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【真説版】正皇戦記ジャスティカイザー|第10話 黒き聖骸(せいがい)

    第1章「託された正義編」全13話中 
    第10話 黒き聖骸
    ▶第1章マガジン

    リューヌが倒れ、ゼツの刃が迫る。

    動けぬまま、何も守れない自分に焦るユウキ。
    その手の中で、黒いロザリオが熱を帯びる。

    守りたい。
    助けたい。
    力が欲しい。

    その願いに応えたものは、正義の光ではなく――黒き聖骸だった。

    ユウキは、焦っていた。

    目の前で、リューヌが押されている。
    ゼツの刃は重く、速く、そして何より容赦がない。

    月陰流抜刀術の間を徹底して潰され、
    防戦一方に追い込まれていくリューヌの姿が、嫌でも目に焼きついた。

    自分のせいだ。

    あの時、飛び出したのは自分だった。
    怒りに任せて前へ出た結果、今こうしてリューヌが窮地に立たされている。

    このままでは危ない。
    このままでは、また何も出来ない。

    ジンライの背を追うことも出来ず、聖都へ戻ることも出来ず、
    ただ逃げてきた。

    そして今度は、目の前のリューヌまで助けられないのか。

    そんなものは、嫌だった。
    そう思った瞬間、懐が不意に熱を帯びた。

    「――っ?」

    ユウキは息を呑み、とっさに胸元へ手を入れる。
    指先に触れたのは、硬く、しかしどこか脈打つような
    熱を持った感触だった。

    引き抜く。
    掌に現れたそれを見て、ユウキの目が見開かれた。
    手のひらほどの、黒いロザリオ。

    黒く艶を帯びた十字の中央には、青緑色の宝玉が埋め込まれている。
    それはジンライから託された、正義の継承者が代々受け継いできた宝具だった。

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    正皇剣せいおうけん。

    その名を思い出した瞬間、青緑色の宝玉が淡く脈打った。
    掌から腕へ。
    腕から胸の奥へ。

    何かが直接流れ込んでくるような感覚があった。
    その熱に呼び起こされるように、脳裏へひとつの姿が浮かぶ。

    ジンライ。

    己に黒いロザリオを託し、あの背を向けて聖都へ向かった師の姿。

    「……そうだ……」

    掠れた声が漏れる。

    「オレも……あれを……!」

    白い鎧。
    師が纏っていた、あの聖骸。
    あの力があれば。

    あの力を、自分も使えれば。

    「リューヌを……!」

    その決意に呼応するかのように、
    黒いロザリオの中央に埋め込まれた青緑色の宝玉が、淡く点滅した。

    脈動している。

    まるで、持ち主の意志を試すように。
    あるいは、覚悟を問うように。

    ユウキは黒いロザリオを左手に持ち直した。
    そして、弓を引き絞るように両腕を開く。

    左手に黒いロザリオ。
    右腕は大きく後ろへ。

    その構えは、先代継承者たちが受け継いできた儀式の形であり、
    力へ手を伸ばすための所作だった。

    「力を貸してくれ、師匠!!」

    叫びとともに、ユウキは左手を開いた。
    黒いロザリオが、宙へ放たれる。
    空中で回転する黒き十字。

    その中央で、青緑色の宝玉が一瞬だけ鋭く閃いた。

    「クロスッ!!」

    ユウキの右拳が走る。

    迷いも、恐れも、その一瞬だけはすべて拳に変わった。

    「ゲットッ!!」

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    右拳が宝玉を打ち抜いた瞬間、眩い閃光が炸裂した。

