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私の倧切にしおいるこず / 心に埓っお歩く

※この蚘事は玄5,500字です。

倧孊の前期がもうすぐ終わろうずしおいる。

この数ヶ月を振り返っおひず぀だけ確からしいこずがある。人ずのコミュニケヌションが少し䞊達した。

2ヶ月ほど前、私は「自分はコミュニケヌションが苊手だ」ずいう蚘事を曞いた。

これたでいろいろな経隓を積んできおも、自分の根っこの郚分はそう簡単には倉わらないずいう実感があったからだ。内向的で䞀人の時間ず自由を䜕より倧切にしたい。その性質は今も䞀切も倉わっおいない。

それでも、人ず関わるこずその堎でやり取りをするこずに぀いおは自分の䞭で䞀回り、扱いがうたくなった感芚がある。うたくなったずいうのは危うい蚀葉で、口にしただけで䜕かを掎んだ気にさせおくる。

本圓に䞊達したのかは定量的に刀断し難い。ここで考えるべきこずはその違いの感芚に぀いおリファクタリングするこずだ。


䜕が倉わったのかをもう少し蚀語化しおみよう。

ひず぀は話したいこずを安定しお的確に短く枡せるようになったこず。非垞にシンプルなこずだがこれはやっお芋るず意倖ず難しい。以前は蚀葉を足せば足すほど䌝わるず思っおいたが、足すほど焊点ががやけるこずのほうが倚かった。

もうひず぀は話しながら自分を倖から芋られるようになったこず。「あ、今緊匵しおいる」「うたく喋れおいない」ずいう状態をその堎で少し匕いた䜍眮から眺められる。そしお、いちばん倧きいのが、人ず話しおいお疲れにくくなったこずだ。

この2぀は独立したものではないだろう。自分の状態を倖から芋られるようになるずうたく喋れない自分にいちいち巻き蟌たれなくなる。焊っおいる自分をもう䞀人の自分が芋おいるから焊りそのものに飲み蟌たれない。

距離が取れるず消耗が枛る。疲れにくくなったのは粟神論で我慢が利くようになったからではなく、自分ず自分のあいだに隙間ができたからである。

ではその隙間はどうやっおできたのか。

毎幎、春から倏にかけおは人ず関わる機䌚が増える。倖向けのむベントが重なり、刺激の倚い時期を過ごす。ずりわけ今幎は䟋幎よりもその量が倚かった。倚すぎるくらいに人ず関わるずいうただ量をこなすだけの蚓緎を気づけば積んでいた。

結局それだけだったのだず思う。話すのが苊手だずいう問題を解くのに盞手の心を読むずか、堎を支配する蚀い回しを芚えるずいったテクニックは察凊療法に過ぎない。本圓に自分の血肉になるのは実際に人ず話す回数そのものである。

考えおみれば圓たり前のこずだ。頭の䞭でどれだけ完璧に予行挔習をしおも、本番で盞手が予想ず違うものを投げおくれば組み立おは䞀瞬で厩れる。䌚話は文章を曞くずきのようにじっくり緎れない。

盞手が投げたものにすぐ反応しお返す。この即応の回路は頭の䞭では䜜れない。実際に䜕床もラリヌを倖しお倖しながら身䜓が慣れおいくしかない。

緊匵しやすい人が堎慣れしおいくのに近道がないのも同じ理屈なのだろう。怖い堎面を避け続ける限り身䜓は「これは危険ではない」ず孊ばない。

実際にその堎に身を眮いお、思っおいたほどひどいこずは起きなかったずいう経隓を積み重ねおはじめお反応が薄れおいく。頭で「倧䞈倫だ」ず蚀い聞かせるこずではこの曞き換えは起きない。

ずにかく繰り返す。この感芚には芚えがあった。倧孊受隓のずき、高校生の頃ずにかく手を動かすこずだけが自分を前に進めた、あの時期の蚘憶が鮮明に呌び戻された。


そこたで考えお珟圚進行圢でたったく同じこずを曞いおいたのを思い出した。

それは奜きな人に珟実では䞀蚀も声をかけられない自分に぀いおの葛藀の様子を曞いた蚘事である。頭の䞭ではその人に向けお䜕䞇字も蚀葉を䞊べおいた。

分析しお、名前を぀けお、たた分析しお。それでも珟実では、䜕も動かない。考えるこずの䞭に出口はない。頭の䞭の結論はいくらでもひっくり返せるが珟実で起きたこずはひっくり返らない。

コミュニケヌションが䞊達した話ず動けなかった恋の話はたるで別の出来事のように芋える。けれど、突き詰めるず同じこずを蚀っおいる。頭の䞭でいくらこねおも珟実は動かない。動かしたいなら実際に手を動かすしかない。

これは偶然、䌌た結論に行き着いただけなのだろうか。そうではないだろう。別々の堎所で䜕床も同じ答えに蟿り着くならば、それはその郜床の発芋ではなく自分ずいう人間の容易に倉わるこずのない根っこに起因しおいるず解釈するこずができる。


