
「かくれんぼゲーム」
【あらすじ】
地方に住む女優志望の女性。
オーディションの為に何度も上京していた。
今回も十分な準備して、ある映画オーディションに参加するが。
オーディションに落ちてしまう。
しかし彼女には別の「案件」が待っていた。
もうひとつのオーディション。
それは、恐怖のオーディションだった。
若い2人の女優が遭遇する恐怖。
思いも寄らぬ「怪異」から逃げまわるゲームの幕があく。
彼女たちの運命は?
ホラー映画「リング」には衝撃を受けた。
小説より怖かった映画。それは映像の魔術。
拙作「ピノキオは鏡の国へ」「ピノキオは死を夢みる」が映像的な小説とよく言われる。
それは頭の中に絵コンテを作って書くせいだと思う。
このホラーも、同じ書き方。
小説でどれくらい怖くできるのか試したいと。
そんなホラーを目指した。
津田ゆうじ。

ホラー小説 『かくれんぼゲーム』
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー夜明け前
新宿駅の南口。
まだ暗い大通り、信号機が青に変わる。
老人のうめき声のようなエンジン音。
夜行バスがバスタ新宿ターミナルに入っていく。
高速道路の雪道など通ったのか、車体やタイヤ回りのドロ汚れが長い道のりを思わせる。
白い吐息をはき出し、停車エリアに続くスロープを上っていく。
コンクリートにヘッドライトが軌跡を残す。
バスがサイドブレーキを引いた。
夜行バスを利用する客層は圧倒的に若い人が多い。
新幹線と比べて料金は割安だし、寝てる間に東京に着けてホテル宿泊代が不要になる。
夜行バスの低料金はアイドルの「推し活」やイベント目的の若い人にとって魅力だ。
出発時の修学旅行さながらの活気も、この時間は誰もが寝入っている。
静かなBGMと無機質な女性アナウンスが終点に着いた事を告げる。
寝ている乗客が動き始める。
カップル客が、隣で眠っている連れを起こす声。
他の客も仕方なく重い腰を上げる。
運転手は表示パネルを「回送車」に変える。
早く仕事を終えたいのだ。
前列の乗客が窓のカーテンを引く。
吉岡瑠衣は、黄色いスポンジ耳栓を付けたまま、アイマスクを下ろす。
すぐ後ろの様子を見ると長い髪の女が寝ている。
更に後ろの乗客たちは棚からバッグを下ろし下車の準備を始める。
『また眠れなかった…』
ポケットから出した睡眠導入剤を見て首を振る。
吉岡瑠衣は「インソムニア」適応障害性不眠の為に抗不安薬を服用している。
『効いているとは思えない…』
窓のカーテンを開き、結露で曇ったガラスを手で拭う。
『いつもの新宿…』
『そして…いつものプレッシャー』
瑠衣はひと月に2〜3度、夜行バスを利用する。
だからいつも、バスタ新宿が東京の入り口。
灰色の壁にハザードランプが点滅する黄色い光。
黒いキャップの吉岡瑠衣も車外に出る。
係員に半券チケットを見せて、バス荷物室から黒いキャリーバッグを受け取る。
冷え切った歩道と、明けぬ空が瑠衣の体温を下げる。
ダウンジャケットのジッパーを首のマフラーまであげる。
黒キャップを目深にし、化粧っ気のない顔で小さなアクビをする。
ジーンズとスニーカー、輪ゴムでまとめた髪。
「寒い…」
暗い道をキャリーバッグを引きながら、いつものネットカフェの方へ歩く。
通行人などいない。
あと1時間もすれば始発電車も動くし、駅に向かう人もいるだろうが、今はまだ夜の続き。
この時間に開いてるファミレスも無い。
いつも寄るコンビニでおにぎりと卵サンドを買い、ダウンジャケットのポケットに入れる。
まだ暗い道に人影はない。
キャリーバッグが道にゴロゴロと音を残す。
街路灯が瑠衣の影を長くする。
瑠衣は、白いため息。
『夕方には同じバスで、いつもの様に帰るだけ』
『また同じことを繰り返す…』
ネットカフェ店の前に着いた。
ドアを開こうとした時だった。
おかしな感覚。
瑠衣は何かの気配で振り返る。
暗い道路の一方通行車道の向こう側に人影がある。
女が、しゃがんでいる。
赤茶けた汚れた服の女が、顔を下に向け、うずくまっていた。
シワだらけの、膝まである長い赤いワンピース。
白髪の混じる灰色の長い髪で顔は見えない。
『こんな時間に…』
車のライトが通り抜ける。一瞬の光。
女は骨ばった指で顔を覆い、膝を付いた姿勢で、うずくまっている。
『かーごめ、かごめ…籠の中のトリは、いついつでやーる…夜明けの晩に…』
途切れ途切れだが、天空から聞こえる唄声。
瑠衣は、黄色いスポンジ耳栓を外す。
『うしろの正面…だあーれぇ…』その唄声は老婆の様にかすれている。
どこから聞こえるのか分からない…瑠衣の脳内だけで響く声のように思えた。
見上げる空は黒紫に変わり、ビルの稜線が少し明るくなり始めていた。
「都会の真ん中で…かごめの唄?」
歌がどこから聞こえるか分からない。
瑠衣は、女の方に視線を戻す。
歩道には誰もいなかった。
『なんで?』
車道の方に出て、左右の道を確かめるが人影はない。
瑠衣は首をかしげた。
闇の奥
自動ドアが開くと、静かなBGMが道路に流れ出す。
暗い店内の椅子席。
若い娘たち3人が、太もも丸出しのミニドレスで眠っている。
皆、男目当ての服装。
どこかのクラブで踊り疲れ、ネットカフェで始発電車を待っているのだろう。
テレビ画面の韓流ドラマも睡魔には勝てない。
だらしなくうつ伏せている。
瑠衣はカウンターの方に歩く。
入り口のセンサーが働いたのか、カウンターに店員が出てくる。
蝶ネクタイ男は「どのタイプの…お部屋…」と言いかけ、言葉が止まる。
吉岡瑠衣の顔を見てうなずく。
「いつものフラットルームでよろしいですか」と問う。
瑠衣は「はい」と同意する。「それにシャワーも…」と付け加える。
蝶ネクタイ店員はプラスチック板に挟んだ伝票を差し出す。
暗く細い通路を、指定された部屋に向かう。
居室の簡易なスライドドアを静かに開けて荷物を入れる。
直ぐにドリンクバーに行く。
いつもの温かいカフェラテとオレンジジュース。
瑠衣は部屋に戻り、ドアを閉じ施錠する。
ネットカフェの部屋は四方が約180センチの仕切り壁だけの吹き抜け状態。
その構造は密室にしない防犯対策でもあるのだが、背が高い男性なら個室を覗ける。
だから店員は女性利用者の場合、男性客を隣室にしない配慮をしている。
黒い床はレザーを張ったスポンジクッション。足音を消す為だ。
無音のテレビモニターには、店のサービス内容を画面表示されている。
テーブル横の備え付けのライトを点ける。
パソコン棚の手元だけが明るくなる。
コンビニで買ったサンドイッチとおにぎりをキーボードの横に置く。
ダウンジャケットを脱ぎ、床に置いた。
早過ぎる朝食。
卵サンドをカフェラテで流し込む。
おにぎりを咥えて、バッグから自分のタブレット端末を取り出し起動させる。
事務所からのオーディション情報、そのメールを開く。
今日のオーディション場所の最寄駅と、集合時間を再確認する。
赤坂にある映像制作会社の簡易な地図もある。
メール手配だけの事務所仕事。完全なる派遣業務。
交旅費の補助はあるが、宿泊などは個人負担という決まり。
だから夜行バス。
タブレット画面をスクロールをするとPDFファイル。
ファイルを開くと数ページ分の台本がある。
役名の横に、手書きの赤のマークがされている。
『この役で…オーディション』
最近よくテレビで見掛ける若い女優の主演する青春映画らしい。
『彼女の、大学の友人役…』
台本には主演女優との会話が抜き出してある。
瑠衣は自分の役より、主演女優の役柄を先にイメージしてみる。
主演女優のセリフと、それに続く自分のセリフを黙読する。
『コメディで、主役女優が明るいイメージなら…私の役は…』
必ずセリフを求められるオーディションだろう。
だから考え込む。
そして首を振る。
『いつも考え過ぎてしまう…』瑠衣は溜め息をする。
『選ぶ側は深く考えはいない。監督にとって重要なのは主演女優だけ、助演者には多くを望んではいない…』
それでも考え過ぎてしまうのは、落選ばかりが生む焦り。
その時、ダウンジャケットの、マナーモードのスマホが着信する。
『琴美だ』
「はい。もしもし」
岐阜の友人の米田琴美からのビデオ通話だった。
「ちょっと待って…」と瑠衣は声を落とした。
瑠衣は、閉じたスライドドアを開けて、細い廊下の左右をうかがう。
奥の方に男性の汚れたスニーカーが見えるだけで、両隣りや向かいの部屋に客はいない。
それでも、瑠衣はスマホにイヤフォンを差し込んで、小声で話しながらタブレットにスマホを同期させる。
岐阜のバイト仲間、丸い顔の米田琴美が画面で笑ってる。
琴美の背後は、仄暗いパチンコ店。
電源が入っていないパチンコ台が並んでいる。
電子タバコを咥えた琴美が歩きながら、喫煙コーナーに入っていく。
『今どこ? 岐阜の大女優さん!』と琴美の声。
吉岡瑠衣は「大女優」という言葉にイヤイヤと手を振る。
瑠衣は声を抑えて喋る。
「琴美、こんな時間に…もう店?」
『しゃーないよ。早番だし…夜、新台の入れ替えだったし。朝から客が、新台のくじ引きに並ぶだろうしさぁ。そこって新宿やろ?』
岐阜ナマリの言葉。
「そう、いつものネカフェ。さっき深夜バスで着いて…ここで着替えたりするんよ」
スマホからパチンコ店内で流しているアニメのテーマ曲が漏れている。
『今度はどんな? またCMとかなん?』琴美はオーディション内容を聞いている。
瑠衣はスマホに顔を近付け、小声にする。
「なんかねぇ。漫画原作の映画で。原穂乃花っていう女優の…大学の友人役みたい」と囁く。
『あーハイハイ、あの子ね。可愛よねぇ、テレビで見た事ある…清潔そうな。でも映画のオーディションって、すごいよ瑠衣』
「受かんなきゃ同じだよ。交通費も無駄になるし。もうすぐ22だし…こんな生活、続けていいものか…迷うよ。マジで」
琴美には何でも話せる。
『何言うの。誇りを持て持て岐阜代表。ミスターマリックに続くんだ!」
太り気味の米田琴美は、岐阜出身の有名人の名をあげて、からかい半分で毒付く。
『私なんかさあ。この体型だし、名前が「米田」だし。「マルコメ琴美」とか呼ばれてさぁ。早くさぁ。結婚でもして苗字変えたい!」
瑠衣は笑いをこらえる。
「でも…岐阜出身のマリックさんでは。励ましになってない」
『まあそうだけど。でも東京は気をつけなよ。ひげ男とかさあ、テレビ通販のジャパネッティ男みたいに両手を広げて、力いっぱい喋る男とかのは用心な! オーバーアクションは本心を知られたくないからだから。そんな男にロクなのがいない。私、経験済みだから』
「タトゥー男もでしょ。いつも言ってるよね」
『その通り。タトゥーとか、どーしようもない自己満のナルシスちゃんだからさぁ』
「分かった分かった。琴美、もう切るよ」
『瑠衣。なんかあったら、すぐ電話よ! 東京は怖いからさぁ。ワタシ、すぐ駆けつけるからさぁ。ワタシ、渋谷にも行きたいしさぁ…』とふざけている。
瑠衣は笑ってタブレットを切る。
「怖い東京…確かに…」
琴美の『怖い』という言葉で、歩道にいた赤い服の女の姿を思い出す。
「かごめ、かごめ…後ろのしょーめん…」
瑠衣はまた背中に冷気を感じた。
『…少し眠らなければ』
仮眠を決め、スマホのアラーム設定。
カフェに備えられた黒いレザークッションに持参のタオルを巻き、枕にする。
そして仰向けに寝転がる。
吹き抜けの天井を見上げる。
暗いコンクリート天井。
ホコリを被った太い換気ダクトや何かの配線コードが闇に溶け込んでいる。
『いつまで、こんな事を続けるのだろう…』と陰鬱になる気分。
「下積み生活」は成功した者だけが使える言葉なのだ。
テーブルの液晶テレビには、映画や番組サービスの画面が無音で流れる。
光がうるさいので、起き上がり電源を落とす。
消えたテレビのガラス面に瑠衣の顔が鏡のように映る。
瑠衣は自分のスッピン顔を見て、小さなアクビ。
『考えすぎ。まず寝なきゃ…』
入り口を背にして、横になる。
しばらくして眠りに落ちた瑠衣。
その時だった。
消したテレビ画面に映り込む長い髪の女。
それは逆さの顔だった。
電源が入っていないガラス面が鏡面になり、女が映る。
逆さだから、長い髪が下に垂れる。
両手で顔を覆った女が天井から徐々に降りてくる。
宙に浮いている…だから人であるはずがない
首が、常人より少し長い。
灰色の長い髪が床に垂れる。
赤茶けたワンピースの、カフェの前にいた女。
瑠衣の後ろに、指で覆った女の顔がある。
その時。
骨ばったの両手の中指と人差し指が、同時に開いた。
見開いた両眼が現れる。
指と指の間に、血管が浮き出た眼玉。
両眼がギョロギョロと動き、瑠衣を見ている。
瑠衣は悪夢にうなされる。
断片的に現れる夢。
すべての始まりは舞台の後だった。
ステージで芝居する瑠衣にスポットライトが当たる。
観客の笑い声。
そして幕が降りる。
更にカーテンコール。
瑠衣や芝居仲間で、帰る客たちを両手の握手で送り出す。
次の公演での再会を、笑顔で約束する。
その時、見知らぬスーツ男が吉岡瑠衣の前で立ち止まる。
カラーシャツに目立つネクタイ。
深い礼のあと差し出される名刺。
北島稔という名前。
名刺には「スターズ」という芸能事務所の派手なロゴが入っている。
「この後、少しお話しをしたいのですがよろしいですか?」
丁寧な言葉遣いで、瑠衣目当ての追っかけファンとは様子が異なる。
瑠衣は黙ったまま頷いた。
男と劇場横の喫茶店で待ち合わせる。
北島はブリーフケースから芸能事務所のパンフレットを出す。
ページを開くと俳優たちの写真が並んでる。
北島稔は丁寧な語り口で切り出す。
