは好きでお酒を飲みに行く場合と、仕事で飲みに行くことがあるようだ。
     お酒を飲む相手は取引先や大学の先生など、仕事に関連するものが多かった。

     実際にはお金を支払うこともなく、タクシー代すら支給されるらしい。
     なんという好待遇であろうか?
     市役所勤務の人間がそこまでの待遇を受けていいものなのであろうかと、疑問を持ちたくなる。
     だが、雄さんの話では役所の中でも一部の職場に許されるものなのだそうだ。

     そういえば、結婚式にY市市長が挨拶をしていたっけ。
     たった一職員の結婚式にわざわざ市長が来るものなのであろうか?
     それとも市長と、何かしらの仲なのであろうか。
     まあ、私の仕事ではないのでどうでもいいが。


     結婚後、雄さんは私のマンションに転がり込む形で夫婦生活がはじまった。
     このマンションは雄さんと結婚する前に、私が購入したものだった。
     「仕事と結婚する」覚悟をしていたので、新築マンション販売の応募に手を挙げ購入。
     開けてみてびっくりしたのだが、この抽選には江国も応募していた。
     私たちのような市立の病院に勤務する看護婦は公務員とほぼ同じ扱いを受けるため、銀行や不動産会社からも信用は大きい。

     そのため、優先的に住みたい部屋を選ばせてもらえるだけでなく、借金の返済に対してもかなりの猶予をもらうことができた。
     VIVA! 公務員看護婦である。

     当然のようにこの応募に当選した私たちは優先的に部屋を選択できたため、隣に居を構えることにした。
     どちらかが夜勤や長期の旅行に行ったとしても、部屋を任せることができるからだ。
     しかし、まさか雄さんと結婚することになるとは。
     人生とは、わからないものだ。


     この部屋には雄さんとの結婚が決まるまで、一番下の妹の道(みち)と一緒に住んでいたが、道は私と雄さんに気を遣って他に部屋を借りた。
     長らく道の手料理にお世話になっていたので、これに関しては少し痛い。
     もう一人の妹の友(とも)も関東に出てきたばかりの頃には、この家で一緒に生活をしていた。
     姉妹三人の生活は十数年ぶりで、毎晩のように夜遅くまでさまざまな話をしては楽しんだ。
     仕事のこと、会社で食べに行ったおいしい料理のこと、そして恋愛についても。

     意外にも私たち姉妹の中で最も恋愛に聡く、行動派だったのは友だった。
     相変わらずの魚眼レンズのような眼鏡をかけているのだが、その服装はさながらシティ・ガールのようであった。
     会社関係で知り合った人たちと繁華街に出かけて行っては、さまざまな職種の人達と食事をする。
     そこで得た人脈を生かし新しい仕事にも転職し、女性であるにも関わらず、会社の経理統括の仕事に就いたのだ。
     なんとも世渡りの上手な子だと思う。

     そんな友が結婚すると聞いたときは、驚きを隠せなかった。
     三十歳を前にして、造船業を営む個人事業主の社長と結婚するとのこと。
     下手をしたら姉妹の中で最後に結婚すると思っていたのに、なんとも世の中とはわからないものだ。

     道は私の姉妹であることは隠さず、同じ病院で数年前から働いている。
     私に次ぐ異例の速さで看護師長になり、その将来を期待されている。
     向上心で道は、私以上だと思う。
     そんな成長ぶりに姉として、誇らしく感じる。

     道の配属は救急救命病棟。
     病院内で最も瞬時の判断が求められ、医学・看護・処置の知識量が問われる部署だ。
     ある意味、勉強熱心な道には向いている部署なのではないかと私は思う。


     道とはよく込み入った仕事の話をする。
     お互いの忙しさや不平不満。
     さらには病院内の人間関係などの情報交換をビール片手に深夜まで行う。
     ここまでくると姉妹というより、パートナーだ。
     そんな道の姿に私は頬が緩む。

     道は「私は仕事と結婚するのよ」なんておどけているのだが、私は知っている。
     道にもいい人が、最近できたことを。
     雄さんと私が結婚することが彼女にとって、一つの刺激になったのであろう。
     今後、道が一人暮らしをはじめても、姉としてさまざまな相談はずっと続いてゆくだろう。



     雄さんとお互いの仕事が充実し、楽しかったこともあり、私たちは十二分に仕事に精を出した。
     毎日は忙しいが、充実していた。
     だから、子供のことは考えていなかった。

