🌕《月の絵巻と、記憶のしずく》
むかしむかし──
それは「むかし」と呼ぶには、あまりに近く、
けれど「いま」と呼ぶには、遠すぎる。
そんな時間の綾(あや)から、そっとほどけた物語。
ある国に、“記憶の庭”をまもるお姫様がいました。
名を ルーナリエ姫といいます。
彼女の瞳には、
“まだ言葉になっていない想い”を映す力がありました。
けれどその力ゆえに、人々の悲しみも喜びもすべて抱えてしまい、
いつしか、心をそっと閉ざすようになっていました。
──ただ、ひとつだけ、いつもそばにいたもの。
それは、夜空に浮かぶ、やさしい月のひかりでした。
「月はね、あわいの扉。
この世とあの世、夢と現(うつつ)をつなぐ、やわらかな道しるべなの。」
そう教えてくれたのは、
まだ幼かったころに出会った、不思議な声でした。
───
ある夜のこと。
ルーナリエ姫は、城の高台の小さな扉を開けて、
ひとり、月の光を浴びに出かけました。
すると、
その場所に、ひとりの **ちいさな巫子(みこ)**が立っていたのです。
風に揺れる、白い衣。
ひたいには、うすくひかる三日月の印。
その子は、まっすぐに姫を見つめて、こう言いました。
「ひらいたよ、あわいの扉。
ここは、“時の外側”にある場所。
忘れられた記憶たちが、絵巻のようにほどけて流れる、
月の光のなかの世界。」
ふたりは言葉を交わすよりも先に、
心がふわりと重なりあうのを感じました。
──そのときでした。
空から、ゆっくりと白い雲が降りてきて、
そのなかに、たくさんの魚たちが泳いでいるのが見えたのです。
金魚。琉金。ランチュウ。
とつぜんの風景に驚く姫に、
巫子は笑って言いました。
「ここはね、
この世から旅立った者たちが、
自由になって泳げる空の水辺。
あなたのなかにある“優しさ”が、その景色をひらいたの。」
──
姫は気づきました。
あの日、手放した小さな命たち。
あの日、泣きながら眠った夜。
でも、彼らはもう、
この空で泳いでいたのだと。
そして、巫子が両手をひろげ、
天に向かってひかりを受けとると、
月の光が、ふっと弱まりました。
けれどそれは、失われたのではなく——
やさしい粒となって、まわりに満ちていったのです。
姫もまた、そっと目を閉じて、
胸の奥にひかりを通してみました。
すると──
月の光がふわりと強くなり、
絵巻のように景色が動き出しました。
それは鉛筆で描かれたような、あたたかいモノクロの画。
未来なのか、過去なのか。
けれどそこには、
ふたりが知っているはずのないはずの景色が、
懐かしさとともに流れていました。
おなじ月を見上げて、
おなじように誰かを想っていた夜。
見送った涙。
そして、やさしい笑顔。
──そのすべてが、絵巻の余白を静かに染めていきました。
巫子がふとつぶやきました。
「ねえ、ルーナリエ姫。
あなたの心は、“鏡”みたいに透明で、やわらかい。
だから、みんなの記憶が映るの。
でもそれは、重荷じゃない。
あなたが選んだ“灯り”なの。」
姫は、静かに涙を流しました。
でもその涙は、悲しみではなく、
“なにかを受けとれた”時の涙でした。
──
月の光がやがて、すこしずつやわらかくなり、
あわいの扉は、そっと閉じられていきました。
でもふたりは、もう知っていました。
あの時間は夢じゃない。
この世とあの世のあわいに確かに存在する、
**“こころの居場所”**だったのだと。
それは、
月に照らされた白いページに
そっと描かれた、やさしい一篇の絵巻物。
いつかまた、風がひらけば、
その続きを読み解くことができるでしょう。
───
そして今夜も、月はそっと空に浮かびながら、
ふたりの心をやさしく照らしつづけています。
「さみしくないよ。みんないるよ。」
という声とともに──
🌙🐠✨
