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かもめ


    #創作大賞2026 #お仕事小説部門

    【あらすじ】
    1989年2月、1人の男が東京拘置所に収監された。未公開株が賄賂として譲渡され、収賄側の政界・官界・マスコミを揺るがした事件の、贈賄側の首謀者である。物語の主人公は、その会社に新入社員として入社し、半年間の営業を経験した後、広報室で社内報の編集員として働いていた女性。バブル期ではあるが、戦争体験を持つ両親のもとで実直に働き、重厚長大企業を重んじる父に「軽薄短小」と言われながらも、次々にイノベーションを起こす会社で働く人々を、事件に揺れる社内を、記録してきた。日本で最初の企業内パソコン通信を始めた女性編集長の背中を追いながら、企業のあるべき姿、社内報のあるべき姿を考えてきた奮闘の記録である。

    第一章
       1
     雪国を思わせる鈍色の雲が、重く垂れ込めていた。
    東京の小菅にある拘置所前に、黒塗りの車列が音もなく止まった。集まったカメラマンたちが、前から二台目車両の後部座席に向けて一斉にフラッシュを浴びせた。被写体の男は突然の光に眉を寄せ、上目遣いに目を開け、懸命に状況を理解しようとしていた。瘦せこけた頬からは苦悶の色が滲み、肌は空の鈍色に墨が加わり喪の色と化したようだった。そうだ、確かにここで一人のビジネスマンが、死の宣告を受けたも同然だった。それも少し前までは時代の寵児ともてはやされたビジネスマンが。テレビ画面を見ながら私は、この男は何者で、どんな悪事を働いたのかと、ずっと考えていた。

     この逮捕劇から遡ること4年前。1985年4月に、私、吉田千絵は新卒で、銀座8丁目の土橋の角に本社ビルを構えるベンチャー企業に入社した。ベンチャーという言葉も、スタートアップという言葉もなく、新しいビジネスモデルで市場にイノベーションを起こす会社は、どこか怪しげで、危うい印象を持たれていた時代だ。
    その新しさを象徴するような本社ビルは、当時には珍しい全面ガラス張りの11階建て。建物を覆うガラスには真っ青な空と白い雲が映っていた。日に照らされた姿はまるで、大人たちの懸念などお構いましに、建物の中で働く若者たちの、夢や希望を反射しているようだった。
     AIもグーグルも、その萌芽らしきものが誕生したにすぎない頃。欲しい情報があるときは、紙をめくって検索しなければならなかった。例えば、「仕事を探そう」と思えば、書店か、駅のホームに点在するキオスクという売店に行き、情報誌と呼ばれる紙媒体を購入する。パラパラと頁をめくっているうちに、
    「事務職だけでなく、営業も面白そうね」と頁の寄り道をしたり、
    「やっぱり勤務地は丸の内よね」と地域別の頁に戻ったり。効率的ではないが、自分が知らない職業を知ることができる雑学書のような体裁だった。
    住む場所を探すのも同様で、購入した住宅情報誌を開き「戸建てか、賃貸マンションか」の大分類から、ローン返済額や家賃、あるいは地域などの条件を絞り、自分の希望を確認しながら頁をめくり、最適とは言えないまでも、それに近い物件にたどり着く。
    大きな分類から、樹々の枝葉のように細分化された項目に導かれ、途中で比較検討しながら、目的の情報にたどり着くシステムは、当時としては画期的だった。
    なぜなら、戦前から求人情報や不動産情報は、新聞の下段に三行広告として「求む・営業担当・委細面談」とか「渋谷・木造2階建て豪奢・日当たり良好・駅から10分・〇〇不動産・電話番号」等、必要最小限の情報だけが、狭い行間に身を縮めるように掲載されていた。読者である求職者・住宅希望者は、1軒1軒、自力で訪ねて詳細を確認する必要があった。
    その不便を新聞各紙の情報を一冊に集めることで、読者が理解と比較検討をしやすいように、詳細を紹介する雑誌を販売した若者がいた。大学生だった彼は起業し、仲間とともに「会社の成長のために良い人材を」「読者が情報を探しやすい誌面を」と知恵を絞り、アイデアを共有し、信じた目的に向かって雑誌を作った。
    口角に泡を飛ばして議論し合うことも多々あった。役職や性差に関係なく自由闊達に意見を言える環境は、私が入社した25年後もまったく変わっていなかった。創立30年を目前にしたときに、まさか経済界だけでなく、政界を揺るがし転覆させ、日本中を震撼させる大事件を引き起こすことになるとは、誰も予想だにしていなかった。

     私は入社式後、このビルの10階にある広報室への配属辞令を受けた。その2カ月前、内定者のときに不動産事業部門でアルバイトをした。卒論も書き上げ自由な時間を持て余すなら、社会人になるための予行練習には、内定企業でのアルバイトは好都合だった。人事担当者から指示された部門は、事業拡大により私たちが入社する四月に別会社として独立し、株式公開を目前にしていた。
    「成長性の高い部門よ」
     と、人事担当者がしきりに勧めることに、私は不安を感じた。
    「もし、ここに本配属されたら内定を辞退します」
    生意気ながら、はっきりと伝えた。
     なぜ、この部門を嫌悪していたかというと、アルバイト中にいじめに遭ったわけでも、事業内容に不満を持ったわけでもない。理由はいたって個人的なこと。
    「父の反対を押し切って民間企業に勤めることに決めたのに、父の管轄下に入るのは、不本意なことです」
     父は建設省(現・国土交通省)に勤める国家公務員だった。口数は少ないが、家長として家族全体を統率する強力な権限を持つ人だった。私は高校までは父に従順だったが、大学は父の期待に応えることができず国立大学に落ちて私大に進んだことから、遅い反抗期が始まった。父が勧める経済学部ではなく文学部、それも哲学科美学美術史学科。「おまえは霞を食べて生きるのか」と叱責された。
    就職先は、4年制大学女子の求人が少ない中で、父は自分と同じ国家公務員を強く勧めたが、私は民間企業を選んだ。それも〈情報〉という得体のしれない商材を扱うベンチャー企業だ。いまだ四十歳代という若い社長が、学生時代のアルバイトの延長から起業した。人事担当者から紹介される先輩社員たちが、いきいきと自分の仕事や会社を語る姿を見て「この人たちといっしょに働きたい」と思って入社を決めた。
    日本は敗戦後、行政官庁が強い指導力で民間企業を監視・監督しながら守り育て、復興期を乗り越えた。重厚長大といわれる企業が日本経済を支え、世界でも例を見ない高度成長を遂げた。そんな時代に学生だった当社の社長は、母校の大学新聞で広告を取るアルバイトをしながら、労働力人口の増加に着目し、
    「人手が足りない会社に優秀な人材が集まり、仕事を探しているやる気のある学生に会社を紹介できたら、どちらにも喜ばれるはずだ」
    と、新聞紙面の片隅に小さく載っていた広告を〈情報〉として新しい価値を付加した。1960年代、〈就職〉や〈住宅〉という専門的でニッチな分野の扉を開けた。消費者が必要とする便利な情報を、広く提供することは市場原理に即しているはずだ。でもモノを作らない会社を、父のような行政官や重厚長大企業に勤める人たちには理解ができない。父は娘の就職先に猛反対した。母の執り成しで「どうせ嫁入りまでの腰かけだろう」と、高をくくって渋々承諾した。

     入社式後に発表された本配属先は、不動産事業部門ではなかった。ホッと安堵したのも束の間、半年間の営業研修に出された。
    「御社で良い人材を採用するために、弊社の媒体に求人広告を載せませんか」
     と、中途採用の広告を取る部門の最前線の営業所だった。新聞に広告を出稿している企業をリストアップして、その会社にアポイントなしで訪問する飛び込み営業をする毎日。担当地域をまるでペンキを塗るローラーのように、訪問しては塗りつぶしていく。
    「縁故で良い人が採れるから、間に合っているよ」
     と、けんもほろろに断られ、
    「あんたの会社から飛び込んでくる営業マンの名刺で、トランプができるよ」
    と、名刺を扇形に広げて見せる人事担当者もいた。男女雇用機会均等法が施行される前年のこと。女性営業担当は珍しく好奇の目で見られ、からかわれることが多かった。たまに広告の話を聞いてくれても、最後は
    「社長に伝えておくよ」
    と言われ、茶飲み話に付き合わされただけ。慣れない日本橋の街を、右に左に地図に表記されていない道かと思えるほど歩き回り、昭和通りを走る車の黒い煙がやけに目に染みた。
    4月が過ぎ5月になっても、私は1件も商談が決まらない。ビルの最上階から一階まですべての会社を訪問し、元気よく挨拶をして名刺を置き、相手の名刺をもらってくるビル倒しの数を増やした。
    雑居ビルのサビがあるドアの前で深呼吸をし、ドアをノックして「こんにちは」と開けても、野良犬にするように手で「出ていけ」と追い払われるばかり。薄暗い1階から外に出ると、初夏の眩しい日差しが目を眩ませた。道に迷いながら歩き続けているうちに、額だけでなく目からも大粒の汗が溢れた。社会に出てお金を稼ぐとは、こういうことなんだと身に染みた。
    3カ月が過ぎると、同期入社者の半分以上が初受注をしていた。
    「あなたのように仕事ができる女性を採用したい」
    と、お客様から信頼を得て、大型受注をする同期の女性たちが次々に現れた。
     受注をすると営業所では「おめでとう」と、黒い毛筆で書かれた黄色い垂れ幕を天井から吊るし、帰所した営業担当を所長や庶務や制作担当が、笛や太鼓で盛大に迎える。まるでお祭り騒ぎだ。
    そんな賞賛を受ける同期の活躍を横目に、私は営業所のお荷物のように思われているのではないかと、夕方、営業所に戻る足も重くなった。
    それでも「お疲れ様」と笑顔で迎えてくれる庶務さんや、冷たい麦茶を入れてくれる制作マン、「今日はどうだった」と言って私の愚痴のような報告を聞き、「そんな日もあるさ、明日も頑張ろう」と言ってくれる所長さんに支えられた。
    半年間の研修期間中にたった2件の小さな広告しか受注できなかった私は、「目標達成」の黄色い垂れ幕は一度も吊るされることはなかった。
    毎月いただく給料ほども稼げなかった私は、
    「本配属される部署で何ができるだろうか」
     と、不安と劣等感がいっぱいで「内定辞退します」と言ったときの勢いは、黒革の営業カバンの片隅に、姿を隠してしまっていた。
       2
    10月、半年間の営業研修を終えた新入社員2人は、5年目社員、浅野さんから業務説明を受けた。広報室には3つのチームがある。マスコミなど社外の関係各所を担当する社外広報、社員向けに営業数字などを毎週発信する社内広報、そして、月刊で社員間の円滑な交流を目的に発行する社内報『あおぞら』の編集。浅野さんは社外広報課のリーダーで、ワイシャツの袖を肘までまくり上げ、ホワイトボートに順次キーワードを書き出した。淀みない口調はプレゼンテーションに慣れ自信に満ちていた。
     ホワイトボードの前に並べた長机には『あおぞら』編集部に配属された私と、浅野さんと同じく社外広報の稲毛昭子が座っていた。彼女は大学のミス・キャンパスに選ばれた美人で、営業研修の成績も群を抜き、営業部長は残留を願い出たと聞く。
    「創業25年を迎え、売上げが倍々で伸長している弊社は、良くも悪くもマスコミから注目を集めている。新聞社やテレビ局との関係を、いま以上に発展させる必要がある」
     浅野さんが大きな上背を反らして話すと、隣から、
    「早速、午後に『週刊新波』から、女子社員特集の取材を受けます」
     リーダーに負けないほど胸を張りながら、元ミス・キャンパスが答えた。
    「稲毛、期待しているぞ」
    浅野さんは大きくうなずきながら言った。
    「売上げと同様に社員数もいまや2700人。急激に増加した社員たちに経営方針を正しく伝え、社内のコミュニケーションを円滑にするために、良い社内報を作ることが…」
    浅野さんはひと呼吸置き、視線を私に置いた。
    「吉田、おまえの仕事だ」
    私の頭の中に〈良い社内報って何?〉と疑問符が、風船のように浮かんでいたのを、パチンと割る針のような視線を向けた。私は消え入りそうな声で、
    「制作や編集の経験はありませんが、先輩に教えていただきながら頑張ります」
     と、答えた。隣に座る昭子はその語尾にかぶせて、大きな声で続けた。
    「社内報『あおぞら』は、経団連の社内報コンクールで連続入賞しているんですよね」
    「稲毛は会社のことをよく勉強しているな。『あおぞら』は11年連続入賞、4年前には最優秀賞も受賞している」
    「そうなんですか」
     知ったかぶりをして澄ましていればいいのに、私は驚きを隠せず声に出してしまった。
    「吉田……」
    浅野さんも気持ちを隠せない人だった。落胆の色がすぐに顔に現れた。
    「そんなことも知らなくては困るぞ。創刊時からたった1人で『あおぞら』を制作してきた編集長、八重さんの足を引っ張らないように、しっかりやってくれよ」

    八重さん、と社員から親しみを持って呼ばれている女性は、三宅八重という名の小柄な女性だった。本社ビルの壁面に映る空のように明るい水色のスーツに、まぶしいほど清潔な白いブラウスを着ていた。40歳を過ぎたばかりだろうか。仕事一筋で独身だと聞く。世の中で流行している、キャリアウーマンの代名詞のようなボディコンシャスな服装でも、ソバージュの長髪でもない。ゆとりのある上品なスーツに、天然パーマの短い髪、お盆のように丸い顔に笑うと山型になる目と、目尻や鼻の頭、口元には深い笑い皺が刻まれていた。
    「あなたの同期が呼ぶように私も〈ちーちゃん〉って呼ばせてもらうわね」
     子どもがはにかむように視線を手元に落とすと、右手を差し出した。私は銀座の本社への初出社と気張り、新調したハイヒールの靴を履いていたので、小学生に挨拶するように深く腰を折らなければならなかった。差し出された手を握り返すと、八重さんの手はからだ同様に小さく、そして温かかった。
    「ちょっと早いけど、お昼ごはんを食べに行こうか」
     八重さんは銀座通りに面した化粧品会社が経営するレストランに誘ってくれた。歩く道すがら、出身地と入社経緯を話してくれた。八丈島出身で、高校卒業後は港区役所に就職する予定だったという。
    「都会に慣れるために、事務のアルバイトでもしようと、この会社に入ったの。ところが毎日楽しくてね、卒業後に内定を断ってここに就職したの」
     安定した区役所を辞退したと聞き、
    「ご両親様は反対しなかったんですか」
     私は父のことを思い浮かべ、八重さんに聞いてみた。
    「反対したけど、楽しそうに会社に通う私を見て、諦めたみたい」
    八重さんの笑い声につられて、並木通りの色づき始めたプラタナスの葉も一緒にカサカサと笑っていた。
    「入社して4日が過ぎてもね、社長に会えないなあと思っていたの」
     従業員は十数人ほどの小さな事務所で、社長に会えないとはどういうことか、想像できないままレストランに着いた。席に案内されると、待っていましたとばかりに、
    「社内に社長然と偉そうにしている人がいなかったのよ。目の前に空席はあるのよ。いつも客先を回って不在で、誰よりも忙しく働いている、からだが弱そうな青年の席。よもや彼が社長だとは夢にも思わなかった」
     20年以上も前の出来事を、昨日のことのように語る八重さんの笑顔を見ていると、本当にこの会社が好きで、社長を尊敬していて、仕事が好きでたまらないんだろうなと思った。
    「社長秘書といえば聞こえはいいけど何でも屋だったの。私より年上の大卒男性で入社を希望する人に、面接日時や合否を知らせたり。寒い冬の日は、営業から帰ってくる人たちのために、アツアツの味噌汁を作るから、その準備をしたり」
     外で営業活動をしていると、からだだけでなく心にも木枯らしが吹き荒れることがある。そんなときも「ただいま」と営業所に帰ると、「お帰り」とみんなが迎えてくれる経験を私は半年間に何度も味わった。八重さんが話す味噌汁の湯気の向こうに、所長や庶務のルミさん、先輩営業・制作担当の姿が見えるような気がした。
    「ちーちゃんは人が好き? 一緒に働く人が」
    「もちろんです。大好きです」
     私は即答した。親に反対されてもこの会社に就職を決めた一番の理由でもあるし、半年間、注文が取れず辛い毎日でも頑張れたのは、営業所の皆さんのおかげだ。私の返事に頷いた八重さんは続けた。
    「入社7年目のある日、社長の江田さんから『読み物中心の社内報を作るから、編集長をやって』と言われたの」
    社内の情報公開・情報共有の話題は、良き風土の一例として人事から何度も聞かされていた。若い社長は〈小さいが良い会社にしよう〉と、社会に役立つだけでなく、社員にも喜ばれる会社を目指し、社員数が十数人という、大声を出せば全員の耳に届く時代に、
    「営業数字や経営情報は社長だけでなく、現場を歩く営業担当や電話交換の女性、新入社員に至るまで、みんなが共有しよう」
    と、手書きの壁新聞を作り、自分の思いを文字にしていたという。その後、当時の最新式だったジアゾ式複写技法の青焼き印刷をして、社員に手配りもした。社員数が461人に増え、社内報は社長の思いと社内の伝達事項だけではなく、〈コミュニケーションの場〉という新しい役割が求められた。
    そこで営業数字を週報で発信するチームと、月に1回、読物形式の冊子編集チームに分かれ、社内報『あおぞら』が誕生した。月刊社内報は、社員の人となりを紹介し、社内で抱える課題を共有し、みんなで考え、役員も新人も忌憚なく発言する場となった。
    前菜のサラダを置いた給仕がいなくなると八重さんは、
    「うちは情報誌制作会社でしょう。コピーライターやデザイナー、編集のプロが多士済々いるのに、素人の私がなぜ? と江田さんに尋ねたの。そうしたら答えはひと言」
     大きな瞳を一層大きく見開いた。
    「人を知っているから」
     八重さんは私に確認するように、
    「私もちーちゃんと同じで一緒に働く人が好きなの。自然とみんなの生年月日や出身地、趣味、既婚者だったら奥さまや子どもの名前、家族構成まで覚えていたの」
    子どもが息継ぎするのも忘れて大好きなものを話すように、次々と話題が出てきた。
    「年度末、経理部で人手が足りなかったら手伝いに行ったし、営業部で誰かが大型受注をしたと聞けば、太鼓を持ってお祝いに駆け付けた。どこの部署に私がいても不思議がられなかった。いまだから分かったけど、江田さんは〈社員の側に立って発信する〉ことを私に期待してくれたんだと思うの」
    どの部署の人でも、どんな立場の人でも、受け入れて「好きだ」と思える八重さんと、八重さんが情熱を傾けている社内報のことを、私はもっと知りたいと思った。
    業務説明で浅野さんが言っていた〈良い社内報〉とは何かよりも、まずはすぐに自分ができそうなことを質問してみた。
    「2700人もいる社員の皆さんに読んでもらえる記事を書くためには、どんなことを心掛ければ良いですか」
     サラダが下げられ、オムライスが運ばれてきたときに切り出した。
    「不特定多数の誰か、ではなくて、信頼できるたった1人の人に向けて書けばいいのよ。その人が喜んでくれるような原稿を、その人の笑顔を思い浮かべながら書くの」
    目の前にあるスプーンを手に取るのと同じように至極簡単に、鼻に皺を寄せて笑いながら八重さんは答えた。
    〈大勢ではなく1人に向けて書くなら、私にもできそうだな〉
     私は抱えていた荷物を1つ下ろしたような気持ちになった。遮る雲1つない澄んだ青空と同色の服をまとった八重さんにつられて、私の口元も緩んだ。白いテーブルクロスの上の、白い皿に盛りつけられた黄色い卵まで、私を応援してくれているように、ふわふわプルルっと揺れていた。
       3
    十数年間、八重さんはたった1人で社内報の企画・取材・原稿依頼・撮影・割付・校正をこなし、毎月1日の発行日に1度も遅れることなく社員に届けてきた。
    社員数が800人を超えた頃から、八重さんの他にアシスタントが加わり、いまは短大卒社員と制作進行係のアルバイトが1人いた。 その3人が大きな円卓を囲むように向かい合って座っていた。円卓ではない。五角形なのだ。机の各辺に椅子が置かれ、顔を上げれば全員の顔を見ることができた。私を加えた4辺と残る1辺は、誰でも自由に座って企画書を書いたり、休憩する場になっているという。
    2人の同僚の紹介を終えると、八重さんは仕事の指示を出した。
    「月初めのいまは次号の原稿執筆と入稿作業に忙しいから、慣れるまでは戸惑うかもしれないけど、すぐに仕事は覚えられるわ。早速だけど、ちーちゃん、常務の上川さんに初校ゲラの確認をお願いして来てくれる?」
     そう言って手渡されたのは、何度も使い古された書類封筒。表面には貼っては剥がした跡が残るB5用紙。そこに「特集『いきいき働く女性の本音(仮称)』と書かれた新しい紙が貼られていた。そのタイトル下には、四角いマスが並び「入稿」「初校出し」の欄には手書きでレ点がつけられ、続く「初校戻し」「再校出し」「再校戻し」「責了」の欄は空欄。言葉の意味は分からなかったが、これが作業工程であり、各段階でレ点チェックすることは想像できた。
    「上川さんは5階の『らぼらーれ』編集部にいらっしゃるから」
     八重さんの言葉に、私は小躍りしたくなった。つい昨日まで日本橋の会社を歩き回り広告スペースを売っていた、女性のための転職情報誌だ。
    暗く後ろ向きな転職イメージを払拭し、颯爽と自分の人生を切り開く女性を応援する媒体。最近、イタリアで撮影されたCMがテレビに流れ、話題になっていた。
    その編集部に行けることがうれしくて元気よく「はい」と答えると、飛ぶようにエレベーターホールに走った。
    「ヨッ、新人、張り切っているな」
     エレベーターホールを挟んだ反対側から男性社員に声をかけられた。数年前に成田に開業した国際空港のようにエレベーターホールを挟んで両サイドを〈ウィング〉と呼び、〈南ウィング〉は広報室と社長室と経営企画室、〈北ウィング〉は総務部と経理部がある。その北ウィングから課長の柴崎さんが両手に黒い塊を抱え、エレベーターの箱の中に駆け込んできた。
    「4月の全体研修のときにお世話になりました吉田です。よろしくお願いします」
     柴崎さんは研修時に「新人の仕事は元気の良い挨拶と社内の活性化です」と言っていた。「前例や慣行にとらわれない新人の乱入が、会社のイノベーションを生む」と、何やら難しいことを説いて内容は理解できなかったが、どこか安心できる包容力を感じた。出身地が九州で太い眉の風貌から、西郷隆盛のイメージを持ったのかもしれない。
    「あおぞら編集室に配属されたんだっけ」
     はい、と口では答えたが、目は柴崎さんが抱える黒くゴツゴツした不思議な物体に釘付けだった。
    「上川常務に届け物に行きます。柴崎課長、腕に抱えていらっしゃるものは、何ですか」
    「役職で呼ぶのはやめてくれよ、社長も〈さん〉づけだ。営業所もそうだったろう?」
    「所長は〈さん〉でした。でも本社の課長や常務には、やはり……」
    と言いながらも本当は所長・課長・部長・係長の誰が一番偉いのか、区別も順番も分からなかった。
    「いいんだよ、みんな〈さん〉で」
    その回答は、無知な新人を大いに助けた。
    「手に持っているものが気になるか? ゴジラの着ぐるみだ。友田さんがこれを着て、三階の撮影室でポスター撮りする。専務の友田〈さん〉だよ。あ、5階に着いたぞ」
     さんづけを強調した柴崎さんは、頭の中が疑問符だらけの私に、降りるように促した。
    「専務? ゴジラのぬいぐるみを着る? ポスターの撮影?」
     訳が分からず首をひねっているうちにエレベーターの扉は閉まった。疑問符は消えなかったが、目の前に「らぼらーれ編集部」の文字が飛び込んできたときは、すっかり気持ちは切り替わっていた。
    「ここが編集部か」
     テレビCMで流れていた颯爽と街を歩く女性のポスターが、壁のあちこちに貼られていた。行き交う編集部員たちは、男性も女性もスーツ姿ではなく、ルーズなシャツやモノトーンなど個性的な服装や髪型で、忙しそうに立ち働いていた。
    「あの、常務の上川さんは……」
    「奥。窓の前の机で電話してる」
     私が言い終わらないうちに、入口近くに座る女性は早口で答えた。その人の顎が指し示す方向を見ると、耳と肩で電話の受話器を支え、右手にペン、左手は2本の指にたばこを挟み、小指でこめかみを叩く、ショートヘアの女性がいた。
    市販されている女性誌ですら、編集長は男性ばかりなのに彼女は「編集長」と「常務」の役職を持つ女性だ。どれほど自己主張が強くて男性社員をやりこめ、蹴落としてきたやり手なのかと、遊園地のお化け屋敷に入るような緊張感と好奇心でいっぱいになった。
     使い回し封筒を両手で胸に抱きしめ恐る恐る近づくと、人肉を食べた直後の血を滴らせたような唇と、同じくらい赤いマニキュアの短い爪が、たばこの煙を揺らしていた。
    書類に視線を落としながら話す上川さんは、裏声のようなソプラノ。モーツアルトの『魔笛』に登場する夜の女王のヒステリックさはなく、ブラームスの子守歌のようにやわらかく、煙のように揺らめいていた。けっして美人ではないが、モノクロ映画の中で口元と指先だけが赤く彩色されているような存在感があった。
    「お忙しいところすみません、あおぞら編集室の吉田です」
     電話の受話器を置いたタイミングで挨拶をした。
    「初校の確認をお願いします」
     目を上げることができず、短く切り揃えた赤いマニキュアが使い回し封筒を受け取ったのを見届け、もう一度、頭を下げて帰ろうとした。
    「ちょっと、あなた」
     歌うようなソプラノで呼び止められた。心臓に氷が刺さった気がした。勇気を出して振り返ると、上川さんは写植文字が並ぶ紙を片手に、もう一方の手は使い回し封筒を逆さにして見せていた。
    〈使い回し封筒が、常務に対して失礼だったのかしら〉
    赤い爪が逆さの封筒を振り、血が滴りそうな唇が開いた。
    「元原が入っていない」
    「もとげん?」
     上川さんの言葉をオウムのように繰り返した。
    「校正を依頼するときは、赤字を入れた元の手書き原稿を、一緒に入れるのよ」
     文節で区切ってゆっくりと話す上川さん。その言葉が終わる前に、後ろから手書きの原稿が差し出された。
    「遅くなりました、元原です」
     10階から階段を駆け下りてきたのか、息を切らせた進行係のアルバイト、晴美さんが割って入った。
    「ありがとう」
    上川さんは晴美さんに礼を言うと、私に向き直り、
    「たくさん失敗をして、1つ1つ仕事を覚えるのよ、新人さん」
     ソプラノに乗せて歌うようにつぶやいた。切れ長の目はいたずらが成功した子どものように弾んでいた。
       4
     この会社には、晴美さんのように優秀なアルバイト人材がたくさんいる。営業の最前線で求人広告を取り、目標数字を達成する営業担当や、その原稿をデザインする制作担当にもアルバイトは多い。その数は全従業員の3分の1にも及ぶ。
    社内報『あおぞら』が毎月1日の発行日を厳守できているのは、晴美さんが社外の協力会社と綿密なスケジュール調整をしているおかげだ。顧客が求人広告を出稿するのも、当社の名刺を持って仕事をする営業担当への信頼からであり、そこに社員・アルバイトの区別はない。でもアルバイトの人たちは、なぜこんなに一生懸命に仕事をするのだろう。
    ある日、五角形をした机の各辺に座る編集部員が顔を上げ、次号の特集企画を決める会議の場で、この疑問を口にしてみた。
    「アルバイトなのに社員と同じように高いモチベーションで働いていますが、なぜでしょうか」
     すると、八重さんはニヤリと目を細め、口角を上げて言った。
    「それ、面白いわね。誌上でアルバイトさんに聞いてみたら? どんな人が、どんな気持ちで仕事に向き合っているか、率直に語ってもらうの。社員にも刺激になるはずだわ。じゃあ、担当はちーちゃん。〈言い出しっぺ〉がやるのよ」
     即決で次号の特集として採用してくれた。
    初めての特集企画、初めての座談会。戸惑うことばかりだったが、一任してくれた八重さんの期待に応えようと必死に動いた。まずは人選、次に日程調整、本人と上司への依頼、座談会当日の仕切り、原稿執筆。過去の座談会企画を読み漁り、ストーリー展開を頭に入れ、学びながら、走りながら、1つ1つ前に進めた。
    連日、深夜残業で終電を逃すことが多くなった。銀座から自宅がある千葉までタクシーで、豊洲の倉庫街を抜けて湾岸道路を東にひた走って帰った。疲れたからだを冷たいシートに預け、窓の外に走る景色は、海の上に規則正しく連なる街燈が、片側3車線の新しい道路を昼間のように照らしていた。曲がりくねっていても果てしなくどこまでも、未来に続いているようだった。
    タクシー料金は1万2000円前後。その費用も終電を逃すほどの残業代も、八重さんは何も言わず承認してくれた。玄関に入ると父が、運慶が彫った仁王像のような形相で腕組みをして立っていた。
    「おまえの会社は、労働基準法を遵守しないのか」
    何を言われても、「すみません」と頭を下げて、逃げるように自室に入った。
     八重さんのご両親も入社当初は反対や心配をしたが、
    「楽しそうに会社に通う私を見て、諦めたみたい」
     と言っていた。私も毎朝、母が作ってくれる朝食を父と一緒に食べ、元気に出かけていたので「そのうち諦めるだろう」と思った。
    座談会の原稿を書き上げ、使い回し封筒に入れて写植会社に入稿し、初校・再校チェックをして、翌月一日に刷り上がったばかりの『あおぞら』が手元に届いた。
    働く仲間や仕事への愛が匂い立ってくるようで、胸に抱いて持ち帰り、両親に
    「こんなふうに形になったの。だから心配しないで」
    と言って手渡した。母は「すごいじゃない」と喜んでくれたが、父は一瞥するだけだった。私は部屋に戻り、自分用に持ち帰った1冊をもう1度、読み返して、気づいたことや反省点を書き込んだ。そして、遠足前にリュックサックを置くのと同じように、枕元に置いて眠りについた。

