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『ラストステージ 〜普通列車がつないだ未来〜』

     毎日スマートフォンでメールのチェックをする……現代では当たり前の事であり、多くの人が生活の一部になっている。

     送られて来るメールを見て、自分が会員登録しているサイトからのメールであれば多少の興味を持って内容をチェックしたりするかもしれない。

     全てのメールが自分にとって有益な情報をもたらしてくれれば有難いが、必ずしもそうではないチョット怪しいメールも存在する。

    『ウイルス感染』や『フィッシング詐欺』というリスクが気になり、少しでも怪しいと感じたら読まずに削除するのが無難と言える世の中である。 

                   ◇ 

     フリーター生活をしている太田哲也は、東京都の下町でアパート暮らしをしている20歳の青年だ。

     休日の朝、ノートパソコンを起動してメールチェックをしながらコーヒーを飲む。

     懸賞サイトやアンケートサイトからのメールで小銭やポイントを地道に稼いでいるが、たまに変なメールが届くことがあったりする。

     普段はメールの題名や送信元を見て、危険なニオイがするメールは開かずにゴミ箱へ振り分けているのだが……今日は一通だけ、いつもとはチョット違ったテイストのメールがあった。

     メールの題名には、『普通列車で会いに来て!』と書かれている。哲也は、添付ファイルが無いから危険は無さそうだと思いメールを開く。 

    『変なタイトルにもかかわらず、このメールを読んでくれてありがとう。このメールは広告ではありません。また、フィッシング詐欺のようなリスキーなメールでもありません』 

     哲也は冒頭の文言を読んで思った。

     こうやって油断をさせてから本題へと導く作戦かよ……『俺は絶対に引っかからないぞ!』という強い意志で読み続ける。 

    『私は現在、怪我で入院中です。複雑骨折なので全治半年くらいだそうです。入院してから5日ほどしか経過していませんが、終日ベッドで寝ていると様々なことを考えたりします』 

     途中まで読んで哲也は思った。

    「このメールって誰宛てなんだよ。間違って俺に届いた誤配メールなのか……」
     けれど、なんとなく先の内容が気になるので再び読み続けた。 

    『家族がいないので面会に来る人もなく、このまま何ヶ月も退屈な日々を過ごすと思うと憂鬱な気分になる。話し相手がほしい……それが今の私の本音です。そこで、あなたにお願いがあります。是非一度、お見舞いにきて私の話し相手になって下さい。もし宜しければ、往復の交通費と食事代は私がお支払いします。いかがでしょうか?』 

     ここまで読んでみて、哲也はさらに思う。

    「これって不特定多数に送信したメールなのかも……誰かが暇つぶしに暇そうな誰かをからかうつもりで遊んでいるのだろう」と推測した。

     もう無視しようかと考えたが、ここまで読んだのだから最後まで読んでやるかという気分で読み続ける。 

    『私が入院している病院は新潟県と長野県の境にあり、普通列車しか停車しない無人駅から徒歩で30分以上も要する辺境です。そのような理由もありまして、普通列車で会いに来て下さい! 可能な方はメールでお知らせ願います。ミスターKより』 

     哲也は最後まで読んでみて思った……これは単なるイタズラメールだ。

     そう思ったが、すぐにはメールを削除せずに放置した。自分の場合、即断即決は良い結果を生まないことが多々あるという経験則があるので、明日の朝まで考えてみようと決めた。

                   ◇

     連日のバイト疲れでリフレッシュしたいと思っているが、訳の分からない人の見舞いに行くほど自分はお人好しではない。

     夏場の仕事はキツイので、長期休暇をするつもりでいた。だから春から夏にかけて頑張って働いて、それなりに金は貯めたつもりだ。

     久しぶりに旅がしたいという気はするが、具体的にどこへ行きたいのかが分からない。 

     溜まっている洗濯物や部屋の掃除を済ませると、食料の補充などをするために買い物へ出かける。

     スーパーマーケットの帰りに本屋へ立ち寄ると、旅雑誌のコーナーにて軽井沢や蓼科あるいは立山連峰などの見出しが目についた。

     ソロキャンプには興味があるが、虫が嫌いなので夏場は避けたい。昔から有名な避暑地にも興味があるけれど、ひとりで行くのはわびしい気がする。

     北海道という文字が目に飛び込んできたので、その雑誌を手に取りパラパラとページをめくる。魅力的な写真を見ているうちに北海道へ片足だけ突っ込んだ気分になった。

     バイクの免許があればツーリングという楽しみがあるが、哲也は普通免許しか持っていない。原付バイクでは広大な北海道を走るには無理があると思えた。

     他の雑誌を読もうとしていたら自分の携帯電話が鳴る。店の外に出て通話するとバイト先からだった。

     欠員が出たから今夜勤務してくれないかという内容である。バイト代を上乗せすると言われ、アッサリと承諾してしまった。 

                   ◇ 

     家に戻ると早めの夕食を済ませ、夜勤のバイトに入るので配送センターへと向かった。

     急なバイトではあったものの、いつもより忙しかったのであっという間に朝を迎えた。

     仕事中は全く気にならなかったが、仕事が終わって帰宅する途中で昨日のメールのことを思い出す。

     家に戻ってノートパソコンを起動する。良く冷えたアイスコーヒーを飲みながらメールを確認すると、昨日と同じタイトルの新しいメールが届いていたので読んでみる。 

    『昨日のメールを読んでいただけたでしょうか? 返信をお待ちしています。ミスターKより』 

     たった1行の文面であるが、送り主の意思を感じさせる内容だ。哲也は誘いに乗る気はないが、送り主の素性が知りたくて返信しようと決めた。 

    『私は東京都在住のフリーターで20歳です。あなたに質問があります。私にメールを送って来た理由はなんでしょうか? 私は不特定多数のひとりなのでしょうか? そして、あなたは何者ですか?』 

     相手の年齢などが分からないので、こんな文面になってしまった。

     返信が来なければ今後は関わる事もないだろうと思う。ベッドに横たわり目を閉じる。
     午後3時頃に目覚めると、トイレを済ませてからノートパソコンでメールのチェックをする。

    『返信、ありがとうございます』というタイトルの新しいメールがあり開いてみた。

    『返信して下さり誠に感謝です。では質問にお答えします。あなたのメールアドレスは、あなたの旅ブログを拝読した時に知りました。不特定多数かという問いに対しては半分だけ認めます。つまり、旅好きだと思われる人のブログを見てメールアドレスが表記されている数名にメールを送っています。

     返信を下さったのはあなたが最初です。それから、私が何者かという答えは……還暦を迎えた無職の男とだけお伝えします。詳細はお会い出来たらお話しします。ミスターK』 

     ここまで読んで、ある程度の疑問が解決した。

     これが真実だとしてもお見舞いに行く理由にはならない。病院へ行く目的が初老の男の暇つぶしのための話し相手では、自分にとってはなんのメリットも無い。

     もっと年齢を重ねれば損得勘定を抜きにして会いに行けるかもしれないが、今の自分にはチョット無理だなと感じるが……。

    『鉄道旅のついでに立ち寄る程度ならば……』と、少し前向きに考える。もう一度だけ質問しようと考えて実行した。 

    『夏の休暇を楽しむために、どこかへ出かけようと思っています。旅の途中で立ち寄れるかもしれないので、病院の住所と電話番号を教えてください。あなたがミスターKと名乗っているので、私もミスターZと名乗ります』 

     メールを送信した数分後、すぐに返信が来た。メールには、JR飯山線の駅名と病院の名前や電話番号が書かれている。
     そして、立ち寄れる日が決まったらメールで知らせてほしいとあった。

     行けたら行きますというニュアンスは、世間では社交辞令として言う場合が多いけれど哲也の場合は違う。優柔不断と言われるかもしれないが、見ず知らずの人に会いに行く勇気がないのかもしれない。 

                   ◇ 

     8月の上旬まで目一杯バイトをした哲也は、予定どおりに長期休暇をする事になった。

     まずは、実家に顔を出そうかと考えてみる。哲也の実家は会津若松にあり、家業はクリーニング店である。すでに姉夫婦が後継者として働いているので、哲也にとっては単なる里帰りだ。

     親の顔を見る以外に用事はない。実家に1泊してから乗り鉄旅をしようと決めた。 

                   ◇

     朝9時頃に小岩駅へ行き、みどりの窓口で青春18きっぷを購入。

     上野駅での乗り換えの時、今から帰ると実家へ電話をする。その後で東京銘菓を手土産として買った。

     会津若松の実家までのルートは乗り鉄旅には該当しない。哲也にとって車窓を眺めたくなる魅力的な区間が無いからだ。

     電車に乗ってボーっとしていると、ミスターKの事を思い出す。自分にメールを送ったのは、俺の旅ブログを見たからだと言っていた様な気がする。

     そう言えば、しばらく旅ブログの更新をしていないと気づいた。乗り鉄旅をしていないから書くネタが無いけれど、今回の休暇では乗り鉄旅を満喫するつもりだ。

     今のうちに旅ブログの序章でも書こうと考えたが、いつもと同じパターンにはしたくないと思っている。 

     淡々と電車や列車を乗り継いでの旅は、ブログを書いている本人は楽しいのだ。ブログを読んでいる人にとっては、もしかすると単調過ぎて面白さに欠けるかもしれない。

     今回の乗り鉄旅がいつもと違うとすれば、突然送られてきたメールの主にお見舞いという名目で会いに行く可能性があることだ。

     正直なところ、会ったこともない見ず知らずの初老の男性には興味なし。

     その男性が入院している病院がJR飯山線の沿線にある……まだ乗っていない路線なので、それだけが気になる。旅の途中で立ち寄るのもいいかもしれない……そんな気持ちが芽生えてしまった。

                   ◇

     ノートパソコンを開いて、ようやくブログに記事を書き始める。

    『久しぶりの乗り鉄旅に出かける。今回は東北方面か北陸方面へ向かうつもりだ。夏場は暑すぎてバイトなんかやってられるかという気分……だから目一杯働いて資金を貯めてからの長期休暇である。

     この休暇に入る1週間くらい前に、ミスターKと名乗る人からメールが届いた。怪しいメールだと直感したけれど、さりげなく内容を確認してみた。
     送り主は複雑骨折をして入院中の初老の男性であると判明……ミスターKなんて名乗っている時点で充分に怪しいよね。

     メールには、「話し相手になってほしいから見舞いに来てください」って書いてあった。やっぱり怪しいけど、気ままな乗り鉄旅だから暇つぶしに行ってみようかという気になりかけている。

     とりあえずは実家に顔を出して、一晩考えてから結論を出そうかと思う。この続きは近日中に報告しますね。
     宇都宮線の車中にて……乗り鉄の哲ちゃんより』 

     序章なので添付する写真もないシンプルな内容だ。

     今回の長期休暇中は、なるべく頻繁にブログを更新しようと決めた。

                   ◇

     順調な乗り継ぎを繰り返して、実家に着いたのは夕方4時頃だった。
    「ただいま!」
    「哲也、おかえり」
     迎えてくれたのは母だった。

     哲也は家に入ると、すぐに仏間へ行き仏壇に東京銘菓を置く。おりんを鳴らして手を合わせてから、『親父、ただいま』と心の中でつぶやく。

     店に顔を出すと姉貴が接客中だ。

     客の対応が終わり哲也は声をかけた。「姉ちゃん、ただいま」
    「おかえり、哲ちゃん」

    「正雄さんは配達中?」
    「そうよ。ヒマなら手伝ってくれない?」
    「いいよ。何すればいいの?」

     哲也は高校生の頃から家業の手伝いをしていたので、今でも戦力にはなるみたいだ。

    「今回の帰省は何……ただの夏休み?」
    「急に乗り鉄旅がしたくなったから、とりあえず寄ったって感じだよ」

    「今日は泊まっていくの?」
    「泊めてくれるの?」
    「自分の実家なんだから好きにすれば」

     哲也が大きなカゴを運んでいると母が言った。
    「仏壇で手を合わせるだけじゃなくて墓参りもしなさい。ついでに買い物をして来てちょうだい」

     母からトートバッグと買い物メモを渡された。家から歩いて5分くらいの場所に行き、哲也は先祖の墓に花を供えた。 

     買い物を済ませて家に戻ると姉貴の旦那である正雄と会う。
    「哲也君、久しぶり」
    「久しぶりです、どうも」

     挨拶をしたが話すことはない。台所に居る母にトートバッグごと渡す。
    「明日の朝から出かけるから、今晩だけ泊まっていくよ」
    「2階の奥の部屋を使いな。布団は自分で敷きなさい」
    「うん、わかった」

                   ◇

     哲也は2階の奥の部屋へ行き、明日からの予定を立てることにした。

     部屋に入ってスマホで検索すると、会津若松駅から飯山線の飯山駅付近までを青春18きっぷで移動する場合は……9時間以上も要すると判明。

     順調に進んでも病院に着くのは午後4時を確実に過ぎてしまう。面会可能な時間を聞いていないことに気づいたので、ミスターKにメールを送って確認。数分後、ミスターKから返信があった。 

    『面会可能な時間帯は、基本的には午後2時から午後7時です。来られる日が決まりましたら、前日までにお知らせ願います。ミスターK』 

     哲也は、面会時間がわかったので改めて旅程を考える。すると新幹線で大宮駅を経由すれば、4時間で飯山駅付近へ行けることがわかった。

     交通費はミスターKが払うと言っていたから、青春18きっぷでのんびり旅をする必要はない。旅の途中で寄れたら立ち寄るつもりだが、さっさと立ち寄って終わりにしたいという気分になる。

     哲也は再びミスターKへメールを送信した。 

    『現在は帰省中で会津若松にいます。新幹線を乗り継げば明日の午後3時頃までには病院へ行くことは可能です。移動の費用をそちらで精算してくれるのであれば伺います。ミスターZ』 

     数分後に返信メールが届く。

    『了解しました。午後3時に来ていただければ、たくさんお話が出来ます。見舞い品は不要ですので手ぶらでお越しください。ナースステーションに立ち寄った際に、ミスターKの面会と告げればわかるようにしておきます。道中お気をつけて。ミスターK』 

     返信メールを見て、もう行くしかないという気分になる。いずれにしても、夏休み中の暇つぶしだから難しく考える必要はない。

                   ◇

    とりあえずは、旅ブログを更新する。 

    『実家に帰ってから今後の旅計画を考えていると、ミスターKのお見舞いに行くかを検討する。会津若松から新幹線利用にて大宮経由で向かうルートをチェック……まあまあの運賃なのでどうしようかと悩む。

     ミスターKへメールを送り交通費などの経費を全額負担してもらえるのか確認。すると全額負担してくれると返信あり。さっさとお見舞いを済ませて乗り鉄旅に没頭しようと決めた。

     世の中には変わった人がいるみたいだね。ミスターKが想像以上の変人でないことを期待する。今後の展開に乞うご期待! 乗り鉄の哲ちゃんより』 

                   ◇ 

     翌朝8時半頃に出発して、午後1時過ぎに飯山駅に到着。

     在来線に乗り換えて、病院の最寄り駅である無人駅へ移動する。午後2時過ぎに無人駅に到着すると、スマホの地図によるルート案内を見ながら歩き始める。

     歩いて30分くらい経った頃、古びた病院が見えてきた。時刻を確認すると午後2時38分である。

     正面玄関に入り館内見取図を見て2階へ進む。ナースステーションで台帳に氏名を書いてから看護師に声をかけた。

    「あのう、ミスターKさんに会いに来ました」

     するとベテランの雰囲気がにじみ出ている看護師が言った。
    「はい、伺っています。どうぞ、ご案内します」

     哲也が看護師について行くと、2階の左奥の病室に案内された。
    「加西(かさい)さん、面会の方がいらっしゃいましたよ」

     看護師に促されて哲也はベッドに近づく。ミスターKこと加西は、面会に来てくれた青年を見て表情が和む。

    「お待ちしていました。ミスターZさん」

     挨拶を見届けて看護師が病室から出て行った。荷物を床に置くと、哲也は椅子に座り加西と向き合う。

    「調子は、いかがですか?」
    「君が来てくれて嬉しいです。ご覧の通り寝たきりなんですが」

    「複雑骨折って書いてありましたが、なんでこんなことに……」
    「気が緩んだのかもしれません。定年を迎えてね、もう会社へ行かなくて済むと思ったら急に旅がしたくなったのですよ」

     哲也は黙ってうなずいている。

    「旅に出て城めぐりをしていた時、あやまって石垣から転落してしまいました。左肩から落ちたので左側の数ヶ所と、右足を骨折したみたいです。童心に戻った気分ではしゃぎ過ぎたのかもね」

    「今も痛みはありますか?」
    「じっとしていれば痛みは無いけど、寝返りをする時がね……」

    「自分は骨折の経験は無いけれど捻挫の経験はあります。比較になるかわからないけど、自由がきかない痛みはツライですよね」

     加西はベッドのリモコンを操作して上体を少し起こした。

    「申し遅れましたが、私は加西恭正(やすまさ)と申します」

    「ボクは太田哲也(おおた・てつや)と言います。友達からは名前をひっくり返して、テツオタ……つまり鉄道オタクの鉄オタって呼ばれたりします」

    「哲也さんは鉄道が好きなんですか?」
    「はい。鉄オタのジャンルとしては乗り鉄になるみたいですね」

    「そうでしたか。私も鉄道に乗るのは大好きですよ。ところで、哲也さんが私のお見舞いに来てくださった理由を聞いてもいいでしょうか……」 

                   ◇ 

     哲也は想定外の問いかけに、なんて答えようかと思案する。しばらくして考えがまとまり、落ち着いた口調で話し出す。

    「一言でいうならば好奇心だと思います。ボクの父親は数年前に病死していて、自分の父親とほぼ同世代の人が何を思ってメールを送って来たのだろうか……それが気になっていて、直接会って聞こうと考えました」

    「そうでしたか。正直に答えてくれてありがとうございます」

    「メールを送った理由を聞かせてもらえますか?」

    「もちろんです。その前にお願いしたいことがあります。自動販売機で飲み物を買って来てほしいのです。私は冷たいブラックコーヒーでお願いします。哲也さんもお好きな飲み物を買ってください」

     加西は小銭入れごと哲也に渡す。哲也は小銭入れを受け取ると病室を出て行った。 

     5分ほどで哲也が戻って来た。小銭入れとアイスコーヒーのボトルを加西に渡す。

    『ゴチになります』と言って哲也はアイスコーヒーを飲んだ。

     加西はアイスコーヒーを飲むと、満足した表情で言った。
    「ウマイね。眠気覚ましには最高だ」

    「眠気覚ましですか?」
    「2週間以上も入院しているとね、この時間帯が一番眠くなるんですよ。だからリフレッシュしたかったって感じです」

    「同感です。ボクもバイト中に眠くなるのは、昼メシを食べた後の今くらいの時間ですよ」

     出会ってから20分くらいしか経っていないが、打ち解けた雰囲気で会話が続いている。

    「君にメールを送った理由だけど、話し相手になってほしいというのは間違いない。でもね、それだけじゃないんだ。場合によってはお願いしたいことが……つまり、協力してもらいたいことがあります」

     お願いしたいことと言われ、哲也は少し身構える。

    「そんなに身構えないで……。話を聞いた上で判断していただければ結構ですから」
    「とりあえず、順を追って説明して下さい」

                   ◇

     哲也の顔を見ながら、加西がしゃべり出した。

    「実はね、自分には家族がない。生きているウチになんでも好きなだけ出来る立場ではあるけれど、この通りの有様で今は何も出来ない。身体が元に戻ってからと思っていたけれど、もしかしたらそれでは間に合わなくなるかもという気がしてね……」

     途中まで聞いて、何が言いたいのか哲也には理解が出来ない。 

    「すみません、もう少し簡潔に言ってもらえますか?」

    「そうだね。チョット遠回しな言い方だよね。まずは結論から話したほうがわかりやすいよね。君に頼みたいのは、私が心残りになっている人たちの消息というか今の様子を調査してもらいたいのです」

     加西からの頼みが調査依頼と判明して、哲也は最初に思ったことをそのまま口にする。

    「調査依頼ですか。ボクなんかよりも専門の業者のほうが確実だと思いますけど……」
     哲也の言葉を聞いて、加西は少々残念そうな顔をする。

    「君が言うことは正しいと思う。でもね、私の考えはチョットだけ違うんだよ。専門の業者はね、ある意味では完璧な仕事をしてくれそうだけど、私が求める情報を得てくれる可能性は低いと思う」

    「それはどういう意味ですか?」
    「費用の割には日数ばかりがかかって、大した成果を得られないだろうという意味だよ」

    「待ってください。ボクは社会経験も少ない全くの素人ですよ。プロよりも成果をあげるなんて不可能ですよ。確かにボクのバイト代のほうが安いと思いますけど……」

     加西は哲也の表情を見て、少し時間をかけて説明すべきだと思いながら問いかける。 

                   ◇

    「今夜の宿はどうなっていますか?」
    「えっ? ああ、特に決めていません」

    「明日からの予定は?」
    「それも、特に決まっていませんが……」
     哲也の受けこたえを聞いて加西が笑い出す。

    「やっぱりいいね、若い人は。先のことはあまり考えずに行動が出来るのは、うらやましいです」

    「単にズボラなだけですよ。休暇は自由気ままが一番だと思っています」
    「それじゃ、時間があるみたいだから順番に話しますよ。聞いてもらえますでしょうか?」

    「はい。遠慮なくどうぞ」

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     加西はアイスコーヒーを飲んでから、窓の外に視線を向けて話し出した。

    「20歳の時に母が病死して、人生観が大きく変化して20代に突入しました。私にとっての20代は、とても長く感じて、最も多くの出来事があった。出会った人たちを思い出すと、いくつもの記憶が蘇ってくる。特に女性だけどね。舞浜にある『夢と魔法のテーマパーク』が開業した年に、私は友人たちと仙台を旅しました。もうすぐ22歳になる前の夏頃だった」

     哲也はコーヒーを飲みながら聞いている。

    「友人の知り合いの人の家に泊めてもらうとだけ聞かされていたのですが、到着して初めて知りました。友人の知り合いは自分たちと同じ歳の女の子でした。かつて家族ぐるみでの交流があったらしく、快く迎い入れてくれました。仙台七夕まつりを見るのが旅の目的でしたが、実際にはノープランでしたね」

     哲也は何度かうなずきながら聞いている。

    「友人の知り合いはマユミさんと言って、仙台の大手デパートに勤務している人です。七夕まつりの前日は仕事があって案内が出来ないらしく、自分の代わりに同級生の友人が案内をすると言って紹介してくれました。まずは、その同級生である女性の消息が知りたいですね」

