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日々の旅人

    二年前の夏、一人でパリを旅した。これが初めての海外一人旅だった。きっかけは、ある元旅人との出会いだった。彼は数年という時間をかけて、40カ国もの国を一人で旅していたという。

    「ラオスでは現地で仲良くなった子供たちとサッカーをして遊んでたな。」

    「現地の人とご飯を食べた後の帰り道、バイクで転んじゃって死にかけたんだよね笑 前歯が折れちゃって、顔を何針も縫って・・・、大変だった笑」

    「ケニアではよくスコールに遭うんだけど、水位が一気に上がるからそのたびに乗っている車が水没するんだ。で、その度に乗っているみんなで車を押すんだ。その後何事もなかったかのようにまた進んでいくからすごいよね。」

    「これはアフリカの村を旅している時に出会った部族の女性。唇にはめ込まれているこの金属のプレートが伝統らしいけど、今はもうこれをやる人がだんだん少なくなってきているんだって。」

    彼が言葉で描くその世界は、まるで映画を見ているかのように、色彩豊かで生き生きと私の目の前に広がった。彼が旅していた「ここではないどこか」が、この世のものとは思えないほど、当時の私の目には色鮮やかに、そして夢幻的に写った。その世界に吸い込まれるように、半ば衝動的に、一人でパリを旅することに決めた。旅に出ようと決めた理由は、そんな感じである。

    シャルル・ド・ゴール空港に初めて降り立った時の緊張感と高揚感がないまぜになったあの気持ち。日差しをいっぱいに浴びて煌めいていた薄黄緑色の樹々の葉。店先のテラスでのんびりとカフェタイムを過ごしているお爺さん。芸術作品のように美しい、塀に描かれた落書き。旅からしばらくの時間が経った今でも、その時感じていた気持ちやその時見た景色というのはしっかり脳裏に焼き付いていて、まるで昨日のことのように、そして写真のようにくっきりと思い出すことができる。言葉も常識も通じない場所で、初めて触れる景色や香り。特別どこかに行かなくてもただ街を歩いているだけで心が躍った。旅の中では市場に並べられた採れたての野菜や果物みたいに、目に映るもの、全てが色鮮やかで、艶やかだった。そして、その景色の前で立ち止まって、気の済むまでじっくり眺める時間があった。これ以降、お正月休みやお盆休みなどの短い休みを得られるたびに、私は旅に出るようになった。フランス、スペイン、ポルトガル、台湾。この二年間はまるで病にかかったかのように、夢中で旅を貪った。

     何かを変えようと思っていたわけではなかったし、旅に出て何かが変わると期待していたわけでもなかった。でも、旅を重ねていくうちに、あることが妙に気になるようになった。旅の中で確かに感じていたはずの色を、時間を、旅から戻った後の日常では感じなくなっている。会社に行く為に六時三十分に起き、冷蔵庫にあるもので朝食を済ませ、車で会社に向かう。事務所の中でその日やろうと思っていた仕事や急に頼まれた急ぎの仕事なんかに忙殺されていると、あっという間に定時時刻となり、少し残業をして、また車で帰る。家に着いたらスマホを眺めながら休憩して、一定の時間が経ったら重い腰を上げて入浴を済ませ、土日に作り置きをしておいたもので夕食を取り、死んだように床につく。これを五日間繰り返す。朝の通勤の時、窓の外にはいろんな景色が繰り広げられているはずなのに何一つとして思い出せない。帰ってきた後にスマホで何を見ていたかも全く思い出せない。下手したら今日何を食べたかも思い出せない。今日一日、確かに生きていたはずなのに、今日一日を過ごしたという実感がない。気づいたら次の日の朝になっていて、また会社に行く準備を始めている。こうして五日間過ごしたという実感がないまま、次の土日を迎え、また次の週が始まる。まるでモノクロで色彩の無い、淡々と流れゆくビデオテープの中にいて、その流れにただただ従うだけの日々。気づいてしまったが最後、その日々の中にいるのが、少しずつ苦痛に感じるようになってきた。日常は、旅に出る前となんら変わっていないはずである。でも、一瞬でも旅の中に身を置いてしまったことで、今まで気づいていなかったことに気付くようになってしまった。旅の中で確かに感じた鮮やかで艶やかな色は、日常には存在しないのだろうか?美しい景色を目に焼き付けるために立ち止まったあの時間は日常では得られないのだろうか?なぜ、旅の中を生きるように日常を生きることができないのだろうか…?仕事を辞めて、旅に出ればそんな日常からは離れられる…?でも、使えるお金も時間も限られている中、永遠に旅ができるわけではない。仮に一生海外を放浪するような生活をしたとしたって、今度はその旅自体が日常になってしまうだろう。人は誰しも、いつかは絶対に日常に戻ってくることになる。日常からは逃れられない…。これから先、ずっと色彩のない、淡々と流れゆくビデオテープの中で生きていかなければいけないのだろうか?その人と出会ったのは、いつの間にかそんな疑問が心の隅に棲息するようになった頃だった。
     
