メインコンテンツへスキップ
見出し画像
Photo bykamei_kana1223

残された財布

    1 崩壊の元日

      大晦日の夜、午前2時頃。私たち二人は眠っていた。どうやら除夜の鐘の用務から義理の兄が帰宅したらしく、その物音で奥さんが起き出した。「音がするので車を動かしてほしい」と私に頼んできた。理由は、家の入り口を自分の車で塞ぐためだった。ちなみに、その時点ですでに私の車で入口は塞いであった。

      その時間帯とその要求自体、すでに常軌を逸していたが、奥さんはいつものごとく収まらない様子だった。私は寝ぼけ眼のまま自分の車をガレージに入れ、彼女も自身の車で再び入口を塞いだ。要求の意味は分からない。ただ、また眠れるという利益はあった。そうして、そのまま二人とも再び眠りについた。

      翌朝8時頃だった。
    「黙れって言っているだろう!」
    意味のわからない言葉を繰り返しながら、奥さんが寝ている私を枕で叩き始めた。枕とはいえ、思い切り叩かれれば痛い。私ははっきりと身の危険を感じた。罵倒と暴力の中で、「警察に通報する」という考えが頭をよぎった。とにかく避難しようと家の外に出たが、彼女は追いかけてきた。庭のどこかからレンガを持ってきて、私に向かって投げつけた。私は悲鳴とともに交わした。
    (これは一線を越えている)
    レンガが当たれば、命に関わる。私はすぐに110番通報をした。その間、彼女は隣の実家に行き、出てきた父親に当たり散らし、植木鉢を投げつけて壊していた。怒りは収まらず、家の入口を蹴り飛ばしていた。

      私は極度の緊張の中で警察に電話をし、住所を言い間違えながら「早く来てください」と懇願していた。途中で彼女がこちらに戻ってきて電話を奪おうとしたため、通話は切れてしまった。このままではどうにもならなかった。私は彼女を羽交い締めにし、二人とも庭に転がり、もみ合いになった。彼女はさらに暴れ、振りほどこうとする彼女の爪が、私の手首に突き刺さり、激痛が走る。さらに庭の砂利で手が擦り剥けていくのが分かった。

      先ほど植木鉢を投げつけられていた義父は、その様子を口を開けたまま見ていた。私は必死に「早く警察を呼んでください」と頼んだ。しかし、彼は動かない。暴れる彼女を取り押さえたまま、「早く呼んでくれ!」ともう一度叫んだが、返事はなく、義父はそのまま家の中へ消えていった。

      その後しばらくすると
    「もう大丈夫だから……」
    と言う彼女の声とともに、彼女の体から何かが抜けていくのを感じた。彼女の表情からも緊張が取れ、怒りが消えたように見えた。私は恐る恐る手を離した。おもむろに立ち上がった彼女は、先ほど私に向かって投げたレンガを拾い上げた。私は身構えたが、彼女はそれをそのまま元の場所に戻した。

      義母が出てきて、彼女をなだめるように話している。彼女は「この人(私)が喋るから」だと、いつものように幻聴に取り付かれていた。私は部屋に入って椅子に座り込んだ。義母に
    「警察を呼んでくれましたか」
    と尋ねたら、連絡していないという。
    「どこにかければいいのか分からなかった」
    そんな、驚くような言葉が返ってきた。私は呆然とし、水を一口飲むのが精一杯だった。

      これが現場にいる者と、いない者の差なのか。戦争において、一線と二線ではまったく意味が違う。最前線の一線では血や肉、骨が飛び交う。二線は待機及び後方支援だ。スポーツや仕事であれば、誰もが一線に立ちたいだろう。しかし、このように荒れ狂う人間を相手にする現場では、一線になるか二線に当たるかではダメージがまったく違う。故に、心の在り方も違うのだろう。確かに、私がレンガを投げられた現場を誰も見ていない。私がどれほど切迫していたか、分からなかったのかもしれない。しかし、目の前で娘とその夫が取っ組み合い、警察を呼ぶよう叫んでいる。その状況で「何もできない」ということが本当にあり得るのだろうか。一体、どういった心理状態だったのだろう。父の他に、実家の中には母親と兄がいた。三人とも奥さんとは異なり、常識的な家族である。その三人が揃って、私が警察を呼ぶよう叫びながら、娘を取り押さえている状況を見ていたはずだ。それでも「またいつものことだ」と思ったのだろうか。あるいは、村の特殊な事情や世間体で、警察を利用することへの躊躇があったのだろうか。

