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Photo bydaraz

【掌編小説】雨宿り #シロクマ文芸部

    喫茶店の窓際の席に座っていた。

    アイスコーヒーの氷はもうほとんど溶けて、グラスの外側には水滴がゆっくりと流れている。店の外では、急に降り出した雨が歩道を濡らしていた。

    軒先に、一人の男が立っている。

    傘を持っていないらしい。

    さっきまで普通に歩いていたのに、降り始めた途端、店のひさしの下へ滑り込んだ。白いシャツの肩だけ少し濡れている。

    私はなんとなく、その人を見ていた。

    雨宿りをしている人を見ると、いつも考える。

    この人は、どの時点で動き出すのだろう。

    雨脚が弱まったらか。

    止むと確信したらか。

    それとも、諦めがついたらか。

    男は空を見上げたり、スマホを見たりしている。

    たぶん天気予報を見ているのだろう。

    「あと十五分で止みます」

    そう書いてあったら待つのかもしれない。

    「一時間続きます」

    そうなら走るのかもしれない。

    でも、天気予報はたぶん背中を押す理由にすぎない。

    本当に人を動かすのは、もっと曖昧なものだ。

    濡れてもいいか、という気持ち。

    急がなくては、という事情。

    待つことに飽きた、という倦怠。

    そういう、名前のない重さの針が少し傾いたとき、人は動く。

    雨は少し弱くなった。

    男は一歩前に出た。

    でも、すぐ戻った。

    まだ違うらしい。

    その一歩は、試しに未来へ足を入れてみたみたいだった。

    冷たいか、耐えられるか、確かめるような。

    私は少しおかしくなった。


    人生の決断も、案外こんなものかもしれない。


    みんな最初にちょっとだけ外へ出る。

    思ったより雨が強ければ戻るし、行けそうならそのまま進む。


    やがて男は、急に歩き出した。

    雨はまだ降っていた。

    弱くも強くもない、中途半端な雨だった。

    なのに、今だと思ったらしい。

    走りもしない。

    ただ、濡れながら普通の速さで角を曲がっていった。

    ああ、と思う。

    結局、人が動き出すのは、雨が止んだ時じゃない。

    このくらいなら行ける、と自分の中で決まった時だ。

    窓に残った雨粒の向こうで、次の雨宿りの人が駆け込んできた。

    この人は、いつ動くだろう。


     
     
    お家が大好きなパート主婦 家族は夫と娘(小学生、中学生) 家族との時間を大切にしたい。 日常、子育て、読書など、いろいろ書いています。

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