    その翌日だった。座談会出席者五人の中の一人の上司から、クレームの電話が入った。名前のハシゲタの「髙」と「高」を間違えるケアレスミスをしてしまった。
    「ちーさん、名前の間違えは致命的なミスですよ」
     席を外していた私に代わり、電話を受けた慶子さん、年下だが社歴は先輩の人が、八重さんや隣の週刊社内報チームにも聞こえるほど大きな声で、クレームの内容を伝えた。
    「市販誌の編集部でこんなミスをしたら、クライアントへのお詫びと訂正の対応で大変です。始末書ものですよ」
     慶子さんから注意された。この会社では、年齢も学歴も関係ない。仕事での実力がすべてだった。「経験がないから」という言い訳は通用しない。
    「申し訳ありませんでした」
     私は素直に非を認め、頭を下げた。
    「八重さん、あとがきページに訂正文を入れましょうか」
     重苦しい空気を救ってくれたのは、アルバイトの晴美さんだった。
    「そうね、よろしく」
     それだけ言うと、八重さんは書類に目を戻した。経営会議から戻ってきてから、ずっと眉間に皺を寄せたまま顔を上げない。締切日の間際に原稿を書いているときでも、社内の誰かが「八重さん」と訪ねてくれば笑顔で迎え、無駄話とも思えるような話にも相槌を打ちながら楽しそうに聞いている八重さんが、今日は朝から険しい顔のままだった。
    「すみませんでした。制作課に行って髙橋さんに直接謝ってきます」
     八重さんに頭を下げたとき、手元の書類にある「住宅情報部門」の文字が目に入った。これから謝罪に行く髙橋さんが所属する制作課の部門だ。社内報であろうと市販誌であろうと名前のミスは重大。座談会の場で、
    「アルバイトの僕が提案したことでも改善可能なことは受け入れ、評価までしてくれるこの会社が好きです」
    と、発言していた髙橋さんの笑顔を思い、その顔を曇らせてしまったことが悔やまれた。
     エレベーターホールで、段ボール箱を抱えた総務部の柴崎さんとすれ違った。
    「どうした、吉田、浮かない顔をして」
     丸めたポスターを小脇に挟み、滑り落ちないようにダンボール箱のバランスを取りながら、声をかけてくれた。
    「名前の表記ミスをしちゃって……これから三階に謝りに行くところです」
    と言いながら、私の目はまたしても抱えられた箱に釘付けだった。
    「柴崎さん、大きな荷物ですね」
    「八重さんのところに持って行くんだ。ゴジラクラブのポスターとバッジさ」
    「いつぞやのゴジラの着ぐるみですね。愛好家のクラブ活動だったんですか」
    「違うよ、『五時だ、帰ろう』キャンペーンの〈五時等倶楽部〉だ。残業削減を目的に、社内で呼び掛けるんだ。残業手当が本給を上回る現状は良くないだろ?」
     私も先月の残業時間は座談会に費やした時間で、営業所にいた頃1.5倍くらい増えた。
    「うちは従業員が若いから健保の世話になることは少ないが、健康を害したら困るだろ? 総務と人事で残業削減ポスターとバッジを作り、大々的に広めようというわけさ。社内報にも載せてもらおうと、八重さんに頼みに行くんだ」
    「八重さんなら、いま席におられます」
    「吉田、このバッジをやるから元気、出せ」
    抱えた箱を下ろして蓋を開け、数年前に誕生した500円玉ほどの大きさの缶バッジを取り出すと、掌に載せてくれた。
    「ゴジラの写真、すごいだろ。着ぐるみは映画会社から借りて来た本物だ。中に入っているのは推進役の専務、友田さん。率先して帰宅して海釣りに出かける適任者だ。本物の着ぐるみを着て撮影した。俺たちの本気度が伝わるだろ。ポスターにも同じ絵柄がある」
    子ども騙しのようなバッジを熱く語る柴崎さん。何がそんなに面白いのか、私は理解できないまま手のひらの上のバッジを見つめた。むしろ、この着ぐるみの中に隠れて膝を抱えて泣きたいと思った。
    「電話じゃなくて……」
    柴崎さんは腰をかがめ、荷物を持ち直しながら声のトーンを落として続けた。
    「顔を見て謝ろうとするのが、おまえの良いところだ」
    熱く語る九州男児は、段ボール箱と丸めたポスターを抱え、よろめきながら南ウィングの広報室に入って行った。
    会社には大きく分けて、4つの事業部門がある。新聞広告に小さく載る情報を、新聞各紙・各地域から横断的に集め1冊の本に集約した「就職」と「住宅」の2事業部。高校生に大学を紹介する進学情報部、入社試験や適性テストを扱う組織活性部の四事業。
    創業から25年を経て就職分野では新卒、中途の男性・女性・技術者と細分化され、不動産分野では首都圏・関西と地域別に発行され、集合住宅・戸建て、新築・中古の情報が1冊に網羅された。その首都圏版の制作課で働く髙橋さんの名前を間違えてしまった。
    「申し訳ありませんでした」
     頭を下げる私に、高(・)橋ではなく、髙(・)橋さんは、
    「気にしなくていいよ。よく間違われることだから」
    指先に挟んだ赤ペンを振りながら言った。
    「うちの課長の市川さんは、面倒見のいい人だから吉田さんを育てるつもりで、お節介クレームを入れたんだよ」
    「名前の間違えは、もう2度としないと、肝に銘じました」
    「吉田さんが研修でいた営業所の所長と、市川さんは同期なんだよ」
    「営業研修でも私は目標達成ができず、皆さんに迷惑をかけました」
     苦い思い出が、むせ返るほど胸にこみ上げてきた。
    「最初はみんな、そうさ。学校を出たばかりでいきなり新聞広告を渡され『この会社に行き、新聞ではなくうちの媒体に広告を出すように営業しろ』と言われても難しいよね」
    「飛び込み営業とか、ローラー作戦の意味も分かりませんでしたが、結果を出している同期はたくさんいます」
    「人と比べることはないさ。半年の研修期間で種まきから刈り入れまでできたのはラッキーなこと。吉田さんは吉田さんらしくすればいいんだよ」
     正社員がアルバイトに慰められた。髙橋さんの優しさと、実直に経験を積み重ねてきた人の余裕を感じた。そこに属性は関係ない。少し落ち着きを取り戻した私は、周囲の声が聞こえてきた。
    「明日の朝までに4ページなんて無理だ」
     フロアの奥から野太い怒鳴り声が響いた。驚いて声のする方を見ると、
    「そこを何とか、船橋さん、お願いします。次号に載せたいんです」
     若い営業マンが、長髪にたばこをくわえたデザイナーに頭を下げていた。
    「だったらもっと早く持って来い」
     営業マンとデザイナーの丁々発止に驚いていると、髙橋さんは、
    「心配しなくても大丈夫。デザイナーの船橋さんは気性は激しいが情に厚い。ちゃんと作ってくれるよ」
     同僚への信頼を口にしたとき、件のデザイナーの声がした。
    「暗いうちに帰りたいよ」
     たばこの煙といっしょに、捨て台詞を吐きながら、打ち合せテーブルから自席へ歩いて行った。
    「暗いうち? 日のある〈明るいうち〉では?」
     私の聞き違いかと首を傾げると、髙橋さんは笑いをこらえるように言った。
    「朝日が昇る前に帰りたい、ということだよ」
     徹夜せず、の意味だと理解し、ポケットの上から中にある五時等倶楽部のバッジを握りしめた。
    「最近、制作課の人員がごっそり辞めたんだよ。ただでさえ忙しいのに、辞めた奴らの分まで僕らに回ってきて、みんな、気が立っているんだ。僕も仕事に戻るよ。ミスは次に生かせばいいんだから、気にしないで」
     髙橋さんは背を向け、広げたゲラと元原を見比べながら、赤ペンで校正を始めた。〈人員がごっそり辞めた〉とは、何かあったのだろうか。八重さんが眉間に皺を寄せて読んでいた書類も気になった。事業部を出るとき、もう1度、振り返ってみた。
    干した昆布のように天井から吊り下げられた黄色い「目標達成」の垂れ幕が、タバコの煙と共に揺れていた。その下を忙しく動き回る人影と、鳴りやまない電話に対応する人たち。それは普段と変わらない日常だった。
      
    八重さんの席の後ろには畳んだパイプ椅子が、予備用として置かれていた。
    「八重さん、ちょっといいですか」
    慣れた手つきでパイプ椅子を広げた若手社員は、
    「今度の金曜日に、取材に来てくださいよ」
     社内報への掲載情報を持って、八重さんの隣に座った。
    「強志君、いま、どこの部署にいるんだっけ?」
    君づけで呼ばれた人は、ブルーのオックスフォードシャツに濃紺のレジメンタルタイを着こなし、流行りの『ポパイ』や『メンズクラブ』の読者モデルのようだ。元カレと好みは似ていたが、目の前にいる人の方が似合っていると思った。
    「情報システム部のときに担当していた中途採用事業部に異動しました。新しいプロジェクトチームを立ち上げ、友田さんに3億円をもらって作り上げたシステムが、やっと完成したんです。『あおぞら』に載せてください」
    年齢は私とさほど変わらない20代中頃の社員が、3億円のプロジェクトを立ち上げ、完成させたと聞き、耳を疑った。
    「友田さんって、ゴジラの着ぐるみを着ていた専務ですか」
    「そう、五時等倶楽部のゴジラですよ」
    ポケットから残業削減バッジを取り出して、自分の顔の横に並べて見せた。3億円を動かす押しの強さや脂ぎった印象はなく、5月の風をまとったような人だ。
    「3億円は大きな金額ね。どんなプロジェクトなの?」
     八重さんも関心を示した。
    「コンピュータを使った画期的なOA(オフィスオートメーション)システムです。中途採用事業部の庶務業務を軽減します」
    「あ、庶務さんが『近いうちに業務が楽になる』って言っていたシステムですね」
     研修で在籍していた営業所の庶務のルミさんが言っていた。週刊で発行する雑誌なので、その締切日である金曜日の夜に残務処理をする庶務は、毎週深夜まで残業をしなくてはならない。
    「さすが、あおぞら編集室、情報が早い」
    「いえ、具体的なことはまったく知りませんので、教えてください」
    「営業担当が広告を受注してくると、庶務は受注伝票、掲載入力伝票、請求書発行伝票の3種類に、繰り返し手書きで住所や社名を転記しています。毎週、16営業所で6万社分を処理しています」
    「6万社分! それは大変な作業量ね」
    八重さんの言葉に、自席で作業をしていた慶子さんも晴美さんも顔を上げた。強志さんは背筋を伸ばして続けた。
    「手書きをしていた3枚の伝票は、今後、コンピュータの受注欄に1度入力すれば一気に自動で処理されます」
    「すごいわね」
    「それだけではありません。16営業所の売上推移がオンラインで繋がった本社の表示画面に、リアルタイムで現れるんです」
    「リアルタイムって、数字が刻々と変わるの?」
    八重さんの質問に、慶子さんはイメージができたらしく、
    「空港のロビーにある時刻表の、数字がパタパタ変わるやつ?」
    と尋ねると、強志さんは親指を立てて片目をつぶった。
    「刻々と数字が変わるパタパタ方式がテレビ画面に瞬時に表示されます。しかも数字だけではない。目標達成するとファンファーレが鳴り、画面のくす玉が割れ『〇〇営業所おめでとう』のメッセージと薔薇の花まで開くんです」
    「すごーい」「うっそー」
    強志さんは仕事の話をしているはずなのに、まるでゲームセンターで遊んでいるような話ぶり。私は「目標達成のお祝いにそこまで必要か」との思いが頭をよぎるが、仕事をゲームにして楽しむのが、この会社の良さかもしれない。五時等バッジを作った柴崎さんも、笛や太鼓を鳴らして営業担当を称える所長や庶務さんも皆、楽しそうだった。
    そこへ住宅情報事業部の市川さんが来た。
    「吉田、頑張っているな」
     部下の名前のミスを指摘し電話をしてきた人。私が立ち上がると、晴美さんがひと足先に、空き椅子を強志さんの隣に並べた。
    「強志、面白い仕事をしているな」
    「市川さんの部でも物件情報をオンラインで町の不動産屋に提供しているそうですね」
    あおぞら編集室では、社員同士が情報交換をすることもよくある。
    「住まいを探している消費者に、店頭で物件情報や間取り図を見せようと試みている。でもFAXの方が早いから、商売としてはどうかな、難しい状況だな」
     市川さんは視線を下げ首の後ろを掻いた。すると、強志さんが身を乗り出した。
    「僕も消費者に向けたシステムを考えているんですよ。インデックスをコンピュータで、個人の希望に沿った検索結果だけを取り出せないかと。友田さんにプレゼンテーションしていたのですが、友田さんが別会社になった不動産事業部門の社長になってしまって」
     内定者アルバイトをしていたときに株式を上場する準備をしていたが、その会社の社長に就任したのがゴジラ専務だった。
    「インデックス?」
     八重さんが強志さんに尋ねた。
    「見出しです。『らぼらーれ』の小口部分にある業界別、地域別、職種別の爪見出し。読者が希望する会社を探しやすいように、つまり検索性を上げるために項目別に分けているんですが、それをもっと簡単にできないかと、試行錯誤しています」
    強志さんは八重さんにも向かって語り始めた。
    「例えば勤務地欄に『渋谷』、業種欄に『金融業界』、職種欄に『一般事務』と各項目に希望を入力する。そうしたら候補の企業が一覧になってプリンターから出てくる」
    「そんなこと、できるんですか」
     あまりにも非現実的な話に、私は強志さんを斜めに見上げた。
    「システム的には可能です。ただ、消費者のニーズがあるかどうかが問題。そこで別会社まで行って友田さんに再度プレゼンしたら『やってみろ』と現事業部長と、『らぼらーれ』編集長の上川さんに口添えしてくれたんです。期間限定ですが、横浜の百貨店にアンテナショップを作って実証実験をすることに。これも完成したら取材に来てください」
     強志さんが八重さんに念を押した。私は頻繁に話題に出てくる友田専務に興味を持った。
    「成功するかどうかも分からない事業にポンと出資する友田さんって、すごい人ですね」
    「ポン、ってわけではないけど、裏付けデータも見て、僕らの本気度や、やる気を確認したら、あとは任せてくれる。僕らも信じてくれた人のためには、結果を出そうと必死にやりますよ」
    「情に厚い親分肌だよな。江田さんのような閃きを持つ天才肌とは違うタイプの経営者だ」
     市川さんの分析に、強志さんは、
    「そうなんですよ、親分なんです」
    と膝を打った。八重さんが2人の経営者のなれそめを話し始めた。
    「お2人とも大学の同窓で、後輩の友田さんが、起業したばかりの江田さんの会社でアルバイトをしていたのよ。からだを壊した友田さんが転地療養していたときに、江田さんがみんなからお見舞いの寄せ書きを集めて療養先に届け、友田さんはとても感激して元気になったら社員として復帰したの」
    「友田さんの功績は何と言っても中途採用事業の成功でしょう。新卒で終身雇用が当たり前の社会に、転職という新しい働き方、新しい市場を作った」
     市川さんと八重さんの会話が続いた。
    「新卒採用をする当社が、転職を促すような媒体を発行することに、最初、江田さんは反対したのよね」
    「だから別会社にして、言い出しっぺの若い人たちを率いたんですよね。ところが『就職情報』や『らぼらーれ』を出したら、時代のニーズに合致した」
    「それは、友田さんが親分だったから、みんなが一枚岩になってがんばったんですよ」
     強志さんも加わった。
    「中途採用事業の成功は、江田さんも嫉妬していたんじゃないかな。僕らは仮に失敗したとしても、友田さんが後ろにいてくれると思うと安心して、大胆な発想も実現できそうな気がしますから」
    「うちの会社は失敗して撤退した事業もたくさんあったものね。英語教材の機器販売とか」
     失敗事例に笑う八重さんは、やはり新しい事業を持ち出した。
    「聞いた話では、地図情報を加工してコンピュータで何か商売にするらしいわよ。いま電電公社と日経新聞とうちの3社が出資して、新会社を作ることを検討しているって」
    「地図ですか、確かに電話線やガス管を地中に埋めていますから、そのデータは膨大でしょうね。それを使って新しいビジネスか。これからはコンピュータを活用した商売が主流になりますね」
     市川さんの言葉に、八重さんは遠くを見るようにして、
    「創業6年目に、資本金と同じ金額のコンピュータをIBMからレンタルしたからね。コンピュータへの関心は並大抵ではないのよ」
    新規事業への期待をにじませた。〈資本金と同額の投資〉とは、大胆な使い方だ。
    「同じ社長でも僕の親父は、資本金を食い潰して会社を倒産させちゃいました(笑)」
    強志さんは冗談めかしながら立ち上がり、
    「では来週の金曜日5時、企画室で待っています。よろしく」
     片手を挙げて出て行った。
    その後ろ姿を見送る市川さんは独り言のように、
    「強志はお調子者のように見えますが、苦労しているんですよ。父親の会社が倒産したせいで、大学にも行けなかったし」
    「高卒の5年目だっけ?」
    「え、私より年下なんですか?」
    椅子から転げ落ちそうになる。
    「これからはニューメディアの時代だと論文に書いて、アメリカ視察を希望したんだ。高卒で海外遊学したのは彼が最初じゃないかな。2週間の出張という形だったが」
    「うちの会社は学歴に関係なく、やる気さえあればチャンスは惜しみなく与えるから」
    そう言う八重さんも、隣の週刊社内報課のリーダー・夕子さんも高卒だ。
    「さてと、長居しました。僕も頑張っている制作部のメンバーに何か、差し入れでも買って戻るとするかな」
    市川さんも立ち上がった。住宅情報部の制作課メンバーが大量に辞めた件、原因は何か、補充はできたのか、気にはなったが、来たときよりも少しだけ伸びた背中を見送った。
       5
    制作課メンバーの大量退社の理由は、意外な場所で知ることになった。販売部の同期と飲みに行ったときのことだ。
    制作した情報誌は新卒用の就職情報と大学案内は無料で大学生や専門学校生・高校生の自宅に配布されるが、住宅情報も転職情報も書店や駅のキオスクで販売される。
    同期の聡子は、情報誌『住宅』を販売する書店やキオスクの窓口担当をしていた。彼女に誘われて新橋のガード下で夕飯を食べた。焼き鳥とたばこの煙で視界は悪いが、燻煙の匂いは汗臭さを消し、明日への元気を増進させる強壮剤のような気がした。店内に女性客は私たち二人だけで、周りは父親世代のサラリーマンばかり。でも聡子は常連らしく女将に「いつもの」と注文していた。
    「聡子の仕事って、どんなことをしているの?」
    「部長の佐光さんの秘書業務をしながら、書店さんからの注文を受けたり。ほら、うちは直接搬入しているでしょ?」
    「直接搬入?」
    聡子は砂肝を口に放り込みながら「そんなことも知らないの」と言いたげに眉を上下したが、口の中のものを飲み込むと答えた。
    「一般的に本や雑誌は、取次会社や販売会社を通じて流通するの。その方が配本は安定するし、配送コストもかからない。でもうちは取次会社を通さず直接販売店へ。出版業界では前例のないことで、〈規律を乱す暴挙〉と言われたそうよ。でも強引にやり通しちゃったのよね」
     若さだけが武器の素人集団は、新しい発想で蒸気機関車のように前だけを見てがむしゃらに突っ走ってきた。目の前にあるもの、古いものを蹴散らしながら。
    「直接搬入にすると、どんなメリットがあるの?」
     私は聡子に先を促した。
    「売れている書店には追加で配本ができ、返品の回収時には書店情報や購買者ニーズを入手できる。販売効率は上がり、販促活動がしやすいのよ」
    「『住宅』は1冊200円でしょ。書店さんに利益はあるの?」
    「百科事典よりも厚くて重たい雑誌が200円なんて、低価格の商品は儲からない。『おたくは広告収入で儲けているのにおかしい』って、クレームがきたこともある」
    ビールをひと口飲むと、聡子の舌はますます滑らかになった。
    「でもね、取次マージンは23%だけど、うちは直販だから書店さんの利益は100%。200円でも売れば売るほど自店の利益になるわけ」
    「それなら書店さんも、うちの情報誌を置いてくれるわね」
    「販促活動にも力を入れている。新しい情報では部長の佐光さんが、いまスペインにイベントの調査に行っているのよ」
    「スペイン?」
    「カタルーニャ地方に伝わるサンジョルディの日。本とバラを贈り合う日があるの。それを『日本でも定着できないか』と書店商業組合から案内が来てね、『僕らも書籍を生業にする会社だ。本の振興のために』って専務の友田さんが『中途採用事業部と住宅情報事業部で参加しよう』と快諾したの。」
    「友田さんて、五時等倶楽部のゴジラで、いま新会社の社長の」
    「そうよ。大手出版社が難色を示す中での即決。書店商業組合の皆さんも喜んでいたわ」
    「具体化したら、社内報『あおぞら』でも取材させてもらうわ」
    「でもね、ちーちゃん」
     それまで食べるのも、しゃべるのも旺盛に動いていた聡子の口が、急に速度を落とした。私は察した。
    「ライバル誌の出現ね」
    「そう。大手新聞社の力はあまりにも巨大なの。いまや書店の雑誌スペースには『日就案内』が並べられ、うちの『住宅』は隅に追いやられている」
    ため息交じりに視線を下げた。

    数カ月前のことだ。経営会議から自席に戻った八重さんが、珍しく眉間に皺を寄せて書類を読んでいたことがあった。そのすぐ後に本社ビルの最上階で〈打倒日就社〉と題した決起集会が行われた。300人を収容できる会場が、まるでロックコンサートの会場のように人いきれであふれ返った。社内報の大事な使命である「会社の歴史の記録」のために私はカメラを抱えて取材に行った。
    「大手新聞社の日就新聞が当社の『住宅』に対抗する週刊誌『日就案内』を発行します」
    と告げる社長の声で始まった。この社長が起業当初、新聞に掲載された会社を片端から訪問し「新聞ではなく当社の媒体に」と説明して歩いた。新聞社側からすれば営業妨害だったかもしれない。
    「競合の登場は相手と共存共栄しながら、市場を拡大できます。互いに切磋琢磨すれば媒体の質も向上する。でも生き残る情報誌はナンバーワン1社だけ。〈ピンチはチャンス〉。生き残るのはわれわれです」
     力強い社長の言葉に会場からは割れんばかりの拍手が起こった。続いて登壇した事業部長の話は、日本を代表する大手新聞社の事業規模や業績、今回のプロジェクトにかける本気度など多角的な情報。聞けば聞くほど、大人と子どもほどの格差に危機感が募った。
    「『住宅』が登場する以前は、悪徳業者に騙された話が後を絶ちませんでした。〈駅から10分〉は、徒歩ではなく車を飛ばした時間、〈日当たり良好〉は西日のカンカン照り。そんなことが日常茶飯事」
     歯切れ良く明快に語る事業部長の言葉に、会場から「そうだ」の声が上がった。
    「しかし『住宅』が厳しい審査基準を設け、掲載ルールを徹底したことで、悪質広告は姿を消しました」
     事業部長が媒体の果たしてきた社会的役割について力説した。
    「不明確な点の多かった不動産売買に関して消費者、つまり読者に分かりやすい解説記事を掲載し、網羅性・検索性を高め比較検討しやすい情報をわれわれは提供してきました」
     仕事の大義を確認し、錦の御旗の下で競合会社と戦うことを参加者たちは共有したものだ。