     加西の話に区切りがついたタイミングで哲也が言った。

    「それって、今から40年近く前の出来事ですよね。その人とは何かあったんですか?」

     加西は何かを思い出すかのように目を閉じたまま言った。

    「マユミさんの同級生はタイコさんというおとなしい女性でした。1ヶ月後に別の友人と一緒に東京へ旅行すると言うので、連絡をくれたら自分が案内をすると言いました」

    「それで……タイコさんから連絡はあったんですか?」

    「はい、ありました。彼女たちの目的の一つが現在の舞浜駅にある夢と魔法のテーマパークだったので、私も友人と一緒に行きました。友人の車で彼女たちを迎えに行ったのですが、台風の影響で開園が1時間遅れるというアクシデントがあったな……結果的には、初めてのテーマパークを彼女たちと満喫することが出来て良かったよ」 

     哲也は話の続きを黙って待っている様子。

    「タイコさんに今後の予定をたずねました。明日は友人とは別行動で用事があると言われたので、思い切って言いました……『良かったら明日も会いたいです』……勝手に口が動いていましたね」

    「若い頃は積極的だったんですね」
     哲也に言われて、加西は照れた顔をしながらこたえる。

    「我々世代では草食男子なんて言葉はなくて、誰もが肉食男子だったから当然だと思う。用事は夕方だからそれまでは大丈夫……タイコさんがそう言ってくれました。その言葉を聞いて、私は鎌倉を案内しようと決めました」

    「それで鎌倉の案内はどうなりました?」
    「自分としてはデートのつもりでがんばったんだけど、現代のようなツールが全く無かったから途中で道を間違えて……迷子になって悲惨だったよ」

    「何があったんですか?」

    「北鎌倉駅で降りて円覚寺(えんがくじ)へ行こうとしたんだけど、右へ進めば直ぐなのに間違えて左へ行ってしまった。そこは高台にある住宅街で、迷子になってしまい脱出するまで2時間も要してしまった。

     途中で雨が降ってくるし……とにかく悲惨だった。ようやく雰囲気の良い喫茶店のテラスで休憩したけれど、タイコさんが人と会う約束の時刻が迫り、一緒に戸塚駅へ向かいましたよ」

    『スマホがあったら良かったのにね』と、哲也が言った。 

     哲也の言葉にはこたえず、加西は話を続ける。

    「戸塚駅に着いて改札口を見たタイコさんが、手を振りながら改札口へ歩いて行きました。私は離れた所から見ていたのですが……彼女の待ち合わせの相手は同世代の男でした。それを見た瞬間、自分なりに思う所がありタイコさんには何も言わずに帰りました」

    「タイコさんの彼氏だと思ったんですか?」

    「なんだろうね。まさか男だと思っていなかったからショックだったのかもしれない。後でわかったんだけど、何かのチケットを手配してくれた知り合いらしくお礼を言うために会ったとか……」

    「どうして確認もせずに帰ったんですか?」
    「どうしてかな……知るのが怖かったのかも」

     ふたりが同時にコーヒーを飲んだ。

    「それで、その後はどうなったんですか?」
    「私は戸塚駅から新橋駅へ移動して、彼女が宿泊しているホテルへ行ってメッセージを残して帰りました」

    「どうしてメッセージを残したのですか?」
    「どうしてかな……黙って帰ったことを詫びたい。そんな気持ちがあったのかも」

    「タイコさんとは、それっきりですか?」
    「数回だけ手紙のやり取り……つまり文通をしましたが、いつの間にか自然消滅したようですね。正直なところ、ほとんど記憶に残っていません」

    「つまり、タイコさんとは何も始まってはいない……そんな感じで終わったんですね。だとしたら、どうして今頃になって気になるんですか?」 

     加西は、哲也の問いかけにこたえようと思案する。

    「東日本大震災があったでしょ、あの時に突然思い出したんだよ。マユミさんやタイコさんは無事なのかなって……」

    「もう10年以上も経っていますよ。もっと早く確認しようとか思わなかったんですか?」

     哲也に言われて、なんとこたえれば良いのかわからない。

    「そうだよね。言い訳になるけれど、あの頃は職場の環境が変わって精神的にも余裕がなかった」

    「そうでしたか。今だからいろいろと思い出して気になるんですね」

    「彼女たちとはさ、ほんの数日しか接点がないけれど、あの頃に出会った人たちってね、チョット特別な存在なんですよ。自分がさ、もっと別の考えや行動をしていたらね、今とは全く違う人生を歩んでいたかもしれない……そう思うとね、今もどこかで元気に過ごしていたらいいなって……今更ね、彼女たちに会いたい訳ではなく、今の様子がわかればそれだけでいいんです」

     加西の話を聞いている内に、自分の親父が生きていれば何を考えているのか聞いてみたい気分になった。

    「あのう、加西さんが最初に言っていた『私が心残りになっている人たちの消息を調査』とは、マユミさんとタイコさんでいいんですよね……」

     哲也の問いかけに加西は返事をしない。

     しばらく沈黙が続いたので、気持ちを察して哲也が言う。
    「ボクはなんでも聞きます。もしかして、彼女たち以外にも消息を知りたい人がいますよね」

    「ありがとう。君の言う通りだよ。他にも何人かいます。聞いてもらえますでしょうか?」
    「まずは全部聞かせてください」

                   ◇

    「気になっている人はね……あと三人くらいかな。まずはスナックでバイトをしていた女性です。タイコさんと自然消滅した頃、友人の母親がスナックのママとして店を開店しました。私は酒をほとんど飲みませんが、開店祝いのつもりで店に行ったんです。アルバイトの女性がひとりいて紹介されたんですよ。お店の源氏名が『ゆう子』って言っていたかな。それでね、その日に私は人生において最初で最後となる体験をしたんです!」

     加西が少し興奮気味なので、哲也が口を挟んだ。
    「大丈夫ですか? あまり興奮しないで……」
    「いや、失礼しました。思い出したらチョット興奮しちゃったよ」

    「それで、お店で何があったの?」

    「彼女とチークダンスをしましたよ。フォークダンス以外に経験は無いから何もわからずにいたら、彼女の手ほどき身体を密着させて足を左右に動かす……それだけのことでしたが、22歳の男には刺激が強過ぎました。実は彼女は友人とは同級生……つまり自分とも同学年なので、心臓がドキドキしっぱなしだったと思う」

    「その女性とは、その後の進展はあったの?」 
     哲也の言葉遣いは、1時間前よりもかなりフレンドリーになっている。

    「デートに誘ったよ。ドライブをしたりボウリングをやったりした。3回デートをしたけど友達みたいな感覚だった」

    「チークダンスをやった仲なのに……。手をつないだりキスもしていない、プラトニックな関係だったのですか?」

    「まあ、そんな感じだったよ。それでね、次のデートをいつにしようかと思っていた頃、友人から彼女のことを聞かされたんだ。エミコちゃんはお見合いして結婚するらしいよって……」

    「エミコちゃん?」
    「はい、彼女の本名です」

    「なるほど。つまり彼女にとって加西さんは、結婚前の暇つぶし的な存在ってことになりますよね」
    「ストレートな言い方だね。でも当たっていると思うよ」

    「付き合ってくださいって、一度も言ってないんでしょ?」
     哲也に言われて加西は思った。
    『あの頃、どうして言わなかったんだろうか……』

                   ◇

     写真を撮ったこともないので、今では彼女の容姿を全く思い出せない。

     そして、タイコさんやマユミさんの顔も思い出せない。何も話さず頭を抱えている加西を見て哲也が声をかける。

    「どうかしましたか?」
    「うん。当時を思い出すとね、何があったかは思い出せるんだけど、彼女たちの顔がね、全然思い出せないんです」

    「写真とかは残っていないの?」
    「当時はね、カメラなんて全員が持っている時代じゃなかった……」

     哲也は自分のスマホを見ながらうなずく。

    「家族で旅行する時や大切な行事の時にだけ、特別に撮影するみたいな感じだったよ」
    『スマホがあったら良かったのにね』と、哲也がつぶやく。

     哲也のつぶやきに加西が言い返す。
    「それって、さっきも言ってたよね」

    「ボクたちの世代は小学生になった頃から便利なツールが存在しているけど、加西さんの話を聞いていると、あの日あの時に……スマホがあったら人生が変わっていたかもしれませんね」

     加西は、哲也の言葉を聞いて胸が熱くなった。

    「そうかもしれないけど、あくまでも想像だよね。便利になり過ぎて情報があふれている現代も、生きていく上での不便さはあるよね。タラレバなんてことは、昔も今も一緒だと思うよ」

                   ◇

    「それで……ゆう子さん? じゃなくてエミコさんでしたっけ。この人も気になっているから消息を知りたいってことですか?」

    「知りたい人の候補には入ると思うけど、この人はそこまでの思い入れはない。だから保留にする」

    「それじゃあ、次の人をどうぞ」
    「次の人か……なんとなく優先順位をつけてしまいそうなんだけど、39歳の時に出会った人の話をするね。チョット遠回しな言い方だけど聞いてください」

    「大丈夫です。もう慣れましたから」 

     加西が、恐縮した顔をしながら話し出す。

    「27歳の頃に6歳年下の女性と交際していました。同世代以外の人は初めてだったので、なんとなく相性が合わなくて、たった1年で交際を終わりにしました」

    「終わりにしましたって……どういう意味ですか?」

    「つまりですね、自分から交際をやめようと思った最初で最後の女性でした。会社の同僚の紹介でつき合い始めたのですが、どうしても好きになれず、無理して好きになるくらいなら彼女なんていなくてもいいのか……あるいはいないよりはいたほうがいいのか……このまま付き合っている内に好きになれるのか……随分と悩みました」

    「その時の決断を後悔しているんですか?」

     すると加西が即答する。
    「全然後悔していません。それよりも交際したことを後悔しているかもしれませんね」

    「それで、その女性と39歳の時に出会った人とのつながりは?」
     哲也は、椅子に座り直しながら問いかけた。

    「年下の女性との交際は自分には不向きだと決めつけていたので、女性と交際するのは諦めていました。それから10年以上も経過した頃に、通院中の歯科医院で衝撃的な出会いがあったんですよ」

    「大丈夫ですか、興奮しないで下さいね」

    「うん、わかっている。大丈夫だ。歯科助手をしていた女性の優しい言葉遣いに、自分が忘れかけていた感情が揺さぶられました!」

    「彼女はどんな人だったんですか?」

    「大人しそうな女性でね、顔がドンピシャだったんですよ」
    「ドンピシャって、なんですか?」

    「ごめん、オッサン言葉だよね。そうだな、どストライクって感じだな。どう、わかる?」

    「どストライクですか……なんとなくですがわかります。自分にとっての究極のタイプというか好みだったってことですよね」
    「ありがとう、わかってくれて嬉しいよ」

    「それで、その歯科助手さんとは何かあったんですか?」

     加西は当時を思い出している様子。哲也はぬるくなったコーヒーを飲みながら言葉を待っていた。

    「彼女を意識し始めたらね、痛い治療にも耐えられて通院が苦ではなくなったよ。最後の治療が終わって窓口で精算をする時に、窓口の彼女にメールアドレスを書いたメモを渡したんだ」

    「おっ、頑張りましたね」
     加西との会話に慣れてしまった哲也は、受け答えにも変化が出てきた。

    「たぶんだけど、すぐに彼女からメールがあったと思う。彼女は治療に関する質問があるのだと思ったらしく、私が好意を持っているとは捉えていなかったようです。そして彼女が24歳であり私とは15歳もはなれていると判明しました。彼女自身が自分のことを老けて見られると言っていたけど、想定外すぎる若さだった……」

    「その女性について何か覚えていることはありますか?」
     加西は、一生懸命に記憶を手繰り寄せているようだ。

    「名前は……たぶんジュンコだったような気がする。お母さんを亡くしていて父親とふたり暮らしだと言っていた。お兄さんがいて結婚しているとか言っていたような気もする」

    「ジュンコさんとは進展はあったのですか?」

    「何度かメールで会話をしました。私なりに好意を持っていることは伝えましたが、彼女としては年上の相談相手としか思っていなかったようです。ある日のこと、2週間前に自分の先輩から男性を紹介されたと言っていました。男性はその先輩の元カレだそうです。ジュンコさんは私に『どう思います?』って聞いてきたんです」

     哲也に意見を求めるかのように、加西は話を中断した。

    「加西さんの気持ちを知っているとしたら、かなりの不思議ちゃんか小悪魔ですよね。15歳も差があると感覚のズレが半端ではなさそうですね」

    「今だからね、こんなふうに話せるけどさ、彼女を最初に見た時のドキドキ感はあっという間に消えてしまった気がする。それからさ、先輩に紹介されたのが2週間前って言っていたのを思い出してね、自分は彼女を知って数ヶ月も経っているのに……もっと早く告(こく)っておけばなんて思ったりしたんだよ」

    「こういうのって、後悔先に立たずって言うんですよね」
    「そうだね。後悔の連続だよ」

    「ジュンコさんとは、その後もメールを続けたんですか?」
    「先輩から紹介された彼氏の話よりも衝撃的な話を聞かされたよ」

    「なんですか、それって?」
    「家に帰って来た父親が彼女に言ったそうです。癌(がん)になったって……冗談や悪ふざけとは思えないけど、俺に話すことかなって思った」

    「何か言ってあげたんですか?」
    「全然覚えていない。彼女にはお兄さんがいるから何も助言なんかしていないと思う。もしかしたら何も返事をしていないのかも」 

                   ◇

     加西の会話が途切れると、病室内に静寂さが戻った。

    「つまり、ジュンコさんとは、それっきりという感じですね」
     加西が黙ったまま大きくうなずいた。

    「ジュンコさんの消息も知りたいんですか?」

    「そうだな、自分をドキドキさせてくれた最後の女性だったからね。実はさ、さっきのエミコさんもお母さんがいない人でね、自分と同じ境遇だと思っちゃったから親近感を持ったのかもしれない」

    「これで全部ですか? まだ話していない人はいますか?」
     哲也の問いかけに、加西の表情が変わる。

    「加西さんってわかりやすいですね。もしかして本当は一番知りたい人の話をしていないとか……」

    「実はそうなんだ。いきなり全部を話すと、君が呆れてしまうと思ったから言おうか迷っていた」

    「大丈夫ですよ。もう充分に呆れていますから。今更ひとりくらい増えても同じですよ」

     加西は頭をかきながら苦笑いをしている。

    「どうぞ、全部話してください。そうしないとボクのほうの準備が出来ませんから」
    「準備って……もしかして調査してくれるのですか?」

    「それは置いておいて、とにかく全部聞かせて下さい!」 

                   ◇

     加西はコーヒーを飲み干してから呼吸を整える。

    「君が察した通り、最後に話す女性は特別な女性です。私自身がプロポーズをした唯一の女性ですから……相当長い話になりますが、どうか宜しくお願いします」

    「えっ、長いくなるの? トイレに行ってきたほうが良さそうかな?」
    「まさか、逃げたりしませんよね」

    「逃げたりしませんよ。まだ交通費だってもらっていないし……」
    「そうだった、大変失礼した。トイレへ行くついでに炭酸飲料を買って来てほしい。君も好きなのを買ってください」

     そう言って、さっきの小銭入れを哲也に渡した。 

                   ◇

     哲也が病室に戻って来ると検温の時間だった。看護師が出て行くと午後4時を過ぎていた。

    「哲也君、今日の宿だけど私が手配しましょうか?」
    「お任せします」

    「じゃあメールを送るからチョット待ってね」
     加西は慣れた手つきで文章を入力してメールを送信した。

    「さあ、あとは返信を待つだけだ。話の続きをしよう」
    「はい。なるべく簡略化してくださいね」

    「それは無理だな。俺にとって1985年は、人生を大きく左右した日々の連続だった」
    「わかりました。要点だけをハッキリと話してください」

     加西はベッドのリクライニングを更に起した。 

                   ◇

    「全ての始まりは、私の声フェチでした。23歳の冬の日、当時勤務していた本社の9階にある自動販売機の前で女性が立ち話をしていました。私がいた事務所内には顔なじみの保険外交員のオバさんがきていたので、自動販売機の前で話している女性を知っているかと聞いてみた。3階の事務担当だと教えてもらえました」

     哲也は、声フェチがどう影響したのか気になっている。

    「声フェチだった私は、遠過ぎて顔も確認できないのに彼女の高い声が気に入ってしまい、紹介してほしいと保険外交員のオバさんに頼みました」

    「顔を見ていないのに……ふ〜ん、声フェチね……。それで、それからどうなったの?」

     2時間近くも会話を続けているので、会話口調が完全にマブダチみたいになっている。 

    「10日くらいした頃に、保険外交員のオバさんから連絡があったよ。彼女から『サワダさんの紹介なら会っても良いですよ』と返事があったらしくて、後は自分で電話して誘いなさいと言われたんだ。
     俺は彼女の気が変わらない内にと思ってすぐに連絡した。そしてランチしませんかと誘った!」

    「当時の加西さんは超積極派ですね。今の姿からは想像もできませんよ」

    「君は『ラブ・ストーリーは突然に』っていう流行歌を知っているかな?」
    「有名なサビの部分は覚えていますよ。親父が歌っていたから……」

    「あの曲が生まれる前の出来事だったけど、俺はあの時を思い出すたびに、あの日に、あの時に、あの場所で、彼女に出会わないほうが良かったのかもしれないと何度も考えたよ」

    「その彼女さんとの思い出は、黒歴史なんですか?」

     哲也の問いかけに、加西は黙ってしまった。

     今度の沈黙は今までで一番長い。哲也はコーラを飲みながら、加西が覚醒するのをじっくり待つ。 

    「少なくとも黒歴史ではないかな。彼女との思い出は、良かったことよりも悲しかったことのほうが鮮明に覚えているよ。人生がやり直せるなら、彼女に会う前に戻りたいかもな」

    「それで、ランチはどうなりました?」
     いつの間にか哲也は、優秀な聞き手になっているようだ。

    「もう気づいているかもしれないけど、待ち合わせの場所に行く途中で驚愕の事実を知った……俺は彼女の顔を知らない。さらに名前もアイダなのかマエダなのか記憶が曖昧でハッキリしない。
     待ち合わせ時刻に1分だけ遅れて到着したら、3階エレベーターホールには誰もいなかったよ」

    「何やってるんですか、段取りが悪過ぎですよ!」
     哲也の言う通りだ。

     その頃の加西は勢いだけで、段取りが全く出来ていなかったのだ。

    「俺はさ、すっぽかされたのかもと思ったんだけどね、呆然と立っていたら女性たちが近寄って来て言ったんです。加西さん?って」

    「おお、良かったじゃないですか。それからどうなりました?」

    「背の高い人と背の低い人のふたりだったので、内心では『どっちだ?』って感じだったよ」

     哲也の関心度は高まりつつある。
    「背の低い人がマエダですって名乗ってくれたから、『ああ、この人なんだ』とわかった。これが彼女とのファーストコンタクトってやつでした」

    「加西さん、やっと彼女と会えたみたいですけど……話が長過ぎ!」
    「仕方がないよ。これが彼女との3年間を語る上での原点なんだから」
    「マジっすか! 3年分もあるんですか?」
    「大丈夫よ。ここからはさ、あっけなく終わるから……」 

                   ◇

     加西のノートパソコンにメールが届いた。さっき送信した宿からの返信メールである。

    「宿屋の主人が迎えに来てくれるそうだよ。あれっ、もうすぐ来るみたいだな。残念だが今日はこれで中断ですね」

    「加西さん、マエダさんという女性については最後に全部聞きますよ。それ以外の女性の調査から取りかかります。それぞれの女性について手掛かりになることをメールで教えてください。それから、ボクを雇う条件も明確に文書化してほしいです」

    「わかりました。今から作成して君に送信します。では、とりあえずこの封筒を受け取ってください」

     加西は哲也に封筒を二つ渡す。哲也が封筒の中を確認すると、片方には1万円札が5枚入っている。そして、もう一つの封筒にはクオカードが3万円分も入っていた。

    「コレの説明をしてくれます?」
     哲也の問いかけに加西がすぐに答えた。

    「現金のほうは、今日の交通費2万円分と今日から3日間分のバイト代です。クオカードは食事をする時に使ったり、情報提供者への謝礼として使ってください」

     よく見ると、クオカードの額面は3種類ある。

    「バイト代って……日当1万円ですか? ボクが自己申告するんですか? というより、ボクがコレを持ち逃げするとか思わないの?」

    「だってさ、今日会ったばかりの人を信じられるかというよりもね、まずは自分が相手を信用する……それが先だと思う。こちらから依頼……つまりはお願いしている立場なんだから、可能な限り君にとっても有意義であるべきだと考えています」

    「わかりました。とりあえず、活動した日だけバイト代をもらいます。今日は宿で今後の対策を考えることにしますね」 

     哲也の話が終わると、病室の入り口に誰かが立っている。

    「ああ、どうも。お迎え、ありがとうございます」
     加西が言うと、宿の主人が片手を上げて微笑んでいる。

     宿の主人がベッドまで来ると、加西が哲也を紹介する。
    「今日は彼を泊めてください。料金は私が支払います。どうぞ宜しく」
    「民宿をやっている大山と言います」
     哲也は大山と挨拶を交わす。
    「太田です。では、行きましょうか」
     
     哲也は加西に会釈してから、宿の主人について行く。 

                   ◇ 

     病院の外に軽トラックが停まっている。

    「買い物のついでに立ち寄ったからさ、軽トラだけど我慢してね」
     宿の主人の言葉に哲也はすぐに答える。
    「とんでもないです。迎えに来ていただいただけで有難いですよ」

     軽トラに乗り込むとすぐに発進する。
    「お兄さんは加西さんの知り合いかな?」
    「ええ、まあ。チョット用事を頼まれて会いに行ったんですよ」
     軽トラは10分程走って民宿に着いた。

     哲也が宿帳に記帳すると、主人が自ら部屋まで案内してくれた。

    「食事はどうします?」
    「簡単なものでいいです。定食みたいな感じで」

    「カツ丼と味噌汁みたいな……」
    「はい、カツ丼と味噌汁がいいです。お願いできますか?」

    「ええ、お安い御用です。何時頃がよろしいですか?」
    「夜7時でお願いします」

    「かしこまりました。風呂はいつでも入れますのでどうぞ」
    「ありがとうございます。では早速風呂に入ろうかな」
    「では、ごゆっくり。失礼します」 

                   ◇

     主人が部屋から出て行くと、哲也は部屋の外の景色を眺める。

     なんとなく成り行きで人探しを引き受けてしまった。すでにバイト代や必要経費らしきモノも預かってしまった。今さら断れる状況ではない。

     出会ったばかりの若僧を信用してくれるのは嬉しいが、それだけ期待が大きいからだろう。

                   ◇

     大浴場へ行くと小さな露天風呂もある。哲也は湯船に浸かりながら、明日からの行動を考え始めた。

    『人探しってどうやるの?』

     引き受けたものの、そのノウハウは全くないのである。生まれ育った土地ならば人脈を頼ればいいが、見知らぬ土地での調査は何からすべきなのかさえわからない。まずはネット検索だな……現代人にはネットが最も頼れるアイテムだと哲也は思っている。 

