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みんなの知らないわたし



土曜日の朝、子どもたちがパンケーキを焼いてほしいとせがんできた。

夫がコーヒーを淹れながら
「今日もにぎやかだね」と笑う。
窓から入る光が、テーブルの上の牛乳パックにまで反射していて、なんだか映画のワンシーンみたいだった。


こういう瞬間を切り取ってSNSに載せると、
みんな「幸せそうですね」「理想の家族」ってコメントをくれる。

嘘は、ひとつも書いていない。

パンケーキも焼いたし、夫は本当にコーヒーを淹れたし、光は本当にきれいだった。


だから、これは本当の話。


でも、同じ日の夜、
洗い物をしながらふと思い出す顔がある。

しばらく会っていない子どもたちの顔。

子どもと言っても大人だし、
会おうと思えばいつでも会える。

連絡先だって知っている。


でも私からは
「会いたい」と言わないと決めている。


毎年、母の日と誕生日には、
あの子たちからメールが届く。

短い文章の中に、責めるような言葉はひとつもない。それがかえって、胸の奥のどこかを静かに押してくることもあった。


でもいまは純粋に
「おめでとう」「ありがとう」を
受け取れるようになるくらいの月日が経っている。



このことを知っているのは、今の夫と義両親だけ。


誰もその話には触れない。
触れないことが、
私たちの家の中での暗黙のルールになっている。


嫌がっているわけではない。
なかったことにしたいわけでもない。


ただ言わないだけ。


夫に話せば、ちゃんと聞いてくれる。
それはわかっている。


でも、話さない。

今の子どもたちは、もちろん何も知らない。



さて、ここまで読んで、あなたはどう思っただろう。


幸せな家族の話だと
思って読んだ人もいるかもしれない。

何か訳ありなのかもと
感じた人もいるかもしれない。

どちらも、正解。

みんなの知らないわたしは確かに存在する。


わざわざ話す理由がない。

子どもの園の送迎で出会う保護者。
職場の上司や同僚。
新しく引っ越してきた土地で知り合ったご近所さん。


「わたしには、あなたの知らない子どもがいます」

そう伝える必要が、どこにあっただろう。


わたしは不幸ではない。

みんなの知らないわたしも、不幸ではない。


ただ、みんなの知っているわたしが、
切り取った日常をSNSに載せる。

だから、「幸せそうですね」
「理想の家族ですね」と言われる。


それも嘘じゃない。


たぶん誰にだって、
簡単には人に話さないことのひとつやふたつある。


見えているものが嘘なのではなくて。

ただ、それがその人の全部ではないだけだ。



#文藝大賞2026  
#エッセイ部門

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