
全羅道旅行#06.ばあちゃん、また群山に来たよ
考えてみると、祖母の故郷である群山(군산)を初めて訪れてから、もう15年近く経つようです。
亡くなった母親が学生時代を群山で過ごしたという、韓国人の元同僚兼友人と一緒に巡った、あの錆びた街並み――。
そこでは、流産して亡くなった兄が、実はいつも自分と一緒にいたらしいことを知るという意味不明な出来事もありましたが、それもこれも、祖母の故郷に来たからこそ起きたことなのです。誰が何と言おうとね。

(群山近代歴史博物館にて)

二度目の群山は「ばあちゃんの軌跡を辿る旅」でした。
コーディネーターは、中川家のコントに負けず劣らずの信頼と実績を誇る韓国人の旦那くん。おかげで、祖母の家の近くにあった税関と浮桟橋、よく遊びに行ったという月名山、そして住職さんに可愛がられたという錦江寺などを巡ることができました。
この地で生まれて約20年。決して短くはない時間を過ごし、その後、お兄さんがいた大連を訪問中に終戦を迎えた祖母。本当に、着の身着のまま日本に帰国したそうです。家族は亡くなり、独りぼっち。故郷の想い出も心の奥の奥の奥~の方に仕舞われたまま――。
それでも時々、昔の話をしてくれました。
そのことを思い出しながら、お転婆だった祖母が駆け回っただろう地に足を踏み入れたときの感動は、今でも忘れられません。「感無量」という言葉がこれほどまでに合う経験なんて、もうないでしょう。
私は、せめて兄だけには軽く自慢してやりたいぞの精神で、港から見えた夕陽の写真を送ったことを覚えています。ばあちゃんも、海の向こうに沈んでいくこの太陽を見ていたのだろうか・・・なんて考えながらね。

(現・湖南関税展示館)

(現・群山近代建築館)

米穀商・広津吉三郎が建てた木造二階建て日本家屋

1930年代に建設された日本式の木造家屋

(現・曹渓宗の東国寺)
1913年に曹洞宗の僧侶・内田仏観(善応仏観)が布教所として建立
現存する韓国唯一の日本式寺院
日本統治時代、群山には多くの日本人が居留していました。全羅北道一帯の肥沃な地で生産された米の多くが本土へと送られ、人々は「米の群山」と呼んだそうです。
米の集積地・積出港として大きく発展した群山ですが、戦後は人口流出や貿易構造・産業基盤の変化により、その地位は低下します。国として高度経済成長を迎えた1970年~80年代においても、同地域の経済は低迷。開発面で遅れを取る状況が続きました。
しかし、都市の再開発が進まなかったこともあり、その結果、植民地支配の象徴として取り壊されたり建て替えられたりすることが多かった日本家屋が、図らずも群山では比較的良好な状態で残ることになります。
そして、現在ではこれらの近代建築遺産を保存・修復しながら再利用する取り組みが進められ、歴史を伝える観光地として再生されることになりました。

映画『8月のクリスマス』撮影地

旧・ミズ商事(ミツ商事)社屋





その後も群山には数年に一度のペースで訪れています。
今回で4回目でしょうか――。頻繁ではないからこそ、その移り変わりを感じられる気がします。
観光案内では「当時のままの姿で」という言葉をよく見掛けますが、個人的な感想としては、決してそんなことはありません。昔の建物が当時と同じ場所にあるとはいえ、その空気は確かに変化しているからです。
喩えるならば、古い建物を現代のヴェールで包み込んだ「レトロ風」。
時代を伝える観光地として魅力的な姿に変容し続ける一方、初めて訪れたときに感じた、あの時が止まったかのような寂れた景色、そして幼き祖母が嗅いだだろう匂いは、ほとんど残っていません。うまく説明できませんが、そういうことです(どうゆうこと?)。
淋しい気もしましたが、それでも、この変化は惜しむべきものではないのだと思います。
無邪気に走り回る少女の姿は、訪れる度に遠のいていきますが、人々と街が過去を抱きながらも未来に向かって歩み続けるというのは、こういうことなのだと思います。






祖母には幼い頃、韓国人の友人がいました。彼女の名前は今でも記憶していて、お互いの着物と韓服を着合ったのが一番の思い出だそうです。
――ある日のこと、祖母はその友人の家で夢中になって遊んでいました。気づけば夕刻。辺りは薄暗くなり、急な坂道もありました。そこで、心配になった友人のお兄さんが祖母を背負い、家まで送ってくれたそうです。
当時のことを考えると、日本人の女の子に何かあってはまずいと、内心ヒヤヒヤものだったのではないかと想像します。
それでも、祖母にとって、大きくて頼りがいのある背中は特別だったようです。少し照れたように話す素敵なお兄さんとの想い出は、私も旦那くんも大好きな話の一つ。
「ひょっとするとこの辺りに住んでて、この坂道を歩いたのかな・・・。」
そんなことを言いながら、今では綺麗に舗装された道を歩きました。そして、ポツポツと雨が降り出したタイミングで、あるお店を発見。マッコリとチヂミを注文しました。
ばあちゃんの想い出を想像しながら飲む冷えっ冷えのマッコリは、身体に染みわたってうまかったよ。

マウル(마을)は「村」
マルレンイ(말랭이)は全羅道の方言山で「斜面」の意



止まっていたはずの時計の針が、急に早まったかのよう。
それが、今回久しぶりに群山を訪れた感想です。
「おばあちゃんの想い出は、おばあちゃんの周りにいる人たちが大切にしないといけない。」
以前、旦那くんが言っていた言葉です。また付け加えておくと、旦那くんの祖父もまた群山出身で、お米を作っていました。
私は時よりこの言葉を思い出し、心に刻むようにしています。
◇◆◇

1992年11月20日発表
(旧・錦江寺にて)
「お父さんも、おじさんも、侵略者だったのか・・・。」
そう呟いたことを、今でも覚えてる。
あの時、ばあちゃんは確かに苦しんでいたと思うし、その俯いた姿を思い出す度に、戦争や侵略ってつくづく理不尽だなって感じるんだよね。自分でもよく使っちゃうけどさ、「時代のせい」なんて言葉も、本当は都合のいい方便なんだと思う。
私が今でも群山を訪れるのは、ばあちゃんの故郷の移り変わりを知ることで、ばあちゃんの心にも、この、懐かしくて清々しい風が吹いてくれるって信じているからなんだよね。
おかしなことを言うなって?
そんなことないよ。サボテンって、世界中のサボテンと通じ合うって聞いたことない? それと同じだよ。
あ、余計に意味が分からないって?
おかしいなあ。でも、ま、そういうことなんだよね。
◇◆◇◆◇◆◇