    夜の宿場町を、真昼よりもなお白く塗りつぶすような光だった。

    あまりの眩しさに、ゼツも、吹き飛ばされていたリューヌも、
    思わずそちらへ顔を向ける。

    「む――何だ!?」

    ゼツが低く唸る。
    光は収まらない。
    ただ広がるだけではなく、今度は渦を巻くようにユウキの身体へ集まり始めた。

    肩へ。
    胸へ。
    腕へ。
    脚へ。

    白い粒子が吸い寄せられ、骨格をなぞるように装甲の輪郭を描いていく。
    それはまるで、光そのものが鎧を鍛え上げているかのようだった。

    まず肩当てが現れ、
    次に腕甲が形を取り、
    胸部を覆う白銀の装甲が、音もなく閉じる。

    光の中から、白銀の鎧が姿を現した。

    「……ユウキ!」

    リューヌの声が、驚きと共に漏れる。

    正義の聖骸せいがい。

    それは確かに、ユウキの身へ顕現しつつあった。

    だが――。

    当のユウキは、右拳を前へ突き出したまま、ぴたりと固まっていた。

    「う……っ」

    動かない。
    指先も。
    腕も。
    脚も。

    身体じゅうを硬い殻で封じられたように、
    まるで自分の肉体ではなくなってしまったかのようだった。

    「う、動けねぇ!」

    焦りの滲む声が響く。
    白銀の聖骸は確かにそこにあった。
    だが、それは未完成な器だった。

    力だけを顕しながら、装着者の意志と噛み合い切っていない。
    ゼツは目を細め、その様を見て鼻で笑った。

    「ふん……何かと思えば、出来損ないの聖骸せいがいか……」

    その一言に、宿場町の空気がまた冷える。

    ゼツはすでにリューヌを後回しにすると決めたらしい。
    両手剣を肩へと遊ばせたまま、今度は白銀のまま硬直しているユウキへ歩み寄ってくる。

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    一歩。

    また一歩。

    逃げられない。
    動けない。
    それでも敵は、確実に近づいてくる。

    「丁度いい」

    ゼツの口元が吊り上がる。

    「これで正皇剣も、貴様の命も、両方手に入る」

    ユウキの喉が鳴る。

    ――ちくしょう。

    ――動け。
    ――動け。
    ――動け。

    そう念じても、身体は言うことを聞かない。
    白銀の装甲はただ重く、自分の意志を閉じ込める檻にしか思えなかった。

    このままじゃ。
    このままじゃ、また守れない。

    その時だった。

    不意に、頭の奥へ声が響いた。
    誰のものとも知れぬ、低く、不気味な声。

    『力が欲しいのだろう?』

    ユウキの目が見開かれる。

    「……っ!」

    幻聴か。
    罠か。
    そんな迷いは、一瞬たりとも生まれなかった。

    目の前でリューヌが傷つき、自分は動けず、敵が迫っている。
    その現実の前では、疑っている暇などなかった。
    声は続く。

    『守りたいのだろう?』
    『負けたくないのだろう?』
    『ならば、求めろ』
    『己の口で』
    『己の意志で』

    それは甘言ではなかった。
    もっと冷たく、もっと危うい。
    こちらの心の隙へ潜り込み、底にある渇望だけを掴み上げるような声だった。

    だがユウキは、抗えなかった。
    抗うつもりもなかった。

    「よこせ……」

    掠れた声が漏れる。
    ゼツの足音が近づく。
    リューヌが顔を上げる。

    「ユウキ……?」

    その声すら、今のユウキには遠かった。

    「リューヌを助けられるなら……」

    胸の奥で、何かが熱く膨れ上がる。

    怒り。
    焦り。
    悔しさ。

    そして、どうしようもなく強い渇き。

    ユウキは、喉が裂けるほど叫んだ。

    「力をよこせ!!!」

    その絶叫が夜を裂いた刹那。
    白銀だったはずの鎧に、変化が走る。

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    脚から。
    腕から。
    胸から。

    光を反射していた白銀が、じわじわと黒へ染まっていく。
    墨を垂らしたように。

    だが、止まることなく。
    鎧の隅々まで侵食していく。

    白は消え、黒が立つ。
    未完成だった輪郭が、今度こそ異様なまでに明確な形を取った。
    額に埋め込まれた宝玉から、三日月を思わせる前立てが鋭く突き出る。