     部屋に戻った哲也は、すぐにノートパソコンを開いて検索開始。

    『人探し 方法』で検索すると、興信所や探偵社の広告が……。広告以外にも情報があり自力で探す場合の手段が書かれている。 

    ①インターネットのSNSを活用。
    ②人探し専用の掲示板で探す。
    ③知り合いをたどる。 

     他にも書かれているが、素人の自分には現実味が無さそうだった。

     探偵社に依頼した場合の経費を見ると、1週間で50万円以上が相場だと書かれていたので驚いた。

     哲也が頼まれた調査依頼は緊急性が全くない上に、40年近く前の人たちなのだ。なんとなく途方にくれていると、加西からのメールが届いていた。

     メールには、女性たちのフルネーム以外には当時の家があった付近の情報だけだった。 

    ①宮城県の女性 (カンノタイコ、タカハシマユミ) 
          最寄り駅が旧野蒜(のびる)駅。(震災により駅が移転した)
    ②千葉県の女性 (コウノエミコ)
          現在の船橋アリーナ付近に住んでいた。
    ③千葉県の女性 (タシロジュンコ) 
          東葉高速線の八千代中央駅付近の歯科医院に勤務していた。 

    『この情報だけで消息をたどるのかよ!』

     哲也は依頼を引き受けたことを早くも後悔している。40年近く前だから、結婚して姓が変わっている可能性がある。

     ②の女性は見合いして結婚したらしいという情報もあるのだ。さらに、存命中かさえ怪しいかもと思えてきた。

     しかし、加西氏の話の内容では何がなんでも……という雰囲気ではないような気がする。とりあえず、たどれる所まではチャレンジしようと決めた。

                   ◇

     ミスターKと名乗っていた男性との対話を終えたので、旅ブログの更新をはじめた。

     『ミスターKさんに会いました! どんな人なのかと不安でしたが、どこからどう見ても普通のオッさんでした。本当に複雑骨折をしたらしく、ベッドで寝ている姿は痛々しいという感じでしたね。家族も友人もいないので、退屈な日々を紛らわす目的でターゲットをしぼってメールを送ったそうです。

     実際に会いに来た人は俺が最初らしい。軽い世間話だけで終わると思っていたけれど、話の流れである調査を頼まれてしまった! 調査依頼なら専門職の人に依頼すればって言ったんだけど、俺みたいな若者に託したいとか言うからどうしようかなって……俺の父親世代の人からの頼みだから断りにくいよね。それでさ、結局は引き受けてしまった。

     調査依頼の内容は、オッさんが40年くらい前に出会った女性の消息だった。調べてほしいって言われたけど、どうやればいいのかマジでわからん。

    オッさんから交通費などの必要経費以外にも、数日分のバイト代を受け取ってしまった。今夜宿泊している民宿の費用もオッさんが支払ってくれる。長期休暇中なので乗り鉄旅以外に予定はないお気楽な俺でも、この先の展開は全くの未知数だぞ。

     明日の朝のヒラメキを期待して寝ます。見知らぬ土地の民宿にて……哲ちゃんより』

     飯山線にて下車した無人駅と、病院へ向かう途中で撮影した田舎道の写真を添付して終了。

     旅ブログの更新を終えて一息つく。明日は仙台方面へ向けてスタートしようと考えて寝る。この調査が哲也にとって、自身の人生を左右する展開になるとは……現時点では想像もしていなかった。 

                   ◇ 

     翌朝は簡単な朝食を済ませてから、宿の主人の厚意で最寄り駅まで車で送ってもらった。列車を待つ間、加西氏へのメールを書く。 

    『加西さんへ 昨夜のメールを見て、宮城県の女性が2名なので情報の手掛かりが多いと予測しました。まずは仙台駅を経由して旧野蒜駅へ行き、現地での聞き込みをする予定です。何かわかりましたら早めにお知らせします。 太田哲也』 

     とりあえず調査を開始したが、土地勘が無いので前途多難という心境である。メールを送信したが、次の列車まで1時間以上も待つ。

     仙台駅までの普通列車によるルートを確認する。

     飯山線・ほくほく線・上越線・信越本線・羽越本線・米坂線・山形線・仙山線と乗り継ぎ、仙台駅に着くのは午後10時頃と判明。ほくほく線以外は青春18きっぷが使えるので、運賃はかなり節約出来そうだ。 

     自称『乗り鉄』である哲也にとっては、多くの在来線に乗れる……それが何よりもワクワクする。

     車窓を眺めていると線路沿いには千曲(ちくま)川が見えるが、新潟県に入ると信濃(しなの)川という名前にかわるらしい。

     のどかな『乗り鉄旅』をしていると、加西氏から依頼されていることを一切忘れたまま乗り継ぎを繰り返していた。

     山形線に乗った頃になってようやく、仙台に着いたらどうしようかと真剣に考え始める。

     すると突然、仙台に住んでいるいとこの存在を思い出す。

     かなりのご無沙汰ではあるが、仙台界隈での調査に付き合ってもらえたら助かるかもと思う。特に女性の消息を調べる場合は、女性が一緒のほうがやりやすいとも思える。
     哲也はダメ元で、いとこのサクラ姉ちゃんへ電話しようと決めた。 

     仙台駅に到着後、すぐに電話をかける。

    「もしもし、サクラ姉ちゃん。お久しぶりです!」
    「えっ、哲ちゃん?……どうしたの、こんな時間に」

    「あのさ、俺ね、仙台駅にいるんだ」
    「旅行なの?」

    「半分は旅行なんだけど、半分はバイトかな」
    「何よそれ……ねえ、私に何か用事があるの?」
    「うん。チョット頼みたいことがある。明日会える?」

    「随分急じゃないの。哲ちゃんの頼みじゃ仕方ないわね。いいよ」
    「サンキュー。待ち合わせ場所は……何時にする?」

    「じゃあさ、朝ごはんおごってよ。8時に仙台駅ね。着いたらメールする」
    「わかった。じゃあ明日、おやすみ」
    「じゃあね、おやすみ」

     電話を終えると、遅い食事を済ませてから、予約しておいたカプセルホテルに向かう。今日は移動だけの一日だったが、車窓三昧だったので目が疲れた。風呂から上がると、あっという間に眠ってしまった。 

                   ◇ 

     翌朝に仙台駅へ行くと、いきなり大声で呼ばれた。哲也が声のするほうを見ると、サクラ姉ちゃんが手を振って近づいてきた。

    「おはよう。俺のこと、よく気づいたね」
    「駅前でキョロキョロして目立ってたからね。おはようさん」

    「朝メシ、どこで食べるの?」
    「こっちよ」

     身長が伸びて大人の顔つきになっている……そんな哲也の姿を見てサクラは驚いたが、哲也には悟られないように自然な素振りをする。

     哲也がサクラの後をついて行くと、駅ビル内の定食屋に入る。

     定食を食べると、『やっぱり米の味が全然違うね!』と、哲也は思わず言ってしまう。

    「哲ちゃんは今、東京だったわよね。そんなに違う?」
    「昨日の朝は新潟県の民宿で朝メシ食ったけど、やっぱり米が旨いなあと思ったよ」

    「なんで新潟県の民宿に泊まったの?」
    「話すと長いから、朝メシの後で話すよ」
    「わかった」

     サクラは哲也よりも5歳年上である。小さい頃から仲が良いので、哲也にとっては実の姉よりも話がしやすいのだ。

     朝食の後、コーヒーショップに入店。席につくとサクラが問いかける。
    「さっきの話の続きと、私への頼みごとって何?」
    「とりあえずダイジェストで話すね。質問は話を聞き終わってからにして」
     サクラがうなずいたので哲也は話し出す。

    「新潟県の病院に入院している60歳の男性からメールがあった。相手の素性を知りたくてメールを返信した。話し相手がほしいから面会に来てくださいと言われた。経費は相手持ちだと言われたので旅の途中で立ち寄った。複雑骨折で入院中の男性から頼みごとを言われたので話を聞いた」

     哲也の語り口調に困惑しながらも、サクラは話を理解しようとしている。 

    「20代の頃に出会った女性の消息を知りたいと調査依頼を受けた。最初の調査依頼対象者が仙台エリアなので、サクラ姉ちゃんのアドバイスや協力を得ようと思った。依頼主が業者を頼まなかった理由は、40年近く前のことなので緊急性が無いから。それ以外の理由として、専門家ではない人の感覚を頼りたいらしい。以上です」

     哲也の話を聞いたサクラは、頭の中を整理してから言った。

    「どうして依頼を受けちゃったの? 素人には無理でしょ」

    「日当1万円のバイトとして引き受けちゃった。病人からの頼まれごとを断れると思う?」
    「哲ちゃんってさ、そういうキャラだった?」

    「自分でも不思議なんだけどね、俺のオヤジと同世代の人だから無視出来ないって言うか……好奇心もあって気づいたら引き受けていたんだよ」

    「それで、私は何をしたらいいの?」
    「何から始めたらいいか、一緒に考えてくれないかな?」

    「いいけど。考えるだけでいいの?」
    「時間があったら一緒に調査してほしい。もちろんお礼はするよ」
    「お礼って何?」

     哲也は封筒からクオカードを取り出して見せる。

    「これは依頼者から預かったクオカード。調査協力者に提供してと言われているんだ」
    「ふ〜ん」

     するとサクラは、5000円のクオカードを1枚つかみ取る。
    「いいわよ。暇だから付き合ってあげる。報酬はコレね」
     サクラの協力が得られたことで、哲也は急にやる気モードになった。 

    「依頼者のオッさんは、何がなんでも消息を知りたい……という感じではなかった。俺の印象としてはさ、自分の代わりにやれるところまでチャレンジしてほしい……それで消息がわからなければ仕方がないけど、調査したプロセスは気になるかもしれない」

    「なるほど。人探しの代行みたいなニュアンスなのね。会いたいのではなくて、わかるところまでの消息が知りたいということか……」

    「さすがサクラ姉ちゃんだ。その通りだよ。当時の名前以外には住んでいた場所の最寄り駅しか情報が無いんだ」

    「最寄り駅ってどこの駅?」
    「旧野蒜(のびる)駅だって」

    「仙石線か。震災の被害が大きかったから移転してるんだよね」
    「依頼者のオッさんは、震災があったから思い出したらしいよ」

    「つまり、無事に生きているのか気になっているということね」
    「当時の写真が無いし、連絡先も知らないけれど、いろいろと考えた結果が俺みたいな若者のフットワークに託したみたい」

     サクラは哲也の話を聞いている途中で、自分なりのアプローチについて考えがあった。

    「ターゲットの女性はふたりだよね。どっちかがメインなの? それから最寄り駅に住んでいたのはどっちかな?」

     哲也はメモを見ながら言う。
    「重要なことを言っていなかったよ。メインはタイコさんで、家はマユミさんです。ふたりは、たぶん同級生らしい」

     哲也から得られる全ての情報を聞いて、サクラは考えをまとめた。

    「まずは旧野蒜駅付近で聞き込みしよう。マユミさんの実家の場所をつきとめる。それからマユミさんとタイコさんの同級生を探す。卒業アルバムで顔を確認する。当時の同級生の中に消息を知っている人がいないか調べる。市役所へ行って、震災で亡くなった方の名簿が閲覧出来るか確認する。とりあえずはこんな感じだね」

    「サクラ姉ちゃん、凄いよ。その考えに賛成です!」

     店を出て仙石線のホームへ向かった。 

                   ◇ 

     およそ1時間後、ふたりは野蒜駅に到着した。従来の駅よりも約500メートルも内陸部に移設されたようなので、海岸部に向かって捜索を始める。

     野蒜海水浴場を目指していると県道27号線に差しかかる。道路沿いを見渡すと時々車が通り過ぎるが人の気配がない。

     建物は比較的新しいモノばかりで、古くから住んでいそうな家は見当たらない。震災で駅や線路が流されたのだから、民家が残っているハズもない。

     スマホで検索すると、長音寺や宮野森小学校がある。県道沿いに茶屋が見えるので立ち寄ってみた。哲也は店内に入ると、店主らしき人に声をかけてみる。

    「あのう、チョットお聞きしたいのですが……」
    「なんでしょうか?」

    「この界隈に住まれていた方を探しています。この辺に市役所はありますでしょうか?」
    「東松島市役所でしたら、矢本駅の北側ですよ」

    「ありがとうございます。ちなみにですが、40年くらい前にこの界隈に住まれていらっしゃいましたか?」
    「いいえ。もっと離れた場所に住んでいました」

     すると、サクラが会話に加わる。
    「すみません、この辺に60歳くらいで、地元の人をご存知ありませんでしょうか?」
    「実はね、ここに来てから数年しか経ってないんですよ。知り合いに60歳くらいの人はいませんね」

    「そうでしたか。わかりました」
     哲也とサクラは、礼を述べて外に出た。

     店を出ると、顔を見合わせながら思案する。

     かつてこの地域に住んでいた人たちがどこへ移って行ったのか……やはり市役所でたずねるのが得策と思える。

    「考えていたって何も進展しないよ。とにかく市役所へ行こう!」
     サクラに言われて、哲也は駅へと歩き出した。 

                   ◇ 

     正午過ぎに東松島市役所に到着。

     受付にて、哲也が係員に問いかける。
    「すみません。旧野蒜駅付近に住んでいた知人の行方を知る手掛かりがほしいのですが、震災前の地図とか閲覧出来ますか?」

     窓口の係員は、いきなりのことで戸惑っている様子。

     すると、サクラも係員に問いかける。
    「あのう、東松島市で震災被害によって亡くなられた方の名簿って閲覧可能ですか?」

     さらに係員が困惑していると、別の係員が応対してくれた。

    「すみませんが、現在は名簿の閲覧は出来ません。それから震災前の地図ですが、世帯の名前が表記されている地図のことでしょうか?」

    「はい、そうです。でも、探している人の家は40年近く前の情報なので……無理ですよね」

     哲也の表情は期待感ゼロという感じである。すると係員が言った。

    「それほど前に住んでいた人が、震災の時にも住んでいたとは限りませんよ。それから、宮城県だけでも震災による行方不明者の数が1300名以上もいらっしゃいます。さらに、野蒜地区だけでも500名以上の方が犠牲になっています。仮にですが……亡くなられた方の名簿が見られたとして、そこに名前が無かったとしても存命ということにはならない気がします」

     係員の丁寧な話を聞いて、ふたりは大きくうなずいている。

     哲也の代わりにサクラが言った。
    「実は、探しているのは……現在だと60歳の女性が2名です」
    「女性ならば姓が変わっている可能性もありますね」
     係員が的確なことを言う。 

     会話が途切れかけた時、急に哲也が言葉を発した。

    「あのう、一つだけ教えてください。旧野蒜駅付近に住んでいた人が40年以上前に通学していた中学校の名前はわかりますか?」

     係員は資料の確認をしてくれるようだ。数分後、結果がわかったらしく説明が始まる。

    「野蒜地区にあった中学校は昭和33年に創立されました。けれども、震災による甚大な被害を受けてしまい閉校になりました」

     係員の説明を聞き、哲也は絶句してしまう。

     サクラが哲也の分も礼を述べてから、哲也の腕を引っ張って市役所を出た。呆然としている哲也に向かってサクラが声をかける。

    「しっかりしなよ。依頼者から聞いた話でさ、何か忘れている手掛かりとかないの?」
     哲也は病院での出来事を少しずつ思い出そうと試みた。

    「そうだ。マユミさんは1983年当時、仙台駅の大手デパートの正社員だったとか言ってたよ」

    「それは手掛かりにはならないよ。デパートのどこのセクションだとかがわかったとしてもさ、当時の人はとっくに定年したり退職しているハズよ。問い合わせたって何も教えてくれないと思う」 

                   ◇ 

     矢本駅まで歩いている途中で哲也が言った。

    「そうだよな……1983年から震災があった2011年までは28年もある。ずっと地元に居続けるほうが難しいかも」

     するとサクラが変な事を言う。

    「もしもさ、今も地元の近くに住んでいたとして……ドラマだったら地元のエフエム局に人探しの協力依頼とかしてね、意外とアッサリ見つかるなんてパターンがあるのかも」

    「ドラマみたいにはいかない……やっぱり年数が経ち過ぎなんだよ!」

    「いずれにしてもさ、個人情報保護とかで簡単には教えてもらえないご時世だから……素人には限界だと思う」

    「そうだね。とりあえず、依頼主に経過報告のメールを送るよ」
    「暑いからさ、どこかのお店で涼もうよ!」

     駅近くの喫茶店に入って飲み物を注文した。哲也がメールの文章を書きはじめた。 

                   ◇

    『加西様、調査の経過報告をします。

     仙台で1泊した後、仙石線で野蒜駅へ行き旧野蒜駅へと向かった。旧野蒜駅付近では、聞き込みが出来そうな民家は無かった。矢本駅にある東松島市役所へ行く。人探しの手掛かりを求めたが、年数が経ち過ぎていて無理でした。震災の犠牲者の名簿などは閲覧出来ないそうです。

     震災での行方不明者は、宮城県だけでも1300名以上であり、野蒜地区での犠牲者も500名以上だそうです。マユミさんやタイコさんが通っていたと思われる中学校は、震災の被害によって閉校になっていました。マユミさんが勤務していた大手デパートも手掛かりにはなりそうもないので行っていません。

     震災当時に彼女たちが住んでいた確証がないので、これ以上の調査は難しいと考えます。如何でしょうか?      太田哲也より』 

     読み返してからメールを送信する。およそ15分後に加西氏から返信メールが届いた。 

    『哲也さん、お疲れ様です。調査報告を読みました。

     震災の有無にかかわらず、やはり年数が経ち過ぎていたと思う。個人的なノスタルジーで調査依頼をしたけれど、何事も引き際が大切だと思います。

     この件につきましては、調査を終了してください。どうも有難う御座いました。それから、あと一つの依頼についてですが……旅の終わり頃に病院に来て話の続きを聞いてください。お待ちしています。ではまた。          加西恭正より』

     哲也はメールを読み終えると、サクラにも見せた。

    「何コレ? あと一つの依頼って……」
    「依頼者がプロポーズをした女性のことみたい。その人の消息も知りたいらしいよ」

    「男はオッさんになってもさ、昔の彼女に未練があるのかしらね」
    「オッさんの話を聞いた限りでは、その女性については未練とかではないらしい」

    「じゃあさ、なんでわざわざ人を雇ってまで消息を知りたいの?」
    「それは俺にもわからないさ。だけどね、オッさんが何を思って依頼してきたかということ……それに興味がある」

    「そうなの……それはたぶん、オンナにはわからんことだね」 

     哲也は急に何かを思い出したらしく、スマホで何かを検索している。

    「さっきさ、地元エフエム局とか言ってたよね。ダメ元でさ、チョット行ってみようよ」
    「行ってどうするの?」

    「人探しのコーナーがあるか聞いてみるよ」
    「あったらどうするの?」
    「見つかったら、オッさんのメールアドレスを伝えてもらうとか……」

    「人探しのコーナーが無かったら?」
    「事情を話して、協力してもらうとか……」

    「でもさ、依頼者は調査を終了してって書いていたわよ」
    「自分のオヤジ世代の人からの依頼だよ。ハイ、そうですかで終わらせられると思う?」
    「その辺りがオトコとオンナの違いかもね。わかった、行こう!」 

                   ◇ 

     地元エフエム局に到着すると、オンエア中なのでしばらく待つ。

     ブース内の人と目が合ったので、何気なく哲也が会釈すると……。少してからブース内にいた人が出てきて話しかけられた。

    「君たちさ、何か用がありそうだよね」
    「はい、用があって来ました」
    「どんな用なのかな?」
    「用と言うよりも、まずは質問があります」
    「どうぞ」

     スタッフに促されたので、哲也はストレートに聞いた。

    「このエフエム局では人探しのコーナーとかありますでしょうか? もしも無かった場合、特別に人探しとかお願いできますでしょうか? お金は無いんですけど……」

     哲也の話を聞いて、スタッフは少し考えている。すると、サクラが援護射撃のように言葉を発した。

    「私たちはある人の依頼で来ました。1983年当時に旧野蒜駅付近に住んでいた人の消息を調べています。現在だと60歳になっている女性たちで、彼女たちの当時の名前以外には手掛かりがありません」

     サクラの真剣そうな表情を見て、スタッフは一旦ブース内に戻る。

     数分後、再び哲也たちの前にきたスタッフが……あと1時間くらいしたら話が聞けるので、待っていてもらえるかと言われた。
     哲也としてはダメ元のつもりなので、1時間なら待つと即答する。 

                   ◇

     それから1時間余り、哲也とサクラはエフエム放送を聞いていた。ようやくスタッフが現れて、事務所内に案内された。

     事務所内の椅子に座ると、まずは哲也が自己紹介を兼ねて話し出す。
    「ボクは太田哲也と言います。現在は東京在住ですが、新潟県内の病院に入院している知り合いから頼まれて人探しをしています」

     哲也に続いてサクラも名乗る。
    「私は山元サクラです。仙台市内に住んでいます。哲也のいとこで人探しの手伝いをしています」

     哲也たちの挨拶が済むとスタッフが言った。
    「私はエフエム放送局のディレクターで瀧内弘美と申します。人探しをされているそうですが、その経緯を聞かせてください」

     ディレクターから言われて、何から話せばいいのかと哲也は悩むがとりあえず思った事を言った。

    「最初にお聞きしたいのですが、人探しのコーナーはありますか?」
    「特にはありません。ただ、エフエム局は情報を発信するのが主な役割なので、人探しの内容を聞いた上で判断させてください」

     それを聞いたサクラが言った。
    「内容次第では、取り扱ってはもらえないということですか?」

     サクラの問いかけにディレクターの表情が曇る。

    「緊急性が高い場合は警察に相談されることを進言しますが、そうではなく1983年頃までさかのぼるそうですね。普通の方法では見つからないと判断されたからウチに来たのではありませんか?」

     ディレクターの指摘に返す言葉がない。

    「実はですね、震災当時から数年間は同様の問い合わせが毎日のようにありました。みなさん切実な状況であり可能な限り対応していました。あれから10年以上が経ち、人探しという言葉さえ聞く機会はありません。ですから、あなた方がいらした理由に興味を持ってしまったというのが本音です。宜しければ、どんな人探しなのか聞かせてください」

     哲也はディレクターの誠意ある言葉に納得して話し出す。

    「ボクは当人ではありません。ですから依頼者から聞いた内容だけを話します。依頼者は還暦を迎えた男性です。現在は新潟県内の病院に入院中であり、寝たきりの状態が続いています。