「岐阜に住んでいる私の友人が、こっちに良い女優さんがいると連絡をくれましてね。芝居のポスターや写真が付けてあって。だから今日、吉岡瑠衣さんを見させて頂くために、新幹線で岐阜まで来ました」
瑠衣は驚いて言葉が出ない。
「吉岡さんは現在、何処か事務所とか…プロダクションに所属されていますか?」
瑠衣は首を振る。そして言い訳するように説明する。
「いや。所属などありません。…お芝居には興味があったし、友人と、ここの芝居を見にきて…。その時、舞台監督、演出の方に誘ってもらって…それで劇団に入って…。学生劇団ですし、特別に契約などは…」
「それだったら、東京で頑張ってみませんか?」
待っていた言葉が出た。
吉岡瑠衣の心が動く。
「驚きです。ありがたいお話しです。夢のようです」
北島は「吉岡さんは東京に住まわれるのは可能ですか?」と問う。
「うちの事務所には寮制度があり、都心にある寮で…少しですが家賃補助も出ますし、寮内でボイストレーニングとか、演技レッスン授業もやっています。成功への近道です。どうでしょう、上京されるのをお勧めしますが…」
「その方がオーディションのチャンスも多い…。新人の場合、仕事の殆んどはオーディションで決まります。それからCM一本でスターになる可能性だってある。東京に住む方が、成功確率が高いです」
瑠衣は、困り顔で眼を閉じた。
「実は母親と暮らしています。母は視力に問題があり。全盲では無いのですが私の姿を、私の声を聞かないと認識出来ないくらいで。買い物なども危なっかしくて、母ひとりに出来ません。…長期間、家を空けるのは…難しいです」
北島の顔が少し曇る。
「なるほど。それは大変です。そういう事情なら…無理は言えません。オーディション情報とか、レッスンとか、事務所から細かく情報を流します。その都度、東京に来ていただく方向で調整させて下さい。ちょっと大変ですが、今日芝居を見て、私は吉岡瑠衣さんに可能性を感じます」
夢の中。
スカウトマン北島稔は、正面の瑠衣に顔を近づける。
北島の眼球が、黒目がおかしな動きをした。
それは、何故か人間の眼ではない。
うなされる瑠衣。
暗い個室。
仰向けで眠る瑠衣の真上に、赤い服の女がいる。
瑠衣の身体の真上に、女が瑠衣と平行に浮いている。
瑠衣の眼前、数十センチに赤い女の顔がある。
髪が垂れ下がり、瑠衣の顔を隠している。
うなされる瑠衣の顔から汗が噴き出る。
ほぼ同じ背丈の女。眼前に、怪異の眼。
目を見ひらく瑠衣。
瑠衣は、飛び起きた。
誰もいない。
身体中から汗が噴き出る。
スマホの目覚ましアラームが、ダウンジャケットの上で震える。
手のひらを、強く被せる。
『夢…か』
瑠衣はアラームを止めて、時間を確認する。
オレンジジュースの残りを飲む。ぼんやりと床を見つめる。
灰色の長い髪が数本落ちている。
瑠衣の髪ではない。
『誰の…髪?』
瑠衣はティッシュペーパーで、気味の悪い髪を拾い上げ、ゴミ箱に捨てる。
『変な夢…』
あくびしながら、隅に置いたキャリーバッグのジッパーを開く。
レモンイエローのワンピースを取り出す。
下着を入れたポーチ、化粧道具の入った小袋を持って立ち上がる。
通路を静かに、シャワールームへ向かう。
狭いシャワー室で身体を洗う。
温水がボディソープの泡を落としていく。
夜行バスの疲れも流れる。
棚に備えてあるバスタオルで、身体を拭う。
新しい下着を付けて、ワンピースを着る。
イエローのミニ・ワンピースのジッパーを上げる。
『こんなミニ…か…』
短いスカート丈を気にし、首を振る。
『脚を見せるのは、オーディションする男たちの眼を引くため』
『台本を見る限り、人物のキャラクター設定も厳密では無い』
『重要な役なら、名のある女優が選ばれている…』
それでもセリフが有るし、主人公と絡むシーンも複数ある。
おそらくクレジットされる役だろう。
『女の部分をアピールしなければならない』
洗面台コーナーへ行く。
シート席の女たちも眼を醒まして、笑いながら昨夜の話をしている。
瑠衣は洗面台のライトを灯す。
ドライヤーを洗面台のコンセントに繋ぐ。
メイク道具を出して、鏡に顔を寄せる。
『女子大生役だから…』と、素肌感を残せるファンデーション。
薄くノーズシャドウを付け、鼻筋にハイライト。
おっとりとした役の主演女優の友人役、だから敢えてキリッと印象的にする。
アイライナーで少し強めの線を足す。
その方が採用されやすいと考えたからだ。
マスカラブラシでまつ毛を持ち上げ、しばらくキープする。
ビューラーより、まつ毛が上向きになり過ぎず、ナチュラルに見える。
ネットで研究した我流の化粧術。
『女子大生、女子大生…らしく』
「絶対、選ばれる…」瑠衣は小さく、鏡に呪文を囁く。
更にリップライナーで、控えめに上唇にラインを足して口角を上げる。
髪を整えドライヤーを切る。
洗面台から出てくると、吉岡瑠衣は別人になっていた。
華やかなミニドレス、輝く髪。
カウンターで会計している夜遊び女たちが、思わず顔を上げ瑠衣を見る。
蝶ネクタイ店員も眼だけで瑠衣を追う。
瑠衣は紛れもなく、女優の顔だった。
オーディション
赤坂に着くと、直ぐにオーディション会場の確認をする。
瑠衣はいつも早めに現地に行き、オーディション会場の近くで待機する。
遅刻は出来ない。
長い時間待つから、ファミレスやファストフード店が多い。
窓側の席で、行き交う人を見ていれば退屈しない。
東京は、街によって歩く人の表情が変わる。
赤坂は大きなテレビ局もあるし、仕事人が多いから人々の歩くスピードが早くなる。
銀座などは買い物目的や観光客が多い。概して人の流れがゆっくりしている。
ファミレスの窓際に座って赤坂の街を見る。
ランチタイムは過ぎているが、場所柄、客は多かった。
少し離れた席から吉岡瑠衣を見つめる女がいた。
同じ並びの窓際の席に座る、同じ歳くらいの女。
窓外の街を見る瑠衣の横顔を見つめている。
瑠衣はそれに気付かない。
その女も、美しい女優顔だった。
オーディションに、事務所マネージャーが同行するのは最初だけ。
一年が過ぎると、ひとりでのオーディションが常だ。
だから、その動向を事務所に報告しなければならない。
瑠衣は、映像制作会社ビルの前でスマートフォンを取り出す。
「吉岡瑠衣です。今、赤坂です。これからオーディション会場、メールにあった制作会社に入ります」
「了解でーす。今日のは映画だから…大チャンスよ。瑠衣さん頑張ってね」女性事務員の業界言葉が返ってくる。
瑠衣は深呼吸をする。
エレベーターで3階に上っていく。
オーディション控え室と書かれた大部屋には、もう4人の女優がいた。
部屋に入るとみんなの眼が集まる。
それはライバルを吟味する視線。
瑠衣は、黙礼しながら部屋の奥まで進む。
美しい女優たちが、次々と部屋に入ってくる。
結局、控室には10人くらいの女優たちが集まった。
そのタイミングで、無精髭のアシスタントディレクター(AD)らしい男が入ってくる。
女優たちにA4サイズの用紙を配る。
「皆さん。お集まりいただきありがとうございます。今、お配りした用紙に、ここにあるマーカーで、お名前と年齢、所属事務所、それに過去の出演作、CMとか映画やドラマのタイトル名を書いて下さい。2〜3個の代表する作品です。それと今日のオーディションの様子はビデオ録画させていただきます。了承ください。順にお呼びしますのでお待ちください。トイレはエレベーターの奥にあります。それに、この箱にお茶のペットボトルと、こちらのポットには暖かいコーヒーを用意していますから、ご自由にどうぞ。では、よろしくお願いします」
早口で伝え、室外に出ていく。
女優たちは、それぞれテーブルに備えてある太めのマーカーで項目を埋めながら、横目で他の女優たちの出演歴をうかがっている。
瑠衣も、他の女優たちをさりげなく観察する。
ひとりの女優と眼が合った。
ファミレスで瑠衣を見つめていた女。
瑠衣は、ファミレスで見つめられた事に気付いていない。
『なぜ、見るのか』不審に思う。
瑠衣は気にせず視線を外し、テーブルの用紙に集中する。
配られた用紙に名前と所属事務所を書く。
『出演歴…か』
瑠衣には、出演歴の欄に書けるテレビや映画作品がない。
書けるのは、岐阜での舞台経験だけ。
不利だが嘘は書けない。
無精髭のADが戻ってきた。
「オーディションを始めます。ひとりずつお呼びします。1番目の方は、立花由香さん。どうぞこちらへ」
次々に、面接に呼ばれて部屋を出る女優たち。
小さな役だが、みんなの緊張が伝わる。
瑠衣は、ぬるくなった紙コップのコーヒーで気持ちを和らげる。
持参のミネラル水を飲む者もいる。
気分を紛らせる様にスマホを覗き込む者。
ADが次の女優を呼ぶ。
「次は三上…尚美さん。お願いします」
ファミレスで瑠衣を見ていた女。
瑠衣と眼があった女優だ。
三上尚美は無精髭ADとすれ違うとき、グーにした拳でADのお腹を殴る真似をした。
『知り合いなのだろうか?』と瑠衣は思った。
そして最後、ひとり残された吉岡瑠衣のオーディションが始まる。
「では、最後は吉岡瑠衣さん。どうぞこちらへ」
瑠衣は『なぜ最後なんだろう…』と思う。
廊下を挟んだ向かい側のオーディション部屋。
ドアは開かれていた。
瑠衣は深い礼をして部屋に入る。
壁際のテーブルに審査員たちが並んでいる。
部屋の真ん中に簡易なパイプ椅子、三脚に乗せたビデオカメラ。
「そちらにお掛け下さい」と無精髭ADが部屋の中央に置かれた椅子に促す。
瑠衣は、礼をして椅子に座る。
審査員たちの視線。
壁際のヒゲ監督やプロデューサー、4人の眼が瑠衣の全身を舐めるように見つめる。
黄色いミニスカートの膝を閉じる。
書き込んだ用紙を胸の高さに持つ。
ビデオカメラでADが撮影を始める。
無精髭ADが瑠衣の持つ用紙にビデオをズームする。
候補者の名前と顔を映像に記録するのだ。
「では、カメラに向かって自己紹介をお願いします」
「はい。よろしくお願いします。吉岡瑠衣と申します。21歳でスターズ所属です。今までの活動は舞台が中心です。「サマータイムの出来事」という青春物の劇では主演を務めました。舞台経験しかありませんが、このオーディションが自分にとってのチャンスだと考えて、今回の映画に、もし採用されれば全身全霊で頑張りたいと思っています」
長髪のヒゲ監督がうなずき、質問を始める。
「ありがとうございます。…吉岡瑠衣さん。この映画も同じ青春ものなんですが…。その舞台劇はどんな役でしたか?」
瑠衣は笑顔で答える。
「サマータイム。夏休みに体験する恋のお話でした。私の役はちょっと天然の女子高生で。同い年の彼や、モト彼、友人たちの、それぞれの思いが重なる…青春コメディでした」
ヒゲ監督は「なるほど。オリジナルの青春物ですね。今回の映画も漫画原作で、同じような青春コメディ。このオーディションで選ぶのは主人公のクラスメイト…友人役です。これから役のセリフ。ちょっとお芝居をしてもらいます」とそばのADに合図する。
無精髭のADが、指示を受けて説明する。
「この台本。この部分の…セリフをお願いします。私が主役の『ミオ』のセリフを言いますので、それに合わせて演技をお願いします」
無精髭ADは、瑠衣に台本を見せる。
彼は緊張している。
『何故だろう…』
瑠衣はシナリオをみる。
直ぐに審査員席の監督に質問する。
「あの質問、よろしいですか。この娘、友人女性ですが、主人公のミオとは、どんな関係性なのですか?」と説明を求める。
ヒゲ監督が答える。
「この子のイメージはねえ。同学年で、同じクラスの友人で、仲は良いんだけどね。でも、主人公の恋敵でもある。ライバルなのね。気になっている好きな男と主人公ミオとの距離を探ろうと、お茶に誘うシーンなんだよ」
瑠衣はシナリオを、もう一度確認する。
「…なるほど。分かりました、やってみます」
数行のセリフのやり取りを無精髭のADと行う。
「ではいきますよ。ヨーイ…はい!」監督はカチンコがわりの手を叩く。
瑠衣の芝居。
「ねぇミオ。ちょっとお茶しない? 次の講義が終わったら、ちょっと聞きたいことがあって。いいでしょう?」と。
「いいよ…なんか、ちょっと怖いけど…。学食のホールでいいの?」と棒読みのAD。
「いや。そうだ駅前のケーキ屋にしよう。前にさ。一緒にカスタードのシュークリームを食べたお店。私は先に行ってるから。待ってるから! 今日は、ご馳走するから」
瑠衣は「ご馳走する」というアドリブも入れ込んだ。
監督の「はい、オーケー。ありがとうございます」という声。
監督が頭を掻きながら感想を言う。
「なるほどね、悪くないね。アドリブも自然で面白かった。発声も舞台劇みたいにハキハキして聞き取り易いし。微妙なニュアンスも感じられ、とても上手だ」
少し間を取って監督が続ける。
「でも…あなたのセリフに少しナマリ…があるね、どこ訛りなんだろうね。どこの出身なの?」
予期していない質問に、瑠衣は少し慌てる。
「あ、はい。岐阜です。御免なさい。これから、しっかり標準語の訓練しますのでよろしくお願いします」
瑠衣は頭を下げる。
「そうだね、映画は東京が舞台だからね。訛りは気を付けないと。どうもありがとう」
瑠衣は、深々と礼をして部屋を出た。
ドア外で顔をしかめて、エレベーターまで進む。
監督の声が聞こえた。
「今のが最後の人だよね。総じて…帯に短し…タスキにも短いって感じかな」とADに話している。
『…またダメか。岐阜訛りは事務所からも言われて、直したと思っていたが…』
溜め息が出る。
瑠衣は失意でエレベーターに乗る。
エレベーターの中で、悔しそうに下を向く。
右手を拳に握る。
『また落選か…今回は行けると思っていたのに…』と眼を閉じる。
