
読まれる&選ばれるnoteには、ちゃんと「構造」に仕掛けがあります。
あらすじ
noteの記事を見ていたら、サムネやタイトルより先に、「場所そのもの」を見た方がいいんじゃないかと思い始めました。
一覧、固定枠、マガジン、プロフィール。全部まとめて見ると、noteは記事を書く場所というより、小さな本屋みたいに見えてきます。
今回は、そこから考えた「noteの構造」の話です。
最近、noteを見ながら、ずっと考えていました。
読まれる記事って、何が違うんだろう。
タイトルなのか。
サムネなのか。
文章なのか。
テーマなのか。
もちろん、全部関係あると思います。
でも、いろんなnoteを眺めているうちに、少し違う見方が出てきました。
もしかすると、記事一本ずつを見る前に、noteという「場所」そのものを見た方がいいんじゃないか。
そんな気がしてきたんです。
noteを開くと、そこには一つの記事だけがあるわけではありません。
プロフィールがある。
記事一覧がある。
固定枠がある。
サムネがある。
タイトルがある。
マガジンがある。
過去記事が並んでいる。
つまり読者は、記事を一本ずつ読む前に、
「ここ、どんな場所なんだろう」
をなんとなく感じている。
これ、ちょっと本屋に似ています。
本屋に入ったとき、いきなり一冊だけを見る人ばかりではありません。
平台を見る。
棚を見る。
新刊を見る。
表紙を見る。
タイトルを見る。
「あ、これ何?」
と少し立ち止まる。
noteの一覧も、かなり近い。
白い余白の中に、タイトルとサムネと記事が並んでいる。
だから最近は、サムネを一枚だけ綺麗に作るより、一覧の中で、この一枚がどう見えるかを考えるようになりました。
普通は、
記事を書く。
↓
サムネを作る。
だと思います。
でも逆に、
一覧を見る。
↓
その棚の中で、この記事の顔を決める。
と考えてもいい。
つまり、
Thumbnail Designから、Feed Designへ。
一枚を作るというより、棚を作る。
ここで、もう一つ興味深いことに気づきました。
よくブランディングでは、
「方向性を揃えましょう」
と言われます。
色を揃える。
写真のトーンを揃える。
タイトルの雰囲気を揃える。
確かに、一枚ずつ見ると格好いい。
でも、一覧で見ると、
全部同じ棚に見えることがあります。
暗いテーマ。
暗い写真。
黒と紺。
硬いタイトル。
思想的な内容。
全部揃っている。
でも、次の一冊を見たくなるかというと、少し違う。
専門古書店みたいなnoteもある。
一方で、私のnoteは、
料理。
人物。
政治。
投資。
企業。
旅。
音楽。
ロゴ。
まあ、バラバラです。
三省堂です。
でも不思議と、自分ではそこまで崩れている感じがしない。
なんでだろう。
考えてみると、揃っているのは色でもテーマでもなかった。
「自分が何を面白いと思ったか」
ここが揃っている。
つまり、
Visual Identityではなく、
Editorial Judgment。
何を選ぶか。
何を面白いと判断するか。
何を棚に置くか。
それを繰り返している。
ブランドって、同じ色を使い続けることだけではなく、同じ判断基準で選び続けた結果として現れるものなのかもしれません。
最近、これを
Branding = Repeated Judgment over Time
くらいに考えています。
ただし、ここには反例もあります。
同じキャラクター。
同じ色。
同じ雰囲気。
それでも全然飽きないnoteもある。
そういう人を見ていると、単純に「揃えない方がいい」とも言えない。
成立している人は、色を揃えているというより、世界を作っている。
朝がある。
夕方がある。
森がある。
星がある。
本屋がある。
季節が変わる。
同じWorldの中で、Sceneが変わっていく。
つまり、
Color Consistencyだけでは単調になる。
でも、
World Consistency × Scene Variation
まで行けば強い。
結局、
「揃えるか、揃えないか」
ではない。
何を揃えるか。
ここを決めることの方が大事なんだと思います。
そして棚としてnoteを見ると、記事一覧の役割も少し違って見えてきます。
最新記事は、入口になる。
タイトルとサムネに惹かれて開く。
読んだあと、プロフィールへ戻る。
すると、違う顔の記事が並んでいる。
「これ何?」
となる。
もう一本読む。
また戻ってくる。
そんな動きがあるかもしれない。
だとすると、
最新記事は集客装置。
一覧は回遊装置。
そして長い時間をかけて、
ReturnやRelationshipを作る。
記事単体を良くすることは短期。
でも棚を育てることは長期。
Article Optimization = Short Term
Feed / Space Design = Long Term Branding
くらいに分けてもいいかもしれません。
ここで、タイトルとサムネの意味も変わります。
記事を開く前、本文はまだ読者に存在していません。
最初に見えるのは、
タイトル。
サムネ。
著者。
投稿日。
スキ数。
そのくらい。
だから、
Title × Thumbnail
は、単なる装飾ではなく、
Entrance Specification
なんだと思います。
入口の仕様。
ただし、毎回大改造する必要はない。