      この後、私は義母たちにこの件を突きつけるつもりはない。私はいわゆる「マスオさん」であり、普段からこの三人に世話になりまくっている。さまざまな恩がある中で、その行動を追及することは、私にはできない。しかし、この出来事は、私の心にぽっかりと穴を開けた。それが血の繋がりの差なのか、戦線の差なのか、村の事情なのかはっきりとは分からない。もしも逆の立場なら、同種の状況に自分が出合ったなら、私も警察を呼べなかったのだろうか。その場になると、私も何もできないのかもしれない。先ほどの引っ掻き傷と擦り傷が、じんじんと痛みを増していた。

    2 警察介入

      私が通報してから、40分ほど経っていただろうか。警察が到着した。私はすぐに窓から手を出して合図を送った。不十分だったはずの私の通報は、きちんと伝わっていたのだ。この時点で、私ははっきりと安堵した。

      警察は女性警官を含む3人で駆けつけてきた。やる気がなければ、派出所のバイク一台だけで済ませることもできたはずだ。それをしなかったことから、本気で解決しようとしてくれていることが伝わってきた。奥さんはすぐに外へ連れ出された。私は部屋の中で椅子に座ったまま、女性警官から事情聴取を受けた。次に入れ替わって入ってきたのは、ドラマ『ガンニバル』の主演・柳楽優弥(やぎら ゆうや)を思わせる、男前の若い男性警官だった。私は再び、同じ内容を一通り説明した。警察は、矛盾や情報の裏を取るために、人を変えて同じ質問をするのだろう。

      奥さんは、レンガを投げたことは否定し、植木鉢を割ったことは認めているという。逆に、私から暴力を振るわれたと主張していた。これは健常者からすればとても驚くが、私は驚かなかった。それは言い逃れではない。本気で妄想に支配されていたり、記憶が断片的になることは今まで何度でもあったからだ。私自身も極度の緊張状態にあり、記憶が曖昧になっていた。レンガが先だったのか、植木鉢が先だったのか、どこで通報したのかも、はっきりとは思い出せなかった。そのことに、自分でも驚いていた。

      柳楽さんが言うには、レンガを投げた件については、逮捕は難しいとのことだった。当たっていないこと、目撃者がいないこと、本人が否認していることが理由だという。私は「そんな馬鹿な」と食い下がった。どこかの道端で、通行人に私が同じことをしたら、間違いなく捕まるだろう。彼は「これから上司と相談するから決定ではない」と私をなだめた。

      三人目の年配の男性警官は、このチームのリーダーのようだった。二人の警官から情報を受け、最終的な判断を下す立場にあるらしい。その上官が私の座っている部屋に入って来て言った。
    「おそらく奥さんには精神疾患の疑いがあることは間違いありません。現状では逮捕はできないが、医療保護入院の方向で進めたい。その方針でいいですか。」
    私は、是非にとお願いした。

      どのような説明がなされたのかは分からないが、奥さんは「警察署に行く」と言っているらしい。私は驚いて「暴れていませんか」と柳楽さんに尋ねたが、「落ち着いています」とのことだった。奥さんはしばしば警察署に相談に行っている。統合失調症の方々は、警察や消防を「自分の味方」だと思っていることが多い。もちろん、警察は誰の味方でもあるが、だからこそ、すんなり警察に行くことになったのだと思う。後ほど私宛てに連絡が来るというので、「よろしくお願いします」と伝えた。奥さんは、パトカーの後部座席に乗せられ、連れて行かれた。

