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Photo bycharusa

逃げ続けてきた親の問題と、少しだけ向き合えた日(親の介護問題)

    ずっと心に居座り続ける、重い鉛の球

    いよいよ、私の大きな課題に向き合うときが来た。
    親の問題。

    このことについて、今まで向き合うことが怖かった。
    考えることすら、自分の頭の中にこの話題が浮かぶことや
    親のことが頭に浮かぶことすら嫌だった。
    そういうことが思い浮かぶ自分も嫌だった。
    でもそんな自分を責めてもどうしようもないとも分かっていた。

    もう一生会わないし会いたくない。
    良い思い出のない故郷の土地は二度と踏まない。
    私の子どもにまでつらく当たってきたんだから、
    子どもなんて絶対に会わせない。
    そんなふうに思ってやってきた。

    でも、いつか来る葬式はどうしたらいいんだろう。
    行く気はないが、行かなかったらそのあとの私はどうなるんだろう。

    親族に責められ続けるんだろうか。
    それは無視したとして、自分が自分を許せるんだろうか。
    許すも何も、ただの儀式じゃないか。
    そして今起こっているわけじゃない。

    そう何度も考えても、消えない。
    どうして私は、こんな思い鉛の球を心に抱えて生きていかなきゃならないんだろう。
    ずっとそう思ってきた。

    それを誰かに言うこともうまくできず、
    ただ人がなんとなく怖くなって
    ちょっとずつ人から離れて、あまり自分を開示せず
    仕事では表面的な私を作ってすごし、
    毎日の子どもたちとの生活を守ること
    それだけを考えて生きてきた。

    連絡先をブロックした安心感と外す恐怖

    私は、6年前、離婚するために元夫との家を出て引っ越してから
    親との連絡を減らした。
    そしたら、ちょっとの連絡でも動揺することに気づいて、
    母からの連絡はブロックした。
    父は視覚障害があって、スマホは使えなかったので、電話だけがやり取りできる手段だったが、おそらく私の電話番号を忘れてしまったようで
    あるときからかかってこなくなった。
    (かかってくるときは、こちらが電話に出るまで何度も着歴が残っているのでそれも負担だった)

    連絡がないのは快適だった。
    離婚でも私は傷ついていたし、
    この間に少しずつ回復していったんだと思う。

    私には弟がいて、弟はずっと両親と同居している。
    結婚してからも、二世帯っぽい住宅に、弟家族と両親と住んでいる。

    弟には離婚になったことはLINEをした。
    その時は「人生いろいろあるよな」みたいな反応だった。
    細かいことが何にも分からない父が、
    「なんでや?どないなってんねや?なぐられてないんやったら
    なんでや?」とばかり言ってきたのとは違うなと思った。

    2年前くらいに、弟から、
    父が認知症っぽい症状が出ている、筋力も弱ってきていて大変だ、
    みたいな連絡がきた。
    母と連絡を取ってほしいのことだった。
    私は、母と連絡を取ると考えると体が震えるほどつらいので、
    それは難しいということを、丁寧に伝えた。

    それを書くだけで、私にはもう精一杯で、過去のことを思い出すだけでもつらくて、それで弟もブロックした。
    そのまま、しばらく経った。

    母の病気という急展開

    そんななか、1か月前くらいに弟から着信が数回あった。
    それも無視していた。でも怖かった。
    楽しいことも楽しめなくなった。

    偶然、そのとき入っていたメンバーシップでのオンラインお茶会があって、
    近況を伝える時にこのことを発表してみた。

    主催者のカードリーダーのLitaさんから、
    「お母さんと接するのは置いといたとしても、弟さんとの連絡は確認してもいいのでは?そうしないと、見えないものを怖がることになって
    怖さが倍増してしまう」みたいに言われて、
    正直「そんなこと言わないでほしい」と思ったけど、
    ごもっともであるとも思い、
    思い切って弟のLINEのブロックをはずした。

    今相談しているカウンセラーさんとのオンライン対話の最中に見てみるという念の入れようだった。
    カウンセラーさんと相談して返事をしたけど、
    弟からはとても冷たい返事が来た。
    今までブロックしていたことを責められるような内容だった。
    ショックだった。
    思い切ってやったのに、なんでこんな目に合うんだと思った。

    ただ、弟のLINEはつながるようにしておくという手段がとれたので
    情報が入るようになったことは、いいことだった。

    弟は、父の介護がたいへんだから、母と直接やり取りしてほしい、間に入りたくないと言ってきたが、そこは置いといた。

    そしたら、母ががんであり、近々手術をするという連絡がきた。

    驚いたが、すごく冷静だった。そんなこともあるだろうと思った。

    母は健康が自慢な人で、
    どこか病気を軽んじている節があった。
    私はずっと「体が弱い」と言われてきた。
    だからずっと自分でもそう思っていた。

    でも数年前、「私は1年に何回もインフルエンザになるときがある」
    という人を聞いたとき、人生で数回しかかかったことのない私は
    別に弱くないのではと思った。

    自分に子どもができたり、仕事で乳幼児さんと関わるようになって、
    子どもの頃にしかかからない病気がたくさんあると知った。
    (看護の勉強のときに知ってたはずだけど、実感を持ったってこと)
    私がかかっていた病気も、そういうものたちだったと思う。
    でも、母はそれすら嫌だったようだ。
    まあ、確かに子どもが病気になるとイレギュラーがいろいろ起こるし面倒くさい。
    それが嫌だったんだろう。
    私を「体の弱い子」認定することで、ちょっとは気が落ち着いたのかもしれない。
    でも、園を休んだ時も、みてたのはおばあちゃんなのになあ。
    義母に頼っているくせに、弱いところは見せたくなかったのかもしれない。