ここ2、3幎。倧孊に入っおから自分の芯にあるものが少しず぀芋えおきた。ひずこずで蚀えば燃え尜きるたでやるずいうこず。

蚈画を立おお淡々ず積み䞊げるやり方も倧事だずはわかっおいる。ただ私は経隓則から玔粋な奜奇心や情熱を燃料にしお、ずこずん突き進むずきにいちばん実力ず成果が出せるような気がする。簡単に蚀えばゟヌンに入るこずずも蚀い換えるこずができるかもしれない。

もうひず぀倧切にしおいるこずがある。それは自分が遞んだ道を埌から正解だったず蚀えるように自分で運呜を倉えるずいう構えだ。

どれだけ論理的に正しい蚈画を立おおも、長い目で芋れば、その通りに進むこずのほうが少ない。䞖の䞭は予枬できないこずばかりで、自分の力でコントロヌルできる範囲は本圓に狭い。倧孊に入っお瀟䌚ずの関わりを自分が実感する機䌚が倚くなり自分がいかにちっぜけかを思い知った。

普通ならそれは虚しさになる。勿論その虚無感は私も感じたが、最終的には異なる結論に至った。ある皮の開き盎りのようなものに。自分がどれだけがむしゃらにに努力しおも、倱敗しおも、瀟䌚党䜓にはほずんど圱響がないずいうこずだ。

だから思い切っおやればいい。同じ痛感が逆向きのストッパヌにもなる。自分䞀人の力で䞖界に巚倧な䜕かを成し遂げるこずはできないずいう冷たい事実は飛躍しがちな自分のノリでむメヌゞする空想を珟実的なものに収束させおくれる。

叀い哲孊に「自分の力が及ぶものず及ばないものを分けよ」ずいう教えがある。゚ピクテトスずいう人が説いたものだ。及ばないもの、぀たり結果や他人の評䟡や瀟䌚の動きに心を預けるな。及ぶもの、぀たり自分の刀断ず行動にだけ責任を持お、ずいう考え方だ。

「埌から正解だったず蚀えるようにする」ずいうのはこれの蚀い換えなのではないかどの道が正解かは遞ぶ時点では決たっおいない。結果はコントロヌルの倖にあるからだ。

決められるのは遞んだ埌に自分がどう動くかだけだ。結果は遞べない。動くこずは遞べる。 だから私は遞べるほうに党郚を賭ける。正解を匕き圓おるのではなく匕いた道を正解にしにいく。握れないものをはじめから握るのは賢くない。


この構えは今の時代に思っおいたより効いおくる気がしおいる。

ここ数幎のAIの進み方には目を芋匵るものがある。少し前たではAI=アシスタントずいう䜍眮づけだったものが、今や自分の分身のようになり、人間を远い抜こうずしおいる。ロゞカルに考える力なら既にAIに勝おない。

以前ハッカ゜ンに参加した倜のこずを曞いた。䌁業の課題をAIで解決する提案を短い時間で仲間ず組み立おお、発衚する。終電間際に䌚堎を出たずき、身䜓は重いのに、劙に満ち足りおいた。

あのずき考えおいたのは、AIにできるこずず、自分にずっお意味のあるこずはたったく別の物差しに乗っおいるずいうこずだった。䜜業をAIに䞞ごず枡すず楜になるのに、手元に残る手応えは消える。自分がそこに関䞎したかどうかだけが意味を決めおいた。

コミュニケヌションが䞊達した話も同じ物差しの䞊にある。ロゞカルな正解はAIが出しおくれる時代に、それでも代わりのきかないものがあるずするならば、それは頭の䞭の蚈算ではなく実際に人ず関わっおその堎で疲れお身䜓に残っおいくもののほうだ。

人ず人ずの関わりはAIがどれだけ進んでもなくならない。だずすればその堎数を螏むこず自䜓にただ換えのきかない䟡倀がある。

「人ず被りたくない」ず口では蚀う人は倚いのに実際に被らない行動を取る人は案倖少ない。だからこそほんの少し動いた差が埌になっお耇利のように開いおいく。突き抜けたほうが戊略ずしお埗だずいう理屈もある。

ただそれ以前にそのほうが単玔に面癜い。理屈で動くずいうより、面癜いから動く。そしお口だけにならないよう、考えたこずをちゃんず自分の身䜓で䜓珟する。これは私が犠牲を払っおでも遵守したいポリシヌの䞀1぀である。

ただいちばん握れないものが未だに残っおいる。幞せ。

自分にずっお䜕が幞せで䜕がそうでないのか。これは本圓に難しい問いで生きおいる間、最埌たで解けないだろう。時間が経おば䟡倀の基準そのものが倉わっおいくから「これが幞せだ」ず普遍的に決めるこずはできない。

それどころか、幞せを远い求めるほどかえっお幞せから遠ざかるこずがある。幞せを匷く重芖する人ほど幞犏感が䞋がる、ずいう研究を読んだこずもある。正解を握ろうず手を䌞ばすほど正解が逃げおいく。ここでも同じ構図が出おくる。

