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SNSは情報の交差点。“幸せになりたい”と言いながら、お金や承認や肩書きを求めてしまうとき、人は何を見失うのか。

    今日もSNS上の発信を眺めていた。

    そして、
    キッチンに立った時
    ふと気づいた。

    人はしばしば、
    自分が本当に欲しいものを通り越して、

    別の言葉で感情を
    語ってしまうことがある。

    幸せになりたいと言いながら、
    お金を、

    自由と言いながら、
    承認を、

    愛が欲しいと言いながら、
    支配されない自由を、

    それぞれ、求めていることがある。

    私もまた、
    自分が「有名になりたい」って思っていた。

    読まれたい。
    評価されたい。
    たくさんの人に見つけてもらいたい。

    でもある時、気づいた。

    私が本当に欲しかったのは
    「私がすごい」と言われることではなかった。

    自分が生み出したものに価値が宿って、
    誰かの心の中に残ることだった。

    もちろん、お金があれば、
    暮らしは楽だろう。

    知らない人から褒められたら、
    気分が良くなるだろう。

    たくさん、積み重なれば、
    自信につながるだろう。

    きっと間違いなく、どれも、嬉しい。

    けれど、もしも、有名になって、お金がたくさん
    入った後に、お金が入らなくなったら、

    私は、どうなるだろう。

    人から褒められなくなった途端に、
    どんな気持ちになるだろう。

    もちろん、最初から、お金がなかった、
    褒められる機会がなかったなら、

    味わうことはないだろう。

    つまり、
    お金も、
    褒められることも、

    一時的になる可能性を秘めている。

    人生で捉えるなら、一度有名になれば
    ずっと、そのままでいられる保証は
    どこにもない。

    ということ。

    お金や
    承認は
    手段であって
    目的ではない。
    と捉えることもできる。

    つまり、途中経過でゴールではない
    と、私は思う。

    もし、これを読んでいる人の中に
    私は、お金さえあれば
    他に何もいらない
    という人がいれば、

    その人にとっては、
    お金があることが目的かもしれない。

    でも、本当に
    ずっと満足が続くのだろうか。

    お金だけあれば、幸せなのだろうか。

    私はこう思う。
    お金は、何かを得るための手段になる。

    褒められることは、

    評価として受け取る事ができるが、
    自分の取り組みに対する物差しになる。


    つまり、目に見える道具。

    今の自分の立ち位置を確認するための
    ツールや方法にすぎない。

    と、考えている。

    お金や、承認は、自分以外から
    もたらされるもの。

    では、自分だけでもたらされるもの
    って、何だろう。

    という、問いから、私は気づいたのだ。

    そして、私が本当に望んでいることは、
    自分の生み出した作品に、
    「価値が宿る」ことだった。

    つまり、その中には
    生活していくお金も
    誰かからかけられる言葉も
    その全てが含まれている。

    実は、私が一番、欲張りなのかもしれない。


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