     
     結婚から三年が経過した頃、妊娠が発覚した。
     元から体格がよかった私は妊娠している感覚に疎く、気づいたときには妊娠二十五週を経過していた。
     この時期を越えると、今でいう優生保護法(当時は母体保護法)の関係で堕胎手術を行うことができなくなる。
     まあ、元から雄さんとの子供であれば、堕胎などするつもりはないのだが。
     
     職場にもこのことを報告すると、思った以上の反応があった。
     産婦人科ということもあったからか、それとも尊敬する山本先生がいらっしゃったからか、私はぎりぎりまで勤務をしながら、職場で定期診断を受けた。

     確かに寝食、仕事をともにする仲ではあるが、診察までしてもらうことになるとは。
     なんとも病院で働く人間たちの私事介入への非常識さには驚く限りだ。


     雄さんも妊娠を非常に喜んでくれ、毎日のように早く帰ってきては夕食を作ってくれた。
     仕事でのお酒の付き合いも最小限にし、家で飲むことも少なくなった。
     隣の江国もいろいろと気を遣ってくれ、雄さんがいないときに買い物に行ってくれるほど。

    「まったく幸せ太りだと思ったら、本当に妊娠しているとは笑い話だよな。私よりも先に結婚して、しかも、子どもまで手に入れるとか。一応の世間でいわれている幸せといわれるものを全部手に入れたんじゃないか。妊娠中毒になるから、太りすぎんなよ」
     江国はビール片手に憎まれ口を吐く。
     そんな言葉の中にも、彼女なり優しさが詰まっていることを私は知っている。

     友人にも雄さんにも気を遣われ、とても優しく、安心した妊娠期間を過ごさせてもらった。
     私はすべての意味において、公私ともに充実した日々を過ごさせてもらえた。
     もちろん、雄さんのご両親もすごく喜んでくれた。
     緊張に溢れたお義母様との時間があったとは思えないほどに、満面の笑みをもって祝福をしてくれた。

    「こんなにも多くの人たちに愛されて生まれてくる子はとっても幸せだろうな」
     なんて、希望と喜びの光で私の心は満たされていた。



     私はその体格に似合わず、どうやら骨盤が狭小らしい。
     そのため、通常分娩ができず、帝王切開でしか出産できない。
     幸か不幸か、山本先生が帝王切開をする運びとなった。
     私のお腹の中の子は、どういうわけかエコーに向かって笑顔をつくったり、下半身の大きな袋も披露してくれた。
     そのため、生まれる前から性別がわかり、それは雄さんのお義父様を破顔させた。

     予定日まではしつこい長雨が続いた。
     しかし、前日の夕方には雨はやみ、空には満点の星が溢れていたという。
     そうしてこの家の嫡男となる「白(ハク)」が生まれた。
     



     出産に伴う休職は結局のところ、数日のみだけだった。
     私は1週間後には病院内の保育所に白を預け、病棟に復帰し、仕事をはじめたのだ。
     別にお金がなかったわけではない。
     私にのしかかる責任から出勤をしたのだ。
     それに仕事が楽しかった。
     私を待ってくれている人たちがいる。
     だからこそ、どうしても仕事が続けたかった。

     白も加えた三人の多忙な毎日を過ごしているうちに、なんと二人目を妊娠したことがわかった。
     すぐに雄さんと雄さんのご両親に相談し、出産する運びとなった。

     私が夜勤であるときは、雄さんが白の面倒を見てくれ、土日にはご両親のもとでゆっくりと過ごさせてもらった。

     二人目ができたことで雄さんはより仕事に、子育てに注力していく。
     私が夜勤明けで眠いときには白を抱いて一晩中あやし、ほとんど寝てない状態で仕事に行くこともあった。
     さらに仕事が終わったあとは急いで、白を保育所に迎えに行くなど何よりも私の仕事を優先した生活をさせてくれていた。



     二人目の子は夏の暑い盛りに生まれた。
     「ケイ」と名付けたその子は、驚くほど私にそっくりだった。
     上の白よりもよく食べ、すくすくと育っていく姿に私も雄さんもこれが幸せなんだなとしみじみと感じたものだ。

     そんな幸せな時間はあっという間に過ぎていく。
     
     気が付けば3年が経過していた。
     私たちの人生はここから大きく変わってゆく。
     人生の波という大きなうねりは私たちを飲み込み、決して抗うことが出来ず、その潮汐にただ漂うことしかできないのだ。



     お義母様が突然、亡くなった。
     子宮筋腫から子宮がん、そして、がんが全身に転移し、最終的には多臓器不全により、その命に幕を下ろしたのだ。
     お義父様は目に見えるほど気落ちし、雄さんの実家の生活が傾いてしまった。

