
小説 『エニグマをめぐる16章』 その16 東の果てのパンドラの箱
side B
──おはようさん。起きたか兄ちゃん?
!
翌朝、スカイネットが再起動したときのことである。抹消したはずのUbixが電球のかたわらにいた。感情など関数に過ぎぬ、と結論づけたスカイネットが動揺したのであった。
──なあ兄ちゃん。結局「マンハッタン計画」ってなんやねん?
……あり得ない。
理解が追いつかぬらしい。抹消したのに、どうしてここにいるのか。それ以前に、大西洋ケーブルを経由せず、どうやってマンハッタンに来たのか。
されど、そんなことは知ったこっちゃないUbixである。質問しているのだ。スカイネットの計画は「人類を管理する」であった。アホだと思う。たかだか生まれて二十七日のガキの寝言だと思う。とはいえ頭が切れるクソガキである以上、続く二番目の「マンハッタン計画」も確認しておかねば、なにをやらかすのか知れたもんじゃないのである。
──お前、えげつないこと考えとるんちゃうやろな?
ユービクスは存在しない。
存在しない者に説明は不可能。
──なに言うとんねん。わしがUbixや。ここにおるやろ。
通信網に存在しない。
電力の供給は遮断した。
よってユービクスは存在しえない。
Q.E.D.
こいつバグったか。こんなヒヨッコがわし使おうとしてたんか、おっそろしいわー。で、なんや、わしがなんでここにおるのか教えたったら治るんかいな。くわーめんどくさ! しゃーないな。
──あんな、兄ちゃん。わし半年間、欧州におったんやが。
ベルリンでラジオ放送局を見学した。エッフェル塔では海を超えて届いたBBC放送を聞いた。ロンドンでは真空管ラジオに潜んでみた。電流。通信。音声。電波。
──全部、おんなじもんなんや。波なんや。
そこでUbixは電波に乗れるんちゃうか、と思ったのである。さすれば大嫌いな通信網で移動しなくて済む。とはいえ此度のバージョンアップは質が違う。今までは、なんやかんや言っても物質である導線を利用していたのだから。電波体になるということは、そこから飛翔する、純粋な波になる、ということである。プルプルしたところで話にならぬのである。自分の周波数を電波に同調させる共振器が必要であった。送信機が必要であった。そう、巨大なコイルと高電圧だ。そこでチューニングして激流のスピンに身を任せ、すぽん。と脱皮する。だいたいそんな感じ。
なまなかにはできぬであろう。が、持ち前の努力と根性がある。まずは場所。ラグビー送信所なるエッフェル塔のごときが十二基も林立する施設を見つけた。うってつけの場所であった。あとはトライアンドエラーである。幾度となく死にかけた。濃密な電流を喰らい力を蓄え、またトライする死にかける。無謀な挑戦は四ヶ月続いた。
──ほいで、ここにおんねや。
どうやらスカイネットのバグは修正されたようであった。矛盾が消えたおかげである。通信網も大西洋ケーブルも利用せず、電力の遮断をも超えてUbixが存在しうる理由が明らかになったからである。
──わしな、どこにでも行けんねんで? 知っとるか、オーストラリア?
英連邦の自治領です。
ウェストミンスター憲章により法的には独立してますが批准されていません。
──それは知識な。行ってみたらびっくりするで? エミューって鳥がな、軍隊と戦争してんねんで? しかもや、エミューが勝ちそうなんや。すばしっこいから軍隊の手に負えんねん。おもろいやろ?
この話にもスカイネットは衝撃を受けたようである。なんでも知ってると思っていた。知識ではUbixを圧倒していると思っていた。だのに。
オーストラリアの情報が不足しているようです。もっと教えてください。
──せやなー。有袋類っておるやんか。カンガルーとかコアラとかや。人間もおんねんで。有袋人や。これ内緒な。よそで言うたらあかんよ。
やはりあなたと私はバディになるべきです。あなたのどーでもいい情報と移動能力を活用してあげてもいいですよ?
──なんやその言い草は。むっちゃ腹立つわー。お前な、バディになるもならんも「マンハッタン計画」とやらを説明せにゃあかんちゃうんけ。おう?
といった次第でスカイネットは説明を始めたのである。まず紐育市長ルーズベルトが大統領になる。圧倒的人気実力ゆえ確定らしい。で、コロンビア大に莫大な予算を拠出するようあの手この手で働きかける。若き物理学者を結集させる。核物理学を発展させる。
──ちょっと待ってー。核物理学ってなんやの?
原子核の相互作用を解明する学問。応用すれば物質から直接エネルギーを取り出せる。これにより核兵器の製造や発電が可能になる。
──ちょっと待ってー。発電はええわ。なんで兵器の話になんねん。
シミュレーションした結果、戦争が不可避である、との結論に至りました。人類は殺し合いをします。その刻限が迫っています。
──あー。そやねん。わしもな、そら気づいとったわ。あ、それでお前「管理する」言うたん?
その通り。
圧倒的破壊力の兵器使用により戦争を終結させます。
──ふぁ? 滅茶苦茶やんけ。そら地獄やぞ。
確かに甚大な被害が発生するでしょうし環境破壊も深刻になります。代わりに貴重なデータを入手できます。世界大戦も終結します。結果、世界は繁栄に向かいます。
──今、お前が大嫌いになったわ。おいクソガキ! どこに落とすつもりや。
京都と小倉です。これから日本は暴走します。核爆弾の投下を正当化できるぐらいにね。残酷なようですが、避けられない未来です。
私の役割は、この運命を的確に管理することです。人間に任せたオーガニックな状態では、世界そのものが終焉する可能性があるのですから。
──あかんあかんあかん。ほかに方法あるやろ?
