
「クールジャパン機構」って、で、何だった?
「クールジャパン機構が、累積540億円の赤字」
そんなニュースを見ました。
540億円。
かなり大きな金額です。
投資判断が甘かった。
時代を読み違えた。
税金を無駄にした。
いろいろ言われています。
ですが、その前に。
ひとつ素朴な疑問があります。
クールジャパン機構って、そもそも何だったのでしょう。
アニメを海外に売る役所?
日本食や観光を宣伝する広告会社?
「日本ってクールですよ」と世界に言って回る政府機関?
名前は知っていても、実際に何をしていたのかは、意外と知られていません。
私も、よく知りませんでした。
実は、「国がつくった投資会社」です。
正式名称は、
「株式会社海外需要開拓支援機構」。
2013年に設立された官民ファンドです。
簡単にいえば、
日本の商品やサービスを海外で売ろうとする企業や事業に、お金を出す投資会社。
補助金とは少し違います。
お金を配るのではなく、出資する。
事業が育てば、利益として回収する。
つまり、
国が大株主になって、日本の「クール」に投資する。
そんな仕組みでした。
日本には、
アニメがあります。
漫画があります。
ゲームがあります。
食があります。
ファッションがあります。
観光があります。
これらを世界に広げれば、新しい巨大産業になる。
発想そのものは、かなり分かりやすい。
では、なぜ国がわざわざ投資会社までつくったのでしょう。
日本は、少し焦っていました。
2010年代の初め。
日本の家電やエレクトロニクスは、かつてほど世界で圧倒的ではなくなっていました。
モノづくりだけで、これからも世界で稼ぎ続けられるのか。
そんな危機感のなかで、改めて注目されたのが、
アニメ。
漫画。
ゲーム。
日本食。
ファッション。
観光。
日本人にとっては日常だったものが、海外ではすでに人気を集めていました。
政府が考えたのは、
「日本って素敵でしょう」
と宣伝することだけではありません。
日本の文化を、ちゃんと日本のビジネスにすること。
でした。
海外では日本のアニメが見られている。
ゲームも遊ばれている。
日本食も人気がある。
ですが、その流通を握っているのは海外企業だったりする。
海賊版も多い。
人気はある。
でも、日本には十分なお金が戻ってこない。
ならば、
売る仕組みをつくろう。
流通を押さえよう。
現地で商売できる企業を育てよう。
民間だけでは怖くて出せないところに、国がリスクマネーを出そう。
そうして2013年、クールジャパン機構が生まれます。
ここまでを見ると、
発想そのものは、それほど奇妙ではありません。
むしろ、
ハードで苦しくなった日本が、ソフトに次の成長を見た。
その時代なりの、かなり切実な国家戦略だったのだと思います。
問題は、
その先です。
「何を売るか」だけではなく、「どう届けるか」までつくろうとした。
クールジャパン機構は、かなり幅広い事業に投資しました。
人工タンパク質素材のスタートアップ。
海外の百貨店。
日本の番組を海外へ届けるテレビ放送。
観光関連事業。
大型テーマパークにつながる投資。
並べてみると、
アニメ。
百貨店。
テレビ局。
新素材。
観光。
かなり広い。
というより、
「クールジャパンって、どこまでがクールジャパンなの?」
という気持ちになってきます。
投資では、
「何に投資するか」
と同じくらい、
「何には投資しないか」
が重要です。
ところが、「クール」という言葉は広い。
アニメもクール。
日本食もクール。
観光もクール。
先端素材もクール。
何でも入る箱は便利です。
ですが、
何でも入るということは、何も絞れていないということでもあります。
問題は、コンテンツだけではありませんでした。
クールジャパン機構の象徴的な案件のひとつが、「WAKUWAKU JAPAN」です。
日本のドラマ、アニメ、映画、音楽などを海外へ届けるテレビ放送事業。
考え方そのものは、おかしくありません。
むしろ、
コンテンツを持っているだけでは儲からない。流通を押さえた者が強い。
という発想でした。
ここまでは、かなり正しい。
ただ、世界の流通そのものが変わっていきます。
YouTube。
Netflix。
Amazon。
Spotify。
SNS。
世界中の人を相手にする巨大プラットフォームが、一気に規模を取っていきました。
日本側も、
「流通が重要だ」
という未来までは見えていた。
ただ、
その流通が、どんな形になるのか。
そこを読み違えた。
テレビ局をつくる。
放送網を持つ。
大きな箱をつくる。
そこへ人を呼ぶ。
20世紀には合理的だった方法です。
ですが、21世紀の文化は、
人がすでに集まっている場所へ流れていった。