     依頼者は1983年に友人と七夕まつりを見るために、野蒜地区に住んでいる知り合いを訪ねたそうです。その知り合いの家にはマユミさんという同学年の女性がいて、マユミさんの同級生であるタイコさんという女性にも出会ったそうです。

     依頼者にとっては初めての東北旅行であり、20代前半の大切な想い出だと言っていました。彼女たちのことは遠い昔の記憶でした。しかし、震災が起きたことで消息を気にするようになったと言っています」

     哲也が一息つくとディレクターが言った。
    「探しているのはマユミさん?……それともタイコさんですか?」

     ディレクターの問いかけに、哲也は即答してしまう。

    「依頼者の話を聞いた印象では、多分ですがタイコさんの消息が最優先だと思います。でもタイコさんの消息を知るにはマユミさんの消息を知る必要もあると考えています」

    「依頼者とタイコさんに関するエピソードとか聞いていますか?」

     普通に話しただけでディレクターに伝わるのかと哲也は思うが、余計な脚色をするほうが誤解を招くかもと考える。

    「ボクが聞いた内容をダイジェストで言います。マユミさんの代わりにタイコさんが野蒜海岸を案内してくれた。その時のタイコさんの素朴な話し方が気に入ったらしいです。

     タイコさんが別の友人と東京観光へ行く予定だと聞かされたので、連絡をくれたら案内すると依頼者は言ったそうです。タイコさんから連絡があり、依頼者はテーマパークや鎌倉を案内したそうです。依頼者はタイコさんのことが更に気に入ったそうです」

     ディレクターは聞いた内容をメモしている。

    「依頼者はデート感覚のつもりだったみたいです。彼女が帰った後で文通をしたそうですが、距離が離れているなどの理由から、いつの間にか自然消滅したのだろうと言っていました」

     哲也は一息ついてから話を続ける。

    「依頼者はタイコさんに会いたい訳ではなく、無事に暮らしているのか……それだけでも知りたいそうです。あの時に自分がもっとがんばっていたら今頃は……というノスタルジーが、頭の中でざわついているとも言っていました。とりあえずですが、以上です」 

                   ◇

     哲也の長い話を聞いたディレクターが言った。

    「要約すると……依頼者が若い頃に出会った素朴な女性のことを、震災をキッカケにして記憶がよみがえった。還暦を迎え闘病中の身になり、若かりし頃のノスタルジーに頭が支配され、消息だけでも確かめたくなった。しかし自分自身が動き回れないので、若い青年に調査を託した……こんな感じかしら?」

     ディレクターの言葉に反応したのはサクラだった。

    「凄いですね。さすがディレクターさんだわ。哲也のダラダラした話を簡潔にまとめるなんて……ホント、驚きです」

     この発言の半分は本音であるが、もう半分はサクラの作戦である。サクラの大げさなリアクションを見て『ナイスなアシスト!』と、哲也は思った。

     依頼者である加西さんは寝たきりではあるが、その理由は複雑骨折だからであり、重い病気で余命が限られているわけではない。しかしながら、多少は大袈裟なほうが協力を得られる可能性が高くなるのかも……哲也が変なことを考えているとディレクターが話し出す。 

    「あのね、正直に言うとインパクトが薄いのよ。日本中のどこにでもある普通の出来事なのよね。だけどね、40年くらい前のことだからこそ注目されるべきポイントがあると思うの……それはね、『文通』というワードよ。私は文通をしたことがないの。あなたたちもそうでしょ?」

     哲也とサクラがうなずく。

    「そうよね。だってスマホがあるから。携帯電話やパソコンでメールをするのが当たり前の世の中だから『文通』って言葉が死語みたいに思えるわ。でもさ、私たちの親世代が若かった頃はスマホなんてツールが存在しなかった……昔の苦労話やエピソードを聞いたことがあるけれど、体験していないからさ、実感がわかないのよ」 

     ディレクターの話に区切りがついたと思い、哲也が話し出す。

    「依頼者の話を思い出しました。鎌倉で迷子になり2時間もムダにしたそうです。タイコさんにメッセージを残すために、宿泊先のホテルに出向いたと言っていました。それからカメラを持っていなかったので、仙台でもテーマパークでも鎌倉でも写真を撮っていないそうです。だから彼女たちの顔が思い出せないって……それらの話を聞いて、『スマホがあったら良かったのに』って思いましたね」

     サクラも話し出す。
    「タラレバの話になっちゃうけど、スマホがあったら依頼者さんの人生が変わっていたかもしれないわね……」 

                   ◇

     サクラの話を聞いてディレクターが言う。

    「人生が変わっていたかもですか……それはスマホの恩恵を受けている世代の発想だと思うわ。今の世の中はスマホがあったことで、若くして命を失ったケースも少なからず存在する。便利すぎる世の中だから、深く考えることもしないで思いつきで行動する人が多くなっている。そんなことになるとは思わなかったという言い訳は何度も何度も聞いた……」

     ディレクターの言葉にサクラが同調する。

    「そうですね。スマホっていいことばかりじゃないですよね。私たちの親世代が若かった頃は、スマホのようなツールが無くても生活の知恵で乗り切ってきたのだと思います」

    「話は戻るけど、文通って大変そうですね。質問をしても返事があるのは数日後でしょ。そんな面倒なことをするより電話すればいいのにね」

     哲也の言い分を聞いてサクラが言った。

    「哲ちゃん! その考えは甘いよ。当時はね、彼女の家に電話したら誰が電話に出るのかわからないのよ。それにね、市外通話の電話料金ってもの凄く高かったらしいよ」

     サクラに言われて、哲也はディレクターの顔を見た。

    「あのね、私だって親世代から聞いた知識しかないわ。そうそう、文通と似たもので 交換日記 なんていうやり取りもあったそうよ」

    「交換日記……それって誰と誰が何を交換するの?」

     哲也の疑問にサクラが答える。
    「お婆ちゃんから聞いた話だけど、恋人同士に限らず友達同士でもね、1冊のノートに交互に書いてノートの中だけで会話するんだって」

     すると哲也がすかさず言った。
    「ノートを渡せるなら直接会っているんでしょ。その時に話せばいいんじゃないの?」 

     ふたりのやり取りを聞いていたディレクターが言った。
    「はい、ストップ! 交換日記はメールの原型だと考えてください」

     哲也とサクラがディレクターに注目する。

    「ノートに手書き文字やイラストなど時間をかけて書くのよ。数行で終わるようなメッセージ的な文章ではないの。想像してみて……自分の考えや気持ちを文章にして相手に伝える……それに対する言葉が文字となって返って来る。文字変換機能なんて無いから、真面目な文章の中に誤字や脱字が混ざっているわ。

     何日も前の話もページをめくれば読むことが出来る。最大の魅力は、面と向かって言いにくい話でも交換日記ならば言えちゃうことらしいわ。これって全部聞いた話だけどね」

    「あのう、人探しの件なんですけどね……」
     哲也は、ディレクターを見ながら小声で言った。

    「話がそれていると思ったのかしら。つまりね、今話した文通や交換日記はさ、スマホが存在していなかった時代の知恵なの。当時の人たちが工夫をして確立した手段だと思う。

     その頃の人たちが歳月を重ねて懐かしいと感じるのは当然だと思う。人には理解されなくても、当人あるいは当人同士にとっては特別なエピソードなのよね。だからね、60歳以上の人たちの青春をテーマにしたコーナーがあっても良いかなって。その中に人探しも含まれるって感じかな……」

    「じゃあ、人探しに協力してもらえるんですか?」
     哲也が身を乗り出して言う。

    「チョット、慌てないで。まずは試験的に行うつもりよ」
    『どんなふうにですか?』と、サクラが問いかける。

    「あなたたちのようにね、何10年も前の出来事に関する人の消息を確認したい人……結構いると思うの。その橋渡し的な役割を番組がお手伝いするというコーナーだけど……これでどうかしら?」

     ディレクターの説明を聞いても頭の中で整理しきれない哲也は、サクラの顔をチラッと見た。哲也が理解しきれていないと判断したサクラは、哲也の代わりに言った。

    「その新しいコーナーで、私たちの人探しを最初に行って頂けませんでしょうか? 正直なところ、もう八方塞がりなんです。これが探している女性の当時の名前です」 

     サクラは哲也から聞いた彼女たちの名前を書いたメモを見せた。すると哲也も名前以外の情報を書いたメモを見せる。

    「わかったわ。とりあえずはお引き受けします。だけど番組の企画が成立したらの話ですからね。それで、有力情報があったり本人が見つかったり名乗り出てきた場合はどうしたらいいの?」

     ディレクターの言葉を聞いて、哲也が興奮気味に言った。

    「依頼者は諦めているらしく調査をやめていいって言っているのですが、ボクが諦めきれないのでサプライズを願っています。ですから、もしも消息がわかったら依頼者へ直接メールで知らせてあげてください!」

     哲也が、加西氏のメールアドレスをメモに書いてディレクターへ渡した。

    「はい、確かに受け取りました。この企画が実現したとしても放送されるのは数ヶ月くらい先なのでご理解願います。念のためですが、今後の連絡が必要になった時のために連絡先を教えてください」

     哲也が名前と携帯電話の番号を書くと、サクラも書いてくれた。

     サクラと哲也は、ディレクターに対して深々とお辞儀をしてから事務所を出た。 

                   ◇ 

     外は薄暗くなっている。駅まで歩き出すと哲也が言った。
    「最高のアシストだったよ。ありがとね!」

    「役に立てたなら良かったわ。ねえ哲ちゃん、今夜はどうするの?」
    「あっ、人探しに夢中で何も決めてないよ」

    「今夜はウチに泊まる?」
    「サクラ姉ちゃんは、実家暮らしだっけ?」

    「違うよ。去年から一人暮らし」
    「だったら無理だね。サクラ姉ちゃんとふたりだけなんて……」

    「いとこ同士でしょ。何か問題でもある?」
    「何言ってるの。いとこだって結婚できるんだよ!」

    「もしかして、私に襲われるかもって思ってるんだ」
     哲也は言い返そうと思ったが、それ以上は言葉が出なかった。 

     年下のいとこをからかい過ぎたと思い、サクラは優しい口調で言う。

    「ゴメン、冗談よ。仙台駅で一緒に夕飯食べようよ。それで解散」
    「うん、そうする」

     朝とは違う定食屋に入店する。食事中は人探しの話題ではなく哲也の旅の話だった。

    「明日からの予定は?」
     サクラの何気ない質問に哲也が言った。

    「本当は興味ないんでしょ。気を使わなくていいよ」
    「だったら、哲ちゃんが私に気を使ってよ!」

    「えっ? どういうこと?」
    「今日会ってからさ、哲ちゃんは私のことなんて何も聞かないよね」

    「あれっ、聞いてもいいの。彼氏はいるの……とか?」
    「彼氏はいない。1年前に別れた」

    「ひとり暮らしを始めたのも去年だよね。関係あるの?」
    「鋭いね。同棲しようと思っていたけどさ……結局はやめたわ」

    「それって、彼氏の浮気とかが原因?」
    「まあね、そんな感じよ」

    「サクラ姉ちゃんの仕事って何かな?」
    「それはヒミツです」
     サクラの言葉で会話が途切れた。 

     店を出ると、哲也はサクラに言った。
    「今日は本当にありがとう。また近くに来たら連絡するね」

    「うん。いつかさ、東京へ遊びに行くよ」
     お互いに手を振って別れた。

     半日ぶりにひとりになった哲也は、安く泊まれそうなホテルを検索する。

     結局、昨日と同じカプセルホテルに泊まった。

                   ◇

     サクラ姉ちゃんと活動した1日が終わり、明日からの予定を考える前に旅ブログを更新する。

     『オッさんからの調査依頼を受けて、乗り鉄旅をしながら仙台方面へ向かった。仙台にはサクラという名前のいとこが住んでいる。オッさんが調査対象者と出会った場所が旧野蒜駅であると聞かされていたので、土地勘がありそうな彼女を頼ることにした。

     およそ6年ぶりに会ったサクラ姉ちゃんを見て俺はビックリしたよ。子どもの頃から憧れていたんだけどさ、スラッとしてキレイになっていた。かつては見上げる側だった俺の背が伸びて、今では見下ろすようになっていたから不思議な感覚だったな。ちょっとだけドキドキしたというのが本音かも。

     話題は変わってオッさんの調査依頼だけど、現地での聞き込みや市役所を訪問したけれど手掛かりは得られなかった。やっぱり素人にはムズかった。
     オッさんに調査状況を報告したらさ、もう終了して良いって……俺としてはあきらめきれなくて、ダメ元で地元のエフエム放送局へ行ってみたらね、話は聞いてもらえたけど協力してもらえるかは難しいと言われちゃったよ。

     オッさんからの依頼は他にもあるらしい。だから、またお見舞いにきてと言われたよ。どうしようかと悩んだけど、すぐには行く気になれない。

     テンションを上げるため、明日から東北地方の乗り鉄旅にトライします!               
                 仙台のカプセルホテルにて……哲ちゃんより』

      JR飯山線から見える、千曲川の様子を撮った写真……それだけをブログにアップした。

                    ◇ 

     翌朝は6時半頃に仙台駅へ行き、盛岡方面の電車に乗った。

     盛岡駅に到着すると、盛岡城址や寺町通りを散策する。途中で冷麺を食べてから、次の目的地を検討した。

     滅多に乗車できないローカル線を楽しもうと思い、いわて銀河鉄道線の好摩(こうま)駅経由で花輪線と決めた。

     午後1時過ぎに花輪線に突入……くねくねと山間部を走行して、いつの間にか秋田県になっていた。十和田南駅のスイッチバックにより列車の向きが変わると、大館(おおだて)駅までの区間がとても長く感じた。結局、花輪線だけで2時間半近くも走行していたが、終始のどかな景色が楽しめた。

     大館駅で乗り換えをして、夕方の4時過ぎには弘前(ひろさき)駅に着いてしまった。まだ明るいのでホテルを探しながら弘前公園を目指す。 弘前公園へ向かう途中にホテルを見つけたのでチェックイン。

     ホテルの前にピザ屋があったので、テイクアウトして部屋で食べる。腹が一杯になると動きたくなくなった……そのまま部屋で過ごす。

     シャワーを浴びてから明日のために一人作戦会議を行う。すぐに結論が出た。明日は川部駅から五能線に乗り東能代駅まで完乗する。途中駅の十二湖で観光するため、ホテルの出発時間は6時に決定。テレビを見ていたら、いつの間にか眠ってしまった。 

                   ◇ 

     翌朝はまずまずの天気であり、弘前駅始発の五能線快速は予想よりも乗客が多い。

     列車が鰺ケ沢(あじがさわ)駅に着くと、車窓からは日本海が見えた。海岸線に見える奇岩や砂に埋もれた消波ブロックの様子が面白く、哲也は食い入るように眺めていた。

     十二湖駅からは路線バスで白神(しらかみ)山地のほうへ向かう。路線バスの終点で降り、徒歩で青池を目指した。

     神秘的なブルーを堪能した後、いくつかの池を見ながら駅に戻る。緩やかな下り坂なので快適な散策だった。

     再び五能線に乗り車窓を眺めたが、先程までの景色とは違い単調な気がしたので今日の宿泊地を検討する。このまま日本海沿いを進み、新潟駅経由で加西氏の見舞いへ行くか考えてみた。

     東能代駅で奥羽本線に乗り換えて秋田駅に着いた頃には、夜になっていたので泊まることを考えた。

     秋田駅で一番安そうな宿を確保。コンビニで食事を買って明日からの予定をじっくりと検討する。

     日本海沿いを進むか、あるいは奥羽本線で横手や新庄を経由して山形駅を目指すか、なかなか結論は出ない。ただの乗り鉄旅であり具体的な目的地もないが、地図や路線図を見ながらアレコレと考えている時間が楽しいのだ。 

                   ◇ 

     昨晩に検討を重ねた結果、折角なので羽越本線の完全乗車にトライする。

     朝7時前の酒田行きに乗車……羽後本荘(うごほんじょう)駅まで長いなと感じていたが、終点の酒田までは更に長く感じた。酒田駅での乗り継ぎ時間でようやく朝食タイム。

    『何も考えずに、車窓を流れる景色を眺める』
     ひたすらボーっとしていることが、乗り鉄にとって至福のひと時なのだ。 

     その先の村上駅でも乗り継ぎ時間が長かった。昼過ぎに新潟駅行きに乗って新発田(しばた)駅で乗り換える。

     午後2時前にようやく新津(にいつ)駅に到着した。羽越本線の完全乗車におよそ7時間を要したが、とても乗りごたえがあったと思う。

                   ◇

     乗り鉄魂に拍車が掛かり、更に他の路線にもトライしたくなる。今日の最終目的地を弥彦(やひこ)駅に決めた。乗り継ぎ時間に、みどりの窓口で青春18きっぷを購入する。

     新津駅から信越本線で東三条駅へ行き弥彦線に乗り換えた。午後4時前に弥彦駅に到着……趣のある見事な駅舎なので記念撮影をした。

     予約しておいた安宿に荷物を置き、身軽な状態で彌彦(やひこ)神社へ向かう。参道を歩いていると清々しい気分になり足取りが軽い。旅の安全祈願と加西氏の依頼が上手くいきますようにと願った。

     日本一の高さを誇る電波塔と同じ高さの弥彦山山頂を目指そうかと思ったが、それほど天気が良いわけではないので宿へ向かって散策する。

                   ◇

     宿に到着してから加西氏にメールを送る。 

    『加西さん こんにちは。東北地方の乗り鉄旅が終わったので、明日の午後3時頃にお見舞いに行きます。残りの調査依頼の話を聞かせて下さい。では明日。 大田哲也より』 

     メールを送信してから風呂に入り、部屋に戻ると加西氏からの返信が届いていた。

    『哲也君 こんばんは。思っていたよりも早く連絡があり嬉しい限りです。明日会うのを楽しみにしています。  加西恭正』 

     加西氏とのメールが終わり、寝る前に旅ブログを書き始める。

     『盛岡駅からJR花輪線の完全乗車にトライしたぞ! 車窓の景色は見応えがあったしさ、面白い駅名標をいくつか見た。

     十和田南駅のスイッチバックは面白かったよ。弘前で泊まった翌日はJR五能線にもトライしたけどね、雲が多くて岩木山が良く見えず残念だった。

    花輪線も五能線も完全乗車するには忍耐が必要だね。乗り鉄と言っても車窓ばかり見ていては飽きてしまう。スマホをいじったり本を読むなんて過ごし方もある。

     でもさ、車窓から見える絶景はね……トンネルの出入り口付近が一番の見所だって知ってる?……俺は今回の乗り鉄旅で気づいちゃったんだけど、車窓を見る時は常にカメラを構えてスタンバイしておいたほうが良い!……絶景ってさ、凄いと気づいてからカメラを構えても間に合わない……一瞬の景色だから魅力でもあるけれど、可能性があるなら写真に収めたいよね。

     とりあえずですが、列車から見た日本海の景色をアップします。それからオッさんがメールで書いていた別の依頼だけど、オッさんにとっては重要な調査依頼だと聞かされている。まずは詳しい話を聞いてから依頼を引き受けるか決めよう。        弥彦駅付近の安宿より……哲ちゃんでした』

     日本海の景色以外に、彌彦神社の境内へ続く参道の写真もアップした。 

                   ◇

     旅ブログを書き終えて、畳に寝転んで天井を見上げながら考える。

    『明日以降はどうしようかな……北陸方面の乗り鉄旅をしようか』

     漠然とした考えの片隅には、加西氏の依頼によってはどうなるのか予想もつかないとわかっているのだ。

                   ◇

     翌朝は7時頃に宿を出発して駅へ向かう。途中の長岡駅では長い乗り継ぎ時間があり、遅い朝食タイムをする。

     その後は上越線から飯山線に乗り換えて、午後2時過ぎに病院の最寄り駅に到着した。

     ほんの数日ぶりなのに、何だか懐かしいようなホッとした気分になっている。2度目の訪問なので精神的にも余裕があり、道中の様子を観察しながら歩いた。

                   ◇

     ナースステーションで記帳してから病室へ向かう。

     入口で立ち止まると加西氏と目が合った。哲也はベッドの横に立って挨拶をする。
    「お身体の調子はどうですか?」

    「ご覧の通りですが、まあまあって感じです。君が歩いて来る姿をね、ずうっと見ていましたよ」
    「ホントだ。結構見えるんですね」

     加西は小銭入れを渡しながら言った。
    「喉が渇いていますよね。私はアイスコーヒーのブラックで。君も好きなのを買ってください。ヨロシク」

     3度目なので、ごく自然に小銭入れを受け取って自販機へ向かった。 

     アイスコーヒーを飲むと、ふたりが同時に大きく息を吐いた。

    「くつろぎの時間って感じですかね……」と、加西がつぶやく。そして、「乗り鉄旅は如何でしたか?」と続ける。

     加西からの問いかけに哲也はすぐに答える。

    「東北地方の乗り鉄旅は楽しかったですよ。幹線以外のローカル線はほとんどが初乗車だったからテンションが上がりました。仙石線以外にも花輪線とか五能線に乗って車窓を満喫したって感じかな。昨日は弥彦線に乗って彌彦神社で参拝しました。旅の安全祈願の他に、調査が上手くいくようにって手を合わせておきました!」

     哲也が楽しそうに話す顔を見ていると、加西も嬉しい気分になった。

    「花輪線って大館駅へつながる路線だよね。ハチ公像とか見た?」
    「えっ? 渋谷以外にもハチ公像ってあるの?」

    「君は若いから知らなくて当然だよ。大館はハチ公の故郷だからね」
    「そうだったんだ。それからね……五能線では十二湖駅で降りて、青池を見に行きましたよ!」

    「五能線は乗ったことがないんだよ。元気になったら乗りに行きたいと思う。あと彌彦神社ですか……子供の頃に行った記憶があります。あまり覚えていないけどね」 

                   ◇

     前フリはもういいかなと思い、哲也は本題へと切り出す。

    「そろそろ聞かせてください。加西さんの想い出の3年間を……」
    「なんだかすまないね。気をつかわせちゃったみたいで」

    「いいんです。ボクだって乗り鉄旅の話はいくらでもしたいので」
    「どこまで話しましたっけ?」

    「確か声フェチとか最初の待ち合わせに遅れたとか、そんな所で終わっていたと思いますよ……たぶんだけど」

    「そうだ思い出したよ。顔も知らないのに待ち合わせたというマヌケな話だったね。一緒にランチして、今度ドライブしませんかと誘ったんだ。我ながら積極的だったと思う」

    「どんなふうに誘ったんですか? 初対面なのに……」

     加西は当時の様子を思い出しながらゆっくりと語り出す。

    「職場の同僚が話していたフレーズを思い出したんだ。それを何気なく使っちゃった!」
    「そのフレーズって?」

    「富士山の近くで夕日を見ませんか? ……という誘い文句だよ」
    「なんですかそれ。昭和の時代って感じがします」

    「ようするにね、ドライブデートってことだよ。彼女は埼玉県で私が千葉県だったから、山梨県ぐらいが丁度いいドライブコースだったのかもね」

    「その初ドライブでは、何かありましたか?」

    「君は何かを期待しているようだけど、初ドライブでは手も握っていないよ。終始会話ばかりだけど、とても楽しかったな。富士山が見える遊園地で乗った観覧車が最高の想い出だ!」

