
“支える”ことは、“支えられる”ことだった
母の認知症介護、“支えていた”つもりでしたが、実は、“支えられていた”とも感じます。
母の認知症介護、本当に大変でした。家族、妹達、親戚には、その辛さは理解してもらえませんでした。
でも、介護が終わってみると、私には、大きな変化がありました。
家事を全く知らなかった私が家事を覚え、料理含め、なんとかこなせるようになりました。
庭での花作りも、認知症の母から教えてもらい、今では、大事な日常の一コマになっています。
そして、自分の人間的未熟さを、たくさん教えてもらいました。
認知症介護をして、支えていたと思ってましたが、その裏で、教えられ、支えられていたんですね。
引きこもりの長女のサポートからは、話し方、表情、態度など、コミュニケーション力が、かなり劣っていることが分かりました。
精神疾患の次女は、私と同じ強迫神経症ですが、自分の経験で判断することの危険性、待つことの大事さを学びました。
娘達のサポートも、支えていたと思ってましたが、その裏で、支えられていたんですね。
“支える”ということは、その裏で、“支えられている”につながっている気がします。
“支える”ことで、いろんな気づき、発見につながりました。そのことが、自分をステップアップするきっかけになりました。
■家族を支えていた私の仕事も、実は支えられていた
仕事で、家族を支えていると思っていましたが、実は、家族から支えられて、思う存分、仕事ができました。
私の仕事はシステムエンジニアという、休日は月2〜3日、残業、出張の多い過酷な仕事でした。多分、一人だったら、途中で心身の健康を壊していたと思います。
仕事は家族を支えるものですが、家族に支えられ、元気づけられて、仕事に集中できましたね。
■妻の2度のうつ病発症から学んだこと
妻は、私のシステムエンジニア時代に、2度のうつ病にかかりました。私の過激な仕事、慣れない土地での生活、出産などが重なったと思います。
考えたのは、生きる優先順位でした。結論は、“家族が一番大事”。これは、その後、迷ったときの判断基準になりました。
そこで、関東から九州に移動し、30代半ばから新しい職種をスタート。
妻、家族を支えることが、自分の新しい生き方、学びを作ってくれました。
■両親の為に都会から離島にUターン
私と妻の両親の介護の為に、都会から郷里の離島にUターン。
引越しの荷物は、フェリーで運ばれ、私も同じフェリーで移動しました。
若い頃住んでいたとはいえ、生活は都会から離島に変わり、激変しました。それでも、間近での親の介護は、事情がよく分かり、迅速に対応できましたね。
離島の場合、緊張な事態が発生しても、そう簡単に移動できないため、Uターンしたのは正解でした。
なお、Uターンして、得たこともありました。自然豊かな離島生活、老後生活の基礎固め、そして、50年ぶりに高校の同窓生とも会え、つながりが増えました。
■“支える”ことは“支えられる”ことにも
介護、看護、子育てなどは、支援する側とされる側が一方通行ではなく、実は互いに影響を与え合っている気がします。
支えるためには、自分の状態がどんな場合でも、相手のことを考えなければなりません、冷静さが求められます。
支えるためには、自分の癖、習慣、価値、好き/嫌いなどを、いったん脇において、行動しなければなりません、我慢、辛抱強さが求められます。
支えるためには、穏やかさ、優しさ、笑顔などが求められます。
でも、支える方も人間です、失敗することもたくさんあります。だから、自己嫌悪に陥り、それでも、支援は続きます。もう、自分との闘いですね。
支えるということは、だから、相手を見つめ、自分を見つめて、自分の世界が広がり、自分の人間的成長につながる気がします。
支えることで、同時に、支えられている。
私に、もし、認知症の介護もなく、娘達の支援も無かったなら、私は、自分が“未熟者”であることを真剣に考えず、自分を変えることも無かった気がします。
ただ、“支える”ときに忘れてはいけないのが“自分の限界”。完璧に“支える”ことはできません。
もし、支える自分が倒れたら、支えられる側も倒れます、つまり、“共倒れ”になります。
“自分を守る”ことも、立派な“支え”ですね。