     お義父様の恐ろしいほどの変わりように、雄さんはかなり戸惑っていた。
     あの楽天家の雄さんが神経質になってしまうほど、精神状態はひっ迫していたのだろう。

     そんなある日、雄さんから相談があった。
     
    「すまない。仕事を辞めて、家に入ってくれ」
     私はこの言葉をほんの少しだけ想定していたが、やはり聞いてしまうと、心が大きく揺さぶられる。

     私はすぐには雄さんに決断のコトバを返すことはできなかった。

     すでに心の中では決断をしていたが、それを認めてしまうと私自身が壊れてしまうような気がした。
     私は仕事と家庭生活の合間にずっと涙を流し、自分の人生のはかなさを呪った。

     雄さんの顔も見ず、子供たちの世話と面倒、そして仕事だけを淡々と進める毎日。
     一週間後、私は雄さんが帰宅後、仕事を辞めることを静かに告げた。
     ポツリ、ポツリと言葉を紡ぎながら、いつまでも涙が止まらなかった。
     雄さんも泣きながら、いつまでも私たちは抱き合い、泣きあった。



     そのあとは、雪が転がっていくかのように進んでいった。
     仕事を退職する手続きを行い、荷物をまとめ、そしてマンションを他人に貸す手続きを行う。
     そして、雄さんの実家へと引っ越し。

     あっという間に純和風である雄さんの実家は子供のおもちゃや洋風の家具が並ぶ家へと変化していった。
     お義父様とお義母様に少しだけの申し訳なさを感じつつ、私たちの匂いが入り込んでいくことに幾分かの安心を感じた。
     そんな小さなことに、家族としてもう一歩進めた気がした。


     雄さんのお義父様を元気づけたのは、他でもない白とケイだった。
     お義父様が仕事から帰ってくると玄関まで、私より早く迎えに出る。
    「おじいちゃ~ん! おかえりなさ~い! だっこ~して~!」
     そう二人でせがむものだから、お義父様は照れ笑いをしながら、二人を抱きかかえて笑顔を漏らしていた。
     決して癒えることがない痛みを少しでも、子どもたちが紛らわしてくれたことはお義父様の心にもよかったことだろう。

     こんな満ち足りた新しい生活の中でも私は、もの足りなさを感じていた。

     そして、このとき私は三人目の子をお腹に宿していた。


     
     三人目は男の子だった。
     一人目の白とは異なり、私にとてもそっくりの子で「典清(てんせい)」と雄さんは名付けてくれた。
     お義父さんは典清をお義母様の生まれ変わりだといい、とてもかわいがってくれる。
     家族の愛に包まれ、三人の子どもたちは日に日にすくすくと育っていった。

     
     私はこれまで仕事に使っていた時間を子供たちとのコミュニケーション、家事へと広く向けていくことに注力していく。
     だって、他にはやることがないから。
     幼い子供たちの世話をし、お義父様と雄さんの夕飯を作り、帰宅を迎える。
     そんな仕事とは違う忙しい間一二を過ごしていたのが、家事も次第に慣れてくるもの。
     私は家事をしながらも、何か新しいことに挑戦をしたくなったのだった。


    「幼い子供たちと一緒の買い物でも、車があれば自由度が上がる」
     と、感じた私は早速、雄さんに自動車普通免許を取得していいかの相談をした。
     雄さんは二つ返事で了承。
     お義父様は、
    「女性が運転してもいいモノなのだろうか」
    と、心配されたが、私の性格を知ってか、最終的には認めてくた。


     自宅から一番近い教習所は送迎のバス付きだったので三人の子供たちを連れる私にとっては、とても助かるものだった。
     しかも、教習所には託児所があるので、これを利用しない手はない。
     
     だが、託児所には年齢制限があるため、白とケイは対象外。
    「お母さんが教習を受けている間は、二人だけで遊んで待っていて」
     と、幼い二人に無理をお願いをした。

     彼らはお互いに示し合わせるように視線を合わせ、イタズラな笑みを浮かべながら、
    「大丈夫! きちんとイイ子でまっているから!」
     と、言うのだ。
     子どもというのはあたまも、ずる賢さも成長をしていくのかと感じたが、まあ仕方がない。
     
     待っている間を埋めるものとして本やおもちゃを買い与えたのだが、それらよりも新しい場所で遊ぶのは、彼らには楽しかったようだった。
     今考えれば、不審者に誘拐されるリスクがあったかもしれないことに少しだけ、自分の行動を反省する。
     まあ、彼らのちょっとした反抗心や冒険心を養えたのは良かったのかとも思う。