      その直後、私は実家に呼ばれた。反省会というほどのものではないが、脱力したまま座り込み、義母がお茶を出してくれた。さらに、お雑煮を勧められ、食欲はなかったが、とりあえず口に入れた。そういえば、今日は正月だった。
    (お雑煮は、家によって味が違うんだな)
    自分の実家の味との違いに気づき、私はほんの少しの間だけ、正月を味わった。

    3 元旦の警察署

     奥さんが警察に連行されてから、しばらくして警察から連絡がきた。書類を書いてもらいたいので、すぐに警察署へ来てほしいという。

      警察署に着くと、免許更新で訪れたことのある交通安全課の待合所に通された。元旦の閉庁日だったため、そこには誰もいなかった。現場対応をした人たちとは別の警官が現れた。本来であれば生活安全課、通称「生安」というらしい、の担当案件だが、正月で人がいないため、自分が対応するのだという。人手が足りない中で、我が家に女性警官を含む三人を派遣してくれたことを思い出し、あらためて申し訳なさと感謝の入り混じった気持ちになった。

      今日の出来事や、これまでの彼女の様子について、また同じことを聞かれ、家での事実確認と同じように私は答えた。今回の件はDV案件になるという。そのうえで、今後の婚姻関係を継続する意思があるかどうかを問われた。私は、出会った頃や結婚当初には楽しい時間があったこと、そのころのことには感謝していることを理由に、継続の意思があると答えた。自分でも、その理由を口にしたことに少し驚いた。

      次に、告訴するか尋ねられ、私はお願いしますと答えた。しかし担当者は、生涯犯歴が残ることや、その後も婚姻継続を望むなら現実的ではないことを気まずそうに説明した。私は、自分が高校生の特別指導の感覚で考えていたことに気づき、告訴は取り下げた。

      さらに、医療保護入院を希望するかどうかを聞かれた。この後、保健所の決裁、病院の確保、医師の判断など、すべてがうまく進めば、という前提付きだった。私は本人の気持ちが気になっていた。あれほど「自分は病気ではない」と言っていた人が、おとなしく入院するとは思えなかったからだ。
    「本人は、どう言っていますか」
    そう尋ねると、
    「嫌がっています」
    との返事だった。やはり、と思った。保健所の人たちが説得している最中であり、医療保護入院の場合、本人の意思がなくても家族の同意があれば入院は可能だという。私は、その時点で「かわいそうだ」という気持ちが湧き始めていた。しかし、今日のようなことがあっては、もう一緒にはいられない。「お願いします」そう答えた。

      最後、署名欄に、自分の名前ではなく、警察署名を書いてしまった。すべてが初めてのことで、自分の決断がとても大きなものに感じられると同時に、自分の判断能力がいかに浅はかかを思い知らされていた。私は気が動転していた。

      その後、昼食を取りに外へ出た。正月ではあったがファーストフードにありつけて、警察署に戻った。奥さんは、保健所職員との面談を終え、別室へ移動していたようで、私たちは再会した。取り乱している様子はなかった。それから私も保健所の職員と面談を行い、これまでの彼女の様子や、今日の出来事について、また細かく聞かれた。何度も、何度も、同じ説明をする一日だ。話すたびに、新しい記憶が蘇ったり、自分の記憶の曖昧さを実感した。記憶そのものが、こんなにも不確かなものなのだと、改めて思い知らされた。

      保健所の職員から、医療保護入院を希望するかどうか、あらためて意思確認があった。
    「本人は、望んでいないでしょう」
    そう聞くと、「そうですね」と返ってきた。またもや、やはり、と思ったが、
    「ただし、本人は家族が望むなら行ってもいいと言っています。」
    という。私は思わず「えっ」と声を上げた。さすがその道の人だと感じた。
    「本人がそう言っているのであれば、ぜひ」
    とお願いした。

