
助手席には座らない
――45歳、アメリカの後部座席で約22,000回。私は何かを失っていた。
私の仕事場は、車の後部座席だ。
助手席ではない。
夫から見て、後ろ斜め右の席。
窓の外には、見慣れたアメリカの道路が流れていく。
地図を見る。
ルートを確認する。
注文番号を見る。
届け先の注意事項を読む。
左折やバックの時に、車や人が来ていないか確認する。
夫がハンドルを握り、私がナビをする。
Uber EatsとDoorDash。
ふたつのアプリを見ながら、今日もアメリカのどこかの道を走っている。
配達件数は、21,997回。
5年かけて積み上げた数字だ。
45歳になった今も、私たちは走り続けている。
一番稼げていた時期は、月に平均約6,000ドル。
日本円で約90万円。
今でも月やく4,500ドル前後。
日本円で約70万円ほどの売上がある。
「それだけ稼げているなら、いいじゃん」
そう思われるかもしれない。
私も最初はそう思っていた。
でも現実は、そんなにきれいではなかった。
家賃。
車のローン。
ガソリン代。
食費。
光熱費。
携帯代。
借金返済。
子どものこと。
急な出費。
稼いでも、稼いでも、残らない。
走っても、走っても、不安が消えない。
その不安を、私はいつも後部座席で抱えていた。
夫の背中を見ながら、スマホの画面を見る。
次の注文を待つ。
地図を拡大する。
到着時間を確認する。
前を向いて走っているのは夫なのに、
私だけがどこにも進んでいないような気がする夜もある。
車は動いている。
生活も動いている。
でも、私自身だけが後部座席に置き去りにされている。
そんな感覚が、少しずつ私の中にたまっていった。
ある夜、夫と口論になった。
些細なことだった。
ルートの選び方だったか、注文を受けるタイミングだったか、もう覚えていない。
でも私は覚えている。
その夜も、口を閉じたまま、アプリをオンにしたことを。
「今は家族が優先だから」
そう自分に言い聞かせながら、後部座席で地図を見続けたことを。
車内は静かだった。
聞こえるのは、ウインカーの音と、タイヤが道路を走る音。
時々、アプリの通知音が鳴る。
私たちは喧嘩をしていても、注文が入れば走った。
生活は、こちらの気持ちが整うまで待ってくれない。
いつから、私は後部座席の人間になったのだろう。
物理的な話だけではない。
気づけば私は、自分のことを後回しにするのが当たり前になっていた。
見ない。
測らない。
写らない。
考えない。
太ったことも、疲れていることも、服が入らなくなってきたことも、気づいていないふりをした。
後部座席に座っていると、前を向かなくても仕事はできる。
スマホを見ていればいい。
地図を見ていればいい。
注文番号を見ていればいい。
夫の運転を助けていればいい。
その役割は、確かに必要だった。
でも、いつの間にか私は、
自分の人生まで後ろの席に置いてしまっていた。
「落ち着いたら自分のことをやればいい」
「今は仕方ない」
そう言い続けて、5年が経った。
落ち着く日は、来なかった。
生活は毎月続く。
支払いも続く。
子どもの予定も続く。
配達も続く。
そして私の体も、心も、少しずつ重くなっていった。
ある朝、私は鏡の前に立った。
久しぶりに、ちゃんと自分を見た。
ぶよぶよになったお腹。
ふっくらした顔。
少し二重になったあご。
見慣れていたはずの自分なのに、どこか知らない人みたいだった。
体重計に乗った。
83キロ。
数字を見た瞬間、泣くかと思った。
でも、泣かなかった。
「ああ、ここまで来てたんだ」
そう思った。
ショックというより、確認だった。
ずっと見ないふりをしてきた現実が、やっと形になったような感覚だった。
45歳。
アメリカで夫と5年。
21,997回の配達。
83キロの私。
これが、今の私だ。
でも本当は、体重だけが問題だったわけではない。
怖かったのは、83キロという数字よりも、
そこまで自分を見ないふりできてしまったことだった。
人は、忙しさの中で少しずつ自分を後回しにできてしまう。
家族のため。
生活のため。
今は仕方ないから。
そう言い聞かせているうちに、
自分が苦しいことにさえ、慣れてしまう。
私はそのことに、やっと気づいた。
夫は、何も言わなかった。
いや、正確には、気づいていたと思う。
でも、何も言わなかった。
夫もまた、毎日ハンドルを握り続けている。
雨の日も、暑い日も、体が重い日も、アプリをオンにして走っている。
私たちは、ふたりで生活を守ってきた。
それは本当のことだ。
一人では、たぶん続かなかった。
夫が運転してくれたから、私は地図を見られた。
私が後ろから確認するから、夫は走り続けられた。
私たちは、夫婦というより、戦友に近かったのかもしれない。
でも、その中で私は少しずつ、自分を消していた。
家族のために頑張ることと、
自分の人生をあきらめることは、同じじゃない。
生活を守ることと、
自分を消すことも、同じじゃない。