    胸部に。
    両拳に。
    新たな宝玉が現れ、血のように赤い光を灯す。

    黒い聖骸。

    それは正義の継承者が纏うには、あまりにも禍々しい姿だった。
    だが、ユウキ自身はその瞬間、はっきりと感じていた。

    ふっ、と。

    全身を縛っていた重さが、嘘のように消える。

    硬直は解けた。
    呼吸が戻る。
    指が動く。

    脚に力が入る。
    動ける。

    助けられる。
    勝てる。

    その思いが胸の奥に灯った瞬間、ユウキの心は一瞬だけ、その力に酔った。
    さっきまで身体を拘束していた鎧が、今は自分の怒りにぴたりと噛み合っている。

    危ういほどに。
    気味が悪いほどに。
    それでも、力だけは確かにそこにあった。

    ユウキは構え直す。

    黒い聖骸を纏ったまま、右拳を前へ突き出し、夜空へ吠えた。

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    「正義見参!!」

    その声は、さきほどまでの少年の叫びとは違っていた。

    未熟さも、荒さも、そのままだ。
    だがその奥に、まだ本人すら知らぬ何かが目を覚まし始めている。

    黒い鎧。
    赤く脈打つ宝玉。
    闇を固めたような装甲。

    その禍々しい姿で放たれた正義の名乗りは、
    あまりにも噛み合っていなかった。

    ゼツが、わずかに目を細める。

    リューヌもまた、倒れたまま息を呑んでいた。

    「あれが……聖骸?」
    「違う……ジンライ様の聖骸と違う……」

    声は、ほとんど息に近かった。

    黒い装甲。
    赤く脈打つ宝玉。
    それはジンライが纏っていた白き聖骸とは、あまりにも違っていた。

    宿場町の夜に、黒い聖骸の赤い宝玉だけが、
    不吉なほど鮮やかに輝いていた。

    黒い聖骸を纏ったユウキが、地を踏みしめた。
    赤く脈打つ宝珠。
    白銀を失い、闇をそのまま固めたような装甲。

    それは正義の継承者が纏うべき姿というより、
    怒りそのものが鎧を得た姿に見えた。

    だが当のユウキは、その異形の力を目の前の敵へ
    叩きつけることしか考えられなくなっていた。

    「オレが相手だ、ゼツ!」

    怒声とともに、ユウキが駆け出す。
    黒い聖骸が石畳を砕くように走る。
    その速度は、着装前のそれとは比べものにならなかった。

    だがゼツは、微動だにしない。

    迎え撃つように両手剣を構え直し、
    その切っ先をわずかに下げたまま、迫り来る黒い聖骸を見据える。

    「来い」

    その一言が終わるより早く、ユウキの拳が飛んだ。

    一直線の正拳。
    重く、速い。
    ただし、大きい。

    ゼツの身体が、紙一重で横へ滑る。
    拳は空を切った。

    「大振りだな」

    ゼツの声は冷えていた。

    「丸見えだ」

    次の瞬間、両手剣が唸った。

    一閃。

    さらに一閃。

    いや、一太刀ごとに独立した重さを持ちながら、
    それらがひと続きの嵐のように黒い聖骸へ降り注ぐ。

    尋常ではない速度だった。
    刃の軌道が残像を引き、月光の下に幾筋もの死線を描く。
    ユウキは咄嗟に身を捻り、腕を上げ、かろうじて直撃を外していく。

    だが捌き切れない。

    黒い装甲のあちこちを剣先が掠め、火花が散る。
    押されている。

    いや、違う。

    身体は確かに強くなっている。
    だが、それにユウキ自身が追いついていない。

    「まだ……馴染んでねぇのか……!」

    自分の身体なのに、わずかに遅れる。
    踏み込みも、捻りも、拳の軌道も、どこか噛み合い切っていない。

    力だけはある。
    だが、それを自分のものとして扱えていない。

    ゼツの刃が、また迫る。

    ――もっと。

    胸の奥で、ユウキが叫ぶ。

    ――もっとだ。

    ――もっと速く。

    ――もっと強く。

    ――もっと、力を。

    ――もっと、よこせ!!

