
スッタニパータ 第一 蛇の章【2,ダニヤ】-19
古代の経典(『スッタニパータ』の「ダニヤ経」第19偈)に由来する詩ですね。牛飼いダニヤが自分の財産や安全を誇るのに対し、ブッダ(師)が内面の平安を語る対話の一節です。
この精神や情景を現代のシチュエーションに置き換えたショートストーリーを作成しました。
【現代風物語】『嵐の夜のノマド』
雨脚が急激に強まり、東京の夜の街を激しく叩きつけていた。
高層ビルのラウンジからは、高級外車に乗った男が電話で誰かに叫んでいるのが見えた。 「俺の口座には十分な金がある! 家も強固なセキュリティで守られている! どんな不景気も、どんな災難も俺を崩すことはできない! 降るなら降ってみろ、いくらでも耐えてやる!」
同じ頃、川沿いの小さな24時間カフェのテラス席に、バックパックひとつで旅を続ける青年が静かに座っていた。ガラス屋根を打つ雨音が賑やかに響いている。
彼は温かいコーヒーのカップを両手で包み込み、スマートフォンの画面を伏せた。SNSの承認欲求や、他者との比較による焦り、かつて自分を苦しめていた「もっと欲しい」「負けたくない」という心の炎は、いつの間にか綺麗に消え去っていた。
誰かへの怒りも、自分の考えに固執する頑なさも、今の彼にはない。彼を取り巻く過去の「自分を守るための強固な壁(プライドや所有欲)」はとっくに解体され、心は素裸で自由だった。
猛烈な風が吹き抜け、川面が波立つ。
青年は静かに夜空を見上げ、心の中で小さくつぶやいた。
「私の心には何の怒りもなく、何かに縛られることもない。今夜はこの川のほとりで、ただ静かに夜を明かそう。心の迷いや欲望の火はもう消えた。空よ、降らせたいなら、いくらでも雨を降らせるがいい。」
激しい嵐の中でも、青年の瞳と心は、穏やかな静寂に満たされていた。