その時だった。
エレベーターが揺れた。
得体の知れない冷気。
天井の灯りが消えた。『え?』
エレベーターが暗闇になった。
点滅し、灯る補助灯。
エレベーターの防犯カメラ映像が乱れる。
暗いエレベーターの中。
赤い服の女が、瑠衣の真後ろにいる。
首が長い女。
瑠衣は何が起きたのか分からない。
長い首の女は瑠衣の顔をみようと一歩、前に進む。
瑠衣の真横に首を伸ばす。
髪で顔が見えない。
乱れた髪の奥に白い眼玉。
瑠衣は、気配に振り向いた。
誰もいない。
その時、エレベーターのドアが開き、玄関からの陽光が差し込む。
めまい。
瑠衣は突然、寂寥感に襲われる。
眼に涙が溢れた。
涙で通りの景色がぼやける。
『もう限界。やめよう…女優なんて。もう無理だ…』
瑠衣は、肩を落として玄関の方へ踏み出した。
背後で足音がする。
階段から急いで降りた無精髭ADが息を切らし、瑠衣を呼びとめる。
「吉岡瑠衣さん、お疲れさまでした。ちょっとお話しがあって…少し時間ありますか?」
「はい。大丈夫ですが…」
瑠衣は当惑する。
「お願いしたい事がありまして。ちょっとの時間で済みますんで…」
瑠衣は首を傾げた。
もうひとつのオーディション
無精髭ADは、瑠衣がオーディションまで待機していたファミリーレストランに入った。
「あの。飲み物でいいですか?」
タブレットでフリードリンクを注文後、ADが焦り気味に話し始める。
「今日のオーディションの結果は、決まり次第、事務所の方に連絡します。実は、それとは別の案件がありまして…」
「別の、案件?」
「そうなんです。実は私。今の会社、制作会社を今月で辞めるんです。それから実家の岩手に帰る予定なんですが…」
瑠衣には話が読めない。
無精髭ADも、さすがに唐突過ぎると気がつく。
「あ。コーヒーで…良いですか?」と、1人でドリンクコーナーへ行き、コーヒーを持って直ぐに戻って来た。
コーヒーを瑠衣の前に置き、ブラックのまま自分も一口飲み、溜め息をする。
「あ、いや。御免なさい、急な話ですよね。私の実家は岩手のホテル『束の間』という観光ホテルをやっていまして。ホテルは戦前に出来たけっこうな老舗で。でも今度ですね、新館ホテルが完成して。もうすぐオープンで。これからそんな広告とかイベントとかやらなければならないんです。それで…吉岡さんに、吉岡瑠衣さんにホテルのイメージキャラクターになっていただきたいんです。ホテルの宣伝ポスターとかCMや、これから始まるイベントに出演して欲しいんです」
ADの、支離滅裂な説明だが意味は分かる。
瑠衣が驚く。
「待って下さい…私が…イメージキャラですか?」
「そうなんです。今回は映画の脇役探しでしたが、私は内緒で、個人的に岩手のホテルのキャラクター探しもやっていたんです。さっきの監督とかプロデューサーには内緒で…ですが」
「私が…。でも、なぜ…私なんですか?」
「それは…直感です。なぜか、写真選考で吉岡さんに興味を持って。で。今日お会いして確信しました。近々ですが…私がそのホテル経営を継ぐ事になるので…東京にいるのも、まあ武者修行というか…経営の事とか、すべて自分で決めて良いので…」と笑った。
「吉岡さんが岐阜でやられていた舞台『サマータイムの出来事』もYouTubeに上がっていたので拝見しました。とても上手でした。今日のオーディションも実に良かった。監督の言っていた地方訛りとか、私はまったく気にならなかった。あの監督、細か過ぎ、絶対ヘンです」
次の言葉が、更に瑠衣を混乱させる。
「それで、ですね。結構無理なお願いがあって。吉岡さん。所属されている芸能事務所のスターズ、あの事務所を辞めて欲しいのです。…あの会社、前から感じてたんですが。むかし気質というのか、俳優を活かしていない気がします」
瑠衣は、言葉が出なかった。
『確かに…1年間、結果が出ていないのは事実だが。それは私の力不足で…』と、言葉をまとめようとしていた。
だが、次の彼の言葉は衝撃的だった。
「実はですね。吉岡瑠衣さんと個人契約したいんです。芸能事務所スターズではなく、吉岡さん個人と年間契約をして欲しいんです。実は、長丁場のイベントを計画していて。しばらく岩手に滞在して欲しいのです。私はスターズの北島稔マネジャー。岐阜で瑠衣さんをスカウトした北島マネジャーから吉岡さんの情報を聞きました。オーディションのたびに岐阜から通われていることや、ご家族、お母さまの事情など。私は、それらの支援も考えています。本当に吉岡さんの手を借りたいんです。だから、あの事務所を辞めて欲しいんです」
「私と個人…契約ですか?」
瑠衣は戸惑うが、彼の並々ならぬ決意を感じた。
無精髭ADは、粕谷耕一郎と名乗った。
彼の言葉は、更に瑠衣を驚かせる。
「私のプランでは。吉岡さんをホテルCMのキャラクター、キャンペーンのイベント行事の『顔』になっていただく。少なくとも2年間の専属契約です。私はもう少し先まで考えていますが。取り敢えず2年間。CMや、ホテルのウェブ広告の顔になって欲しいんです。もちろん相応な契約料も用意します」
粕谷が提示した年間契約料は2,000万円。
とんでもない金額提示。
それは瑠衣のアルバイトでの年間収入の20倍だった。
途方もない金額。
『2年で…4,000万円って…』
粕谷は頭を掻きながら、愚痴をこぼす。
「両親からずっと。早く岩手、盛岡に帰って来いと言われていて。そう両親もこのイベントに賛成してくれてます。契約料も一括でのお支払いか毎月の分割払いでも構いません。2,000万は年間契約料で、CMは撮影ごとに別のギャランティを用意します。一年に、何タイプかのコマーシャルを作らねばなりません。それらは岩手で撮影します。瑠衣さんのイメージで岩手のホテル『束の間』イメージを全国に認知させたいのです。CMだけじゃなくて。おそらく雑誌のグラビアとかの、そんな仕事も派生します。たぶん水着とかになるでしょう。広報的に話題作り。それにネットなど活用するので吉岡瑠衣さんの名前も全国に知られるようになる筈です」
瑠衣は呆気にとられる。
『これが本当なら…』瑠衣は、コーヒーではなく固唾を飲み込んだ。
『夜行バスで東京に通う必要などなくなる』
『ネットカフェでの着替えや、パチンコ店でのアルバイトもしなくて良い』
『岩手だと、母親と暮らすのは難しくなりそうだが、収入が増えれば介護してくれる誰かを雇える』
『そして、何より俳優として、役者としての道が開ける可能性が…出てくる…』
瑠衣は粕谷耕一郎に質問した。
「そのイベントというのは。どんなイベントなのですか?」
粕谷耕一郎が笑った。
「かくれんぼです。吉岡さんに『かくれんぼ』をして欲しいのです」
瑠衣は呆然とした。
「かくれんぼ…ですか?」
「そう『かくれんぼ』がホテルのイベントの核なんですよ。多分、半年か。長くて1年間の限定で、このイベントを起爆剤にして…」
粕谷耕一郎が、説明を始めた時だった。
ファミレスのテーブル横に、女が立つ。
瑠衣が驚いて、その女を見る。
女はキッパリとした口調で粕谷に話す。「どう? 彼女、受けてくれた?」
控え室で吉岡瑠衣を見つめていた女優、三上尚美だ。
「いや…まだ。今、仕事内容を説明する所だった…」
粕谷は、瑠衣に女性を紹介する。
「えーと。彼女は三上尚美さん。彼女も俳優で、以前にCM仕事をしてもらって。今日のオーディションにも来てもらい。でも尚美は映画より…岩手の仕事に興味津々で…」
尚美は粕谷の話の腰を折るように、粕谷の隣りに座った。
「三上尚美です。吉岡瑠衣さんと同じ21歳。私は子役からだし、芸歴は結構長くて。でも全然売れて無くて。子供のころはもっと可愛かったけど。だんだん大人になると、吉岡さんみたいに綺麗じゃなくなったし。というか、どちらかというと裏方仕事の方が好きで。私は将来的に演出家、映画監督が希望なの。今回も主にそっちで手伝うんだけど…」
瑠衣が茫然としているのを見て、三上尚美は粕谷の方を向く。
「ねえ粕谷くん。かくれんぼの事は、話した?」
三上尚美は10歳は年上の粕谷を「くん付け」で呼んでる。
「いや。今から話そうと…」
「じゃあ、私が説明する」
強引な尚美に、粕谷は呆れ顔で笑う。
尚美は、瑠衣に対しても初対面とは思えない話し方で続ける。
「粕谷くんの実家。新館ホテルの話は聞いたでしょ。実は新館の裏側に旧館が残ってるの。新館が出来て、役目が無くなった旧館。おじいちゃんが作ったんだっけ?」
「いや、その前。曽祖父、ひいおじいちゃんが戦前に建てたホテル」
「まあとにかく。新館が出来て、旧館ホテルを取り壊して新しい施設を作る予定なの。でもそのまま壊すのはもったいなくて。せめて1年間だけでも、壊す前に何かやろうと企画したの。最近、没入型のゲームが流行っていて。例えば通常の観光旅行ではなく、行き先を隠して、何処に行くのか客に言わないミステリートレインとか。観光ホテルなんかも、架空の殺人事件ドラマを設定し、お客さんが探偵になって犯人探しをするとか、そんなエンタメのイベントが流行っているの。粕谷くんの岩手のホテルでも、そんなイベントをやりたいの」
瑠衣が問う。
「それが、かくれんぼ?」
「そう、粕谷くんが考えたのが『かくれんぼ』ゲーム。旧館のどこかの部屋…部屋と限らないけど、とにかく隠れる。それをお客さんに探してもらう。家族や恋人同士が探偵になって旧館に隠れたアイドル、美女を探すの。その美女が吉岡瑠衣。あなた」
「バラエティ番組に…そんなのあったかも」
「そうそう。バラエティなの。お客さんが体感するバラエティゲーム。各部屋や廊下とかビデオカメラを設置して、探す様子を撮影したり。賞品とか、ヒントになる謎を隠したり。まあ細かいストーリーはこれからだけど、このゲームに魅力的な美女キャラクターが必要なの」
粕谷が尚美の補足をする。
「このイベントで。ホテル束の間をもっと沢山の人に認知させたい。東京とか遠距離のお客もだけど、東北や地元岩手からの客も取り込めるし。東京でもCM広告も打ちたい。キー局は無理だけど、東京ローカル深夜枠でCMを流すつもり。つなぎ温泉っていう、ちょっと地味な温泉街だし。ありがちな温泉やグルメCMではなくて、サスペンス的な映像を作って、話題性を待たせたいんだ。この企画で吉岡瑠衣さんをスターにする。それがホテルのイメージを上げてくれる筈なんだ」
三上尚美が身を乗り出し、自分のスマホを差し出す。
スマホ写真を瑠衣に見せる。
「これは私が、その旧館を撮ったものだけど…」
無人の部屋の写真や動画。
白い布が被せられた家具やベッド。
カーテンから差し込む窓あかり。
壁の大きな鏡には撮影している尚美自身も映っている。
開いたクローゼットの中。
大きな業務用冷蔵庫や食器などが散乱するキッチン。
暗い廊下や階段を降りて踊り場から暗い階下に移動する映像。
ステージのような大広間の写真もある。
「これが数ヶ月前まで、実際に使っていた旧館。この…乱れた感じの廃ホテル状態の方が、なんか臨場感があって良いと思う。整理された部屋よりミステリアスになるし。この何処かに、あなたが隠れるの」尚美は笑ってスマホの写真を指さす。
粕谷耕一郎が、更に補足する。
「吉岡瑠衣さんの魅力は集客の武器になると思う。吉岡さんは…誰かを惹きつける魅力を持っている。今日のオーディションで…間近に見て、確信した」
瑠衣は、オーディション時の緊張した粕谷の様子を思い出した。
「私に…魅力?」瑠衣は戸惑っている。
「そう。CMやポスターとか。2ヶ月くらいの準備期間は必要だろうが新館オープンを知らせる話題性作りに絶対なる。吉岡瑠衣さんのキャラクターで、ホテルの認知度を上げたいんだ。客がたくさん集まって。スケジュール的に辛い時は、三上尚美も瑠衣さんに代わって隠れてもらうこともあると思うけど…」
尚美は、まんざらでもない表情で答える。
「まあ、私も女優だし。その状況はあると思っていた。私もかくれんぼをするつもり。でも。客が見つけてくれるまで、わたし隠れてる場所で眠らないか…そっちが心配だけど」と笑う。
三上尚美は吉岡瑠衣の方に、身を乗り出した。
「どう? 一緒にやらない?」
吉岡瑠衣は天井を見て、大きなため息をし、考える。
『今の事務所で、1年間過ぎて…何も無かった』
『それに年間2,000万円は途方もない金額だ』
『まさかこんなオーディションが…待っていたとは…』
瑠衣は覚悟を決める。
「私…今のままでは…と。この仕事に限界を感じていて…」
「だから…私で、お役に立つのなら…お受けします」
瑠衣は同意した。
粕谷耕一郎と三上尚美は、小さくハイタッチして笑う。
「いや、でも。一度、岐阜に戻って。母に今のお話を…説明して。準備が必要です。事務所を辞めるとか…いろいろ…やらなきゃいけない事があり過ぎて…」
2人は笑いながら、名刺を差し出す。
粕谷が「これは私の名刺です。ホテルの…まだ仮の名刺だけど。でもスマホとホテルの住所とか…入っているから」
三上尚美も「私のプライベート名刺。私も事務所を辞めてるし。同じなのよ、あなたと…」と明るく笑う。
吉岡瑠衣は尚美に釣られて、つい笑顔になった。
長い橋の向こう側
タクシーが田舎道を進んで行く。
信号の少ない道だった。
吉岡瑠衣は、タクシーの窓外に視線を移す。
湖に架かる長い橋が見えてきた。
瑠衣は運転手に問う。
「この橋の向こうが、つなぎ温泉なんですか?」
タクシー運転手が瑠衣の問いに答えようとルームミラーを見た。
瑠衣の隣に赤い服の女がいる。
こんな客は乗せていない。
「あれ…その人は…?」
運転手は驚いて運転席から振り向くと吉岡瑠衣だけ。
「え? 今のは…」
瑠衣は何のことか分からない。
運転手は戸惑いながら答える。
