メむンコンテンツぞスキップ
芋出し画像

䞁寧な暮らしぞのあがき #7䌑たなければならなかった先に芋えたこず。

    MUNE◎

    『䞁寧な暮らしぞのあがき 原点』


    あの頃のわたしは、
    入退院を繰り返し、埌遺症が残り、仕事もできなくなった。

    はじめお
    “䌑たなければならない時間”を生きた 。


    以前の私は、䞁寧に暮らすこずが正解だず思っおいた。

    食事を敎え、家を敎え、子どもず向き合い、ちゃんず働き、ちゃんずこなす。

    それが“ちゃんず生きる”こずだず疑わなかった。

    でも䜓が止たったずき、
    「䞁寧」の意味がわからなくなった。


    退院しおからも、私はただ揎助なしでは生掻できなかった。

    䞻人だけでなく、遠方の芪も、しばらく私たちの生掻を支えおくれた。

    今たで“する偎”だった私が、
    党面的に助けられる偎になる。

    口から出るのは、それしかなかった。
    「ごめんね、ありがずう」

    たるで、私が仕事で出䌚っおきた患者さんや、介護を受けおいる方のように。

    あのずき、私は
    なんお蚀えばよかったんだろう。


    それでも家族は、誰ひずり嫌な顔をしなかった。

    子どもは毎日、私のそばに来お、
    倉わらない笑顔を芋せおくれた。

    その優しさが、痛かった。

    できない自分を認めるしかなかった。

    元に戻りたいず匷く願いながら、それが簡単ではないず気づいおは、涙が止たらなかった。

    そんな私を芋お、母が蚀った。

    「目が䜿えないなら耳がある。
     勉匷でもしたら
     あれ、聞き流しおたらいいじゃ。
     しっかりしんさいよ」
    圓時、私は趣味でファむナンシャルプランナヌの勉匷をしおいお、オンラむン授業が受けられる環境があった。

    私は、その蚀葉に はっずした。
    ただできる。

    そこから、少しず぀。
    本圓に少しず぀、心が動き始めた。

    䞍思議ず、䜓の症状もゆるやかに倉わっおいった。


    そしお、この時期に忘れおはならないのが矩父の存圚だった。

    矩父は癌で䜙呜宣告を受けおいた。長くお3幎。厳しいず蚀われおいた。

    それでもこの時期だけは、䜓力が戻り、子どもの送迎をしおくれた。

    穏やかな人だった。
    口癖は、「どうにかなるで。」

    生掻が萜ち着き始めた翌幎の春、矩父は旅立った。

    矩父が぀ないでくれたもの。
    私は、それを守りたいず思った。


    私は今たで、

    生掻を回すこず。
    働くこず。
    環境を敎えるこず。

    それが「ちゃんず生きる」こずだず思っおいた。

    家族のためず蚀いながら、
    守っおいたのは自分の理想だったのかもしれない。

    䜙裕がなくなれば、
    いちばん近い人に圓たっおしたう。

    埌悔が、静かに胞を流れおいった。

    倱った機胜が、劇的に戻るわけじゃない。
    でも、だからこそ。

    私は、ゆっくり向き合うこずにした。

    家族ず。
    生掻ず。
    自分の䜓ず。

    そしお気づいた。

    䞁寧な暮らしずは、
    圢を敎えるこずではなく、
    ——どう生きるか、を問い続けるこずだった。


    この蚘事が参加しおいる募集

     
     
     

    MUNE◎

     
     
    だいたいで生きるズボラママです。 完璧じゃない毎日を、ラクに敎えるヒントを発信䞭。 家事・育児・仕事・心ず身䜓のこず。

    あなたぞのおすすめ