
とはいえ人は、自分のことさえ完全には説明できない
デザインの仕事をしていると、マーケティングという言葉を避けて通ることはできない。
誰に届けるのか。
なぜ選ばれるのか。
どんな価値を感じてもらうのか。
そんなことを考えていると、結局は「人を理解する」というところに行き着く。
けれど最近、人を理解するというのは思っていたよりずっと難しいことなのかもしれない、と思うようになった。
僕は映画が好きだ。
作品そのものはもちろんだけれど、ポスターのデザインや予告編の作り方、映画館の空気まで含めて好きだったりする。
観終わったあとに余韻が残る作品に出会うと、しばらくその世界から抜け出せなくなることもある。
でも、誰もがそうではない。
映画よりスポーツが好きな人もいる。
休日に家でじっとしているより、外に出かけたい人もいる。
どちらが正しいわけでもない。
ただ、価値を感じる場所が違うだけだ。
香りの雑貨や香水も好きだ。
お店でいろいろ試しながら、
「これは落ち着くな」
とか、
「これは少し気分が変わるな」
とか、そんなことを考える時間が好きだったりする。
でも香りに興味がない人からすると、その違いはよく分からないかもしれない。
料理も好きだ。
同じ料理でも器が違うだけで印象が変わる。
盛り付けが少し変わるだけで美味しそうに見える。
味だけではなく、その時間や体験そのものを楽しんでいるのだと思う。
こういうことを考えるたびに思う。
自分が価値を感じるものを、みんなが同じように価値だと思うわけではない。
そして逆に、自分が気づいていない魅力に価値を感じている人もたくさんいる。
以前の僕は、
「自分だったらこうする」
という感覚を大事にしていた。
もちろん今も大事だと思っている。
デザインを考える上でも、自分自身の感覚は大切な材料だからだ。
でも最近は、それと同じくらい
「自分とは違う人がいる」
ということが大事なのだと思うようになった。
仕事では分析をすることもある。
数字を見ることもある。
どんな人が商品を選んだのか。
どんな傾向があるのか。
似た価値観を持つ人たちはどこにいるのか。
分析によって見えてくることはたくさんある。
けれど、数字を見ていると時々思う。
その人は、なぜそれを選んだのだろう。
本当のところはどうだったのだろう、と。
例えばかみさんと映画観て、
観終わったあと、
「どうだった?」
なんて会話が自然に出たりする
そして時に、理由を探す。
映像が良かった。
脚本が良かった。
演技が良かった。
音楽が印象的だった。
いろいろな言葉が思い浮かぶ。
でも、よく考えると不思議だ。
映画を観ている最中の僕は、そんな分析をしていただろうか。
たぶん違う。
気づいたら引き込まれていて、
気づいたら心が動いていて、
気づいたら好きになっていた。
理由を考え始めるのは、たいていその後だ。
香りもそうだ。
いくつか試しているうちに、なぜか立ち止まってしまう香りがある。
落ち着くからだろうか。
懐かしいからだろうか。
上品に感じたからだろうか。
理由はいくつも思いつく。
でも本当のところ、自分でもよく分からない。
ただ、その香りが気になったのである。
料理も同じかもしれない。
また食べたいと思う店がある。
味が良かったからかもしれない。
店の雰囲気かもしれない。
一緒にいた人との会話かもしれない。
その日の気分だったのかもしれない。
どれも正しそうだけれど、どれか一つが正解とも言い切れない。
人は、自分のことを分かっているようで、案外そうでもない。
だから後から理由を探す。
「きっとこうだったのだろう」
と。
最近はAIと話す機会も増えた。
僕自身もアイデアを整理したり、
セミナーで話す内容の整理や過不足を確認する時にも良く使う。
本当に便利だと思う。
考えが整理されるし、自分では気づかなかった視点を教えてくれることもある。
最近特に思うのだけど、
AIは理由を見つけるのがとても上手だ。
こちらの考えを整理し、
筋道を立て、
納得できる説明をつくってくれる。
すると不思議なことに、自分の考えが以前より正しく見えてくる。
もちろん、それは悪いことではない。
けれど人は、理解されると安心する。
そして安心すると、
「もしかしたら違う見方もあるかもしれない」
という感覚を少し忘れてしまうことがある。
考えてみれば、マーケティングで一番避けたいのもそこなのかもしれない。
自分の感覚を市場全体だと思い込むこと。
自分の理由が、みんなの理由だと思い込むこと。
だから分析をする。
だから人の話を聞く。
だから街へ出る。
だから観察する。
でも最近は、それだけではなく、
「人は自分自身のことさえ完全には説明できない」
という前提を持っていた方がいいような気がしている。
顧客理解という言葉をよく耳にする。
けれど本当に理解するというのは、
正解を見つけることではなく、
簡単には説明できない部分があることを受け入れることなのかもしれない。
前も書いたけど、
データは地図のようなものだ。
AIは道案内のようなものだ。
どちらも僕たちを助けてくれる。
でも実際に街を歩くのは自分自身だ。
映画を観て、
香りを試して、
料理を楽しみ、
買い物で迷い、
時には失敗もする。
そんな日常の中でしか見えない景色がある。
良いデザインも、
良いマーケティングも、
案外そこから始まるのかもしれない。
人を説明することではなく、
人という存在の面白さに興味を持ち続けることから。
そしてその中には、僕自身も含まれている。
そしてそれらの中に不確定という面白い要素もあったりする。
が、ここはまた長くなりそうなのでまた今度。
出来ればフォローとかスキお願いします!!
頑張って面白い記事書きます🤣