     それでも、現実は苦戦を強いられていた。目の前の聡子が続けた。
    「同期で営業の津田君が『大手不動産会社ほど、日就新聞に寝返っている』って悔しがっていた」
    「大新聞社の威力は私たちの想像以上なのね」
    「デザイナーの船橋さんは発行されたばかりの『日就案内』に、自分が制作した広告の版下がそのまま流用されていたことにショックを受けていた。『お客さんの意向に合わせて、何度も何度も作り直して完成させたのに』って。鬼の船橋の目に涙」
     長髪にタバコをくわえて企業データを見ながら、営業マンを怒鳴りつけていた船橋さんの姿が思い出された。聡子は怒りをビールで流し込み、一気に飲み干すとジョッキを高く掲げ、女将にお替りの合図を送った。
    「私たちは負けない。だってみんな頑張っているもん」
    テーブルを叩かんばかりの勢いで断言した。
    「津田君はお客様のモデルルームがオープンすると、土日の朝早くから展示場で通行人に呼び込みをしているのよ。『せっかく掲載してもらったんだから一件でも契約に結び付けなきゃ』って」
    「広告を受注したら終わりではないのね」
    「家族連れが来たら、外で子守りまでしている、『販売員が接客しやすいように』って。シティボーイ気取りだった津田君が、よ」
     新入社員懇親会のときにラルフローレンの香水ポロをプンプンさせながら、女子にワイングラスを運んでいた津田君。お客様のために自分ができることを、泥臭いことでも、子どもに服を汚されながらも、奮闘しているという。
    そこへ女将が小鉢を持ってやって来た。
    「若い女子が二人、真剣に何を話しているのかと思ったら、仕事の話? それも上司の悪口かと思ったら大真面目。はい、サービス。鉄分を補給しないと貧血で倒れるよ」
     山盛りの鶏レバーの甘露煮を差し入れてくれた。とろけるように柔らかく煮込んだレバーのほどよい甘みが口の中に広がった。怒ったり悔しがったり、表情豊かな聡子に笑顔が戻った。
    「休日に自宅近くの書店に行ってね、販売状況を見てくるんだけど、わざと『住宅』を目立つところに置いて帰ってくるの」
     声をひそめながら鬼の首を取ったように胸を張り、ニッと口角を上げた。
     休日に書店を見て回る話は転職情報誌でもよく耳にする。営業担当も編集部員も、聡子のように販売に携わる人も、みんなが「私の媒体、私の事業部、私の会社」と思って仕事をしている。
     女将が言ったように、お酒を飲みながら会社や上司の悪口を言うことは私たちにはなかった。同じような話はタクシー運転手からもよく聞いた。
    締切日の間際に終電を逃したとき、銀座から自宅がある千葉までタクシーで帰る。本社の裏にタクシー乗り場があり、その隣に磯辺焼きの屋台が出ている。焦げた醤油のにおいにつられて1~2個買い求めてタクシーに乗り込むのが常だ。
    「遅くまで若い女の子がよく働くね。上司に不満はないの?」
     千葉までの長い道中に運転手が話しかけてくることがあった。
    「感謝こそすれ、不満なんてありませんよ」
     1万2000円前後のタクシー代も終電を逃すほどの残業代も、八重さんは何も言わず承認してくれる。焼きたての磯辺焼きをハフハフ言いながら頬張り答えると、
    「お宅の会社の人、みんな、そう言うんだよな。この辺りで飲んで、寮に帰る人たちを乗せるんだが、ずっと仕事の話をしている。普通、サラリーマンが2人乗れば、上司や会社の悪口ばかりだよ。それが楽しそうな話ばかりなんだよ。お宅、変な会社だな」
     なかば呆れたように、不思議そうに運転手は話していた。
     八重さんも飲みニケーションは大事にしていた。書きかけの原稿があっても、誘いの声がかかると断らずに出かけた。そうやって社員の人となりや、仕事を頑張っている人、社内の話題や課題を見つけていた。
    「目立たないけど縁の下で頑張っているヒーローを探すのが、私たちの仕事よ」
     八重さんはいつも言っていた。
    新橋のガード下の店を出て聡子と駅に向かいながら、「今夜はたくさんのヒーローを見つけたぞ」と歩く足も軽やかだった。
    そのときだ。言い争う男の声が聞こえ、路地の陰に人影が見えた。ガード下で酔っ払いが口論しているのはよく見るので、その類かと思ったが、両肩をつかまれている人に見覚えがあった。
    「髙橋さん!」声に出せなかったが、私に気づいたのは肩をゆすっている方の男だった。動けなくなっている私の腕を聡子が引っ張ってくれたので、その場を離れることができた。髙橋さんと一緒にいた人も社内で見たことがある。
    「中山よ、2カ月前に退社した制作マン。日就社に引き抜かれ、仲間を引き連れて行った最低な男」
     聡子が憎々しげに吐き捨てた。
       6
     家の玄関先には母が花を絶やさずに生けていて、「二十四節気の繰り返しが生活のリズムを作り、その音符が庭の花。暮らしの旋律を奏でているのよ」と言っている。
    本社ビルの一階ロビーにも、受付の女性が季節の花々を生けてくれている。都内の営業所の取材を終えて本社に戻り、紅梅の香りに誘われて、エレベーターホールに向かいがてら受付に近づくと、
    「…商事の田中様ですね。お待ちしておりました」
     と接客する声が聞こえた。当社の受付・電話交換の女性たちは、生け花の心得があるだけではない。
    来客の情報を共有し、当社の担当者名から客人のお茶の好みまで全員が把握し共有している。1人がエレベーターホールまで案内する間に、もう1人は内線電話で担当者と、応接室担当にお客様の到着を知らせる連携も手際よい。お客様からの評判もよく、彼女たちを自慢に思っている社員は私だけではない。
    あおぞら編集室に戻ると、こちらにも来客がいた。八重さんの席の隣にパイプ椅子を広げ、楽しそうに話している。
    当社を卒業しフリーランスのライターとして活躍しているOBの岡本さんだ。かつては『就職ジャーナル』という就職活動をする学生のための市販誌の編集長をしていた。端正な顔立ちに、知的でクールな雰囲気を持ち、映画『白い巨塔』の外科医役を好演した田宮二郎さん似の二枚目だ。
    彼と話すときの八重さんの笑顔は、瞬きが多く可愛らしかった。楽しそうな2人を見ると、八重さんよりも私の方が胸がドキドキと早鐘を打った。大人の世界を覗き見しているような後ろめたさと、はしたないことをしているような自分が憚られ、ずっと下を向いていた。
    あおぞら編集室に異動してきた初日、八重さんに昼食をごちそうになりながら、
    「2700人もいる社員の皆さんに読んでもらえる記事を書くためには、どんなことを心掛ければ良いですか」
    と尋ねたことがあった。八重さんの答えは、
    「不特定多数の誰か、ではなくて、信頼できるたった1人の人に向けて書けばいいのよ。その人が喜んでくれるような原稿を、その人の笑顔を思い浮かべながら書くの」
    と教えてくれた。もしかすると、その信頼できる人とは岡本さんのことかもしれないと、このとき初めて気が付いた。五角形の2辺に座る慶子さんも晴美さんも、とうに承知のことなのかもしれない。八重さんと岡本さん、2人の世界を邪魔しないようにか、知らぬ顔をして各自の作業を進めていた。
    と、そこへ、無粋な邪魔者がやってきた。
    「ど~も」
     最近始まった新規事業、情報ネットワーク事業部の課長、平井さんだ。やせ型で背が高く、彼の骨格を思わせるような細い銀縁の眼鏡をかけていた。神経質そうに見えるが、口調は乱暴で押しが強い。明治時代に生まれていたら破れた学生帽にマントを身につけ、素足に高下駄をはいていた人のようだ。無骨さが男らしいと思っているのだろうか。でも本人は知性を売り物にしていた。
    「岡本さん、久しぶりっす。どうっすか」
    「おかげさまで元気にしているよ。きみは相変わらずだな。ちょうど八重さんと話が終わったところだから、ここに座るかい」
     穏やかな低音の声で言うと、岡本さんは立ち上がり、席を譲った。五角形の自席から見えていた景色が、咲きほころんだ紅梅の林から、野焼きのあとの黒く焦げた地面に変わった。
    「いま、郵政省(現・総務省)に行ってきたんすっよ」
     相手のことはお構いなしに、自分の話を始めた。
    「役人の奴らは、2年で部署が変わるから何も分かっちゃいない。『それは専門技官が』とか体裁の良いことばかり言って、たらい回しですよ」
     役人の悪口が次々に出て来て、私は父のことを貶されているようで、はらわたがふつふつと煮えてきた。
    「奴ら、いい歳をして、自分では何も決められない」
     原稿用紙の上をノロノロと走っていた私の鉛筆が止まった。そのとき、八重さんが、
    「お役人の中には平井さんの同級生や先輩がいるんじゃないの」
     お役人への不敬な物言いをたしなめるように言った。ところが、
    「そうなんですよ、大蔵省にも通産省にも大学の同窓生はたくさんいますが、勉強ばかりしていた奴らは世の中のことが、まったく分かっていなくて困りますよ」
     結局は自分の自慢話に終わった。八重さんの小さなため息が消火剤となり、私のはらわたの熱は急激に温度を下げていった。
    「それで、お仕事の方はどうなの? 電話回線は売れているの?」
     私が入社した1985年4月1日に、日本の通信事業が自由化された。電電公社が民間企業NTTとなり、当社はNTTが持つ高速デジタル回線を申請し導入した。
    コストが変わらずに倍の容量を持つ回線を手に入れ、自社のビル電話でコスト削減を証明した当社は、自社での余剰回線をそのまま活用しないでおくのはもったいないと、他社にリセールすることにしたのだ。
    「電話は通話だけでなく、これからはコンピュータがネットワークに接続するとき、電話回線網を使いますからね。爆発的に拡大しますよ。江田さんはホントに先見性がある。良いところに目を付けましたよ」
     自分以外で、社長にだけは敬意を表していた。
       7
     春にサンジョルディの日というイベントを開催した。スペインのカタルーニャ地方に伝わるお祭りで、女性から男性に本を、男性から女性にバラの花を贈る愛の日。書店組合と代理店が仕掛け、出版に関わる企業として当社も賛同した。
     販売部の聡子によると、大手出版社は協賛に難色を示したらしい。書店組合の会長から専務でゴジラの友田さんに打診があり、聡子の上司の佐光さんとの話し合いで、即決で参加を決めたそうだ。当社の情報誌の書店での評判は、
    「厚くて重くて低価格。そんな商品は儲からないから売りたくない」
    と、販売の現場では苦労が多かった。佐光さんにすれば少しでも書店の役に立てれば、という思いがあったそうだ。
    元来、新しいものが好きで、営業担当を笛や太鼓で称える祭りが好きな当社。新しい本の祭りを社内で告知・定着させるために、わが編集室は率先して、本社1階会議室でイベントを開催した。
    社員が持ち寄った本を並べ、来てくれた人にバラを差し上げ、直木賞作家を招いた記念講演まで実施した。
    このとき会議室をスペインの雰囲気に飾りたいと考えた私は、
    「スペイン政府観光局に行き、国旗とカタルーニャの旗やポスターを借りて会議室の壁に貼りたいです」
     と、イベント主催者である編集長の八重さんに提案した。
    「いいわね、面白いじゃない」
     いつものように目を山型にして、鼻の頭に皺を寄せて快諾してくれた。
     学生時代に美学美術史を専攻していた私は、教会建築に興味があり、アルバイトで貯めたお金で、スペインやフランスを旅行した。出かける前には街の地図や名所旧跡、ホテルの情報を得るために、各国の政府観光局に足を運び、情報収集していた。
     赤坂見附の、首都高速道路を挟んで千鳥ヶ淵とは反対側に、スペイン政府観光局があった。鉛筆のような細長い雑居ビルの前に立つと、海外旅行に胸躍らせてこの場所に来たことよりも、つい2年前、新入社員時代に同じような雑居ビルで体験した営業研修を思い出した。
    「いまも営業担当者がここに来て、ビル倒しをしているんだろうな」
     最上階から一階まですべての会社のドアをノックして訪問し、挨拶をして名刺を置き、相手の名刺をもらってくるビル倒し。野良犬にするように手で「出ていけ」と追い払われるのが辛くて、1階からビルを出る頃には、涙で顔がクシャクシャになっていた。社会に出てお金を稼ぐ厳しさを身に染みて学んだ。いまは懐かしく思い出すことができる。
     スペイン政府観光局では事前に約束を取り、訪問の趣旨を伝えていたので歓待され、国旗だけでなく女性用のフラメンコ衣装と民族衣装まで貸してくれた。
     このイベントは社員120人から1300冊の本が集まり、来場者は500人、総売上げ13万円。その一部は日本書籍連盟を通してガウディ建築基金に寄付した。
    スペイン好き、本好きの社員が部門を超えて一堂に集まり、私たち社内報編集部員と、聡子たち販売部員は民族衣装を着て出迎え、皆さんに楽しい時間を過ごしてもらった。会社としては福利厚生として、また教養・文化を深める自己啓発の場として公認され、たびたびこのようなイベントは開催された。
     イベントは部門を超えた交流の場にもなる。普段は各営業所に散らばっている同期や、電話でしかやり取りのない人たちと、顔を合わせて話すこともできる。本好きという共通の趣味から役職や年齢を超えた出会いや情報交換の場にもなる。
     私も販売部の部長・佐光さんと知り合えた。今回のイベントの功労者であり、学生時代にはモデルとしてパリやミラノのランウエイを歩いた経験を持つという。その紳士的な佇まいは、書店員からも組合の重鎮からも好印象を持たれていた。
    経歴で言えば、当社には風変わりな職歴の社員が多くいる。元寿司職人だった営業課長や、元ミュージシャンの編集長や宣伝課長もいる。この日、本好きに限らず、本社に来たついでに寄ってくれる人も多く大盛況だった。
    八重さんも『住宅』制作課長の市川さんと立ち話をしていた。
    「その後、日就社はどうですか」
    「苦戦していますよ。あちらは球団を持っていますからね、『日就案内』の表紙やテレビコマーシャルにスター選手を起用する。媒体知名度は急上昇ですよ」
     市川さんはくせ毛の髪をかきむしった。巨人のような大手新聞社がその気になれば、何でもできることを見せつけられた気がした。その大きな足の裏で、地を這う蟻を踏み潰すことなんて簡単だろう。
    「制作課内のことで言えば、うちのアルバイターをごっそり引き抜いてくれましたよ」
     皮肉のこもった言い方に私は新橋のガード下で、髙橋さんを見かけたことを2人に話した。
    「髙橋も辞めたよ。正社員にするって条件を提示されたそうだ。歴史ある一流企業の正社員になれるなら、心は動きますよね」
     八重さんに同意を求めるように、というより、自分を納得させるようにつぶやいた。八重さんも視線を下げ「そうね」と答えるしか言葉がみつからないようだった。
    市川さんは「ただ」と1本の細い糸にすがるように区切ると一気に思いを吐き出した。
    「発売された誌面を見ると、ひどいミスばかりなんです。たとえば販売価格がひと桁違う物件や、路線と最寄り駅が合致していない。そんなのザラです」
    「正確さが生命線の情報誌がそれでは、クライアントからも読者からも信頼を失うわね」
     八重さんの目に力が入った。
    「だから制作の立て直しのために、うちの優秀な人財を引き抜いたのかもしれません。僕らは人手が減っても『住宅』のクオリティは落としません。粛々とやるべきことをやっていこうと思っています」
     丹田に力をこめたように断言した。私も精いっぱい励ますように、同期の営業担当の話をした。市川さんもそれに応えて頑張っている仲間の話をし始めた。
    「モデルハウスでの下足番や、建設現場に差し入れをする営業マンはたくさんいるよ。現場責任者との接触を密にして『来週の原稿のアピールポイントはこう変えましょう』と、現場で気づいたことを提案して原稿に反映している。そうだ、八重さん、販促マンもオロナミンC作戦を復活させましたよ」
    「オロナミンCって、あの栄養ドリンクですか?」
     フラメンコ衣装を着た晴美さんが、通り際に怪訝そうに尋ねた。八重さんが懐かしそうに、
    「駅のキオスクでね、オロナミンCを2本買って1本は自分で飲んで、もう1本はさりげなく販売員さんに差し上げるのよ」
     と説明すると、「キオスク」の単語に反応した販売部長の佐光さんが、振り返って話に加わった。
    「キオスクに情報誌を搬入し始めた頃、販売員と仲良くなるためにやった作戦だよ。ほかにも『五分だけ店番していますから』と、休憩に行かせる。駅の売店はひっきりなしに客が来るから、トイレにも行けない。販売の女性には感謝されましたよ。その間にうちの販促マンは『住宅』を販売ラックの一番いい場所に並べているわけ」
     八重さんがその販売ラック設置について尋ねた。
    「『住宅』の人が考えたことでしたっけ?」
    「中途採用事業部の『就職情報』です。いいアイデアですよね」
    「うちはアイデアマンが揃っているから」
     八重さんも市川さんも佐光さんも自分が社長のように、事業部を超えて社員たちを自慢し合った。
    〈アイデアマンが揃っている〉というよりも、経営層が現場の声に耳を傾けているからだろう。良い提案はすぐに実行させ、それが次のアイデアマンを生み育てている。うまく行けば、みんなで大袈裟なくらいに褒め称える風土もある。
    「うちの販売部はプレゼント作戦もよくやっていましたよ」
    佐光さんが続けた
    「『住宅』の名前入り「荷ほどき用カッター」を作って配り、手荒れ防止にハンドクリームも配っていたな。経理部長の出村さんが大量のハンドクリームの請求書を見て『なんだ、これは』って驚いていたよ。すぐに承認してくれましたけどね」
    「プレゼント好きは、社長直伝だわね。人を喜ばせたい気持ちが人一倍強いから」
     八重さんから社長のプレゼント好きを聞いたことがある。女性社員第1号の人が、牧師のご主人と伝道活動に専念するために退社したとき、感謝を込めて退職祝に、車をプレゼントした。その女性は「遠い場所にも伝道に行ける」と喜んでいたそうだ。
     終了時刻を過ぎても、会場内のあちこちで立ち話の輪が残っていた。後片付けをしながら「今夜もタクシーかな」と頭を過ったが、皆さんの笑顔に、「おめでとう」の黄色い目標達成の垂れ幕をもらった気がした。
       8
     プレゼント好きは社長や営業・販促部隊だけではない。広報室にもいた。
    「吉田、ちょっと手伝え」
    営業所の取材から帰社した私を、社外広報課リーダーから課長に昇進した浅野さんが本社一階、エレベーターホールで呼び止めた。エレベーターのボタンは広報室がある10階ではなく地下1階に押された。
    「どこに行くんですか」
    「ついてくれば分かる」
    エレベーターを降りると南ウィングには郵便物や荷物の受け渡しをするトラフィックセンターがある。部課ごとに整然と仕切られた棚が並び、奥には筆耕係が毛筆で宛名書きや文書の清書をするガラス張りの静かな小部屋もある。
    地下駐車場に続く北ウィングは刷り上がったばかりの情報誌が山積みされインクの匂いが満ちていた。その一角に見慣れない段ボール箱が数十個並んでいた。浅野さんは南ウィングから台車を借りてきて、
    「俺は箱を積んでいくから、おまえは袋に入るだけ詰め込め」
     会社のロゴが印刷された紙袋を手渡した。何が入っているのだろうと、蓋が開いた段ボール箱の中を見て、思わず叫んだ。
    「この箱の中身は全部、さつまいもなんですか」
    「九州のファームで収穫されたものだ。お客さんにお歳暮として配るんだ」
    創業から十二年が経った頃、社長は2つの理想を求めて鹿児島に広い農地を購入した。一つは晴耕雨読。「晴れた日には畑に出て耕し、雨の日には書を読む。自然に親しみながら働き学ぶ生活は古くから人生の理想とされている」と当時の社内報に書いていた。
    もう1つは過疎地に産業を作り雇用を促進したい、と。高校生の採用をする中で、採用率が高い県は地元に産業が少ないことに気づいた。地元に働く場がないから県外に就職する人が多い。本州の南の端と北の端にその傾向は顕著だ。それならば「自ら雇用を創出しよう」「日本一の農業会社を目指そう」と、鹿児島と岩手に農地を購入した。
     この土地はワークキャンプという名の社員研修にも利用された。大自然の中で心身のリフレッシュをはかり、牧場建設の作業を通じてからだを鍛え、共同生活でチームワークや協調性を養うことを目的とした。
    私も今夏に岩手の牧場に参加した。ペンを鍬に持ち替え、土地を耕し牛舎の糞掃除や草取りに汗を流した。事業部を超えて先輩社員とテントに寝泊まりし満天の星空の下、焚火を囲みながら仕事や人生を語り合った。
     そんな牧場で収穫されたさつまいもが、本社ビルに届いていた。
    「俺はひと箱を抱えて、文部省の記者室に行くから、あとは10階に運んでおいてくれ」
     エレベーターが一階に着くと、浅野さんはワイシャツの袖を肘まで捲り上げ、さつまいもの箱を抱えて降りて行った。
    「台車一杯のおいも、私1人で運ぶんですか」
    「頼んだぞ」
    言い終わる前に、がに股の後ろ姿を銀色のドアがゆっくりと消した。
    次に開いたときは10階だった。胸の高さのキャビネットで仕切られた社長室、経営企画室、広報室に台車を押して回ると、各部署から「ご苦労さん」の声をかけてもらった。
    それぞれ指示された場所に箱を下ろし、最後にあおぞら編集室に紙袋に詰めたさつまいもを置き、台車を地下1階に戻しに向かった。額の汗を拭いながら私は改めて思った。
    「この会社は仕事に男女差がないんだ、たとえ力仕事であっても」
     同時にこんなことも思った。
    「裁量も自由に任されているなら……」
    もう一袋分をもらうことにした。お世話になっている写植会社と印刷会社の営業担当の顔が浮かんだ。
    上りのエレベーターに乗ったときは、両手に2袋を下げていた。そのとき思い出した。このさつまいもよりも重くて電話帳のように厚い求人誌や『住宅』を何冊も袋に入れて、企業や書店に配り歩く営業や販売担当が、
    「袋の取っ手が指に食い込んで痺れるんだ」
    と言っていた。それを受けて先輩社員が、
    「誰かの人生を変えるかもしれない情報の〝責任の重さ〟だよ」
     と言葉を添えて、諭していた場面が脳裏に蘇った。
    エレベーターが1階に止まりドアが開くと、社外広報課の同期、昭子が乗ってきた。
    「浅野さんに捕まって、さつまいもを4箱も運んだのよ」
     両手に持つさつまいもを、2袋もいただいたことへの多少の後ろめたさから言い訳をすると昭子は、
    「去年は私がその役回りをやったわ。今年は私が労働省と建設省に届けに行ってきた」
     同期の気安さから、力仕事の大変さを伝えようとしただけだが、昭子は私の手元も、顔さえも見ずに投げやりに答えた。まるでエレベーターの中にもう一つの透明な箱を作り、その中に引きこもるように周囲を遮断した。鼻筋が通り睫毛の長い横顔。今日はミス・キャンパスの輝きは失せ、目の下にクマを作り、うな垂れていた。
    理不尽な扱いへの怒りをぶつけたかったのは、彼女の方かもしれないと察し、
    「労働省と建設省に。それはお疲れだったね」
    気休めにしかならないだろうが、少しでも長い睫毛を上げてくれたらと、言葉をかけた。
    社外広報課の仕事の1つに霞が関の官庁回りがある。当社が収集した、「大学生の就職活動」「企業の採用状況」、戸建て・マンションの「販売状況」等、本年の傾向や昨年との比較・分析した報告書を関連省庁の担当官に届けている。その訪問の際に「自社の農場で収穫したもの」を手土産にしていた。
    同時に新聞社やテレビ局の番記者が集まる部屋にも置いてくる。当社の名前入りで、分析データを新聞やテレビで公表してもらえれば、知名度や信頼性が上がる。あるとき、
    「さつまいもを受け取るのは贈収賄か」
    と、躊躇する生真面目なNHK記者がいた。浅野さんが話してみると、大学の先輩と分かり、親しくなるきっかけになったという。そんなことを思い出し、昭子にも元気が伝わるようにと、
    「私もお世話になっている協力会社さんに差し上げようと思って」
     両手の重い袋を無理して目の高さまで持ち上げて見せた。昭子は「そう」とだけ言ってエレベーターを降り、長い睫毛を上げることもなく、自分の席に向かって歩いて行った。
       9
    建設省のような役所に勤める父は、若い女子社員が深夜まで仕事をすることが理解できない、想像しようとすらしない。父の職場には女子社員の存在がない部署も多く、在籍していたとしても、その仕事は来客にお茶を出し、手書き書類の清書や整理、上司に指示されたことだけをやっていればよかった。
    一方、当社はまったく逆。たとえば週刊社内報チームの夕子さん。
    「単純作業ほど効率よく、早く、丁寧に」
    与えられた仕事に自分なりの工夫や改善を加味する。
    「早く仕上がれば発注者に喜ばれ、チームで作業すればゲームのように楽しく、みんなで声を掛け合い、一体感が生まれるから」
    と言う。やらされ仕事はそれに向き合うだけで苦痛やストレスを感じるかもしれない。でも主体的に動いたり、自分から上司に提案したり、当事者として動く仕事はまったく様相が違う。
    「アルバイトさん座談会」の企画や、サンジョルディの日での国旗レンタルなどは自分で考えて行動した。多少の失敗はしても楽しかった。
    「あなたはどうしたいの?」と壁打ちボールを跳ね返された結果、あれこれ考えて動き、任せてもらえた仕事はやりがいが生まれる。期待に応えたいと思うから、睡眠不足も苦にならず動ける。プレッシャーさえもストレスではなく踏み台になる。仲間を巻き込めば、運動会の綱引きや騎馬戦のように力が倍増され、楽しさも増幅する。
     個性豊かで仕事を楽しむ、元気な人たちが集まる会社で大袈裟なくらいに互いを称え合う風土。それを記録し社員と共有する〈社内報〉の編集制作に、私はやりがいと誇りを持つようになっていた。社内のヒーローを見つけ出し、「社員に喜んでもらいたい、役に立ちたい」と思って動く毎日が、楽しくて仕方なかった。
    少しでも良い原稿を、有益な企画を、ふっと心が和みユーモアがある企画をと、ついつい時間を忘れて五角形の一辺の自席に留まる。
    終電で帰宅することに、私は何も不都合は感じていなかったが、両親は寝ないで待っていた。父は、
    「若い娘をこんなに遅くまで働かせて、おまえの会社に就労規則はないのか」「自分一人が会社を背負っているつもりでいるが、会社に良いように使われているだけだ」「そもそも会社には、おまえの替わりはいくらでもいるんだ。からだを壊したら、チリ紙のように使い捨てられるだけだ」
     運慶の金剛力士像のような形相で叱責した。私はうつむいて聞いていたが、翌朝には楽しそうに「行ってきます」と、かつて八重さんがしたのと同じように出社するので、次第に小言を言うのを諦め、「そのうち辞めるだろう」と高をくくって長期戦に切り替えたのか、何も言わなくなった。
     ところが三年目のある晩、父が部屋に入ってきて、こう告げた。
    「おまえの会社は都心の一等地にビルを買い、マンション建設のために土地を買い漁っているそうだな。それも傾斜地や駅から遠く、価値がないような土地ばかりだ。何をしているのか分からない会社は、役所では評判が悪いぞ」
     父はこの時期、用地課に所属していた。私は社内のことは何でも知っているつもりでいたが、父からの情報は初めて聞くことだった。
    「関連会社のことは……よく知らない」
     父親にも自分にも、そう言い訳して目を逸らした。

    第二章
       1
     ゴジラの愛称を持つ専務の友田さんから3億円の予算を取り付けた強志さんのOA(オフィスオートメーション))化プロジェクトは全社の「改善成果発表大会」で、その年の最優秀賞を受賞した。営業庶務の業務時間は大幅に短縮され、画面に表示される「おめでとう」のメッセージや、くす玉が割れファンファーレが鳴る遊び心は会社の風土を象徴していた。この成果を他事業部にも横展開し、ノウハウを共有しようと社内報『あおぞら』で紹介することにした。
    「システムを作ろうと思ったきっかけは何ですか」
    強志さんに質問すると、
    「営業所を回っていて、残業が多い庶務たちから不便や困りごとを聞いたんだよ。その少し前に、アメリカ出張でコンピュータの可能性を学んだので、作業を合理化して彼女たちの役に立てないかと思った。吉田さんもオフィスワーカーではなく、現場の声を聞いて歩く〝オフィスウォーカー〟になると、面白い仕事ができるよ」
    と、質問に対する回答の他に、助言までもらった。
    それから1年、私は素直に実行し「面白いことありませんか」と、御用聞きのように社内を歩き回っていた。
    最近よく耳にするのが「週刊誌などで批判されることが多いよね」という不安の声。ホテルの宴会場で開催した入社式を写真週刊誌に撮られた。式典ではなくパーティ会場で社長が社交ダンスを披露した場面や、派手に着飾った女性社員と若い男性社員の乾杯シーンなどが掲載された。
     社内で聞いた声を五角形の机を囲む企画会議で、八重さんや同僚たちに話した。
    「記事の中には離職率が高い、不当に儲けている、一等地にビルを購入しているなど事実ではないことがまことしやかに書かれています。働く人が不安に思うのは当然です。『あおぞら』で従業員の皆さんに安心してもらえる特集を作れないでしょうか」
     うなずきながら聞いていた慶子さんも、
    「いま写真週刊誌が流行っているから、話題になりそうな企業は、狙われているのかもしれませんね。何をしているか分からない会社が派手なことをやっているぞ、と面白がっているのかも」
     と推測した。アルバイトの晴美さんは、
    「社外広報チームの浅野さんがおっしゃっていたのですが、以前は『若くて元気のいい会社だ』と好意的だった記者が、最近は『ずいぶん儲けているそうだな』と悪い情報を引き出そうとする言い方で近寄って来ると言っていました」
     マスコミの態度の変化を報告した。同期のミス・キャンパス昭子が、以前にも増してうなだれている姿が思い出された。
    「良いことをたくさんしている会社なのにね」
     晴美さんが続けた。伝統あるメーカー企業で勤務経験のある晴美さんは、天井から黄色い垂れ幕が下がり、帰社した営業マンを笛や太鼓、クラッカーで迎える会社を「毎日が文化祭」と面白がっていた。「仕事なのか、遊んでいるのか分からないがとにかく楽しい」と。
    「片親の高校生に学費を援助する育英基金や、オペラの振興、アフリカの子どもたちへの寄付など、何年も継続しているのに」
    晴美さんは進行係と同時に、社会貢献記事も担当している。
    私たちのやりとりを黙って聞いていた八重さんが口を開いた。
    「ちーちゃんは、誌面の中でどんなふうに取り上げたいの?」
     企画の提案はしたものの、本音を言えば迷いがあった。
    「マイナスな話題を社内報で取り上げて良いのか、社員の不安を助長するのではないか。もし結論が『マナーに気を付けよう』などと提案したら、お説教くさくて、逆効果になるのではないか。考えるほどに堂々巡りしています。でも複数の人が口にする問題なので、無視することもできないと思うのです」
    私の話にうなずく八重さんは、少し間をおいてから誰の顔を見るでもなく、目線を上げ空中の一点を見つめながら言った。
    「マイナス情報こそ、経営層や社員に伝えるべきことだわ。不安を与えるのではなくて、客観的に事実を公表して、みんなで考えるのよ。気づいていないことは気づき、改善すべきところは改善していかないとね」
    〈悪い情報は隠して見ないふりをするのではなく、会社全体で共有する〉。八重さんは編集方針を明確にしている。それは社内報の創刊時に社長が語った「営業数字や経営情報は社長だけでなく、現場を歩く営業担当や電話交換の女性、新入社員に至るまで、みんなが共有しよう」と情報公開・情報共有を第一にして始めたことに由来するのだろう。八重さんは私に向かい、
    「外で言われていることが事実なのか、でたらめなのか。まずはそこから調べたら?」
    八重さんの提案に、私はすぐに行動した。
       2
     人事部には紀子さんという先輩がいた。昨夏、岩手での農場研修で同じテントで寝泊まりし、冬には農場近くに開業したスキー場へ、仕事を終えた金曜の夜にグループで出かけた。寝台列車の部屋に社長が一人でひょっこりと現れ、みんなと一緒にトランプに興じたのに私は驚かされた。「いつものことよ」と紀子さんや先輩方は口を揃えたことにも驚いた。
    そんな紀子さんに、
    「うちの会社って離職率が高いんですか」
     と、聞いてみた。前髪で眉を隠しサイドは外向きにブローする聖子ちゃんカットだが、仕事中は左の前髪をピンで止めている。顔を上げてそのピンを外しながら、
    「どうなんだろう? 世間一般の平均と比べたら低い方じゃないかしら。独立や起業のために辞める人が多いから目立つだけで」
     そう言うと、私の目の前に労働省発行の『雇用動向調査書』を置いた。
    「昨年の確定数字を抜き出しておいて」
     テキパキと指示を出すと、自分は部屋の奥にある鍵のかかった書類棚に向かっていた。頭の回転も行動も早い人だ。週刊社内報チームの夕子さんのように「単純作業ほど効率よく、早く、丁寧に」を実践している。
    私は言われた通りの数字をノートに書き写した。全国平均の離職率は、全体で13.2%、男性10%、女性18.9%。
     紀子さんは分厚いファイル抱えて戻ると、該当部分を開き、数字を読み上げてくれた。
    「うちの離職率は全体で7.9%、男性4.4%、女性が14.7%。どっちが低い?」
    「全部、うちの会社の方が低いです」
     力を込めて答えた。紀子さんは片方の眉を上げ、「ほらね」とばかりに両手を広げた。
    「紀子さん、この数字って、社内報に出しても大丈夫ですか」
    「それは部長に確認して」
     紀子さんの視線を追い、自席に戻ってきたばかりの人事部長のもとに走った。週刊誌にあった中傷記事の根拠の1つが、事実無根だと証明できた。
     