    「加西さん、この調子で3年分も聞かされるのかな……」
    「ゴメン。ついつい想い出にふけってしまった。なるべく要点だけ話すようにするよ」
    「はい、ヨロシク」

     哲也の口調は、完全に友達感覚になっている。 

                   ◇

    「最初のドライブデートでの収穫はね、彼女の家の電話番号を教えてもらったことと、仕事の日の家と駅との移動は、父親が送り迎えしているという話が聞けたことだった」

    「なんですか……もしかして究極のファザコンだったとか?」

    「結論から言うとね、彼女は父親とは仲良しだけど、母親とは不仲だったみたい。これがさ、後々に影響するとはね……」

    「そもそもですが、プロポーズしたのに結婚できなかった? というか、していないのが疑問なんですけどね」

    「哲也君の言う通り。プロポーズした時は二つ返事でOKだったのに、3年後にはハッキリと言われてしまったよ」
    「なんて言われたんですか?」

    「貴方と私が結婚できないのは、貴方が一番良く知っているでしょ!」

     加西は言い終わると下を向いてしまった。

    「どういうことですか? ボクにはさっぱり意味がわかりません!」
    「簡潔に話すとこうなる……だから、もう少しちゃんと話すね」

     哲也は、苦笑いしながらうなずいた。 

                   ◇ 

    「彼女と付き合うようになってからしばらくして、休日に彼女が頻繁に外出するようになって帰宅時間が遅くなった。そのことがきっかけで男と付き合っているのかと母親に聞かれたらしい」

    「そんなことって普通にありますよね」
    「でもね、彼女と母親の関係は普通じゃなかったみたい」

    「彼女はひとりっ子とか一人娘なの?」
    「いい質問だね。それがポイントなんだよ。実は彼女の姉が母親に内緒でお見合いして結婚したらしい。父親は味方だったらしいけどね」

    「なんなんですか、その家族は……。つまり母親は、次女に対しては神経質になっているってことかな?」

    「どうだろうね。彼女から聞いた話では、母親は自分の思い通りにさせたいタイプらしい」

    「それでさ、元に戻るけど、3年後の彼女の発言の意味って何?」
     加西は、哲也の聞き手としての能力の高さに感心している。 

    「付き合っているのはどんな人なのかと母親に聞かれて、同じ年齢の人だと彼女が正直に言ったら……絶対にダメだと言われたそうです」

    「年齢だけでアウトってこと?」
    「娘と同年齢では、頼りないとか信用出来ないという意味かもね」

    「会ってもいないのに、加西さんの人柄も知らないのに……ですか?」

     ふたりの会話が中断した。

                   ◇

     いいタイミングで検温の時間になる。
    「興奮すると体温が上がりますよ」
     哲也は加西をリラックスさせるために変なことを言ってしまった。

    「大丈夫よ、もう40年近くも経っているからね」
     検温が終わると会話が再開する。

    「あのね、父親に反対されたのならば、男同士だという不確かな根拠で頑張ろうと思ったかもしれないけれど……母親が反対するなんて想像もしなかったよ」

    「それぞれの家庭の事情なんですかね」

    「実はさ、彼女の姉さん夫婦とは何度か一緒に出かけたことがある。私はね、彼女のお姉さんを味方につければ……なんとかなると考えていた」

    「それで、彼女のお姉さんは頼りになったの?」 
     哲也の問いに答えようとしている加西の表情が険しい。

    「彼女のお姉さんが離婚した……」

    「離婚ですか。それが加西さんに影響したの?」
    「影響どころの騒ぎではありません。全てが終わったのです!」

    「重要なポイントみたいですね。落ち着いて話してください」

    「彼女のお姉さんは母親に内緒でお見合いしたって言ったよね。つまり母親から責められたらしい。勝手に見合いして勝手に結婚して……母親の言うことを聞かないからこんな結末になった……それが全てでしょうね」

    「彼女さんは何か言っていましたか?」

    「電話で話した時に言ってたよ、半泣きしながらね。『私は母親が決めた人としか結婚できない!』って……最後に会った時にはね、『私はお姉ちゃんみたいになりたくない!』って言ってたよ」

     加西の話を聞いて、哲也には理解できない世界の話だと思った。 

                   ◇

    「彼女さんはお姉さんの姿を見て、母親に逆らうとどうなるかという現実を知ってしまい、加西さんのことを諦めたんですかね?」

    「どうなんだろうね。私も彼女も本音をうまく伝えられない部分があったから……今でも後悔していることはいっぱいあるよ」

    「たとえば、どんなことですか?」
    「キリがないから一つだけね。彼女とペンションに泊まった日だけど、彼女との初めての行為の瞬間に彼女が俺にささやいたんだよ」

    「なんて言われたの?」

    「赤ちゃん出来たらどうするの?」

     加西は当時の様子を思い出している。
    「行為の瞬間に言われるとキツイですね」

     哲也は自分の感想を言った後で、加西に問いかける。
    「加西さんは、なんてこたえたの?」
     当時の心境を思い出しながらゆっくりと語り出す。

    「何か言わなくっちゃとは思ったけど、突然だから色々と考えた結果ね『大丈夫だよ』としか言わなかった。俺としてはちゃんとケジメをつけるし逃げたりしないから心配しないでという意味合いで大丈夫と言ったんだけど……言葉が足りなかった。無責任な男だと思われたのかもしれない」

    「もしかしてですけど、加西さんは彼女とはうまくできなかったんじゃありませんか?」

    「やっぱりそう思うよね。すごく気まずくなってね、全然つまらなくなって会話が無くなったよ」

    「彼女との行為は、その後は一切無かったの?」
    「哲也君、グイグイと聞いてくるね。次の機会は2年後だった。私の誕生日に会って、私のアパートに連れて行った。彼女がね、誕生日のお祝いを買っていないと言うんだよ」

    「何だか不思議な関係ですね」

    「私は彼女に言ったんだよ。駅前に洋菓子店があるからケーキでも買ってきて……もしも嫌だったらそのまま帰っても構わないって言った……背水の陣みたいな心境だったよ」

    「背水の陣? なんか例えが変だけど気持ちはわかります。それで彼女さんは戻って来たの?」

    「戻って来るかは賭けだったけど、彼女が戻ってきた時は心の底から嬉しかった。ケーキを食べてから、彼女とベッドで横になったよ。だけどね……」 

    「加西さん、あなたの話は本当にスンナリとは進まないんですね。もう慣れましたけど。それで……リベンジはうまく出来たんですか?」

    「彼女のスカートを脱がしたらさ、腰にコルセットをしていた。腰痛だから保護していると言っていた。それを聞いた瞬間に気づいたよ。彼女は覚悟を決めて戻ってきたのではなく、これを見れば私が諦めるだろうと思っていたんだろうってね」

    「加西さんの推測は、多分だけど当たっていたんでしょうね。ついていない……というより、彼女との相性は決して良くなかった。さまざまなことが思い通りにできなかった。それが今になっても……気になっている理由なんでしょうね」

    「実はさ、彼女と完全に別れてから少しした頃ね、仲介役をしてくれた保険外交員のオバさんから言われたんだよ」

    「何をですか?」
     いつの間にか、哲也は加西の話に引き込まれている様子。

    「彼女がね、『あと5年くらい待ってくれたら母親も諦めるのに……』と言っていたらしい。それを聞かされた時に思ったよ……『なんで俺に直接言ってくれなかったんだよ!』ってね。でもさ、あの頃に言われたとしても俺は待てたかどうかわからない」

    「彼女さんなりの優しさなのか? あるいは……」 

    「実はね……彼女と最後に会った日に、初めて口喧嘩になったんだよ。その時にさ、私は彼女に酷いことを言ってしまった。彼女への未練を断ち切るためだったのかもしれないけれど、もの凄く後悔しているんです」

    「なんと言っていいか……」

    「いいよ、気をつかわないで。40年近く経って思うのは、結婚しても幸せにはなれなかったと思う。もしかしたら死んでいたかもって考えたりもした時期があるよ」

    「良い思い出よりも辛い思い出のほうが多かったからこそ、今でもどうしているのか気になる……男だからですかね?」

    「運命のいたずらで出会った人と、運命がまだ続いているのならば知りたい……それが本心だよ」

    「彼女さんの消息を知る手掛かりってありますか?」

    「彼女のフルネームと生年月日以外は、当時の自宅と電話番号くらいだね。別れた頃は保険外交員をやっていた。お姉さんは大宮に住んでいたらしい。それ以外には無いね」

    「当時の電話番号は固定電話ですよね。別れてからは電話してないの?」
    「電話をする勇気も理由も無いからね。電話することができていたら……今頃、君とこんな話なんかしていないハズだよ」

    「確かにそうですね。ねえ、電話してみましょうか?」
    「使われているかどうか……ですか?」

    「それを確かめるためでもありますよ」
    「……」

    「もしかして、彼女さんがすでに亡くなっていたらどうしようとか思っていませんか?」
    「……」

    「消息を知ると言うのは生死を確認することでしょ!」 

     核心をつかれた加西は、静かな口調で言う。
    「そうだよね、君の言う通りだ。運命の続きがあるとすれば……」

                   ◇

    「そういえば、他の女性の件はどうしましょうか?」
    「そっちはもう結構です。別の人に依頼して調査が済んでいます。どっちも手掛かりが途切れていて追跡不可でしたよ」

    「それは残念でしたね。ということは、この案件が最後ですね。調査しますか? やめておきますか?」

    「本当はね、哲也君に背中を押してもらいたい気分だけど、それじゃダメなんだよね。悔いが残っているから、今でもこだわっている……自分で区切りをつけないと……哲也君、調査をお願いします。方法はお任せします」

    「わかりました。ボクも中途半端はイヤなので、自分なりの方法でトライしてみます。ところで、今夜の宿もお願いできますか?」

    「そうでした、忘れていました。もちろんですよ。すぐに手配しますが前回と同じ宿で構いませんか?」

    「有難いです。あそこの主人が作ってくれたカツ丼と味噌汁が最高に旨かったんですよ。是非またお願いしたいと思っていました!」 

                   ◇ 

     加西は前回と同様に、民宿へメールを送信した。

    「宿からの連絡が来るまで、哲也君の話を聞かせてくれませんか?」

    「ボクの話って言われても、ありきたりなフリーター生活ですから特にないですけれど……何が聞きたいんですか?」

    「なんでもいいって言うと失礼だよね。近い将来にやってみたいこととかがあれば聞かせてほしい。20代ってさ、私みたいな年齢になると本当に特別な時期だったと感じるんだ。無理にとは言わないけれど、漠然としていてもいいから何か話してよ」

     加西から言われて、哲也はほのぼの気分で話し出す。

    「ボクが歳をとってから20代を振り返る時、まず最初に思い浮かぶのは今の状況です。見ず知らずのオジさんから依頼を受けて想定外のトライをした経験……そして、20代のビジョンについて聞かれたことだと思う」

     加西は、哲也の顔を見て苦笑いしている。

    「20代の前半は今のペースで進みます。バイトで知り合う人たちとの交流で世の中について知ろうと思う。それから乗り鉄旅で日本中を訪れて見聞を広めたい。そして20代の後半になったら……人生の転機と思えるタイミングがやってきたら全力で頑張ります。そんな感じですが、これで伝わりましたか?」 

     ぬるくなったコーヒーを飲みながら加西が言う。

    「哲也君の考えはわかった。私が20代に戻れるならば君と同じ考えに憧れるかもしれないね。どんなに頑張っても必ず後悔はあると思うけれど、ブレないで突き進んでください」

    「はい、ありがとうございます」

                   ◇

     着信音がしてノートパソコンを見る……民宿からのメールが届いている。

    「おや、もう返信が届いたよ。夕方5時頃に迎えに来るそうだ。あと1時間もあるな……どうしようかな」

    「それなら乗り鉄旅の話をしましょうよ。加西さんの体験談とかを聞いてみたいです」

    「私の体験談か……思い出すからさ、飲み物買ってきてくれるかな。微炭酸ならば何でもいいから」

     いつもの小銭入れを渡す。
    「それじゃ、ボクもコーラが飲みたいです!」

     哲也が病室から出て行くと、どのエピソードを話そうか考える。かなり前の話では彼の役には立たないと思い、比較的新しい部類のエピソードをひねり出そうとした。 

     哲也が戻って来てメロンソーダと小銭入れを渡された。

    「おっ、これ旨いな」
    「良かったです。早くエピソードを聞かせて下さい」

    「哲也君は北海道の路線は全部乗ったの?」
    「いいえ。函館本線と室蘭本線の一部だけですね。完乗した路線はまだありません」

    「そうか。まだ20歳だからね。今じゃ国鉄時代の半分しか路線が残っていない……それって知ってるかい?」
    「国鉄時代って、なんですか?」

    「あっ、そうだよね。現在のJRはさ、30年以上前は日本国有鉄道という名前だったんだよ。つまり民営化される前は国の機関だった。それでね、民営化される時に多くのローカル線が廃止されたんだよ」

    「昔は、2万キロメートル以上も路線があったことは知っています」
    「そうか、知っているんだ。確か可部線の廃止された区間に記念碑があったらしいよ」

    「カベセン? どこにあるの、その路線は……」
    「広島駅の西側のほうだね」

    「そうなんだ。北海道の乗り鉄旅を聞かせてよ」 
     加西は、少し昔を思い出しながら話し出す。

    「私が乗り鉄旅に目覚めたのは10年くらい前だよ。その頃には今とほとんど変わらない路線しか残っていなかった。その後にね、江差(えさし)線の一部が廃線になり、北海道新幹線の一部が開通しで江差線そのものがJRではなくなった。江差駅には2度行ったけれど、駅舎の写真を撮影しただけだったよ。木古内(きこない)駅から江差駅までの間の駅は個性的で面白かったな……。

     それからさ、石勝(せきしょう)線や留萌(るもい)線の一部が廃止になった。さらに札沼(さっしょう)線の非電化区間が廃止されたり、日高本線の鵡川(むかわ)駅から様似(さまに)駅の区間が廃止されてしまった。

     夕張(ゆうばり)駅・増毛(ましけ)駅・新十津川(しんとつかわ)駅・様似(さまに)駅・2度ずつ訪問したけど、どの駅も思い出深かった!」

     哲也は、北海道内の鉄道路線図を思い出しながら話し出す。

    「どの駅も折り返しとなる終着駅か……味わい深い駅だったんでしょうね。ボクも行ってみたかったな」

    「駅舎は残っているかもしれないよ。廃止路線には路線バスがあるから、駅舎にたどり着けるハズだよ……新十津川駅だったら滝川駅からでも歩いて行ける……石狩川をこえるルートだけどね」

    「新十津川駅以外の駅でもオススメの駅は?」

     加西は即答する。
    「全部オススメに決まってるよ。全部見てきてほしいよ!」

    「加西さんは乗り鉄だけじゃなくて駅舎も好きなんですね」
     哲也に言われて、自分が駅舎にも愛着があることを実感する。

                   ◇

    「私の場合はね、北海道の乗り鉄旅の場合は灯台めぐりがセットになっていたんだよ。日本最北端の稚内(わっかない)駅は宗谷岬灯台と稚内灯台……根室駅は納沙(のさっぷ)岬灯台……様似駅は襟裳(えりも)岬灯台……そして余市駅は神威(かむい)岬灯台……母恋(ぼこい)駅はチキウ岬灯台……どこも最高だった。いつかまた、行ってみたいよね」

    「あれっ、知床岬灯台は?」

    「あのね、知床岬灯台は一般人が立ち入れないよ。遊覧船で海上から見学するだけだから行っていない……それよりも、網走(あばしり)駅から近い能取(のとろ)岬のほうが超オススメだと思う!」

    「北海道の乗り鉄旅って、本州や九州や四国とは違いますか?」

    「哲也君、とってもいい質問だね。函館本線や室蘭本線に乗ったのはいつ頃だった?」
    「12月でした。寒かったです」

    「だったら6月から7月にかけてがオススメだね。北海道の列車は特急列車以外で窓を開けられる。窓を少し開けていると爽やかな風を浴びながら車窓を楽しめるよ。北海道以外だと青森県内のローカル線ならば同様に楽しめると思う」

     加西が少年のように目を輝かせて話すので、哲也も気分が高揚してきた。 

    「特に印象深かった路線区間ってありますか?」
    「一番のオススメは、宗谷本線の抜海(ばっかい)駅と南稚内駅の中間で見られる利尻島の様子かな……天気が良ければ利尻富士が見える」

    「他には?」

    「釧網本線の知床斜里駅から網走駅までの区間から見えるオホーツク海。それからさ、絶景ではないけど、北海道での車窓の魅力は野生動物だと思う。主にエゾシカだけどタンチョウヅルやキタキツネなどが見られる区間もあった。とにかく何も考えず、ひたすらボーッと車窓を見ていられるのが北海道だよ。間違いない!」

    「北海道の魅力はおおむね理解できました。九州とかはどうです?」

    「今度は九州か……肥薩線と指宿枕崎線以外は特にないかも」
    「随分とアッサリしていますね」

    「南阿蘇鉄道は超オススメだ!」
    「どんな感じなんですか?」
    「乗ってみればわかる」

    「四国や関西方面はどうですか?」

    「四国はね、スイッチバックのある駅が面白かった。車窓はね、それほどではなかったかもね。それから西日本はね、あまり思い出せない。そんなことよりもね、青春18きっぷで完全乗車を楽しむならば、特に忍耐が必要な路線を教えるよ」

     哲也は加西の鉄道話を聞いていると、ワクワク感が爆発しそうだ。 

                   ◇

    「それじゃあね、完全乗車した時の達成感でランキングするよ。これは私の体験上のランキングだけど参考になると思う。
     第5位は予讃線。第4位は飯田線、第3位は日豊本線、第2位は紀勢本線、そしてダントツの第1位は山陰本線!」

    「これって路線の距離が長いからですか?」

    「確かに予讃線は四国最長で日豊本線は九州最長、そして紀勢本線は384キロメートル以上もあり山陰本線は在来線では日本最長だ。しかし飯田線は196キロメートルで特別に長くは無いけれど、それより長い高山本線よりも忍耐が必要なのです」

     哲也は、先回りして変なことを言う。
    「もしかして、これも乗ればわかるって感じ?」

    「北海道の主要路線の距離は全部200キロメートル超えだけど、景色を見る刺激が時間を忘れさせてくれる。だけどね、ランキングの路線は移動時間がハンパではないので精神的なキツさのほうが景色の良さを上回っている」

    「爆睡したくなるくらい退屈になるって感じですか?」

    「ちょっと違う。そもそも乗り継ぎを意識すれば爆睡なんか絶対できない。だから余計に長く感じたりイライラする。イライラの理由は、特急列車に抜かれる回数と比例するのかもね」 

     哲也が何気なく病室の入り口を見ると、民宿の主人が立っている。軽く手を振りながらベッドに近づいてきた。

    「楽しそうに会話していましたね」
    「あっ、どうも。今回もお世話になります」
     哲也は立ち上がって会釈した。

    「すみませんね、わざわざ迎えにきて頂いて」
    「買い物のついでですよ。気にせんでいいよ」

     すると、加西が哲也に封筒を渡して言った。
    「メモが入ってます。後で読んでね。じゃあ宜しく!」
    「はい、また連絡します」

     お互いに手を振って別れた。

     前回と同じ軽トラに乗ると主人が言った。
    「夕食は今度もカツ丼と味噌汁かい?」
    「とっても旨かったんで、今回もお願いします!」
    「わかった。さあ、出発だ」 

                   ◇ 

     民宿に着くと、前回とは違う見晴らしの良さそうな部屋に案内された。

    「風呂はいつでも入れるよ。食事は7時頃でいいのかな?」
    「はい。お願いします」

     主人が部屋から出て行くと、哲也はノートパソコンを取り出す。

     加西氏の調査にはサクラ姉ちゃんの協力が必要と考え、メールで相談することにした。 

    『サクラ姉ちゃん、先日は協力してくれてありがとう。今、新潟県の民宿にいます。さっきまで、あの依頼者のオッさんと話をしていました。

     依頼者の最後の調査依頼を受けたので、サクラ姉ちゃんに相談とお願いがあります。依頼内容は、34年くらい前に別れた特別な女性の消息。調査の方法についてですが、付き合っていた頃に聞いた電話番号が現在も有効であるかを確かめます。

     男性が電話するよりも女性の声のほうが不審感は減ると考え、サクラ姉ちゃんに電話をかけてもらいたいのです。もちろん、今回もバイト代は支払います。段取りを書くので、賛同してもらえたら実行してほしいです。 

    ① 興信所の調査だと言って電話する。
    ② マエダさんのお宅ですかと確認。(違っていたら終了)
    ③ アヤコさんかユウコさんは在宅かと聞く。
      (アヤコさんは姉で、ユウコさんが妹で調査対象者)

    ④ あなたの消息を知りたいという方からの依頼ですと告げる。
    ⑤ 誰からの依頼かと聞かれたら……。
       あなたが20代の頃に知り合った人ですと答える。
    ⑥ 依頼主の要望は、お元気に暮らしているかの確認です。
       お会いしたいという訳ではないと補足する。 

     こんな感じです。あとは、サクラ姉ちゃんがアレンジしてくれたらと思っています。是非協力して下さい。 連絡待ってます!