    「もし良かったら、下の階の喫茶店にも寄っていってくださいね。店主さん、お喋りするのが好きなので、楽しいと思います。」
    そう勧めてくれたのはたまにお邪魔していたギャラリーのオーナーさんだった。ここのギャラリーのオーナーさんとは五年来の知り合い。食器やカゴの職人さんなど、気になる作家さんの展示があるたびに、ギャラリーに足を運んでいた。確かに喫茶店があるのは何年も前から知っていた。いかにも純喫茶という感じの、静かで重厚な雰囲気の喫茶店だ。どちらかというと昔からの常連客に親しまれているような、そんなお店。前々からその存在に気づいてはいたが、入ったことはなかった。元々コーヒーを嗜む習慣が無く、そもそも人との待ち合わせでしか喫茶店に入ったことがなかったけど、ちょうど時間もあったので、せっかくだから入ってみることにした。窓ガラス付きの重厚でシックな扉を恐る恐る開ける。扉についていた呼び鈴が、チリンチリンと小気味よく響く。
    「いらっしゃいませ。」
    一人のおばあちゃんが少し驚いた表情を浮かべてカウンターから顔を出す。私のような年代の人はあまり来ないのかも知れない。両ポケットが猫の形をした濃い青の割烹着に、頭には青・赤・白が覗くスカーフを細く捩ったものを頭に巻いている。首くらいまでの長さの白髪はとても柔らかそうで、優しい印象を受ける。この人がお喋り好きな店主さんのようだ。花壇に植っている木々の葉と葉の間から柔らかな光が差し込んでくる窓際の席を選び、腰を下ろす。
    「何にしましょうか?」
    「何がありますか?」
    「ホットコーヒー、アイスコーヒー、カフェラテなんかもできます。」
    「じゃあ、ホットコーヒー一つ。」
    「はい、かしこまりました。」
    春、桜が散る頃の昼下がり。ポカポカとした暖かい光がテーブルを反射し、煌めく。ライトな口当たりのコーヒーを啜りながら、じっとその空間に身を置く。「ほぼあってます」と書いてあるメモが貼り付けられた壁掛け時計の秒針はチクタクチクタクと一定のリズムで時を刻んでいるけれど、この空間に流れている時間は多分もっとゆったりしている。妙な心地良さが体全体を包み込む。まるで吸い込まれるかのように、体がソファに沈んでいく。
    …どのくらい時間が経っただろう。窓からの光が少し弱くなったのを感じた。そろそろ日が落ち始めてきたようだ。暗くなる前に帰ろうとお会計をお願いした。
    店主さんがお金を受け取りに来た時、ふと私が持っていたカバンに目をやり、
    「素敵なカバンね。とても似合っているよ。」
    と一言、初対面の私を褒めてくれた。それは、最近一目惚れして買ったお気に入りのカバンだった。
    紺色、革製で小ぶりのショルダーバッグ。紺色とグレーの革がツイストされている取手が特に気に入っていた。
    「お気に入りのカバンなんです。」
    気づいてくれたことが嬉しくてそう答えると、
    「お気に入りのものがあるっていうのは良いことよね。お気に入りのものが自分の身の回りにあるだけで、生活が豊かになるもの。」 
    そう、教えてくれた。「豊か」という言葉からはかけ離れた生活をしていると思っていた。だって、今日一日を過ごしたという実感すらない日常を送っているのだから。でも店主さんはお気に入りのものがあるだけで生活が豊かになると言う。自分が気づいていなかっただけで、私は豊かな生活を送っていたのだろうか。帰り際、また来ます、と伝えると、
    「ええ、またいらっしゃい。そのカバンも一緒にね。」
    とクシャっとした笑顔で言った。

