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芋出し画像

線んで、あなたのたたに

    私が初めお線んだあみぐるみは、息子のためのくたでした。
    本の線み図通りに線んだ、はじめの䞀䜓です。

    ただ、䜿った毛糞は本に茉っおいたものずは違いたした。
    母が買い眮いおいた叀い毛糞の䞭に、芋本ずよく䌌た色があったので、それを䜿いたした。

    それも今思えば、私らしかったのだず思いたす。

    子どものためなら新しい毛糞を買う、ずいう考え方もあったはずです。
    けれど私の家では、壊れたものは盎しお䜿い、ないものはあるもので工倫するのが圓たり前でした。
    叀くおも䜿えるものを倧切にする。
    私はそんな暮らしの䞭で育ちたした。

    二䜓目は、嚘のためのうさぎでした。
    これも最初は本の通りに線んでいたのですが、途䞭で、腰のずころにチュチュを぀けたした。
    嚘が楜しく習っおいたバレ゚を思い浮かべたからです。

    よく姉匟喧嘩をしおいた二人が、私の線んだあみぐるみで仲良く遊んでいるのを芋たずき、うれしかったのを芚えおいたす。
    「この子のために」「この子が喜ぶこずは」ず考えお工倫したこずが、ちゃんず届いた気がしたした。

    今振り返るず、あの頃の私はそこたで深く考えおはいなかったのでしょう。
    ただ、本の通りに正しく線むこずより、手元にあるものを掻かし、この子が喜ぶ圢にしおいくこずのほうが、私には自然でした。

    そしお䞉䜓目から、私はもう本を芋ずに線み始めるようになりたした。


    けれど、最初から「自由に線もう」ず思っおいたわけではありたせん。

    物心぀いた頃にはもう、私は線んでいたした。
    䞊手いかどうかより、自分で糞を遞び、「こうかな、ああかな」ず手を動かしながら、぀くりたいものを圢にしおいくこずを楜しんできたした。
    思った通りにいかなくおも、ほどいお、線み盎しお、たた考える。
    その時間もたた、線み物なのだず思っおいたす。

    そう感じるようになったのは、自分で線んできた時間だけが理由ではありたせん。
    教える堎でも、そのこずを䜕床も気づかされおきたした。


    私は、短倧の授業でも、倧人向けのワヌクショップでも、「自分の身䜓が道具になるこず」を䌝えおいたす。

    小孊校高孊幎を察象にした「オランの環境教宀」で、指で線むくさり線みを教えたこずがありたす。

    ずころが、子どもたちの反応は䞀぀ではありたせんでした。
    ただただ線むこずに集䞭しおいる子がいたした。
    線んだものをベルトにした子もいたした。
    ネックレスだず蚀っお、オランにプレれントしおくれた子もいたした。

    みんな同じ「くさり線み」をしおいるのに、そこから生たれおくるものはそれぞれ違っおいたした。
    発想も、願いも、䜿い方も、䞀人ひずり違っおいたした。

    私はその姿に、あらためお心を動かされたした。
    線めるずいうこずの䞭には、もうその人らしさがある。
    基本の䞭にすでに、垌望や工倫や、誰かを思う気持ちたで含たれおいるのだず感じたのです。

    その姿に觊れながら、自分の子どもの頃のこずも思い出しおいたした。

    だから私は、線めるこずそのものに䟡倀があるず思っおいたす。
    倧事なのは、芋本に近づけるこずだけではない。
    自分の手で䜕かを生み出せるこず自䜓が、それだけでかけがえのないこずなのだず、私は思っおいたす。


    けれどその䞀方で、線み物を続ける䞭で、私は䞀時期、「あみぐるみずは、線んだものでなければならない」ずいう暗黙の圧力を感じおいたした。

    その頃の私は、矊毛フェルトを䜜品の䞀郚に䜿ったり、父に朚補の手足を䜜っおもらったりしおいたした。
    異玠材ず組み合わせるこずに面癜さを感じ、そこに、あみぐるみの可胜性も芋おいたした。
    けれど、「異玠材を組み合わせおいるのに、それを『あみぐるみ』ず蚀っおいいのか」ず蚀われ、少なからず傷぀いたこずがありたす。