    次に経理部長の出村さんの席に向かった。駅のキオスクで働く女性たちにハンドクリームを贈った請求書を見て、驚きながらも必要経費と承認してくれた太っ腹の部長だ。
    「中傷記事を覆せるようなデータが経理部にもないかと、お知恵を拝借しに来ました」
     と、頼んでみた。肩叩き棒で首のあたりを押しながら、しばらく考えていた。七三に分けた髪型はいかにも几帳面な経理マンらしく、その横顔は目鼻立ちがはっきりして黒目が大きい。〈若い頃はさぞや女性にモテただろうな〉と見とれていると、
    「そんなに見つめられると、ドキドキしちゃうよ」
     冗談を言って笑い、
    「質問の答えになっているかどうか分からないが」
    と前置きして、
    「うちは自社ビルにテナントを入れて収益は上げていない」
     大きな黒目が直球のように力強く飛んできた。
    「自社使用だ。首都圏だけで20数カ所のビルに営業所を展開しているが、ほとんど賃貸。家賃の支払い額が占める割合は大きい。そんな数字だったら、社内報に出せるかもしれない」
     儲ける金額も大きいが支払っている金額も大きいこと、購入したビルは数件あるが、又貸しなどはせず自社使用であることを、経理部長は教えてくれた。
    「公表できる範囲で教えてください」
     オフィスビルを買い漁り、テナントを入れて儲けているという記事も、根拠がないと証明できた。胸の中でガッツポーズをした私は、勢いよく立ち上がり90度に腰を曲げて御礼を言った。
    〈週刊誌はなぜ根拠がないことを記事にするのか〉
    〈新聞記事は裏付けを取った真実のはずなのに〉
     階段を駆け上る足が止まり、疑問が浮かんだ。
    憶測や伝聞が公器の新聞や電波に載ると、それは事実となり、切り取られた情報は世論が欲しい情報へと変換され、人の一生さえも変えてしまうことを、このときはまだ想像すらできなかった。
     
     その日の最後は『住宅』制作部の市川さんに会いに行った。
    「早速『日就案内』のことを聞きつけてきたな」
    「別件で来たのですが、日就社の最新情報って何ですか、教えてください」
    「いよいよ『日就案内』は撤退するようだ」
    ライバル誌の参入により一時『住宅』の売上げは大きく減少したが、半年を過ぎた頃から出稿企業が戻り始め、いまでは参入以前より掲載社数・売上げともに増加している。
    「制作マンの髙橋を覚えているか」
    「名前の髙の字を間違えて市川さんに叱られました。日就社に引き抜かれたんですよね?」
    「この前、彼と飲んだんだよ。連絡があって」
     市川さんは部下の面倒見がいい上司と評判なので、退社した部下からも頼られることは容易に理解できた。
    「髙橋は『正社員になれる』という条件で転職したが、行ってみたら日就社本体ではなく、孫会社だったそうだ」
    「酷い話ですね。うちの就職情報誌だったら審査室が掲載不可にしますよ」
     就職情報誌は、新卒も転職も読者を守るために厳しい掲載基準を設けており、それを管理・統括する審査室がある。
    「同僚は素人の寄せ集めで原稿はミスだらけ。効率的に仕事ができるように経営層にいろいろ提案したが、まったく聞く耳を持たない。髙橋はうるさがられているらしいよ」
     かつて社内報の座談会で、
    「アルバイトの僕が提案したことでも、業務の効率化と環境改善が可能なら、社員のみんなは気持ちよく受け入れ、上司も雇用形態や職位に関係なく評価してくれる、この会社が好きです」
    と発言していた。問題意識の高い髙橋さんが日就社の孫会社でも、同じように改善提案をしている姿は想像に難くない。座談会での髙橋さんを思い出しながら、市川さんの話に相槌を打った。
    「彼がいま在籍している会社に、うちのような既成概念やルールに縛られず、良いことはドンドン採用する風土はないんだろう。掲載情報のミスが減らず媒体の信用もなくし、出稿企業が激減しているそうだ」
    「広告を売っている営業マンたちも、モチベーションが下がりますね」
    「最初から下がっていたそうだ。何しろ天下の日就社社員だぞ。町の不動産屋の親父に、頭を下げて広告を出してもらうなんて、プライドが許さなかったんだろう」
     同期の津田君を思い出した。出稿してくれた会社のモデルルームで下足番や子守りをし、建設中の現場に差し入れを届けていた。
    「日就社に比べてうちの社員って、なんでこんなに一生懸命に働くんでしょうね?」
    「みんな、バカがつくほど純粋で、当事者意識を持って仕事している。頑張ったことがうまくいけば、お客さんに感謝され、職場の上司や同僚から大げさなくらい褒められる。それがうれしいからまた頑張る。自分の成長も実感できる」
    「でも、世間的に見れば、何をしているのか、不気味で理解できない会社なんですよね」
     深夜に帰宅する娘を心配する父の顔が浮かび、目を伏せた私に気づいた市川さんが、
    「それで、吉田、おまえが訪ねてきた用件は何だ」
    話題を替えた。
    「その世間の目なんですけどね」
     最近の週刊誌で悪意にも受け取れる記事が出てきたことに対して、社内報で事実を検証し、改善するべき点は改善しようという企画を考えていると伝えた。
    「心無い記事でうちがメディアに取り上げられるのは、いまに始まったことではない。出る杭を打つ風潮は昔からあるよ。若くて儲かっている会社、イコール苦労しないで楽に儲けている、イコール悪という構図かな。その内情を暴くことは正義だと考え、叩き甲斐があるんだろう。〈他人の不幸は蜜の味〉って考える人が飛びつきそうだし」
    だから日本はベンチャー企業が育たないのかもしれない。
    「世間の目が集まるのは良いことじゃないのか。だからこそ大事なのはこれからだよ。子どもじみた、やんちゃな振る舞いは慎んで、節度ある大人に脱皮する時期だと思うよ」
     会社の成長とともに、社員も相応に大人になるのは大切なことだ。
    「〈さらに成長するために必要なこと〉というテーマで、いまおっしゃったことを社内報に書いていただけませんか」
    市川さんは快諾してくれた。強志さんが言ったように〈解決のヒントは現場にある〉を実感した。現状の良い点・悪い点を明らかにして未来志向の一文を寄稿してもらおう。企画の構成が見えてきた。
    一般社員から寄せられた声は興味深かった。大阪の営業部長は「新地のバーのママに『お宅の若い社員の態度は居丈高で生意気』と言われた」とか、東京の若手も「宴会で騒ぎすぎて出入り禁止店が多い」と。
    新入社員は「『実るほどに頭を垂れる稲穂』になる必要がある」とか、「イメージは経営資源。叩かれると商売上の影響を受けるので、叩かれるような材料を持たないように、皆が襟を正しましょう」と、年長者ではなく若手社員が冷静に呼びかけている。
    ベテランの営業マンは「顧客第一主義こそがわれわれが一番に守らなければいけないゴールデンルール。注文をいただくまでは一生懸命で、受注後には来ないという動き方は改めよう」。
    あるいはこんな意見も。「儲かっている会社は〈企業として優秀だ〉と評価されて良いと思う。相応の税金を国に支払っているのだから。人がやらないことをやり、そこで創業者利益を上げているだけだ」。
    さまざまな意見を社内報は平等に掲載する。社外広報の浅野さんは自戒を込めた決意表明のような一文。
    「これだけ成長しているのだから、当社が儲かっていることは誰もが知っている。問題は儲けた金の使い道。世間はビルや土地購入と捉えているが、資金の多くは来たるコンピュータ時代への先行投資、技術開発、教育投資、国際間リクルーティングなどに使っている。それをはっきり見せることが大事で、われわれ広報室の仕事だ」。
     クレームを総点検し、社員1人1人が不遜な態度を改め、襟を正し、顧客第一主義は変わらずに進もうと、本誌から提案した。『悪い情報は隠して見ないふりをするのではなく、会社全体で共有する』、八重さんの編集方針は、会社を前進させた気がした。
    最後に、専務の森中さんが、
    「高度情報化社会の中で、情報の流れやニューメディアの展望、人間の在り方や生活スタイルを提案する。われわれが作ってきた文化を広く発信することは、いまは理解されないかもしれないが必ず社会に受け入れられます」
    広い視座で目指す方向を示し、総括してくれた。
    森中さんは創業期に学生アルバイトから入社した人だ。大手企業の内定を断って、当社に入社した理由を取材したことがあった。
    「ある無名の会社の新卒採用を担当したとき、広告に仕事内容や業績、会社の歴史などを詳細に掲載したら、学生が説明会と工場見学会に、バスが3台も必要なほど集まったんですよ。お客様は大喜び。請求書を持参したときは、お昼ご飯をごちそうしてくれましたよ。採用が成功し喜ぶ姿を見て『こんなに良い商売はない』と思いましたね。学生にも喜ばれました。知られていない会社を学生に知らせる、これは意義のある仕事、一生の仕事だと思ったのです」
     合唱部出身のテノールの声は、耳に心地よく響いた。
    「後日談もあるんです。最近、当時の人事担当者にお会いしたら『あのとき集まってくれた学生がいま、当社の重役になって活躍している』と言っていました。この仕事は本当に良い仕事です」
     実感のこもった言葉は、歌手が劇場の末席にいる聴衆の心までも動かすように、腹の底から湧き出る力強さがあった。取材の後、雑談で20代の社長のエピソードを話してくれた。
    「新幹線が開通する前のこと。名古屋で営業した帰りの夜汽車で通路に新聞紙を広げて座り、ビールを飲みながらいろんな話をしたんですよ。『僕、結婚するんだ』と聞いたのも、このときだったなあ」
    「なぜ通路に新聞紙を広げたんですか、席がなかったのですか」
    「仕事熱心な彼は、最終汽車ギリギリまで客先で営業するから、汽車に飛び乗ったときは、空席がなくなっているんです。お金がなかったわけではありませんよ(笑)」
    若者2人が大学サークルの延長のような会社で、父親世代の重役を相手に奮闘していた時代を、目を細めながら話してくれた。
       3
     広報室に1本の電話がかかってきた。ペンを走らせる音しか聞こえない部屋に、けたたましい騒音が響いた。
    隣の週刊社内報チームの夕子さんが、両手で受話器を握りしめ、何度も「申し訳ありません」と、言いながら頭を下げ始めた。
    「どうしたんだろう」
     みんなの視線を一身に集めた夕子さんは電話を切ると、眉根を寄せたまま手早く内線電話表をめくった。当社には組織図がない。新規事業が多く、頻繁に組織変更をするからだ。代わりに週刊誌くらいの大きさ・厚さの「内線番号表」がある。本社の各部署から全国の支社、営業所まで、組織構成員名と内線番号が表示されていた。
    「中途採用事業部審査室ですか? いま『らぼらーれ』の読者からクレームの電話がありました。事務で応募したのに営業をさせられていると、怒っていました」
     夕子さんの話を聞いた私は、五階『らぼらーれ』編集部の奥にある審査室に向かった。エレベーターホールに行くと、北ウィングから総務課長の柴崎さんが歩いてきた。
    「柴崎さん、今日はどちらへ?」
    「新型のビル電話導入の件でNTTに教えを請いに。吉田はどちらへ?」
    「審査室へ。読者からクレームが来たようなので」
    「掲載情報のクレームは、最近ほとんどなくなったと聞いていたが、何かあったのかな」
     柴崎さんが首を傾げるうちに、エレベーターは五階に着いた。
     ファッショナブルで華やかな編集部を抜けた一角に、透明なアクリルパーティションで区切られた小部屋があった。
    審査室の四人の社員のうち2人は中途採用で入社し、もう1人は銀行の与信管理部を最後に定年退職した男性が嘱託社員として在籍。中途入社の女性2人のうち、人は商社勤務後、子どもが中学生になり社会復帰したママ社員、もう1人は弁護士事務所で働いた経験を持つ独身女性。一番若い社員は日本橋営業所で庶務をしていたルミさん。所長と職場結婚したのを機に、本社に異動した。良識ある大人が揃う落ち着いた雰囲気は、若く騒々しいカオスのような会社の中で、目立たない存在だ。
    目立ちはしないが、その役目はキーストーンのようだ。西欧の教会建築で高い天井アーチの中心部にある要石。広告を出して人材を募集する会社と、職を求める読者とを〈つなぐ〉と同時に、2方向からの〈拮抗する〉力を〈支え合う〉力に変換している石。どちらかが強くなったらバランスが崩れ、全体が崩壊する。
    「ルミさん、ちょっといいですか」
     小部屋の中では女性2人が電話をし、男性が書類をめくっていた。ルミさんは部屋を出て、編集部との境にある打ち合わせ机に私を座らせた。
    「忙しいところすみません。いま広報室にかかってきた電話のことで、審査室の仕事を教えていただけないかと思って」
     ルミさんは日本橋時代と変わらない太陽のような笑顔で快諾してくれた。
    「今回の件はいま調べている最中だから何とも言えないけど、審査室の仕事の概要なら話せるわよ」
    「掲載された情報と、実情が違うことってよくあるんですか」
    「創刊当時はときどきあったわね。『給与金額が違った』『社員ではなく業務委託員の募集だった』とか」
    「どんなふうに対応するんですか」
    「掲載を一時保留にして事実確認に動く。通常、先方との接触は営業を通じているから、まず担当営業に連絡する。だいたい営業が先方を訪問して、解決することが多いわね」
    「原因は何ですか」
    「先方の求人広告に対する認識の甘さかな。もちろん営業側の説明不足もある」
    「ルミさんたちがお客様のところに行くこともあるんですか」
    「ごく稀に、あるわよ」
    「どんなふうにお客様に理解してもらうんですか」
    「まずクレームの内容を伝えて、読者保護の立場、媒体の編集方針や責任を説明する」
    「納得していただけますか」
    「なかなか『はい、そうですか』とは言わないわね。『人手不足だから何とか掲載させてほしい』とか『どうしたら掲載できるのか』と泣きつかれることもある」
     少数精鋭の町工場や中小企業こそ、良い人材を真剣に求めている。時には募集時の業務範囲を超えた仕事を、迎えた社員に依頼することもあるだろう。
    「うちのダンナは営業担当だから、目の前で困っているお客さんを助けたいわけ。そうすると『審査基準が厳し過ぎる』って夫婦喧嘩になる」
    「ルミさんもそう思いますか」
    「厳し過ぎるとは思わない。だって媒体としての姿勢を守ることが、読者保護につながるのよ。読者の信頼を得ることが、結局、企業の利益にもつながっていくんだもの」
    「読者と企業、両者をつなげる仕事って、難しいですね」
    「でもそこに私たちの仕事の意義があるのよ。良い人材を求めている会社に、希望通りの人が入社して会社が発展したら喜ばれるし、仕事を求めている人が、入社した会社でいきいきと働けたら、その人の人生も喜ばしいでしょ」
     ルミさんは二重瞼の大きな目を見開いて、熱量高く語った。
    「ちーちゃん、ピンクパトロールって知ってる?」
     ルミさんが試すように笑いながら聞いてきた。何のことか見当もつかずにいると、
    「飲食店でパブやスナックなどアルコールを主体とするお店は、掲載不可。でも客と同席しない店に限り許可はしている。中には同席させる店もあるから、それを確認しに行くのよ」
    「ルミさんが一人で、パブやスナックに?」
    「男性社員と2人で。怖いお兄さんに凄まれることもあったわ」
     武勇伝のように語るが薄暗い店内の、怪しげな従業員がいるような店に、若い女性が行くなんて危険すぎないのか。私だったらハリネズミのように全身を棘で覆って、警戒しながら座っているだろう。知らない世界は想像以上に不気味に感じる。
    「若い男性社員の……ほら、OA化推進課の強志君とか、彼らは喜んでピンクパトロールに行きたがるけど、私たち女性の方がウソ発見率は高いわね、80%くらいかな」
     鳩のように胸を張る姿はスーパーマリオがピーチ姫を助け出したようだ。危険を伴うかもしれないパトロールに、なぜ出かけるのか。読者である求職者を危険にさらせない使命感なのか、正義感なのか。そんなことを考えていた私に、
    「それにしても、ちーちゃん、なぜ今回は広報室に電話があったのかしらね。『らぼらーれ』誌面には、読者相談プラザの電話番号を明記しているのに」
     合点がいかないらしく、ルミさんは小首をかしげた。
    「読者相談プラザ?」
    「去年、開設した読者サービス。掲載社数の増加と、それに伴う問い合わせ増に対して正確な情報を早く伝え、読者の声をしっかりつかむ、この2つが目的。この1年間に寄せられた相談の電話はおよそ4600件。その1件1件の電話の向こうに人生ドラマが展開されているのよ」
    「人生ドラマ……ですか」
    「『妻が家出した。住み込みで働いているらしい。住み込みの仕事はどんなものか』とか『いま東北から出てきて上野駅の公衆電話です。家政婦斡旋所はどこですか』とか。地方から『とにかく東京で働きたい。東京に行けば何とか成功するのでは』など人生いろいろよ」
     またしても知らない世界の話に、自分の未熟さを思い知らされた。と同時に、想像もできない危なげな世界は、できることなら関わりたくないと思った。
    「どんなふうに返事をするんですか」
    「私たちで分かることはすぐに答える。地方から電話してきた女性にはなぜ東京なのか、いま応募しても即入社ということになったらどこに住むのか、具体的な目標や生活基盤がいないと、企業は採用しづらいと厳しく伝えたわ。逆に長い愚痴をずっと聞くだけのときもある」
     審査室が〈要石〉であり得るのは、室員それぞれが重ねた年輪の幅や厚み、身に着けた知見や強さ・優しさをもって読者に接し、安心感や励ましを与えているからだろう。
    「あそこにいる編集長の上川さんも言っていたわ、『人が動けば動くほど、社会は活性化する。仕事を求めている人に、働く場の情報を提供するのは日本の活性化に貢献している』って」
     タバコの白い煙の向こうに赤い爪が揺れていた。採用の手伝いを通じて人や企業、社会の役に立ちたいと、リーダーもメンバーも同じ方向を向いていた。
     ルミさんの話を聞き終わり、広報室に戻ると、夕子さんがあおぞら編集室に来ていた。
    「ちーちゃんも戻ったから、ちょうどよかった」
     いつもは口元に笑みを絶やさない夕子さんが、このときは梅干しを含んでいるように口をすぼめ、眉間にも皺を寄せていた。
    「さっき読者と名乗る人からクレームの電話がありました。審査室に報告して調べてもらったら、存在していない会社でした。自分が勤めていた会社の名前や住所を間違えるはずはないし、電話は読者相談プラザにかけるはずです。当社への嫌がらせか、いたずら電話ではないかという結論になりました 最近その類の電話や、圧力団体の訪問が増えています。もし怪しいなと思う電話が来たら、すぐに報告してください」
     社外広報には〈ブラック担当〉というチーム名で総務や法務の課長たちと一緒にリスクマネジメントを担当する課長がいた。
    「夕ちゃん、ありがとう。私たちも気を付けるわね」
     八重さんは大きくうなずきながら、夕子さんに御礼を言った。そして何かを決意したように顔を上げ、五角形の机に座る私たちを見回して、こう言った。
    「さて、文化祭をやるわよ、日比谷公園で」
       4
    〈人が動けば活性化する〉のは、社会だけでなく社内でも同じだ。人事異動だけでなく、クラブ活動など自由な場で人と人が出会い、語り合い、行動を共にし、時間を共有することで生まれる絆や化学反応がある。
    自分が所属する事業部でなくても、知り合いがいればその部門の仕事内容に興味を持つ。休日に書店を回り、自社媒体を目立つ場所に置く人たちは「あいつが頑張っている」「あの子が書いた記事」と雑誌の向こう側にいる〈仲間〉の顔を思い出している。同じゴールに向かって協力したり、情報共有したりすることで、まったく新しい仕事が生まれることもある。
     部門を超えた出会いの場づくりもあおぞら編集室の仕事。「文化祭をやるわよ、日比谷公園で」のひと言で、文化祭プロジェクトが始動した。編集部の四人だけでは動かせない。柴崎さんをはじめとする総務部の力は欠かせない。そしてボランティアも募った。
    「文化祭をやろうと思っているんですが、手伝ってもらえませんか」
     社内に声をかけて回る。忙しい人にこそ声をかける。なぜなら忙しい人ほど大きな人脈を持っているから。あっという間にコアメンバーが決まり、企画会議が始まった。
    「社内には音楽バンドを結成している連中が何組もいるから、順番に野外ステージでライブコンサートをやろう」
     長髪のデザイナーの船橋さんが提案すると、同期で営業担当の津田君は、
    「不動産会社に協賛をもらって、マンションのチラシを配ってもいいかな」
     クライアントを思い浮かべて提案する。食いしん坊の聡子は、
    「模擬店は事業部ごとでも、部門横断でもOKにしたら?」
     と言うので「新しい恋人は別の事業部だね」と目配せすると、ウインクで返してきた。横から広報室の新人男性が、
    「イベントの名称は〈風雲あおぞら城〉ってどうすか? 人気のテレビ番組から拝借して」
     楽しいアイデアがドンドン出てくる。社内の会議室から出て、近所の居酒屋に場所を移し、コミュニケーションならぬ、飲みニケーションは活発だ。
    仕事を終えた営業マンが後輩を連れて来てメンバーが増える。「入稿があるから」と職場に戻るデザイナーに代わり、その上司が「僕で手伝えることがあったら」と加わる。いつの間にか居酒屋は私設会議室だ。
    「同期の電話連絡網を使って、集客するよ」
    「スタッフTシャツも作ろう」
    「食品衛生責任者も必要じゃないのか」
     アイデアを出す人、それを実現するための段取りがうまい人、人の巻き込み上手、リスク管理する人、正確で確実に物事を進める人、仕事のときとはまったく違う表情になる人、相変わらず淡々と作業する人。それぞれの個性を生かし、それぞれが得意分野に力を発揮した。まるで動物園だ。叫んだり吠えたり、山に駆け上がったり、水遊びしたり、ゆっくりと笹の葉を食べたり、勝手に動き回っていた。でも〈みんなに喜んでもらえるイベントにしたい〉気持ちは一緒だった。
     
    「『あおぞら』9月号と一緒に〈風雲あおぞら城〉のチラシを同封してはどうでしょう」
     進行係の晴美さんが提案した。毎年9月号では社員の子どもたちが夏休みに制作した作品を誌上で紹介する〈ひな鳥たちの展覧会〉を掲載していた。家族イベントの告知には良いタイミングだ。
    『あおぞら』は親元を離れて暮らす社員の実家にも送っていた。多忙で帰省できない息子や娘の活躍を知ることができ、〈ひな鳥〉企画は結婚して独立した社員の親御さんにとって「孫の様子も知ることができる」と好評な定例企画だ。ありがたいことに両親や家族は『あおぞら』を隅から隅まで読んでくれる一番熱心な読者でもある。
    「ご家族皆さんで来てくれるといいですね」
     晴美さんの提案に答えた慶子さんは、セリフを棒読みするような言い方で応えた。感情を伴わない言葉は宙を舞うだけで、誰のもとにも届かない。目線を合わせず、小さなため息を隠れるようについていたのを、私は見逃さなかった。結婚したばかりの彼女は本誌の編集に集中したかったのだろう。長い時間をイベント準備のために拘束され、せっかくの休日まで潰されることが負担になっていたのかもしれない。
    このイベント開催がもろ手を挙げて賛成する人ばかりではないことは、私も居酒屋での私設会議の場で聞いていた。
    「マスコミから注目されているいま、派手なことをして目立つのは逆効果だと言う声がある」
    「イベント中に右翼の街宣車でも通ったら台無しだ」
    「福利厚生にいくらかけるんだよ」
     そんな意見を聞くと、主催者である八重さんや私自身を責められているような気持ちになる。
    営業研修のとき「給料泥棒」と思われているのではないかと、勝手に周囲の目を気にして、落ち込んでいたことが思い出された。自分が心配するほど他人は私のことなんて見ていないのに。
    「でもさ、バンドメンバーは発表の場ができたって喜んでいたぞ。仕事にもメリハリがつけられて早く帰宅して練習している」
     不安を払拭してくれたのは、住宅事業部の鬼のデザイナー船橋さん。彼は最近、長い髪を後ろに束ねたスタイルにしている。
    「こうやって知らない人同士が集まって、イベントを盛り上げようとワイワイガヤガヤ話し合うこと自体が、仲間意識や一体感をつくっているんじゃないかな」
     同期の聡子も賛同し、ビールのジョッキを掲げた。
    「右翼団体や危ないことをしている人を取り締まる〈見回り隊〉を総務でつくってもらったらどう? ね、柴崎さん」
     人事の紀子さんもビールジョッキを掲げた。
    「はい、はい、御意です。ではカンパーイ」
     包容力あふれる九州男児の音頭で、グラスも話題も進んだ。
     