    その喫茶店は、家から徒歩四十分くらいのところにある。喫茶店に行くにしては、少し遠い。モーニング文化がある愛知県、私の近所にも喫茶店はいくつかある。でも、お気に入りのものがあるだけで生活が豊かになると教えてくれた、あの店主さんのことが気になり、その日以来、徒歩四十分かけてその店に足を運ぶようになった。

    店に足を運び始めて三回目くらいのことだっただろうか。もう梅雨も終わり、段々と日差しが強くなってきた、と感じる初夏のことだったと思う。いつものようにコーヒーを飲みながら本を読んでいると、お冷を注ぎに来た店主さんに
    「ゆずちゃん、よね?」
    と声をかけられた。そういえば、前回来た時に名前を聞かれたような記憶がある。
    「すぐに忘れちゃうから、ここにメモしてるの。」
    そう言って持ってきてくれたのはA3サイズのスケッチブック。表紙を一枚捲ると、何やら文字でびっしりと埋め尽くされたページが現れた。文章とか漢字練習とか、そういった規則性のあるものではない。色んなワードやら名前やらが画用紙一面を埋め尽くしている。

    「白黒柴のことちゃん」
    これはこの前たまたまお店の前を通りかかって仲良くなった、犬の名前。

    「開拓精神⇄パイオニア」
    「パイオニア」という言葉の意味がわからなくて、調べた時に記録しておいたのだとか。

    「あなたでいてくれてよかった」
    テレビドラマを見ていた時に、誰かが発したセリフの一つで、気になって書き留めておいたらしい。

    時間が経つとつい忘れてしまいそうなことを忘れないように、このスケッチブックにメモしているのだそうだ。「時間が経つとつい忘れてしまいそうなこと」って、書き出したらこんなにあるんだ…。いざ書き出されたものを見ると、その情報量に思わず面食らう。私は今まで何人の人の名前を忘れて、意味を知らない言葉を幾つスルーしてきたのだろう。まるで朝の満員電車の中みたいに文字がひしめき合っている中で、「ゆずちゃん」と私の名前が紛れているのを見つけた。スケッチブックに書かれた私の名前を見て、そう言えば、店主さんの名前を聞いていないことに気がついた。

    「お名前、何て言うんですか?」
    「ゆう子。ゆうは裕福の裕で裕子。」

    互いの名前を認知したこの日以降、私以外にお客さんがいない時、裕子さんは私との雑談に付き合ってくれるようになった。私も常連客とバッティングしない時間を見計らい、店に出向くようになった。他の常連客に対してそうするのと同じように、裕子さんは決まって私の席の向かい側に座った。

    裕子さん:「最近、近くの工事現場のお兄さんの髭がモジャモジャで、『触らせて』って言ったら『良いよ』って言って触らせてくれたのよ。見た目よりもふわふわしていて、気持ちよかったわ笑」

    私   :「知らない人に髭を触らせてって言う勇気がなかなか出ないですけど…笑 でも、そんなに気持ち良いなら私も触ってみたいです笑」


    裕子さん:「最近、電車に乗っていたら、私に席を譲ってくれた女性がいてねぇ。仲良くなって、ラインまで交換しちゃったの。その子はボイストレーナーをやっているみたいで、ボイストレーニングを勧められたから、最近朝、音読するようにしてるのよ。歳をとってくると、だんだん声が出にくくなるんだけど、朝十分音読するだけで全然違うのよ。声を出すのがすごく楽になるの。」

