【短編小説】福の子
目の前の惨状に、食後のコーヒータイムを中断し、よっこらしょと立ち上がる。冷静になろう。まずは、なにか拭くもの。
現場となった机の隅で難を逃れたティッシュが目に入る。それを使うのが考えうる選択肢の中で最も手軽であり、つい手を伸ばす。
「ばっか、ティッシュじゃ無理でしょ笑」
そりゃそうだ。他に何が良いか。タオル?嫌だ。タオルは2階の奥の寝室を抜けてさらに奥の物置部屋のタンスにある。めんどい。よって、なし。
「タオル取ってくれば?」
すでに熟考済みの案を提示される。考えをそのまま伝える。
「じゃあ他にどうするのさ。」
ティッシュは無理。タオルは嫌。確かに、かなり選択肢が減ってしまう。
「めんどいのはわかるけどタオルしかないよ。拭いてそのまま捨てれるやつ、取ってきて。」
断じて断る。お前が行け。
「ええ、俺も嫌だよ。わかった、じゃんけんしよう。
これでお互い文句ないでしょ。」
一理ある。了承しかけた瞬間、まてよ?と脳内でストップがかかる。じゃんけんで私が負ける確率は1/3。あいこのヒリヒリまで加味すると初手で穏やかに終われない確率は2/3。心臓に毒である。加えて、勝負ごとは清廉潔白・正々堂々にこだわる性分なので、勝敗は完全な運任せ。努力の余地なし。となると、結構キケンなカケなのでは……。
とはいえ、これから口をつけようとしていたコーヒーが2杯分。この量を拭くなら、タオルが第一候補なのには同意。
この勝負、受けるべきか。受けなければならないのか。
とっくにタオルくらい取って戻ってこれただろうという時間をかけて決断を引き延ばしたその時。目の前をしっぽを立てたもふもふが悠々と横切る。この惨状を作り出した犯人だ。
先ほどまでバトルにもつれ込む寸前だった彼と目が合う。
お互い小さく頷き、各々持ち場につく。
彼がいつものように、否、いつもより半音高い声で名前を呼び、その白猫を優しく抱き上げる。
んぁっと可愛らしい声に頬が緩む。
「いい子にしてたらおやつやるからな。久しぶりに風呂も一緒に入ろうな。」
そういえば、前に体を洗ってやったのはもうひと月ほど前だったか。なおさら都合が良い。
彼が机に広がった液体の表面に抱えたもふもふの右側面を軽く撫でるように滑らせる。タオルほどの吸水性はないが、まあ良い。
猫は自分の犯行を認めるかのように、大人しく己が身で液体をスイープされている。机の端へ押し出された分を隣の風呂場から取ってきた桶に受ける。多少残った分はティッシュでいける。
役目を果たし、大きな黒ブチを携えた犯人は、半笑いの私たちによって、風呂場へ連行された。滴る液を受ける桶の真上で、彼の両手に収まり、とろんと伸びた体が愛くるしい。
シャワワァァァっと心地よい音と、水を嫌がる声が聞こえる。コーヒーを拭かれている時は彼の手に甘えながら大人しくしていたのに。これに懲りたら、もう机の上を歩かないでくれ。
カップを洗い、拭き残りをティッシュと除菌シートで処理しているうちに、鼻歌がこぼれる。
それにしてもうちの子は、自分のしりぬぐい(文字通り)ができるなんて、なんて偉いんだ。
かわいく掃除を手伝ってくれた褒美だ。
風呂から出たら、チュールをやろう。