    そんな母が、いよいよ大きな病気になった。
    しかも、私の家系でがんになった人はいない。
    心の準備は少なかったと思う。

    母はきっと動揺しているだろうなと思った。
    そんな動揺している母に、弟家族は振り回されているかもとも思った。

    母のブロックを解除してLINEを見てみようか、と考えた。
    私の課題なのだろうかと思った。
    私は何にこだわっていて、何を乗り越えないといけないんだろう。
    でも、今自分が壊れるわけにはいかない。
    壊れないように、向き合うにはどうしたらいいんだろう。

    苦しかった。

    チャネリングで気づいた、母の課題と私なりの優しさ

    そんな時、母をチャネリングしてみた。
    母は何を考えてるんだろうと。
    前だったら、母のことを考えることすら嫌だった。
    たぶん、病気と聞いて、弱っている母だったら
    立ち向かえるかもと思ったのかもしれない。

    超絶不謹慎だが。
    それくらい、私にとっての母は恐ろしい大きすぎる存在だった。

    私はチャネリングしてもまだそんなにいろいろ浮かんでくるわけじゃないが、
    母のことを考えてみると
    「つらい、話を聞いてほしい」
    ということが出てきた。
    まあそうだろう。
    きっと話を聞いてほしいだろう。
    じゃあ聞くのか?私が。

    と考えたとき、
    「向き合う時間も必要」
    と出てきた。

    つらいとき、手っ取り早く娘に話を聞いてもらって、そのつらさをなんとなくどこかにやった感覚になって、ちょっと楽かなっていうのは、小手先の手段で、しかも今まで母がよくやってきたやり方だ。

    今まで自分が軽んじてきた「病気」「病気の人」
    病気になった時のメンタルのしんどさ。
    気力だけではどうしようもならないもどかしさ。

    病気は、それだけがしんどいんじゃない。
    そういうことに、今、母自身が自分の体験を持って
    向き合う時期じゃないのか。

    そういう母の課題がやってきているのじゃないか。
    そう感じた。

    だから、LINEのブロックはそのままにした。
    今は自分の身体と心と向き合ってください。
    そう思った。

    それは母が向き合うための、私なりの優しさだと思った。


    手術は無事に終了したと弟から連絡がきた。

    そしてしばらく経って、また連絡がきた。

    境界線を引くこと、そして現れた「優しい現実」

    母の抗がん剤治療が始まるとのこと。
    2泊3日での入院が6回ある。

    その対応はもちろんあるが、
    その時に視覚障害で認知症も始まっている父をどうするのか問題が立ち上がってきた。
    弟から、自分も仕事を調整するが、無理な日があるので
    どの日か帰ってこれないかと連絡がきた。

    ずっと帰らないと決めていた実家。

    怖さはなくなったわけではない。
    無理だということもできる。

    でも今回、チャンスかもしれないと最初に感じた。
    6回のうち、何回かは調整はできそう。
    母は入院するのでそこまで顔を合わせなくて済むかもしれない。
    実家の様子が分かる。
    そして、できる範囲でやったことで、弟からの攻撃をちょっとはやわらげられるかもしれない。
    今回実家にちょっと帰ったら、葬式にちょっとくらい顔をだせるかもしれない。

    そんなことを考えた。
    計算高いのかもしれない。

    私に必要なこと。
    境界線を引くこと。

    今まで、「役に立たない自分は価値がない」と思ってきた。
    だから、実家でも、結婚していた家庭でも
    自分をすり減らして、差し出して、「私なんて何の価値もないんです」
    というのを丸出しでやってきた。

    その結果、周囲の人からはいいように使われ放題だった。
    ひどいひどいと思っていたけど、
    そうアピールしていたのは私だった。

    その癖は抜けないけど、
    構造はちょっとだけ分かってきた。

    私に、できることはできる。
    できないことはできない。

    好きなことがあってもいいし、好きでいていい。
    逆に嫌いなものがあってもいいし、それは無理強いされないでいい。

    やっとこの歳になってそんな当たり前のことに気づいてきた。


    弟に、〇日なら〇時までなら帰れる、と連絡をした。

    やり取りをしているうちに、後半の3回は日程が変わるということが分かり、
    前半3回も弟が対応できるということで
    それまではいかなくてもよくなった。

    やり取りの中で、
    父がデイサービスに行っていること、
    日曜日はデイがないので入浴介助もあって大変なこと、
    夜にトイレに行くと迷子になって自室に帰れないことがあること
    そんなことは分かった。

    7月には実家に帰る、と息巻いていたのがなくなって、
    今はちょっと気が抜けたけれど、
    弟との連絡は少しできるようになった。

    私は、怖かったけれど、必死に向き合ったことで
    ちょっとだけ進展はしている気がしている。

    人生は、よい方向にしか進まないらしい。

    本当に私にとって怖かったことは、少しだけ小さくなっている気がしている。

    苦手な人があなたから離れていく方法っていう動画を見た

    少しづつ、卒業できたらいいなと思っている。
    介護の問題はまだまだこれからだけれど、きっと何かがいい方向にいくような気がしている。

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