                調査対象者の電話番号 048(×××)×××× 』 

                   ◇

     哲也はメールを送信して風呂に入る。しばらくして部屋に戻ると、サクラ姉ちゃんから返信メールが届いていた。 

    『哲ちゃんへ 君の作戦ではイマイチだと思うので、私なりに作戦を考えました。明日の午前中に実行します。その後で連絡するわ。
                       じゃあ、またね。 サクラより』 

     サクラ姉ちゃんが引き受けてくれたので、哲也はホッとしている。

     それと同時にサクラ姉ちゃんの考えた作戦が気になるが、信じて待とうと決めた。

     しばらくして宿の主人が夜食を持ってきてくれた。前回と同じメニューだが、今回のほうが更に旨いと思えた。

     満腹になり布団に横たわると眠くなりそうになったが、寝る前に今日の出来事を旅ブログに書くべきかと考える。 

     加西氏と2度会って、少しばかり共感というか感情移入しそうになった。

     今の気持ちを旅ブログに残しておきたいという衝動があり、感じたままを書こうと決めた。

     『オッさんからの話はさ、とにかく細か過ぎて長かった。話を聞いている途中で思ったよ。40年近く経っても、昔の大切な思いは鮮明に覚えているなんて凄すぎだってね。

     俺がオッさんと同じくらいの年齢になった時、果たしてどれくらい覚えているのだろう……。楽しかった思い出よりも、辛いことや悲しいことのほうが覚えているのだろうか……。

     今回の調査依頼は、オッさんがプロポーズをした女性だ。消息だけでも確認してほしいと頼まれたけれど、手掛かりが少な過ぎる……。しかも年数が経ち過ぎているのが一番の問題だ。

     もしもだけど、調査した結果で既に亡くなっていたとしたら……正直に伝えるべきなのか……事実を隠したほうがベターなのか……。

     まだ調査を始めていないのに、次から次へと不安な要素だけが押し寄せてくるよ。ネガティブなことばかり考えていたら、前回調査のリベンジはできないよね。当事者には出来ない行動……それが自分の使命だと気持ちを切り替えて、ひとり作戦会議を始めます。

     自分自身のためにも精一杯頑張るぞ! カツ丼と味噌汁が旨い民宿にて。           哲ちゃんでした』

     民宿の主人が作ってくれた、特製カツ丼定食の写真をアップする。

     明日からの予定を決めていないのでどうしようかと悩む。

     加西氏が話してくれた鉄道話を思い出しながら、次はどの路線にトライしようかとイメージする。考えているうちに眠ってしまったようだ。 

                   ◇ 

     目が覚めて時計を見ると朝5時である。朝食の時間までは散歩でもしようと外へ出た。

     歩きながら今日の予定を考え出すと、長野県内を周遊しようかと思い立つ……まずは善光寺参りからだな。

     宿に戻り早めの朝食を頂き、最寄り駅まで送ってもらった。軽トラから降りる時、宿の主人が言った。

    「これから、どこへ?」
    「善光寺参りです」

    「そうか、気をつけて。また来てな」
    「はい。お世話様でした」

     哲也が手を振ると、軽トラが走り去った。 

                   ◇

     長野方面の列車を待つ間、加西さんから受け取った封筒のことを思い出して中を見る。現金が5万円とクオカードが1万円分入っていた。これは交通費とバイト代の一部と必要経費のようである。

     メモ書きには依頼に関する内容が書いてあり地図のような紙もあった。

     地図は調査対象者の住所のようだが、記憶が曖昧らしく地図に赤ペンで囲いがしてあり『この辺です』と書いてある。

     それから1988年当時、調査対象者が勤務していた会社の情報が書かれている。そして最後に、彼女の身長は約147センチメートルですと書いてあった。

     必要経費については領収書と引き換えに支払いますとあり、調査の区切りがついたら連絡してきてくださいと書いてあった。 

                   ◇

     長野駅に到着後、のんびりと散策しながら善光寺へと向かう。参道の店はまだ開いていないので、辺り一帯が静かである。存在感のある大きな門を通り抜けると見事な拝殿が見えた。

     哲也は旅の安全祈願をしてから、改めて賽銭を投げ入れて調査の成功を祈った。境内を歩き回ってから、今日の予定について考え始める。いくつかの候補を考えた。 

    ① しなの鉄道で小諸(こもろ)駅へ……小海線を完乗する。

    ② 松本駅へ行き信州そばを食べてから……大糸線を完乗する。

    ③ 塩尻(しおじり)駅から辰野(たつの)駅へ……飯田線を完乗する。 

     全部にトライしたいが、欲張り過ぎてはダメな気がする。

     とりあえずは、篠ノ井線で松本駅へ行き、国宝松本城を見ようと決めた。

                   ◇

     松本駅に着くと、日差しが強くカンカン照りである。

     松本城へは歩いて行けるらしいが、路線バスでも行けるみたいなので少しだけ迷う。急ぐ旅ではないので結局は歩きにした。

     約20分後、黒々とした松本城が見えた。国宝指定されているので、なんとなく風格を感じさせる。

     お城の周りにはとても澄んだ堀があって多くの水鳥が浮かんでいる。

     せっかくなので城の中に入ってみると、狭くて急な階段があり頭をぶつけそうになる。

     お城の最上部である天守にたどり着き外を見下ろす。朱塗りの橋が見え、遠くにはアルプスの山々がかすかに見えた。天守を通り抜ける風が心地良く、しばらくは景色を眺めてボーッとしていた。 

     正午になり、にわかに天守が混雑してきたので下界へ降りる。スマホをチェックしたが、サクラ姉ちゃんからの着信はない。

     松本城を出て散策していると、良さそうな蕎麦屋を見つけた。信州そばを堪能してから次に乗る路線を再検討すると……。今から飯田線に乗っても暗くなって景色が楽しめない……そう判断してから大糸線をチェック。

     かろうじて明るい内に糸魚川(いといがわ)駅に着けるようなので大糸線経由で富山方面へ向かうルートに決めた。

                   ◇

     のどかなローカル線を北上すると、時々湖が見えるがそれ以外は単調な景色に思えた。ようやく終点の南小谷駅に到着した。

     ここからはJR西日本の管轄らしいが、『みなみおたり』なんて読めねえよ!……と思った。

     糸魚川駅に着くと都会の雰囲気がしたが、富山駅に着くと大都会のように感じてしまった。

     ローカル線の駅ばかり見ていたからだと思うが、乗り鉄旅をしていると夜は明るい場所がホッとする。

     富山駅近くの安いビジネスホテルにチェックイン。部屋に入ってスマホを見ると、サクラ姉ちゃんからメールが届いていた。 

    『哲ちゃんへ、
     調査対象者の電話番号にかけても誰も出ません。夜に再度トライするので
     何かあったら連絡するね。 サクラより 』 

                   ◇

     哲也は外に出て、ご当地ラーメンを食べてから部屋に戻る。

     明日からの予定を検討していると、サクラ姉ちゃんから電話が……。

    「あっ、哲ちゃん。電話がつながったよ。今もマエダさんの家だった!」
    「どうだった…… 何かわかったの?」

    「そう慌てなさんな。今から順番に話すからよく聞いて」
    「うん」

    「私はね、興信所じゃなくて法律事務所だと言って電話したの」
    「大丈夫なの、そんなウソついて」

    「ウソじゃないもん。私はね、ちゃんとした法律事務所で働いているのよ。だからウソは言っていないわ」

     哲也は、そんなことよりも電話の内容が知りたいのだ。

    「それで、誰が電話に出たの?」

    「私がね、アヤコさんかユウコさんはいらっしゃいますか? そう問いかけたらさ、『姉はここには居ません』って言ったのよ!」

    「つまり、電話に出たのは調査対象者であるユウコさんってこと?」
    「そうよ。いきなり本人と話せたから、ビックリしちゃった!」

    「要するに、ユウコさんが生きているって確認できたんだよね!!」
    「そうなるのかも……」

     哲也は、自分自身のことのように興奮気味でサクラに言った。

    「それから続きは?」

    「ねえ、落ち着きなさいよ。あのね、ユウコさんですかって問いかけたらさ……『そうですけど、誰からの依頼ですか?』って聞かれちゃった」

    「それで……なんてこたえたの?」

    「哲ちゃんが書いていた……『あなたが20代の頃に知り合った人です』と言ったわ。そしたら黙ってしまって何も言わないの。だからさ、私のほうから言ったのよ。『あなたの消息を確認した上で、その情報をお伝えしても良いという人を思い出してみてください』ってね」

    「それでユウコさんは何か言った?」

    「誰かしらってつぶやくように言っていたわ。それでね、私は更に『30分後に再度電話するので、それまでに20代の頃に出会った人の中で思いつく人を三人ほど選んでください。その三人の中に依頼者がいましたら誰であるか、お伝えします』って言ったの。そしたらね、『わかりました』ってこたえてくれたわ」

    「随分と回りくどい言い方をしたみたいだね」

    「あのね、もしもだよ、ユウコさんが思いついた三人の中に、依頼者の名前があったとしたら……それって凄いことだよ!」

    「まだ運命がつながっているっていう証になるか……ユウコさんにも加西さんの記憶が残っている証拠だよね」

    「そろそろ時間だから電話してみる。じゃあ、後でね」

     サクラからの連絡を聞いて、哲也は自分のテンションが上がっているのがわかった。

                   ◇ 

     それから20分後、再びサクラから電話があった。

    「哲ちゃん、結論から言うとね……三人の中には、加西さんの名前はでて来なかったの。だからさ、ユウコさんにね……『依頼者の名前は入っていません』って伝えたわ」

    「それで、ユウコさんの反応は……?」

    「そうですかって言っていたわ。そしてね……『依頼者の方には、元気で暮らしているとお伝えください』だって……」

    「なんだか切ないよね。これで良かったのかな?」

     哲也のつぶやきにサクラが言った。

    「いい訳ない! 哲ちゃんは、女心がわかってないよ」
     さっきまで普通に話していたサクラの様子がおかしい。
    『えっ、どういう意味?』と、哲也が聞き返した。 

    「私はね、ユウコさんがさ、わざと名前を言わなかったんじゃないかと思ったの。30年や40年も前の知り合いが消息を知りたがっているなんて聞いたらさ、プロポーズまでしてくれた元彼を思い出さない訳がないわ。だからね、ユウコさんに言ったのよ!」

     興奮気味に話すサクラに戸惑いながら哲也が言った。
    「サクラ姉ちゃん、興奮しすぎだよ!」

    「興奮して当たり前よ。『本当は誰からの依頼だか気づいているんじゃありませんか? ユウコさんの手掛かりは、この電話番号だけなんです。30年以上経っても依頼者が覚えていたから連絡できたんですよ』ってまくしたてちゃった!」

    「それで、ユウコさんは、依頼者に気づいていたの?」

    「私が大きな声で言ったみたいで、ユウコさんは呆れていたみたい。そしてね、小声で言っているのが聞こえたのよ……『私の家の電話番号と私の姉の名前を知っている人は限られています……カサイさん、加西恭正さんですよね』って。それを聞いた瞬間に、涙がポロポロ出てきちゃった」

    「なんでサクラ姉ちゃんが泣くんだよ」

    「だって、だってさ、私が言わせちゃったんだよ。会ったこともない依頼者に感情移入しちゃったみたいでさ……『運命がつながった瞬間』に立ち会えたような気がして嬉しかったの……」

     電話の向こうで、サクラが泣いているのが聞こえる。

     哲也はサクラが落ち着くのを待ってから話す。
    「ユウコさんには、加西さんの連絡先って知らせたの?」

    「うん。メールアドレスだけ伝えたよ」
    「他に何か言ったの?」

    「私の勝手な判断で言ったわ。『ユウコさんの消息は、ユウコさん自身が加西さんに報告してください』ってね。そのほうがいいかなって」

    「それでいいと思う。俺も同じように言っていたかもね」

    「それでさ、哲ちゃんは依頼者になんて報告するつもり?」
    「どうしようか……ユウコさんが加西さんにメールするという確証はないからな……しばらくは保留するよ。うまく行けば加西さんから連絡が来るかもしれない」

    「まあね、それが無難かも。あのさ、哲ちゃんはいつ頃東京に戻るの?」
    「明日も乗り鉄旅だけど、きっぷが残っているから東京に戻るのは早くても4日後だね」

    「じゃあさ、来週の水曜日に東京へ行くから案内してよ」
    「えっ、東京に来るの。出張とかなの?」
    「違うよ、プライベート」

    「わかった。いいよ、案内する。前日にメールちょうだいね」
    「うん。それじゃヨロシク」
    「今日はありがとう。またね」 

     電話を終えると、哲也はベッドに横たわって天井を見つめる。思っていたよりもアッサリ調査が終わった気がするけれど、加西さんの立場で考えると長かったのかもしれない。

     結果的には覚えていた電話番号が役に立ったが、電話番号がわかっていても自分ではかけられなかった……現実を知るのが怖かったというのが理由だったのか……本人ではないから確信はないけれど、自分が同じ立場でも電話する勇気があるのか……いろいろと思考してみても、30年以上という年月を経なければ実感がないと思った。

                    ◇

     翌日になり、哲也は富山駅から高岡駅へ向かう。

     せっかく来たのだから、城端(じょうはな)線と氷見(ひみ)線にはトライしたかった。

     数時間がかりで完全乗車を終えると、金沢方面へは向かわずに富山駅へ戻った。北陸本線よりも高山本線に乗る方を選んでしまったのが理由である。  
     高山本線を完乗して岐阜駅に着いたのは夜9時過ぎだった。

     次の日は紀勢本線を完乗してから、和歌山線、桜井線、関西本線と乗り継いで名古屋に着いた。

     最終日は東海道本線を乗り継ぎ、途中で御殿場線にトライして東京へ向かった。小岩のアパートに着くまでの間、誰からも連絡はなかった。 

                   ◇ 

     火曜日の午後、サクラからメールが届いた。

    『明日の正午頃に東京駅着です。待ち合わせは八重洲口の改札口ということで……出迎えヨロシク! サクラより』 

     哲也はメールを読み終えてから、部屋を見渡して思った。

     もしかしたら俺の家を見に来るかもと思い、部屋の中の大掃除をしようと決めた。部屋の大掃除が終わると、冷蔵庫の中がさびしそうなので買い出しに出かける。

     夜食を食べた後でノートパソコンを出してメールをチェックする。すると、東松島市のエフエム放送局で話をした瀧内ディレクターからのメールがあった。 

    『あなたたちの話を聞いてスタッフと話し合いました。パソコンやスマホやデジカメなどが無かった世代の方たちが、当時はどのように工夫をしていたのか、そしてどんなエピソードがあったのか、今となっては思い出話しに過ぎませんが、その頃のことを思い出す時に、あの人は今頃どうしているかなって気になったりします。

     人探しって聞くと、なんだか大袈裟に感じますが……「今どうしてますか、お元気ですか?」という問いかけならばリスナーに受け入れてもらえるかもしれないと考えました。

     ということで、実験的に番組を編成します。あなたたちから問い合わせがあった女性たちのエピソードを第1回目に放送します。本放送と再放送の2度だけですが、もしも反響などがあれば連絡させて頂きます。 瀧内弘美より 』

      メールを読み終わって哲也は飛び上がって喜んだ。

     乗り鉄旅で訪問した神社や寺のご利益かもしれないと思いつつ、ぬか喜びに終わらないでほしいと思った。

     哲也は加西さんから聞いたエピソードを思い出し、ディレクターさんに伝え忘れたことなどをメールに書き、参考資料として使って下さいとお願いする返信をした。 

                   ◇ 

     翌日の水曜日の正午頃、哲也は八重洲口の改札口で待機していた。

     しかし、正午を過ぎてもサクラは現れない。そろそろ電話しようかと思った瞬間、哲也のヒザが『カクッ』とした。振り向くとサクラが笑っている。

    「ビックリした?」
    「子供かよ! 変な悪ふざけすんなよ」

    「少し早く着いたから散歩していたの」
    「荷物は? それだけかな」

    「そうだよ。ねえ、お腹すいた」
    「じゃあ何が食べたいの?」

    「おごってくれるんでしょ!」
    「この前のバイト代の代わりだったらいいよ」
    「じゃあね、洋食がいいな。駅ビルのレストランへ行こう!」 

     レストランでランチをして、コーヒーを飲んでいる時に哲也が言った。
    「サクラ姉ちゃん、ホテルはどこに泊まるの?」
    「ホテルなんて予約してないよ。哲ちゃんの家に泊めてね」

     哲也は、サクラの陰謀にハマっているのかと思った。

    「マジかよ。冗談だろ!」
    「近所にスーパー銭湯ってある?」
    「ねえ、本気で言ってるの?」
    「いいでしょ、1泊くらい」

     部屋の大掃除をしておいて良かったと思っていたが、本当に1泊だけで済むのかと不安になる。

     とりあえず話題を変えようと考え、エフエム放送局のディレクターから連絡があったことを話した。

    「良かったじゃないの。いつ放送するか聞いた?」
    「聞いてない。扱ってもらえるのは嬉しいけどさ、あまり期待していないというのが本音かな……」

    「そうだよね。冷静に考えればさ、消息を知っている人が放送を聞く可能性は低いだろうし……本人が聞く可能性はもっと低そうだわ」
    「でもさ、可能性はゼロではない。今度も運命的な奇跡を願うだけだよね」

    「それよりさ、依頼者の加西さんから連絡は?」
    「まだないよ。ユウコさんの気持ち次第だからね」

    「まだ1週間も経ってない。焦らずじっくり待とうよ」
    「うん。加西さんからの吉報を気長に待とう」 

     食事が終わると、駅ビルを出てから哲也が言った。

    「どこか行きたい所はあるの?」
    「そうね、東京を感じられる場所かな」

    「それってさ、東京を代表する二つの電波塔とか?」
     サクラの顔を見ても反応がない。
    「違うの?……だったらさ、浅草とか渋谷とか六本木ってこと?」

     サクラは何か思いついたらしく、ニコニコしながら言う。

    「こんな荷物持ちながら観光したくないな〜。まずはさ、哲ちゃんの家に行って荷物を置きたい!」
    「荷物だったら、コインロッカーに入れればいいよ」

    「哲ちゃんさ、チョット冷たくない?」
    「どうしても俺のアパートに来る気なの……すごく狭いよ」

    「いいじゃないの。昔さ、私とキスしたよね……覚えてる?」
    「俺が中学の頃だろ……もう勘弁してくれよ!」
    「わあ、覚えてるんだ。いいから早く行こう!」

     サクラに押し切られて、哲也は電車に乗って家へ向かった。 

                   ◇ 

     その頃、入院中の加西の元に、『ご無沙汰しています』という題名のメールが届いた。

     加西が本文を見るとマエダさんからのメールのようであるが、元気に暮らしているという内容しか書かれていない。

     あまりにも突然なので、加西には本人からのメールであるという確信がなかった。加西は本人であるかを確かめたくて返信メールを送った。 

    『あなたがユウコさんであるかの確認がしたいです。ふたりだけしか知らないことを、お互いに一つずつ質問しましょう。私からの質問です。あなたと一緒に乗った観覧車があるのは、どこの遊園地でしたか? 答えの後で、私にも質問してください。    加西恭正より』

      加西がメールを送ってから数分後、メールが送られてきた。 

    『質問の答えは、富士山の麓にある有名な遊園地だったような気がします。私からの質問は、ふたりが初対面の時にランチをしたお店の名前です。これで宜しいでしょうか? ユウコ 』 

     メールを読んで、加西は興奮を抑えきれなかった。すぐに彼女からの質問の答えを返信する。

    『質問の答えは、「晴れたり曇ったり」です。ユウコさんがお店の名前を覚えていたなんて感激です!  加西恭正』 

     それから数分後に再びメールが届いた。

    『お互いに本人だと確認できましたね。私の消息を知りたくて人に依頼したようですが、どうして今頃になってそんなことをしたのかしら……私はもう過去の人ですから、連絡があった時は本当に驚きました。あなたはお元気ですか?   ユウコ 』

     加西はメールを読んでいるうちに涙が溢れ、涙で文字が見えなくなっていた。そして、彼女と最後に会った日の出来事が突然脳裏に浮かぶ。

     大宮駅のロータリーでの別れ際に、『お元気で……』と言って彼女は去っていった。あの時は永遠の別れだと思った。しかし、今、奇跡的に運命が繋がった。

     涙を拭いて心を落ち着かせてから、加西はメールを書き出すと事実だけをありのままに伝えようと思った。 

    『ユウコさんとメールが出来る日が訪れるとは……想像もしていませんでした。私は定年後にひとり旅をしている時、自分の不注意で転落して複雑骨折をしてしまい今は入院中です。リハビリをして退院できるのは、まだまだ先になりそうです。ときどきで構いませんから、またメールして頂けないでしょうか? 宜しくお願いします。   加西恭正 』 

     メールを送信しても、今度はなかなか返信が届かない。先ほどのメールで、自分は過去の人だと書いてあったから自分とは関わりたくないのかもと思えてきた。

     結局その日は、ユウコさんからのメールは届かなかった。とりあえず哲也君に今日のことを伝えようかと考えたが、かなり中途半端な状況なので後日改めて送ろうと決めた。 

                   ◇ 

     午後2時過ぎに哲也のアパートに着いた。部屋に入るとサクラが言った。

    「あら、結構キレイにしてるじゃない。もしかしてさ、私が来るって予測してたの?」

     哲也は、イチイチ答えていたのではキリがないと思い、聞こえないフリをする。
    「荷物はココに置いてね。トイレはこっちだよ。ユニットバスだから狭いよ。スーパー銭湯は近くに無いけど、銭湯は歩いて5分くらいだね。夕方4時からかな……」

     哲也の説明が終わると、窓を開けてサクラが言う。
    「ねえ哲ちゃん、あの川って何?」

    「江戸川だよ。千葉県との境界。旧江戸川の河口には有名なテーマパークがある」 

     冷蔵庫から麦茶のペットボトルを取り出してコップに注ぐ。哲也がテーブルの上にコップを置く。

     サクラはコップを手に取り、『いただきま〜す』と言って一口飲む。
    「あれっ、甘くないね」

    「ペットボトルだよ。ウチで沸かしたんじゃないから当然でしょ」
     サクラは旅行バッグの中からガイドブックを取り出す。パラパラとページをめくってから言った。

    「哲ちゃん。明日はさ、皇居の周辺を散策したいな」
    「確かに、皇居なら東京を感じる場所で間違いないね」

    「皇居東御苑にも入りたい。朝9時から公開だってさ」
    「それって江戸城があった場所だよね。俺も行ってみたい」

    「じゃあ決まりね!」
    「うん、いいよ。これからどうする?」

     サクラが即答する。

    「錦糸町(きんしちょう)にさ、デッカくて広い100円ショップがあるんでしょ?」
    「あるけど、行きたいの?」

    「連れてってくれる?」
    「ここに来る途中で言ってくれたら良かったのに……」

    「ゴメン。だって錦糸町駅を通るなんて知らなかったもん」
    「そうだよね。知っていたら言ってたよね」

     哲也は、サクラの話し方の変化に動揺している。 

                   ◇ 

     アパートを出ると、サクラが哲也の横に並んで歩く。しばらくして、サクラが哲也の手を握る。

     急な行動ではあったが、ここで振りほどくと更にエスカレートしそうだと思い、哲也は手をつないだまま歩いた。

     錦糸町駅北口にある商業ビルに入った。店の規模が想像よりもはるかに大きかったようで、サクラは目を見開いたまま動かない。

    「ねえ、哲ちゃん。迷子になりそうだから離れないでね」
     珍しく弱々しい声で言うので、哲也は心の中で大笑いした。

     店内を2時間も歩き回り、特大の紙袋に入りきらないくらい買った。
    「仙台では見かけない商品が多くてさ、目移りしちゃった!」
     サクラの言い分を聞いて、哲也は自分が初めて東京に来た時を思い出していた。 