    その願いに呼応するように、四つの宝珠が不気味な赤を帯びて輝き始めた。

    額。
    胸。
    両拳。

    脈打つような光が、まるで装着者の焦りと怒りを餌にしているかのように、
    じわじわと強くなる。

    次に迫ったゼツの斬撃を、黒い聖骸は腕で強引に払いのけた。
    重い剣圧が装甲を震わせる。
    その反動ごとねじ伏せるように、ユウキが拳を放つ。

    ゼツは余裕を持ってそれを躱した――はずだった。

    「――っ!?」

    頬に熱が走る。
    黒い聖骸の拳は、確かに空を切ったように見えた。
    だが、わずかに軌道を伸ばした拳先が、ゼツの頬を掠めていたのだ。

    赤い線が走る。
    ゼツの目が細まる。

    「速度が……上がっているだと!?」

    ユウキが吠えた。

    「でやああああああッ!!」

    今度の正拳は、浅かった。
    だが確かにゼツの胴を捉えた。
    鈍い衝撃音とともに、ゼツの身体が後方へ弾き飛ばされる。

    石畳を滑り、靴底が火花を散らしながら、ようやく踏みとどまった。
    ゼツは口元の血を拭いもせず、笑った。

    「ほほう……面白い」

    その笑みは獲物を前にした猛獣のものだった。

    「拳は雑だ。足も遅い」

    ゼツの視線が、黒い聖骸の宝珠を射抜く。

    「だが――鎧だけが、貴様の怒りに追いついている」

    ゼツの口元が、さらに歪む。

    「なるほど。貴様ではなく、その黒い鎧が応えているのか」

    その一言に、ユウキの胸の奥がざわついた。
    だが、もう止まれない。
    止まる気も、今はなかった。

    「ならば、出来損ないがどこまで出来るのか……」

    ゼツの両の眼が吊り上がる。

    「試してやる!!!」

    そう言うや否や、ゼツは握っていた両手剣を地面へ突き立てた。

    轟、と石畳が鳴る。

    そのまま両腕を天へ薙ぐように振るう。
    何もないはずの空間から、異なる形状の五本の刃が撒き散らされた。
    長短も、反りも、重さも違う五つの凶器。

    無造作に放られたように見えながら、その軌道には寸分の狂いもない。

    すべてが、次の一手のために計算されている。
    ゼツが地へ突き立てた両手剣を再び握る。

    「一いちの太刀!」

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    振り下ろされた両手剣が、黒い聖骸へ迫る。
    ユウキは避けようとした。
    だが、黒い聖骸は避けなかった。

    両腕を交差させ、真正面からその一撃を受ける。

    激突。

    凄まじい衝撃が腕ごと全身を揺さぶった。
    石畳が砕け、腕甲に火花が弾ける。

    「避けろってのに……!」

    ユウキの意志を無視するように、黒い聖骸はその場へ踏みとどまる。

    怒りへ応えるように。
    もっと強い衝撃を求めるように。
    受け止められた両手剣の刀身は、その勢いのまま石畳へ叩き込まれる。

    砕けた石の間へ、巨大な刃が深々と食い込んだ。

    ゼツは柄から手を離さない。
    むしろ、その突き立った両手剣を支点に、身体を低く沈めた。
    だが、ゼツの攻めは終わらない。

    「二にの太刀!」

    次の瞬間、ゼツは片手を離し、落下してきた別の刃を無駄なく握り取る。
    袈裟斬りの一撃が、鋭く黒い聖骸へ走る。
    今度は黒い聖骸も受け切れない。

    肩口へ深々と刃が食い込み、黒い装甲の一部が裂けた。
    赤い火花めいた光が散る。
    ユウキの視界が揺れる。

    「ぐっ……!」

    さらにゼツは止まらない。
    石畳へ食い込んだ両手剣の鍔元へ足をかけ、そこを支点に空中へ跳んだ。
    普通ならば不安定すぎる足場。

    だがゼツにとって、それもまた次の刃へ移るための踏み台にすぎなかった。
    その両手には、すでに二本の刃が握られている。

    「三さんの太刀!」

    交差するように叩きつけられた双刃が、黒い聖骸の防御を打ち崩す。
    衝撃に耐え切れず、ユウキの身体が大きく吹き飛んだ。
    黒い装甲が石畳を削り、土埃と破片が跳ねる。

