
排水口
うちの排水口は、私のストレスが肥大するときれいになる。
汚れるまえに掃除してつねに清潔に保っているほどまめではない。普段は視界にあまり入らないようちんまりしている排水口が、色やら音やらにおいやらで存在を主張するようになってくると、これはまずいなと思って片づける。汚れがたまっているのは排水口の内側のときもあれば、自分の内側のときもある。
ごみを取り除き、洗剤をかけてこすって、黒ずみやピンク汚れや得体の知れないものを落とし、「泡がとどまって髪の毛を溶かす」という強力なクリーナーの泡を充満させたら、塩素のにおいを外に逃がしながらしばらく待つ。最後に水で流したとき、通常の洗剤と歯ブラシだけでは落としきれない汚れがクリーナーの威力で消えさって、排水口が本来の色味を取りもどし、キュッキュッと音が鳴るほどさっぱりすると、ほっとため息が出る。
日常のなかで想定外のことが起きたとき、暗いニュースが重なったとき、自分の手にあまる事態に悲鳴が出そうになったとき、排水口と向きあって、できる限りの手を尽くして汚れを落とす。そこにあってはならないものを流しきることができたなら、このままならなさもつられて小さくなりますように、と祈りながら。
洗面台の細長い筒、キッチンシンクのぽかんと丸い口、お風呂場の四角いふたに隠された穴。私が美しさを復元できるのは、せいぜいこのくらいの小さなスペースでしかない。「排水口」という枠組みをきれいに戻せたとき、自分のコントロールの利く部分がまだこの世に残っていたとわかり、ようやく肩の力が少し抜ける。