      休日のためか、緊急用なのか分からないが、病院決定には電話による上司の決裁が必要らしい。決裁が下りるまで、私は車の中で待機することになった。疲れ果てて眠っていると、窓をノックする音で目が覚めた。先ほどの保健所の職員だった。病院が決まったので、指定時刻にその病院の駐車場に来てほしいとのことだった。

      時間には余裕があったが、私はすぐに車を出し、病院へ向かった。フロントガラス越しに見える空は、やけに青く、いつもより遠くまで山々が見えていた。しかし、私の心は晴れでも曇りでもない、これまでに感じたことのない、初めての天気であった。

    4 開かない扉

      指定された病院の駐車場で、車の後部座席に移動し、寝転がって空を見ていた。青い空だった。こんな元旦があるのかと、現実感がなかった。やがて保健所の職員から電話があり、休日用通用口から中に入った。診察室には、医師と男性看護師、私、奥さん、警察官二人、保健所職員二人、計八人がいた。

      奥さん、保健所、警察、そして私という順番で、医師からの質問に答えていった。奥さんとのやりとりが最も長かった。彼女は終始、言葉の出力が止まらず、医師や私から何度も制止された。それでも彼女は止まらず、意味のわからない話を滝のように続けた。この場にいる誰もが、奥さんの異常さを感じていた。

      医師は淡々と対応し、あらためて奥さんに向き合った。いよいよ診断が下される空気を、私ははっきりと感じた。
    「統合失調症の疑いがあります」
    私は、彼女から目を離すことができなかった。あれほど「自分は病気ではない」とわめいてきた彼女が、どんな反応を示すのか。取り乱すのか、反論するのか、激しく拒否するのか、さまざまな場面を想像していた。しかし、何も起こらなかった。驚くほど静かだった。彼女は身じろぎもせず、聞こえていないかのようで、それでも医師の方を見ていた。

      私は理解に苦しんだ。これが権威なのか。家族がどれほど言っても聞き入れなかった言葉を、医師という専門家が告げると、こうも受け入れるのか。さまざまな思いが胸を去来した。医師は私の思考を待つことなく、彼女に入院を提案した。彼女は、「薬は飲めるが注射は嫌だ」「入院は困る」「通院しながら治療したい」と口にした。しかし、取り乱すことも、わめくこともなく、落ち着いて医師に応答していた。その落ち着きは、私の理解をさらに超えていた。それは、これまで私が知っていた彼女からは想像できない態度だった。「入院させるのは、本当にかわいそうだ」、そんな気持ちが、私の中で育っていくのを自覚していた。

      医師は彼女の意思を確認し、次に私の方を見て言った。
    「ご主人は、どう思いますか」
    私は後ろ髪を引かれる思いだった。それでも、
    「入院をお願いします」
    と答えた。本人の意思より、家族の意思が優先される制度だということは、この一日を通して警察や保健所から何度も説明を受け、理解していた。私の決定が、彼女のこれからの生活を左右する。ここで彼女が取り乱すのではないかと身構えた。しかし、何も起こらなかった。彼女は、そのまま入院を受け入れたのだ。私は予想だにしない彼女の反応に、何度も何度も驚きながら、医師の診察を終えた。

      そのまま彼女は、警察に護衛されたまま、隔離病棟の看護師へ引き渡された。その受け渡しの場に、私は通されなかった。家族であっても立ち入ることはできない。中で何が起きているのかは分からない。その入ることのできない扉の前に一人突っ立ったまま、私はこの出来事の重大さを感じずにはいられなかった。

      制度は確かに機能していた。病識のない精神疾患、家族だけで日常を支え続けることの限界。しかし、警察が介入するような暴力行為が起きたとき、そこから先は、驚くほど滞りなく隔離と保護が進んでいく。私はこれまで、精神疾患を支える制度の不備に絶望していた。だが、実際に暴力が起こり、それを警察に伝えた後の流れを体験し、制度が整備され、機能していることを初めて実感した。これまで制度の欠陥ばかりを嘆いてきた自分とは打って変わって、そのありがたさに、頭を垂れずにはいられなかった。