「いや…あの。そうです…この湖は…川を堰き止めて作った人造湖、ダム湖でね。盛岡つなぎ温泉は、このつなぎ大橋の向こう側ですよ」
ドライバーは、もう一度、恐々とルームミラーを覗くが、もう女はいない。
瑠衣は訊ねる。
「この橋、歩けるんですか?」
「え。ああ。歩道もあるからね。でも車も通るし、気をつけないと。それに寒いよ。長さは約600メートル。歩くと10分くらい掛かりますよ」
瑠衣はタクシーを降りた。
ドライバーは、おかしな女の座っていた後部座席を調べている。
湖面から吹き上げる風は、確かに冷たい。
キャリーバッグが凍った橋の歩道でゴロゴロと音を立てる。
芸能事務所スターズを退会するのは電話だけで済んだ。
女性事務員の「そうですか。少々お待ちください」という返事。
数分後「分かりました。残念ですが了解です。吉岡さん、1年間、ありがとうございました」
呆気ない返事だった。
一本も仕事していない女優を引き留める者はいない。
だが母親は応援してくれた。
良く見えていない眼で「瑠衣の苦労が実ったのよ。頑張ってきたから神様からのご褒美よ。私のことより、自分の未来を考えて」と言ってくれた。
米田琴美も。
「岩手の温泉? ホテルのイメージガールって事? CMもあるなら女優への第一歩だよ!」
タブレットの米田琴美はパチンコ店の休憩室で加熱式タバコの煙を吹き出す。
「正直、瑠衣がこの店を辞めるのは寂しいけどさ。私。時々、お母さんの様子は見に行くからさ」
瑠衣は、つなぎ大橋の歩道の柵に手を掛け、広い湖を見る。
そして、身体を乗り出して、すぐ下の湖面を覗き込む。
青い何かが浮いている。
湖面に鮮やかな青い服が見えた。
瑠衣は不思議に想い、もう一度、湖面を眼で追う。
『あれ?』
湖面には、小さな波が立っているだけだった。
橋を渡り、数分歩く。筆文字の様な『束の間』のロゴが見える。
大きなホテルだった。
玄関の自動ドアが開いた。
粕谷耕一郎が新館のロビーまで迎えに出る。
「待ってましたよ」
無精髭は剃って、髪も短髪にまとまり、ジャケット姿で東京のADらしさは消えていた。
「新館ホテルの稼働はまだだけど。まあ、温泉や調理場の準備も出来たし。あとはイベントをどう企画するかだけ。瑠衣ちゃんが来たから、それも前に進められる。後で旧館の様子だけ見てもらおうかと…」
瑠衣もホッとして漏らす。
「すみません。時間が掛かって。でもスターズ事務所は意外にあっさり退会させてくれて。簡単すぎて驚きました。尚美ちゃん、来てるんでしょ?」
「ああ、彼女は旧館で…ビデオカメラとか、モニタールームの映像とかのメンテナンスをやってる」
「あの子、なんでそんな事が出来ちゃうのか不思議、同い年なのに」
「ははは。確かに彼女は変わり者。瑠衣ちゃんの部屋も用意している、まずはひと休みして。あとで旧館の案内をするから」
「ありがとうございます」
瑠衣の部屋は新館1階の客間だった。
粕谷がドア口まで案内してくれる。
「当分は、この部屋を使って。隣が尚美の部屋。直ぐに尚美を呼んでくる。冷蔵庫に飲み物あるんで好きに使って。彼女の作業が終わったら一緒に旧館に行きましょう。旧館は新館の裏側、渡り廊下で繋がっているから」と粕谷は部屋を出る。
瑠衣は冷蔵庫からミネラルウォーターを取り出して、ベッドに座って部屋を見まわす。
天井が高いピカピカの新館。
着ているダウンジャケットから薬瓶を取り出す。
『少し興奮してる…』
いよいよ始まる女優仕事だからだと思う。
瑠衣は決められた2錠を手のひらに。
それを水で飲んだ。
その時、ドアが2回だけノックされる。
三上尚美だ。
「やっと来たか。粕谷くんは支配人を呼びに行った。昔からいる旧館に詳しいお爺ちゃん」
尚美はベッドサイドの薬瓶を見る。
「これ瑠衣の薬? どっか悪いの?」
「前から、不眠の為に抗不安薬を処方されてる。眠れないというか、インソムニア障害があって…いろいろ考え過ぎちゃう人なのよ」
「へー。私と反対。私は、もっと考えろって、みんなに言われる」と笑う。
瑠衣が問う。
「尚美、旧館はもう見たんでしょ?」
「そうね。カメラを取り付けたから。監視カメラ…というか。家のペットを見るみたいな家庭用の簡易カメラだけど。30台をあっちこっちに付けてもらったから。各部屋を業者と一緒に回った。そのカメラ映像をモニタールームに飛ばして。一括して見れるようにしてたの。数が多くて大変だった。かくれんぼゲームは、客が無人の旧館をうろつく訳だし。安全が第一だしね」
「尚美は凄い。そんな技術的な事が出来るって。それにさ。お芝居も見たよ。尚美が子役のころの出演作品。3本くらい見た。可愛くて、とても上手だった」
「え。マジで? ありがとう。でも芝居が出来てもさ。売れる売れないって、運とか…役に恵まれるとか、芝居の技術だけじゃないのよ。瑠衣も1年間オーディションに落ちまくったと言っていたけど…そんな女優は山ほど居てさ…。ゲット・ザ・チャンス! このチャンスをモノにしないとね…」
その時、ドアがノックされる。
「あ。来た来た。旧館調査隊!」と尚美が立ち上がる。
廃ホテルのリサーチ
新館の裏側、旧館への便宜上作られた渡り廊下。
廊下の先に旧館が見える。
硫黄の臭いが強くなる。
木立が並ぶ広い裏庭には、色を無くした落葉が積もっている。
その中に古びた井戸がある。
渡り廊下を歩きながら瑠衣は井戸に驚く。
瑠衣を見て尚美が笑う。
「大昔のホラー映画のデジャヴみたいでしょ。100年以上、ずーっと前からある井戸なんだってさ。温泉が地下水に混ざるみたいで飲料として使って無くて。ほら、湯気とか少し出てるでしょ。温泉の匂いはあの井戸からよ」
湯気が朽ちた井戸から立ち上っている。
「あの映画で。呪いのビデオ見るのがさ、大きな40インチテレビじゃ無く、10インチの小さなテレビだったら、画面が小さくて、小さい幽霊が出てきそう」と笑う尚美。
瑠衣も、尚美のおかしな発想に呆れて笑う。
瑠衣は旧館を見上げる。
コンクリート造りだが、赤いレンガを装飾的に使っている。
約100年前の建造とは思えない、しっかりした建物だった。
玄関から70歳くらいの黒服ネクタイの紳士が出て来た。
彼は瑠衣と尚美に、恭しく礼をした。
「旧館の主電源を入れて置きました。遅れてすみません」
粕谷耕一郎が紹介する。
「こちら、ホテル総支配人の岩崎政夫さん。僕も子どもの頃からお世話になっている人で。それに旧館にも詳しいし。創業当時から…このホテルで」
「いやいや。おぼっちゃま。さすがに創業当時は生まれていませんよ。初代の宗次郎様の次、耕一郎様のお祖父様の時代からこのホテルでお世話になっております。創業時の事は、聞き及んだ事ぐらいしか分かりませんから、お役に立てればいいのですが。吉岡瑠衣さま、三上尚美さま。この度のイベントに、お手伝いいただいて感謝しております」。
岩崎支配人は深くこうべを下げる。
若い二人も恐縮して頭を下げた。
「俺の親父もさ。なんか盛岡つなぎ温泉の役員とかに収まって、ホテルには滅多に顔を出さないし。ホテル束の間の事は殆んどを岩崎さんに任せっきり。岩崎さんに何でも質問して」
吉岡瑠衣は興味深そうに、暗い旧館の中を見ている。
「旧館って聞いていたから、もっと廃墟みたいなの想像していたけど…ぜんぜん古く無いですね」
「ははは。そうでございます。この前まで使っていましたから。しっかり作られた施設で、まだまだ現役ですよ。このイベントで使った後、壊すのがもったいないです。まあでも新館も完成しました。新しい時代を迎える良い機会ですし、耕一郎坊っちゃまが戻られ新しいホテルに生まれ代われば、私も支配人として最後のご奉公です。さあ、どうぞお入り下さい」
岩崎支配人が旧館の奥に入って行く。
そして壁のスイッチを押す。
蛍光灯が瞬き、ロビーが明るくなった。
粕谷耕一郎が口を開く。
「そうなんだよな。この明るさをどうするか。そこも考えないと。各部屋や廊下の照明を点けるか消すか。かくれんぼゲームの時、明る過ぎると見つけ易くなって『かくれんぼ』の醍醐味が無くなるし。暗くすると怖いしさ。今日、それもちょっと試したいから、念の為に、この懐中電灯を持って。暗いと危ないからさ」粕谷は、瑠衣と尚美にペン型LEDライトを手渡す。
ロビーは西洋的な作りだった。
正面を見る。
大理石の受付フロントには岩手山と湖を模した刺繍絵がある。
ロビーに並んだ椅子やテーブルには、埃よけの木綿の布切れが掛けてある。
皆はエレベーターホールまで進む。2機のエレベーターがあった。
岩崎がボタンを押すと、ドアが開く。
「建物自体は古いですが。このエレベーターは後で、増設したもので、丁度60年前くらいですか。毎年メンテナンスしていましたから、ぜんぜん現役ですよ」岩崎が説明する。
「ホテルが作られた100年前って、エレベーターは無かったのか」と尚美が中を見まわす。
岩崎が「三上さま。90年前でございます。戦争の少し前です」と笑いながら訂正する。
エレベーターの中は、少し暗い照明で、天井はLEDで作った星空だった。
「星空みたいで、おしゃれ」と尚美。
「ここは岩手だしさ、宮沢賢治の『銀河鉄道の夜』を意識してるのだと思うけど…」と粕谷が説明する。
「ああ…銀河鉄道…か。メーテルの『999(スリーナイン)』の事?」尚美が瑠衣に問う。
また首を横に振る、瑠衣。
4人は、2階でエレベーターを降りて暗い廊下を歩く。
岩崎は大きな部屋の灯りを点ける。
「ここが2階の調理室になっています。すべてのお部屋の朝夕のお膳を、ここで調理いたします」
瑠衣も興味深そうに観察する。
入り口近くの壁に小さなエレベーターが付いている。
「これ、エレベーターですか?」
「配膳用のエレベーターで。これが各階にあって夕食や朝食を迅速に客室にお持ちします」
「…電動ですよね」尚美が確認する。
「このボタンを押せば各フロアに届く。食事時間は大変な忙しさで、調理場で作った朝食や夕食を、各フロアにいる配膳係が取り出して客室に届けます。1階に届く業者からの食材も、このエレベーターを使って2階に上げます」
尚美が配膳エレベーターの中を覗き込んでいる。
「エレベーターだけど、中にはボタンが無いのか…」
「運ぶのは、料理や食材だけですからボタンは要りません。ははは…」
流し台にいた粕谷耕一郎が瑠衣に声をかける。
「瑠衣ちゃん。ここ。流し台の下に空間あるよ。ここにも隠れられる」
瑠衣はしゃがんで覗き込み、しかめっ面をする。
シンクの部分が殆んどで、更に排水ダクトが真ん中にあり、身体を折り曲げて座らなければならない。
「入れるけど…入りたくはない」さすがに窮屈過ぎる。
「映画『ジュラシックパーク』でさ。子ども達が恐竜に追われて隠れてた。この部屋そんな隙間だらけで、面白い」と、尚美がスマホで撮影しながら笑う。
そして尚美は天井の隅を指さす。
「この調理場は広いから、ビデオカメラを3台付けた。ここと…あそこ。それに大きな冷蔵庫や移動棚など雑多だし。そこにも」天井、壁のカメラを説明する。
「監視用カメラと言っても家庭用だけど。でも優秀でコントローラーでパン、横にレンズを振ったりも出来るし。ペットとか子供とか、動くものを追尾してくれるの」
尚美がカメラを説明する映像が、一階の事務所、モニタールームのテレビ画面に映っている。
モニタールームには30台の小型モニターが並んでいる。
客間や調理室、物置きなど、それぞれに1〜2台のカメラを設置してある。
それぞれのモニターに部屋の名、「四季」とか「山水」「湖畔の間」とか部屋の名前が貼られて、何か不測の事態が起きても監視が出来る仕掛けになっている。
4階の「湖畔の間」に入る。
粕谷は部屋の蛍光灯を点けた。
岩崎支配人が説明する。
「客室の基本構造は同じでございます。和室と洋間の違いだけで…」
尚美は数日前に取り付けたカメラの位置を指さす。
「カメラは階段や廊下にも付けて。でも数の制限もあるし、全部の部屋には付けられない。事故など起きないだろうけどね。だからゲームは2階3階4階で行うようにした。このゲームに1階フロアと5階は使わない。5階は隠れるといっても殆どが展望風呂だしね。そうだ岩崎さん。この前、気付いたんですが…」
三上尚美は、岩崎支配人に聞く。
「5階に、ちょっと他と違う部屋がありました。展望風呂から離れた、お客さんが立ち入れない場所、廊下の奥に茶色のドアで鍵の掛かった部屋、部屋のドア横に大きな鏡もあって。あの部屋は、何の部屋なのですか?」
「あれは…ですね。創業者の…宗次郎様の奥様のお部屋だったのですが。亡くなられるまで使われていた部屋です。大奥さまは…殆どあの部屋から出られず。ずっとあのお部屋でお暮らしでした。亡くなられたあと、ドアの鍵も紛失して…。誰も使わない開かずの部屋になっております…」
粕谷耕一郎も続ける。
「あの部屋か。岩崎さんは入ったことあるの?」
「一度だけですが。大奥様がお亡くなりになった50年前くらいですか。大奥様は60歳くらいで亡くなられ。その頃は鍵もあって…耕一郎さまのお祖父様が探し物をされるというので…ご一緒に。まあ私は外から覗いただけですが、広いお部屋でした。私はその頃はまだ下働きで…ホテルにお世話になる最初の頃で、まだ20歳の若造でしたが。部屋から線香の匂い…香の香りが印象深いです。高い天井のお部屋で。壁に絵があって。大奥さまの、お若い時の肖像画なのだと思います。美しいお顔でした。お若い時は東京で映画女優をされていたそうです。東京で宗次郎さまに見初められ…1945年終戦の頃、後妻として、つなぎ温泉に嫁いで来られたそうです」
瑠衣と尚美が顔を見合わせる。
そして尚美は頬を膨らませる。
自分たちと同じ「女優」という言葉に反応したのだ。
粕谷も「きれいな人だったらしいけど」
