Jewelry Auction 10
十
シルダに案内されるまま辿り着いたのは、普段看守が客室として使用している部屋の前だった。
客室へ繋がる廊下の曲がり角を曲がった瞬間、心臓の奥底を震わす怒号が聞こえて来て、思わずギョッとして立ち止まった。
男の怒鳴り声と、必死に抵抗している悲痛な叫び声が部屋の中から響いており、まるで世紀末だ。
然しそれにシルダは怯むこと無く、ドアを思い切し蹴り開けた。
まず見えたのはグロルスタに馬乗りになって顔を殴り付ける看守の姿だった。
看守は目を血走らせて暴力を振るっており、その勢いで顔を覆う黒い布がひらりと揺れている。
懲罰房以外ではあまり見ることのないルチェルの姿に、僕たちは一瞬止まってしまった。
こいつに受けた過酷な折檻が思い出されて、その記憶が僕たちを縛り付けたのだ。
思わず一歩下がった僕の視界に、横になっている人間の足が見えた。
グロルスタとルチェル以外に、人が居る……?
そう思いながら倒れているのが誰なのか確認しようと顔を見た瞬間、僕は考えるより先に駆け出していた。
だってそれは、そこに倒れていたのは気を失ったナルリィだったから。
さっきまで怯んでいたのも全て忘れて、全速力で看守に向かっていく。
そして興奮で周りが見えなくなったのか、未だに僕たちの存在に気付いていない看守の後頭部に踵落としを食らわせた。
蹴りを喰らったルチェルは動きを止めて、ゆっくり前に倒れた。
気絶した看守がグロルスタの上に横たわったので、シルダが走ってきてそれを急いでどける。
そして、グロルスタの顔を見て。
シルダは黙り込んでしまった。
一体何があったのか。
倒れているナルリィにも駆け寄って行きたかったが、僕はそれよりもシルダの様子が気になった。
なぜ何も言わないんだ?
そう思うと心がザワザワとして、地面に両膝を着いて黙っているシルダの肩を引っ張って押し除けた。
よく見えるようになったグロルスタの姿は、悲惨なものだった。
ずっと殴られていたのだろう。
顔全体が真っ赤になって、目からは血が噴き出ていた。
何時もは長い前髪で隠れていた目は少しだけ開かれており、髪はボサボサで艶がなく、絡まり合っていつもの倍以上に膨れ上がっている。
僕は縋り付くように地面に膝をついて、身体を抱き上げた。
すごく重たくて、まるで死体みたいだ……。
……。
まさか。
あり得ないと否定する材料が欲しくて、グロルスタの心臓に耳を近づけた。
耳の血管がドッ、ドッ、っと脈を激しく打ち始めて、耳の内部が腫れ上がったような苦しさを感じた。
どうか僕の想像を裏切ってくれと最大限まで聴力を高めても、呼吸の音は聞こえてこなかった。
まさか……!
「……。そ、んな。」
「ロコル……。」
「まさか死んでるの?そんな訳……。だってさっきまで……!」
助けを求めるようにシルダを見上げたが、帰ってきたのは沈黙だった。
シルダは僕よりも死に近い男だった。
僕よりも沢山殺してるし、沢山見送っている。
だから、シルダが何とかグロルスタを救おうとしない所から、嫌でも分かってしまった。
「何でだよ……!生きてたでしょ!?何でいま、」
グロルスタの頬は温かく、ただ眠っているだけの様に見えた。
さっき迄生きていた人間は、こんなにも温かいものなのだろうか。
シルダは死んでいると思っているけれど、それは間違っているのではないか。
本当はまだ、どうにかできるのではないか。
俯いて考える僕の肩に触れながら、シルダが喉の奥から出したような、低く落ち着いた声で言った。
「此奴は、オレたちが来るまでナルリィを守ったんだよ。それで、オレらが来たことで、役目が終わったんだ。」
「そんな風に思えって!?ねぇ、まだ何とかなるんじゃないの?シルダならどうにかできたりしないの?」
「……。ごめん、無理だ。」
当たり前だ。
分かっている。
グロルスタの魂がもう此処にないことも、それをどうにかする術が無いことも。
そして、僕らに残されている時間が少ないということも。
ちらと倒れている看守を見遣る。
今は気絶しているが、いつ起き上がってくるかも分からないのだ。
なら、僕たちはやるしかない。
看守の目が覚めるまで何も出来ていなければ、きっと殺されて終わる。
グロルスタを殺したように、僕らも同じことになるだろう。
「……看守、どうする?」
「取り敢えず縛るもん探す。ホントは殺したほうがいいんだけど、今、何もないからな。」
そう言いながらシルダは急足で部屋を出て行った。
一人になった僕はハッとして、今も倒れているナルリィに近づいた。
頽れるように膝をついてナルリィの呼吸を確かめる。
意識を集中させると、少し遠いところで鼓動の音が聞こえて来て、安心感から身体の力がふっと抜けてしまった。
そして安堵して落ち着いて来た頃、ナルリィの首元が不自然に赤くなっているのに気がついた。
「何……これ?」
よく見ると、細い植物の棘のようなものが赤く腫れた患部の中央に刺さっている。
目を凝らしてゆっくりと指を這わせ、丁寧に引っこ抜いた。
まるで針のように見えるが……。
ん?針……?
