
人生は選択の連続だ
と400年前にシェイクスピアが言ったらしい。
最近「生きている」ということを実感するような日々が続いた。
会社で理不尽な人間関係に巻き込まれたり、
身近な人にネットストーカー紛いのことをされている事に気づいたり
運転中に交通事故に巻き込まれたりした。
「生きたい」の対義語を考えそうになって、
ダメだ、そんな選択をしてはいけない。
そう思う度に、まさに今「生きている」と実感したものだった。
精神的にも、このまま戻れないのではというところまで落ちていた。
職場の人間関係について、
理不尽だ、不服だ、働きにくいと声をあげるまでに、かなりの時間を使ってしまった。
耐えている間、どんよりした考え方が完全に習慣になっていて、私の脳は作り変わってしまったのかと思った。
選択出来なかった。
何が未来の自分に取って良い選択肢か考える気力もなく、毎日をやりすごすことに精一杯だった。
毎日泣きながら起きて、泣きながら眠った。
ダメだ。ダメだ。このままじゃダメだと思いながらも、耐えることを美徳にさえ感じていたのだった。
ついに限界が来て声を上げると、
私の苦痛の期間は呆気なく終わった。こんなもんだったのか。
ストレスの1つが改善されたは良いものの、
それだけでは終わらず
信じていた人に裏切りのような行為をされたことが発覚したり、
先に書いたが、車のトラブルがあったりした。
人生は選択だ、と言うけれど自分が選択できない領域での理不尽ばかりではないか。
理不尽に圧倒されて、疲れきってしまった。
自分が人生の決定権を持っているとは到底思えなかった。
棚から、収納ボックスに入れていた沢山の小物を派手に床に落とした時、酷く疲れた気持ちになった。
落としたものを眺めながら
「今の私だ」と思った。
拾わなきゃ、片付けなきゃと思うけど、
物が理不尽にも落ちてしまったことに絶望してるだけ。
意外と選択肢はシンプルで、落ちたものを片付けたら良いだけだし、次は落ちにくい場所に置けば良いだけ。
でも人生はもっと複雑で、
落ちたものを見つめるだけで1日が終わることだってある。動けないことだってあるんじゃないか。
選択することは難しい。
選択肢がゲームみたいに複数出てくる訳ではなく、自由記述方式で無限にある。
誰か答えを隣に置いておいてくれたらいいのに、と思う。
いつだって全部解決した後に、答えが分かるのだ。あの時こうしておけば良かった、と。
小さいことを含めると、一日に35000回の選択か決断があるという。
その全てを自分が正しいと思える選択を出来る人なんていないだろう。
楽しい状況の選択なら、気軽に挑戦できるかもしれないが、
理不尽な状況の時はどうだろう。
動かないという選択をしてしまうことだってあるんじゃないのか。動きたいても動けない。
その時は、耐えて耐えて耐えないといけないのか。
泣いているだけで終わる日は無駄な一日なのだろうか。間違った選択なのだろうか。
そんなこと、この連続した人生が終わるまで誰にも分からないのだろうな。
あの時の理不尽さや、動けない時の選択も
いつか人生のスパイスになったと思える日が来るのだろうか。
人生は選択の連続だ。
今のこの苦渋の決断も、連続した先の未来で、
自分が納得できるものになっていれば良いなと思う。