    ユウキの耳に、周囲の悲鳴が遠く聞こえた。
    だが、それすらもう現実感が薄い。
    四宝珠の脈動だけが、頭蓋の内側まで響いてくる。

    ――もっと。

    ――もっと力を。

    ――まだ足りない。

    ――まだ、守れない。

    ゼツが着地する。
    空中で使い終えた二本の刃を躊躇なく手放し、最後に落ちてきた一本を掴み取る。
    細く、鋭い、突きに特化したような刃だった。

    その切っ先が、黒い聖骸の胸――心臓の位置を真っ直ぐに捉える。

    「これで終わりだ!」

    ゼツが踏み込む。

    「絶命九刀流刀殺法ぜつめいくとうりゅうとうさっぽう!!死しの太刀!!!」

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    宿場町の空気が凍った。
    リューヌが息を呑む。
    誰の目にも、それは決着の一撃に見えた。

    だが、その瞬間だった。

    黒い聖骸の目が、ぎらりと赤く燃えた。

    「――!!」

    突き出された刃ごと、黒い拳が前へ出る。
    避けるでも、防ぐでもない。

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    真正面から叩き潰した。
    凄絶な音が響く。
    剣が砕ける。

    同時に、その先にあったゼツの腕が、不自然な方向へひしゃげた。

    「ぐああああッ!!」

    絶叫が夜へ迸る。
    その苦悶の声すら、黒い聖骸は止める理由にはならなかった。

    踏み込む。

    拳が走る。

    一撃。

    ゼツの胸部装甲が砕ける。

    二撃。

    腹部へ叩き込まれた拳が、鎧ごと身体を折る。

    三撃。

    頬骨の砕ける音が響く。

    四撃。

    石畳へ叩きつけられたゼツの身体が跳ねる。

    「がっ……! あ、ぐ……!」

    もはや戦いではなかった。
    圧倒だった。
    いや、それすら越えている。

    必要以上に。
    倒す以上に。

    壊すためだけの暴力が、黒い聖骸の拳から噴き出していた。
    ユウキの意識が、その奥で悲鳴を上げる。

    ――止まれ。

    ――もういい。

    ――もう倒れてる。

    なのに、身体は止まらない。
    脈動する四宝珠。
    真っ赤に灯る宝玉。

    赤熱した黒い聖骸の目が、倒れたゼツだけを捉えて離さない。

    ――まだ足りない。

    ――もっと壊せ。

    ――もっと砕け。

    そんな声にならぬ衝動が、鎧の内側から直接流れ込んでくる。
    それは誰かに命じられているようでいて、
    どこかで自分自身の声にも似ていた。

    ユウキはそれが、たまらなく恐ろしかった。

    ゼツはもはや、戦える状態ではなかった。
    鎧は砕け、片腕は使い物にならず、呼吸すらまともではない。

    それでも黒い聖骸は止まらない。
    右拳が、ゆっくりと振りかぶられる。
    渾身の一撃。

    狙いは、ゼツの頭部。

    ――やめろ!

    ユウキが心の底から叫ぶ。

    ――止まれ!

    ――止まってくれ!