もう一度倒れているナルリィに目を遣り、赤く腫れた箇所に指を這わせた。
その後、遠くで動かなくなったしまったグロルスタを見て……。
「ロコル、看守縛るの手伝、」
「シルダ、大変だ!ナルリィが蜂に刺されたかもしれない!」
◾️
「クソッ!どんどん呼吸が浅くなっていく……!」
「きっと、刺された場所が気管に近かったんだ!それで、毒によって粘膜が腫れ始めてるんだ。」
「もしそうなら、後数分で呼吸が出来なくなって死ぬぞ……!」
「どうしよう!全然出てこない……!」
何とか刺された箇所から毒液を押し出しているが、力が足りないのか、やり方が間違っているのか上手くいかない。
こうしているうちに、ナルリィの顔色はどんどん悪くなっていく。
きっとまともに酸素を取り入れられてないんだ!
然し、病院なんて何処にあるか知らないし、そもそも知っていても行くことなんて出来ない。
解毒薬なんて作ったこともなければ、飲んだこともない。
全くの無縁なのだ。
ここに毒抜き器なんてある筈がないし……。
待てよ。
解毒、毒抜き……。
その瞬間、頭の中で火花が弾けた。
ないと思っていたが、いいや、あるじゃないか!
これなら助けられるかもしれない!
「シルダ!元の姿に戻ってくれ!」
「は!?何で、……ぁ、そうか!」
僕の言葉を聞いて、シルダはすぐに理解をしてくれた。
そして目を閉じて……。
次の瞬間、シルダは真白い光に包まれた。
光の粒子一つ一つは柔らかい光を発しているが、それが集まるとまるで閃光弾のような光量を放つ。
その眩さに、思わず顔を腕で覆って目を閉じる。
数秒経ってゆっくりと目を開けた先に居たのは、シルバーの鬣をたらりと下げてナルリィを無言で見下ろす一角獣の姿だった。
肌は艶やかなオーロラ色で、瞳は夜明けに差す太陽の光のように透き通って見えた。
暗い照明に照らされた角は満月のように輝いている。
その存在だけで、まるで此処が神聖な森の奥になったかのような錯覚を覚えた程だった。
彼は静かな目でスッ、スッと浅い呼吸を繰り返すナルリィを見下ろし、ゆっくりとその美しい角を患部に近づけた。
すると赤く腫れ上がった喉元がポワリと光り、忽ち腫れが治っていく。
然しそれとは対照的に、ナルリィの喉を治した角は力を使い切ってしまったのか、ゆっくりと崩れて行き、壊れる砂の城ように元の形を失った。
角を失った一角獣は、とても寂しく見えた。
だけどその優しそうな瞳は自分の行動をまるで後悔していないように見えて……。
真円の琥珀に、全てを呑み込むような、そんな大きな愛情を感じた。
「ん、ぅん……。」
「、!ナルリィ!」
「あ、れ……わたし、」
ナルリィは瞼を重たそうにゆっくりと持ち上げ、焦点の合っていない目で僕の顔を見上げた。
そんな姿に、僕は心の底から安心して、
「やだ、どうして泣いているの?」
「君が、生きてくれていることが嬉しくて。」
元通りになったナルリィの喉を、確かめるように撫でた。
ナルリィは肩を揺らして僕を幼い少女のような目で見つめた後、何処か安心したようにゆっくりと笑った。
◾️
「つまり、グロルスタはナルリィを守る為に針を刺したの?」
そう尋ねると、ナルリィは躊躇いながら気まずそうに頷いた。
彼女自身イマイチ現状の把握ができていないのだろう。
彼女が話した内容はこうだ。
毎日課せられる作業をしていると、突然作業室にルチェルが入って来て、私を強引に客室に連れて行った。
何で私が呼ばれたのか分からなくて黙っているとルチェルに突然投げ飛ばされて、馬乗りになって抑えつけられた。
その時、彼は「地下洞窟に行ったのか。」と叫んでいた気がする。
私も何が何だか分からなくて、あまり覚えていないのだけれど。
それで、「行ってないわ。」って言ったら、「ならベリアが嘘を吐いてるってことか」って……。
何でそこで彼女の名前が出てくるのか、分からなかったわ。
話したことも少ししかないし、ベリアってどの子だったかしらって思ったくらいだもの。
地下洞窟……っていうのがあること自体、初めて知ったわ。
だけど、同時に思ったの。
きっとベリアが、私が地下洞窟に行く姿を見たって看守に行ったのだわって。
それに気づいた時には、もう意識が朦朧としてて……。
ええ、首を絞められていたみたいなの。
それで、何も言えないまま気絶してしまって……。
「きっと、心配したグロルスタ……?が、様子を見に追って来てくれたのよ。」
「そこで、グロルスタはナルリィを……。」
取り敢えず、こうなった経緯はある程度分かった。
まだナルリィ側の話しか聞いていないので、全てを理解できた訳でもないが。
「だけどよ、それっておかしくないか?」
「?可笑しい?何が?」
「だって、何でグロルスタはナルリィを守る為に針を刺すんだよ。普通、ナルリィを襲ってる看守に刺すだろ?」
「確かに、おかしな話だね……。」
言われてみればそうなのだ。
ルチェルが刺されているならまだしも、何故わざわざナルリィを刺したんだ?
そして、どうしてそんなグロルスタを看守は襲っていた?
もしナルリィに恨みがあって殺そうとしているのなら、ナルリィを刺したグロルスタを殴るのは可笑しくないか?
「……詳しくは、コイツに聞くしかねぇってことだな。」
そう言いながら、シルダは手足を縛られて懲罰室に横になったルチェルを見下ろした。
黒い布のせいで表情は見えないが、首元が真っ赤になっているところからして、非常に怒っていると見た。
まあどうせ、懲罰室には誰も、他の看守さえ近づかない。
僕たちがやっていることがバレる可能性は低いんだ。
「ちょっと、話聞かせてくれよな。」
看守の側にしゃがみ込み、シルダが顔を覆う布をぺらりと捲った。