
第3章:自分の『好き』を走り続ける人|高校時代、情熱を仕事にする背中を知った話
高校に上がる頃には、私は朝から普通に学校に行けるようになっていた。
担任は変わり者で、縦にも横にも大きくあらゆる毛はボーボー。
ひょうきんな性格で素直に感想を口にするノンデリな人であった。
女子校内では異質なその人への生徒たちの反応は、生理的拒絶、からかい、敬愛で人により大きく反応が異なっていたが、私や友人たちからは愛されていた。
なにせ日本史の知識は膨大で、教科書作成にも関わったことのある人だったのだ。
授業内容ももちろん変わっていた。
日本史は大学受験で使う人間が取る選択科目だったにもかかわらず、1年の授業時間数のなかで特定の時代の更に1分野だけで1ヶ月を費やしたことがあった。
受験だから仕方なく取っている多数からは大ブーイングがおこったが、私のような歴史好きからは好評だった。
(ただし先生の専門分野に興味あるわけではないので、この分野早く終わってくれとは思っていた)
母校には研究者気質の先生を野放しにする文化が昔からあり、世界史の先生も過去に自分の好きな分野で同じくらい時間を費やした前例があったそうだ。
専門分野に入ってから、先生の口はいつも以上に止まらなかった。元から汚い板書がさらに汚くなった。
どこが重要か、生徒たちは聞きながら考えプリントの穴埋めと合わせて補足をメモしていく。
生徒が「先生読めないよ!どれがなに!」と文句を言っても、「君ら、大学行ったら私のようなこんな親切な先生いないですよ」とどこ吹く風だった。
大学で専門分野を学ぶ風景を、高校にいながらなんとなく想像してみる。
聞き手が理解しているかは関係なく、教員側が脳内の知識や構想を展開していく様。
人が好きなものを語る熱量を見るのは面白い。
本来は受験を控えた高校生相手にやるものではないが、「好き」を抱えたまま学生時代から50代に至るまで走り続ける担任の姿は、同じ歴史オタクとしては眩しく、そして大学で「好き」を学ぶということへの希望を感じる姿だった。
歴史学など、実用性だけで言えば趣味の学問に近いのかもしれない。
それでもそこに人生を懸ける人がいることを、私はその頃に知った。
「細糸さんは、日本史好きなんだから史学科いくんでしょ」と私に当然のように言った先生の言葉は、進学実績など大人の事情は考えず、なんなら効率の良い人生なんて視点も入れず、一人の人間の得意を認めて伸ばす優しさだった。
大人になった今でも、当時からの友人と話題に上がるその先生の思い出がある。
漢字が一文字だが少し難しい、とある江戸時代の貨幣単位(現代で言う「円」)があった。
その回の授業で、先生は筆記試験でくれぐれも間違えないようにと話しながら、黒板の端から端まで何個もその一文字を怒濤の勢いで書き連ねた。
『円パフォーマンス(仮題)』と名付けられたその板書は、20年近く経ってもよく覚えている。
生徒の記憶にそこまで残る授業展開をできる先生はそういないと、地歴の教育免許を一応取得した私は感心している。
あれは「好き」と「伝えたい」という熱意の現れだった。
「史学科いくんでしょ」の一言は、進路指導でも激励でもなかった。
私のことを見ていたらそうなるだろうと思った、それだけの話だったのだと思う。
大人の事情も、効率のいい人生設計も関係なく、ただ目の前の人間を観察して口にした一言が、私の自己認識の一本の柱になった。
三十代後半になった今も、私は歴史が好きだ。
誰かにそう言われる前から好きだったし、言われた後もずっとそうだった。
ただ、自分の『好き』が他人の言葉によって輪郭を持った瞬間があったことを、今でもしっかり覚えている。
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