    私   :「へぇー、十分音読って、短いように見えて結構長いですよね。それを毎日続けるのって、すごいなぁ。」

    裕子さん:「このテキストにも載っている、宮沢賢治の『雨ニモマケズ』がとても好きでねぇ。いつもこの詩を音読してるの。私もこんなふうに生きたいって、いつも思うのよ。」

    私   :「机の上に乗ってるそれ、電子辞書ですよね。懐かしい!高校生の頃、よく使ってました。」

    裕子さん:「そうそう、本とか新聞を読む時、いつも隣に置いてるの。スマホで調べるよりもダイレクトに調べることができてわかりやすいのよ。」

    私   :「ちゃんと調べながら読むんですね。見習います。私、調べながら読むの実は苦手で…。わからない言葉があっても、ちょっと面倒だったり、後で調べようとか思ってるうちに調べるの忘れちゃったりして。」

    裕子さん:「わからないと、後で私が困るから調べてるだけよ。当たり前の話。」

    それこそ時間が経てば忘れてしまうような、本当に他愛もない内容の話ばかりだった。でも裕子さんがしてくれる話は、流れゆくビデオテープを一旦一時停止しないと、拾えないものばかり。日頃から窓の外を見ていないと、工事現場のお兄さんの存在に気づかないし、髭を触ってみたいという興味はきっと湧かない。ちょっと挑戦してみようと思えるくらいに心に余白を残しておかないと、見知らぬお姉さんに音読を勧められても、きっと実行には移さないし、そもそも習慣にできない。知らない言葉に出会った時にちゃんと立ち止まれるくらいの余裕がないと、きっと本や新聞を読みながら見知らぬ言葉を調べるのは億劫になってしまう。仮に私が裕子さんと同じ場所で生活をしていても、気付けないであろうことに裕子さんは気付いていた。裕子さんはきっと、淡々と流れゆく日常の中で、ちゃんと立ち止まっている。流れゆく背景をじっと眺めていて、気になったところでちゃんと一時停止をして、さらにじっくり眺めている。二年前、あの旅人の旅の話に引き込まれたように、裕子さんが普段過ごしている日常の話に引き込まれていた。温かかったコーヒーがすっかり冷め切り、日が沈んでしまう頃まで、私たちは雑談に興じた。

     黄色く色づいたイチョウが散り、そろそろ冬に差し掛かろうとしていたある日のこと。いつものようにお店にお邪魔すると、テーブルの端の方に淡桃色に色づいた花が生けられていた。椿だった。椿といえば赤か白のイメージが強いけど、これはその中間の、非常に優しく豊かな淡桃色だった。
    「西王母っていうのよ。」
    しげしげとその椿を眺める私に気づいた裕子さんが、そう教えてくれた。「椿」と一口に言っても様々な種類があって、その中でもこの淡桃色の椿は「西王母」という名前がついているらしい。調べてみると、椿にはざっと見ただけでもなんと百以上の種類があることがわかった。そんなにあるの…!?色は勿論、花弁の形や咲く時期まで、様々だ。「コーヒー」と一口に言っても豆の種類や入れ方の種類の数だけコーヒーがあるのと同じように椿も「椿」と一口ではまとめられないくらいの多様性を持っているようだ。

    「この花、何ていう名前か知ってる?」
    少しの間、外でご近所さんとの井戸端会議に参加していた裕子さん。その左手には見慣れない一輪の花。さっき話していたご近所さんからいただいたものらしい。真っ直ぐに伸びた緑色の茎の先から蛇の頭のような白い蕾が無数に飛び出している。こんな花見たことない。
     「こういうの、どうやって調べるんだったかしら?」と徐に裕子さんがスマホを取り出す。恐らく、グーグルフォトで調べようとしているのだろう。私も一緒にあまり使い慣れていないグーグルフォトを起動した。二人でああでもない、こうでもないと慣れないグーグルフォトに四苦八苦しながら調べた結果、その花には「熨斗蘭」という名前がついていることがわかった。「蘭」とついているのに実際には「蘭」ではないらしい。紛らわしい。花茎が扁平で綿棒で熨したような平たい形をしていることから、また、葉が筋ばっていて熨斗に似ていることからこのような名前がついたのだとか。私には蛇の頭にしか見えなかったあの花茎が熨斗に見える人もいるのか…。そう思うとだんだん熨斗にも見えてくるから不思議なものである。

