いつからだろう。雨が嫌いになったのは。
死ぬことが怖くなったのは。
この後の人間の予定なんて気にも止めず、降り続ける雨。
雨は好きだ。
雨音が音階に聴こえるだとか、雨の日はノスタルジックな気分に浸れるからとか、そんな洒落た理由ではない。
僕が雨を好むのは、弱い自分が唯一周りと同じだと思えるから。
雨の日は、どんなに立派な人も、どんなに優しい人も皆当たり前のように傘をさし、雨粒から自分を守っている。
その瞬間、その雨だけは自分の弱さをかき消してくれ、この世に存在しても誰にもバレないという安心感をくれる。
その中でも唯一僕だけが違うのは、雨で安堵している人はいない、ということである。
彼らは、ドーム型の盾でこそ身を隠すが、その姿はまるで弱さを隠す必要性になんて駆られたことがないかのようである。
そして毎度のこと、バケツからジョウロに容器が変わったくらいの頃には、雨と引き換えに自分の存在意義を持っていかれる。
雨は一瞬でも自分のことを守ってくれているが、自分は誰かの盾になることができるのだろうか。
そんなことを風に任せながらぼんやりと考える毎日は無意味なことくらいわかっていた。
けれどそんなことを考えるほど自分の人生に価値があるとは思えなかったし、生かされた自分の人生に何の意味があるのかわからなかった。
生きていたくも、死にたくもなかった。
ただ、死ぬことよりも、日々を流れ作業のようにこなしていく自分を見ていたくなかった。
正直、誰かのために自分を犠牲にできる人間なんていないと思っていた。
そんな空想上の世界の人が今、目の前にいる。
真っ白な顔をしてバスに乗ってきた彼女は、空いている座席に腰をおろした。
化粧や色白という枠を超え、今にも降り出す雨を作る雲のような色をした彼女のことが最初は不安で目を離せなかった。
その後、シニアの交流会が開かれていた公民館近くのバス停に停車すると、彼女は席を立った。
ようやく降車できるのだと安心したのも束の間、彼女は壁にもたれかかったままバスに揺られ続けた。
今にも倒れてしまいそうな彼女から僕は目が離せなかった。
それは彼女のことが心配だったから、それだけではない。
少し目を離した隙に消えてしまいそうなほど儚くて、それでいて今まで出会った誰よりも強かったから。
5駅ほどが過ぎ、彼女は大学病院前で降車した。
僕の視線に気がついたのか、彼女は僕に微笑みかけてきた。
口角こそあげているもののどこか諦めたような表情だった。
ふわふわとした足取りで歩く彼女の後ろ姿を見て初めて、同じ高校の制服を身に纏っていること、そしてその制服は10月に差し掛かるというのに真新しく、居心地の悪そうな顔をしていたことに気づいた。
その姿は、一年前の自分と同じだった。
何もできずにただバスのエンジンと共に通り過ぎるしかない自分に無力さを感じた。
けれどこれが初めて自分に、自分の力に期待をした結果であることを知った。
この思いを自分の未来に託してみたくなった。
この世の全ての人のために生きられるような、そんな器用な人間ではないけれど。
今の自分には彼女一人すら守る力もないけれど。
それでも。
どうか彼女のいる場所では、雨が降りませんように。
彼女の声も、彼女の頬を伝う雨も、いつか必ず晴らすことができますように。
そう願いながら、僕は白紙のまま机の中に押し込んでいた進路希望届を手にとる。
いつか必ず戻ってくるその病院を背に。