     あおぞら編集室では5月の母の日に〈ひな鳥たちの日曜日〉というイベントを企画したことがあった。寝る間もなく猛烈に働く企業戦士が評価された時代。当社社員もご多分に漏れず、家庭を顧みない。そのために、子どもたちの会社に対する評判は悪い。そんな評判を挽回したいと、自他ともに認める〈おせっかいな性分〉の八重さんは1日、子どもたちがパパと原っぱで遊び、ママには休息してもらうファミリーイベントを企画した。
     入口にはパンダとコアラのぬいぐるみが出迎え「ようこそ」と握手する。着ぐるみの中身は屈強な総務の男性社員だが、子どもたちは本物だと思って大喜び。私たち編集部員は1日保母さんとなり、縄とびや陣取り合戦などをして子どもと遊び、ママたちは子どもから解放されて羽を伸ばせた。翌日は「家族サービスができた」「子どもも奥さんも喜んでいた」との電話が多数寄せられた。
     同じことを〈風雲あおぞら城〉でも行うことにした。子ども広場には、遊び道具として竹馬、竹とんぼ、水鉄砲、フラフープなどを総務の柴崎さんが用意してくれた。
     雲1つない秋空が広がり、公園の木々は真っすぐに天を仰ぎ、色づいた葉を陽に向けていた。乾いた風が葉を揺らすときだけ、ザワザワと期待と不安が鼓動のように聞こえた。
     午前中は受付係をしていた私は、午後には子どもたちが走り回る芝生広場を中心に、写真撮影を担当した。
    「吉田さん、こんにちは」と、若いママさんに声をかけられた。
    「〈ひな鳥たちの日曜日〉のときに〈だるまさんが転んだ〉で遊んでもらった啓介です」
     母親に促されていやいや前に出てきた男の子の胸には「けいすけ」の名札があった。
    「わー、大きくなったね、お姉さんのこと、覚えている?」
     幼稚園の年中さんだった啓介君は、小学生のお兄ちゃん・お姉ちゃんたちに混じって〈だるまさんが転んだ〉の声に合わせて急に止まったり動いたりができなかった。べそをかいていたので、私が手をつないで伴走した。
    「覚えていない」
    「あら、冷たい返事ね。あのときは仲良く手をつないでくれたのに」
     小学2年生になった啓介君は恥ずかしいのか反抗期なのか、また母親の後ろに隠れてしまった。
    「あの日はよほど楽しかったらしくて『また行きたい』『今度はいつ行くの』とずっと言っていたんですよ。私も楽しかったです。帰りにお土産にいただいたカーネーションも、毎日水を替えて長く楽しませてもらいました」
     開催日の母の日に因んで、来場者には一家に1本のカーネーションを用意していた。
    「啓介君ママに声をかけていただいて、私もうれしいです」
    「主人が持ち帰ってくる『あおぞら』は〈あとがき〉から読むんですよ。あなたの名前を探して」
     会社で配布した社内報を家に持ち帰る社員は多い。啓介君パパは高校生に大学や専門学校を紹介する進路情報事業部に在籍すると聞いたが、社内報を持ち帰り家族に見せているのだろう。
    「あとがき」は編集部員四人が本誌最終ページにつぶやく130文字の一文。私の拙い独り言を読んでくれる啓介君ママが正午の太陽よりも眩しく見えて、目頭が熱くなってしまった。
    「今日も、楽しんでいってくださいね」
     目を瞬かせながらクチャクチャの笑顔を向けた。広場の中央に走っていく啓介君を追いかける母親の後ろ姿に、もう1度頭を下げて、私は子ども広場を出た。
    噴水に向かって歩いていると、警備会社の制服を着た男性が近づいてきた。右翼や反社会的勢力のような人たちから社員を守るために、総務の柴崎さんが手配してくれたのかもしれない。私の右側ですれ違うとき、その人は敬礼するように自分の右手の指先を帽子のつばに当てたまま通り過ぎた。
    帝国ホテルと日生劇場の方角から大きな雲が流れて来て一瞬、日を遮ったが日比谷門からは続々と社員らしい家族連れやグループが入ってきた。門の横にはイベント本部があり、受付を設けている。一組のカップルが目に留まった。カップルといっても父娘だ。カメラを向けファインダー越しに見ると、創刊したばかりの技術者向け就職情報誌の編集長だった。
    「長崎さん、こんにちは。ということは、こちらはお嬢さんの志野さんですか」
     中学生くらいのおさげ髪の少女は驚いた顔をした。
    「どうして名前を知っているの?」
     娘の疑問を代弁するように、父親である編集長が尋ねてきた。
    「『あおぞら』9月号の〈ひな鳥たちの展覧会〉に、フエルトで作ったアップリケを出品してくれましたよね」
     お嬢さんはもう1度目を見開いて、コクリとうなずいた。
    「丁寧な縫い目に『上手だなあ』と印象深くて記憶しました」
     私の言葉に、技術者向けの難解な記事をまとめている編集長は、目じりを下げて娘に、
    「広報の人に褒めてもらって良かったな」
     と、父親の顔になっていた。
    休日のイベントは、働く人たちが家庭人でもあることを思い出させてくれた。仕事で理不尽なことがあっても、ストレスや深夜残業が続いても、負けない気持ちの源は、お嬢さんや息子さん、奥様やご主人様の存在かもしれない。
     雲が去り、午後の日に照らされた噴水はきらめいていた。カメラのレンズを変えようと、座れる場所を探して辺りを見回すと、樫の木の下にベンチがあった。そこに〈風雲あおぞら城〉のチラシを手に、仲良く地図を見る老夫婦が腰を掛けていた。
    「お隣にお邪魔してもよろしいですか」
     と尋ねると、男性が帽子を脱いで「もちろんですとも」と会釈し、女性が腰を浮かせて詰めてくれた。
    「『あおぞら』編集部の吉田と申します」
     自己紹介すると2人そろって「ああ」と笑顔を向けた。そのタイミングがピタリと合い、同じ反応をすることに、長年連れ添う夫婦は似るものかなと口元がゆるんだ。
    「毎月、送ってくれてありがとう。いつも読んでいますよ」
    「こちらこそ、ありがとうございます」
     樫の葉が揺れて、光の斑点が男性の頬を照らした。
    「あなたたちが働く会社は大きな会社ですね。いま銀座の本社を息子に案内してもらい、見てきたところです」
    「どちらから、お越しですか」
    「茨城の高萩から」
    「朝早くから、お出かけくださったのですね」
    「こんな機会でもないと、東京にはなかなか出てきませんから」
     左側に見える皇居の方に顔を向け、正面の劇場やホテル、高層ビルを追い、右側に半身だけ見える東京タワーに目を移していた。
    「息子は銀座からタクシーで、ここまで送ってくれたんですけど、公園の中に入ったら『自由に見て』と言って、私たちをほったらかすんですよ」
     母親がさみしそうに言うと、
    「25,6の男が親と一緒に歩くなんて、恥ずかしくてできないさ」
     父親は息子をかばうように母親に言った。
    「お父さんはさみしくないんですか」
     母親が拗ねるように手元のハンカチをこする。2人の会話がほほえましかった。
    「なんだか、私も両親に会いたくなりました」
     私の両親も小さな喧嘩はするが仲は良いと思う。目の前の夫婦に両親が重なりつい口に出してしまった。一緒に住んではいるが、ほとんど会話らしい会話はしていない。休日もこうして「仕事」と言って出かけているし。
    「あなたも親御さんを大事にしてね」
    「はい、ありがとうございます」
     帰宅したら、今日ここで出会った人たちのことを両親に話そう。
    「このあとも、どうぞ、楽しんでくださいね」
     レンズをカメラバッグにしまい、立ち上がった。と、そのとき、ジーンズのポケットにくすぐったい小さな振動を感じた。
     今朝、本部の打ち合わせの際にスタッフに配られたポケットベルだった。男性の親指ほどの小さな無線呼び出し機器を取り出すと、表示画面には「49 1」と数字が並ぶ。小さな画面なので、数字の語呂合わせで用件を伝える。「49」は「至急」、「1」は本部。私は日比谷門の横にある本部に走った。
    簡易テントの中には、総務と広報のメンバーだけでなく〈ブラック担当〉というチーム名の課長たちも揃っていた。八重さんも笑うと鼻に出る横皺が、いまは眉間に深く縦に刻まれていた。
    「皆さん、もう少し寄ってください」
     社外広報の浅野さんが手招きしながら低い声で促した。ドアもないテントだ。受付に背を向けて壁のように体育会出身の社員が立ち塞がった。
    「写真週刊誌の記者が来ています」
     浅野さんの押し殺した声に皆が息をのんだ。入社式で社長が社交ダンスを披露する写真が見開き2ページで写真週刊誌に掲載されたのを思い出した。
    「日就社の制作会社に転職した元うちのアルバイトが、『見覚えのあるカメラマンが写真を撮っている』と情報を寄せてくれた」
     先を急ぐように法務課長が、浅野さんの語尾にかぶせて、
    「被写体に同意のない撮影行為は処罰対象だ。盗撮だ。みんな、注意深く巡廻してほしい。もし怪しい行動をしている者を見かけたら、ポケベルで知らせてくれ。『8451(はよこい)+場所』だ。それと度を超えた騒がしい行いをしている社員たちには慎むように促してほしい」
     その場にいる全員が声を出さず首肯した。
     私は子ども広場に向かって歩き出した。先ほど、敬礼しているように見えた警備員の男性が、子ども広場の方角に向かっていたからだ。
     でも広場で子どもにカメラを向けているのは、父親らしき人ばかりだ。秋咲きの薔薇に導かれて官庁街の方向に進むが、色とりどりの薔薇を接写している愛好家らしい人のほかには怪しげな人は見当たらない。視線を小道の先に移したとき、
    「いた!」
     松本楼の前の首掛けイチョウに寄りかかっている男。私と同じようなカメラバッグを持って、大イチョウの幹に隠れるように立っていた。
    「すぐに知らせなきゃ。8451。えっと、ここは何番だっけ」
     気持ちが急いて思い出せない。悪い夢を見ているとき、警察の110番も消防の119番も思い出せないでいるのと同じようだ。
    「模擬店の配置図があったはず」
    カバンの中身を全部放り出したい気持ちで、くちゃくちゃになった配置図を見つけ出した。番号を入力してホッとする間もなく、棒立ちしている自分の姿を、木の下にいる男に見られている気がした。
    「浅野さん、法務課長、屈強な新人君たち、早く来て」
     祈るような気持ちでカメラを取り出し、不自然な恰好で薔薇の花を接写した。シャッターを押しながら、横目でイチョウの方を見た。木の下の男は松本楼から出てくる人を撮っていた。レンズを薔薇からその男に向けてシャッターを切った。2枚目、3枚目。望遠レンズに替える間はないから標準レンズのまま焦点距離をできるだけ長くしてみた。男が盗み撮りしている姿を捉えることができた。
    「もう1枚」
     と、思ったとき、男と目が合った気がした。男が近づいてきた。
    1歩、2歩、3歩。私は体勢を変えず、人差し指だけ押し続けた。レンズが急に真っ暗になった。恐る恐るゆっくりと顔を挙げた。大きな背中が立ち塞がっていた。砂利道を走る複数の足音が聞こえた。背中の横から足音の方を見ると、松本楼の前に浅野さんや柴崎さんがいた。カメラバックの男はいなかった。
     私の前に立ち塞がっていたのは警備会社の服を着た、制作マンの髙橋さんだった。警備員のアルバイトをしていた。私は安堵して、ため息が音叉のように低く長く流れた。
    この日、子どもも含めて4500人が集まった。心配していた反社会勢力の乱入や、社員の問題行動は起こらなかった。
    短くなった秋の陽が西に傾く頃、参加した社員や社員の家族は笑顔で帰っていった。後片づけをするボランティアも、模擬店やバンドを担当していた社員も、私たち事務局も、みんな笑顔を交わし、抱き合い、達成感を分かち合っていた。
     
    第三章
       1
    社内報『あおぞら』が創刊された当時、高卒入社7年目の八重さんは、461人いた社員全員の生年月日、出身地、家族構成を覚えていた。9000人を超えたいま、私たち編集部員に同じことは求められていないが1人でも多くの人と話し、その人を知ろうと努力はしていた。
     それでも追いつかないスピードで社員は増えた。例えば新入社員。3年で3倍に増え、6年前の全社員数に匹敵する。新卒だけではない。中途入社者は毎月2桁ペースで入社。しかもこれまでと違い、理系出身者の割合が非常に大きくなっていた。
    「拠点数も、社員数も急激に増えて『あおぞら』は役割を果たしているかしら」
    編集会議で八重さんは頻繁に話題にした。慶子さんも同じような危機感を持っていて、
    「どこで、どんな人が、どんな面白い仕事をしているかが分からず、隠れたヒーローを発掘するのも、大変になりました」
     ボールペンを2本の指で器用に回しながら言った。私はバックナンバーをめくり、
    「〈大企業病って知っていますか〉など特集で問題提起はしてきましたが、組織の硬直化、情報の詰まりや滞留、会議が多すぎるなどコミュニケーションの弊害はありますね」
     キーワードを拾ってみたが、持っている問題意識をどう企画に反映したらよいものか、具体的な方法は思いつかなかった。八重さんも頭を抱え、
    「問題提起するだけでなく、私たちで何かできないかしらね」
     脳のCPUをフル回転させているようにつぶやいた。コミュニケーションのリアルな場として〈風雲あおぞら城〉のようなイベントは開催してきた。いま以上に、私たちが社内を回って情報を集めるしか解決方法は考えられなかった。
     八重さんが心配していたのはコミュニケーションだけではなかった。社員1人1人が、大きくなった組織の中で自分の存在を見失わずに、いきいきと力を発揮していけるか、自分とは考え方も思考も異なる人たちと、互いを尊重しながら会社としてベクトルを合わせていけるか、ということだった。
     そんなある朝、出社した八重さんは椅子を引くのももどかしそうに浅く腰を掛けると、足で前進して手でデスクを引き寄せ、
    「ペンタゴンでね……」
     前のめりになって、いきなり話し始めた。子どもが珍しい昆虫を発見して「見て見て」と、驚きと興奮で誰かに自慢したくてたまらない姿に似ていた。
    「ペンタゴンではパソコン通信を使って、職員同士が情報交換をしているのよ」
     ペンタゴン? 五角形って目の前の机のこと? いやいやもっと大きな五角形の形状をした建物の愛称で、アメリカ国防総省のことだ。
    「私たちが原稿を書いているワープロに、電話回線をつなぐことで離れた場所にいる複数の人たちと同時にやり取りができるのよ」
     早口で話す八重さんの言葉は、私の右耳から入って左耳にスルリと抜けた。かろうじて〈ワープロ〉〈電話回線〉は残った。
    新入社員の頃は手書きで原稿用紙に文字を書いていた。級数表とテンプレート、定規で線を引き、レイアウト図に合わせて原稿用紙に、赤ペンでレ点や改行などの指示をして写植会社に入稿。最近は、文字原稿はタイプライターと同じ配列のキーボードに打ち込み、それを保存したフロッピーディスクで入稿する。レイアウトの指示と使い回し封筒は健在だ。
    「ファックスとは違うんですか」
     文字や図形を電気信号に変換して相手方に送る通信方式で、受け手は感熱紙を用いる。
    「紙を媒介するのではなくて、パソコンの画面上に出てくるの。たとえば〈新人時代の思い出を教えて〉と、ちーちゃんが書き込んだとするでしょ。それを読んだ北海道のAさん、九州のBさんがそれぞれのエピソードを書き込んで〈送信〉ボタンを押す」
    「ワープロで原稿を書いているのと同じように書いて、画面のどこかに送るボタンがあるんですね?」
     頭の回転が速い慶子さんはすでにイメージができているようだ。八重さんは続けた。
    「パソコン通信でつながっている他の人たちは、ちーちゃんとAさん、Bさんのやり取りを読むことができて、大阪のCさんが〈僕も同じ経験をしたよ〉と書き込んで会話に加わることもできるわけ。これが〈電子会議〉と言うのよ」
    「文字を書き込むということは、会話が消えずに残りますから、そのまま議事録や原稿にもなるんですか」
    「そうなのよ、ちーちゃん、すごいでしょう」
     夜はろうそくに火を灯して部屋を明るくする人に、電球というガラス玉の上部をひねるだけで部屋全体が昼間のように明るくなる、と言っても信じないだろう。私もキツネにつままれたような話で半信半疑だった。でも仕事に役立ちそうな気はした。
    「ペンタゴンでは、すでに活用しているのよ」
     社外人脈の広い八重さんはどこかで耳にしたペンタゴンの話を、社内コミュニケーションに応用できると考えた。それからの行動は早かった。
    社外のソフトウエア会社に相談し、翌日には社長の江田さんに口頭で説明していた。猛勉強した結果、たった2週間で企画書を作成して経営会議に提出した。
    同時進行で「パソコン通信を始めます。いっしょに新しいことを始めませんか」と、いつものように私たちは社内有志を募った。
    50人枠に有志があっという間に集まり、先着順にIDとパスワードを渡した。毎日が運動会のようで徒競走のときに流れるオッフェンバックの『天国と地獄』が頭の中を駆け巡った。
    ブラウン管テレビのような四角く重い箱は、魔法のランプさながらに未来の可能性が詰まっていた。平均年齢25歳、入社3年目までで半数を占める若い会社は、新しいこと、便利なこと、まだ見えていない世界を、自分たちで作ろうとした。
     6月12日、企業内パソコン通信『だいすき』は運用をスタートさせた。八重さんが「ペンタゴンでね」と、アイデアを話してからたった2カ月しか経っていなかった。
    「ハッピーバースデー、社長」
     この日は社長の誕生日。社員から多くのお祝いメッセージが、社長の掲示板に届き、IDを持つ社員は全員がメッセージを共有した。そして社長も返事を書いた。
    「ぼく、じつはキーボードたたけないんだよね。でも、みんなにせっつかれて、どうにかしないといけないなと、がんばってみるつもり。でも、ぼくももう年だしネー(笑)。ホットラインがホットにうごかないと意味がないのでみんなからも率直で積極的な意見を。ときにはカラオケやディスコにも誘ってください。夜はたいていお客さまとの会食が入っていて時間をとるのは大変だけど、ホットラインで誘ってもらえるとうれしいな」
     六週間後には端末70台、加入者200人、電子会議への書き込みも600件を超えた。
    「銀座で気軽に飲みに行けるお店を紹介して」「〇〇がいいよ」「予算はどのくらい?」「じゃあ、これを読んだ人、みんなで集まろう」。こんなふうに面識のない社員同士が部署を超えて、企業内パソコン通信で会話をし、現実の場で集まるようになっていった。
       2
    「ど~も」と、無粋で押しが強い銀ぶち眼鏡がやってきた。
    「八重さん、パソコン通信をオープンしたんですって? 水臭いな、僕は何も聞いていないですよ。僕に言ってくれれば、同級生のソフトウエア会社を紹介したのに。もっと使い勝手がいい掲示板ができましたよ」
     組織には必ずいる人。後だしジャンケンのようなことを言う人、自分が中心にいないと「聞いてない」と文句を言う人。
    「あれ? 言ってなかったかしら」
     八重さんが柳に風のように答えた。私もすかさず富士通製のOASISの画面を開いた。
    「ほら、ここをご覧ください。IDとパスワードを発行しています。だから『パソコン通信を始めます』と最初に呼びかけたときに、ご存じかと。オープン日前日にも、一斉にメッセージを送っています」
     と、画面にある平井さんの名前を指さした。銀ぶち眼鏡は鼻あてを押し上げながら、冬の三日月のような鋭い目を向け、
    「忙しくて見落としていたんだ」
     と凍えるような声で答えると、時計を一瞥して忙しそうに出て行った。
    「パソコン通信は水掛け論の証拠にもなるんですね」
     こういう使い方もあるんだと学んだ私に、
    「日付や送信時間まで記録されているからね」
     と、八重さんが可笑しそうに笑った。
     
     八重さんの席の後ろにある椅子には、ひっきりなしに訪問客が座った。
    「また、面白そうなことを始めたね」
     創業期から社長を支えてきた専務の森中さんが、テノールの声を響かせながらやって来た。この日、八重さんは企業内パソコン通信の成功事例として、新聞社とテレビ局からの取材を受けていて不在だったので、代わりに私が応対した。
    「社員数が増え、情報の共有や社内コミュニケーションの停滞化に頭を悩ませていましたが、八重さんは難しそうな道具を持ってきて、簡単な操作とワクワクするようなやり方で、あっという間に問題を解決しました」
    「難しそうな道具は、私にも使えるだろうか」
    「もちろんですよ。私がお教えしましょう」
     いつもは教えを乞う専務に、このときばかりは私が先生役となり、画面の開き方から教えて差し上げた。
    「ほう、これは面白いね」
    初めてのおもちゃに触る少年のように、森中専務は頬を紅潮させていた。
     こんなふうに私たち編集部員は、パソコン通信の先生役も担うことになったが、月刊『あおぞら』の制作編集が忙しくなる時期は、私たちだけでは手に負えない。
    そこでいつものように社内にボランティアを募った。伝道師〈ザビエル隊〉と名付けたチームを結成し、協力してもらうことにした。入社2~3年目の若いザビエルたちが、パソコンに慣れていない先輩社員や管理職に、親切丁寧に使い方を教えた。役職も年齢も関係ない。得意な人が得意分野で、力を発揮すればいいだけだ。
     別のある日のこと。
    新規事業である通信事業部の部長、若宮さんがパイプ椅子を広げ、八重さんの隣に座った。
    「1つ相談があるんです」
     3年前にリニアモーターカーの研究開発をする会社から、当社の高度情報通信システム事業に大きな可能性を感じ、転職してきた。
    「私の部隊は、回線を接続するためのアクセスポイントを設置しているのですが……」
     数年前に、地図情報を利用したサービスを提供する会社を当社とNTTと日経新聞社の三社が合同で設立したが、NTTとは通信回線を活用した新規事業でも協働していた。その一つが情報通信事業。コンピュータがネットワークに接続するとき、電話回線網を使い電話交換機を経由するサービス。まずは経由する中継拠点の設置から始めていた。
    「設置場所は全国にあるためメンバーは出張が多い。私は本社で会議が多い。彼らからの問い合わせに対して電話ではなく、いつでも好きな時間に、好きな場所からアクセスできる電子会議を利用してみようかと思うのです」
     若宮さんは企業内パソコン通信『だいすき』の「いつでも、どこでもアクセスできる」利点を生かし、業務で活用できないかと考えていた。
    「それは理想的な使い方ですね」
    八重さんの丸い顔は、花火が開いたように輝いた。
    「非公開にすることもできますから、部内で秘密の会話も可能です。履歴が残りますので議事録を作成する手間も省けます。コーナー名は〈若宮組〉なんて、どうですか」
     ピンポン球のように会話が弾んでいった。
    「私は〈組長〉ですか」
     若宮さんは腕組みしたまま、椅子の背にのけぞって喜んだ。数時間後には、若宮組が開設した。全国のアクセスポイントと本社で、業務連絡や報告が飛び交った。
     世の中でコンピュータの話題といえば、機器の性能などハード面が中心だ。ところが「企業内コミュニケーション」というソフト面を充実させて、その可能性を広げたのは日本で当社が初めてのこと。先鞭をつけたことになる。
    アメリカ国防総省の事例を聞いて、それを社内に応用することを思いつき迅速に行動に移したのは、小柄で天然パーマの短髪、お盆のように丸い顔で、目じりと鼻の頭と口元に、深い笑い皺が刻まれている1人の女性だった。
       3
     通信事業部の若宮さんのように、理系の中途入社者はここ2~3年で急増した。それまでの情報誌の出版事業を中心とした業態から、通信、コンピュータを加えた総合情報会社へと業態拡大したことによる。
     1985年4月1日、日本の通信事業が自由化された。電電公社が民間企業NTTとなり、当社はNTTが持つ高速デジタル回線を申請し導入した。自社で使用しても余る回線を、そのまま活用しないでおくのはもったいない。
    「みんなで分け合えば安いですから、ぜひ使ってください」
    これだけの営業トークで通信事業をスタートさせた。それから3年、事業は誰もが目を見張る成長を遂げた。
    「通信ネットワークの構築は、単なるコスト削減の実現だけでなく、経営戦略の一端を担う重要な仕組みづくりです」
    企業インフラになり得る通信ネットワークに、強い使命感を持って活動してきた営業部隊。それを支え、確かな技術を持てるまでに育った技術者たち。両者の努力の賜物だ。私たち社内報編集部員は、社内の動きを記録し続けた。
    さらなる夢が広がっていた。回線を単にリセールするだけではなく、情報そのものを処理、加工して付加価値を生み出す情報通信ビジネス。たとえば、NTTや日経新聞と共同出資して設立した地図情報会社や、強志さんが語っていた自動検索システムとの融合は、実現したら社会の根幹をなす公共インフラになり得るだろう。
     助っ人として中途入社した者の中には外国人も多かった。ベネズエラ出身のアントニオさんは大学院で溶鉱炉を研究した後、他社で構造解析のためのシステムを作っていた。そこで当社のスーパーコンピュータの存在を知り入社した。
    日本人の奥様を持ち、流ちょうな日本語を話す彼に、当社で何をしたいのかをインタビューした。
    「第五世代コンピュータと言われているAI(人工知能)と、バイオコンピュータの混合です。AI、分かりますか」
     ラテン人らしい陽気さと、人なつこい笑顔で私に尋ねた。初めて聞く言葉に「分かりません」と正直に答えると、
    「いままでのようにプログラムに逐一データを入れなくても、話しかけたり、写真を見せたりするだけで、自分で判断する〈生きているコンピュータ〉です」
     正しい日本語でゆっくり話してくれた。でも、つい最近まで手書きで原稿を書いていた私にとって〈生きているコンピュータ〉など想像の域を超えた。むしろ映画『ET』のような宇宙人の方が頭に描ける。瞬きだけして無反応な私に諦めたのか、アントニオさんは別の夢を語り始めた。
    「超LSI(大規模集積回路)やケーブルなどを使わずに、光を曲げて伝達できないか、とか、プラスチック樹脂の科学的変化と、機械的変化を組み合わせられないかなどを、考えています。これができるようになると、SFに出てくるようなロボットが作れるのです。爆発的なすごい発明です。僕はこの会社なら、それができると信じています」
    私の頭の中は『ET』の宇宙人から『スターウォーズ』のR2-D2に変わり、目の前にいる、痩せて背の高いアントニオさんはC3POに見えた。口から出てくる言葉は理解できなかったが、頬を紅潮させながら話すときのアーモンドのような瞳が、未来に続く道を見つめていることは感じ取れた。
    また、コンピュータを所持しないが利用頻度の高い会社や、持ってはいるが容量オーバーの会社に、当社のスーパーコンピュータを時間貸しで使ってもらおうと営業する部隊が新設された。電算室員や強志さんのようにコンピュータに強そうな人が、この事業にシフトされ、強志さんは通信ケーブルを利用してアメリカで夜間に利用されないコンピュータを昼間の日本、特に銀行での利用を推進する部隊に異動していた。
    その部署に、アメリカ人のボブさんが中途入社した。彼は背が高く、栗色の髪に精悍な顔立ちでモデルのようだった。強志さんは、「ボブと一緒に六本木に行くと、きれいな女の子をナンパしやすい」 
    と喜んでいた。そのボブさんに入社理由を尋ねてみた。
    「僕が入社前に気になったのは女性の立場です。男性と女性の立場が全く同じで差別がないなら、そこに外国人が入っても差別されないと思いました。他の企業だったら男性と女性に同じ実力があっても、男性の方が先にポジションは上がります。なぜなら日本では男性が優位だから。でもこの会社は平等だ。実力があれば、外国人にも平等に立場が与えられると考えました」
     男性も女性も外国人も、大卒も高卒も健常者もそうでない人も、当社には差別がない。細やかな気遣いができる女性は手書きのお手紙作戦や、大胆な発想でお客様の信頼を得た。屈強な筋肉を持つ男性は分厚い情報誌の束を両手に抱えて書店を回り、繊細な文章が書ける男性は女性誌の編集部で活躍し、車いすで移動する社員はシステム開発で明晰な頭脳を生かしてプログラムを作った。それぞれの得意分野や個性を発揮して働いていた。
    企業は利益を稼ぐことで、雇用を生み出せる。雇用が生まれると、採用活動をする。採用していろいろな人が集まると、多様化が進む。多様化が進むと、さまざまなアイデアが出てくる。アイデアが出ると、それが新しい事業につながり、その事業がイノベーションを生む。これは健全な経営の循環だ。
    差別なく多様な個性を持つ社員を集めた社長は、次々に新しい事業を興し成果を上げ、資金を増やし、優秀でユニークな人材を集め、最先端のスーパーコンピュータをアメリカから購入し、ニューヨークのスタッテン島と大阪にも配置した。首都圏では川崎の再開発地域テクノピア地区に、インテリジェントビルを建てようとしていた。
    まるで森の中で湧き出た水が1つに集まり川となり、広大な海へと続く道筋を作るようだ。鳥の歌声や樹々のせせらぎ、花の香りに見送られ、悠然と流れていた川。
    ある日突然、豪雨にでもあったように水嵩を増し、周囲の大地を削り、水しぶきを上げて岩にぶつかり、渦を巻く激流と化す。その流れの先には、巨大な滝つぼが待ち受け、真っ逆さまに落ちて叩きつけられることも知らずに。
       4
     1988年6月18日は土曜日だった。
    前日の深夜に、翌月1日発行予定の『あおぞら』7月号の再校戻しを終え、週明けに印刷会社から色校正紙が出てくるまで、つかの間のほっとできる週末だった。
    10時頃に起きて雨戸を開けると、いまにも泣き出しそうな灰色の厚い雲が覆いかぶさっていた。廊下に出ると庭の赤紫色のテッセンが6枚の花弁を開き、恨めしそうに空を仰いでいるのが見えた。その足元で父が芝生の手入れをしていた。私はパジャマ姿のまま、廊下から庭に向かって声をかけた。
    「おはようございます」
     父は顔を上げると、挨拶には答えずに言った。
    「新聞を見てみろ。おまえの会社、大変なことになっているぞ」
     急いで台所に向かい、テーブルの上にきちんと畳んで置かれた新聞を広げた。社会面トップに、鍵カッコと太ゴシックで強調された会社名が目に飛び込んだ。続く文字は、
    〈川崎市誘致時 助役が関連株取得 公開で売却益1億円 資金も子会社の融資用地払い下げ 市長名で要請〉
     なじみのない難しい言葉が躍っていた。本文を読むと、
    〈株に絡んだ政治家の資金作りが問題になっているが、今回、革新自治体の最高幹部が手を染めていたことが明るみに出たことで、波紋を広げそうだ〉と書いてある。
    「どういうこと?」
    独りごちると、後ろから父の声がした。
    「おまえの会社は未公開株を川崎市の助役に渡して、川崎の土地の取得に便宜をはかってもらった。助役は株式が公開されたことにより、渡された株券で1億円を儲けたんだ」
     確かにインテリジェントビルを作っていた。新事業のために次々と購入した巨大コンピュータを一堂に集め、冷却装置など最新の設備環境を整えたコンピュータセンターだ。
     株式公開した関連会社はゴジラの専務、友田さんが社長を務める不動産事業会社。交通の利便性は多少悪くても、私のような普通のサラリーマンが購入できるようにと、良心的な価格で販売している。
    「どこが悪いと言っているんですか」
    「役人に賄賂を渡して、便宜を図ってもらうのは、贈収賄だ」
    「記事には〈波紋を広げそうだ〉と伝聞・推測の文章だけで明確な〈贈収賄〉の文字は書かれていないですよ」
    「裏付けのない記事を全国紙の新聞が書くわけがないだろう。これから明らかになっていくに決まっている」
     父は当社が賄賂を渡したと、決めつけている。
    「女子社員を深夜まで働かせるおまえの会社は、労働基準法すら守らない会社だ。裏で何をやっているか分かるものか」
     ブチッと音を立てて、私の堪忍袋の緒が切れた。
    「私たちは人材採用や暮らしが良くなる情報を提供して、世の中の役に立つ仕事をしています」
     いつもは黙って聞いているだけだが、この日の私はおそらく初めて父に口答えをした。
    「国民のための仕事というのは、実態のある堅実な、重厚長大の会社がしていることだ。おまえの会社のような虚業の、軽薄短小な会社とはわけが違う」
    〈軽薄短小って何よ? 仕事に重いも軽いもないはず〉
    「いいえ」
    私は2発目のジャブを撃ち返そうと拳を握り、きっぱり否定した。
    「お父さんも、ちーちゃんも、朝からやめなさい」
     母の仲裁が入った。父も押し黙ったので私は、
    「八重さんに電話してくる」
    力いっぱいガラス戸を開け、台所を飛び出した。
    リビングに置いてあるレースの電話カバーを外し、10個の数字が並ぶ黒い輪を回すと、八重さんは1回の呼び出しで受話器を取ってくれた。
    「お休みのところすみません」
    「ちーちゃん、新聞記事のことね」
    「はい、ちょっとびっくりしちゃって」
    「大丈夫よ、いま社外広報チームが動いているから」
    「出社したほうが良ければ、いつでも連絡をください」
    「ありがとう。たいしたことないと思うから、ゆっくり休んでいて。月曜日には色校が上がって来て、また忙しくなるでしょう」
     八重さんの声は穏やかで、いつもと変わらない優しい笑顔が電話の向こうに見えるようだった。
    でも実際のところ八重さんは、朝4時に広報室の緊急連絡網で朝刊の記事に載ることを知らされていた。事実が判明するまで、私たちに心配をかけまいと盾になってくれていたことを、あとになってから知った。
     リビングと壁を1枚隔てた台所で、父が聞き耳を立てているのが分かった。
    「心配いらないって」
     ガラス戸を開けた私に父は「そうか」とだけ言い、コーヒー豆をミルに注ぎハンドルを回し始めた。挽かれた豆の香ばしさが漂うなか、私はわざと紅茶を淹れた。
     
