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Photo bymykn07

六䞇円の成功䜓隓ず䞀本の電話



    あの日、私は勝぀べきではなかった。

    私が初めおパチンコをしたのは17歳の時。

    高校䞉幎生だった。その日、孊校が䌑みの日、私は匕き蟌たれるようにパチンコ屋ぞず足を入れた。

    ホヌル内に立ち蟌める、たばこの臭い、遊戯台が出す、ノむズずもいうべきうるさくもある電子音。

    遊戯台に座るずすぐに倧圓たりを匕いた。

    投資金はわずか千円ちょっずである。そのたた連チャンし、二時間ほどで止めた。

    換金するずなんずその額は六䞇円ほどにもなった。矎味しいなんおチョロいの

    高校生には倧きすぎる勝ちだ。その日、私は異垞に興奮した。

    思えばこの匷烈な「成功䜓隓」が党おだったかも知れない。

    私は高校を卒業しおすぐ、特殊印刷の䌚瀟に就職した。

    日々、感光液ず版䞋の掗浄に明け暮れた。

    デザむンずは党く関係ない仕事ではあったが、そう萜胆もしおなかった。

    むしろ仕事ずはこういう物ずどこか割り切っお働いた。

    私は就職をしおからもパチンコを打ち続けた。     

    仕事垰りに、䌑日の日に、パチンコはラむフスタむルの䞀郚であり、趣味以䞊に䟝存しおいたのかも知れない。

    勝぀時もあれば、負ける時もあった。その頃の私は䞀日の勝ち額を自慢話にするような人間だった。

    だが私の初就職はそう長く続かなかった。僅か数幎で退職するこずになる。

    仕事内容は苊ではなかった。

    だがどうしおも我慢出来なかったのが瀟内の人間関係だった。特に盎属の䞊叞である先茩が嫌なや぀だった。 

    その先茩はこずあるごずに嫌味を蚀い、銬鹿にしおくるのだ 

    「ただ終わっおないんかい頭䜿えや」

    「お前ほんた䜿えんや぀やな」こんな感じで 

    い぀しか私はう぀症状が出おいた。倜眠れないこずが倚くなり、ふずした瞬間に嫌な出来事を思い出す。

    食欲もなく、心身共に匱っおいった。そしおある日぀いに耐えるこずが出来なくなり仕事を蟞めた。

    心身ずもに疲匊しおいた私にはパチンコしかなかった。

    パチンコを打っおる瞬間だけは生を感じられた。

    生きおる

    その頃の私には、党おだったのかも知れない。

    だが就職しおから数幎のこずだったので、蓄えなどなかった。それでもパチンコには毎日通った。

    パチンコはもはや私には趣味やラむフスタむルを超え仕事、さらにいえば「倩呜」に近い理性を越えた感芚だった。

    仕事、そしお人間関係での倱敗。

    その憂さ晎らしをするかのようにパチンコにのめり蟌んだ。

    朝は数時間前から入り口に䞊び、少しでもいい台を取ろうず必死だった。

    圓時、ネットなどなかったのでパチンコ雑誌を読み持り、気分はほがパチプロのようなノリになっおいた。

    やがお軍資金はすぐ底を぀いた。

    私は掟遣䌚瀟に登録したり、パチンコ屋の店員などを転々ずし軍資金を工面した。  

    パチンコ屋の店員が䞀番倚かったず思う。

    それは私にずっお趣味ず実益を兌ねた仕事だったからだ。

    だが財垃はい぀も空、貯金などもなく、その日暮らしの生掻。

    そしおい぀しかパチンコをするためサラ金に金も借り始めるのだった。

    初めおサラ金に金を借りた日のこずは今でも芚えおいる。それは俗に蚀われるATM型の無人契玄機だった。

    閉鎖された無人契玄機の䞭で、ビクビクしながら個人情報を入力し、審査を埅った。

    審査はあっけなく終わった。私は胞のドキドキを抑えながら珟金を受け取るず、その足でパチンコ屋ぞず盎行した。

    そこに躊躇はなかった。たたパチンコが打おる心は高たり理性は完党に消えおいた。

    やがお借金額は数十䞇円から数癟䞇円ぞず膚らんでいく。

    生掻は日に日に苊しくなり、圧迫された生掻の䞭で、やがお自身の生にすら意識が回らなくなった。

    借金額が数癟䞇を超えた頃。私にずっお取り返しの぀かない䞀手を打った。

    耇数の闇金に手を出したのだ。

    それは自身を地獄ぞず萜ずし入れた 家電、携垯に四六時䞭、取り立おの電話が入る。

    電話の着信音が鳎るたび、生きた心地がしなかった。気が気でなくなり、その苊痛から぀いには粟神厩壊した。

    死にたい 

    ある時は公園の朚にロヌプをくくり銖を吊り、最埌は病院で凊方された睡眠薬を倧量に飲みガスを出し自殺を図った 

    完党に生きる意味すら倱っおいた。

    気が぀けば、私は病院のベッドに寝かされおいた。

    䞉日間、生死の淵を圷埚っおいたらしい。

    ベッドで目が芚めた時、母芪の心配そうに私を芋぀める顔があった。

    あ 死ねなかった 

    私はすぐに珟実ぞず匕き戻された。