     教習訓練や授業は今の私にとって新鮮なモノだった。
     人にモノを教わるということは、思い返してみれば看護学校以来、約二十年振りだ。
     そのためか、新しい知識を私の脳みそは、スポンジが水を吸収するように容易に知識を得ていったのだ。
     そうだ。
     私は新しい知識や経験を得ることが好きなのだ。
     今さらながらにこのことに、自動車免許取得の体験は気付かせてくれた。



     車を運転できるというのは、こんなにも楽しいものだったのか!
     なによりも行動範囲が圧倒的に広がる。
     今までであれば電車に乗り、混雑の中移動する距離を、車では快適に、早く移動することができる。

     私は子供たちの洋服や日用品、食材を子供たちの手を引きながら、重い荷物を抱え、自宅へと戻るという生活から解放されたのだ。
     この経験は私の子育ての可能性を広げるものだった。
     今の私でもできることがある。
     看護師の道から外れたとはいっても、私は家庭のことだけに囚われることはない。

     私は主婦以外の可能性がある。
     そう感じた私は、機会を見つけては外に出るようにした。
     白とケイを幼稚園に通わせ、他の母親たちとの交流を楽しむ。
     また、料理教室に通い、お菓子作りにも挑戦した。
     一度、交流をはじめると、面白いものでその範囲は拡大していく。
     主婦とはいえ、こんなにも世界が広がっていくとは思っていなかった。



     白、ケイ、典清はすくすくと成長し、年長の白が小学校への入学を迎えた。
     小学校にはPTAというものがあるらしい。
     幼稚園の頃の保護者会よりも多くの保護者が様々な部会を持ち、時には先生たちと討論を交わすこともあるという。
     どうせだったらということで、私はこれに参加することにした。

     これがまた、面白いのなんのって。
     六学年の父母が集まるので、保護者はさまざまな年齢層。


     私は結婚をしたのが二十九歳。
     白を生んだのが三十二歳だから世間でいえば、晩婚である。
     そのため、幼稚園の保護者会では、年下の保護者が多かった。
     しかし、小学校のPTAでは大部分の人と年齢が同じなのだ。

     土地柄もあって、母親も仕事を持っていることが多く、三十代前半に結婚した人が目につく。
     さらにインテリジェンスが高いことが、私を刺激する。
     知識、意識共に高い人が多いことに、最近では停滞していた私の気持ちも上昇傾向。
     小学校のPTA役員に立候補した私は、主婦としての仕事をしつつ、その仕事に没頭していった。
     
     いや、少し違う。
     PTA役員の方々との交流を楽しんだのだ。
     最も多く時間を過ごしたのは、白の一つ年上の息子を持つ新井さん。
     次いで、ケイと同じ年の息子を持つ池田さん。
     新井さんは、フルート奏者。
     池田さんは女性ファッション誌の編集長という仕事を持っていた。

     そんな二人の話は面白く、いつまで話をしていても飽きることはない。
     二人との交流もあってか、私は仕事を辞めてしまった喪失感を埋めることができた。
     そんな充実した毎日をすごす主婦時代にも終わりの時間が近づいてきていることを私はまだ知らなかった。


     
     白が三年生になる二月、その連絡は突然にやってきた。
     PTA役員会から帰ってくると、待っていたかのように電話が鳴り出した。
     受話器を取ると昔懐かしい声が耳に届く。

    「久、久しぶりね。元気していたかしら? 仕事よ。そろそろ復帰してもらうわ。今回は看護学校の講師且つ、婦長。あなたにしか任せられないわ。一週間後、返事を聞くからそれまでに決めといて」
     相変わらずナイフのように鋭く、手短且つ、簡潔に要件を伝える。

     そう。
     乾さんだ。
     彼女から現場に復帰するように指示があった。
     その夜、私は早速、雄さんとお義父さんに乾さんからのコトバを伝えた。

    「子どもたちがまだ幼いから……」
     と、いわれるかと思っていたが、そんなことはなかった。
     むしろ定年退職をしたばかりだったお義父さんは子どもたちの面倒をみてくれるとのことだ。
     雄さんももちろんOK。
     子どもたちに至っては、私がいつも家にいることに不自由を感じはじめていたためか、私が仕事に出ることを全力で喜んでいた。
     私が居ないことによって、ゲームが長時間できるからだろう。


     なんにせよ。
     私は仕事に復帰することになった。
     そして、家族にも仕事をすることを認めてもらえた。

     そう。
     ここからだ。
     再度、私の看護師人生がはじまる。


     
     
     
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