
おもれる日
梅雨時期になると、祖母がよく
「おもれるなぁ〜」
と言っていた。
近所で農作業をしているおじさんやおばさんに挨拶をする時も、この時期は
「おはようございます」
ではなく、
「おもれるなぁ〜」
である。
そして返ってくる言葉も、ほぼ100%
「へぇ、おもれるなぁ〜」
だった。
子供ながらに、
「あぁ、今日はおもれる日なんやな」
と、感覚で覚えていった。
おそらく湿度が高く、空気がまとわりつくような、なんとなく重たい日のことなのだろう。
けれど、
「蒸し暑い」
でもない。
「ムシムシする」
でもない。
「汗ばむ」
でもない。
どれもしっくりこない。
違う、違う、なんか違う。
その微妙な感覚を、
「おもれるなぁ〜」
の一言で表現できるのだから、方言というのは実に奥深い。
調べてみると、「おもれる」は湿気で蒸れたり傷んだりする状態を表す言葉らしい。
蒸れるが訛ったものとも言われているそうだ。
なるほどと思う反面、
やはり讃岐人の「おもれる」には、それだけでは説明できない何かがある気がする。
そんなおもれる日の晩ご飯は、かなりの確率で素麺だった。
子供の頃は、
「また素麺か…」
と少々がっかりしたものだが、
食べ物が傷みやすい季節に、手早く作れて食べやすい。
今思えば、実に理にかなった献立だったのだろう。
そして時は流れ、現在。
我が家のおもれる日の晩ご飯は、ほぼ冷やし中華である。
毎年、梅雨入りと同時に
「冷やし中華、始めました」
となる。
ところが、お察しの通り。
私が子供の頃、素麺でテンションが下がったのと同じように、
我が家の住人たちも冷やし中華でテンションが下がるらしい。
なぜなら、
おもれるたびに冷やし中華。
またおもれると冷やし中華。
さらにおもれると、やっぱり冷やし中華。
それが梅雨明けまで続くのである。
祖母よ。
あの頃の私は素麺に文句を言っていたが、
どうやら立派に同じことを繰り返しているようだ。
おもれる日の献立は、時代が変わっても案外変わらないらしい。