    「私、この花が一番好きかもしれない。」
    裕子さんがそう話す、その花の名前は「ホトトギス」。反り返った白地の花弁に無数に広がる赤紫色の斑点が映える。ホトトギスって鳥じゃなかったっけ…?そう思って調べてみると、花にも「ホトトギス」と呼ばれるものがあるらしい。赤紫色の斑点模様が鳥のホトトギスの胸から腹にかけての模様に似ていることに由来した名前なのだとか。片栗の花と花弁の形が少し似ているなと思っていたら、同じユリ科だった。
    「私もホトトギス大好き。お花屋さんに売ってるようなのじゃなくて、山に生えているような野花みたいな花が良いんだよねえ。」 
    近くの席に座っていた常連のお客様が言った。
     裕子さんは無類の植物好きで、お店のテーブルや窓際にはいつも季節の花々がさりげなく飾られている。外の二~三段くらいの階段の端にも、植木鉢が所狭しと無数に置いてある。植物に明るくない私は、飾られている花々のことを裕子さんに教えてもらったり、裕子さんと一緒に調べたりするのもまた、この店を訪れる楽しみの一つだった。赤くて小さい鬼灯のような実を実らせる「アプチロン」。海のように青くてシックなのに、どこか可憐な雰囲気の残る「アメリカンブルー」。これらの花々はこの店に来て、裕子さんに教えてもらって初めてその名前を知った花々である。真っ白でトランペットみたいに立派な花を咲かせるサボテンがあることも、このお店に来て初めて知った。道端に目をやると、実は見知らぬ花だらけだった。アスファルトのヒビの間から伸びているこの花も、どこかの家の花壇に植えられているその花も、よく見たら名前を知らなかったり、時に見たことすらないこともあった。もう見慣れてしまった景色でも、歩き慣れてしまった道でも、実は知らないもので溢れている。裕子さんに見知らぬ花の名前を一つ教えてもらうたびに、モノクロだった世界に新しい色が足されていった。

     裕子さんはまるで日常を旅する旅人だ。裕子さんは淡々と無情に続いていく日常の中で、私が旅の中で見ていた色を、感じていた時間を確かに捕らえている。時間が経ったら忘れてしまいそうなことは、スケッチブックにメモをしておく。日頃から窓の外を眺めて、気になったものは自分の目で確かめにいく。人から薦められたことは、薦められた通りに試してみる。どんなに見慣れた日常でも、実は自分が知らないもので溢れていることを知っていて、知らない花の名前や本や新聞の中で出てきたわからない言葉は、立ち止まってその場で調べる。日常の中を無意識に流されていくのではなくて、一度立ち止まってその流れに逆らってみる。そういう些細なことの積み重ねは、川に聳え立つダムのように、淡々と流れてゆく日常の足を止めてくれるのかもしれない。流れが緩やかになったその日常をじっくり眺めてみることで、今まで知らなかった新しい色を見つけられるのかもしれない。

     二年前、私はあの旅人に憧れて、あの旅人が見ていた「ここではないどこか」の景色を見たくて、海を超えた先にある遠くの国々を旅した。
    「次はどこを旅したい?」
    そう聞かれたら、どこと答えるだろうか。勿論、行ってみたい国は数え切れないくらいある。でも今、私が旅してみたいのは「日常」かもしれない。裕子さんみたいに、今そこにある日常を、思う存分旅したい。それはきっと、遠くの国々を旅することよりも、はるかに難しい。日常はもう既に見慣れてしまっていて、常に不変であるように装っているし、無意識のうちに実に淡々と、無常に流れていってしまうものだから。でも、生きている限り永遠に続いていく日常だからこそ、生きている限り逃れられない日常だからこそ、その日常を深く生きたい。寝る前に、今日車の窓から見えた景色を思い出せるような一日。朝ご飯に食べたお茶漬けの味を思い出せるような一日。知らなかった言葉や花の名前に一つでも出会えるような一日。そういう日々を旅したい。



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