脚の不自由な鳩から考えたこと
羽を広げ、身体を大きく左右に揺らしながら、バサバサと音を立てて、一羽の鳩が地面へ降り立った。

風に煽られているわけでもないのに。
なぜだろう?
目を凝らすと、片方の足の指がくっついているように見えた。
そのせいでうまく踏ん張れず、着地のたびに身体が揺れてしまうのだと気づいた。

ガムや糸でも絡まっているのだろうか。
もしそうなら、取ってあげられないだろうか。
そう思い、写真を撮ってみた。
拡大して確認してみたが、何かが絡まっているようには見えない。
生まれつきなのか、あるいは、怪我をしたのか。
どうしたものかと、思案しているうちに、鳩は、飄々と飛び立っていった。
その飛び立つ姿は、実に軽やかだった。
着地では、あれほど身体を揺らしていたのに、空へ舞い上がる姿は、ほかの鳩と何ひとつ変わらない。
その姿を見送りながら、ふと考えた。
あの鳩は、自分の足がほかの鳩と違うことを気付いているのだろうか。
他の鳩より、着地に苦労していることを知っているのだろうか。
他の鳩と自分を比べ、「劣っている」と思うことはあるのだろうか。
それとも、この足が自分にとっての「普通」であり、不自由だと考えたことすらないのだろうか。
もしかしたら、あの鳩は、他にもたくさんの不自由なことを経験しているのかもしれない。
けれど、私が見たあの鳩は、少なくとも、私の目には、不幸を背負っているようには見えなかった。
力強く羽ばたき、自由に空へと消えゆくその姿は、足が不自由だとは微塵にも感じさせないほど、堂々としていた。
私には不自由に思えるその足も、あの鳩にとっては、ただの「自分の足」だったのかもしれない。
病気や怪我を「不幸」と認識するのは、人間だけなのだろうか。
そして、他人のそれすらも、勝手に「不幸」と決めつけるのは
人間だけなのだろうか。
人間だけが、自分を不幸だと嘆き、他人を不幸だと憐れむ生き物なのだろうか。
あの日以来、私は「不幸」の定義を、再考するようになった。