    「止まれぇぇぇっ!!」

    その刹那。

    一陣の風が吹いた。
    夜気を裂いて飛んできた一枚の符が、
    振り上げられた黒い聖骸の拳へぴたりと貼りつく。

    びしっ、と鋭い音が鳴った。

    「そこまでよ!」

    リューヌの声だった。

    黒い聖骸の拳が、空中で止まる。
    ほんの紙一枚の符。
    だが、それだけで力を押さえ込んだわけではなかった。

    止まりたいと叫ぶユウキの意識に、
    リューヌの符がようやく噛み合ったのだ。

    荒い呼吸のまま、黒い聖骸は微かに震える。

    その足元には、全身を砕かれたゼツが倒れ伏していた。

    静寂が、街を包んでいた。

    つい先ほどまで剣戟と怒号に満ちていた往来が、
    今は嘘のように静まり返っている。

    砕けた石畳。
    転がる武具。
    倒れ伏した兵たち。

    そのすべてが、たった今ここで起きた暴力の激しさだけを物語っていた。

    リューヌが、すぐさまユウキへ駆け寄る。

    「ユウキ――」

    だが、その足がふと止まった。
    黒い聖骸が、不意に顔を上げたのだ。

    ぎらり、と。

    まだ爛々と赤い光を宿した目が、
    残るソード部隊の兵士たちへ向けられる。
    びくり、と兵たちの肩が震える。

    黒い聖骸は、ゆっくりと一歩を踏み出した。
    重い足音が、静まり返った宿場町に響く。

    一歩。

    また一歩。

    追い詰めるようでもなく、急くでもなく、ただ確実に。
    それなのに、その歩みには逃れようのない死が伴っているようだった。

    「ゼツ様が……やられた!?」
    「ば……化け物っ」
    「引け! 撤退だ!!」

    誰かが叫ぶ。

    それを合図にしたように、ソード兵たちの統制は一気に崩れた。
    つい先ほどまで整然としていた部隊が、
    今や散り散りになって後退していく。

    仲間を抱える者。
    武器を捨てて走る者。
    振り返る余裕すらなく、ただこの場から離れることだけを選んで逃げていく。

    その様を前にしても、黒い聖骸はなお歩みを止めない。

    「ユウキ!」

    リューヌが追いつき、その腕を掴んだ。
    ひやりとした装甲の感触が掌に伝わる。

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    「もういいの! もう終わったのよ!」

    叫ぶように言い聞かせる。

    その声が届いたのかどうか、しばし、ほんのわずかな間があった。
    黒い聖骸は、ぴたりと止まる。
    やがて、赤く燃えていた双眸の光が、ふっと消えた。

    次の瞬間、全身を覆っていた黒い装甲がほどけるように光へ変わり始める。

    肩から。
    腕から。
    胸から。

    赤い宝珠の灯もまた、次々と失せていく。
    音もなく、黒き聖骸は崩れ去るように解けた。
    後に残されたのは、ただ立ち尽くすユウキの姿だけだった。

    肩で息をし、拳を震わせたまま、ユウキはしばしその場に立ち尽くす。

    やがて、ゆっくりと振り返った。
    その先にあるのは、地に倒れ伏したゼツの姿だった。
    砕けた鎧。
    不自然に曲がった腕。
    もはや立ち上がれる気配すらない、圧倒的な敗北の形。

    ユウキの喉が小さく鳴る。

    「オレが……」

    掠れた声が漏れる。

    「やったのか……?」

    その問いに、誰も答えない。
    答えなど、目の前に転がっているはずなのに。
    それでもその言葉は、まるで自分自身へ問い返すように弱々しかった。

    宿の戸口や建物の陰に身を潜めていた住人たち、
    旅人たちが、ようやく恐る恐る姿を現し始める。

    一人。
    また一人と。
    だが、誰も歓声を上げなかった。

    誰も、助かったとは言わなかった。
    彼らの顔にあるのは、安堵ではない。

    戸惑い。
    怯え。
    そして、目の前の現実に対する生々しい恐怖だった。

    「……おい、まずいんじゃないのか?」
    「あの人たち、聖都の人だったのね……」
    「これじゃあ、まるでウチらが反抗したみたいじゃねぇか」
    「恐ろしや、恐ろしや……」
    「ママ、わたし怖い……」

