
私の中には、まだ開けていない引き出しがある。
私、自他共に認める「記憶喪失」です🤣
今日のお題は、
「noteを書いてみて、私に起きた変化」。
文章が上手になった?
いや、それはまだまだ😆
毎日書く習慣がついた?
毎日は書けてないし~もっと違うことのような気がします。
私は本当に、よく忘れます。
毎日いろんなことが起きているはずなのに、ぼーっとしていると、その日の出来事さえ、どんどん流れていってしまう。
昨日、何してたっけ?
誰と会ったっけ?
何を話したっけ?
ましてや、何年も何十年も前のことなんて。
これだけ長く生きてきたんだから、本当はもっともっと、いろんな出来事に出会って、いろんな感情を抱いてきたはずなんです。
なのに、
「私って、そんなに何もなかったのかなぁ」
と思うくらい、記憶に残っていることが少ない。
淡々と生きてきたということなのか。
それとも、大きな波風に揉まれることなく生きてこられたということなのか。
そう考えると、それはそれで超幸せなことなのかもしれません😊
でも、noteを書くようになって、ちょっと変わりました。
毎回、お題があるからです。
「これって、どういうことだろう?」
「私にも、そんなことあったかな?」
そうやって考えていると、忘れていたことが少しずつ浮かんでくるんです。
私の記憶の中には、たくさんの引き出しがあるような気がします。
でも、それは中がまったく見えない引き出しではありません。
薄い紗が一枚かかったように、向こう側がほんのり透けて見える。
お題をひとつもらうと、その紗の向こうに、いろんな記憶がぼんやり浮かんできます。
子どもが小さかった頃のこと。
私が病気をした頃のこと。
誰かと出かけた旅先のこと。
誰かと交わした言葉。
お題とは直接関係のないことまで、
「あ、そういえば、こんなこともあったなぁ」
と、ふっと見えてくる。
そして、その引き出しの上をスーッとなぞるように、記憶をたどっていく。
すると、
「あ、これだ。」
と思うところがあるんです。
そこで、
カチッ。
鍵が合う。
引き出しを開けてみると、
「あった、あった!」
忘れていた出来事が出てくる。
それだけじゃありません。
誰と一緒だったのか。
どんな話をしたのか。
その日は晴れていたのか、雨だったのか。
何が嬉しかったのか。
何が寂しかったのか。
ちょっと悔しかった。
少し腹が立った。
そんな、そのときの自分の感情まで、一緒に出てくることがあります。
あれ?
私、ちゃんといろんなことを感じながら生きてたんだ😊
何もなかったんじゃない。
忘れていただけなのかもしれません。
そして、昔はただの「出来事」だったことを、今の私がもう一度眺めてみると、
「あのときの私は、こんなことを感じていたんだ」
「だから、あの言葉がずっとどこかに残っていたんだ」
と、今になって意味が見えてくることもあります。
忘れていたことを思い出して、
景色をたどって、
感情をたどって、
もう一度そこに意味を見つけていく。
これって、結構な脳トレかも🤣
noteは、私の老化防止にもなっているのかもしれません。
でも、それだけじゃない。
noteを書き始めて私に起きた一番大きな変化は、
自分が生きてきた時間を、もう一度丁寧に拾うようになったこと。
なのかもしれません。
もし「好きなことを自由に書いてください」と言われていたら、きっと私は、今、目の前で起きていることばかり書いていたでしょう。
でも、お題がある。
だから、自分では開けようとも思わなかった引き出しにまで、手を伸ばすことができる。
きっと私の中には、まだまだ忘れていることがいっぱいあります。
でも、そう思ったら、それもちょっと楽しみになってきました😊
次は、どんなお題が来るんだろう。
そのお題は、私のどの引き出しを開けてくれるんだろう。
まだ開けていない引き出しの中には、
私自身も忘れている「面白い私」が、
まだまだいっぱい眠っているのかもしれません😆