     初めて父に口答えしたことで、いままで胸の底に貯めて発酵された炭酸ガスが、コルク栓を吹き飛ばすほどに溢れてきた。朝食が終わり食器を洗っていると、父が外出した。それを合図に和室で縫物をしている母のところに駆け寄った。
    「お父さんたら、ひどいわ。うちの会社が役人に賄賂を渡したって、決めつけている」
    「そうね」
    「お父さんだって、どこかの業者から何か、もらっているんじゃないの?」
    「それはないわね。そのくらい融通が利く人だったら、もっと出世していたわよ。ちーちゃんのアルバイトも自由にやらせただろうし」 
    「思い出したわ。『公務員の娘が飲食店でアルバイトをして問題を起こしたら、公務員全体に迷惑がかかる』って、訳の分からない理由で、やらせてもらえなかった」
     お酒を扱う店ではない、喫茶店でさえ「ダメだ」と言われた。
    「お国のために働く国家公務員以外、仕事ではないと思っているのよ。そんなのって、民間の仕事を差別している。サービス業だって何だって、世のため人のための仕事よ」
     畳の上に正座して和服を広げ、針を動かす母の隣で、雪見障子を上げた先に見える芝生に向かって座布団を投げつけた。そんな私の横で母は手元から目をそらさずに、
    「お父さんだって、日本を良くしたいという強い思いがあるから、薄給の公僕として政治家に振り回されながらも、頑張っているのよ」
     娘よりも、30年近く連れ添った夫の肩を持とうとした。
    「偉そうな態度が嫌いよ。私が残業して帰ってくると『おまえは会社を背負っているつもりか』なんて説教していたくせに、お父さんだって『日本を背負っている』つもりでいるじゃない」
    「お父さんの世代は、みんなそう思って働いてきたのよ。多感な時期に敗戦を体験しているから、何とか日本を良くしたい、ってね。そうすることが、戦争で死んでいった人たちへの慰霊になるって」
     父は16歳になるとすぐに志願して横須賀の海軍に入隊した。幸か不幸か1年も経たずに終戦を迎えた。母は長兄を南方戦線で亡くしている。そんな母の手元を見て、
    「何を縫っているの? いまは戦時中じゃないんだから、着物に当て布を縫いつけるような、貧乏くさいことをしなくてもいいんじゃない?」
    「そうね、当時は継ぎはぎだらけのモンペを履いていたわね」
    父と違い、母は否定せずに「そうね」と受け止めてくれる。でも口端に息が漏れていた。食べるものにも事欠く時代を思い出していたのか。モノが溢れる時代に育った娘に、何を言っても分からないだろうと、諦めのため息だったのか。
    「これは居敷当てといってね、破けたから縫っているんじゃないの。破けないように、お尻のあたりの縫い目を覆うように縫い付けているのよ。下着の透け防止にもなるしね」
     そういって針を赤いフエルト地の針山に刺し、両端を持って広げて見せてくれた。
    「居敷当て? そういえば私の浴衣にも腰のあたりに同じような当て布があったけど、破けていたわけではなかったのね」
    「昔の人は賢いから、裂けやすい場所には予め手当をしておくのよ。この布は亡くなった太一兄さんの白絣。おばあちゃんの行李を整理していたら出てきたの。死ぬまで大事に取っておいたのね」
     長兄のぬくもりを探すようにゆっくりと布を撫でていた。
    「ちーちゃんが結婚して、子どもが生まれて男の子だったら、坊やのために裁ち直して、浴衣を縫ってあげるわね」
    「そうね」
     私も母の言葉を否定しなかった。結婚するかどうか分からないし、ましてや母親になるなんて想像すらできなかった。でも次の世代にちゃんと伝えなくてはいけないことがあると、それだけは分かった。
    床の間の鉈籠には、庭に咲く紫式部の穂が一枝、生けられていた。
       5
     両親の心配をよそに、新聞記事が出た翌週、月曜日の朝は何事もなく平穏に過ぎた。私は八月号の準備を始め、午後からは社内取材に出かけた。
    その日、スタンフォード大学などアメリカ東部の大学から19人の学生がインターンシップ生としてやって来た。彼らを3週間ほど各部署で受け入れる。留学生たちの到着の様子をカメラに収め、受け入れる側の準備の様子を聞いてきた。
     夕方、長い会議から戻って来た八重さんから「ちょっと、集まって」と声がかかった。
    「土曜日の朝刊に出た記事の件だけど、みんなには心配をかけたわ。おうちの皆さんも心配なさったでしょう」
     いつも家族のことを大切に考えてくれる八重さんは、両親へのねぎらいの言葉から話を始めた。
    「株の件だけど、経理部の出村さんが証券会社に確認したところ、上場前の株譲渡に違法性はないそうよ。証券業界ではよくあることなんですって」
    「あー、よかった」
     慶子さんが声に出して安堵を口にした。婚家から心配の声が上がっていたのかもしれない。
    「川崎テクノピアへの進出は、土地の所有者である公団から先に、当社に話があったの」
    八重さんは続けた。
    「開発のための土地で、駅前の敷地は提供先が決まっていたけど、残った土地は形状が悪いうえ、住宅にするには不向きな南北に細長いの。以前に当社が研修施設用に物件を探していたことを川崎市は覚えていて、それで声をかけてくれたというわけ」
     慶子さん、晴美さん、私は1つ1つ納得しながら八重さんの言葉に耳を傾けた。
    「でもそのときは断った。当時の川崎はまだダーティなイメージが根強く残っていたし、物件の規模から難しいだろう、という理由で」
     3人とも固唾をのんで八重さんを見守った。
    「ところが、うちで情報処理のニーズが急増し、将来的にコンピュータスペースを供給するビルはいろいろな可能性があると考え直し、そこから購入に乗り出したの」
     八重さんは土地取得の経緯や今後の利用方法など、経営層だけが知るような情報まで、私たちに包み隠さず話してくれた。それでも念のために私は、
    「法的に問題がないなら、新聞や週刊誌が騒ぐこともなく、そのうちに収まりますね」
     確認するように聞いた。八重さんは口元をゆるめてうなずいた。それを合図に私たちの緊張もほどけ、五角形の机を囲むみんなの顔に笑顔が戻った。
    忘れた頃にやってくる小さな地震のように、一時は注意喚起に大騒ぎするが、すぐ日常に戻る。川崎市の新聞報道もやがて収まるだろうと楽観的に考えていた。
    ところが、週末に激震が走った。眠っていた活火山が噴火したように凄まじく、立っていられないほどに揺れた。テレビをつければ当社の名を連呼され、未公開株の譲渡先として政治家の名前、それも永田町の中枢にいる大物政治家の名前が次々と暴露された。
    「こんなに有名な政治家たちに未公開株を譲渡したということは、それだけ親密な付き合いがあったということなの?」
     八重さんも驚いていた。社長の人脈の広さは想像できるが、譲渡の目的は全く見当がつかなかった。何か、便宜を図ってもらうようなことがあったのだろうか。
    7月に入ると、登場してくる政治家の名前は元首相や現役の蔵相、幹事長など要職に就く人たちが加わってきた。彼らは秘書名義で未公開株を購入している、と報道された。
    「柴崎さん」
     エレベーターホールの横にある階段から、総務課長が一段飛びで駆け上がってきた。
    「東京地方検察庁の特捜部が動き始めたと聞いたのですが、本当ですか」
    「本当だ。『未公開株の譲渡リストを提出しろ』と言ってきたから、誰に、いつ、何株を渡したか、いま、リストを作っているところだ」
    「東京地検が動くということは、やはり」
    「心配するな、日本は法治国家だ。違法でなければ罪に問われることはない。マスコミが面白おかしく騒ぎ立てているだけだ」
    「そうですか、お忙しいところお引止めして、すみませんでした」
     御礼を言って、柴崎さんの背中を見送った。でも不安の雲は晴れなかった。
     私が柴崎さんに質問したように、私たち社員にはマスコミ報道からしか、情報が入らない。本社から遠く離れた地方拠点や、営業所にいる人たちの不安はいや増して大きい。同期や社内の知り合いから、あおぞら編集室にはひっきりなしに電話がかかってきた。
    「いったい何が起きているんだよ」
     同期で営業の津田君に詰め寄られた。でも八重さんや柴崎さんから聞いたことしか、私には答えることはできなかった。逆に、私の方から「現場はどう?」と聞くと、
    「最初は〈大変だね〉と気の毒そうに言われたが、そのうち〈儲かっている会社はいいね〉と皮肉や嫌味が混じるようになり、最近は〈お宅の会社、どうなっているんだ〉と完全に悪者扱いだよ」
    やり場のない怒りをにじませながら答えてきた。販売部の聡子も、書店やキオスクの販売員さんからのクレームに、
    「なぜ、私たちはこんなに責められなきゃいけないの?」
     語気を荒げて疑問を口にし、下唇を噛んだ。
    スーパーコンピュータの時間貸し部門に、ボブさんと一緒にいる強志さんからは、
    「自分の会社のことを社内ではなくマスコミから先に知らされるって、どういうこと? 広報室は何をしているんだ?」
    と、お叱りを受けた。
     世間の人たちは12年前の、アメリカの航空機メーカーから30億円もの資金が日本の政財界にばらまかれ、現役の総理大臣が逮捕された事件と重ねていたのかもしれない。この汚職事件の記憶が残像として、今回の未公開株の譲渡に重なっている気がした。
     
     7月6日、梅雨の中休みのような晴れの日が続いていた。
    忙しい社員のために少しでも季節感を感じてもらおうと、受付・電話交換を担当する女性たちが、本社一階の受付横に、色とりどりの短冊を付けた七夕飾りを置いていた。
    夜9時過ぎ、本社内には全社アナウンスが流れた。スピーカーから軽やかなベルの音が流れたあと、いつもなら受付交換の若い女性の声が聞こえてくるが、この夜は低く野太い柴崎さんの声だった。
    同じ頃、営業所の所長および課長以上に持たされているポケットベルが一斉に鳴った。社内、所内で残業している人もいたが、自宅に帰りくつろいでいた人もいた。
    万歩計のような横長の画面には数字しか表示できないポケットベルは、電話をかけて用件を聞く必要がある。出先にいた人は周囲に公衆電話を探して会社に電話した。
    「緊急マネジャー会議、23時本社11階ホール集合」。
    深夜の本社ビルには続々と課長以上が集まった。その数600人。無言でエレベーターホールに向かう人々は、誰1人として七夕飾りに目を止める人はいなかった。
     あおぞら編集室には夕方からずっと席を外していた八重さんが戻って来た。8月号の原稿整理をしている私に向かい、能面のように血の気の失せた、表情のない顔で言った。
    「23時のマネジャー会議後、役員に残ってもらい座談会、そのあとは社長に単独インタビューをすることになったから、ちーちゃん、座談会のテープ起こしをしてくれない?」
     充血している目元が心なしか光った気がして、私は事の重大さを悟った。八重さんは抱えた資料を机に置くと、すぐにまたどこかに姿を消した。
    「お母さん、私、今夜は帰れない」
     八重さんが深夜タクシー代を承認してくれるので、どれほど遅くなっても自宅に帰っていた。でもこの日は会社に泊まることにした。寝ずに待っている母と金剛力士像の形相の父に「若い女子が外泊なんて」と、叱られるかと身構えた。ところが母は、
    「ご飯は食べたの? 食べられるときにおにぎり1個でもいいから、おなかに入れておきなさい」
     それだけだった。拍子抜けしたと同時に、母のひと言ひと言が胸にしみた。しみて血液と一緒にからだ中を巡り、母の言葉がおにぎり以上の力になった。
       6
     午前2時、社長辞任を了承した役員たちによる座談会を録音したテープは最悪だった。ぼそぼそと低い小声で話すので、何を言っているのか、聞き取ることができない。人数も7人と多く、発言者の区別がつかなかった。八重さんはテープと資料を置くと、社長インタビューに行ってしまったので質問できない。テープの回転速度を落として何度も巻き戻し、イヤホンも変えてみた。それでも聞き取れない箇所は黒丸にして、あとで八重さんに補足してもらおうと腹を決めた。一刻も早く、役員たちの発言を文字に起こさなくては、と気持ちが急いていた。
    テープは役員たちの無念な思いから始まった。
     辞任を思いとどまるようにと、何度も強く引き留めても、社長の意思は強固で「自分のことよりも、会社を守りたい」。その一点張りだったと悔しそうに語る。
    川崎の土地取得の経緯が語られ、続いて財務経理担当の役員が何度も言いよどみながら語り始めた。
    「11月になると、通期の売上と利益の予測をします。翌12月には賞与を決める時期ですが、その年の決算見通しは間違いなく〈減益〉を避けられない状況でした」
    そのときのことは私も覚えていた。
    『あおぞら』でも「経費節減」の特集を展開して社員に呼び掛け、「期内の納品完了を徹底しよう」と経理部がポスターを作成して、営業部の壁に貼っていた。ある晩遅くに、私は8階南ウィングにある部署で原稿を集めていた。回収し終わり、向かいの北ウィングを見ると、社長がオフィス内の電気を消して歩いていた。何をしているのか不思議に思い、こっそり後をつけてみると、そのまま階段で9階に上がり、同じように電気を消していた。
    「社内報やポスターでの呼びかけを、社長が実践してくれている」
    呑気な私はうれしくなったのを覚えている。
    でも事態はそんなに悠長で単純なことではなかったのだ。社長には切実な問題だったことが、テープを通して語る財務経理役員の沈痛な声を聞いて、初めて理解した。
    窓の外は孤独という名の悪魔が、両手いっぱいに黒いマントを広げて、何も見えないように覆っていた。その闇の中で背中を丸めて階段を上る社長の小さなうしろ姿が、ぽっかりと浮かんで見えた。
    「それだけやっても、増益になる見通しがないことがはっきりしてきたので」
     財務経理担当の役員が、一瞬の間を開けて決意したように続けた。
    「『株式の売買益をもって増益にしましょう』と、私のほうから提案したのです」
     驚きにペンを持つ手が止まり、顔を上げた私の目に外堀通りを走るタクシーのヘッドライトがストロボのような閃光を放って通り過ぎた。
    「その結果、12月末に2回にわたって株式を売却したことで、14億円近い売却益を上げて、決算上、増収増益ができました」
    株式の売却は、やむにやまれない状況を打破するための資金調達の手段だった。創業期から金庫番として社長と苦楽を共にしてきた役員の告白が終わると、その消え入るような語尾に続けて、少し若い声が聞こえてきた。おそらく新社長に指名された人だろう。
    「周囲への影響や、社会とのバランスへの考慮が欠けていたことが今回の問題です」
     すると、次は少し高めのトーンの人が、
    「社員に対してマナー向上を言っているが、経営的なスタンスにおいてわれわれが〈よし〉と信じてやっていることが、社会の中では〈変に見える〉ことがあったのでは」
     役員たちは、それぞれが自分の役割の中で、反省すべき点を認めていた。
    良い方向に変えていくには内部、あるいは外部に批判者を持つことはつねに必要であり、そこで学ぶことを確認し合った。
    そして社長がいなくなっても、良い会社にするために自分たちは責任と決断をもって総力をあげて実行するんだ、という決意の表明で座談会は終了した。
     聞き取れない箇所の黒丸は、ワンピースのドット柄を思わせるほどたくさんできた。とりあえず書き上げた。漆黒に塗り固められていた窓の外は空気がゆるみ、ターナーが描く風景画のように、街の輪郭を消しながら青と紫の絵の具をにじませていた。
     私はパソコン通信『だいすき』を開いた。新卒採用事業部の課長が1文を書いていた。
    「いま、緊急マネジャー会議が終わりました。社長が辞意を表明され、今夜の取締役会議で了承されたということです。マスコミを騒がせたことに対する責任を取られたとのことですが、私は大変残念です。この無念を何としても、事業の飛躍的な向上で晴らしたいと思っています」
     送信時刻は0時28分だった。このメッセージの下に、私もいま思っていることを書いてみた。
    「朝の5時半を回ったところです。緊急マネジャー会議で発表されたことはとても悲しいです。でもあおぞら編集室では八重さんを中心に『緊急特別号』を作成しています。
    テレビ・新聞など外からの情報しか入ってこない私たち従業員に、社長、役員はメッセージをくれました。それをきちんとした形でお伝えしたいと思います。社長は何よりもこの会社を愛し、ここで働く皆さんを大事に思っておられます。社長の生の声を早く皆さんにお届けしたいです」
     窓から差し込む朝日はまぶしかった。雲1つなく晴れ渡った空を見上げながら、今夜、彦星と織姫が出会えることを願った。
    そして奇しくもこの日、『あおぞら』が全国社内報コンクールで総合最優秀賞を受賞した。東京商工会議所で行われた授賞式に編集長の八重さんの姿はなく、一番喜んでくれるはずの発行人は、2度と本社ビルに戻ることはなかった。
       7
     梅雨の晴れ間は長くは続かなかった。
     厚い雲にぶら下がるようにヘリコプターが飛び、本社ビル前には大勢のマスコミがカメラを抱えて待っていた。八重さんは、
    「マイクを向けられたら、けっして逃げずに自分の意見をはっきり言いなさい」
     と、私たちに言った。事件の対応チームが発足し、そのヘッドとなった広報担当常務も「はっきり応答するように」と、社員に伝えていた。
    対応チームは独自に事実の把握をしようとしていたが、誰1人、何も知らなかった。創業当時から社長を支え夜汽車に乗って一緒に地方の会社を訪問していた森中専務さえも、社長から何も聞かされていなかった。
    だから、マスコミから取材を受けても答えられないのだ。拒否していたわけではない。
    現役社員の声を撮れないとなると、マスコミは元社員を探し出し、その人にマイクを向けた。部屋の一室に座った元社員なる人物は、音声を変えて発言し、後ろ姿や手元の画像がテレビで流れた。
    「残業は恒常的で明け方まで仕事をし、そのまま床に転がって男女が一緒に寝ていた」
     いかにも自分は被害者であると強調して、マスコミが飛びつきそうな、アンモラルなことを匂わせる発言をしていた。
    女子社員の宿泊には「あおぞら荘」という2段ベッドの仮眠室がある。男性社員と一緒に床に転がって眠ることはない。同期の聡子から内線電話がかかってきた。
    「いま、ワイドショーで発言している人、住宅事業部の制作にいた中山よ。新橋のガード下で見かけたでしょ」
     強力な競合誌の出現で、社内が一丸となって対抗していたときに、仲間を引き連れてその孫会社に移った人物だ。
    「元社員じゃないわ、元アルバイトよ。そんな人が偉そうに、残業手当は出ない、労働環境は劣悪だなんて、嘘ばっかり言っている。無駄な残業して残業代を稼いでいたのは誰よ。中山自身よ。許せないわ」
     聡子は話すほどにヒートアップして、最後は叫びにも近かった。
     八重さんに報告した。と同時に私は事件発覚以来、不安に思っていたことを相談してみた。情報公開に関することだ。
    社員・アルバイトの区別なく、決算数字まで社内報『あおぞら』で公開しているが、マスコミに身ぐるみ剝がされるような事態になると、果たして情報公開は良いことなのか、今後は掲載する情報を制限した方が良いのではないか、そう考え始めていた。すると八重さんは、
    「情報の公開と共有は、うちの会社の良いところよ」
     会社を信じ、社員を愛して社内報を作り続けてきた人は、きっぱりと言い切った。社長が「営業数字や経営情報は新入社員に至るまで、みんなが共有しよう」と、壁新聞から始めた社内報。その方針は編集長によって17年間、一貫して守られてきた。
    「情報公開主義は多少のリスクがあっても、続けていくべきだと思うわ。どの企業でも一定数の割合で従業員は辞める。情報を持って辞める。円満退職した人ばかりとは限らない。だから情報は外に漏れる。どんな方法を取ったとしてもね」
    親鳥が口を開けたひな鳥に餌を噛んで含むように語った。最後に力を込めて言った。
    「情報を制限するのではなく、漏れたら困るような情報を作らないように努力するほうが大事よ」
     親鳥の矜持を見たひな鳥は「それが最大の守りだ」と腹に落ちた。社内に響くファックスの単調な音さえも、ピーヒャラ、カタカタ、祭囃子の篠笛と拍子木のように、私たちを元気づけてくれているようだった。
       8
     ある日、事件対応チームのメンバーである社外広報の浅野さんが大きな上背を張り、さらに肩を怒らせて大股で秘書室から出てきた。手にした書類を机に叩きつけ、椅子にまで八つ当たりするように、ドスンと腰を降ろした。
    社外広報チームは全員が出払っていて不在のため、週刊社内報チームの夕子さんが、浅野さんの様子に気づき、アイスコーヒーをグラスに入れて運んできた。
    猛獣使いのような夕子さんは、どんなに獰猛な動物も、わがままばかり言う小動物の困ったちゃんにも笑顔で接して、いつの間にかその人を和ませる。八重さんによく似た包容力を持っていた。
    「僕は反対したんですよ、夕子さん」
    「どうしたの?」
     隣に座り、母親が子供の背中をさするように尋ねた。
    「最初に〈川崎市の助役、関連株取得〉と報じた新聞社が、2カ月前に週刊誌を創刊したんです。その週刊誌から単独取材の申し込みがあったんですよ」
     浅野さんの怒鳴るような声はフロア中に響いた。その声に自席で万年筆を走らせていた八重さんの手が止まった。
    その週刊誌は創刊前に出版担当専務と編集長が見本誌を持って、社長のもとに挨拶に来ていた。そのとき社長は「『らぼらーれ』のような薄い紙質を使うといいですよ」とアドバイスしたと、雑談中の八重さんに伝え、傍らにいた私も聞いていた。
    「インタビューに応じれば、事件の報道を撃ち方やめにする、と言ってきたそうです。疑惑報道の端緒を切った新聞社が、ですよ」
    新聞社への不信感が、浅野さんの声をひときわ大きくさせた。
    「僕らは『応じてはいけない』と、大反対しました。でも『面識のある出版担当専務から〈報道は終わりにする〉と、確約を取ったから』と、社長は受けてしまったんです」
     社長は自分が辞任をしてもなお、マスコミの報道が続き、政治家の名前が暴露されていく状況下で、これ以上の事件の広がりを防ぎたいと考えたのだろう。
    「ところが取材場所に行ってみると、週刊誌の編集長だけではなかった。川崎市を担当する横浜支局の記者、社会部次長ほか6人、カメラマンは4人。社長が信じていた出版担当専務は、来ていないんです」
     浅野さんがドンと拳で机を叩くと、アイスコーヒーの入ったグラスの氷が、音を立てて飛び跳ねた。
    「これは罠ですよ。おいしい餌で釣り、黙ってついて行ったウサギは、まんまとずる賢いキツネの罠にかかってしまった」
     浅野さんは悔しさをにじませ、吐き捨てるように、
    「社長は甘いんですよ、人を信じ過ぎる、だから」
     言い終わる前に、
    「浅野さん!」
    夕子さんがぴしゃりとたしなめた。普段大声を出すことがない人の声に、臆病なねずみが猫に見つかったときのように驚き、小さく「すみません」と言って口を閉じた。
    八重さんが閉じていた目を開け、ポツリと言った。
    「サービス精神が旺盛な人だから」
     社長にとって、未公開株も自社農場で収穫されたさつまいもも、同じ代物だったのだ。目の前にいる人を喜ばせたい。それだけの思いでプレゼントを差し上げたにすぎない。長く社長を知る八重さんの声は、そう言っている気がした。
     対応チームのヘッドである常務も、社外の人から「社長はピュアな人だ。傍から見ていても、意図的なことを考えてやったことではないと思うよ」
     と言われたと、話してくれたことがあった。
     くだんの週刊誌が発売された。記事のタイトルは「政治家への譲渡、否定せず」。事件の報道を撃ち方やめにするという確約は反故にされた。政界の悪人探しは留まることを知らず、各紙、各局が連日連夜、暴露合戦を展開し続けた。嫉妬、憎悪、偏見が黒い渦となって、紙面や公共の電波を通じて日本中を席捲していた。
    社内では「記者はまるで刑事のようだ」「誘導尋問だ」「社長が気の毒すぎる」と、浅野さんと同じように反応する人が大半だった。
    それでも中には「公の場に出たのは間違いだ。もう少し沈黙を守るべきだったのでは」「迷惑をかけた方々に対して謝罪の気持ちを伝えたかったのだろうが、むしろ強調してしまった」という意見もあった。
    理不尽な仕打ちに声を上げようにも、何を言っても誰も聞く耳を持ってくれなかった。〈知らない〉ことは必要以上に、人の心に不気味さと警戒感を、根付かせ増大させる。比較にはならないが私も審査室の仕事をルミさんから聞いたとき、女性が同席する飲食店を知らないというだけで、ハリネズミのような警戒感を持った。何をしているのか分からない会社を、もっと知ろうとはしない。むしろ排除したいと、誰もが思うのだろう。
    せめて社内では、私たち広報部員が知っていることは公開し、社員には率直な意見を言ってもらい、不満や不安を吐露できる受け皿になれたらと、そんな思いで社内の声を聞いて回った。
    そんなとき、さらなる事件が起きた。
       9
     8月11日、赤報隊と名乗る団体が、南麻布の社長宅に銃弾を撃ち込んだ。
     幸い奥様も2人のお嬢さんも別の場所に避難していたおかげで、けが人はいなかった。
    でも社内の動揺は大きかった。なぜなら赤報隊は、昨年、疑惑報道の端緒を切った新聞社の阪神支局で、記者2人を殺傷する事件を起こしていたから。この日、社長宅だけでなく、元総理の地元事務所と、現総理の実家にも脅迫状を送っていた。
     通信事業部の郡山アクセスポイントで管理をしている女子社員から、
    「本当に怖い。だって通信機器に散弾銃なんか撃ち込まれたら、おしまいだもの。もう祈るような気持ちです」
     という悲鳴のような書き込みが、パソコン通信『だいすき』に寄せられた。
    社長は持病の十二指腸潰瘍が悪化し、過度のストレスから自力で歩くことさえ困難な状態に陥り、毎年人間ドックを受ける病院に入院することになった。どんな巡り合わせか、入院したその病室は漫画家、手塚治虫さんが最期を過ごした部屋だった。
    4年前、映像事業部の役員の仲介で手塚治虫さんに、創業25周年を祝う記念事業として、アニメーション制作を依頼していた。ゲーテの『ファウスト』をテーマにすることまで、決まっていた。残念なことに、業績悪化で減益か否かの瀬戸際で、社長自らが夜の本社社屋の電気を消し歩いていた時期と重なり、この企画は断念せざるを得なかった。
     その病室で治療を受けていた社長をマスコミは容赦なく叩いた。「逃げた」「隠れた」と書き立て、テレビレポーターは仮病と決めつけ、病院前から中継放送を垂れ流した。
     美術史の授業で読んだ『聖書』の物語に出て来る場面に重なった。ローマの総督ポンティオ・ピラトはイエス・キリストの無罪を宣言したのに、ユダヤの祭司長たちは民衆を扇動して「十字架につけろ」と何度も激しく連呼させた。民衆は言われるままに「十字架につけろ」と、激しく叫び続けた。
    集団リンチのような報道に疑問を呈する記事が、新聞や週刊誌のコラム欄に出てきた。
    「スキャンダルのように扱い、法律的には問題にならない事件に関し、新聞をはじめとするマスコミはどこまで正義を主張できるのか」
    「来年4月に導入が検討されている消費税に関して、議論が白熱している税制国会ともからめて、事件にせざるを得ない背景があるのだろう」
     サンジョルディの日を仕掛けた販売部の佐光さんの秘書である聡子が『全国書店新聞』を持ってきてくれた。コラムには、
    「……しかし、これだけははっきりさせておこう。トップがどうでも出版関連事業の連中は、みんないいやつばかりだ。仕事はモウレツ、明るく、けんめいに書店のために役立つことを第一と心掛けて、日夜がんばってくれている。販売本部の部長以下の若い諸君よ、くさるなよ‼ オレたちはみな君らの味方だぞ‼」
     と書かれ、佐光さんはじめメンバーは男泣きしていたという。
     数少ない好意的な記事や「事件の本質は日米経済摩擦と消費税導入という政争に巻き込まれた」とする意見がある一方で、2000年前に扇動された民衆心理の利用と同じように、正義を盾にバッシングの嵐は吹き荒れた。
     
