メインコンテンツへスキップ
見出し画像
Photo byitsuka_yakuzen

桜の蕾が少し膨らみ始めた頃。

    これはある日映画館でたまたま出会った、見知らぬ男と女のお話である。

    男の想い

    うそだろ…

    なんなんだ、この結末は

    これじゃあ悲しすぎるだろ…

    ハッピーエンドでよかったのではないか

    いや、むしろハッピーエンドのほうが不自然か…

    これじゃあまるで俺と同じじゃないか…

    男は項垂れた。

    その映画は、ある夫婦の物語。

    男もまた、妻をその病気で亡くしている。

    男は静かに泣いた。

    妻はまだ、33歳という若さだった。

    がんがみつかってから、本当にあっという間だった。


    男はずっと悔やんでいた。

    もっと何かできたはずなんだ。

    もっと寄り添うことや、もっと安心させてあげることや…。

    仕事にかまけて、俺はあいつの病状を詳しく知ろうとはしなかった。

    そこまで悪いとは知らなかったんだ…。

    なんてバカなんだ。

    俺は一体何をしてあげたというのか。


    そんな後悔の想いが、亡くなってしまった後のこの10年、男の中からずっと消えることはなかった。

    映画の主人公が、妻と重なって見えた。

    「もうそろそろ、クヨクヨするのはやめなよ。もう10年だよ?」

    ケラケラと笑う、そんな妻の声が聞こえてきそうだなと、男は思った。

    そもそも俺はなぜこの映画を観ようと思ったのだ?

    あぁ、それはきっともっとハッピーな結末で、そこに彼女を重ねて一歩前進したかったんだ。

    カッコ悪いな俺は…

    ずるいな俺は…

    「ヒックヒック…ヒックヒック…」

    エンドロールが流れる中、足早に立ち去る客もちらほら。

    でも3つ隣の観客は、どうやらまだ泣きじゃくっている。

    ん?めっちゃ泣いてる…?

    ひとり?

    そういえば割と早い段階から泣いていたような…

    とうとうエンドロールが終わり、劇場内に明かりが付く。

    それでも女は席を立たない。

    いや、立てないのだ。

    それくらいまだ泣きじゃくっている。

    異常なほどに…。

    男はしばらく待つ。

    仕方ない

    かなり遠回りだけど、反対側から出よう

    女の想い

    つらい…

    観なければよかった

    涙が止まらない
    どうしよう…

    女は告知を受けた時のことを思い出していた。


    まさかこの私が乳がん?

    信じられなかった…。

    姉が他界したのも乳がん。

    友達が他界したのも乳がん。

    乳がん乳がん乳がん…

    なんなのこの病気は?

    涙が枯れるほど泣いたのに、

    もう覚悟を決めたのに、

    おっぱい取るって決めたのに…

    それでもまだこんなに泣けてくるなんて…

    怖い
    怖すぎる…


    とうとうエンドロールが終わってしまい、清掃員が場内に入ってきた。

    焦る女。

    え?
    やだ、どうしよう
    明るくなっちゃった…

    恥ずかしい

    早く席を立たないと

    え!?あのひと、こっち見てる?

    あぁでも涙が止まらない

    つらすぎる…

    どうしよう…

    酷評

    「あの…大丈夫ですか…?」

    立ったまま男が思わず女に声をかける。

    女は驚き顔をあげ、

    「あ…は、はい!す、すみません…すぐに…どきます」

    女はしゃくり泣きしながら、途切れ途切れにそう答える。

    「あ、いえ…、あ、あの…すみません、向こうから回りますので!」

    男はそそくさと反対側へと歩いて行った。

    俺は何をしてるんだ?

