人と人との出会いの不思議
ずっと昔の日本には仇討ちというものが存在していたらしい。
テレビも電話も写真もない時代、どうやって追う者は追われる者を見つけ仇討ちを果たすのか、私はずっと不思議に思っていた。
小さかった子供が数年あるいは数十年かけて「親の仇!」とそのあやふやな記憶の相手をどうやって探し出し、出会うのか。
実に不思議だ。
しかしこれもまたネットもケータイもスマホもない一九九〇年の話。
百人ほどのキャラバンを組んで一ヶ月かけてラクダでタクラマカン砂漠を横断した後、中国の西のはずれのウルムチで現地解散となった。
ほとんどの人はすぐに帰国したが二十人くらいはそのまま残り、あちこちにバラバラ飛び散って旅を続けた。
私はもちろん居残り組で、三人のラクダ仲間と共にぷらぷら観光しながら中国を少しずつ東に向かい、香港、タイを周ったあと西へUターンし、インドへと入った。
ところがその間あちこちで別行動のラクダ仲間とバッタリ再会するのだ。
そしてしばらく一緒に行動した後また別れ、別の場所でまたバッタリ出会うということを繰り返していた。
「あれ、〇〇ちゃん、久しぶり」
「あれ、〇〇さん、また会ったね」
という調子で、まるで近所の散歩でもしてるのか、私たちは?
ここ中国だよね? インドだよね? って感じ。
旅人なら誰でも出会いの不思議を知っている。
会う人とは何度でも会うのだ。
香港ではナカダに出会った。
カルカッタに行くと、同じ宿にカトーさんとタナカさん、近くの宿にはスワさんと香港でも出会ったナカダがいた。
ウルムチからずっと一緒だったカンちゃんとはインドのプーリーで別行動になったが、ネパールでまた再会した。
そしてキャラバンの解散から三カ月ほど後、カトマンドゥではいろんなルートでやってきたラクダ仲間が偶然にも十人ほど集結したのだった。
大まかに分けて中国からチベットを抜けてきた組と香港からインドに飛んできた組が、ちょうど中間地点のネパールに集まっていた。
待ち合わせでもしていたかのように。
ケーゴとシャオリューは別々に中国からチベットを超えてやってきた。
プーリーで別れたカンちゃんはスワさんと一緒にインドからバイクに乗ってやってきた。
香港とカルカッタでバッタリ会いプーリーまで一緒に行ってまた別れたナカダは、再会はできなかったがほんの少し前までいたそうだ。
やはりチベットを越えてやってきたオダちゃん、ダイちゃん、ヤオも少し前までいて、ヨーロッパに向けて旅を続けていると聞いた。
不思議としか言いようがないのだが、仲間の行動はどこにいても耳に入ってくる。
ケーゴは中国のカシュガルで買った太鼓を抱えて旅していて、その時香港にいたシゲノは「シルクロードをラクダで横断して太鼓を持ったツーリストとその仲間がネパールにいる」と噂を聞き、
「私も!」
と飛んできて合流した。
中東を越えて行ったサダちゃんがエジプトのナイル川で釣りをしていたとか、ヤオがパキスタンで薬を盛られて強盗にあったとかいう話が、ネパールにいる私たちの耳にも届いた。
繰り返すが、ケータイもネットもない時代の話だ。
風の便りは旅人が運ぶ。
旅人が旅して別の旅人と話をする。
国境を越えてあの人からこの人へと話が伝わっていく。
逆方向へと行く人がその話を運んでいく。
旅人のネットワークは密に張り巡らされていて、どこにいても情報は確実に伝えられる。
仇を追う人も、こうやって情報を耳にしていたのだろうか。
タイのコパンガンをぷらぷら歩いている時、しばらく前にバリ島のウブドゥで見かけた日本人男性とすれ違った。
「ウブドゥにいたでしょう?」
と声をかけるとその男性、アンドーさんはとても喜んでくれ、ちょうどそこにあったレストランで高級そうな魚料理をたくさんごちそうしてくれた。
色々旅話をして、
「インドのプーリーで会った人に十年も旅してるジュンさんって人がいてね、とても上品な人なんだけど、いつかインドに入国するときには四〇度も熱があって、気力だけで立ってたって。すごい気力ですよね」
と話すと、
「えー! その人、俺知っています。ニューヨークでしばらく一緒に仕事してたよ」
「えー! ほんと?」
と、初めて会った人と、違う場所で出会った共通の知人の話で盛り上がるのである。
インドのサールナートのダライラマの祭でしばらく一緒に過ごしていたケーゴがインド製のバケツと弁当箱を買ってネパールに帰った後、カトマンドゥでバケツと弁当箱を持ったケーゴという人に出会いましたよ、という旅人に会い、無事に帰ったんだなとわかった。
ほんの二日後のことだ。
そのしばらく後、私もまたネパールへと向かった。
途中、数日間お世話になったサールナートの日本寺にお布施をするのを忘れたのを思い出したので、国境の宿で出会った反対方向への旅人に百ルピーと手紙を渡してくれるよう頼んだ。
何日か後に、その頼りない細い糸も確実につながったことがわかった。
この世界には数十億の人があふれていて、世界は混沌と混ざり合っているように見えるが、実はバームクーヘンのように幾層にも別々に分かれているのではないかと思うことがある。
同じラクダ仲間のリエコさんがシナイ半島の砂漠を旅した時のこと。
何も公共の交通機関がなく又英語も通じず、現地人の通訳とべドウィンを雇って、ここでもラクダで旅してかなりの僻地に行ったらしい。
めったにツーリストは来ないというような奥地に行き、そこの食堂でお昼を食べていたら、ご主人が、
「あんた、日本人なのかい? 前にも日本人が来たんだがこれを忘れていったから、あんた届けてやってくれないか」
と一冊の本を出した。
へえ、まさかこんなところにまでやってくる日本人が他にもいるとは。
だけど忘れ物か。
と言われても、ねえ、べドウィンじゃないんだから、私たちは・・・。
砂漠で暮らしていて数も少ないべドウィンならどこに誰がいるとか、誰々と誰々は親戚だとか把握しているかもしれないが、日本には一億以上の人間がひしめいていて、都会では隣に住んでいる人の名前も知らないくらいなのだ。
たまたま同じ日本人が忘れていった本だから返してくれって言われても、それは無理だわ、どうやってべドウィンのおじさんにこれを説明しよう、と思いながらパラパラ本をめくっていたところ・・・。
最後のページに名前が書いてあったそうだ。
「ヨシワラ〇子」
何と、それは同じラクダ仲間の名前だった。
ハイ、とってもよく知ってます。この人。
べドウィンのおじさんは正しかった。
いくら世界が広くても、世間はこんなに狭かった。
そりゃいくら日本に一億以上の人間がいても、こんな奥地まで旅して来る日本人は何人もいないよな。
そういえばヨシワラはアラビア語が得意だった。
仇打ちって私たちが思う以上に高い確率で出会っていたのかも知れない。
張り巡らされた情報網の力と、その背後にある何かと何かを引き会わせる不思議な力によって。
これを読んでくださっているあなたとも、やはりご縁があって出会ったのだと思う。
ありがとう。