    ざわめきが広がる。

    囁き声は小さい。
    だが、そのひとつひとつが、ユウキの胸に冷たい石のように落ちていく。

    街は守られたのではない。
    少なくとも、彼らにはそう見えていなかった。

    ソード軍の暴力が去ったあとに立っていたのは、別の暴力だった。

    理屈も、事情も、正義も知らない者たちの目には、
    ただ“より恐ろしい力”が現れ、兵を叩き潰したようにしか映らない。

    ユウキの指先が、わずかに震えた。

    その時。

    人波の中から、ひとりの老人が杖をつきながら進み出てきた。
    年老いてはいるが、その足取りにはまだ芯がある。
    着ているものも質素ながら整っており、ただの村人ではないのだと知れた。

    どうやら、この街で顔の利く立場にある者らしかった。

    老人は二人の前まで来ると、深く息をつき、静かに口を開く。

    「……もし」

    リューヌがそちらを見る。
    老人の眼差しには敵意はなかった。
    だが、感謝もまたなかった。

    あるのは、この街を背負う者だけが持つ苦い現実感だった。

    「すまないが……早々にこの街から出て行ってもらえんか」

    ユウキの顔が強張る。

    「!! な……」

    反射的に言い返しかける。

    だが、その前にリューヌがわずかに手を上げ、ユウキを制した。
    黙って首を横に振る。

    リューヌの顔にも、傷ついた色はあった。
    それでも彼女は、町の者たちを責めなかった。
    責められないことを、知っていた。

    今ここで感情をぶつけても、何も変わらないと、その仕草だけで告げていた。

    老人は続ける。

    「馬は使うてくれてかまわん」
    「幾らかの食料も与えよう」

    そこで一度、言葉を切る。

    その沈黙は短かったが、重かった。

    「じゃが……この街への滞在は許可できん」

    その言葉は、あまりにも当然だった。
    この街にとって大事なのは、正義が何かではない。
    明日の暮らしが続くことだ。

    国境近くで細く息を繋ぐこの宿場町にとって、
    権力に睨まれることはそのまま死活問題になる。

    今ここで何があったのか。
    誰が悪で、誰が正しいのか。
    そんなことより先に、彼らは生き延びねばならないのだ。

    だから拒絶する。
    それは冷酷さではなく、弱き者たちの現実だった。

    ユウキは唇を噛み締めた。
    胸の奥で、何かが重く沈んでいく。
    さっきまで、少なくとも自分はリューヌを助けたつもりでいた。

    敵を倒し、この街を守ったつもりでいた。

    だが違った。
    あれは解放ではなかった。
    喜ばれる勝利でもなかった。

    ただの暴力だった。
    ただの猛威だった。

    振るわれた力の意味を、自分で掴み切れぬまま叩きつけた結果でしかなかった。

    画像

    「行くわよ、ユウキ……」

    リューヌの声は静かだった。
    責めるでもなく、慰めるでもなく。
    ただ、今は立ち止まっている時ではないと告げる声だった。

    ユウキは返事をしない。
    ただ、背中を押されるようにして、一歩を踏み出した。

    それが精一杯だった。

    二人は、ざわめく人々の間を抜けていく。
    誰も引き止めない。
    誰も見送らない。

    ただ不安と恐れに満ちた視線だけが、二人の背へ痛いほど突き刺さっていた。

    宿場町の灯は、もう温かくは見えなかった。

    守るために振るったはずの力は、人々に恐怖を残した。

    宿場町を追われ、傷を抱えたまま歩き出すユウキとリューヌ。

    黒き聖骸とは何なのか。

    そして、正義とは何なのか。

    次回【真説版】正皇戦記ジャスティカイザー 第11話
          ――タワーズの影――

    ◀第9話 第11話▶


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    あび

     
     
    ゲーム会社勤務。企画・演出・エフェクト担当。漫画、アニメ、変身ヒーロー、和風ファンタジー、剣道、必殺技演出が大好き。30年温めた『正皇戦記ジャスティカイザー』を真説版として投稿中。

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