                   ◇

     アパートに戻ると、汗をかいたから銭湯に行きたいとサクラが言い出す。

     100円ショップで買った紙袋から、いくつもの入浴グッズが出てきた。哲也はそれを見て『準備がよろしいようで……』と思った。

     銭湯を出る時刻を決めてから中に入いり、入浴後はふたりでコンビニへ立ち寄る。

    『哲ちゃんも飲むよね』……そう言いながら、サクラは缶チューハイを持っている。

    「俺はほとんど飲まないから」
    「いいじゃない。少しくらい付き合ってよね」

     サクラは缶チューハイ以外にも、サラダパスタやお菓子を買っている。 

     アパートに戻ると、サクラはすぐに缶チューハイを開けた。
    「風呂上がりの1杯はサイコーだわ!」

    「オッさんみたいだよ。ちゃんと座って飲んでよ」
     哲也に言われて、サクラはテーブルの前に座った。

     しばらくはサラダパスタを食べて楽しく過ごしていたが、1時間も経つとサクラは酔っ払っているようだ。

     哲也がトイレに入ろうとするタイミングで、『この部屋はすごく暑い!』と、サクラが言い出した。

     トイレから出ると、サクラはTシャツを脱いで下着姿になっている。

    「サクラ姉ちゃん、なんて格好してるの!」
    「暑いのよ! エアコンを付けていない君がいけないのだ」

     サクラの口調は完全に酔っ払いである。哲也は絡まれるのは御免なので離れて座っていると……静かになったかなと思っていると、サクラはクッションを抱いたまま寝ているようだ。 

     哲也はテーブルの上を片付けてから、サクラの肩を叩いて言った。
    「サクラ姉ちゃん、ベッドで寝ていいよ」

     哲也は何度も声をかけたが返事はない。サクラを抱き上げてベッドに寝かせた。哲也が手を離そうとした瞬間、サクラが哲也を抱きしめた。

    「ねえ、一緒に寝よう」
     哲也の耳元でサクラが言った。

     首にまとわりついたサクラの腕を引き離そうとするが、サクラは力を加えて離そうとしない。このままじっとしていればサクラが寝てしまうだろう……哲也はそう思っていたが、更に耳を疑うようなことをサクラが言った。

    「哲ちゃん、私を抱いて」
     哲也は考えた……『とにかく冷静になろう』 

     今は哲也がサクラに抱きしめられている。しかしサクラは自分を抱いてくれと言っているが……。

    『もしかして、抱いての意味が違うの?』と哲也は自問する。

     とにかく首から腕をどかそうとして力を入れると、サクラの顔と向き合い目が合った。

     再びサクラの腕が哲也を引き寄せると……ふたりの唇が重なった。

     哲也は、サクラの唇の柔らかさを感じて心を奪われそうになった。その誘惑をはねのけて唇を離したが、今度はサクラが哲也の手を掴み、自分の左胸に押し付けた。哲也はサクラの行動に驚き、これ以上抵抗してもムダな気がしてきた。 

     サクラが自分をジッと見つめているので、哲也は優しい口調で言った。「サクラ姉ちゃん。今はムリだよ」

    「どうしてよ!」
    「酔っ払っているから……」

    「酔っているけど、気持ちは本当よ」
    「何かあっても、今の俺には責任が持てない」
    「私のこと、好きじゃないの?」

     哲也は返答に困った。ほんのしばらく沈黙が続き、サクラがしゃべった。

    「いとこだとか関係ないわ。女としてどう思っているか聞かせてよ」

     哲也がウソを言えない性分だとサクラは知っているハズ……だから哲也もウソはつきたくない。

    「とても魅力的だと思う。小さい頃から憧れていたよ」
    「ありがとう。嬉しいわ」
    「だけどね、今はムリだよ。朝まで横に居るからさ……」

     哲也の言葉を聞いてサクラは目を閉じた。

                   ◇

     寝息が規則的に聞こえた頃に、哲也はようやく安心して起き上がる。すると、今の心情を無性に旅ブログに書いてみたいと思った。 

    『旅ブログだけど、サクラ姉ちゃんのことを書いてみようと思う。休暇を取って俺に会いきてくれたけど、いきなり俺の部屋に泊めてくれと言ったから驚いたよ。いとこだから恋愛対象にはならない……そう思って気持ちを封印していたつもりだった。サクラ姉ちゃんのほうはどうなのか……。

     俺が住むアパートでの夜に、酔っ払ったサクラ姉ちゃんが俺にキスしてきた! 俺は理性を失いかけたがなんとか持ちこたえて彼女を引き離したよ。それでも彼女は、俺の手を自分の胸に押し当てて俺の感情を揺さぶる……俺はほんの一瞬だけど、様々な状況が頭の中を駆けめぐった気がする。

     その夜は一線を越えることは無かったけれど、これから先は、どう接したらいいのか……なるようにしかならない……それでいいのかよ俺!  恋に迷走している哲ちゃんでした』 

                   ◇ 

     翌朝、哲也が目を覚ますといい匂いがする。キッチンではサクラが食事の準備をしているようだ。

     テーブルにトーストや目玉焼き、そしてコーヒーが置かれた。
    「哲ちゃん、おはよう。さあ食べよう!」

     哲也は昨夜の記憶が鮮明にある……サクラはどうなのか? そんなことを思いながらサクラの顔を見るが、ニコニコしているだけで何もわからない。 

     午前8時過ぎに、アパートを出て皇居へと向かう。サクラの服装は、白いジーンズに淡いピンクのTシャツとデニムのジャケットである。哲也はその姿を見て、『やっぱりスタイルは抜群だな!』と思う。

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     皇居東御苑に入ると、とても広くて見事な石垣があった。植物園のようなエリアから櫓の見える場所を隅々まで散策する。

     東御苑の見学が終わり、千鳥ヶ淵方面を目指しながら日本武道館がある場所まで進む。広々とした大きな濠を見ながら歩き、最後は桜田門を通り抜ける。夢中で歩き続けていたら、いつの間にか午後1時を過ぎていた。

    「ねえ、お腹すいた。築地の場外に連れてってよ!」
     サクラのリクエストだが、哲也は行ったことがない。

    「築地なんて俺は知らないよ。スマホで検索してみるね」
     ふたりは日比谷駅まで歩き、地下鉄で築地へ向かった。 

     築地場外で海鮮丼を食べてから、次は江戸東京博物館に行きたいとサクラが言い出す。両国駅に着いたが、サクラは引き続きテンションが高い。

     楽しんでいると思いたいけれど、昨晩の照れ隠しなのかもしれない……哲也はそう感じているが、サクラには何も聞けない。

                   ◇

     夕方5時になり、哲也のアパートへ帰る。部屋に入ると、哲也はノートパソコンを起動した。メールを確認すると加西氏から届いている。 

    『哲也君へ、 お元気ですか? 
     先日のことですが、昔の彼女からメールが届きました。あまりにも突然の出来事なので驚きましたが、すぐに哲也君のお陰だと気づきました。

     マエダさんの消息を確認したにもかかわらず哲也君が黙っていたのは、彼女から私に直接メールが届くことを狙っていたのでしょうか?

     改めて言わせてください。哲也君に依頼して良かった。本当にありがとうございます。彼女とはお互いに質問をして、本人であることを確認した。

     その後で少しだけメールのやり取りをしたのですが、今は彼女からのメールは途絶えています。

     彼女の消息がわかった上にメールで話せたなんて、言葉では言い表せないほどに感動しましたよ! 君への依頼は終わってしまいましたが、それとは別に君と話がしたいですね。 

     宜しければ、またお見舞いに来てください。    加西恭正より 』

      メールを読み終えると、哲也はサクラにも見せた。
    「わあ、良かった! ユウコさん、加西さんにメールしたんだ」
     嬉しそうに言っているサクラの目はウルウルしている。

    「サクラ姉ちゃんのお陰だね。本当にホッとしたよ」
     哲也の言葉を聞いてサクラが叫ぶ。
    「哲ちゃん、私もお見舞いに行きたい!」

     サクラの発言が意味することは何か……哲也にはわからないが、一緒に乗り鉄旅をするのは大歓迎だと思った。

    「変な依頼主に興味を持ったの?」
    「それもあるけどね、健気なオッさんの顔が見てみたくなった……というか、私も話がしてみたいの……ねえ、行こうよ!」

    「普通のオッさんだよ。凄く話しやすいという以外には、特別な印象なんてないかも」

    「そんなのどうでもいいわ。加西さんの依頼を哲ちゃんが引き受けていなければ……私は哲ちゃんの本心が聞けなかったもん」

     サクラの言葉を聞き……『昨夜の出来事は覚えてるのかよ!』と思った。 

                   ◇

     哲也が、病院の最寄り駅までのルートを検索する。

    「面会時間は午後2時からだから、午後3時頃までに着けるのは……明日の朝は8時前に出て、上越新幹線で越後湯沢経由ならば最寄り駅には午後2時過ぎに着ける。これが良さそうだね」

     ノートパソコンの画面をのぞき込んでいたサクラが言う。
    「この、ほくほく線ってなんなの?」
    「これは新潟の稲作地帯を走る私鉄だよ」

    「ふ〜ん。小岩駅から6時間以上もかかるんだね」
    「あのさ、東京の観光はもういいの?」

    「休みは1週間とってるけど、別に東京じゃなくてもいいの」
    「それじゃ、明日の午後にお見舞いに行くってメールするよ」
    「うん、わかった」 

    『加西さん、こんにちは。
     メールを読みました。ユウコさんからメールが届いたと知り、自分のことのように感激しています。
     詳しい話は、お会いした時に聞かせてもらいます。明日の午後3時頃、今回の調査においてMVP的な役割を果たした人と一緒に伺います。では明日。  哲也より 』 

     哲也が加西氏へメールを送信すると、わずか数分後に返信が届いた。

    『哲也君へ、明日が楽しみです。MVP的な役割を果たした人って……。何だかワクワクして、今夜は眠れそうにありません。首を長~くして待っています。道中はお気をつけて……。   加西恭正 』 

     哲也はサクラにメールを見せた。
    「加西さんってお茶目な人なのね。そうと決まったら……銭湯へ行こう!」

    「えっ、今日も行くの?」
    「当たり前でしょ。私は毎日お風呂に入ります!」

    「俺はいいよ」
    「ダメだよ、いっぱい汗をかいたんだから。キレイにしないと添い寝してあげないぞ!」

     サクラの言葉を聞いて『カチン』という気分になる。添い寝してあげたのは俺のほうだと言いかけたが、言った後が怖そうだと思ってこらえた。 

     銭湯の帰りに寄り道をして焼きそばを食べた。アパートに戻ると、サクラは冷蔵庫から缶チューハイを出して飲む。

    「今夜は酔っ払わないでくれよな」
     哲也が言うとサクラが言い返す。
    「チューしてくれたらさ、これだけでやめるけど」

     哲也はバカらしくなって相手にするのをやめた。

                   ◇

     ノートパソコンでメールチェックをしていると、哲也の携帯電話が鳴る。相手は東松島市のエフエム局のディレクターだった。

    「瀧内です。こんばんは。今いいかしら……」
    「ハイ、大丈夫ですよ。どうされました?」

    「試験的に放送した日にね、有力情報があったのよ!」
    「えっ、本当ですか? どんな情報ですか?」

    「マユミさんの弟だと名乗る人からです」
    「そうですか。それで消息は?」

    「マユミさんは山形県で元気に暮らしているそうです」
     突然の朗報に、哲也は興奮しかけている。

    「良かったです。あのう、タイコさんの消息は?」
    「弟さんは知らないそうです。お姉さんに連絡して聞いてみると言っていましたよ」

    「そうでしたか。もしもわかったら、加西さんのメールアドレスに直接知らせてあげてください」
    「わかりました。そうしますね」

    「ラジオの力って凄いですね」
    「私たちも驚いています。あなたたちだけでなく地域の人たちにも役立つと確信したわ。だから、これからも継続するつもりですよ」

    「どうも有難うございました」
    「いいえ、こちらこそありがとう!」

     哲也は電話を切ると、サクラに近づいて抱きついた。

    「何よ、どうしたの?」
    「エフエム局のディレクターさんからだった。マユミさんの弟から連絡があったって!」

     哲也が離れるとサクラがたずねる。
    「マユミさんの消息がわかったの?」

    「うん、山形県で元気に暮らしているらしい」
    「もう一人の彼女……タイコさんだっけ、どうなの?」
    「弟さんがマユミさんに確認しているらしい。連絡待ちだって」

    「そうか。でも凄いよね。なんか凄すぎてドキドキするわ。明日、加西さんに会ったら話したほうがいいのかな?」

    「消息がわかって直接メールが届くパターンのほうが面白いけど、それまで待てる自信がないかも」

    「だよね。哲ちゃんは顔に出るから黙っていられないだろうな……」 

                   ◇ 

     翌朝は7時半にアパートを出発した。新幹線に乗る前に喫茶店でモーニングサービスの朝食を済ませる。

     何度か乗り換えを繰り返して、病院の最寄り駅に着いたのは午後2時を過ぎた頃だった。
    「静かな駅ね。無人駅か……」
    「俺は3度目かな。もうすっかり馴染んでいるよ」

     哲也はサクラの荷物を半分持って歩き出した。およそ30分後に病院が見えた。哲也は病院が近づくと大きく手を振り出した。

    『何やってるの?』 と、サクラが問いかける。
    「病室の窓からね、加西さんが見ているハズなんだ」

     病院に着くとナースステーションで記帳する。病室の前に立つと、加西はベッドで眠っているようだ。

    「あれっ、寝ているみたいだね。どうしようか……」
     すると、閉じていた加西の目が開いた。

    「寝ていませんよ、フリをしていただけです。来てくれて本当にありがとうございます」
    「こんにちは。お元気そうですね」

     哲也に続いてサクラも挨拶する。
    「初めまして、お身体の具合はいかがかしら?」

     若い女性に挨拶をされて加西はすぐに言った。
    「この方がMVP的な役割を果たしてくれた人ですか?……哲也君の彼女なのかい?」

     すると、サクラは笑みを浮かべながら即答する。
    「はい。哲也君の彼女です!」
    「違いますよ。俺のいとこです」

     加西は、ふたりを見て言った。
    「結構お似合いだと思うよ。なんだ……違うのか」
    「えっ、お似合いですか?……嬉しいな。哲ちゃん、良かったわね」

     キリがないので、哲也は無視して調査の話を始める。 

    「加西さんから教えてもらった電話番号ですが、女性のほうが無難かなと思って……サクラ姉ちゃんに頼みました」

     加西がサクラの顔を見ると、サクラが小さくうなずいた。
    「どんな様子でしたか?」

     加西に問いかけられて、サクラは記憶をたぐり寄せる。
    「年齢相応の落ち着いた口調で話されていました」

     サクラに向かって哲也が言った。
    「ありのままを話してあげて……サクラ姉ちゃんが話したことも全部だよ」「いいのかな……」
     少し戸惑いの表情をしているサクラに加西が言った。

    「サクラさんは、MVP的な役割をしてくださったそうですね。それを聞かせてほしいのですが……私としてはですね、ユウコさんがメールを送る気持ちになるまでのプロセスが知りたいのです。お願いします」

     サクラが話し出そうとするタイミングで加西が言った。
    「哲也君、いつものアレをお願いします!」
     そう言って小銭入れを哲也に渡す。

    「ブラックのアイスコーヒーですね……サクラ姉ちゃんは何が飲みたい?」
    「えっ、私……アイスミルクティーとかあるの?」
    「たぶんあったと思う。じゃあ買ってくるね」

     哲也が病室を出て行くと、サクラはゆっくりと話し出す。

    「私は電話の相手がユウコさんだとわかってから、あなたの消息を知りたいという人からの依頼で電話したとお伝えました」

     加西が小さくうなずく。

    「誰からの依頼かと聞かれたので、あなたが20代の頃に知り合った人ですと伝えしました」

     加西は黙ってうなずいている。

    「私は加西さんとユウコさんの運命が今でも繋がっているのかと考え、ユウコさんに『あなたの消息を確認した上で、その情報をお伝えしても良いという人を思い出してみてください』って言いました。
     更に、30分後に電話をするので、三人ほど候補を決めてくださいと言って電話を切りました」

     ここまでの話を聞いて加西が言った。

    「サクラさんがユウコさんに問いかけた言葉……私には怖すぎて、絶対に言えないですね」 

     哲也が飲み物を買って戻ってきた。アイスコーヒーを飲んで加西がお決まりのセリフを言い放つ。
    「目が覚めますね。そして憩いのひと時です」

     サクラもアイスミルクティーをゴクゴクと飲む。
    「ああ、緊張していたからスッキリします!」

    「サクラ姉ちゃん、緊張してたんだ。どうぞ、話を続けて」

     哲也もアイスコーヒーを飲みながらサクラの話を待つ。

    「30分後に電話をして候補の名前を聞きました。その中には加西さんの名前はありませんでした。依頼者の名前が無いと伝えるとユウコさんが、『依頼者の方には元気で暮らしているとお伝えください』と言っていました」

     加西は、表情を変えることなくうなずいている。

    「私は直感的に思いました。ユウコさんがわざと名前を言わなかった……。だから、『本当は誰からの依頼だか気づいていますよね? ユウコさんの手掛かりは、この電話番号だけです。依頼者が30年以上経っても覚えていた……だから連絡できたんですよ!』ってまくしたててしまったの」

     当時の状況を思い出して、サクラは少し興奮気味の様子だ。

    「サクラさん、凄いです。普通ならば、そこまでは言えないですよね」

     加西には、MVP的な役割をした理由がわかったような気がした。 

    「ユウコさんは私の口調に呆れていたみたいでしたが、小声で本心を語ってくれました。『私の家の電話番号と私の姉の名前を知っている人は限られています……加西恭正さんですよね』って……とても落ち着いた口調でした」

     サクラは、話している途中から涙声になっていた。
    「どうされましたか……大丈夫?」
     加西がサクラに声をかけると、更にサクラが話を続ける。

    「私は、ユウコさんに無理矢理言わせちゃったのかもって思ったの。でもね、加西さんとユウコさんの運命が再び繋がった瞬間に立ち会えたような気がして……本当に感動しました。嬉しくて、嬉しくて、涙がポロポロ出てきちゃったの……」

     サクラの様子を見て、加西はもらい泣きをしている。

     その様子を見ていた哲也が言う。
    「あとは俺から話すから……」
     サクラは涙を拭きながらうなずいている。 

    「ユウコさんの消息は、『ユウコさん自身で加西さんに伝えてください』とサクラ姉ちゃんは言ったそうです。ユウコさんがメールをするという確証がなかったので黙っていた……それが報告しなかった理由です」

     哲也たちからの報告を聞いて、加西は大きく深呼吸をしてから言う。

    「ありがとうございます。その一言に尽きます。私に勇気がなかったから……あなたたちのお陰で私の夢が叶いました。タイコさんとマユミさんの件は残念だったけれど、一番知りたかったユウコさんが生きていてメールのやり取りができた……もう、それだけで充分です!」

     加西が満面の笑顔で話し終えるとサクラが言った。
    「マユミさんは、今もお元気です!」

    「えっ、本当に?」
     興奮した様子で小さく叫ぶと、加西は哲也の顔を見ている。

                   ◇

    「あのですね、全部話しますから落ち着いてください」
     加西が首を数回縦に振るのを見てから哲也は言った。

    「加西さんに調査報告をした後で、ダメ元のつもりで地元エフエム放送局へ行ってみました。そして人探しができるかと聞いたのですが無理だと言われました。しかし粘り強く話を進めたら、試験的に新企画として実行することを検討してみると言われたんです」

     加西は口を開けたままうなずいている。

    「昨日のことですが、担当ディレクターから連絡があって、試験的に放送したらマユミさんの弟と名乗る人から情報があったと知らされたんです」

    「あっ、それはオッ君です。覚えていますよ」

    「弟さんから、お姉さんが山形県で暮らしていると情報がありました。そして、タイコさんの消息はお姉さんに確認すると言っていたそうです。ですから連絡待ちという状況です」

     哲也の話を聞いて、加西の表情は和らいでいる。

    「これも、サクラさんが協力してくださったのですか?」
    「はい。哲ちゃんから頼まれて一緒に調査しました。エフエム局のことを言ったのは私だけど、実際に行動を起こしたのは哲ちゃんですよ」

     加西は、ふたりを交互に見てから言った。

    「専門業者に頼まなくて良かった。君たちでなければどちらも消息が分からなかったかもしれない。本当に感謝しています」

     そう言ってから、加西は深々と頭を下げた。

    「タイコさんの情報は連絡待ちだとすると、ユウコさんとのメールが途絶えているのは残念ですね」

     哲也が何気なく言うと、サクラが急に立ち上がり、トイレに行くと言って病室を出て行った。

     サクラが病室を出て行くと、加西が哲也に問いかける。
    「哲也君はサクラさんのこと、どう思っているの?」
    「どうって、もしかして恋愛感情があるかって意味ですか?」

    「だってさ、サクラさんが自分で『彼女です!』って言ってたのは冗談に思えなかったから……」
    「サクラ姉ちゃんはいとこだし、5歳も年上なんですよ」

    「いとこでも結婚できるよね。あんなに可愛くてスタイルがいいんだから文句の付けようがないでしょ……どうなの?」
    「ちょっと、酒癖が悪くてね……」 

                   ◇ 

     その頃、サクラは病院の休憩所で電話をしている。

    「もしもし、マエダさんのお宅ですか? ユウコさんはご在宅でしょうか?」
    「はい。私がユウコですが、先日お電話をしてきた方ですか?」

    「山元サクラです。先日は大変失礼しました。加西さんにメールを送られたそうですね」
    「ええ。あなたから言われて迷いましたが、消息くらいならと思ってメールをしました」

    「実はですね、加西さんのお見舞いの真っ最中なんです。初めてお会いしましたが、とても穏やかでお茶目な人ですよ。ユウコさんはお会いにならないのですか?」

    「私にとって加西さんは過去の人なんです。今更会っても意味なんてありません。それに……たぶん、あの人は私を恨んでいると思います」

    「恨んでなんかいないと思います。実際にお会いして話した感じでは、あなたの消息がわかったことを心から喜んでいますよ」

     しばしの沈黙の後、つぶやくようにユウコが話し出した。
    「加西さんが……私に会いたいと言っているのですか?」

     ユウコからの問いかけに、なんて答えようかと迷う。

    「加西さんは何も言いませんが、生きていると知れば会いたいに決まっています。ユウコさんは会いたいと思いませんか?」

    「あなたは今、おいくつかしら?」
    「年齢ですか? 25歳ですけど」

    「私が加西さんとお別れしたのは26歳なの。今は60歳よ……女同士だからわかるでしょ」

    「わかりますよ。わかるけど……お互いに生きているんですよ。見た目が変わっていたって当然だし、何かを失う訳じゃありませんよね。加西さんは、後悔したくないから私たちに託したんです。ユウコさんだってメールを送る時、相当悩まれたのでは……」