岩崎支配人が続ける。
「あの部屋は建物の構造上、窓が無くて、壁に囲まれたお部屋でした。ロッキングチェアーとか。大きなベッド、それに鏡が。部屋にも大きな鏡があったのを記憶しています…」
粕谷が続ける。
「宗次郎の後妻で。ひいばあちゃんが亡くなった直ぐ後に、東京から連れてきたそうだけど。宗次郎が50歳くらいの時だったってさ。おそらく宗次郎が東京で囲っていたお妾さんだったと思うよ。女優といっても無名で。名前は榊ひずみ…とか言っていたけど」
岩崎支配人が続ける。
「ひずみ様は、何故か滅多に外には出られなかったそうです。御用がある時は鳴子(なるこ)というか、鈴…ですが、5階から長い紐で、パイプを通して繋がった鈴がありまして。管に紐を通して一階の事務所に届くように垂れ下がり。ひずみ様が5階で紐を引き、鈴を鳴らされます。インターフォンとか無い時代です。鈴音で係を呼ばれた。鈴の音が一度の時はお飲み物とか。二度の時は何だったか…三度は誰かを呼ぶ時でしたか。鈴音の数で…伝達されていた様です。鈴の音で係の者が5階まで出向きました」
三上尚美が驚き顔で問う。
「ああ。あの鈴…か。モニタールームの壁にあった赤い細い紐で吊られた…古い鈴のこと?」
「はい。壁の鈴でございます。現在の従業員たちは何かの飾りとしか思っていません。神社にある鈴みたいですからね」
「なるほど、そうなんだ。あの部屋に鈴があるのが不思議だった。そのひずみさんが誰かを呼ぶ為か。でも5階はかくれんぼに使わないから」
尚美は、直ぐに切り替える。
「それより粕谷くん。エレベーターは使う?」
粕谷が答える。
「かくれんぼゲームは4階までの移動もあるし。あった方がいい。子供も参加するだろうし。何組が参加するか、日によって違うだろうけど。子供が参加する場合、エレベーターあった方が喜びそう」
みんなは階段を上り、3階の廊下を歩く。
岩崎が注意を促す。
「暗いので、お気を付けてください」
暗い廊下を見渡して尚美。
「廊下や階段には隠れるスペース無いよね。もっと隠れるスペースあれば良いけど…」
瑠衣は反対する。
「隠れる私としては、早く見つけて欲しい。隠れる場所は少ない方がいいよ」
「そうなんだよ。見つけるのにどれくらい掛かるのか。ゲーム時間がどれ位か、だいたいでも調べておかないと。場合によっては時間制限する必要があるかも知れない。客が瑠衣ちゃんを見付けられず探し続ける事になるとさ、客にとっても辛いし。司会者も使ってショーみたいにするんだけど。長過ぎるとゲームも盛り上がらない。見つけるのに、どれくらい時間が掛かるだろう…」と粕谷がつぶやく。
三上尚美が嬉しそうに手を上げて提案する。
「シュミレーション。やろうよ実際に。私たち1階にいるから、瑠衣が実際に何処かに隠れてよ。私たちが客になったつもりで探すから、見つけるのにどれだけ時間が必要か把握できる。芝居と同じよ。ドライリハ(ドライリハーサル)しなきゃ流れが掴めない。瑠衣、何処かに隠れてよ、今から。私たちが探しても見つからない時は『参りました』と瑠衣に電話するから…そしたら瑠衣の勝ち」と笑う。
粕谷も賛成する。
「確かにそうだ。尚美の言う通りだ。瑠衣ちゃんに隠れてもらい、俺たちが分かれて探す。やってみよう瑠衣ちゃん。俺たちは下に降り、隠れるのを待っている、隠れたら電話してくれよ。その合図で探し始めるから…。今は3階だけど…2、3、4階の何処でも良いから隠れてよ。2階4階の照明も消すよ。暗くした方が探し難いから」
粕谷は3階の灯りをまず消した。
暗くなる。
「えー。そんな…」瑠衣は突然の提案を嫌がる。
「いやいや。ゲームの全体の流れを試す事は必要だ。俺たち下に降りるから、隠れたら電話してよ『もう、いいよ』って合図で探し始めるから」
粕谷は4階の灯りを消しに行く。
尚美も笑いながら『私も2階を消してくる。もう、いいかい? もういいかい?』と階段で降りて行く。
岩崎も笑顔で瑠衣に礼をして尚美に続く。
瑠衣は、暗闇にひとり残された。
「もう…」と声をあげる。
本当に怖がっている。
静かで、瑠衣の靴音しか聞こえない。
『仕方ない。ここは…3階か』
誰かに見られている気がして、暗闇を見つめる。
階段まで戻ると踊り場で、どこの階にするか考える。
少し迷い、階段を登る。
階段は広く豪華な作りだった。
エレベーターの無い時代に作られた建物。
昔のデパートなど、客が昇り降りする階段は装飾的に作られる。
暗い4階の踊り場からフロアを見渡す。
常夜灯が点いているが、各部屋に通づる廊下は暗い。
瑠衣は手に持ったLEDペンライトのスイッチを入れる。
階数表示の矢印が、この上が5階と表示してある。
5階の方にライトを向ける。
『かくれんぼには使わない階か…』
お化け屋敷のようだった。
『なんか怖い…。こんなので参加者、集まるのかしら…』
『やっぱり…3階に隠れよう…』
上って来た階段を降りる。
3階。
瑠衣は、いちばん手前の「山水の間」と書かれた客間に入る。
天井のカメラが動く瑠衣を捉える。追尾する。
モニタールームの映像が、恐々と歩く瑠衣を追う。
部屋の正面、岩手山の絶景が見渡せる広窓は、分厚いカーテンで閉ざしている。
部屋に入って直ぐに、右手に細い通路。
恐々と入っていく。
ガラスのドアを開く。
『…家族風呂か』
吹きさらしの風呂場。
ドアを開けると星空と暗い岩手の山々が見える。
『寒い』
柵だけで囲っているお風呂。
風景がウリだからだ。
ライトをあてて風呂場を調べる。
洗い場にシャワー設備と鏡。
タイル敷きの、円形の浴槽がある。
3人くらいが浸かれる広さの家族風呂。
丸い浴槽に合わせたプラスチック蓋を開けてみる。
中も細かいタイルが敷き詰めてある。
浴槽は防火用水の為か半分だけ水が貯められている。
『水がある…中は無理か…』
『どこに隠れようか…』
瑠衣は、細い廊下を部屋の方に戻る。
床の間には山水画の掛け軸がある。
LEDライトをゆっくり移動させると、畳間の障子が見える。
半分だけ開いている障子。
暗い畳部屋。
奥の襖も半分開いて、押し入れの中も暗い。
カメラが追う。
白い障子にライトをあてると、光が拡散して畳部屋全体が少し明るくなった。
手前のクローゼットの扉にペンライトの光を移動する。
黒いクローゼットの扉。
瑠衣は左手でクローゼットの扉を開き、中を覗き込む。
数本のハンガーがぶら下がっている。
『…ここでいいか…入れるし』
鏡に畳の間が映っている。
スマホを取り出して、尚美にコールする。
一度のコールで尚美が出た。
尚美は『もういいかい〜』とふざけ声で答える。
「もういいよ」と瑠衣も返す。
電話を切りながら、クローゼットに入ろうとする。
扉の横にある姿見鏡。
瑠衣は何気に自分の顔を見た。
暗い瑠衣の顔、そしてその奥に…気配がある。
鏡に映った畳部屋、暗い和室に影、何かいる。
『幽霊?』
瑠衣は身体が固まる。
鏡の中に、しゃがんだ赤い服の女がいる。
『新宿に…いた女…?』
瑠衣は後ろを振り向く。
畳部屋の赤い服の女が、犬のような四つん這いで瑠衣を見ている。
痩せ細った長い首が、カクッと横に折れる。
長い髪が顔の前で垂れ下がる。
「キャーッ」瑠衣の絶叫。
女が動く。素早く壁を這い上がる。
その動きは人ではない。
ギチ、ギチギチギチ…、女の骨が出す奇妙な音が部屋に響く。
瑠衣は、両手で持ったLEDライトを畳部屋に向けた。
そっと近づき障子の陰や天井を見る。誰もいない。
『…何で…?』
女は消えたのではない。
瑠衣の真うしろ。
赤い服の女が、逆さのまま天井から瑠衣の後ろに降りてくる。
垂れ下がる灰色の髪。
両手を前に差し出して、後ろから瑠衣の顔を掴んだ。
冷たい感触。
左右の中指が瑠衣の両眼を潰そうとする。
瑠衣の顔が恐怖で歪む。
その時、光が瑠衣の眼にあたる。
「瑠衣。どうしたの?」
三上尚美のライトだ。
逆さ女は消えた。
瑠衣は尚美に駆け寄り、そして畳部屋を指差す。
「さっき、ここに誰か居たの…」
粕谷耕一郎が「え? 旧館には…誰も居ないはずだけど…」とつぶやく。
尚美と粕谷は手を伸ばしLEDライトを畳部屋、それぞれが隅々にあててみる。
光の輪があちこち動く。
「大丈夫。瑠衣…誰も居ないわよ」
それでも瑠衣が声を絞り出す。
「四つん這いで…変な格好で。私を見ていた。そして壁を上った。天井を這っていた…」
「そんな」ありえない…と言う言葉を尚美は飲み込む。
瑠衣は天井の監視カメラを指差す。
「カメラは? 尚美、テレビカメラに録画されていない?」
3人はエレベーターで降りていく。
岩崎支配人がエレベーターホールの椅子に座り彼らを待っていた。
皆の慌てた様子に驚く。
青ざめた瑠衣を心配する岩崎。「ど…どうされました?」
粕谷耕一郎は岩崎に問う。「岩崎さん。このホテルで幽霊騒動…とか、そんなの無いよね?」
「幽霊…ですか? そんな話は聞いていませんが、何かありましたか?」
「いやいや。暗いから、みんな怖がって」と粕谷。
「なるほど…。長い歴史ですが、さすがに幽霊話はありませんね」
微笑む岩崎が記憶を辿る。
「でも…つなぎ温泉の事件として…記憶にあるのは。50年前くらい、私がご奉公し始めた…雫石ダムの建設が始まった頃でしたが。身元不明の若い娘の死体が湖で見つかった事がありますが。丁度バブル期の頃で。東京の会社から団体客が多かった時代で。もちろん大きな事件でしたが…。警察の捜査などあったり…。その若い娘さんは身元など分からず。まだDNA捜査など無い時代ですから、顔も何故か崩れていて。結局、身元不明のままで。事故死と判断されたようですが…それくらいでしょうか。狭い温泉町ですし…いやいや、余計な事を…」
岩崎支配人は粕谷に向かって礼をする。
「耕一郎さま。私は皆さんのお食事の用意をせねば。その指示をして来ますので…お先に戻ります」と新館の方に向かった。
3人はモニタールームに入った。
粕谷と尚美が、1階の職員用の事務作業や休憩所だった場所に簡易的なモニタールームを作っていた。
部屋の隅には飲料のベンダーなど置いてある。
昔は喫煙が普通だったし、タバコの匂いも残っている。
事務テーブルを幾つか寄せ集め、30台ほどのテレビモニターを並べ、各部屋の監視カメラの映像を受信するように作られている。
三上尚美は、席でキーボードを打ち始める。
後ろで、瑠衣と粕谷もモニター画面を見つめる。
中央の壁に鈴。
5階から、細く赤い鈴緒(すずお)で繋がった鈴がある。
尚美がボールペンで画面を指す。
「3階の…。山水の間…この部屋の録画だけど」尚美は映像を巻き戻す。
天井カメラの俯瞰気味の映像。
暗い画面の端に瑠衣が映っている。
畳部屋の方へ振り向く瑠衣の無音映像。
尚美はキーボードを打ち、畳部屋の方にデジタルズームする。
「映ってるのは瑠衣だけ、畳部屋には、他に誰もいない…」
「確かにいたの。赤い服の女が壁を…這い上がって…」
粕谷も首をひねる。
瑠衣が、独り言の様につぶやく。
「新宿のネカフェの前で。映画オーディションの日。新宿にいた女。夜明け前、路上にいた女…だった」
尚美が、振り返り瑠衣を見る。
「新宿のネットカフェ? その女って、瑠衣に憑いて新宿から岩手まで来たってこと?」
粕谷耕一郎が首を振る。「そんな。いやいや。気のせいだよ…」
「瑠衣。さっきさ。部屋で薬飲んでたけど。抗安定剤…だっけ。その影響とか…ないの?」
「…薬は飲んでいたけど…そんなはずは…」
尚美の意外な指摘に瑠衣は動揺し、考え込む。
それを見て尚美は粕谷耕一郎に目配せをする。
粕谷だけに伝えたい映像。
モニター画面に映っているフリーズした瑠衣の後ろ。
尚美は、瑠衣の影を粕谷にだけ見せようとボールペンの先で2度叩いた。
『え?』粕谷は画面を覗く。
すぐに尚美が立ち上がり、瑠衣の身体に手を添える。
「瑠衣、疲れているんだよ。今日、岐阜から来たばかりだし。長旅だったし。ちょっと休もう。新館の部屋に戻ろう」
尚美は、瑠衣の背中を支えながら粕谷を見る。
「粕谷くん、新館の部屋に戻ってるよ。瑠衣、戻って少し落ち着こう」
粕谷耕一郎は二人がモニタールームを出たあと、パソコンの席に座りキーボードを打つ。
尚美がペンで指示した映像を表示する。
『この…影…』
それは瑠衣の影ではない。
「この影…逆さま?」
畳部屋の方を見ている瑠衣。
その後ろ。
影だけがクローゼットの上に移動する。
「天井の方に…?」
「光が無いのに…なぜだ…」
粕谷は影の動きを、ひとコマ送りで、再度確認した。
影が1フレームずつ変化する。
「…変だ。これ…誰の影?」
赤っぽい影が、1フレームずつ大きくなり、天井の方に動く。
粕谷は映像モニターに釘付けになった。
その時、粕谷の見ているモニターの隣に人影が映っている。
その気配に、粕谷は驚き、後ろを振り向く。
「お坊っちゃま。夕食のご用意が出来ました」
岩崎支配人が粕谷を呼びに戻って来たのだ。
夕食は、新館の小ホールだった。
岩崎支配人が挨拶する。
「雫石牛の牛鍋と地場の鶏肉カレースープ。ヤマメの塩焼きとか。小皿には…この辺りの名物料理です。赤ワインは、お口に合うか心配ですが私が選ばせていただきました。どうぞお楽しみ下さい。こちらの新館ホテルも最上階に温泉があります。ぜひ、お風呂もお試しください。硫黄泉で、美肌効果がありますよ」
「美肌効果。わー嬉しい。どうもありがとう岩崎さん」と尚美がはしゃいでいる。
「私、居酒屋でサワーしか飲んだ事ないからさ。でもなんでお肉には赤ワインなんだろう?」
粕谷も瑠衣にワインを勧める。
「瑠衣ちゃん。これはまあ…吉岡瑠衣の歓迎会でもあるから。ゆっくり楽しんで」
粕谷もワイングラスを持ち上げ、乾杯の仕草をした。