    声かけるなんてキモいよな

    しかし、出口付近でうろうろする男。

    外で待ち伏せって…

    ストーカーじゃねぇか

    いやでもあの泣きようは尋常じゃなかったよな

    ちゃんと出てくるだろうか

    それを見届けたら帰ろう

    あ、きた

    とぼとぼと歩いてくる女。

    良かった
    泣き止んでる

    目真っ赤だけど…

    よし、大丈夫そうだな

    そう思った瞬間、

    「あ!あの!」

    女が男に声をかける。

    「え?」

    「さっきはすみませんでした」

    「いや、こちらこそ…。すみません声かけちゃって…。もう大丈夫ですか?」

    「あ…はい、大丈夫です。…あの違ったらごめんなさい。
    もしかして…心配して待ってくださってたんですか?」

    「いや、あ、え〜っと…」

    罰が悪そうにしながらも、男は素直に答えた。

    「は、はい…」

    「ごめんなさい。あんな泣くなんて、変ですよね」

    「いや、ちょっとあの結末は悲しすぎましたよね。僕も泣きました…」

    「…」

    「あのストーリーは、まぁ人によるかとは思いますが、僕的にはハッピーエンドにして欲しかったなって」

    「ですよね?!あんな終わり方…悲しすぎると思って…。こんな気持ちになるなら観なければ良かったって…」

    女はまた目を潤ませた。

    「あ!ぼ、僕も思いましたよ。最悪だなって。観なければ良かったって」

    「…ふふ」

    女がほんの少しだけ笑った。

    「あははは」

    男も笑いながら続ける。

    「こんなところで酷評しちゃうのは良くないですね」

    「そうですね」

    ふたりは劇場の外に向かって歩き出す。

    涙の理由

    良かった

    彼女の笑顔が見れた

    「…じゃあ僕はこれで…」

    「あ、はい」

    「ホントにもう大丈夫です?」

    「…え?」

    「いや。なんでもないです、すみま…」

    男がそう言い終わるタイミングで女が言った。

    「大丈夫じゃないんです」

    「え?」

    「あまり…大丈夫じゃないんです、まだ…」

    あ…なに言ってんだろ、私

    でも、大丈夫じゃないよね…私

    男はしばらく考えたあとこう言った。

    「お茶でもしますか?僕で良ければ…話し聞きますよ?」

    いやいや、何言ってんの俺

    これナンパじゃないの?

    ヤバイやつって思われた?

