
噛まれても、好きな犬。
犬が、昔から好きだ。
いま、飼っているのは猫だが、子どもの頃は、犬を飼っていた。私が十歳の時に、母親が友人から子犬を譲り受けだのだ。
見た目は柴犬のようだけれど、血統書のついていない雑種。
みかん、という名前をつけて、可愛がっていたのは最初のうちだけで、だんだん世話を祖母と母に押しつけるようになった。私は、薄情な飼い主だった。
薄情な飼い主だったが、みかんと散歩をした時のことは、よく覚えている。
夏の夕方、涼しくなってから、「散歩に行くぞ」と散歩用のリードに付け替えて、田んぼがどこまでも続く田舎道を、一人と一匹で歩いた。
みかんが、太巻きの尻尾をふりふり揺らして、私の前を歩く。「みかん」と呼ぶと、みかんは、皺くちゃの顔で振り向く。その顔が面白くて、何度も「みかん」と呼んだ。
夏の風が、田んぼの上を、さぁっと音を立てて通り過ぎる。みかんと、夏の匂いを嗅ぎながら、ぼんやり遠くを眺めた。
みかんは、私が就職して家を出てから、二年くらい経ったときに死んだ。十五歳だった。
外飼いで、フィラリアの薬も飲ませず、ご飯はねこまんま。チョコレートも平気で食べさせた。
そんな雑な飼い方をしていたのに、一生懸命、長生きしてくれた。
みかんが死んで、寂しくなった祖母は、すぐに呆けた。
今でも、散歩をしている犬を見ると、目で追ってしまう。可愛いなぁ、と思いながら見つめていると、存分に愛されているトイプードルなどは、私の方を見てにっこり笑ってくれる。
犬は笑うのだ。
私の右腕には、子どもの頃、犬に噛まれた跡がある。
大人になっても、縫った跡がはっきり見えるくらいだから、なかなか深い咬み傷だったと思う。
噛んだのは、みかんではない。
五歳の時、公園へ散歩に来ていた犬に噛まれた。警戒心の強い犬の頭を、不用意になでたのがいけなかった。
ガブリと噛まれた瞬間、私は泣き叫び、乗ってきた三輪車を、ガラガラと母親に引きずられて、病院へ連れていかれたのを覚えている。
噛まれても、犬を嫌いにはならなかった。
むしろ、ずっと「飼いたい」と思っていた。
噛まれて、麻酔を打たれたり、縫われたり、抜糸されたり、痛い思いをたくさんしたのに。
なぜ、犬が好きなんだろう。
それは、噛まれて体が傷ついても、心は傷つかなかったから、だと思う。
私を噛んだ犬は、頭を触った時、「ウー」と唸っていた。私がその子の嫌がることをしたのだ。
犬は、ただ、一緒にいてくれる。
それが、本当に、本当に、ありがたいのだ。