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ゐっさ、空波さん企画の      読書感想文に挑戦するの巻。

 ある日、空波さんからのコメントでご自身の企画のお知らせを教えて頂きました。


いつもはね、ゐっさでしたら参加はしないの
です。

ナマケモノ🦥だから(笑)


でも、この日は違いました。
なんか、こう、沸々と書いてみたいが
湧き上がってきまして…。ムズムズ

読書感想文…。
長文書くのって苦手なのに、何故か
参加要項を読んでるゐっさ。フムフム

そして、まさかの参加表明(笑)

自分で血迷ったかしらと思いましたが、
空波さんの

「長文を書く筋肉をつける練習」

という言葉に惹かれました。

感想文になっているのか怪しいのですが…

以下、空波さんどうぞよろしくお願いいたします。

_____________________✏️


「夏の1コマ|海を緑に塗った子と締切を破った私」を読んで

 
 時に、色は人の人生に深く関わってくる。
青いアイスが添えられたこの話を読んで、そう感じた。

著者が青いアイスを手に、少し現実から離れた
ことから話が展開してゆくのだが、色に執着の
ある私には初っ端から、このアイスの色が気に
なって気になってしょうがなかった。

だって考えても見てほしい。
棒アイスとかソフトクリームとか、そんな風に
表現しそうな所を、あえて「青いアイス」と
著者は書いている。

なぜ、「青いアイス」なのか。

それは、この話を最後まで読むとわかるのだが、私から説明をするのは避けておきたい。
いきなりで申し訳ないが、是非ご自分の感性で
最後までお読みになり、ご自分なりの解釈を
してほしい。

なぜならば、空想に描く絵は人それぞれ
だからだ。

青を一つとっても沢山の青があり色のチョイス、濃度、明るさ、タッチでいくらでも変わる。
それをキーワードに登場人物の心も併せて、
どんな世界が広がるのか読んでほしいところで
ある。

そして青は、私が子どもの頃いつも眺めていた
山並みの色を思い起こさせるのだ。
私を今に連れて来た大切な色の一つだ。
気になって当たり前。

 多感な頃、山を色で表現するならば、青のグラデーションだった。霞がかった青たちが遠くまで並んでいる。その佇まいは実に美しかった。

学校の帰り道、山は青だと言う私に、それを
可怪しいと囃し立てるクラスメート。
わかってもらえないのは悲しく、囃し立てられたことで悔しさ倍増である。

小さな頃から遊びで絵を描くことが、心の拠り所だったから、全てを否定されたような感覚に
なったのを覚えている。
お前の頭はクルクルパー!あっかんべーと片付けられる。親の頭でさえクルクルパーにされた。
当時、大真面目に悩んだが、それを曲げるつもりはなかった。

この話に登場する男の子が、海を緑だと言い張ったのも、少し似たような感覚なのではと、わかるような気がするのだ。
自分だけの色に出会った時のときめきは、言葉が出ないくらい言い尽くしがたい世界を得たような体験だっただろうと思った。
私は、未だにその時の感覚が、心の奥底に残っていて絵を描く原動力となっている。

子どもであれ大人であれ、この感覚はきっと手放しがたいはずなのだ。
まるで、この世の真実を見たというくらいの胸の高鳴りを感じた事はないだろうか。
きっと、それに近い感情だったにちがいない。

そして著者と男の子、双方が逃げるという選択をしたという、共通点からの出会いは興味深い。
何もかも忘れたい。そんな居場所を求めて、辿りついた先にいた大人と子ども。

一日の内のちょっとした時間なのに。

でも、どちらかがズレれば出会いは成立していないのだ。少し大袈裟かもしれないが、出会いとはそういうものだと私は思う。

一見すると偶然のように感じるが、私からすれば必然なのだろうとさえ言える。

袖触れ合うも他生の縁という。

昔の人はよくこんな粋な言葉で、量子の話にでも発展しそうな世界を表現したものだと尊敬さえ
する。まさに、この二人の袖が触れ合ったの
だろう。

そんな二人がベンチに腰掛け、お互いの話をしてゆく。私も一緒のベンチに腰掛けて、二人の話を聴いている心持ちになった。
その会話を読んで、やはり子どもというのは純粋で率直なのだと微笑ましく感じた。

昔、私は子育て支援の仕事をしていた。
未だにこの、支援 という言葉に慣れないのだが
気持ちは、肩を並べて同じ方向を向いて。
そんな感じで仕事をしていたように思う。
まさに、著者と男の子だ。

毎日、多くのお子さんと関わる中で見た、あの輝きと同じものを、この男の子にも感じた。
素直なのだ。悪気はない。
もしかしらたら友好な関係を築きたいと無意識に思っている節もある。そして、そこに安心を置きたいのだ。そう考えると健気で可愛らしい。

そんな健気で可愛らしいと感じ安堵した途端、子どもと言うのは、直球ドストレートの言葉で、心の中に痛いくらいに速く深く潜り込む。

そして、同時に表舞台に相手を引っ張り出す。私はこの魔法のようなPowerに、何度モヤモヤとし、何度助けられたかわからない。

そして更に、二人のやり取りは続いてゆく。

その中で見えてきたことは、著者の冷静さと子どものような純粋な心だ。
大人として心ごと子どもを見守る寄り添いの姿。そして、心の中の別の部屋で落ち着きを取り戻すため、自分と向き合う著者の葛藤。
きっと男の子も、その純粋さを感じ取り直感で近付いたのであろう。

今のご時世、見知らぬ大人と子どもが、公園で語り合うこと事態が珍しいことだ。そのハードルをいとも簡単に乗り越え交流を持ち、お互いの心を開く事は本当に貴重な体験だと思う。

人は年がら年中、呼吸をし朝に目覚め、夜に眠る。それは死ぬまで続く。
当たり前なのだが、この当たり前がよくよく
考えると奇跡なのだと常々思っている。
だからこそ、それ以上の事をやってのける私達は、それぞれで奇跡を日々起こしていると言っていいのだ。

何も派手な言い回しではないと私は思う。

もっと、真実や奇跡そう言った感覚で日常を
観る事があってもいいと思うのだ。
何気ない出来事も特別な事だと氣付くし、
それを繰り返す事で、観える世界が変わってくる。

私達の細胞そして魂が、いかにこの自分という人間を生かそうとしているのかがわかってくる。

そう考えた時に、この著者と男の子の出会いはお互いを助け合うために、実に巧妙に緻密にタイミング良く出会っているのだ。

さて、何が言いたいのか…。
私は、遠くまで皆さんを連れて来てしまったようだ。
でも、帰り道を案内するので心配はいらない。

まさか、著者自身も細胞や魂の話にまで発展させる変人がいるとは、よもや想像もしなかっただろう。
きっと、これを読む皆さんも私を変人だと思うだろう。そうだとしても頑固者がゆえ、曲げるつもりもない。

このような些細な日常の出来事のお話だが、色と共に記憶の引き出しに仕舞われ、いつか遠い未来で著者や男の子の人生の彩りとして、顔を覗かせるのかもしれないと思った。

素敵な出会いの話を、今回このようにして読み
感想文まで書いているのも、必然に現れた出会いなのかもしれない。

_____________________✏️


以上になります。
自己申告になりますが、文章にAIは一切
使っておりません。
そして、とても楽しい時間を過ごせました。
空波さん、素敵な企画をありがとう御座いました。

今回の空波さん企画は、

9月18日(金)23:59

が締め切りだそうです。

皆さんもいかがですか?
筋肉🤭つけてみませんか?


今ここにある幸せ


ゐっさより




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