    「あなたは普段から、このようにお節介なのかしら?」
    「普段は違います。でも、今回だけは特別なの!」

     サクラが『今回だけは特別』と言った理由……それは哲也のチカラになりたいという気持ち以外にも、哲也と再会するキッカケをくれた加西氏のチカラにもなりたいから……。 

     サクラが言った『特別』の意味を……ユウコは考えているみたいだ。

    「あなたが一生懸命なのはわかります。でもね、加西さんの消息を知ることができたけれど……私には、なんの感情もないのよ」

    「それでもいいんです。ドキドキやワクワクが無くても構わないと思います。昔の友だちとして会うのなら理由なんて必要ないと思います」

     サクラは、少し意地になっているようだ。

    「あなたの言いたいことはわかりました。私の都合なんて考えていないみたいだけど……若いっていいわね。私が加西さんに会うかは自分で判断して決めます。今から加西さんにメールを送ります。あなたから言われたからとか関係なく、自分なりに決着というかケジメをつけるわ。
     あなたにはいろいろと言われちゃったけれど、少しだけ感謝しています。どうもありがとう。それじゃ……」

     電話が切れたのを確認した瞬間、サクラは身体のチカラが抜けて椅子にもたれかかる。

     頭の中でユウコさんとのやり取りを思い返していたが、冷静ではなかったと今更ながら反省した。

     トイレに行ってから病室に戻ると、哲也と加西が楽しそうに会話をしているのが見える。サクラも会話に加わり、少しずつ平常心に戻っていった。

                   ◇

     数分後、会話の流れで加西がノートパソコンを開いた。
    「哲也君、ユウコさんからのメールが届いていますよ!」

    「えっ本当に?……良かったですね」
     サクラはユウコさんがメールを送ることを知っていたので、どのように反応して良いのかわからず作り笑顔になっている。

     加西がメールを読む様子を、哲也とサクラは静かに見ていた。メールを読み終えると、加西が哲也たちに向かって笑顔で話し出す。

    「彼女がね、『いつか気が向いたら……お見舞いに行くかもしれません』と書いてあったよ」

    「スゴイ、凄いです!」

     哲也が自分のことのように喜んでいると、加西がサクラに向かって言う。

    「メールには続きがあります。『あなたが依頼した人は、とても失礼な方でお節介が過ぎます。だけど、とても優秀な働きをされたと思います。
     私があなたにメールを送るキッカケをくれたのは、まぎれもなく彼女のおかげです。たぶんですが、その彼女は今、あなたの目の前にいると思います。どんな方なのか見てみたいので、あなたが写真を撮って私に送信してください』って書いてあります」

     加西が読み上げたメールの内容を聞いて、哲也は不思議そうな素振りをしているが……サクラは両手で顔を隠している。

    「サクラ姉ちゃん、何かしたの?」
     哲也の問いかけにサクラは答えない。

    「もしかして、サクラさんは先ほど……ユウコさんに電話をしましたか?」
     加西の問いかけに、サクラは顔を隠したまま首をタテに振った。

    「どうして電話したの?」
     哲也から聞かれて、ようやく顔を出してサクラが話した。

    「加西さんに初めて会って話をしていたらね、どうしてもユウコさんに会いにきてほしいって思ったの。おふたりの都合も考えず、勝手なことをしました。ごめんなさい」

     すると加西が、ニコニコしながら言った。

    「サクラさんは悪くないですよ。謝る必要なんてありません。むしろ私は感謝したい気分です。あの彼女の心を動かしたのですから……あなたは素晴らしい人であり魅力的な女性だと思いますよ。そうですよね、哲也君!」

     急に加西から言われて哲也は焦ったが、加西の気配りだと気づいたのでサクラに向かって小さく叫んだ。

    「サクラ姉ちゃん、カッコ良いよ。 ほれてしまいそう!」

     哲也がふざけて言ったのだと思ったサクラは、哲也の頬っぺたをつねりながら言った。

    「調子に乗るな。私は真剣なんです!」

     ちょっと怒った表情のサクラに向かって加西が言う。

    「おふたりさん、そのまま横に並んでくっ付いて下さい。昔の彼女に写真を送ってと頼まれていますので……さあ早く」

     言われた通りに横並びでくっ付くと、加西がデジカメを構えてから『3、2、1……』とカウントダウンする。『1』と言った瞬間、哲也はサクラを自分のほうに引き寄せた。

     写真を撮り終えた後、撮ったばかりの写真を哲也たちに見せる。
    『いい感じに撮れているね』と、哲也が言うと……。
    『素材が良いから当然よ』と、意味不明なことをサクラが言った。 

     デジカメをノートパソコンに接続している様子を見て哲也が言った。

    「加西さん。そろそろ帰ります。彼女さんへの返信は、ボクらが帰った後で、ゆっくり考えてからどうぞ」

    「そうですか。もう帰っちゃうんですね……なんだか寂しいです」
     加西の表情を見てサクラが言う。

    「年齢は離れているけど、私たちは友だちです。またいつか会えます!」「そうですよ。また会いに行きますから……」

     哲也たちの言葉を聞いて、加西が小机の引き出しから封筒を出した。
    「これは君たちへのお礼です。受け取ってください」

     差し出された封筒を見て哲也が言った。
    「そうだ、忘れていました。加西さんから預かったクオカードの残り……確か2万円分くらい残っていますよ。だからお礼はそれで充分です」

    「何を言ってるんですか。交通費だってかかっているでしょ。受け取ってもらわないと、私の気がおさまりません」

     ふたりのやり取りを見ていたサクラが、封筒を受け取ってから言う。

    「そういうことでしたら私が頂きます。調査にあたって法律事務所の名前を語ってしまったので無償という訳にはいきません。また何かありましたら、いつでも哲也に連絡してください」

     最後のほうは完全に営業活動の口調になっていた。加西は『法律事務所?』とつぶやいて首をかしげている。

     哲也がすかさず、『彼女は法律事務所の事務員らしいです』と言った。 

                   ◇

     哲也たちが、加西に別れを告げて病室を出る。病院を出てから後ろを振り返ると、病室の窓で加西が手を振っていた。
     サクラは大きく手を振り、投げキッスをした。

     駅へ向かう道を歩いていると、哲也がサクラに問いかける。
    「加西さんの彼女さんってさ、結婚しているのかな?」

    「さあね、聞いていないから知らないよ」
    「えっ、聞いてないの?」

    「だってさ、そんなの私たちには関係ないわよ」
    「関係ないなんて言いながら、かなりお節介なことまで言ったのは誰かな?」

    「それとこれとは違うの! それよりさ、これからどこへ行くの?」
    「休暇はあと4日間だっけ。行きたい所ってある?」

     サクラにとっては、哲也と一緒ならどこでもいいというのが本音だ。
    「哲ちゃんは行きたい所はあるの?」

    「そうだな、今から長野方面へ行ってさ、姨捨(おばすて)駅からの夜景を見てみたい……サクラ姉ちゃんは興味ある?」

    「いいよ。行ってみようよ。夜は松本に泊まろう」
    「松本に泊まるのはいいけどさ、その次の日はどうする?」

    「哲ちゃんは、乗り鉄旅がしたいんでしょ?」
    「いや、そんなことはないよ。いい景色が見られるならどこでも……」
    「そうなんだ。じゃあさ、富士山を近くで見たいな」

     サクラからのリクエストを聞いて、哲也は移動ルートを思い描く。

    「明日は中央本線で大月駅へ行って、富士急行線に乗ろう!」
    「富士山が近くに見えるの?」
    「たぶん見えるよ。富士急行線には富士山駅があるから大丈夫!」

                   ◇

     哲也たちがそんな会話をしている頃、加西はユウコへ送るメールの本文を書いていた。

    『あなたからのメールに書かれていた、「いつか気が向いたらお見舞いに行くかもしれません」という一文を読んで、自分が決めている「生きているうちに会っておきたい人リスト」の最上位の人だから、もし会えたら死んでもいいという気分になっています。
    生きているうちに、あなたに会いたいです!    加西恭正』 

     今の正直な気持ちをメールにしたためた。お見舞いにきてくれた彼らの様子や、その関係性についても書いた。
     そして最後に、哲也とサクラを一緒に撮った写真をメールに添付して送信した。 

                   ◇ 

     哲也とサクラは長野駅で食事をしてから姨捨駅に向かう。まもなく姨捨駅に着くと思っていると、電車が一旦停車してから急にバックで進み出した。

    『哲ちゃん、電車がバックしてるけど……』と、サクラが言う。
    「これはスイッチバックだよ。このまま駅のホームに着くよ」

     姨捨駅に着くと、ベンチが外向きになっているのが見えた。

    『何で外向きなの?』と、サクラが言ったので哲也がこたえる。
    「たぶんね、もうすぐわかるよ」
     そう言ってから、サクラと一緒にベンチに座る。

     しばらくベンチに座っていると……。ホームには哲也とサクラだけになった。そして薄暗くなるにつれて善光寺平の方角に明かりが灯り出した。

    画像

    「わあ、スゴイ。とってもキレイだわ」
     サクラはベンチから立ち上がり、ホームを歩き出す。
    『これが日本三大車窓の一つだよ』と、哲也が言った。

     サクラは立ち止まるとスマホで撮影している。哲也は少しずつ変化していく夜景を見ながらサクラの姿を目で追っている。撮影が済んだサクラは、哲也に近づいて言った。

    「哲ちゃんはさ、いつまで東京で暮らすつもり……東京じゃなきゃダメなのかな?」 

     絶景を背にして言ったサクラの顔を見ていると、サクラの問いかけの意味がすぐにわかった。

    「別に東京じゃなくても構わないよ。2年半暮らしてみてさ、大体わかったからね」
    「仙台には興味がある?」
    「少しくらいはあるよ。実際に行ってみて想像以上に大都会だと思った」

     哲也の返事を聞いて、サクラは何を言おうか迷っている様子。その気配を感じた哲也はサクラが話し出すまで、夜景を眺めながら静かに待っている。

     数分後、サクラは夜景を見ながら話し出した。

    「あのね、今すぐじゃなくていいから……いつか、仙台で、私と一緒に暮らせないかな?」
     哲也は、今の言葉がサクラからの告白だと思った。

     今日までは『いとこだから……』という理由だけで、自分の気持ちにフタをしてきたような気がする。加西氏からお似合いだと言われて、そのフタを外して正直になるべき時が来たと感じていた。

    「来月なんだけどね、アパートの契約更新なんだ。いいタイミングだからさ……仙台に引っ越そうかな……急なんだけど、いい物件知らない?」

     哲也がわざとらしい口調で言うと、サクラは哲也の背後から抱きついた。

     サクラは背伸びをして『私が決めていいの?』と、哲也の耳元でささやくように言った。

     その言葉を聞いて哲也は振り返る……そして、サクラを優しく抱き寄せて熱いキスをした。 

                   ◇ 

     翌日は予定通りのルートで富士山方面へと向かった。

     夜景を眺めた時の告白については何も語らないサクラを見ていると、いつの間にか表情が穏やかになっていると哲也には思えた。

     その後は、河口湖周辺を散策してから東京に戻った。この数日間で哲也とサクラの関係は親密さを増しているが、一緒に暮らすまでは今の状態をキープしようと決めたようだ。

     東北新幹線に乗るサクラを見送り、哲也は自宅へ帰ってきた。来月に引っ越すとなれば、それなりに費用がかかるのでバイトを再開しようと決めた。

     不動産屋に引っ越すと伝えてから、バイト先へも連絡をした。

                   ◇ 

     サクラが仙台へ帰ってから、哲也は思考を巡らせていた。

     仙台で調査協力をしてくれた頃よりも、不思議な感覚が心を支配しているような気がする。これから訪れるサクラとの生活を思い描いてみると、しばらくは自然の流れに任せようかと思ったりしている。

     加西氏の調査依頼に区切りがついたので、旅ブログを書いて気持ちの整理をしようと考えた。 

    『オッさんからの調査依頼について最終報告です。調査対象者が見つかりました! この快挙はサクラ姉ちゃんの大活躍によるものでした。

     俺の調査計画にダメ出しをして、自分のやり方でアプローチするって言っていた。どうなるのかと思っていたけど、俺の想像をはるかに越えるパフォーマンスを実践したらしい。調査対象者がオッさんにメールを送ったと聞いた時は、マジで心が熱くなったよ。

     それからさ、オッさんがね、サクラ姉ちゃんと俺を見て言ってくれたんだ……ふたりはお似合いだよって。何だかさ、亡くなった父親に言われた様な気分になってしまった。そんなこんなで、俺はサクラ姉ちゃんへの気持ちに素直になろうと思った。

     オッさんのお見舞いをした後で、姨捨駅からふたりっきりで夜景を見ていた時、俺のほうから彼女を抱き寄せてキスした。自分で言うのも変だけど、まるでドラマのワンシーンみたいに感じていたよ。

     サクラ姉ちゃんからいつか一緒に住みたいと言われて、俺の気持ちはすぐに決まった。すぐにでも一緒に住みたいってね。東京での生活はもうすぐ終わりそうだ。人生って何が起こるかわからないよな……。 少し浮かれている哲ちゃんでした』 

                   ◇ 

     加西がメールを返信した数日後、再びユウコからのメールが届いた。 

    『加西さんへ
     その後、お身体の調子はいかがでしょうか?  来月の第1日曜日にお見舞いに行こうかと考えています。
    病院の名前と最寄り駅からの行き方を教えてください。  ユウコ 』 

     加西は内容を見て感動しているが、すぐにメールを返信する。 

    『ユウコさん、お元気でしょうか? 
     少しずつリハビリを始めていますが、まだまだ入院生活は続きそうなので焦らずゆっくりと取り組んでいます。

     病院の名前と住所、そして面会時間をお伝えします。最寄り駅は無人駅ですので普通列車で会いにきてください。
     駅からは徒歩で30分以上かかるのでタクシーを呼んだほうが良さそうです。では道中、お気をつけて……。     加西恭正 』 

     必要な情報を書き加えてからメールを送信すると、加西は改めて感動の余韻に浸っていた。

                   ◇

    『普通列車で会いに来て!』という題名のメールを数名に送った頃には、まさかこのような奇跡的な日が訪れるとは思っていなかった。

     ユウコさんと別れてからの30数年間、常に心の片隅に想いが残っていたような気がする。けれども勇気がなかった……あるいは現実を知るのを怖れていたのかもしれない。

     自分の身体が危険にさらされて弱気になり、このまま人生を終えたとして後悔はないのかと真剣に考えてみた。自分が行動を起こさないと何も始まらない……当たり前の事実に気づいた結果、偶然の出会いがあり新しい交流を生んだ。

     そして他力本願ではあったが、彼らの素晴らしい活躍によって今の状況がある。

     来月には、ユウコさんに会えるかもしれないが、彼女が病院まできてくれたら何を話そうか……。昔の話には触れずに会話が成り立つだろうか?

     最も重要なのは、自分が彼女との関係をどうしたいのかということだ。今更ながら不安になって来た。

    『友だちになってください』……なんて、言えるだろうか?

     言えたとして、彼女に断られたらどうしようか……。いくら考えても若い頃の感情が邪魔をしてしまい、還暦になった今でも自分らしさがわからないのだ。 

    『もう、一生会えないと思っていた人に会える……』

     それが全てであり、彼女と会えた瞬間に感じた気持ちを伝えればいい。ようやく心構えが決まり、少しだけ気持ちが楽になった。 

                   ◇ 

     哲也は月末まで目一杯バイトをした。そしてバイトをやめた数日後、仙台へ引っ越す日が決まった。

     サクラの住むアパートで暮らすので、余分な家電製品や家具類はリサイクルショップで売ったり粗大ゴミに出したりした。

     必要最低限な物だけ残したら、段ボール箱で3箱しかなかった。

     東京のアパートを引き払う前夜、今の心境を綴っておこうと思いブログに書くことにした。 

    『福島から東京に出てきて2年半、こんなに晴れ晴れとした気分でアパートを去る日が来るとは……部屋の片付けを終えてみると引っ越してきた日のことを思い出したりする。

     特に何がしたいという目標もなくバイトに明け暮れていたけれど、あのオッさんから受け取ったメールがキッカケで、人生の岐路を迎えるとは思わなかったよ。

     オッさんからの調査依頼は結果的に成功して感謝されたけれど、もしかしたら俺のほうが感謝しているのかもしれない。

     明日からは、仙台でサクラ姉ちゃんとの新しい生活が始まる。

     なるべく早く仕事を探さなくては……しばらくは乗り鉄旅を封印することになりそうだ。
     
     明日の昼過ぎには仙台だと思うと、この部屋を去る前に記念写真を撮ろうと考えた。
    では、行ってまいります!        前途洋々?の哲ちゃんでした』 

                   ◇ 

     宅配便の手続きを済ませて、哲也は新幹線を利用して仙台へと向かう。

     仙台駅で待ち合わせをしてからサクラの住むアパートへ……。サクラの居室に入ると、哲也が想像していたよりもかなりの広さだった。

    『確か元彼と同棲するつもりで借りた部屋だったような……』
     少々気になることを思い出したが、実際には同棲していないらしいので問題なしと納得する。

    「哲ちゃん、残りの荷物は?」
    「3日後には届くと思うよ」

    「今からホームセンターへ行こうか……」
    「明日でいいんじゃない。それより腹が減った!」

    「何が食べたいの?」
    「あのさ、サクラ姉ちゃんは料理得意なの?」

    「哲ちゃん。その呼び方……そろそろやめて!」
    「わかってるけどさ、ついつい言っちゃうんだ。ゴメン!」 

     一緒に近所のスーパーで買い物をして、家で食事を作って食べた。食後にコーヒーを飲んでいるとサクラが急に言い出した。

    「加西さんはどうしているかな? 私たちが一緒に暮らし始めたことを報告しようよ」
    「いいけどさ、ユウコさんとの進展があったのか気にならない?」

    「進展があれば、メールで知らせて来るんじゃないの」
    「俺たちの状況だけ伝えてさ、その件には何も触れないのは不自然だよね」

    「余計な心配なんかしないで、サラッと聞けばいいじゃない」
    「そうだよな。今更さ、遠慮するような関係でもないか……」

    「私たちをお似合いだと言ってくれた人だよ。とにかく、メールしよう!」 
     サクラに言われて、加西氏の顔を思い出しながらメールを書く。 

    『加西さんへ、その後、おかわりありませんか?
     俺は今日、東京から仙台に引っ越しました。新しい住まいは、サクラさんが住んでいるアパートです。いとこのサクラ姉ちゃんから、彼女のサクラさんになりました。

     こうなったキッカケは、俺が加西さんと出会ったからです。俺とサクラさんを見てお似合いだと言ってくださった言葉が、前へ進む勇気につながったと思う。いろいろとありがとうございました。

     これから仕事探しなどで慌ただしくなるので、加西さんの入院中にお見舞いへ行くのは無理かもしれません。でも退院の日が決まったら教えてほしい。ではまた。 リハビリ頑張ってくださいね。    哲也&サクラより 』 

    哲也は、サクラに見せてからメールを送信した。

                   ◇ 

     翌朝の日曜日になっても加西氏からの返信メールが届かない。

     いつもならば、すぐに返信してくるのに……何かあったのかな?……哲也が気にしているとサクラが言った。

    「そのうちに来るって……それよりも、今日はホームセンター!」
    「そうだった。必要な物を書き出そう!」

    「あのね、一番必要なモノがなんだかわかる?」
     サクラは自分からではなく、哲也に言わせたいようだ。
    「そうだな、新しい家具なんかもほしいよね。ベッドを買い替えよう!」

     哲也がさりげなく言うと、サクラが近づいてきて頬にキスした。 

                   ◇

     買い物をしてアパートに戻ったのは夕方だった。哲也はノートパソコンを開いてメールのチェックをする。
    「加西さんからのメールが届いてるよ!  ねえ、一緒に見よう」

     サクラは、哲也の横に座ってノートパソコンをのぞき込む。 

    『哲也君&サクラさん お元気でしょうか? 
     おふたりが一緒に住むことになったと知り、とても嬉しく思っていますよ。私と哲也君の出会いがキッカケだなんて言っていますが、そうだとしたら絶対に幸せになってもらいたいですね。

     君たちばかり幸せそうなのはシャクなので、メールの返信を少し遅らせました。本文を読んだ後で、添付写真を見てください。では、またいつかお会いしましょう。    加西恭正 』 

     メールを読み終えると、サクラに促されて添付ファイルをクリック。すると、加西さんと一緒に女性の姿が写っている。

     ベッドの脇にいる女性の両手は加西さんの手の上に置かれていた。写真についての説明は何も無いが、その女性がユウコさんであると哲也たちは確信している。

    画像

    「この写真、看護師さんに撮ってもらったのかな?」
     哲也は変な所に関心があるようだが、サクラは写真をジッと見ている。

    「ふたりとも良い表情だわ。こんなにほのぼのとした心温まる写真……私は初めて見たかもしれない」
     言い終わると、サクラの目には涙が……。

    「あれっ、泣いてるの?」
    「これは嬉し泣きなの……ユウコさんにも会ってみたかったな」

    「そうだね。加西さんにとって、30数年経っても会いたいと思わせる魅力がある女性なんだよね。この写真を俺たちに見せるためにメールの返信を遅らせたのか……。やるじゃん、オッさん!」

     するとサクラが何かに気づいた。
    「哲ちゃん、もう一通メールがあるよ」
     哲也がメールを開くと、加西さんから追伸と書いてある。 

    『写真の説明をしていなかったね。写真の女性はユウコさんです。やっと会いに来てくれました! 

     言葉で表現できないくらい舞い上がっています! 今日から私は、新しくて夢のあるラストステージに突入します! 

     複雑骨折で入院した時、今の状況なんて全く想像も出来なかった。何が起こるかわからないのが人生……悪いことがあれば良いこともある……とにかく元気で楽しく、多くのことにチャレンジしてください。

     いつか再会する日を楽しみにしていますよ。この歳になって出会えた、かけがえのない友へ……ではまた。              加西恭正 』 

     メールを読み終えると哲也が言った。

    「新しくて夢のあるラストステージか……俺たちのステージって何かな?」
     哲也を見ながら、すぐにサクラがこたえる。
    「決まってるじゃない。愛に満ち溢れた……ファーストステージよ!!!」

     (完)

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    自費出版で3作品刊行。1年内に4作品目が刊行予定。 「近未来のプロ野球」や「ネーミング・ライツ」など、複数の小説を無料公開中です。 くわしくは、「私のプロフィール」をご覧ください。

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