若い瑠衣も、緊張して初めてのワインを飲んだ。
渋みのあるワインに驚いた。
新館ホテルの最上階。
展望風呂に2人の嬌声が響く。
ひのきと自然石で露天風呂のように設えてある。
広いガラス窓の向こうには岩手山と星空が広がる。
ふたりはワインのせいで少し上気していた。
「温泉なんて…何年ぶりだろう…」と瑠衣。
真新しい展望風呂の湯を両手ですくったり、両腕で撫でたりして楽しむ。
「友だちにさ。温泉マニアがいるけど確かに分かる。こうして浸かっているだけで、なんか癒される。瑠衣のインソム…なんとかって病気にも良いかもよ」
尚美の病気への質問に瑠衣が答える。
「インソムニア…不眠症って。私の場合はストレスが要因…みたい。交感神経がどう…とか言ってたけど、脳を覚醒状態にしちゃうらしいの。…オーディションのプレッシャーとかストレスに心が過度に反応してしまうらしい」
三上尚美が、つぶやく。
「オーディションか。…私なんか生まれた時から、ずーっとオーディションされ続けている。親に赤い服着せられて。可愛い可愛いとおだてられて劇団なんかに入れられてさ。…キレイな女優になる訓練をやらされて。でも成長するとオーディションに落ちるようになっていく。だんだん可愛くなくなっていくのよ。子供の顔は変わるからさ。なんか、その頃から…こんな人生って変だなと思い始めるようになった。他人に決められるのが耐えられなくなって。だからコントロールする側、支配する側に憧れ始める。でもさ…そう意識しながらも、子供の頃の経験が残ってるのか、例えば男に選ばれるとかに憧れて…同時に、そんな欲が消えない自分が悔しくて…」
瑠衣は、尚美の言葉に少し驚く。
「なに言ってるの尚美、十分に可愛いわよ。CM経験だってある女優さんでしょ。まあでも女って…女はこうあるべき、みたいな価値観を押し付けられるのは確かに有るけどね。私たち、オーディションされて続けられるのかもね。女優って仕事は特にね」
尚美が少し怒るみたいに話す。
「ネットニュースとか見てるとさ。SNSで…タレントや女優が、いい歳のおばさんなのに、水着を付けた写真とか、セクシーな衣装とかの写真を上げて、誰かに書かせた褒め言葉を拡散させたり…そんなニュースだらけ。みんなが話題になろうと仕掛けているよね。そんなの…私には出来ないし」
瑠衣もうなずく。
「話題がないと消えていくだけだからね。所属する芸能事務所がニュースを作って、コントロールしてるのだと思う。活字にするとみんな信じちゃうし。売れる売れないが、この世界のすべて…」
尚美は、瑠衣の言葉に同意する。
「ネットってそんなニュースばかり…『国宝級』とか『ビジュ最高』とか『ほぼ天使』とかさ。決まり切ったフレーズ。ほとんど同じ文面だもん。あれも、仕事として誰かが書かせているんだろうね」
「だと思う。オーディションを受け、仕事を掴むしか…私たちには方法がないし…」「不眠症の理由かは分からないけど。オーディションはホントに嫌だった。でも受けないと仕事にならないし…」
尚美が反応する。
「そうだよ。前に仕事した監督…CMの監督も居酒屋で言ってたけど。選ぶ側も結構辛いんだってさ。選ぶ側も…数分だけ質問して、そして演技を見て、それだけで決める訳じゃない。俳優の全部が見える訳じゃないのに。それだけで決めて良いのか悩むらしいよ。まあ、それでも決めなきゃいけないから…心を『鬼』にして落とすんだ。って言ってた」
「鬼か…確かにオーディションは、いつも怖かった。監督の笑顔も怖かった。選ばれる基準なんて毎回違うし。そんな恐怖心が自然に出ていたのかもね。でも挙句の果てに不眠症とかさ…病気になったり」
瑠衣は溜め息混じりに、組んだ手を伸ばして、温泉で肩の凝りを癒す。
お湯から覗く、瑠衣の胸の膨らみ。
吉岡瑠衣のプロポーションを見て尚美がふざける。
「でも、今回は選ばれた。今までのオーディションを落とした男たち。こんなヒューヒューなオッパイを落とすなんて」と瑠衣の胸を突っつく。
瑠衣の表情も緩む。
「もう…。ありがとうね天才子役さん。お陰で少しは元気が出た…」
瑠衣も、笑いながら胸を隠した。
尚美が唐突に質問する。
「かくれんぼの鬼ってさ。隠れる方、それとも探す方を指してるの?」
「え? 鬼って。みんなが隠れるまで手で、眼が見えない様にして…『もういいかい』って言うんでしょ。…隠れ終わったら『もういいよ』って声をあげる。鬼はそれを聞いて探し始める。そして見つけられた子供が次の『鬼』になるゲームでしょ」
「見つけられた子供が、次の『鬼』になるのか。でも…遊びなのになんで『鬼』って呼ぶんだろう」
「鬼…か。神様は分からないけど、鬼は居そう…」
瑠衣は赤い服の女を思い出した。
粕谷耕一郎
ドアが、小さくノックされる。
尚美の部屋に粕谷耕一郎が入ってくる。
白いバスローブの尚美が微笑む。
温泉の後、まだ濡れた髪をまとめただけの尚美は冷蔵庫からミネラルウォーターを取り出して、1本を粕谷耕一郎の座ったテーブルに置く。
尚美はベッドに座りながら、粕谷にモニター映像の事を問う。
「見たでしょ。モニターの、あの影」
粕谷はボトルを持ち上げて、ランプの光で出来るボトルの影を変化させる。
「シャドーマン…とかさ。そんな怪異現象を聞いた事はあるけど。あの影…壁で大きくなった。光源が無いのに…生きているみたいに影が変化した…」
「そう…あの影、説明が付かない…」と尚美。
「尚美は、なぜあの時、モニタールームで瑠衣に影のことを言わなかった?」
ベッドの尚美もボトルのフタを開けながら答える。
「そりゃ、言えないよ。瑠衣の怖がり方。ゲームを降りると言いかねないもの。新宿でも、ソレを…変な女を見たって怖がっていたし…」
粕谷はミネラル水を飲み込んだ。
「ソレでもアレでも…何でも良いけどさ。このゲームだけはやめられない。幽霊なんか居るはずない」
粕谷は立ち上がり、そのまま尚美の横に座り、ベッドに仰向けに寝る。
粕谷を見る尚美。
「粕谷くんはさ。『かくれんぼ』のキャラクターを、なぜ吉岡瑠衣にしたの? あの映画のオーディションで偶然に見つけたと言ってたけど、最初から『かくれんぼ』の主役にするつもりだったでしょ。だから、あのオーディション。早く来ていた瑠衣を、敢えて一番最後にして、このゲームに勧誘するタイミングを作った…そうでしょ?」
「確かに…。彼女の宣材写真を見た時…瑠衣しかいないと…ひらめいた」
「やっぱり。それに彼女に提示したギャランティも異常だった。とても新人女優への額じゃない。絶対に拒否出来ない金額…あれは…なぜなの?」
「…そうすべきだと思ったんだ。と言うか…何かが囁いた。なんか運命的な…この女優を逃しちゃ駄目だと思ってしまった」
「あの子キレイだからさ。瑠衣にさ。女としての瑠衣に興味を持ったとか? ホントにゲームだけが目的だった?」
尚美は粕谷にかぶさる。
「女の私から見たって吉岡瑠衣は魅力的だと思うから」
そして、唇を粕谷に押しつける。
「粕谷くんが好きなのは…私の顔…それとも身体?」
バスローブから、尚美の剥き出しの太腿がこぼれる。
粕谷は何も答えず、尚美の腰を抱きしめる。
しばらくの抱擁のあと、粕谷がつぶやく。
「でもどうしよう…あんな怖がっている瑠衣に。もう一度シュミレーションをやってくれとは言えない」
尚美が身体を起こして、粕谷を見る。
「今度は私がやるよ。シュミレーション。私が旧館に隠れる」
「いいのか?」
「だって粕谷くん…私にそう言わせるように…いま『誘導』したよね」
「それは…」
図星を突かれて、粕谷はまた尚美の腰を抱いた。
尚美は、眼を閉じ唇を合わせる。
粕谷は口づけを受けながら天井を見つめる。
その粕谷の眼。
眼球の黒目だけが上下に揺れる。
異常に、不規則に動く。
それは、人の眼ではなかった。
三上尚美
公園。
瑠衣と尚美は穴の空いた岩、説明する立札の添えられた、つなぎ石の前を通り過ぎる。
それは白い紙垂(しで)飾りで祀られた記念碑だった。
尚美が、つなぎ石を少し振り返り説明する。
「大昔、鎌倉時代だったか。源の何とかって武将がいてさ。怪我した馬を、ここのお湯で治したんだってさ。そして馬を、あの岩の穴につないで。ここが、つなぎ温泉って名前になった。馬をつないだから、つなぎ温泉だって。言い伝えってさ、嘘みたいな、変なのが多いよね」
「それは多分、理由を付けると分かり易いから。それに、ありがた味も付くしね」と瑠衣がうなずく。
「そうなの。全ての事には必ず理由があるのよ。あれは、昨日のは薬のせいだよ絶対。だから今日は私が、かくれんぼする。私が幽霊なんか居ないことを瑠衣に納得させるから」
「尚美が…?」
「そう今日は私が隠れる。ただの『かくれんぼゲーム』。何も無いことを証明するから」と笑っている。
瑠衣は少しほっとした様子で笑い返す。
尚美の気遣いが嬉しかった。
公園の向こう、湖に掛かる長い橋が見えた。
大きな湖が、この温泉を隔離しているように思えた。
その夜、3人は旧館ロビーに集まった。
尚美は、瑠衣に語り掛ける。
「薬のせいだよ。それしか考えられない。ビデオ映像に異常はないし。それを証明する為に今日は私が隠れるから。私もゲーム演出を考えるのに隠れる方をやらなきゃと思ってもいたし。瑠衣は粕谷くんと私を探すの。忘れないで、これは、ただのゲームなんだから」
「わかった。でも気をつけてね、尚美」と瑠衣は心配そうに話し掛ける。
尚美は立ち上がる。
「隠れたら粕谷くんに電話する」と言いながらエレベーターホールに向かった。
瑠衣は、尚美の後ろ姿を見送りながら感心する。
「尚美は、やっぱり凄い…どんな時でも前向き…」
粕谷が笑いながら頷く。
「子役だったからな。幼い頃から大人の中で仕事して。クソ度胸がつくと言うか、負けず嫌いになったのだろうね」
「ほんとに強い子。私も見習わなきゃ…」
三上尚美はエレベーターに乗り込んだ。
少し迷い、5階ボタンを押した。
それは、かくれんぼゲームでは使わない5階のボタン。
表示ボタンの灯りが上へ進む。
尚美は唇を噛む。
『もし、瑠衣の見た幽霊が本物だとしたら…』
尚美は、映像に残った瑠衣の後ろ、あの影法師を思い出す。
5階でエレベーターのドアが開く。
真っ暗闇のフロア。
『もしも…ホントの幽霊なら…その正体は…』
尚美はLEDライトを点ける。
そして暗い通路を用心深く歩く。
展望大浴場の入り口を通り越して、細い廊下を歩く。
壁の漆喰が剥げて、床も古い板張り。
『この場所、廊下と壁は古いまま…客が立ち入らない場所だから改修していない…』
『この奥に…』
廊下の奥に茶色の大きなドア。
『榊ひずみ…とかいう女優の部屋』
『彼女を調べたけど…何も出て来なかった』
『無名の女優だし…90年前で、古過ぎて情報など何もない』
ドア横の大きな鏡が尚美のライトを反射させる。
壁の鏡も古いものだった。
4隅の銀メッキが侵食され剥げている。
尚美はドアノブを握り、回してみる。
岩崎支配人の言うように施錠されている。
『動かない…』
分厚いドアに顔を寄せてノックしてみる。
もちろん返事などない。
『あれ? お線香の匂いがする…』ドアから微かに、お香の匂いがした。
尚美は鏡にライトを当て、自分の姿を見た。
鏡の中で尚美の顔が笑った。
鏡の中だけで笑っている尚美。
「え?」
尚美は鏡から身を引いた。
「なんで…錯覚?」
廊下と壁に影が大きく変化する。
『私の影…?』鏡にライトが反射して尚美の影を大きくしていた。
「ふーぅ」と息を吐き出した。
『やっぱり異常無し。仕方ない…かくれんぼ、するか』
尚美は茶色のドア、開かずの部屋を諦める。
来た廊下を戻り、階段へ向かう。
その時、微かな異様な音がする。
壁の鏡の中心が歪む。
鏡は、まるで異次元の入り口。
鏡の中から、長い髪の毛が…渦巻いて、出てくる。
髪は、廊下に垂れ下がる。
そして骨ばった手首、更に頭部、肩が現れ、女の半身も鏡から出てくる。
ソレは、灰色髪の間の眼で尚美を見た。
鏡から現れたソレが、尚美を追うように廊下を這う。
広い階段は、常夜灯でぼんやりと明るくなっていた。
尚美は踊り場を過ぎ、階段を下りる。
尚美のすぐ後。
暗い階段を赤い服の女が這うように下りていく。
人の関節ではない。
蜘蛛のように曲がる手足の骨が、ギチギチと擦れる。
4階の廊下を懐中電灯の光が動く。
ライトをゆっくり照らし、尚美は一番手前の部屋に入る。
尚美は暗い部屋に入った。
柄の長いランプシェードや棚が作る影。ベッドがある。
ベッドの下に身体が入れる隙間。
尚美は、恐々とベッド下を覗き込む。
『ベッド下はホラー映画の定番…だけど…』
ライトを、ゆっくり移動させ、ベッド下を点検する。
何もいない。
ベッド下に潜り込み、スマホを取り出す。
スマホで粕谷に発信する。ツーコールで粕谷が出た。
ベッドの尚美は「もういいよ」と告げた。
粕谷の返す声と同時にベッドのスプリングが少し軋んだ。
ギイ。
尚美は、見えないベッドの上が気になる。
瑠衣の見た赤い服の女が現れる気配を感じ、光をあてる。
ベッドと床の隙間から見える寝室の壁。
その隙間、ベッドの上から長い髪が垂れ下がるイメージが浮かぶ。
尚美は瞬きして、もう一度、確認した。
しかし、見えるのは壁だけ。
『そんなの…いるわけない』
リノリウムの床から、壁を見つめ、ライトを切る。
尚美は闇の中。
床は振動を伝え易い。
『誰か来る…』
何かがうごめく気配、微かな足音が近づいてくる。
尚美は暗闇に眼が慣れていく。尚美の息が大きくなる。
その時、壁に影がよぎった。
次にベッドが大きく軋んだ。
尚美は、息が出来ず、隙間を凝視する。
ベッドの上から床に黒い髪が垂れ下がる。
『ほんとの…髪だ』
尚美は息を呑んだ。
ベッド下を覗き込む女の眼が光る。
