
エッセイ|趣味は映画鑑賞です
大学2年の春、初めてのゼミ。
「趣味は映画鑑賞です。」
「K-POPをよく聞きます。」
「最近はアニメにハマってます。」
その瞬間、私は心の中で冷笑してしまう。
——はいはい雑魚紹介ね、と。
我ながらひどいと思う。でも一回そう思ってしまうともう後には戻れない。
自己紹介の時間、私はとても性格が悪くなる。
誰が一番面白いか、そこにしか目がいかない。20年生きてきて自己紹介という儀式に飽きてしまったのだ。
「名前」「出身地」「趣味」「みんなに一言」
30秒もあれば終わる。1階から4階のエレベーターより短い。
それなのになぜか緊張している。私も、、みんなも。
「変な人だと思われたくない」の緊張であろう。
自己紹介の際に真面目そうな女の子がいうセリフ
第1位
「これ変じゃないよね?」
何百回も聞いた。
みんな無難でありきたりな趣味を言い最速で次の人にバトンタッチしている。
こんな儀式、何の意味があるのか
今後一生会わないであろう人とか,行ったことないけど合コンの自己紹介とか,それなら無難でいいと思う。
しかし長い付き合いになる場合は無難である必要はないだろう。
自己紹介は互いを知るためのものなのだから覚えてもらえなくては意味がない。本来インパクト勝負であるはずだ。自己紹介の後に「名前なんだっけ?」って聞かれるあの瞬間が虚しい。あっ覚えてもらえなかったんだ。って。
その虚しさを味わいたくない。
何が何でも1発で覚えてほしい。
そのためなら何だってする。
変な趣味を堂々と言ったっていいし、大喜利をしたっていい。
では私はどうだったか。
高校の時の私の自己紹介はこれだ。
「基本寝てるので起こしてください。」
「意外とたくさんしゃべるので話しかけてくれたれ嬉しいです」
、、、つまらない。
今までの威勢のよさは何だったのかというほど私自身がつまらない。これでも趣味:映画鑑賞の人よりは面白いと思っていた。
本当の面白さってなんだろう
大学に入学して好きなお笑い芸人さん観たさに時々お笑いライブに行くようになった。
お笑いライブに行くと芸人さんがとても輝いている。日常を思わぬ角度から見つめ、それを面白く言語化している。
私が探していた面白さは、多分これだった。
私は自己紹介の際に面白い人を探しているつもりだった。
実際は変な人を探していただけだった。
自分の情けなさに落胆したその日から、全ての質問を大喜利だと思って答えるようにした。
マイブームは?
→「スマホのインカメを鏡代わりにする人いるじゃないですか、あれにこっそり映り込むことです」
授業での問い、自由とは何か?
→インターホンを肘で押す常識にとらわれない思考
好きな物は何ですか?
→黒板消しクリーナーの音です。
こんな感じだ。
まだまだつまらない。
しかし高校のときよりはマシになっているし、何よりつっこんでもらえてる。ちなみにそれなりにウケてる。
つっこんでもらえることが嬉しい。最速で次の番だったペースが私で乱れるこの感覚、、、。
自己紹介について考え続けて気がついたことがある。
私は変な人に思われたいわけでも面白い人に思われたいわけでもない。
「反応が欲しい」
ただそれだけだったのではないか。
「あの人名前なんだっけ?」じゃなくて
「あの、ボケてた人ね。」って言われたい。
自己紹介は自分を説明する時間ではない。
相手に小さなフックを残す時間なのだと思う。
だから今でも私は性懲りもなく大喜利をする。
そしてまた誰かが「趣味は映画鑑賞です」
と言うたびに考える。
もしかしたら、その人の話にはとんでもなく面白い話が隠されているのかもしれない。
インド映画しか観ません。
自主映画作ってます。
邦画に英字幕をつけています。
そのように考えるようにはなった。
なったのだが——
やっぱり1番最初に出てくる言葉は
「はいはい、雑魚紹介ね」
である。
20年かけて築き上げた性格はそう簡単には治らない。
次の自己紹介でも私はきっと心の中で採点を始める。
そして、自分が一番つまらない可能性に怯えるのだ。