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ピリオド

ピリオド   2025年  生田絵梨花 より


「あれ、亮平?」

昼に食べた黒胡麻担々麺のセットで

少し胃が重くなった俺は、

口腔内から胃袋までへばりついた脂を、

熱いコーヒーで綺麗に洗い流したくなった。

カフェのテーブル席に腰を下ろした瞬間、

隣の女性から声をかけられた。

その女性はずっと下を向いてスマホを弄っていたのに、

急に名前を呼んで俺の袖を引っ張るものだから

驚くなという方が無理な相談だ。

でもさらに驚いたのは

その女性が俺の元カノ、菜月だった事だ。


「座るときに変な溜息つくの、昔から変わってないね。」

菜月は笑いながら

フラペチーノとキッシュを乗せたトレーを持って俺のテーブルに移り、

向かい合わせに座った。

想定していた視界が急に狭くなった事に

少し躊躇いを感じたものの、

菜月は構わずに暑苦しい笑いを撒き散らした。



俺が菜月と付き合っていたのは十数年も前になる。

大学時代、バイト先のカフェで知り合った菜月に一目惚れした。

とにかく笑顔が輝いていて、

店員からも客からも声をかけられる菜月は

店のアイドルだった。

今で言う『推し』なのか、

菜月に会うために足繁く通う客もいた。

その魅力に俺は完全に打ちのめされた。

ライバルに負けないように筋トレして、

流行りの服を調べ、オシャレに気を遣った。

とにかく毎日が菜月中心に回り、

バイト中の僅かな会話の隙を見て食事に誘う。

そして俺の熱意が届いたのか、

数回目のデートで付き合うことになった。


自分磨きした俺を見て、菜月も頑張ると言い出した。

いや、菜月はこれ以上頑張っちゃうと

俺なんかよりもっといい男に盗られちゃうよ。

なんていう俺の心配も笑い飛ばし、

「私もっと綺麗になる。亮平が自慢できる女になる。」

と言った菜月は、宣言通りその容姿に磨きがかかった。

「恋をすると女は綺麗になるね。」

バイト仲間が口を揃えて言うくらい、菜月は輝きを増した。

俺たちは美味しいイタリアンを食べ、

流行りのデートスポットを巡り、

幸せを語り、

観覧車のゴンドラが一番上についたと同時に

はにかんだ笑顔で唇を重ねた。

でも二年を経て、

菜月が笑い飛ばした俺の心配が、

俺たちにピリオドを打った。



「なんか凄いね、スタイルとか維持してんだね。

私なんか、二人目産んでから全然痩せなくて。」

キッシュを頬張りながら嬉しそうに言った菜月に

俺は苦笑いを返した。

二児の母になった菜月のTシャツは窮屈そうで、

少しヨレた襟元から覗く首に汗疹が出来ていた。

菜月は俺の外見を褒めた後、

ずっと自分の話をしていた。

保育園に空きが出たから

仕事再開しようとしたら2人目を妊娠したとか、

休日の旦那は寝てばかりだとか、

良くあるホームドラマから切り取った日常。

高嶺の花だった菜月は、

随分と所帯じみた女性になっていた。

菜月に振られた俺が、

悔しさをバネに自分磨きを怠らなかったのに。

あの耳元を擽る、熱と湿り気を帯びた吐息は、

両肩に乗った生活の重みを嘆く溜息に変わった。

あれほど胸を焦がした菜月が、

しっとりと胸の奥底に沈んでゆく。

胸の内にやるせなさが込み上げ、

「最近どっかいいイタリアンとか見つけた?」

と、訊いてみた。

答えはきっと、わかっていた。

なのに、訊かずにはいられなかった。

「あ~、そういうのはご無沙汰だなぁ。今は専らサイゼだよ。

あ、でもサイゼ侮れないよ、安くて美味しいんだから。」

掛け値も悪びれもなくそう答えた菜月は、

家族の外食を頭に浮かべたのか、

とても幸せそうな顔をしていた。

その幸せそうな笑顔は、無性に俺を苛立たせた。



「亮平は今幸せなの?私は幸せだよ。」

菜月が啜ったストローが、濁った音を立てた。

その質問に、

俺は菜月の目を見たまま言葉を返せなかった。

結婚を考える女はいないが、女に不自由はしていない。

でも、

『はい/いいえ』

どっちを答えても菜月は笑顔を向けて

『そうなんだ』

と言うのだろう。

菜月は今、俺を見ていない。

見ているのは

ありふれた日常にひっそりと咲く小さな幸せ。

この時、ふと昔の菜月が頭に浮かんだ。

アイドル顔負けの魅力的な笑顔と、

今俺の前で見せる屈託のない笑顔。

両方の顔を行き来する俺が見たのは、

見栄えはまるで違うけれど同じ菜月だ。

久しぶりに会った元カレの前で

生活染みた自分を恥じる事もなく、

家族で日がな過ごすモールでの時間を思い出し

頬を緩める菜月。

ファミレスの入り口で名前と人数を書き、

横並びの椅子で待つ間、騒ぐ子供達を躾ける。

一日経てば忘れるような、そんな風景に微笑む菜月。

この純粋な瞳の輝きは何も変わっていない。

俺は、

さっき嫌味な質問をしたのが恥ずかしくなった。

飾り気のない日常で幸せに生きる菜月は、

何を言っても俺のつまらない見栄を見透かしているようで、

俺は言葉に詰まった。

幸せの形など星の数ほどあるのに、

男女の浮ついた恋愛を想定する自分の狭量に

虚しさを覚えた。

上から菜月を見て自己陶酔していた俺は、

またもその笑顔に完全に打ちのめされる。

オシャレとは縁遠く太っているけれど、

ありふれた日常を切り取って

幸せだと胸を張って言い切れる菜月は

今も変わらずアイドルのままで、

やっぱり俺には高嶺の花だった。

そんな菜月を見たら、

いつまでも幻想を追いかける自分が

酷く滑稽に思えた。



「楽しかったよ、ありがとう。気をつけてな。」

俺のこの言葉に笑顔で手を振って、背を向けた菜月。

ありがとう菜月。

この再会が、俺にもピリオドを打ってくれた。

静かだけど軽やかに進む菜月の白いスニーカー。

俺の革靴も、

いつか穏やかで静かな音を立ててくれるのかな。

俺は自分の足元を見て少し頬を緩ませ、

菜月に背を向けて歩き出した。


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最後までお読みいただきありがとうございます。
*この物語はタイトル曲の世界観を
文章にしたものではありません。
あくまでも柴犬自身の
創作世界であることをご了承ください。


敬意を表して


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