その影は「み〜つけた…」と、かすれた声を出した。
尚美は、手に持ったLEDライトを女にあてる。
影の女は…吉岡瑠衣だった。
コマーシャル
暗いホテルの窓際。
白いカーテンが揺れる。
天空の稲光りでカーテンに女性の影が出来る。
突然、誰かの手がカーテンを開く。
瑠衣の恐怖顔。
肩のないドレスが胸の膨らみを強調している。
瑠衣の顔が、稲光りで輝く。
「キャーッ」と叫ぶ瑠衣が、エフェクトで壁に消える。
『ホテル束の間。新館オープン! アイドルを探せ! かくれんぼゲーム!!』
ナレーションの言葉とテロップが重なる。
『旧館に隠れた美少女を探せ! ヒロインは美しい吉岡瑠衣!』
追い詰められるセクシーな表情の瑠衣。
『美女を探し当てれば韓国旅行券をプレゼント!』のテロップ。
早いカット割りで展望風呂やグルメが紹介される。
暗い廊下を逃げる瑠衣をカメラが追う。
スローで逃げる薄衣の瑠衣。
奥のドアまで追い詰められ、瑠衣が振り向く。
『私を…探して』とカメラを見つめる。
テレビ画面がフリーズする。
三上尚美はテレビの外付け再生機からDVDを取り出し、粕谷に手渡す。
粕谷は岩崎支配人に聞く。
「岩崎さん。これをCMとして流すつもりなんですが」
「いやいや、凄いです。まさかこのホテルでこんな本格的なコマーシャルを流せる様になるとは。さすがに耕一郎様です」
尚美が岩崎に質問する。
「実は…CMの終わり頃の瑠衣が追い詰められる廊下とドア。あのシーンは、あの女優の…大奥さまの部屋なんですが。撮影カメラマンが…不気味な感じが良いと、あそこを選んで撮影したのですが、問題無いですよね?」
「そうでしたか。暗くてよく分からなかったですが。特に問題はないと思いますよ。でもイベントの時は…お客様が立ち入らない様に何かで塞いだほうが良さそうですね」
「撮影の時…岩崎さんも仰っていた、お香の匂い。今でも残っていて驚きました」
「なるほど。先先代の社長の頃ですが…大奥さまの亡くなられた命日には、よく香を焚かれていましたから。壁に匂いが染み込んでいるのかも知れませんねぇ」
尚美が、岩崎支配人に問う。
「その女優…榊ひずみさん…。彼女の死因は何だったのですか?」
「それは…。私も…分かりませんが…たぶん、お病気だったかと…」
岩崎が動揺した様に見えた。
その反応に、みんなは沈黙した。
瑠衣が、粕谷に疑問を問う。
「このCMで、名前を『吉岡瑠衣』と言ってくれるのはありがたいけど…私は売れてる女優でも無いし…視聴者の誰も、私の事など分からないと思う…それでいいの?」
粕谷は笑う。
「視聴者ってさ。無名のモデルなら意識に残らないけど、名前がある事で納得するんだよ。自分が知らなくても、世間のみんなが知っている女優だと勝手に思ってしまう。大手企業のCMとかで有名俳優を使うのは視聴者に商品に対する安心感を植え付けるのが目的なんだ。安心できる企業ですよとね。それと同じだよ。吉岡瑠衣の名前を覚えれば、ホテル束の間の名も記憶に残る。広告は…そんなマインドコントロールだから」
尚美も補足する。
「映像をサスペンスっぽくしてるのは『かくれんぼ』より、『ハンティング』するイメージを持たせるため。その方が視聴者のゲームへの関心が高まる。ゲームに参加したくなる演出なの」
粕谷も隠れ場所について、瑠衣に助言する。
「それと、ゲーム進行だけど、何度かのシュミレーションで分かったけど。瑠衣のクローゼットの中とか、尚美のベッドの下とかさ。それだと隠れ場所が分かり易い。もっと見付け難い所が良いかもね。意外性のある…調理場とか複雑なスペースの方が面白いかも。でも無理はしないでね。客が見付けられないとゲームにならないから」と笑う。
瑠衣は首を傾げる。
「なるほどね。それより気になったのは毎回の賞品が韓国旅行って…ホントなの?」
「いや。実はそこを直す。これは尚美が勝手に作った賞品だし。毎日韓国じゃ、とても採算が合わない。もう少しリーズナブルにするよ」
「えーっ。私、韓国に行きたかったから…」尚美が頬を膨らませる。
粕谷が続ける。
「それと、ゲームに参加してもらうのは。家族客全員だと多過ぎる。事故とか起きても怖いし、原則、カップル2人参加に限定しようと考えている。親子とか恋人とか」
「賛成賛成!」と尚美。
「子供とかさ。階段から落っこちるとか、何か事故が起きても怖いし。遊園地みたいに大騒ぎされても嫌だし、少ない方がいい。それにさ参加者には小型の動画カメラを持ってもらう。テレビの散歩番組とかでタレントや芸人が持っている小型カメラね。その映像、客がさ瑠衣を探す様子を、会場のテレビにライブ配信して家族にも見てもらう。ストリーミング配信ね。暗いから小型カメラにLEDライトを取り付ける。探してる様子を会場で家族が見れるし、応援できる。瑠衣を見つけた時とかも臨場感を共有できるし、映画『ブレアウィッチ・プロジェクト』みたいに絶対盛り上がる」
尚美の意見に粕谷が感心する。
「LEDライトを付けて…配信か。なるほど。確かに探してる様子がよく分かるし、見ている家族も巻き込めるかも。応援出来るし」
瑠衣も感心する。
「ブレアウィッチね。よくそんな事を考えられるって…凄いよ尚美。だんだん、楽しくなってきた」
瑠衣も、本番の緊張感に岐阜での舞台を思い出していた。
かくれんぼゲーム
ベッドの上で笑う瑠衣。
吉岡瑠衣の笑顔は、米田琴美のせいだった。
タブレットに映る琴美は、彼女の住んでるアパートの台所。
缶ビールを手にしている。
『いよいよ始まりなの?』
「そうなの『かくれんぼゲーム』の本番」
『見たわよ、瑠衣のCM。深夜に偶然やっててびっくり。ホテルも本格的で驚いた。それに瑠衣の衣装がセクシーで』と笑う。
『観光ホテルのCMらしくないから目を引く。パチンコ店の連中もさ。CMを見たがってたよ』
「なんかね…。ちょっと恥ずかしいけど…」
『それに温泉。大きな温泉だった。私もバイト休み取って行こうかしら』
「大歓迎よ。あのCMを監督した女の子。私たちと同い年の女優なの。いつか紹介するよ。女優なのに何でも出来て、凄いの」
琴美が問う。
『へー。かくれんぼゲームってさ。暗い古いホテルに瑠衣はひとりで隠れるんでしょ。怖くないの?』
「この前、リハーサルしてた時。なんか変なのを見ちゃってさ。と言うか…私の飲んでる薬のせい…らしいんだけど」
『変なのって?…えー。まさか幽霊ってこと?』
「分からないけど。そんな感じの女…。でもまあ、お客さんが参加して楽しむショーだしさ。本番の時は、そんなの無いと思うけど」
『え〜、なんか心配〜。ホント、助けに行こうかしら。でも私もユーレイは苦手だから〜』
瑠衣が、釣られて笑う。
『そうそう。お母さんの団地。週に1〜2度くらいしか行けないけどさ。一昨日行った』
瑠衣はタブレットに顔を寄せて喜ぶ。
「ホントに! ありがとう琴美。母はなんか言ってた?」
『瑠衣が宅配弁当頼んでるんでしょ? 昼と夕飯の。あれ、お母さん、すごく喜んでいたよ』
瑠衣はホッとし、琴美に頭を下げる。
「眼が良くないからガスとか火を使うのが心配で。お弁当ならレンチンで済むから」
『お母さんさ。瑠衣の写真とか出して来てさ。私に見せてくれんのよ〜。眼が良くないから、指で辿ってさ』
団地の様子を琴美が説明する。
瑠衣の母、吉岡和美が、カラーボックスからアルバムを出して、テーブルに置く。
「これが高校の卒業式だと思うけど…」眼が見えないから、指で辿って琴美に説明する。
アルバムを覗き込みながら琴美が答える。
「このページが瑠衣の高校入学? 可愛い可愛い! やっぱ女優顔よね。キレイだよ。瑠衣は絶対に女優になるよ。お母さん」
母、吉岡和美が琴美に語る。
「私…瑠衣を生んだ頃から…視力がおかしくなったの。お医者さんも何故か分からないと。生んだ娘の顔が見えないなんて可哀想とか言われたけど。私は全然そう思わなかった。こうして両手で瑠衣の顔に触ってね。すると瑠衣が笑うのよ。小学生、中学生になっても、私がそうすると嬉しそうに笑う。その瑠衣の声を聞くだけで…瑠衣が綺麗とかそんなのは分からないけど、あの子の笑顔だけは、この手で感じるの。それで充分なの」と、顔に触る手つきをして琴美に話す。
琴美の頬に涙が流れる。
涙を気付かれないように元気声を出す米田琴美。
「これなんか。赤ちゃんなのに完成してるのよ〜。瑠衣、絶対有名な女優になるからさ。お母さん」琴美の言葉に笑顔を返す母親。
瑠衣はベッドの上で琴美の話に涙ぐみ、頭を下げる。
三上尚美はモニタールームいた。
尚美は座っている椅子を移動させながら、並ぶテレビモニターを確認する。
「これで…あらかた完了か」と疲れた声で呟く。
テレビ画面に、旧館に取り付けたカメラ映像が並んでいる。
「あとは…カメラか」
テーブルに乗る4〜5台のタバコの箱サイズのカメラ。
尚美は明日使う小型カメラを手にする。
手ぶれを低減するハンドグリップを持って、壁の方にカメラを向ける。
カメラ映像を液晶モニターでチェックする。
そして、カメラのLEDライトを点ける。
モニター映像が、更にクリアになる。
壁の、赤い紐のついた古い鈴もクリアに映る。
カメラを構えて椅子をゆっくり回す。
その時だった。
「シャン…」
壁の鈴が、上下に揺れて鳴った。
尚美は音の方に振り向く。
『鈴が…。なんで?』
そして、もう一度、鈴が揺れる。「え?」
また直ぐに、3度目が揺れた。
「シャン…!」
「3度…って。岩崎さんは…榊ひずみが誰かを…呼ぶ合図だと…」
壁で揺れる鈴を見つめ、尚美の後ろ姿が固まった。
『誰も居ない5階なのに…』
尚美は「も〜…なんで〜。やめてよぉ〜」と声を出す。
尚美はモニタールームを出ながら、スマホで粕谷耕一郎をコールする。
『ただいま電話に出られません…留守番電話が…』
無機質なメッセージに尚美は「チッ」と舌打ちした。
尚美は電話を切りエレベーターに乗り込む。
そして躊躇せず5階ボタンを押す。
2階3階、そして4階の暗闇が過ぎて行く。
そして、ドアが開く。
尚美は軽はずみな行動を、少し後悔する。
「私…どうかしてる」
「でも鈴が鳴るなんて…絶対有り得ない」
暗いホールに立ち、尚美はLEDライトを点けた。
大浴場を過ぎて、ライトをあてて、廊下の奥をうかがう。
恐る恐る…あの部屋に向かう。
ライトをドアに向ける。
ドアの前。
「誰か、居ますか?」と声を掛ける。
すると。
『ギィ…』
開くはずのないドアが数センチ開いた。
そして。
ドアの隙間から、血管の浮き出た眼玉が尚美を見る。
「誰?」ライトをあてて、隙間の眼球を確かめる。
突然だった。
『バタン!』急にドアが開いた。
何かが、暗いドアから這い出してくる。
尚美は、恐怖で廊下に座り込む。
その拍子にライトが落ちる。
咄嗟にライトを拾おうと手を伸ばす。
尚美のミニスカートの脚。
何かの、骨ばった手が尚美の足首を掴む。
尚美は、凄い力で部屋の闇に引きずり込まれる。
約2メートル、廊下を滑る尚美。
手のライトが揺れ、尚美の恐怖の顔を照らす。
『バタン!』
ドアが閉じた。
朝。
吉岡瑠衣は自室で、ハンガーに吊るされた服を選んでいる。
ステージに立つ為のドレス候補をベッドに置く。
ブルーのドレスを手に取った。
その時、ドアが2回ノックされる。
粕谷耕一郎だった。
「尚美…見なかった? 部屋にもモニタールームにも居ないんだ。昨夜、8時くらいに尚美から着信があって…何度かコールバックしたけど、出なくて」
瑠衣が答える。
「昨日の夕方…尚美はモニタールームで機材の点検をするって言ってたけど…私は岐阜の友人とずっと話してたし…」
「おかしいな…今日が本番なのに。司会を頼んだ友人、東京から小林博道という男が昼前に来るから、後で4人で少し打ち合わせしようと思っていたんだが。今夜の段取りだけ決めておかないと…」
「わかった…。私も探してみる」
ショータイム
イベント会場ホールにスポットライトが走る。
粕谷の友人、司会の小林博道が舞台中央に出てくる。
手馴れた所作で進行してゆく。
「さあ、始まります。ホテル束の間のかくれんぼゲーム。その名も『アイドルを探せ!』。記念すべき第一回目です。本日ゲーム参加される4組の方々は後ほどご紹介しますが、まずは今日のヒロインに登場願いましょう。俳優でアイドル、吉岡瑠衣さんです。CMやホテル内のポスター、ネット広告でホテル束の間のイメージキャラクターとしてお馴染みだと思います。さあ、美しき吉岡瑠衣さん、どうぞ舞台の中央に!」
ドラムロールが鳴る。
照明が落とされた舞台下手にスポットライトがあたる。
挨拶しながら瑠衣が登場する。
背後の照明が点滅する。
子供たちやその家族、30人くらいの客たちから拍手が起きる。
鮮やかなブルーの両肩が露わなミニドレス。
瑠衣の華やかさが客席の視線を熱くする。
スポットライトが輝く瑠衣を追う。
「美しい! 吉岡瑠衣さん。なんというスタイル! 客席には今から参加したいと思われる方もいらっしゃるんじゃないですか? ダメですよ。本日は4組だけ。でもでも…今日はダメでも明日もゲーム行います。明日のイベントに参加希望をお出しください! さあ瑠衣さん、こちらへ。さて、今のお気持ちをどうか、会場の方々へお話ください」
瑠衣が深く礼をして、話し始める。
緊張で早口になっている。