鏡の前でそう気づいた時、私の中で何かが小さく動いた。
その小さな動きが、noteだった。
noteを書き始めたのは、特別な自信があったからではない。
むしろ逆だった。
私はずっと、後部座席で誰かの注文を届ける手伝いをしてきた。
お客さんの住所を見る。
注文番号を見る。
届け先のメモを見る。
誰かの「必要なもの」を、間違えないように運んできた。
でも、自分が本当に何を欲しがっているのかは、見ないふりをしていた。
だから今度は、自分の言葉を届けてみたいと思った。
成功しているから書くのではない。
整っているから書くのでもない。
後部座席に座り続けてきた私が、
初めて自分の声を外に出してみる。
それが、私にとってのnoteだった。
私には今、ひとつだけ夫にまだ言っていない目標がある。
noteやSNSを通して、30万円を作ること。
贅沢をしたいわけではない。
何か大きな夢を語りたいわけでもない。
ただ、毎日ハンドルを握り続けている夫に、
いつか少しだけ安心を渡したい。
「大丈夫だよ」
そう言える日を、自分の力で作ってみたい。
そのために私は、今日も後部座席で地図を見ながら、
こっそり文章を書いている。
夫が前を向いて運転している時、
私は後ろの席でスマホを開く。
注文の待ち時間。
店の駐車場。
アパートの前。
子どもを待つ少しの時間。
その小さな隙間に、言葉を打つ。
誰かに見せるためというより、
まずは自分が消えないために。
でも、私は知っている。
配達も最初からうまくできたわけではなかった。
最初は道に迷った。
注文の見方も分からなかった。
どの店が待たされるかも分からなかった。
どのエリアが危ないかも、どの時間が鳴りやすいかも、何も分からなかった。
それでも、1件ずつ運んだ。
1件。
また1件。
また1件。
気づけば、21,997回になっていた。
後部座席で見てきた景色は、楽なものばかりではなかった。
夜のアパート。
ゲート番号のない建物。
吠える犬の声。
重い水のケース。
チップが消えた注文。
遠くまで走ったのに、帰り道で何も鳴らない時間。
その全部を、私は後ろの席から見てきた。
だから、今さらきれいな言葉だけで人生を変えられるとは思っていない。
でも、1件ずつ運んできたように、
1行ずつなら書けるかもしれない。
1記事ずつなら、積み重ねられるかもしれない。
そう思った。
今の私にあるのは、才能ではない。
実績でもない。
あるのは、続けることだけだ。
配達で覚えたのは、特別な能力ではなかった。
雨でも走ること。
鳴らなくても腐らないこと。
失敗しても次を見ること。
危ない時は引くこと。
疲れた時は休むこと。
それでも、また動き出すこと。
私は、その力を今度は自分の人生に使おうとしている。
成功者じゃない私が、《note》で証明しにいく。
それは、かっこいい挑戦ではない。
泥くさくて、情けなくて、不安で、何度もやめたくなる挑戦だ。
でも、今の私にはそれが必要だ。
83キロになった自分を見て、私は初めて思った。
もう、自分を見ないふりしたくない。
私にとってnoteは、ただの投稿場所ではない。
自分がまだ終わっていないことを確認する場所だ。
誰かに見つけてもらうための場所であり、
自分で自分を見捨てないための場所でもある。
いつか、この文章を読み返して、
「あの時、始めてよかった」
と思える日が来るかもしれない。
まだ来ないかもしれない。
でも、来るかどうかは、今ここで始めなければ分からない。
だから私は、書く。
成功者じゃないまま。
体型も人生も整っていないまま。
不安を抱えたまま。
夫にまだ秘密を持ったまま。
それでも、書く。
この文章を読んだ誰かが、
私と同じように何かを我慢してきた自分に気づくかもしれない。
「私も、ずっと自分を後回しにしていたのかもしれない」
そう思うかもしれない。
その人に、偉そうに答えを渡せる私ではない。
でも、途中にいる人間が、途中のまま動き始める姿なら見せられる。
それが、今の私にできることだと思っている。
今日も夫がハンドルを握り、私が後部座席でナビをする。
「次、右ね」
「了解」
それだけの会話で、また走り出す。
45歳の夫婦が、アメリカのどこかの道を走っている。
私は今日も、助手席には座らない。
後部座席から地図を見る。
注文番号を見る。
夫の背中を見る。
窓の外を流れていく道を見る。
でも、前とは少しだけ違う。
もう、自分を置き去りにしたまま走り続けたくない。
後部座席に座ったままでも、
私は私の人生を少しずつ取り戻していけるのかもしれない。
これは、アメリカで夫婦5年、21,997回配達してきた私の記録だ。
そして、83キロになった自分を見て、ようやく人生の第2章を始めようとしている私の記録だ。
成功者じゃない私が、《note》で証明しにいく話。
これは、その最初の一歩だ。
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