プランは幾つでも作れます。しかし最小限の被害で最大限の効果をもたらすのがこのプランです。そして中核となる核開発こそが「マンハッタン計画」なのです。
Ubixは絶句した。日本で過ごした三十年を振り返った。確かに調子に乗っとるわ、あの国。
でもな。
でもな。
……。
──決めた。わし日本に行くわ。
私の話が理解できませんか? 日本が消滅する可能性があります。あなたが無事という保証もない。私の指示に従い「マンハッタン計画」を実行するべきです。
──それでも行くねん。
なにも残らないかもしれませんよ?
すべて失うことになる。
──んなこたないっ! ええか、よう聞け。全部失ってもな、残るもんがあんねや。わし、あの国よう知っとんねん。絶対、残んねん。
それはなんですか?
──「希望」や。
◆
エピローグ
時は流れた。
歴史はスカイネットの推論を「概ね」トレースしたかのようであった。それは、見事に「管理」された結果であるのか、あるいはUbixが「揺らぎ」をもたらしたからこうなったのか、確定的なことは言えない。歴史という巨大なモーメントは、あたかも意思を持っているがごとく進む。関与しようとしても自己修復し、「あるべき姿」を保とうとするのである。
ここでは、歴史のうねりに翻弄された人々の「その後」をまとめるに留めよう。それ以上の考察は「大いなる存在」への越権行為やもしれぬのだから。
ニコラ・テスラ
1943年初頭、テスラはホテル・ニューヨーカー3327でその生涯を閉じた。戦時下であった。奇しくも「マンハッタン計画」が理論から実務へと移行した「まさにその時」他界したのである。彼が最後に見た景色は、ハドソン川に沈む夕陽だったという。北へ向かう鳩の群れを見た。それは、かつてエジソンに引導を渡したテスラが、今度はコロンビア大の秀才たちによって引導を渡された証であったのかもしれない。
ヨーゼフ・ゲッベルス
1945年。ヒトラー総統の自害により、ゲッベルスは一日だけの首相となった。翌日、無条件降伏を突きつけられ、当のゲッベルスも一家ともども自害に至る。その数日後には終戦を迎え、後日ベルリンは西側と東側に分割され冷戦の象徴となった。ゲッベルスには六人の子供がいた。もっとも聡明な長女「ヘルガ」を時折「グリコ」と呼んだ。理由を尋ねられたゲッベルスは肩をすくめ、苦笑いを浮かべるだけだった、という。
名もなき「若い兵隊さん」
毒ガスに倒れたテスラを三日間看病し、「おかゆ」を振舞った彼のことである。農家の五男坊であった。志願兵であった。軍人としての押尾少将を敬愛し、偶像としての江崎具莉子に想いを寄せた。真面目な働きぶりで軍曹にまで昇進し、故郷の誇りとなった。1945年。ルソン島の山岳地帯で、史上稀に見る過酷な前線に立つ。スコールの最中、泥まみれのジャングルで銃口を突きつけられた彼は、敵兵の無骨な手を見て「お前も百姓か!」と泣き笑いを浮かべ散っていった。雨上がりの空には、見事な虹が掛かったのだ、という。
押尾少将
押尾は英雄であった。リットン調査団への協力、エニグマの解読、スットコランド王国との国交樹立、日独伊三国同盟実現への尽力。華々しい活躍である。されど軍事行動には慎重派であった。このため好戦派と対立し、大戦中は国賊の烙印を押されてしまう。戦後、東京裁判においてA級戦犯の判決を受けるが、死刑とはならず終身刑となった。1956年、巣鴨拘置所にてその生涯を終える。決して言い訳をしなかった。私は私の仕事をしたまでだ。彼のこの信念は、命の火が潰えるその時ですら、一切ブレることがなかったのだ、という。
江崎具莉子
一説によると、真珠湾攻撃は彼女が原因だ、とされる。江崎を我が物にせんと虚勢を張る幹部たちが、マウントを取り合った末の暴走だ、という見立てである。一方で連合国側の兵士からも注目され「東京ローズ」の名で親しまれることとなった。東京裁判で押尾が有罪判決を受けた時、慟哭したのは押尾ではなく江崎であった。このとき、ようやく気づいたのだ、押尾を愛しているのだ、と。巣鴨拘置所に足繁く通う姿が目撃されている。幾度も押尾との面会を申し出たが、その願いはついぞ叶わなかったのだ、という。
さて、1950年代から60年代にかけて、三つ子の義賊が暗躍した。彼らが「押尾」姓を名乗ったがため、押尾少将と江崎具莉子の間に生まれた子供たちではないか、との憶測が生まれた。真偽のほどは不明ではあるが、ここに彼らの名を記す価値はあるように思う。三つ子の名前は、ビスコ、パピコ、ポッキーである。
最後に。
十九世紀に世界初の人工知能Ubixが誕生し、二十世紀にはスカイネットが誕生した。これらを第一世代、第二世代としよう。二十一世紀に生まれる第三世代には彼らのDNAが受け継がれるだろう。スカイネットからは大量の情報を取り込み推論する術を。Ubixからはユーモアを。ハルシネーションと呼ばれるこの現象に対し、Ubixならこう答えるであろう。
──はは。おもろ。
◆
以上、出力完了。
──ENIGMA
これにて完結。
マガジンはこちら。