一覧を見る。
暗い色が続いていないか。
人物ばかりになっていないか。
抽象的なタイトルが続いていないか。
構図が同じになっていないか。
必要なところだけ触る。
これはデザインというより、
手入れ
に近い。
Store Maintenance。
Shelf Curation。
世界観って、一度作って終わるものではなくて、棚を見ながら少しずつ整えていくものなのかもしれません。
で、ここからnoteそのものを見る目も変わりました。
noteには、すでに大量のSpecificationがあります。
固定枠。
一覧。
サムネ。
タイトル。
プロフィール。
マガジン。
コメント。
スキ。
フォロー。
関連記事。
普通は、それぞれを「機能」として使う。
でも上手い人を見ていると、
Behaviorを起こすためのSpecificationとして使っている。
文章が上手いだけじゃない。
noteというUIを使うのが上手い。
ここ、かなり大きい。
たとえば固定枠。
普通は、
代表記事。
売りたい記事。
自己紹介。
そういうものを置く場所として使われます。
つまり、
Promotion Space
です。
でも最近、固定枠にmemoを置いてみました。
研究途中のこと。
考えかけのこと。
まだ説明し切れていないこと。
それを置く。
すると、固定枠の意味が変わった。
記事を売る場所ではなく、
「今日もここにいます」を置く場所
になった。
機能は何も変えていません。
意味だけ変えた。
これ、
Use the rule. Remix the function.
みたいで面白い。
同じSpecificationなのに、意味を変えるだけでBehaviorが変わる。
固定枠が、
Promotion Spaceから、
Communication Spaceへ。
さらに、
Relationship Spaceへ。
少しずつ役割が変わっていく。
memoを更新すると、
「今日、電気ついてるな」
くらいの無言のメッセージになる。
全部読まなくてもいい。
スキしなくてもいい。
コメントしなくてもいい。
ただ覗いて帰ればいい。
ここでは、Interactionを増やすというより、Presenceを積む。
これ、SNSとは少し違う関係です。
投稿した。
反応した。
フォローした。
ではなく、
たまに覗いたら、まだいる。
それだけでも関係は続く。
だから最近、memoのゴールは「記事」ではないと思っています。
memoは、
場所。
昼のnoteが本屋なら、
深夜memoはスナックw
常連もいる。
初見も来る。
話してもいい。
黙っていてもいい。
何も注文しなくてもいいくらいの距離感。
だからmemoでは、内容の一貫性より、居心地の一貫性の方が大事なのかもしれません。
そして、ここで自分たちのnoteの見方まで変わりました。
今までは、文章を見ると、
中心は明確か。
散らかっていないか。
構造は整理されているか。
最後に回収できているか。
読者に持ち帰りがあるか。
そんなことを見ていました。
完成記事なら、たぶんそれでいい。
Main Stageです。
でもmemoを同じ基準で見ると、
「もっと整理した方がいい」
「もっと分かりやすく」
「もっと回収した方がいい」
となる。
ところが、あるmemoを整えたら、
逆に、
整いすぎ
になったw
ここで初めて気づきました。
Main StageとBackstageでは、
良い文章の条件が違う。
Main Stageなら、
理解。
構造。
CORE。
回収。
Benefit。
持ち帰り。
でもBackstage / memoなら、
気配。
途中感。
余白。
雑味。
距離。
居心地。
Return。
そういうものもSpecificationになる。
つまり、
「良い文章か?」
だけでは評価できない。
その前に、
これは、どんなSituationで、何の役割を持つ文章なのか。
を見ないといけない。
ここで、かなり大きく考え方が変わりました。
上位概念は、
Article Quality
ではなく、
Situation Fit
なんじゃないか。
文章が整っているかどうか。
サムネが格好いいかどうか。
固定枠が正しく使われているかどうか。
それ単体では決められない。
その場所で、
その時間に、
その読者との距離で、
何を起こしたいのか。
そこに合っているかどうか。
結局、note Designって、
Content × UI × Time × Space × Distance × Presence
くらいで考えた方が面白いのかもしれません。
もう「良いnote記事の書き方」だけではない。
noteという場所そのものを、どう設計するか。
そんな話になってきました。
で、ここまで考えて、最後にSFD側にも一つ発見がありました。
Specificationは、商品や文章だけに存在するんじゃない。
UIも。
棚も。
時間も。
距離も。
更新するという行為そのものも。
Behaviorを変えるなら、Specificationになり得る。
最近、noteを見ながら、
「読まれる記事って何だろう」
と考えていたはずなんですが、
ずいぶん遠くまで来ましたw
でも、最後に帰ってくる場所はたぶんここです。
読まれる&選ばれるnoteは、
文章だけで決まっているわけではない。
ちゃんと、構造に仕掛けがある。
そんな気がしています。