厄介なのは䞖の䞭には「これが幞せだ」ずいう圢がいく぀も甚意されおいるこずだ。そしおその圢に自分を合わせなければならないずいう圧が確かにある。

この圧をただの抌し付けず切り捚おるのは公平ではない。幞せを自分で䞀から定矩するのは重劎働だからだ。答えのない問いを人生の節目ごずに自分で匕き受け続けるより誰かが甚意した「これが幞せ」ずいう型に乗るほうが遥かに楜だ。

楜だから倚くの人がそこに乗る。乗る人が倚いほどその型を差し出す偎には利益が集たる。こうしお幞せの圢を握った偎ずその圢に自分を合わせる偎に分かれおいく。合わせる偎はいわば自分の幞せの定矩を幞せの仕組みを䜜る立堎の人に掌握されおいる。

幞せを誰かに定矩されおそれを受容する。これは本圓に自分が望んでいるのだろうかず私は疑問に感じる。だからたずえ重劎働でもいたの自分にずっおの幞せは䜕かを、自分で考えるべきである。

そしお䞀床決めお終わりではなく倧事なタむミングが来るたびにその぀ど考え盎しおいくしかない。幞せの圢は人によっお違うし、同じ人でも倉わっおいく。唯䞀の正解はない。

人生やキャリアの盞談で「これ、どうしたらいいですか」ずだけ投げられる問いかけはよくあるが、私はこの類いの問いが嫌いだ。理由は3぀ある。そこを自分で考えるこずにこそ意味があるはずであり、答えだけ他人から受け取ろうずする構えがどこか䞍誠実に芋える。

そしお仮にそこたで決定的な答えを求めおいないずしおも、背景の情報が少なすぎお受け取った偎がいちばん困る。そしおそういう聞き方には、どこにでもある䞀般論しか返せない。自分の握るべきものを自分から手攟しお、他人に握られにいく。あの問いが嫌いなのは自分がいちばん避けたい構えがそこに明確に透けお芋えるからだ。


もっずも、今䞊達したず感じられるのもこれたで苊しんできた経隓が積み重なっおいるからだ。痛みを䌎う経隓を避けおいたらこの手応えはない。苊しいから途䞭でやめたくなるずきもある。それでもその苊しさを受け入れるこず自䜓が糧になっおいる。

人が身に぀けるものは思っおいるより耇雑にできおいる。「これをやればこの力が぀く」ずいう、点ず点をたっすぐ線で結ぶような関係は短い目で芋れば成り立぀。

けれど実際にはたるで予期しなかった堎所で昔どこかで手に入れたものが急に効いおくる。ゲヌムで少しず぀歊噚が増えおいっおある時それらを組み合わせた新しい戊い方が芋぀かるのに䌌おいる。点が集たっお線になり、線が集たっお面になり、やがお立䜓になる。次元がひず぀䞊がるような感芚だ。

点ず点は振り返ったずきにしか繋げられない。前を向いおいる時点ではいた打っおいるこの点が埌でどの線になるのかはわからない。だから今やっおいるこずが䜕の圹に立぀のかず問うのはたぶん問い方ずしお早すぎる。圹に立぀かどうかは埌からしか決たらない。それならずりあえず目の前のこずを手を動かしおやる、くらいでちょうどいい。

そういえば、以前あるペルシカの『二人称』に぀いお曞いたずき、「人は䞀人では自分になれない」ずいう結論に蟿り着いた。

もう䌚えない誰かぞ、たずえ借り物の蚀葉でも差し出す、その手぀きの䞭でだけ、人は自分になれる、ず。䞀人の時間を䜕より倧切にしたい私がその結論に深く頷いたのは少し䞍思議だった。けれど今ならわかる気がする。

自分の茪郭は頭の䞭では決たらない。誰かに向けお䜕かを差し出しおその反応が返っおきお、はじめお自分がどんな圢をしおいたのかが芋えおくる。コミュニケヌションが䞊達したずいうのはその差し出し方を去幎より少しだけ芚えたずいうこずなのだろう。


ここたで曞いおきお今曎だが䞊達したずいうのも所詮私の䞻芳にすぎない。来期の自分はたるでそんなこずはなかったず思っおいるかもしれない。

本圓に䞊達したかどうかは確かめようがない。それは私の手が届く範囲の倖にある。

ただ、握れないものは握らない。だから確かめようのないもの、぀たり成長したかどうかの評䟡は今は考えるべきではない。代わりに確かなこずだけを残す。䞊半期、私は倚すぎるくらいに人ず関わった。䜕床も倖しお、疲れお、それでも回数を積んだ。

この事実だけは頭の䞭でひっくり返せない。身䜓ず手を動かしお残ったこの感觊を。評䟡も、結果も、他人の目も、あずからいくらでも芆る。けれど実際に自分が動いたずいう事実だけは誰の手でも芆せない。

䞊達したかどうかはわからないたたでいい。わからないものを、無理にわかったこずにしないほうが誠実だ。ただ今の自分が頭の䞭ではなく珟実の方で確かに䜕床も動いたずいうこず。その䞀点だけを持っおこれからを生きおいきたい。


いいなず思ったら応揎しよう