    連日もみくちゃにされながら、マスコミ対応をしていた社外広報チームの同期、昭子は体調を崩して退社することになった。
    「お疲れ様。ゆっくり休んで、まずはからだを元に戻してね」
     送別の花束を抱えた昭子を見送るため、私物を入れた会社のロゴ入り紙袋を受け取り、10階から1階まで一緒にエレベーターに乗った。以前、自社ファームで収穫したさつまいもを同じ紙袋にあふれるほど入れて、2人で10階まで上ったことを思い出した。
    「浅野さんにつかまって、さつまいもを4箱も運んだのよ」
     同期の気安さからどれだけ大変だったかを伝えようとしたが、昭子は私の顔も見ずに、
    「去年は私がその役回りをやったわ。今年は私が労働省と建設省に届けに行ってきた」
    とだけ投げやりに答え、周囲を遮断するように押し黙っていた。
    「最後だから言うけど」
     今日の昭子は周囲を遮断していない。重責から解放され心が軽くなっていたのだろう。
    「私、あんたの、その善人ぶった顔、嫌いなの」
    長いまつ毛がしっかりと上にカールした大きな目で、まっすぐに私を見て言った。
    「何か、私、悪いことを……」
     昭子の言う意味が分からず、しどろもどろでいると、
    「ヘラヘラ笑って『社員のため』なんて、気持ち悪いったらありゃしない。〈一生懸命〉なんてダサいのよ」
     導入研修のときと同じように、私が発する語尾にかぶせて大声で言い放った。エレベーターのドアが開き、私の両手から紙袋を引っ手繰るようにして出て行った。
     私の何が気持ち悪いのか、〈一生懸命〉は野暮なことなのか。言っている意味が分からなかった。
    「きっと過度なストレスが、からだと心まで疲弊させて、あんなことを言わせたのだ」
     閉まったドアの箱の中で階上ボタンを押せないままでいる私は、そう思うことにした。それでも数字が滲んで⑩の字が見えなかった。
     
    「泣きっ面に蜂」と、昔の人はよく言ったもので、蜂は3階からやってきた。その夜、広報室には私と、離れた席に社外広報チームの新人男性が残業していた。そこへ長い髪を一つに縛ったデザイナーの船橋さんがふらりとやって来た。
    「ここが吉田の職場か」
    「船橋さん、広報室へは初めてですか」
    「入社して10年近く経つが、10階は敷居が高いよ」
     五角形の机を1周し、八重さんの席の後ろに立ててある椅子を自分で広げて座った。
    「お茶でも」
     いつも来客にするように席を立つと、
    「いや、いらない」
     首を振り「座れ」と手で着席するように促した。
    「どうかしたんですか」
    「おまえのことで、よくない噂を聞いた」
     次の言葉が出てくるまでに長い沈黙があった。裁判官に判決を言い渡される前の被告人の気持ちって……。背筋を伸ばしながら、そんなことを考えた。
    「どんな……噂でしょうか」
    おなかに力を入れて、私の方から口を開いた。
    「社内を歩いて、みんなの話を聞いて回っているだろう」
    「それが仕事ですから」
     何が悪かったのか思い巡らしても見当がつかず、言葉に詰まった。
    八重さんから「地道に頑張る縁の下の力持ちを探しなさい」と、システムに詳しい強志さんからは「オフィスワーカーではなく、オフィスウォーカーになれ」と、助言され実行してきた。
    社内改善や問題提起を『あおぞら』誌面に掲載し、本音を語る座談会も数多く実施し、目立つヒーローも縁の下の力持ちも探し、皆さんに喜んでもらえるような記事を書いてきた……つもりだ。
    「経営の犬とか、スパイとか言っているやつらがいる」
    「スパイ? どういうことでしょうか」
     まったく身に覚えのないことだった。
    「おまえは社員のガス抜きのつもりで話を聞いているんだろうが、経営層に近い場所にいるエリートのおまえを見る目は、いろいろあるんだよ」
    「私がエリートだなんて、人違いでは?」
     船橋さんが発する言葉は、コンプレックスの塊の私とは対局だ。営業では一度も目標達成ができなかったし、父が希望する大学は落ちたし、初めて好きになった恋人には振られたし。八重さんのおかげで、少しずつ自信を持てるようになったのだ。人様から話を聞くときは、敬意の念を持って聞いてきた。少なくとも私はそう思っていた。
    「私の取材姿勢が傲慢だったということでしょうか。それとも話を聞くのはポーズだと思われているのでしょうか」
    夜の闇に1人で放り出され、迷子になった気分だった。時計の針の音だけが規則正しく聞こえた。
    「素直に『役に立ちたい』と、頑張っているおまえを知る人間は、傲慢だとかスパイのように嗅ぎまわって告げ口しているなんて、誰も思っちゃいない。特に俺は」
    〈嗅ぎまわる〉〈告げ口〉という動詞と名詞は、爆発物の鋭い破片のように心に突き刺さった。
    「では、何がいけないのでしょうか」
    「ポーズといえば、ポーズかもしれない。あまりにも素直に共感するのは自分に自信があるから余裕で人の話を聞いていると、勘繰る人間もいるということだ」
    「すごい人に『すごい!』と言うことが、ポーズだと?」
    「そうは言っていないが、空々しく聞こえるやつもいる。いろいろな感じ方、考え方をする人間がいることを覚えておけ。社内が不安定だと誰かのせいにしたり、誰かを血祭に挙げたくなる。だから気を付けろと、言いに来た」
     私は他人様の心の機微を分かってないのかもしれない。でもどうしたらよいのだろうか。その場を逃げ出したくなり、
    「ありがとうございました」
     と話を切り上げた。それ以上言うと、涙が出そうだったので、唇を強くひきむすんだ。
    そこへ八重さんが戻って来た。飲み会に誘われたら断ることなく出掛け、一次会が終われば編集室に戻ることはよくある。でもこの日の八重さんは飲み会ではなかったようだ。とても疲れた顔をして、重い空気を身にまとっていた。
    「ちーちゃん、まだいたの? 船橋さんも」
    「1件、知らせたいことがあったので。でももう終わりましたから、俺は失礼します。じゃあ吉田、気にするなよ」
     気にしないでいられるわけがない。でも、大人のお面を付けて、
    「はい、ご忠告ありがとうございました。気を付けます」
     そう言って目を伏せたまま、顔を上げられなかった。
    「ちーちゃん、どうかしたの?」
    「いえ、何でもありません。大丈夫です」
     小学生のとき、からだが弱くて欠席が多かった私は同級生にいじめられていた。でも子どもながらに親には心配をかけまいと、何も言わないでいた。そのときと同じように、疲れて仕事場に戻った八重さんに、余計な心配はかけたくなかった。
    「私もそろそろ帰ります。終電が近いので」
    「そう、お疲れ様」
    「八重さん、お手伝いできることはありますか」
    「少しだけ原稿を書いたら、私も電車で帰るから、大丈夫よ」
     弱々しい笑顔だった。八重さんも大人のお面をつけたのかもしれない。万年筆を走らせる八重さんに頭を下げ、エレベーターホールに向かった。
    扉が開き1人で乗り込んだ。数日前、昭子から言われた言葉が蘇る。
    「私、あんたの、その善人ぶった顔、嫌いなの。ヘラヘラ笑って『社員のため』なんて、気持ち悪いったらありゃしない。〈一生懸命〉なんてダサいのよ」
    かさぶたが乾いていない心に、船橋さんの言葉が突き刺さった。
    「おまえを経営の犬とか、スパイとか言っている」
    呼吸をするのも苦しくなり胸を押さえ、後ろの壁にもたれかかった。
    エレベーターの扉が開いた。扉の上のランプに数字の「⑤」が点灯している。驚いて、目にたまった涙がポロリとこぼれ落ちた。
    「お疲れ様」
     人の血を吸ったあとのような真っ赤な口が開き、同じように赤くて短い爪の指先が「閉」を押した。『らぼらーれ』編集長で常務の上川さんだった。
     一階に着くまで、上川さんは何も言わず、私の前で大きな背中を見せていた。そしてエレベーターが停止する直前の軽い揺れが起きたとき、振り向いて言った。
    「今月号の特集、面白かったわよ。良い文章が書けるようになったわね、新人さん」
     初めて会ったときと同じく、ソプラノに乗せて歌うような言い方で「新人さん」と呼ばれた。元原稿なしで校正ゲラを届けたときから4年の歳月が経っていた。相変わらず失敗ばかりしている自分。
    切れ長の目はあのときと同じように「これも成長の糧よ」と言っているような気がした。差し出されたハンカチに顔をうずめた私は、堰を切ったように涙があふれてきた。ハンカチは苦いレモンの香りがした。
     
    翌日、削りたての鰹節で出汁をとった母の味噌汁を飲んで、いつも通りに出社した。気持ちの切り替えはしたはずだが、社内を歩くのが怖かった。パソコン通信を開くことにした。そこには社長への激励メッセージが多く寄せられていた。それらはプリントアウトして、社長ご本人に読んでもらえるように秘書室メンバーに手渡した。
     通信技術部の若い男性社員からは、こんな書き込みがあった。
    「田舎の母(とてつもない田舎です)から電話がありました。『あんなに大きな会社だとは知らなかった。この会社を選んだあなたを信じています』と。僕は他の人も同じだと思う。われわれが選んだ会社です」
     同年代の技術開発室の社員は、
    「ボイスメールを使って、社長に励ましの声を送ったらどうか」
    と、提案し、翌日に具体的な方法を紙に書いて、あおぞら編集室に持参してくれた。その企画書も秘書室を通じて社長に届けられた。また別のベテラン社員からは、
    「最近なぜか、いままでしなかった社章をつけています」
     という書き込みがあった。どんなにマスコミに叩かれても、自分が選んで働いている会社が好きだった。社員たちは顔を上げて、目の前の仕事を一生懸命に取り組んでいた。
    「社会規範に反することは改めて、変わっていく当社を世間の人に見てもらおう」
    「業績を上げて社会的信頼を取り戻そう」
    「私たち1人1人がしっかりした行動をとっていかなくては」
     多くの社員が「もっと良い会社になろう」を合言葉に、業務に向き合おうとしていた。社内パソコン通信の掲示板に、自分の想いを書き込み、それを読む社員もいて、共感し、慰められ、安心した。
     それなのに、理解不能な、社員を裏切るような、新たな事件が起きてしまった。
     
    第四章
       1
     9月5日午後、八重さんから集合がかかった。
    都内の営業所に取材に出掛けていた私は、大急ぎで帰社してギリギリ6時に間に合った。広報室ではみんながテレビの前に集まっていた。
     定刻通りに、テレビのニュース番組が始まった。ここ最近のトップニュースは、来年4月から導入される消費税をめぐる国会での論争だった。でもこの日は違った。興奮を隠せない面持ちの男性司会者に続き、切り替わった画面は和室の1室で、野党の代議士の前に平身低頭して白い紙袋を渡している男性の姿が映し出されていた。
    信じられない光景だった。ドラマのワンシーンかと思った。
    でも、映っている紙袋は本社近くの洋菓子店のもので、黒縁の眼鏡をかけたその人は、間違いなく顔見知りだった。野党の代議士はこれ見よがしに、紙袋から札束を取り出してカメラの方に向けた。当社社員が国会での追及中止を求め、その見返りに野党議員に賄賂を渡す場面を、隠しカメラで撮ったものだった。
    「なんでこんなバカなことをしたんだろう」
     八重さんが絞り出すように、苦々しい思いを声に出した。
     青空を映す清廉潔白なガラスの塔は、薄いフィルムを剥がせば、汚濁にまみれた泥の塊に過ぎなかったのだろうか。
    テレビ画面から飛び出す1撃は、立ち直れないほどに強烈だった。社内でも不満の声が一斉に上がった。もちろん隠しカメラの使用という卑劣なやり方に対する怒りもあったが、それを凌駕するほどに、会社に裏切られたショックは大きかった。
    「こんなことをしていたのか」
    これまでの疑惑報道に社員たちは肩を落とし膝を折り、倒れそうになるのをお客様が支えてくれ、どうにか立ち上がり、顔を上げて目の前の仕事に向かっていた。そんな社員とお客様をも裏切る行為が、生々しく白日のもとに晒された。
    会社の社会的信用は失墜した。
    それからは「極悪非道」「諸悪の根源」「疑獄」「政商」と、目を覆いたくなるような文字が新聞に並び、批判報道があふれた。
     私たち広報室メンバーは、あおぞら編集部員も週報チームも皆で社内を回った。私個人への陰口など気にしている場合ではなかった。崩れ落ちたガラスの塔の破片をかき集めたかった。輝く宝石ではなかったけれど、善意や若さや夢を、青空とともに映し出していたはずだから。
    社員から返ってくる声は、想像以上に打ちのめされた悲痛な叫びばかりだった。
    「俺たちが汗水流してお客様からいただいた金は、賄賂に使われるためだったのか」
     日々現場で奮闘する社員たちの失望は大きかった。日本橋営業所の先輩営業担当は、
    「社名を言ったとたん、一方的に電話を切られた」
    と嘆いていた。営業部門だけではない、編集部門も同様だ。
    「編集記事の取材を申し込んだ大手企業から、断りの電話がきた」
    ダイレクトメールで商品を発送した事務スタッフは、北海道の会社からの電話で、
    「お宅の社名を見ただけで汚らわしい。すぐに引き取りに来てくれ」
     と言われた。その女性は「送り返していただけますか」と答えると「汚らわしい。触るのも嫌だ」と。「汚らわしい」の言葉に、それまで抑えていた感情の砦が決壊し、女性は溢れる涙を抑えられず激昂した。周囲の人たちも途方に暮れ、責任者が飛行機で北海道まで小さな見本誌を引き取りに出かけた。
    「『株で儲けているんだから』と値引きを強要された」
    「久しぶりにお客様からの電話で、広告掲載の申し込みかと思って出たら、『株、売ってよ』と言われた」
    「『事の大きさを社員は理解できているの? 社内は動揺していないのでは?』と、銀行の方に叱責された」
    「同僚で結婚を考えている人がいて、相手の両親から『そんな会社に勤めているやつとは結婚するな』と言われた。〈そんな会社〉と言われたことにショックを受けていた」
    「郷里の両親から『早く退社しろ』と言われた」
     毎日、全国にある支社、営業所、本社ビルの中でこのような事態が繰り返されていた。
     梅雨の頃、小さな地震だと思っていた揺れは、眠っていた活火山の目覚めの前兆だった。地の底から湧き出る怒りのエネルギーは、世の中のありとあらゆる怒りをかき集め、1点に向かって溢れ出し、その真っ赤な炎の塊は、容赦なくまじめに働く人々を叩きのめした。その煮えたぎった赤い溶岩は、時間が経つと黒い大蛇となり、大地をなめるように隅々にまで這っていた。
    「社員の子どもたちが学校でいじめに遭っている」
     そんな声が続々と入って来た。罪のない子どもたちにまで、黒い大蛇は襲いかかった。
    「帰宅すると『お父さん、僕、学校でこんなことを言われた』って、涙ながらに訴えるんですよ。私は『いまはじっと耐えていろ』と言うしかできませんでした」
     部長クラスの男性社員が、八重さんの席の後ろの椅子に座り、心痛をこぼしていた。自分が受ける痛みは我慢できるが、子どもが受ける痛みを聞く親は、何倍も大きな苦しみを伴う。ましてや原因が、自分が関わることにあるとなれば、突き刺された刃はいっそう深く鋭く、激痛は絶え間なく続くだろう。
    「違法性はない」
    と、言っていた東京地方検察庁だが、贈賄工作シーンがテレビに放映されては、動かざるを得ない。社長が逮捕され、拘置所に入るときには別の男性社員は、
    「逮捕シーンを見ていた子どもが『パパの会社の社長さんは、どろぼうと同じところに入っちゃうの』と聞くんですよ。私は何も言えませんでした」
     うつむきながら話していた。その人が帰った後、
    「うちの姪からも電話があったのよ」
    聞き役だった八重さんが、五角形の机に座る私たちに向かって、独り言のようにつぶやいた。
    「『八重ちゃんの会社、潰れるんだね』って言うの。『どうして?』と聞いたら『だって学校の先生が授業のときに言ったの、ああいう悪い会社は潰れた方がいいんだ、って』」
    「何てひどいことを!」
     慶子さんが真っ先に声に出し、私や晴美さんの心情を代弁してくれた。
     教員は自分で調べて判断せず、マスコミの言い分を鵜吞みにしてストレートに生徒に語っているのだろう。当社に関係する生徒がそこにいるかもしれないという配慮もなく。
     私のところには1通の封書が届いた。
    〈ひな鳥たちの日曜日〉のときに「だるまさんが転んだ」で一緒に遊び、〈風雲あおぞら城〉で再会した啓介君のお母さんからだった。 
    「ひどいいじめに遭い、転校することになりました」と、書いてあった。
    「でも、啓介は『パパの会社の人たちは悪い人じゃない』と言って、いじめっ子たちと戦っていました。〈ひな鳥たちの日曜日〉や〈風雲あおぞら城〉で出会った皆さんとの、楽しかった思い出があったからでしょう。だから私は褒めてやりました。『啓ちゃんはお姉さんたちを守る、正義のヒーローだね』と」
     編集部内で共有するために手紙を読み上げていた私は、これ以上、声に出して読み続けることができなかった。晴美さんがティッシュペーパーを手渡してくれた。慶子さんにも必要だった。晴美さんは自分の分を取って箱ごと手渡した。八重さんが提案してくれた。
    「私たちを守ってくれたヒーローに、手紙を書きましょう」
     社員のご両親からも手紙が届いた。八重さんは『あおぞら』創刊時から、故郷のご両親宛に社内報を送っていた。北海道から沖縄まで、社員の出身地は全国にわたる。八重さんのように高卒の社員も多かった。知名度が低い会社で働くわが子を心配するご両親に、少しでも安心してもらいたかった。会社の素顔を見てもらい、経営状況を伝え、親元を離れて頑張っている息子や娘の姿を知らせる通信手段が社内報だった。
     社長が辞任したときに、徹夜で制作した『緊急特別号』も送っていた。
    「マスコミ報道でしか、会社の様子を知るすべがありませんでした。送っていただいた社内報を読んで安心しました」「社長さんのご心情をお察しします」「私どもは子どもが選んだ会社を信じています」
     社員のご両親が会社を信じ、応援者になってくださったことは、大きな励みになった。
       2
     週末、自宅にいても事件のことが頭から離れなかった。「正義って何?」と考えた。社会正義だと言ってペンやマイクを振りかざし、土足でズケズケと会社の中にも社長のプライベートにも、入院中の病院にまで、入り込んでくるあの人たちは、何者だろうか。
    事実を捻じ曲げ、自分たちに都合のいい解釈をし、文脈を無視して発言の一部を切り取って拡大する。それも広くあまねく伝わる公器を使って。
    まるで、個人が抱えている鬱憤やストレスを発散するための、手頃なサンドバッグを見つけたように、当社の事業や社長を叩いた。その行為が多くの人を傷つけ、未来の社会インフラになるかもしれないイノベーションの芽を潰していると、彼らは考えたことがないのだろうか。
    社長が未公開株を政治家に渡したことが、見返りを求めたものだとはいまだに証明されていない。けっして事業そのものに手心を加えてもらおうとしたのではないはずだ。もし仮に見返りを求めたとしたら、事業に対してではなく、安定した株主になっていただきたい、という切なる願いだったはず。
    野党議員に金銭を渡した行為はたしかに非常識だ。浅慮、短絡的であり、非難に値するだろう。国会での追及中止という見返りを求めていたのは事実かもしれない。しかし魔女狩りのように、お世話になってきたお客様や、新規事業のパートナーとなる企業の個人名を次々と挙げる報道の仕方は、いじめられたわが子を想う親のような気持ちにさせられる。そんな報道機関のやり方に蹂躙され、追い詰められた結果、やむを得ない、最後の手段だったのだろう。
     何が正しくて、何が悪いことなのか、私は分からなくなってしまった。
    新聞を閉じて、庭に面した廊下の椅子に腰かけ、パジャマのまま庭木に目を移すと、父が手入れをしていた緑の芝生は枯れて白ちゃけ、隣家との境にある樹々も多くは葉を落としていることに気が付いた。季節はいつの間にか、冬になろうとしていた。
    寒さに身を縮めている樹々の中に、ひときわ濃い緑の葉と蛍光色のように鮮やかなピンクの花を咲かせる低木があった。その上に枝を伸ばす松には「ツツピー」と鳴く小さな鳥が止まっていた。頬と腹が白く、首元と胸が黒いので、まるでサラリーマンがネクタイをしているように見えた。
    「おまえも大変だね」
     土曜日もネクタイをして働いているようで、仕事が頭を離れない自分と重なった。
    「ちょっと出掛けて来るわね」
    そこへ、着物姿の母が玄関に向かって通り過ぎようとした。
    「今日はどちらへ?」
    「吉右衛門さんを観に、歌舞伎座へ」
    「いいわねえ。娘の苦悩も知らずに、お気楽ですこと」
     誰かに八つ当たりしたくなり、外出前の母に小さな嫌味を言ってしまった。
    「ちーちゃん、あれ。あのピンクの花、知っている?」
     私の嫌味が聞こえていないのか、聞こえたのにわざと話をそらしたのか、帯に挟んだ茶扇子で庭を指した。
    「知らないわ、冬なのにきれいに咲いているわね」
    「山茶花っていうのよ。花言葉は?」
    「知るわけがないでしょう」
     暇な母に付き合い切れないとばかりに、面倒くさそうに答えると、母は襟もとに手を当てながらくるりと背を向けて言った。
    「困難に打ち克つ、よ」
     それが母なりの励ましだと理解し、玄関先まで見送った。
    そのあとはまた廊下の椅子にもたれかかって、山茶花を眺めた。
    「社長はファウストではない」
     ゲーテが原作を書き、手塚治虫さんがアニメーションにしようとした『ファウスト』。探求心が旺盛で野心家だった点は似ているかもしれない。でも社長は強欲ではないし、悪魔と契約を結ぶような人ではない。むしろファウストが死の床で聞いた干拓工事の音に「幸せに暮らせる国ができる」と人々を思い、満足を得る点は似ているかもしれない。
    野党議員に賄賂を贈ったのは社長の指示ではない。周囲の人たちの忖度によるものだ。値上がりするか否かも分からない株券を、公開するかどうかさえも決まっていない時期に、明確な見返りを期待することなく広く渡したのだ。
    それは、他人様を喜ばせることが好きで、頼まれごとにはできるだけ応えようとする男が、気前よく自分にできることをしたまでだ。こんなにも叩きのめされ、辱められ、制裁を受ける悪事なのだろうか。
    「まっとうな仕事って、何?」。自問のつもりが、口をついて外に出てしまった。
    黒と灰色の縦縞の丹前を着て同系の兵児帯を締めた父が、後ろにいることに気づいたときは遅かった。「世間というものは」といつものように大所高所から長い説教が始まる、と身構えた。ところが父が発した言葉は、ひと言だった。
    「清く澄んだ水に魚は住めない」
    それ以上の言葉はなく、リビングに入るとサイドボードの上で、深く炒った黒褐色のコーヒー豆をミルに注ぎ、ゆっくりと挽き始めた。香ばしい香りが漂ってくると、思い出したように言った。
    「監督官庁は取り締まるところではない。相談相手だ。一緒に考えようとするところだ」
       3
     小学校高学年の夏休みに、父と妹と3人で群馬県と栃木県の県境にある白根山に登ったことがある。登ったと言うより、群馬県側からロープウェイに乗って山頂まで行き、五色沼周辺をハイキングした。
    麓から見上げると群青色の空に、濃淡の異なる緑の山々が連なり、手をこすって泡立てたばかりの石鹸のような白い雲が澄ました顔で浮かんでいた。ところが頂上に着くと霧が出てあたりは薄暗く、どこが空でどこが道なのか数メートル先も見えない。半袖シャツから出た腕は、冷たく濡れた手でつかまれているようで不安な気持ちが襲ってきた。
    「おまえたちはいま、雲の中にいるんだぞ」
     父が言う言葉の意味が分からなかった。雲は手が届かない空の上にあって石鹸の泡みたいにフワフワしているのに、いま自分たちがいる場所は寒くて冷たくて、前が見えず怖い。一緒にロープウェイから降りた人たちの姿も見えない。父娘3人だけが置き去りにされたようで、前を歩く父の姿を見失うまいと追いかけながら進んだ。
     このときの霧の中にいるのと同じ気持ちだった。外から見れば、私たち社員は呑気に空に浮かぶ雲のように見えるだろうが、社内には白い霧がかかっていて、何も見えない。不気味な霧が流れる中、手探りで前に進もうと、必死で八重さんの後ろ姿を追いながら社内報を作っていた。
    「営業数字や経営情報は、社長だけでなくみんなが共有しよう」という〈情報公開主義〉は『あおぞら』編集長によって守られてきた。でもいまは、事件に関する情報を伝えることができなかった。全容は白い霧の中でまったく見えないのだ。
     