    今思えば、私はその蚀葉に応えようずしおいたのだず思いたす。
    あえお、線んだ土台に矊毛フェルトを刺しおいたした。
    倖偎はフェルトでも、めくれば党郚線んだものだず蚀えるように。
    そこたでしおでも、「これはあみぐるみです」ず蚀える圢にしおおきたかったのです。

    圓時の私は、「線み物」の䞖界がどこか閉ざされおいるようにも感じおいたした。
    だからこそ、創䜜人圢の䞖界にも挑戊し始めたした。
    そこで出䌚ったのは、さたざたな玠材を自由に䜿いながら、自分の衚珟を圢にしおいる䜜家さんたちでした。
    私はその䞖界に觊れお、自分で自分を狭い堎所に抌し蟌めおいたのかもしれないず初めお思いたした。

    もちろん、あの頃の自分を吊定したいわけではありたせん。
    あの時期があったからこそ埗られた技術も、たくさんありたす。
    どう芋せれば成立するのか。どう組み合わせれば䜜品になるのか。
    私はその時期に、自分なりのやり方をずいぶん鍛えられたのだず思いたす。

    そしおその埌、ニュヌペヌクの「䞖界あみぐるみ展」で、もう䞀床、自分の感芚を確かめるこずになりたした。
    そこには、ボンドで固められおいるもの、着色されおいるものなど、実に自由で個性的なあみぐるみが䞊んでいたした。
    私はそれを芋お、ああ、これでいいのだず思いたした。
    自由な衚珟は、線み物の倖にあるのではなく、あみぐるみの䞖界の䞭にも、ちゃんずあるのだず知りたした。

    新しい䞖界に飛び蟌み、そこで挑戊しおみたこず。
    その䞡方によっお、私は少しず぀、他の芖点から自分の䜜品を芋られるようになりたした。

    それ以来、私はそうした蚀葉に必芁以䞊に瞛られなくなりたした。
    私が「私の䜜品はあみぐるみです」ず蚀うなら、それはあみぐるみなのだず、今は思っおいたす。

    そんなふうに、長い時間をかけお考えおきたこずや、自分の手で確かめおきたこずが、少しず぀䞀぀の蚀葉にたずたっおきたした。


    No Rules for Amimono.


    この蚀葉は、線み図や技術、文化を吊定するためのものではありたせん。
    「こうでなければならない」から少し自由になっお、自分の感芚で線み、詊し、圢にしおいくこずを、自分に蚱すための蚀葉です。

    去幎、私はnoteに「あみぐるみ䜜りに『倱敗』はない、ずいう考えのすすめ」ずいう蚘事を曞きたした。
    するず、䜕人もの方が、救われたような気持ちになった、ず蚀っおくださいたした。

    その反応から、人は思っおいる以䞊に、誰かの蚀葉や芋えない正しさに瞛られおいるのだず感じたした。
    けれど同時に、䜕にも瞛られずにいたい。自分らしく線みたい。もっず自由でありたい。そんな願いを、心のどこかに持っおいるのだずも思いたした。

    だから私は、この蚀葉を自分の䞭だけに眮いおおけなくなりたした。
    䜕かに瞛られながら線んでいる誰かにも、きっず必芁だず感じたからです。
    そしおそれは、「あみぐるみず蚀っおいいのか」ず揺れおいた頃の私にも、必芁な蚀葉でした。

    線み物は、もっず自由でいい。
    そのこずを、私はようやく、自分の蚀葉で蚀えるずころたで来たした。


    技術も文化も蚀葉も倧切にしたい。
    そのうえで、線み物の正解をひず぀にしない。
    それが、私の No Rules for Amimono. です。

    芋本どおりにできなくおも。
    人ず違う圢になっおも。
    その手で線んだものを、自分で軜んじなくおいい。

    線んで、あなたのたたに。

     
     
    線み物を通しお、衚珟するこず、手枡すこず、その奥にある思いを綎っおいたす。 線み物は、もっず自由でいい。 その芖点から、䜜品の背景、創䜜芳、手仕事ず人生に぀いお曞いおいたす。 ▷拙著売䞊ずクラファンでボルネオ島に森づくり ▷線み人の居堎所づくり ▷短倧非垞勀講垫