
中国八大料理 広東料理編 第3話
広東料理の歴史
百越文化と南越国の成立
趙佗による建国と融合
嶺南はもともと、百越族(ひゃくえつぞく)と呼ばれる先住民族の文化「百越文化圏」に属していました。その大きな転換点となったのは、秦による嶺南征服と、その後の「南越国」の成立です。

南越国の成立と発展

南越国(紀元前203年〜紀元前111年)は、現在の中国南部(広東省・広西チワン族自治区)からベトナム北部にかけて存在した王国です。秦の崩壊による混乱に乗じて、秦の官吏であった漢人の趙佗(ちょうだ)が、現地の「百越」を統合して建国しました。
趙佗は現地の文化を尊重する政策をとり、中国の高度な青銅器・鉄器文化と越人文化を融合させることで、独自の文明を築き上げました。
・首都: 番禺(ばんぐう)。
現在の広東省広州市にあたります。
・ベトナムとの関わり:
ベトナムでは「趙朝(ちょうちょう)」と呼ばれ、正統な王朝の一つとして扱われることもあります。現在の国名「ベトナム(越南)」も、この「越」の南にある国という意味に由来しています。
・滅亡とその後:
紀元前111年、漢(前漢)の武帝によって滅ぼされました。その後、漢による直接支配が始まり、広州市の「西漢南越王博物院」では当時の豪華な副葬品からその繁栄ぶりを確認することができます。

広州市越秀区六榕街道


漢文化の流入と食文化の変容
漢の支配下に入ると、中原(華北)の調理技術や穀物文化が伝播し、嶺南の食文化は大きな変容を遂げました。
調理技術の普及:
米食が定着し、「煮る」「蒸す」といった技術が普及しました。
素材志向の形成:
温暖な気候と豊かな水産資源に恵まれ、新鮮な食材が容易に入手できたことから、香辛料を多用するよりも素材そのものの味を活かす、現在の広東料理に通じる「素材志向」の土壌が作られました。
嶺南アイデンティティの形成
こうした歴史を経て、嶺南独自の茶文化の基礎やアイデンティティが形成されていきました。
古代の「越」という言葉は、やがて現在の広東を指す「粤(えつ/ユエ)」という字に変化し、今も広東の誇り高いアイデンティティとして受け継がれています。

