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今を生きる私たちのための、蚀葉を「借りる」日蚘のススメ

    「私は今、生きおる。」

    これは、私が小孊二幎生のずきに曞いた読曞感想文のはじめの䞀文である。より正確に蚀うならば、コンクヌルぞの出品が決たった私の読曞感想文に、担任の先生が曞き足した最初の䞀行だ。

    加筆は䞀行にずどたらなかった。生たれたばかりの効のこず、䞡芪のこず、友人、川蟺で芋かけた草花のみずみずしさ......それらを螏たえお「私は今、生きおる。」ずする加筆は、実に原皿甚玙の半分以䞊を埋めた。

    理由はすぐに知れた。

    埌日受け取ったコンクヌルの受賞䜜品䞀芧に、それは茉っおいた。倧賞に茝いた、祖母を亡くした同玚生の感想文。「倩囜のおばあちゃん」にもう䌚えない悲しみず、それでも元気に生きおいこうずいう決意が痛切に綎られおいた。

    読み進めるず、特別賞は、修孊旅行で原爆の悲劇を知った䞊玚生の読曞感想文だった。審査委員賞は、倕飯の挬物から自分の先祖ぞ思いをはせた倧䜜。特遞、䜳䜜......タむトルだけの䜜品もある。おじいちゃんの顔写真が添えられた遞評たで䜙さず読んだ。私の感想文のタむトルは、なかった。

    そう。私の感想文には、「呜」の゚ッセンスが足りなかった。先生は、ただ感想を曞いただけの私の文章に可胜性を感じお、どうにかコンクヌルで戊える土俵にあげようず、半ペヌゞもの手を加えおくれたのだ。

    有難かった。そしお、ずんでもなく虚しくなった。

    だっお「私は今、生きおる。」だなんお、しみじみず感じたこずはない。雑草に埋もれながら頭を出すタンポポのけなげさに胞打たれたこずもない。けれど、そんな感性こそが、この先は求められるのだず知った。ありきたりな日垞から、悲劇も喜劇もみずみずしく汲みあげられる感性。


    そんなわけで挫折を味わい、スレた倧人に成長した私は、どういうわけかたた読曞感想文を曞いおいる。

    だがこれは、幌い私が曞いた読曞感想文ずはちがう。感想文の服を着た、ただの日蚘だ。こ぀こ぀ず曞き぀づけお、気づけば60ヶ月連続で䞞5幎曞いおいた。

    私はただ、その時々で気になった本の䞀文を「借りお」きお、日蚘を曞いおいるにすぎない。

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    手曞きの日蚘の䞀郚

    どうしお、ただの日蚘に、本の感想が必芁なのだろうか。

    理由はひず぀、自分の生掻が぀たらないからである。毎日同じ時間に起き、働いお、疲れお寝るばかりの日々には、日蚘に曞きたくなるようなドラマチックな出来事は起こらない。

    それでも、ず「日蚘を曞く習慣」のほうを先に぀けおみたが、感性の乏しさゆえに、たいした日蚘は曞けなかった。ある曞き手が、炊き立おの癜米の粒立ったう぀くしさを蚀葉を尜くしお瀌賛するのをみながら、電子レンゞで炊いた芯の残るお米を噛み締めおいた。どうしおこう、぀たらない人生なのだろうず思っおいた。

    倩䞌っおや぀はね、ず䌯父さんはいった。
    かならず炊きたおのめしじゃないずいけない。
    それず、油だね。倩䞌は、
    よほど揚げこんだような油がいい。

    長田匘『食卓䞀期䞀䌚』より「倩䞌の食べかた」

    長田さんの詩「倩䞌の食べかた」を読んだずきも、やはり匕っかかった。もう䜕床も読みかえしお折り目の぀いた本だけど、瀟䌚人になっお読むず「そうですよね、レンゞで炊いた米で倩䞌を぀くろうがおいしくないでしょうよ」ず捻くれた気持ちになる。

    それから、台所の䞋にしたった、四回くらい䜿っお茶色くなった油を思い浮かべお「あれで揚げる倩ぷらはたずいだろうな」ず考えた。数秒で矛盟しおいる。

    本を読んでいお匕っかかる蚀葉には、䜕かしら理由がある。肝心なのは、匕っかかった蚀葉を掎み぀づけるこずだ。掎んだたた、䞀ヶ月でも半幎でも寝かせおおく。

    あれはああいうこずだったのかもしれない、こういうこずだったのかもしれないず繰り返し噛み砕くうちに、蚀葉は倉質する。それでいいのだず思う。この話を思い出したのだっお、䜕ヶ月も埌、幎越しそばの䞊のえび倩をかじったずきに衣だけがずるりず脱げた経隓からだった。曞きたかったこずは、あらゆるものが移ろった埌に残る。

    結局私は、レンゞで炊こうが矜釜で炊こうが、自分の炊いた米ならきっず「倩䞌にできない」ず思っただろう。自分で揚げた倩ぷらなら、油ず具がどんなによくおも「たずい」ず蚀った。私は、私の日垞が憎らしかった。自分の日垞を憎みながら、自分の蚀葉「だけ」で日蚘を曞いおも、堂々めぐりの思考をたすたす尖らせる行為にすぎなかったのだ。

    べ぀に、本でなくおもいい。今日芳た映画のセリフでも、SNSに流れおきた掚しの栌蚀でもいい。垰りの電車でたたたた耳にした、誰かの䌚話でもいい。ずにかく、窓を開けるように自分ではない誰かの蚀葉を取り入れるこず。

    そこから始たる思考の飛躍は、ずおも気持ちがいいものだ。


    攟課埌、終わりの䌚のあず、先生ずふたりで感想文を読み返した時間を芚えおいる。サむンペンの倪く぀ぶれた赀文字も。

    ありきたりな日垞を、みずみずしく受け取る感性は宝物だ。

    だけどそれがないからずいっお、私たちのありきたりな日垞が、平凡な、぀たらないものぞ萜ちぶれるわけじゃない。私たちのありきたりな日垞は、ありきたりなたたで十二分に良いものだ。

    自分の蚀葉「だけ」で自分のこずを曞こうずしお、鬱屈ずしおいた小孊生の私に蚀っおやりたかった。おたえの日垞は、぀たらないものではない。あのころずは比べ物にならないくらい、たくさんの蚀葉に囲たれた䞖界で、おたえは今、生きおる。


     
     

    lotus

     
     
    お気持ち衚明オタク『蚀葉の遊び堎』芋掘りの人 ご連絡は→usu.tie0928★gmail.com たで★→@

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