     東京地方検察庁は2度、本社ビルに家宅捜索に入った。
    あおぞら編集室の五角形の机にも、3人の捜査員がやって来た。私は創業30周年記念誌の制作編集を担当していたので、引き出しの中には創業期の社内報や古い資料が保管されていた。明るすぎる蛍光灯の白い光の中で、表情のない同じような顔をした男たちが、それらの資料をごっそりと段ボール箱に詰めて持って行った。
    大阪の人事部にいる同期の男性から内線電話がかかってきた。
    「いまな、ニュースで東京地検が本社ビルに入る映像が流れたんや。大丈夫か?」
    「心配してくれてありがとう。私の引き出しの中は空っぽになっちゃった。名刺や資料、ダイアリーまで持って行かれたわ」
    「いつ、誰と会っているかを調べたいんやろな」
    「私のスケジュールなんて社内の取材か飲み会、社外でも異業種交流の勉強会くらいよ」
     他愛のない会話で、冬の朝のような張りつめた空気が、少しだけゆるんだ。
    この家宅捜索は東京地検の心証をかなり悪くしたと、後になって知った。捜索中にこんなふうに電話で話しをするものではないのだ。一般的に当該企業の社員は皆、壁の片隅に固まって成り行きを見守るそうだ。こんなところが非常識だ、と言われるなら改めなければいけない。ただ情報出版会社である当社は、業務時間中に電話が鳴らない日はない。どの事業部にもお客様や協力会社からの電話はかかってきていた。
    総務課長の柴崎さんは事前に「組織図を出せ」と言われていた。当社に組織図はない。3カ月ごとに組織変更がある。特に通信事業、コンピュータ事業が始まってからは期の途中でも新プロジェクトが誕生し、課の名称が変わる。そのたびに組織図を作成している暇がない。代わりに、週刊誌ほどの大きさの内線番号表がある。本社から始まり事業部ごとに北から南まで営業所の番号が記されている。それを渡すと、
    「組織図がないわけがないだろう。俺たちをばかにしているのか」
     検事は怒鳴り散らし、内線番号表を床に叩きつけた。ひざまずいて、それを拾い上げながら柴崎さんは思ったそうだ。
    「役所にはあっても、当社にはないのだ。存在しないものは提出できない」
     また、ある媒体の編集部のパソコン画面には、パスワードがかかっていた。怪しいと睨んだ捜査員は自分が立ち合い、パスワードを入れさせると、流行りの最新ゲームの動画が出てきた。
    「こんな遊び道具に、パスワードをかける必要があるのか」
     と、目を吊り上げた。遊び道具ではない。動画は今後のマーケティングの重要参考資料だ。理解できないことは不気味に映り、ますます「怪しい会社」のレッテルを貼る。
     家宅捜索の次は、参考人を検察庁に呼び出して取り調べた。総務課長という職位は、世間的には相当の権限を持つ。柴崎さんは何度も霞が関に呼び出され事情聴取を受けた。名前を呼ばれてから自分の取調室がある部屋までの、薄暗く長い廊下を歩いていると、両側から検事の怒声とモノを叩きつけるような音が絶えず聞こえていたという。
    あるとき、手帳とダイアリーを前にして、詰め寄られたことがあった。
    「このXデー調査って何だ?」
    Xデーは昭和天皇崩御の可能性がある日、調査は崩御の際に企業が自粛対応すべき事項を、識者に教授してもらいに行くこと。本件とはまったく関係のないことまで嫌疑をかけられ、長時間に及ぶ尋問を受けた。理不尽と思えたが、柴崎さんは素直に反省しようと思った、と私に話してくれた。
    「仲間内だけで共有する隠語を多用することや、天皇陛下への不敬で不適切な言葉を使うことは、大人として改めないといけない」
     知らないことは「知らない」と、どれほど恫喝されても屈せずに跳ね返し、学ぶべきこと、過ちと気づいたことは素直に学び、すぐに改善する、当社社員にはそんな強さと柔軟さがあった。
       4
     過ちと気づいたことは素直に学び、改善しようとするのは役員たちも同様だ。創業時から社長を支え、夜汽車で営業に行った専務の森中さんが、八重さんに会いに来た。あいにく八重さんは不在だったので、私が代わりにお相手しようと、「お茶でも飲んでいってください」と、打ち合わせテーブルに案内した。かなり疲れた様子が見て取れた。雑談する中で、検事の取り調べを受けた帰りだと話し始めた。
    「変な会社だと呆れていましたよ。うちは取締役会の記録を残していませんが、議事録がない会議は、取締役会議とは言わないんですなあ」
     虚ろな目をして他人事のように言葉をつないだ。美しいテノールの声が、特捜部の取り調べで精根尽き、喜怒哀楽の感情さえも抜き取られた空蝉のようだった。
    「私たち取締役が『知らない』では済まないのでしょう」
     社長単独の判断で巨額な金額を動かせる会社は多くない。取締役会にチェック機能や諮問機関を早急に設置する必要がある。議事録も必ず残さなくてはいけない。追い立てられるような気持ちでいるようだが、ご自身がそれを引き受けるだけの体力も精神力も残っていないことを、痩せてくぼんだ頬が語っていた。
    「一番辛く難しいのは調書です。彼らの専門用語で〈調書を取る〉と言いますが、検事に聞かれたことを私が喋る、それを書記官が筆記してあとで検事が文章にする、それを次回行ったときに読み上げる。ところが、私の口から出た言葉がいつのまにか湾曲され、捏造され、検事が考える筋書きの中に組み込まれ〈事実〉となって文字に残されているのです」
    それが周囲にどんな影響を与えるかを考えることも、それが真実か虚偽かを判断することさえもできなくさせる特捜部検事の取り調べ。生き血を吸い尽くし、心を粉々に砕いてしまう正義の剣とやらは、当然のことながら社長にも振り下ろされた。
    特捜部はいくつもの筋書きを想定する。ジグソーパズルのように、それに当てはめられる証言を得ようと、執拗に、巧妙に、真綿で首を締めるように追求してきた。東京地検特捜部で取り調べを受けた当社役員・社員は延べ3000人にも及んだ。
     森中専務は特捜部に8回呼ばれ、裁判開始後は法廷で証人尋問も受けたと言っていた。裁判長を目の前にし、後ろの席には社長が座っていた。
    「僕のひと言ひと言に一喜一憂しているのが背中で感じましたよ」
    テノールの声は沈み、顔を歪めながら語ってくれた。
    「人生でもっとも苦しい1日でした」
     森中専務の脳裏には、創業当時のことが蘇っていたことだろう。名古屋での営業を終え、走って駆け込んだ夜汽車の中で、通路に新聞紙を広げてビールを飲みながら夢を語り、『僕、結婚するんだ』と、照れくさそうに話す社長の姿がよぎっていたかもしれない。
        5
     十九世紀にドイツのビスマルクが「鉄は国家なり」と民衆に語った。戦後の日本でも高度成長期をけん引したのは製鉄会社をはじめ、重厚長大と言われるモノづくり企業だった。その業界を守る護送船団のように、父たち行政官庁の役人が業界をコントロールしていた。
     そこへ情報産業という、新しい価値を生み出すビジネスを展開したベンチャー企業が乗り込んできた。行儀の悪い若者集団がすき間を狙ったようなビジネスで儲け、派手に振る舞い、戦後の日本で自分たちが築き上げてきた仕組みを壊そうとしている。
    恐怖を感じた大人たちは〈攻撃は最大の防御〉とばかりに衆議院の調査特別委員会に証人喚問と称して、社長を入院先から引っ張り出した。
     テレビに映し出された社長は、頬がこけ白髪が目立ち、着ていたスーツが大きすぎると思えるほど1回りも2回りも小さくなっていた。かつて、社員総会のパーティ会場で社交ダンスを披露してくれたときの、背筋をピンと伸ばした姿勢は見る影もなく、背中を丸め怯えきった猫のようだった。
     それでも国会議員の質問に答える社長は毅然としていた。堂々と自分の言葉で語る姿は、社内報のインタビュー時と同じだった。私が通信事業の意義を尋ねたとき、
    「世の中が本当の意味の情報化社会、豊かな情報社会になるためには通信のインフラストラクチャー(産業社会基盤)が構築されなければ不可能だろう。それをわれわれが構築することで、素晴らしい未来を築く担い手になるんだ。使命感を持って働いていこう」
     張りのある声で語ってくれた。そのときと同様に質問者を真っすぐに見つめ、誠意を持って答えていた。私は誇らしく思ったが、八重さんは違う感じ方をしていた。
    「入院中の人があんなにスラスラと質問に答えていいのだろうか。もうちょっと言い淀んだり、言葉に詰まったりしたほうが良かったのではないか」
     八重さんは秘書から入院中の様子をこっそり聞いていたので、心配になったそうだ。
    半月前のこと。税制問題調査特別委員の国会議員たちが、ベッドの周りにすき間なく取り囲み、社長に尋問した。その場では気丈に答えていたが、彼らが病室を去ると倒れこむように横になり、長い時間眠り続けたそうだ。
    八重さんは証人喚問終了後に、同じことが起こるのではないか、あるいは「入院は仮病だった」と言われるのではないかと、二重に心を痛めていた。
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     年が明け1月7日、昭和天皇が崩御され、年号は昭和から平成に変わった。
    2月13日、午後5時47分、社長は贈賄容疑で逮捕された。小菅にある東京拘置所の空にヘリコプターが飛んだ。陽が落ちた冬ざれの空で空撮するにはギリギリの時間だったろう。この日から113日の拘留期間に、現代の拷問ともいえる毎日を送る。
    私たちは逮捕されるかもしれないという覚悟のようなものは持っていた。だから事態を冷静に受け止め、驚く人も泣く人もなく、粛々と自分たちの業務に向き合っていた。
    八重さんは長い時間、席を外していたが、編集室に戻ってきたとき、社長辞任時のような『緊急特別号』の提案はなかった。帰り支度を始めると、早々に退社した。私たちもそれぞれ、3月号で担当するページの、最終チェックを終えて帰途に就いた。
    マスコミは社長が何らかの見返りを求めて未公開株を渡し、その人数があまりにも多かったので、労働省ルート・文部省ルート・NTTルート・政界ルートという呼び方で、新聞社もテレビ局も競うように報道し続けた。
    労働省ルートは、就職情報誌の配本時期を当社の都合が良い時期に設定するようにと労働省に働きかけて、便宜を図ってもらおうとした、という筋書き。しかし、当社は労働省の管轄下にはなく、「新聞広告審査協会」に加盟している。就職協定は産業界側の「中央雇用対策協議会」と、大学側の「就職問題懇談会」との間で決められるものであり、労働省が当社に便宜を図れるようなことは一切ない。
     文部省ルートも、進学情報誌が高校生に配本されるために文部省管轄だとマスコミは報道するが、文部省の許認可事業でも届出事業でもない。
     NTTルートにいたっては、米国製スーパーコンピュータの購入に際し、当社がNTTに何ら便宜を図ってもらい購入したと喧伝するが、当社はメーカーの日本支社から直接に見積りを取り、購入を検討した。ソフトウエアやバックアップに関する契約書類も存在する。通信事業は、当社がNTTに回線利用料を支払う、いわば顧客の立場だ。
     政界ルートは、〈日本を良くしたい〉と共感できる政治家に、応援する気持ちで献金をしたにすぎない。政治が安定すれば経済も安定し、産業界が発展すれば雇用が増え、それがやがて当社の利益に還元されるという、マクロ経済の視点から行動したものだ。
     私が専務の森中さんに入社動機を尋ねたとき、
    「無名の会社でしたが、学生がたくさん応募して来てお客様は大喜びでした。請求書を持って行ったら、お昼ごはんをごちそうしてくれました。採用が成功して喜ぶ姿を見たとき『こんなに良い商売はないな』と思いました」
     合唱部仕込みの力強い声で話してくれた。審査室のルミさんも、
    「仕事を求めている人が、入社した会社でいきいきと働けたら喜ばしいでしょ」
     読者の幸せを自分のことのように語っていた。住宅事業に在籍する同期の津田君も、販売部の聡子も、学校でいじめられながらも私たちを守ってくれた啓介君の、進学情報事業部にいるパパも、みんな、自分たちの仕事に誇りを持っていた。
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    八重さんは秘かにリスクマネジメントの専門家に、社内報での取り上げ方を相談しに行っていた。八重さん自身、悩んでいた。専門家の結論は「社内報は黙っていなさい。3年間はじっと我慢をして黙っている」というものだった。八重さんは迷った。
    外国のウーマンリブのように拳を掲げ鋼のような強さではなく、細く弱いとさえ思える柳のようなしなやかさと、否定的なことは風に乗せて聞き流す、したたかさを併せ持つ八重さんだからできたことを行動に移した。事件を直視し、自分たちがやるべきこと、新しい会社になって目指すことを、社員みんなで考えるというものだ。
    ページ数は通常号の1.5倍に増え、72ページ。そのうちの半分は特別企画に割いた。
    4月号のタイトルは『新しい会社への助走――どこから来てどこへ』。副題はゴーギャンが絵画の中に書いた1文だ。ゴーギャンは人の〈存在意義〉、八重さんは会社の〈存在意義〉を問うた。八重さん自らがペンをとり、リード文を書いた。
    「株譲渡問題の渦中で、この10カ月間、私たちは社会の中の自社をしっかりと自分の目で見、会社のあり方、仕事の仕方について深く考えてきました。少しずつ動き始めていた企業改革も、この事件をきっかけに、いま、ピッチをあげて展開されています。
    4月、まったく新しい当社の出発、今回の事件について、これからの当社に向けて、1人1人が何を感じ、何をしようとしているのか―32人の人たちに書いてもらった現在の自分の気持ちと、六人の社外の方々にいただいた貴重なご意見を紹介します」
    冷たい霧の中で、あるいは暗闇の中で、身を縮めジッと目を凝らしていた私たち社員は、1本の小さなろうそくの明かりを見つけたように集まって来た。
    「うちの会社と政界工作なんて無縁だと思っていた。これだけ伸びてこられたのは全社員が頑張った結果だと信じていた。自分の甘さに腹が立ち、そして悲しかった」
    「悪の代名詞のように言われ、もうイヤだと、耳をふさいでも指の間から聞こえてくる非難の声。悪夢なら冷めてほしいと、何度思ったことか」
     辛かった気持ちを、やっと吐き出せた若い女性社員がいた。男性社員は新聞や雑誌の記事を共有し、自分たちの思いを第三者の意見に重ねて紹介していた。
    「新聞連載から。『全社合わせて600億円にも上がる会社に口出しできますか』(取引銀行の首脳)、『うちの内定者が口を揃えて言う、就職媒体としてここが一番と。事件より機能重視です』(初めて『就職情報』に参画した企業の人事担当者)、『事件と直接関係ない社員とその家族が大勢いる。解体論など不見識で無責任だ』(金融機関)。当社を支持してくださっている方々の期待を裏切らないよう、自分の持ち場で全力を尽くしていきたい」
    「企業倫理や道義的責任が問い直されるマスコミの論調の中で、われわれは全く別の面で大きな責任を負っている。借金だ」
     若い男性社員の指摘は、現実に横たわる問題への目を開かせた。
    「会社に不信感を抱いたけれど、こんな厳しい中でも営業を続ける営業マン、お客様のためにより良いものをと働く技術の人たちを見て、反省することは反省し、これをバネに成長するだけだと思った」
     通信事業部で営業を担当する女性。お客様からの苦情の矢面に立ちながらも前向きだ。
    「問題提起し、改善案を出し、人を動かし、組織を変革する、下からのムーブメントだ」
    「今回の問題をマイナスからプラスへと転じさせる。起こってしまった以上、われわれが成長するうえで滅多にない機会、他社では経験できないことと前向きに考える」
    「事件をきっかけにお客様の本音や不満を聞くことがある。いや、いまこそ聞けるのだ」
     若い社員たちはすでに動き始めていた。お客様第一主義を貫き、新しい会社作りに向かい、自分事として行動していた。
    「信用は築くのに時間がかかり、失うのは一瞬のうちといわれます。でも失ったものならもう一度築けばいいし、その努力はもう始まっていると思います」
     当社を卒業しフリーランスのライターとして、子育てと両立させながら活躍しているOGの、現役社員に寄せる信頼の言葉は身が引き締まった。
    もう一人、顔見知りのOBも寄稿してくれた。八重さんと親し気に話していた岡本さんだ。
    「会社はあれだけ悪いことをし、何人もの逮捕者を出したのだから、この会社はもっとダメージを受けなければならない。社員はうちひしがれ、退職者は続出し、業績は悪化し、銀行は融資を引きあげ、会社は潰れるか、分断され大資本に買収される、これがマスコミの望んでいる悪徳企業の末路だ。そうなるように一生懸命あおっている。しかし、社員は元気で、退職者も少ない。業績もよく、銀行も見捨てない。こんなはずはないと、目を皿のようにして弱点探しをしている」
     創業期の当社をペン一本で支え、市販の情報誌の編集長を長く続けてきたその人は、暗くなりがちな現状を、皮肉とユーモアたっぷりに描写してくれた。
     こうして4月1日に本誌が発行されると、多くの社員から「励まされた」「元気が出た」という感想が寄せられた。もちろん中には「社内報なんて、きれいごとばかり」「生ぬるい」と陰で言う人たちの存在は承知している。でもこのときの私は、
    〈きれいごとだっていいじゃない。やせ我慢だっていいじゃない。ダサくても一生懸命に努力するんだ。誠意を持って取り組むことが、ちっぽけな私の大きな誇りだ〉
    そう思えて達磨大師のように動じなかった。あごを上げ、胸を張った。
     いちいち感激して立ち止まっている私と違い、八重さんは走り続けていた。5月号のタイトルは『私たちは私たちにしかできない仕事を、誇りをもって創造し続けます』。
    「創業当時から新しい事業を興し、社員はそれぞれの立場で創意と工夫を生かし、新しい提案をし続けてきた。私たちでなければできない仕事、それは過去も現在も未来も、クリエイティビティを最大限に生かすこと。それが良さなのではないか。それだけに、クリエイティビティがなくなってしまったら、私たちの存在意義も問われることになるだろう。しかしいま、私たちは本当に私たちでなければできない仕事をしているか。社外の方が、厳しいご意見をくださいました」
    八重さんの文章で始まる特別企画は、お客様である取引会社、お世話になっている協力会社、評論家など7人が健筆を振るい、否定的な意見も積極的に掲載した。
    「儲けるのは良い。顧客の信頼と多額の支払いに対し、交換するに足る価値あるものを提供してほしい」「顧客に対して責任を果たすことが重要」「変えるべきものと、守るべきものの区別と、判断が今後の課題だ」
    届いた原稿には厳しい言葉が並ぶ。でも、どれも得心することばかりで、率直な苦言は苦味よりも、ミントの葉を噛んだときの爽快感の方が勝った。
    言葉にできないモヤモヤした気持ちを誰かが代弁してくれないかと、まるで水を求めて荒れ地をさまよう鹿が谷川で見つけた水を貪るように、開封したばかりの原稿を読んだ。読後は荒れ地に恵みの雨が降ったように、どの言葉も心にしみた。
    原稿整理をする私は八重さんに、部下としてではなく当社で働く1社員として、この特集を企画してくれたことに感謝の気持ちを伝えた。
    八重さんは少し目を伏せ、照れくさそうに言った。
    「社員のみんなに本来の元気と、勇気と、自信と、誇りを取り戻してもらいたかったの。4月号ではとにかく、みんなに発言させたかった」
     八重さんの狙いは的中した。まず仲間の本音や率直な発言を読み、共感し安堵した。次に社外の方々のメッセージで「勇気と活力をもらった」「真摯に改善しようと思った」と、前進するための背中を押してくれる大きな手のひらを得た。八重さんは続けて、
    「私たちでは何を言っても自己弁護になってしまうでしょう。だから社内の人ではなく、社外の有識者、お客様、OB、皆さんからの忠告やエールとして、改善すべき点を率直に代弁し、指摘していただいたの」
     企画の意図を話してくれた。あまりにも狙い通りの反応が社員から届くので、私は意地悪な質問をしてみた。
    「『社内報はきれいごとばかりだ』と言う人もいますが……」
     批判的な意見について聞くと、八重さんの答えは明快だった。
    「自分の仕事への誠意が、企業全体の誠意や提案として社会に伝わっていくと思うのよ。理想に近づくための仕事の仕方や熱意、実践的な技術などの情報を交換する場が、社内報だと思うの。あまりにも非現実的では無理だけど、ちょっと努力して、助け合ったらできそうなことなら、できない理由や悲観論よりも、前向きで建設的な議論をして行動したほうが楽しいわ」
    そうだ。きれいごとや理想を求めるのは、生きるうえで大切なことじゃないか。卒論にも書いたことだった。西欧の教会建築に携わった石工や彫刻家たちが、気の遠くなりそうな単純作業を続けることができた理由だ。
    石工は一生をかけて不揃いな石を均等に削り、何世代にもわたって1つ1つを天に届くように積み重ねていった。彫刻家は文字の読めない人々に、神の御子や聖人たちの行いを石の扉に、壁の中央に、柱頭にノミを打ち彫り刻んでいた。「明日はきっといいことがある」「今日より良い日がくる」と信じて、手を動かしていた。
    目に見えない神の国や理想を否定するのは容易いが、厳しい現実の中で見えないものを信じて、目指して、前向きに行動したほうが、生きた証を残せるのではないだろうか。
    『ファウスト』の中でも神は悪魔に告げている。「良い人間は暗黒な内に動かされても、始終正しい道を忘れてはいない」と。
    人の世は、特に組織の中は煙の中にいるように息苦しい。理想やきれいごとを求めて何が悪い。それが希望になれば良いじゃないか。私は首肯して、胸の前でこぶしを握った。
    「〈会社の良心〉を支えるのが、社内報なんじゃないかしら」
     八重さんは最後に言い切った。
    創業時に社長が掲げた〈良い会社になる〉〈社会の役に立つ〉という理想を支えるために、20年の時間とたっぷりの愛情を、会社と働く仲間に注いで、社員のやる気や元気を上昇させてきた社内報『あおぞら』。
    社内報が社員を元気にして、元気になった社員が会社を良くする、会社が元気になれば、社会を活気づけられる。社会が元気になれば、敗戦を経験した父たち世代が願ってきた日本が、もっともっと〈良くなる〉。そんな気がしてきた。
     春風のように穏やかに話す八重さんだって、反対意見の弓矢にさらされてきた。
    「社内報に何ができるんだ?」「不平不満を助長するだけだ」「余計なことばかりして」と、たくさんの陰口があった。でも八重さんは柳のようにしなやかに風に吹かれて聞き流し、いつの間にか陰口を言う人たちを味方に巻き込んでいた。
    リスクマネジメントの専門家からは「社内報は黙っていなさい」と言われた。それでも、情報の受発信の機会は、多ければ多いほど良いに違いないと、直感した八重さんの〈判断〉は正しかった。いや判断ではない。〈決断〉だった。
     不確かな情報が飛び交う中で、発信元が確かな情報を共有できたことは社員にとって、暗闇を航海するとき正しい航路に導く灯台の光になった。
    事件の真相を知ることはできない。でも、自分の意見や不安や不満を吐き出し、両手で大きく扉を開けて、胸いっぱいに空気を吸い込んだことで、鉛のように重く塞ぎがちな心が解放される。
    共感してくれる人の存在を感じ「自分は1人ではない」と確認でき、一緒に「前向きに立ち上がろう」と言える場、聞ける場、確認できる場。それが社内報『あおぞら』だった。
     このとき『あおぞら』という紙媒体と同時に、もう1つ大きな灯台の役目をしたのが、企業内パソコン通信『だいすき』だった。これも八重さんのアイデアで誕生し、社内に普及させたものだ。
    社員の誰もが、いつでも、どこでも、自由にモノが言える場を作ったことは、会社が存続の危機に直面したとき、計り知れないほどの力を発揮した。
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     その後も会社の存在理由や、そこで働く自分自身を見直す企画を多角的に作り続けた。
    例えば『キミがやらなきゃ、オレがやる』と題し、自分が関わる事業の意義について社員に書いてもらった。厳しい批判にさらされる中で、自分たちが負うべき本当の責任は何か、何ができるかを考えるきっかけにしてもらい、問題意識の共有化を図った。
    7月号『人が育つ』8月号『PI型ビジネスマン』は2カ月連続して、会社が新しい会社へと胎動する中で、あなた自身はどうなのか、何がしたいのか、会社をどうしたいのかと問うた。9月号『社会的使命』、10月号『マーケットインに根ざしたお客様サービス』、11月号『マネジャー』と続いた。
    12月号は、街の大通りに明るいイルミネーションが灯るように、少し趣を変えた。『ざ・プロふぇっしょなる』。大真面目に〈遊び心〉を前面に出した。「一級仕事師大集合」と題し「タンカきっちゃった営業マン」「おもしろがり制作マン」「バランス感覚あり編集者」などの見出しとともに仕事別アイテムで、たくさんの社員を登場させた。
    正攻法の活躍事例だけではない。『平成元年の名(迷)プレー』は、自薦・他薦の自慢話を集めた。「営業のし過ぎで靴のサイズが一センチ縮んだ」「夜間、休日にポケベルが鳴った回数いちばん」など、意表を突いた自慢話が飛び出した。
    社員をいい気持ちにさせる一方で、八重さんは釘を刺すことも忘れない。「一生懸命な人は誰でもプロになれますか」という小見出しで「仕事内容の質も大事だぞ」と気づかせた。
    〈小粒だがピリリと辛い〉山椒のようなスパイスが、会社の危機を乗り越える勇気を与え続けた。その山椒は『あおぞら』であり、小柄で天然パーマの短い髪、お盆のように丸い顔に、目じりと口元に深い笑い皺が刻まれた八重さん自身だ。
    この年の1月号の〈あとがき〉に、八重さんはすでに書いていた。「会社を作るためではなく、未来を作るために行動します」。年頭所感を有言実行した人だった。
     
     2月に贈賄容疑で逮捕された社長は、その年の6月に保釈された。一連の事件の捜査で特捜部は、延べ3800人を聴取、約80カ所を捜索、約9000点にのぼる証拠品を押収した。捜査日数は野党の代議士の告発以来、約260日。捜査にたずさわった検事は52人、事務官は159人。新聞には次のような検察庁の見解が掲載された。
    「株譲渡である以上、たとえ値上がり確実なものだったとしても、『政治資金』として金銭を入手する時期が確定しないことなどから、政治資金規正法の対象にはならない、と結論づけた」。
     この年の12月29日、東京取引所の大納会では日経平均株価が3万8915円の最高値を付けた。31日、未公開株譲渡問題で社長が逮捕された年、彼が創った会社は過去最高益を上げた。売上高は前期比8.8%増、経常利益は16.8%増。お客様に支えられ、社員1人1人がそれぞれの持ち場で、自分がやるべきことを誠実に粛々と果たしてきた結果だった。
     
     かつては倉庫街だった豊洲の街が、高層マンションが立ち並ぶ居住地区に変化した。昭和から平成、そして令和へと時間が流れた。
    東京湾が臨める小さな仕事部屋で、私は色褪せた木製のハンドルを回し、黒褐色のコーヒー豆を挽いた。沸騰から少し置いた湯を細い糸のように注ぐと、粉砕された豆はドーム状に膨らみ、手を止めて膨らんだ豆が鎮まるのを待つ。
    ふと目線を挙げると、小さな窓から、小さな鳥が向かって来るのが見えた。青い空の中、それが白いかもめだと分かるまで近づくと、右に急旋回した。土の匂いも、木の匂いもしない銀座方面に向かって飛んで行った。私は頬が緩んだ。華やぎが加わったコーヒーの香りにつられたのではない。私は紅茶よりもコーヒーが好きだったのだ。
     

     
     

    MN

     
     
    初めてnoteに投稿しました。昭和の最後に世間を騒がせた事件を書きました。今更、事件を蒸し返して、哀しい思いをする人たちがいらっしゃるのではないかと投稿するのを何度も逡巡しました。令和に働く皆さんのお役に少しでも立てれば幸甚です。なお、登場人物は誰かを特定したものではありません。

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