
トレーの馬刺しと、ドリップを許さない息子
「ねえ、馬刺しいつ食べるの?」
子どもの声だ。
冷凍庫の中で、馬刺しはまだカチカチのままだった。
馬刺し。
それは熊本の名物だ。
私は九州に行ったことがない。
しかし、馬刺しには憧れていた。
あるとき、子どもが友だちと九州へ旅行に行くことになった。
「お土産には馬刺しをお願いします!」
馬刺し代も添えて頼んだ。
九州旅行は楽しかったようで、時々写真つきのラインを送ってくれた。

最終日、子どもは馬刺しに悩んだようだ。
持って帰ってくると、傷むことを恐れたのだとか。
「宅配便にして、新鮮な状態で送ることにした」とラインが来た。
ーー数日後。
今日は馬刺しを食べようかな?
そう思いつつ、解凍するのを忘れていた。
昼ごはんのパスタの支度をしながら、冷凍庫から馬刺しを取り出して袋を開けようとするが、全然開かない。
そうこうするうちにパスタが吹きこぼれそうになる。
「ごめん、馬刺しを袋から出して冷蔵庫に入れて」
子どもに頼んだ。
「えーそれ本当に解凍方法は合ってるの?」
「違うの?通販で馬刺しを買っている人からそう聞いたけど?」
子どもはすかさずスマホで『馬刺し・解凍方法』で検索していた。
「かたまりは氷水で半解凍するみたいだけど…これはスライスしてあるからいいか」
子どもは納得したようで、馬刺しを冷蔵庫に入れた。
そして夕食。
サラダや水餃子など他の品々とともにテーブルに並べる。
つけだれも馬刺しについてきたものを人数分分けて出した。
「ちょっとこれ…入ってきたトレーそのままじゃん!ドリップも出てるし!」
子どもが不機嫌な声をあげた。
「えっ、でもバランがキレイだよ?」
ズボラな私が答える。
「せっかく買ってきたのに、美味しく食べたいじゃん!それくらいやってよ!」
子どもに叱られた。
「もう面倒だし…」
消え入りそうな声で答えると、子どもが無言で立ち上がった。
そして、丁寧にドリップを拭き取り、きちんとお皿に並べた。
「ちょっと冷たいほうが美味しいから冷蔵庫に入れるよ。他のメニュー食べて!」
そう告げられると、彼は長ネギと玉ねぎを刻み始めた。
「すごいねー、ありがとうね!」
私が喜んでお礼を伝える。
「そもそも、水餃子に長ネギくらい入れてよ」
ぶつぶつ文句を言われた。
「いやあ卵も入っているよ?」
ひと睨みされてしまった。
「だいたいね!ありがとうじゃなくて、ごめんと言って!」
えぇ? 『ありがとう』と『ごめん』って、そんなに違うの?
そう思ったものの、子どもの気が済むように「ごめんね、ありがとう」と伝えた。
刻んでくれた薬味と子どものおすすめしたニンニクも添えて。
少し冷えた馬刺しは子どもの言う通り、美味しさが増していた。
そして、私はいまだに『ありがとう』と『ごめん』の違いがよくわからないままだ。