    しかし女はコクンと頷いた。

    同じショッピングモールにあるカフェは、平日ということもあり比較的空いていた。

    「えっと…ここで良いですか?」

    「あ、はい」

    ふたりはそれぞれ注文をし、別々にコーヒーを受け取り、席に着く。

    「僕、山本と申します」

    そう言いながら男は名刺を渡す。

    「私は佐伯といいます。ごめんなさい、お名刺は持っていなくて…」

    「いえ、大丈夫です。はい。気にしないで」

    しばらく沈黙が続いた後、女はゆっくりと話し出す。

    「ごめんなさい、変な女だと思いましたよね?」

    「いや、俺の方こそお茶なんか誘っちゃって…」

    「実は私…一週間前に告知を受けたんです」

    皮肉な縁

    「ん?」

    「乳がんって…」

    「え?!」

    「それで来月手術することになって…全部取らないといけないって…。」

    しばらく沈黙が流れる。

    「始めは気持ちが決まらなくて…。いや今もほんとは怖くて仕方ないんですけど…。でもそうしないとがんが取りきれないって」

    男はじっと耳を傾ける。

    「だから気持ちは前向きなんです。生きたいから…」

    「はい」

    「ちゃんと全部取って、また生きていこうって決めたんです」

    「うん」

    そして男はこう続けた。

    「あの…失礼ですが、佐伯さんご家族は?」

    「息子がひとりいます。成人して一人暮らしはじめて。…あ、バツイチなんです私。だから今はひとり身のようなものですね」

    「え!そんな大きな息子さんがおられるんですね。驚いたぁ〜」

    男は少し場の空気を変えるよう、少し大袈裟につぶやいた。

    「いえ、普通のおばさんです」

    「いやいや、おばさんだなんて。独身の方だと思ってたから」

    「山本さんは?ご家族は?」

    「あ、僕もひとりです。あ、いや違った、えっと…一人暮らしです」

    「ご結婚されてないんですか?」

    「いや、えっと…妻に先立たれまして…」

    「…ごめんなさい!」

    「いえいえ、大丈夫です。気にしないで下さい」

    「お若かったんですね…」

    「そうですね。まだ33でした。子供もいなかったし、今はただの独身野郎ですよ」

    女はまた涙ぐんだ。

    「あ、あの…」

    男が切り出した。

    「佐伯さんはなんであの映画を観ようと思ったんですか?そんなお辛い状況で」

    「ですよね。自分でも笑っちゃいます。なんでなんだろう」

    しばらく考え、

    「ハッピーエンドになるのを観て、自信を持ちたかったんでしょうかね。見事にバッドエンドでしたけど」

    「ホントですよ、あれはひどい」

    「でもね…なんかそれが現実なのかなって…」

    「え?」

    「今になってようやくそう思えてきました。現実はそんなハッピーには終わらないんだなって」

    「そんなことない!」

    男は大声で思わずそう口にした。

    「え?」

    「あ、ごめんなさい。いや…そんなふうに思ったらダメですよ。手術だってきっとうまくいきますよ。元気出してください」

    「うふふ。ありがとうございます。山本さんってお優しいですね」

    「息子さんにはちゃんと話したんですか?」

    「はい。全部うそなく。手術の間も付き添うって言ってくれてます。口数少ないけど、実は優しい子なんです」

    幸せそうな母の表情になる女。

    頷く男。

    「子供産んでおいて良かった、って思いましたよ。うふふ。もう両親もいませんしね。兄弟もね…。天涯孤独だったら、私どうなっていたのかなって思いますね」

    女は続ける。

    「息子がね、一緒に泣いてくれて…。がんばろうって。一緒に乗り越えようって」

    女の頬を涙がポロポロ落ちていく。

    「いい息子さんですね」

    「はい、いい息子なんです」

    ずっと下に向けられていた視線がようやく男のほうに向けられた。

    泣きながら笑う彼女は美しかった。

    束の間の幸せ

    男はこちらに向けられたその表情に一瞬どきっとした。

    「もしまだこのあとお時間がおありでしたら…飯でもどうですか?お嫌じゃなければ」

    うわ、誘ってしまった…

    女はチラッとスマホに目をやり

    「いいですよ」と答えた。

    外はきっとまだジリジリとした暑さだよね

    家で誰が待っているわけでもないし、慌てて帰る理由もないし…

    同じモール内で移動してご飯を食べるだけ

    ただそれだけ…

    「え、いいんですか?やった!」

    男は少年のように笑った。

    山本さんと話してて楽しい

    なんだか不思議

    久しぶりだわ、こんな気持ち…

    それからふたりは色んな話をした。

    互いの仕事の話。

    両親や兄弟の話。

    育った環境のこと。

    女が夫と別れた理由も。

    ただ女は男の妻の死因だけは聞かなかった。

    男もまた、自分の妻が“乳がん”で亡くなったことは決して明かさなかった。

    ただゆっくりと、優しい光に包まれたような幸せな時間がそこには流れていた。

    女でなくなる日

    「あの…」

    女が切り出す。

    「山本さんて彼女さんは?」

    「いません」

    またもやドキッとする男。

    「もし、もしですよ。彼女さんが乳がんを患ってしまって、胸を取らなくちゃいけなくなったら…どう思います?」

    「どうって…」

    「やっぱ嫌ですか?そんな彼女…」

    「彼氏さんになんか言われたんですか?」

    「え?あ、やだ、彼氏なんていませんよ」

    照れたように笑いながら女は続ける。

    「ただ…もうこんな歳だし恋愛は無理かなって思っていた上に、こんなことになっちゃって。
    あぁ…、もう女でなくなるなぁって…。一生孤独の身だなって…」

    女は静かに目を伏せた。

    「僕は…」

    そう切り出した男は落ち着いた声で

    「僕だったら、好きな人にはそんな悲しい思いはさせない。ただ生きていてもらいたい。胸がなくなろうが体の一部がなくなろうが、命さえあればそれでいい。」

    「佐伯さんはこれまでも、これからもずっと女ですよ。そんな悲しいこと考えなくていい!」

    思いの外大きな声を出してしまったと、男はハッとした。

    そしてまた女の目には涙が溢れ出し、ポロポロと止まらなくなった。

    「ごめんなさい…私…ごめんなさい…」

    「いや、違う…謝らないで。僕こそごめん」

    「奥さまのこと、すごく愛してらっしゃったんですね…」

    「え?」

    女は作り笑顔でこう呟いた。

    「少し羨ましいな」


    そのあと、ふたりはそのまま別れた。

    連絡先は交換しなかった。

    お互いそれを聞くのはなんか違うような、そんな気持ちだった。

    別れのあと

    翌月、手術は無事に終わり、ホルモン治療が始まった。

    そして半月後、乳房の再建術をした。

    それはもう壮絶なものであった。

    何時間にもわたる2度の手術。

    しかし女は強かった。

    あの時男が放った言葉が、ずっと心に残っていた。

    命さえあればそれでいい

    これまでも、これからも、あなたはずっと女なんだから

    その言葉が、自分を奮い立たせてくれたのだった。


    一方で男は悔いていた。

    なぜあの時連絡先を聞かなかったのかと。

    手術がうまくいったのか気になってしかたがなかった。

    そして何より、またひとりで泣いてやしないかと…。

    桜の蕾が少し膨らみ始めた頃

    女は男と別れたあと、ひとつ心に決めていたことがあった。

    手術が全て無事に終わったら、
    そしてこの胸の赤い傷が桜色に変わったら、

    あの時もらった名刺の番号に電話をしてみようと…。

    もし彼が覚えてなければそれでいい。

    そのときは間違い電話だと嘘をつこう。

    そして、もし覚えていてくれたら…?

    素直にこう言うのだ。

    「会いたいです」と。


    もう私は泣かない。

    第三の人生を歩くと決めたんだから。

    あの日あなたに出会えたおかげで、私はこんなに強くなれたのだから。


    桜の蕾が少し膨らみ始めた頃。

    彼女は大切にしまっておいた彼の名刺を手に取った。

     
     

    Tomoka

     
     
    シングルマザー3人の子育て終了✧乳癌乳房全摘後再建⇨ホルモン治療継続中✧同年職場ストレスで混合性不安抑うつ障害⇨休職,退職し寛解✧アルバイトリーダーの今の働き方が最高✧高齢母と2人暮らし✧孫チャン7ズのばーば✧恋活再開?✧よく泣く関西のオバチャン✧60までにしたいこと沢山!

    あなたへのおすすめ