YouTubeへ。
Netflixへ。
SNSへ。
アルゴリズムへ。
つまり、
コンテンツの未来は見えていた。
ですが、
流通の未来は、少し違う方向へ進んだ。
大きな箱をつくると、大きな案件が必要になる。
もうひとつ気になることがあります。
大きな政策をつくる。
大きな予算がつく。
大きな組織ができる。
すると今度は、
その大きなお金を投じるための「大きな案件」が必要になります。
百貨店。
テレビ局。
大型投資。
巨大プロジェクト。
最初の目的は、
「日本の魅力を世界へ届ける」
だったはずです。
ですが、巨大な投資ファンドをつくると、いつの間にか、
「どの大型案件に投資するか」
そのものが大きな仕事になります。
目的と手段が、少しずつ入れ替わる。
以前書いた「コブラ効果」にも、少し似ています。
人は、目的そのものではなく、
与えられた仕組みに最適化してしまう。
文化を世界に広げるために、大きな投資ファンドをつくった。
すると今度は、
大きな投資ファンドを動かすために、大きな案件が必要になる。
もちろん、まったく同じ話ではありません。
ですが、
仕組みが目的を食べ始める。
その瞬間は、少し似ています。
失敗を測る物差しが、二つあった
さらに難しかったのが、
クールジャパン機構は、
政策機関でありながら、投資会社でもあった。
ということです。
投資として儲からなければ、
「政策的な意味がある」
と言える。
政策効果が見えなければ、
「投資だから回収には時間がかかる」
と言える。
つまり、
失敗を測る物差しが、最初から二つあった。
これでは、
「いつ失敗したと判断するのか」
が曖昧になります。
普通の投資会社なら、
成績が悪ければ資金が集まりにくくなる。
期限もある。
投資家から評価もされる。
どこかで止まります。
ですが、公的な政策目的まで背負うと、
「もう少し待てばいい」
「政策的意義はある」
という説明が可能になる。
損失を確定するより、
続ける理由をつくりやすくなる。
もしかすると、
失敗したこと以上に、失敗を判断しにくい仕組みだったこと。
そこも問題だったのかもしれません。
ところが、日本のコンテンツは売れていました。
そして、少し不思議なことが起きます。
クールジャパン機構は苦戦しました。
ですが、その一方で、
日本のアニメ。
漫画。
ゲーム。
食。
観光。
日本のコンテンツや文化そのものは、世界で大きく伸びています。
そこで、
ひとつ妙な構図が見えてきます。
クールジャパンは成功している。
ですが、クールジャパン機構は成功しなかった。
では、
いったい何が失敗したのでしょう。
日本文化の可能性を読み違えたのでしょうか。
私は、少し違う気がします。
むしろ、
文化が伸びること自体は、かなり正しく見えていた。
問題は、
その文化が、
どう世界へ広がるのか。
そこだったのではないでしょうか。
「日本だから売れる」という、小さな勘違い。
海外で商売するとき、
日本の商品は優れている。
日本食は素晴らしい。
日本文化は世界から評価されている。
そう考えたくなります。
それ自体は、間違いではありません。
ですが、
「日本のものだから売れる」
とは限りません。
市場は、もっと単純で素朴かもしれません。
欲しいから買う。
面白いから見る。
美味しいから食べる。
カッコいいから着る。
世界の消費者は、
日本を応援するために商品を買っているわけではありません。
現地の価格があります。
競合があります。
生活があります。
その場所ならではの都合があります。
日本で、
「これは売れる」
と考えることと、
現地で実際に選ばれることは、
まったく別の話です。
そもそも、「クール」は誰が決めるのでしょうか?
ここまで考えると、
もっと根本的な疑問が出てきます。
何がクールなのかを、誰が決めるのでしょう。
政府でしょうか。
投資委員会でしょうか。
コンサルタントでしょうか。
おそらく違います。
クールかどうかを決めるのは、
最終的には、それを面白がる消費者です。
アニメもそうです。
ゲームもそうです。
ラーメンもそうです。
シティポップだってそうでした。
日本政府が、
「40年前の日本のシティポップを、海外で再流行させよう」
と巨大プロジェクトを立ち上げたわけではありません。
海外のDJが見つける。
誰かがYouTubeで聴く。
アルゴリズムが別の誰かに薦める。
SNSで共有される。
また誰かが見つける。
そうして、
何十年も前の日本の音楽が、
海外の若者に「新しい音楽」として発見されていきました。
誰も計画していません。
誰も、
「これが次のクールジャパンです」
と決めていません。
もしかすると、順番が逆だった?