      私は、奥さんを「かわいそう」だと思っている。それでも私は彼女を入院させた。この二つは同時に成り立つ。「かわいそうだ」と思うことと、安全を選ぶことは矛盾しない。その「かわいそう」には、本人が苦しんでいることへの同情、連れて行かれた場面への胸の痛み、見捨てたのではないかという罪悪感、すべてが混ざっている。それは、私が彼女を大切にしてきた証拠だ。これから彼女は、専門の管理下に入る。私への人権侵害は止まった。精神の危険は消えたのだ。

      今回の私の決断は冷たい選択ではない。被害を止めるための、現実的な選択だ。「かわいそう」という感情と、その真逆にある私の決断。私は自分の人生が、大きく新しいステージへと移行していくのをはっきりと感じていた。

    5 残された財布

      奥さんが隔離病棟に入れられた後、私は面談室に通された。そこで、看護師から入院に関する注意事項の説明を受けた。話の途中、別の看護師がやって来て、奥さんが持っていた荷物をまとめて私に渡した。鞄や靴など紐のあるものは、隔離病棟には持ち込めないとのことだった。

      説明の中で、「本人にお金の管理はさせられないため、現金は病院が預かり、院内の売店や公衆電話などで必要なときに渡す仕組みになっている」と説明された。とりあえず現金を看護師に預けようと思い、お願いすると、お金を入れる専用パッケージを取りに看護師は部屋を出ていった。私は財布を車の中に置きっぱなしであることに気付いた。先ほど受け取った奥さんの荷物の中に、彼女がいつも大事そうに抱えていた赤いボロボロの長財布があった。そこからお金を渡しておこう、そう思って長財布を開けた瞬間、私は時が止まった。

      中にあったのは数十円の日本円と、使い道のない外国の硬貨だけだった。それは「出来事」ではなく、「現実」が胸に落ちた瞬間だった。それまでの私は、怒り、緊張、判断、対応、防衛を、休むことなく続けてきた。感じることは後回しにし、とにかく先に進むことを優先していた。警察が来たことも、制度が動いたことも、入院したことも、すべて「処理すべき出来事」だった。だが、長財布の中身は違った。そこにあったのは「処理できない現実」だったのだ。

      数十円の日本円と、意味を失った外国の硬貨。それは、彼女がどれほど現実から離れていたか、どれほど「日常」を生きられていなかったか、どれほど脆く、孤立した状態だったかを、言葉ではなく「物」として突きつけてきた。
    (ああ、あいつは、俺が思っていた以上に本当に壊れていたんだ。荒れ狂う以前に、もう社会的には生きていけていなかったんだ。)

      もう一つ、大事な意味があった。私は長い間、彼女を「加害者」「脅威」「負担」として扱わなければ、自分が壊れてしまう局面にいた。だが、その財布は、無力さや幼さ、現実から取り残された姿を、否応なく見せてきた。そのとき初めて、怒りも判断もいらない、ただの「哀れさ」が立ち上がった。その瞬間、私の中で張りつめていたものが、静かにほどけた。長い戦争が終わり、私の人権を脅かす敵ではなく、「人間」を見てしまったのだ。

      もっと早く何とかしてあげられなかったものだろうか。 早く死んで欲しいとまで思ってきた彼女に対し、 こうなるより前に自分が何かできなかったものかと思わざるを得なかった。 それでも私も限界だった。選択肢はなかった。いや、唯一あった選択肢を、自分は全うしてきた、それ以外、道はなかったのだと。彼女に向けられた涙なのか、自分に向けられた涙なのかわからない涙が、一人になった狭い面談室にこぼれ落ちていた。

     
     
    純文学的エッセイや紀行文等を書いています。日々の絶望や、かすかな心の引っ掛かりに潜む希望、この世の美しさ、理想郷への手がかり等、そんなものを形にしています。

    あなたへのおすすめ