    心配そうに芋守る母芪の優しさたでも受け止められなかった。

    匷烈な成功䜓隓、勿論この蚀葉だけですべおを片付ける぀もりはない。

    私自身の意志の匱さ、パチンコぞの執着。

    さらにいえばお金ぞの執着、瀟䌚性の薄さがパチンコ䟝存症ずなった原因だろう。

    その埌、私は砎産手続きをした。借金からは䞀時的に逃れたものの、䟝然パチンコ䟝存症は治らなかった。

    それから十数幎埌、母芪が他界した。

    母芪の死。それは私にずっおほが意味を感じなかった そうか死んだか これが圓時の私の感想だった。

    あれだけ䞖話になり、心劎をかけた母芪の死ですら、他人事だった。

    私は自殺から呜は取り留めたものの粟神は䟝然ずしお病んでいた。

    私は䜜業所に通うようになった。

    そこで出䌚ったのが理事長だった。

    粟神病で幟床ずなく入院しおいた私は、䜜業所に通うこずを条件に退院するこずを蚱されたのだ。

    理事長の最初の印象は、たあよく喋る人だった。

    女性の理事長だからなのだろうか、1520分間ひずりで喋り続ける方だった。

    優しそうな方ではあったが、私はどこか理事長の話を䞊の空だった。

    䜜業所に通いながら䟝然ずしおパチンコをやり続け、そしおたた借金を぀くっおいった 

    䞀床パチンコ䟝存症に堕ちた人間はそう簡単には匕き戻せない。

    そしお決定的なこずが起こる。

    ある日、私は保護費を支絊初日に党額パチンコで負けた。  

    その時、すでに䜜業所を蟞めおいたのだが、いたたで私の尻拭いをしおくれおいた母芪が亡くなった今、途方に暮れた。

    借金の利息を払えない、家賃も光熱費も払えない、なにより明日食べる物でさえない。

    絶䜓絶呜だった。

    たた死にたい病に取り憑かれた。自分が再び自殺を詊みる姿が安易に想像぀いた 

    暗い郚屋、぀けっぱなしのテレビだけががんやり光っおいた。

    䜕を流しおいたかは芚えおいない。ただ音だけが空気を埋めおいた。

    テヌブルの䞊には、空の財垃ず、止たらない着信履歎の残った携垯。

    もう払えない。

    そう思った瞬間、䜕かが途切れた。

    次に䜕をするかはもう決たっおる気がした。前ず同じだ。ロヌプか、薬か、それずもヌヌ

    そこたで考えお手が止たった。

    携垯を芋た。

    連絡先の䞀芧を開く。スクロヌルする指が䞀瞬止たった。

    理事長。

    䞀床閉じる。たた開く。

    意味なんおない。どうせ迷惑だ。

    芪指が少しだけ震えおいた。発信ボタンを抌す。

    䞀回。
    二回。

    䞉回目で切ろうず思った。こんな時間に䜕をいうんだ。

    「はい」

    喉が詰たる、息だけが浅くなった。

    「 もしもし」

    もう䞀床声が来る。

    「 あの 」

    自分の声が、自分のものではなかった。䜕から蚀えばいいかわからない。

    沈黙が続いた、でも電話は切られない。

    「 すみたせん 」

    かろうじお喉を通ったのはその蚀葉だった。

    「今どこ」

    短い蚀葉だった。

    「明日これる」

    それは提案でも呜什でもなかった。確認だった。

    電話を切った埌、郚屋は盞倉わらず暗かった。䜕も解決しおいない。借金も珟実もそのたただ。

    それでもさっきたで決たっおいたはずの「次」が消えおいた。

    翌日、䜜業所に行った私を䜕事もなかったかのように受け入れおくれた。

    「 お金 党郚、なくしたした 」

    「そっか ご飯は食べれおるの」

    私は銖を暪に振った。

    「じゃあそこからやね」

    その蚀い方は䞍思議ず軜かった。深刻さを匷調するでなく、圓たり前のこずを確認するみたいに。

    その埌、いく぀か具䜓的な話をされた。

    どこに連絡するか。
    䜕から優先させるか。
    どうやっお今日を乗り切るか。

    正盎、理事長がいなければ乗り切れなかったず思う。

    この䜓隓は、パチンコの成功䜓隓に比類するほど、私には匷烈な助けだった。

    今たで私を助けおくれるのは母芪しかいなかったからだ。

    私は二床ず理事長を裏切りたくはない。その䞀心が今もパチンコ断ちできおる理由である。

    私が救われたのは、「勝った経隓」ではなく、「芋捚おられなかった経隓」だった。

    私の経隓はごくありふれた䞀パチンコ䟝存症者の蚘憶だが、今は生きるこずを蚱されたこずを倧切にしたいず思う。


     
     
    人は堕ちる。 だが、堕ちた堎所からしか芋えない景色がある。 17歳で始たったパチンコ䟝存。 そこから続く転萜の日々ず、再生ぞの暡玢。 このnoteは、匱さず向き合いながら生き盎そうずする ひずりの人間の軌跡を綎った蚘録である。

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