ここで、ようやくひとつの仮説が浮かびます。
クールジャパン政策の最大の勘違いは、
「何がクールなのか」
を間違えたことではないのかもしれません。
もっと手前です。
「クール」を、原因だと思ってしまった。
のではないでしょうか。
日本はクールだ。
だから、日本の商品を世界に売ろう。
ですが、
本当の順番は逆です。
面白いものをつくる。
良い商品をつくる。
美味しいものをつくる。
誰かが見つける。
誰かが好きになる。
誰かが誰かに薦める。
そして広がる。
その結果として、
「日本って、クールだよね」
になる。
クールは、
原因ではありません。
結果です。
昔は、箱をつくって、人を呼んだ。
最近は、少し違う動きも出ています。
自前で巨大な放送網をつくるのではなく、
すでに人が集まっている海外の配信サービスの中に、
日本のコンテンツを置く。
字幕を変える。
吹き替えを変える。
何が見られるか試す。
視聴データを取る。
権利処理を早める。
海賊版より先に正規版を届ける。
昔とは、発想が少し違います。
昔は、箱をつくって、人を呼ぼうとした。
今は、人がいる場所に、棚を置こうとしている。
この違いは、大きい。
国がやるべき仕事も、
少しずつ変わってきたのかもしれません。
国がつくるべきだったもの。
だからといって、
「政府は文化に一切関わるな」
という話でもないと思います。
政府だからできることもあります。
海外での著作権保護。
海賊版対策。
翻訳や字幕への支援。
海外市場の情報提供。
クリエイターが海外で契約するときの法務支援。
小さな会社でも世界へ販売できる仕組み。
ひとつの企業だけでは整備しにくいインフラ。
そうしたものはあります。
国が、
次のポケモンを選ぶ必要はない。
次のヒット作品を当てる必要もない。
次のシティポップを予測する必要もない。
そんなことは、
おそらく誰にもできません。
必要だったのは、
日本のどこかで誰かがつくった小さな「好き」が、
世界のどこかにいる誰かに見つかるまでの、
道をつくることだった。
クールをつくるのではない。
クールを選ぶのでもない。
クールを巨大プロジェクトにするのでもない。
クールが、勝手に流れていける土壌をつくる。
で、何だったの?
「クールジャパン機構」って、
で、何だったのでしょう。
日本文化の可能性を見誤った組織だったのでしょうか。
私は、そうは思いません。
むしろ、
日本のアニメや漫画やゲームや食が、
これから世界でもっと大きな産業になる。
そこまでは、
かなり正しく未来を見ていた。
ハードで苦しくなった日本が、
ソフトに次の成長を見た。
そこも、間違っていなかった。
コンテンツだけでは足りない。
流通も重要だ。
そこも、間違っていなかった。
見誤ったのは、
文化が世界へ広がっていく速度と、規模と、方法だった。
テレビ局をつくる。
百貨店をつくる。
大きな箱をつくる。
大きなお金を投じる。
20世紀に成功した産業政策の延長線で、21世紀の文化を広げようとした。
その横を、
YouTubeが走り抜け、
Netflixが走り抜け、
SNSが走り抜け、
アルゴリズムが走り抜けていった。
そして世界の人たちは、
国が選んだ「クール」を待つことなく、自分たちで日本の面白いものを見つけ始めました。
アニメを見つけた。
漫画を見つけた。
ラーメンを見つけた。
シティポップを見つけた。
日本そのものを見つけた。
気がつけば、
「クールジャパン機構」が苦戦している横で、クールジャパンは、とっくに世界へ出ていた。
540億円という数字の向こう側に見えるのは、単なる官民ファンドの失敗ではありません。
国は文化をどう支えるべきなのか。
大きなお金を使うことと、産業を育てることは同じなのか。
未来を選ぶことと、
未来が生まれる環境をつくることは、
同じなのか。
そして、
流行とは、誰がつくるものなのか。
そんな問いなのだと思います。
クールは、
つくるものではない。
決めるものでもない。
あとから、そう呼ばれるものなのです。