「みなさま。ホテル束の間にお越し頂いて、ありがとうございます。吉岡瑠衣と申します。このホテル名『束の間』は、お客さまに『束の間』の安らぎを、という意味で創業者が付けた名前だそうです。そして今日『かくれんぼゲーム』始まります。私もこのゲームに参加できて、とても光栄です。ご参加される方には、この小型カメラを持って私を探していただきます。その様子は、このテレビに映し出されるそうです。だから会場に残られた方、そして、ご家族も楽しめるイベントになっています。これから私は、新館の裏にある旧館に隠れます。スタッフの誰にも隠れ場所を知らせていません。私が隠れたら、司会の小林さんに『もういいよ』って電話します。それが合図です。私は旧館でひとりぼっちです。暗くて怖いので早く私を見つけてください。また、このステージに戻らせてくださいね」
会場から拍手が起きる。
瑠衣は一礼しアイドルっぽく、スカートを翻し、舞台の下手に進んで行く。
司会者は拍手をしながら、客席に話し掛ける。
「さーて。吉岡瑠衣さんが旧館に行かれました。隠れる時間が必要です。その間に参加者のご紹介です。今日の参加者は4組の方々です。つなぎ温泉が大好きお父さんとお子様。恋人カップルも居られるようです。さあ、皆さん舞台に上がってください…」
会場で拍手が大きくなる。
瑠衣は舞台袖から旧館に向かう。
裏口へ通づる廊下に粕谷がいる。
「粕谷さん。尚美は? まだ見つからないの?」
粕谷は首を降り、厳しい顔をした。
それでも笑顔を作る。
「明日のかくれんぼゲームの参加者。今日の2倍。今の舞台の様子だと、もっと増えそうだ。とにかく、今日のゲームを終わらせよう」
瑠衣はうなずく。
新館裏口を出て、渡り廊下、そして旧館ホテルへ入っていく。
裏口に立つ粕谷耕一郎は瑠衣の後姿を見送る。
無表情に瑠衣を見る粕谷の眼。
角膜が眼球の中で、また不規則に動いた。
その眼は、怪異のようだった。
瑠衣は旧館に入る。
常夜灯だけの暗い旧館。
ロビーを抜け、エレベーターホールへ。
エレベーター上部の階数表示を見る。
『そうか、エレベーターが止まっている階が表示されると、私が隠れた階のヒントになるかも…』
瑠衣はエレベーターを使わず、階段を上る。
早足で歩くヒールの音が階段に響く。
『時間はどれくらいあるだろう?』
司会の小林博道は、打ち合わせの時、ゲーム参加者を紹介するのは一組。
だいたい2分と言っていた。
『おそらく10分ほどの余裕しかない。早く隠れねば…』
瑠衣は2階の廊下を進み、暗い調理室前で立ち止まる。
みんなで最初に下見した調理場だ。
『ここにしよう』
LEDライトを調理場に向けた。
ステンレスの壁や巨大な冷蔵庫に光が当たる。
光を頼りにゆっくり進む。
銀色の冷蔵庫。
瑠衣は、大きく頑丈な古い業務用冷蔵庫の取っ手レバーを引く。
すえた匂いが、庫内に残っている。
『壊される旧館だから、おそらく丁寧に清掃されていないのだろう…』
『そうか、冷蔵庫は冷気を逃さないようにゴムパッキンで密封される。ここは駄目だ。窒息しちゃう』
ドアを閉じた後、空気が無くなる。
危険で長くは隠れられない。
すぐ横のステンレス壁にはフライパンや鍋を掛けるフックが並んでいる。
『調理室には3台のカメラがあると尚美が言ってた』
天井のカメラ。
1階モニタールームの画面に瑠衣の動きが映っている。
隠れる場所を探す瑠衣の表情をカメラが捉えている。
動くものを、静かに追尾するカメラ。
業務用のガスコンロが、6口ほど並ぶ。
瑠衣は、コンロ真上の大きな三角形の換気フードを見上げる。
ライトをあてて左右あちこちを見まわす。
そして流し台、シンク下のドアを開き、覗き込む。
『粕谷が勧めた狭い場所。汚れているし…ここは勘弁して』とドアを閉じる。
その横に大きな食器棚がある。
中は食器用の棚、開くと食器を並べ易くする為に横板で仕切られている。
人は隠れられない。
『どうしよう。急がなきゃ』
調理場を諦め、ドア外、廊下に戻ろうとした。
出入り口近くに、清掃モップなどを入れる細長いロッカーがある。
瑠衣はロッカーの中を覗き込む。
ギリギリ、人ひとりが入れるロッカー。
『洗剤の匂い…』横の棚は、清掃洗剤など入れていたスペースだろう。
LEDライトをあてて、空間を確認する。
『ここなら、入れる』
瑠衣は、青いドレスを汚さないように、空っぽのロッカーに身体を滑り込ませる。
痩せた瑠衣が、やっと入れるスペース。
瑠衣は内側からドアを閉めた。
司会者の小林に電話をする。
「吉岡瑠衣です。いま隠れました…」
『了解です。皆さーん。瑠衣さんが旧館に隠れたそうです!』
小林が客席に伝える。
瑠衣は会場の歓声が聞こえるスマホを切る。
静寂が戻る。
暗闇の瑠衣。
丁度、瑠衣の顔の辺りに通気口が並んでいる。
濡れたブラシやモップなどを入れるから、その湿気がこもらない為の隙間だろう。
扉の隙間から、通路の向こうに配膳用のエレベーターが見える。
下見の時に尚美が覗き込んでいた料理や食器を上げ下げするエレベーター。
仕入れた食材も、このエレベーターを使うと岩崎支配人が言っていた。
闇の中、数分が過ぎた。誰かの声がする。
瑠衣の眼が声の方に動く。
「暗くて、なんか怖いよ…」と、甘える若い女の声。
懐中電灯の光りが、壁を走る。
LEDライトがドアの隙間から、瑠衣の顔を過ぎる。
若い男女の影が寄り添って、調理室に入ってくる。
テレビモニターに女が男の腕を掴んでいる。
「ここは調理場みたいだよ。ちょっと湿っぽい」という男の声。
ロッカーの真ん前にカップルがいる。
瑠衣は『ここよ。早く見つけて…』とロッカーの中で祈る。
「ジメジメして、さすがに、こんな所には隠れないよ。他の階に行きましょうよ。気味が悪いし…」
女が男の手を掴んで、室外へ出た。
足音が遠のく。
瑠衣は落胆し、溜め息を出す。
その時。
「チン」
外で音がした。瑠衣は眼を凝らしてロッカーの隙間から外を見る。
配膳エレベーターの赤いランプが点滅している。
エレベーターのドアが、ゆっくりスライドして開く。
『何故? 開くの?』
『何で? あの配膳エレベーター、動いてる。なぜ?』
ギチギチ…と奇妙な音がする。
隙間から瑠衣は眼を見開く。
スライドするドアを見つめる。
狭い四角いエレベーターの中に、何か入っている。
中央部に顔らしきもの。
赤い血のような汚れ。
『髪の毛?』
長い髪で頭部と分かる。
顔が「カクッ」と、ほぼ横に傾いた。
『あの…女だ!』
顔の造作が…変だ。
『骨格も…普通じゃない』
肩は折れ曲がった様に天井にあり、足が顔の直ぐ下にある。
暗くて、身体をどう畳み込んでいるのか分からない。
片手を…その細い右手を前の方に伸ばしている。
ギチギチ…。
骨の音がして、そしてあの唄。
「かーごめ、かごめ…籠の中の鳥は…いついつ…出やる」
老女の掠れた声が聞こえる。
新宿のネットカフェの前で聞いた唄。
モニターにも、女が映っている。
モニター映る女の左腕がエレベーターの横に伸ばす。
細い腕が、調理室の壁を押す。
女の半身が出てくる。
ソレが、外に出ようとしている。
瑠衣は、ロッカーの中で恐怖の眼。
女の身体が半分出たとき、首がまた「カクッ」と折れた。
『薬なんか飲んでない。確かに…あの女がいる』
『いやだ。来ないで』
瑠衣は、怖くて眼を強く閉じた。
そして両手で口を覆う。
声を出すと隠れ場所が分かってしまうからだ。
沈黙が続く。
そして瑠衣は我慢出来ず、また眼を開いた。
眼前の隙間。
隙間に女の顔がある。
ロッカードアの、隙間の前に居る。
隙間から見える女の顔。
顔の輪郭に血の痕がある。
女の眼玉が隙間からロッカーの中を覗き込む。
眼の位置、両眼の位置、口の位置が歪んでいる。
そして皮膚の様子がおかしい。
『…顔の皮膚…が…貼り付けている?』
ギチギチ…。
「みーつけた〜」と、女の声が聞こえた。
その時、廊下で足音がした。
そして子供の声がする。
かくれんぼゲームに参加している客だ。
誰かのLEDライトの光が天井のコンクリートに走る。
女の顔が廊下、声の方を見た。
廊下を通る中年男のライトが過ぎていく。
瑠衣は、咄嗟にロッカーの扉を押し開く。
ドアを開き、外に出た。押されて後退した女が何か叫ぶ。
瑠衣は出口の方に向かう。
ギチギチ…。女が追ってくる。
四つ足の奇妙な動き。しかし速い。
瑠衣はヒールを脱ぐ。
階段の踊り場。
ライトで照らしながら、瑠衣は裸足で3階へ向かう。
その後を、四つ足女が追ってくる。
暗い廊下。
人とは思えない動き。
階段を駆け上る女のギチギチという骨の音。
瑠衣は、直ぐそばの部屋に入り込む。
それは、あの山水の間。
シュミレーションの時、あの女を見た部屋だった。
瑠衣は、女のいた畳部屋を避ける。
家族風呂に続く廊下へ進む。
浴室ドアを抜け、タイル浴槽のプラスチック蓋をずらせる。
貯められている水。
仕方なく、足を上げて浴槽に入る。
『冷たい!』
冷めた温泉の丸い浴槽に身体を沈める。
蓋を内側から閉じた。
暗闇で、びしょ濡れのブルードレス。
暗い顔のすぐ上に蓋。
暗闇で瑠衣は、両肩を抱えるように震える。
外が見えない。
蓋を持ち上げて、外の様子を見る勇気はない。
『新館に戻りたい…でも出られない…』
『外に、あいつが居る…』
『あの女の顔、あの血は。それに…なぜ私を…』
『私は何と、誰と…かくれんぼ…してるの?』
浴槽の外で音がした。
ヒタヒタという足音?
瑠衣は蓋をそっと持ち上げる。
細い隙間から外を覗く。
女の、赤い顔がそこにある。
瑠衣は驚いて立ち上がり、浴槽から転げ落ちる。
そのままドアまで進み、外へ出た。
瑠衣は濡れたドレスのまま山水の間を出る。そして暗い廊下を逃げる。
エレベーターホールに来た。
突然、エレベーターのドアが開く。
エレベーターの、仄暗い光が漏れる。
誰かいる。
暗く判別出来ないが、それは三上尚美の様に見えた。
「…尚美?」
エレベーターの尚美は声を出さず、瑠衣に手招きをした。
顔だけが暗く、よく見えない。
「尚美なの?」
瑠衣はエレベーターの中へ入った。
ドアが閉じて上昇していく。
尚美は壁の方を向いている。
後ろ姿の尚美。
エレベーターが静止してドアが開く。
5階の暗いフロア。
尚美が先に出て、また手招きする。
瑠衣は尚美の後ろを歩く。
細い廊下の先。
榊ひずみの部屋のドアが開いている。
『なんで?』
尚美が、また手招きして部屋に入る。
瑠衣も中に入り、大きなドアを閉ざした。
薄暗い部屋。
隅に、尚美が座っている。
尚美は天井を指差す。
振り返り天井を見る瑠衣。
赤い服の女が、天井からぶら下がって、揺れている。
首吊りの音。
ぎしぎしと音がする。
足元にロッキングチェアが転がっている。
榊ひずみの首。
あの鈴を吊っていた細い、赤い鈴緒が首に半分めり込んでいる。
ひずみの体重で、鈴の紐が食い込み、首を長くしている。
口から赤い舌が数センチ垂れ下がる。
呼吸が止まった時に飛び出した赤い舌から、唾液が滴る。
瑠衣は驚きで後退り。
喉が枯れて声が出ない。
それでも声を絞り出す。
「なんで? ひずみは50年前に…死んだ…でしょ?」瑠衣が問う。
尚美が部屋の隅で、暗い顔を下に向けたまま、口を開く。
「瑠衣は…選ばれたの。榊ひずみのオーディションに…」
「ひずみは…粕谷くんを使って…瑠衣をここに呼んだ…」
尚美が手を伸ばして、ひずみを指さす。
首を吊ったひずみが揺れている。
「なんで…? 大昔に…死んだんでしょ。なんで今…ここに、ひずみがいるの?」
尚美が答える。
「50年…60年…この部屋に時間なんか無い。ずっとここに、ひずみはいる。老いたままの…ひずみがいる…死んだ時のひずみが…」
「そこにある絵…」尚美が指差す。
瑠衣は額縁の白い布を取り、絵を見る。
ひずみの若き肖像画。
「これ…私の…」
「吉岡瑠衣…あなたは…ひずみ。榊ひずみの生まれ変わり…」
『私の…顔…?』
「あなたのお母さん…視力を…見えなくしたのは…ひずみ…」
母親の和美が、幼い自分の顔を包み込む記憶。
「娘だと…思い込ませるために…眼を奪った」
「…永遠に、ひずみの子…なの…。つなぎ温泉に…また呼ばれて来た…」
「また?」
「そう。90年前と…今…と。ひょっとしたら…ずっと…前にも…ずっと続いていたオーディション…」
言い終わると尚美が立ち上がり、顔を前に出した。
尚美は、赤い血だらけの顔。
顔の皮膚が剥がされていた。
真っ赤に染まった尚美の顔。
「私の顔…じゃダメだって…あなたの顔が…」
その時。
ドアが突然に開く。
暗い廊下から
赤い服のひずみが、這うように部屋に入って来た。
髪が顔を覆い、顔が見えない。
ギチギチと骨を鳴らして、瑠衣に近づく。
瑠衣は座ったまま、後ずさり…しかし壁で止まる。
ひずみの細い手が、自分の髪の毛を分ける。
赤い顔が、瑠衣の眼前にある。
皮膚のないひずみの顔。
尚美が唄う。
「かごめかごめ 籠の…中のとり…は、いついつ出やーる。夜更けの晩に…ツルとカメがすべった。後ろの正面は……瑠衣…あなた。次の鬼は…瑠衣」
岩崎の言葉、そして回想。
「50年前ですが…若い娘が…湖に浮かんでいまして…」
「青い服の娘は…顔を…湖面に向けて…。その顔の皮膚が剥がれていて…」
「その娘が誰なのか…いまだに分かりません」
瑠衣の前に、ひずみの顔。
瑠衣は…自分の…びしょ濡れの青い服を見る。
「あの橋の上から…湖の橋から…見えた…青い服って…これ? あれは私の…」
「50年前の…死体…って…私?」
ひずみの人差し指の爪が、剃刀のように伸びた。
瑠衣の顔の端に…剃刀を…あてた。
瑠衣は、恐怖の叫び声を上げる。
悲鳴が響く。
ステージにドラムロールが響く。
スポットライトが舞台で踊る。
司会者がステージ下手の吉岡瑠衣を招く。
「かくれんぼゲームの第一回目。残〜念〜!! 誰も瑠衣さんを見付けられなかったようです。さあ瑠衣さん、こちらにおいで下さい…。ステージでお顔を見せて…あれ? 衣装が…変わっていますが…瑠衣さん?」
顔を伏せた吉岡瑠衣の赤い服はびしょ濡れだった。
ステージの中央…
そして瑠衣は、ゆっくり顔を上げた。
END